第四十三章
『あなたの鱗を授けてほしいの。そのかわりあなたに、封印解放の方法を教えて上げる』
そう言ったアイリーナの笑み。最初はうさんくさく笑う女だとしか思わなかった。
出会った、というより待ち伏せされていたというべきだろう。ふと気まぐれを起こし、封印の地を見に行ってみようかと思い立ってイミリーシャの北端を抜け、真円状に窪んだ北の最果てに辿り着いてみると、そこに彼女が立っていたのだから。
イミリーシャの王妃と名乗りながら、供の者は撒いたと言い、自分を待っていたのだと言った。一切の生物に生存を許さないこの極北の死の大地で。
王妃の身分でありながら不思議なほど身軽に、アイリーナはドレイクの行く先々に現れ、鱗を分けてくれと言い続けたのだ。
雄竜の鱗など得てどうしようというのかと思って尋ねると、アイリーナはまるで遊戯にでも勝ったかのように拳を握った。
『やっと、そこを訊いてくれたわね』
そして驚くべきことを告げた。人間は人間以外の種族との混血を、産むことができる。竜との混血は雄竜の鱗を体内にいれることで十月の後に、産まれるという。
雌の鱗を雄が飲み込むことで子を成す種族のドレイクからすると突拍子もない発想だった。だがアイリーナがあまりに真剣なので、半信半疑ながら、鱗を数枚剥がし、渡してやったのだ。
そしてたちまちのうちにアイリーナの腹は膨れていったのだった。
ある夜、王宮の一室でのことだった。月明かりの差し込むバルコニーで、膨みきった腹を撫でるアイリーナとバルコニーで語り合ったことがあった。思えば、あれがアイリーナと言葉を交わした最期の時だった。
『この子が生まれれば、私の不貞は露見するわ』
アイリーナは穏やかに言った。
『私は処刑されるでしょう。アントニウスと、この子には少し寂しい思いをさせてしまう。それだけは、申し訳ないかな』
『おれなら、処刑の前にお前を救い出せるぞ』
だがアイリーナは首を振った。
『いくつもの未来を見てみたの』
アイリーナは迷いのない笑みを浮かべていた。
『私が生き残っては最適解へ辿り着けないのよ。私がここで死を迎えなければ、この子達と、あなたが辿る未来に希望は生まれない』
『……どういう意味だ』
『貴方には貴方の目的があるでしょう? だから貴方は、私の提案を受け入れてくれたんでしょう』
アイリーナは腹へそっと触れた。
『私も同じ。私は私の目的の為に、貴方の力を利用した。でも、私の目的が果たされるためには、私はここで死ぬ必要がある』
少し困ったように笑う。
『アレクシオス王にも悪いし。ちょっと頼りない人だけど、せっかく結婚したんだから、もう少しくらい力を貸してあげてもよかったかな』
ずいぶん長いこと、沈黙してようやくひねり出せたのはどうにも陳腐な言葉でしかなかった。
『……アイリーナ。本当にこれでいいのか』
他にいい知恵の浮かばない自分が、ひどく苛立たしかったのを今でも覚えている。
『おれがお前にしてやれることは、ないのか』
アイリーナのあの時の微笑みを、ドレイクは永遠に近い一生をかけても、忘れることはできないだろうと思った。
『もう十分してくれたわ』
月明かりが白く頬を照らしていた。
『利害が一致した故の共犯関係だったけど、あなたといるのは、とても楽しかった。ありがとうドレイク』
鱗板に覆われた自分の手を恐れ気もなく取って、腹を優しく撫でさせながらアイリーナは続ける。
『この子に名前をつけたの。いつか、この子とまた会う時が来るから――その時は呼んであげてね。お父様』
悪戯っぽく片目を瞑って見せた。
『この子の名前はアンドロニコスというの』
『雄だと、わかるのか』
『あなた、ここに来て私の予知能力にケチつける気?』
アイリーナはいたずらっぽく笑ったのち、ふと顔を引き締めた。
『封印解放、やるなら慎重にお願いね。うちの一族が最有力候補ではあるんだけど、あの人達、残念なくらいに頭が足りないのよ。ご先祖様の思いを完全に踏みにじっちゃってるんだから。おっと、封印解放の手順を竜本人に教えちゃった私も同罪か』
自分が死ぬ運命が刻一刻と迫っているとは思えないほどの茶目っ気だった。
マギーラの魔法使いは世代を経てその力を衰えさせたのではなく、竜の封印に使った超魔力を利用されないために敢えて手放したのだという。
その超魔力は竜の封印にも利用された、隕石という星の世界から落ちてきた石の欠片に籠められ、アグニア火山の火口内に投棄されたが、その隕石の欠片が未だアグニア火山内に留まっており、これを回収できればその超魔力は再び活性化し、封印を破れる可能性が高いとのことだった。
活性化した超魔力は九百年前の世界大戦を戦った英雄血統の者なら扱えるかもしれない。英雄血統の者は今でも戦場などに望むと望まざるとに拘らず呼ばれる傾向にあるので、闘志の高まるような場に顔を出せば見つけられるとアイリーナは語る。
『でも本当に、うちの人達はオススメしないわよ。龍に頼んだらいいじゃない。龍乃国になら九百年前の大戦を戦った英雄本人がまだ生きてるんじゃない?』
ドレイクは苦い顔になっているのを自覚しながら首を振った。
あれほどの不義理をし、今さらのこのこどんな顔をして戻ればいいのかも、わからないのだ。
アイリーナは呆れて言ったものである。
『んもーさっさと謝りに行ってきなさいよ。多分、全っ然大丈夫だと思うわよ』
それでも決断できなかったのは完全に自分の不徳の致すところだと今ならわかる。おそらくアイリーナも、自分の腰抜けぶりを見透かしていたことだろう。それ以上はその話を続けなかった。




