第四十一章
雪解けとともに、北と南はゆるやかに結ばれていった。
イミリーシャと龍乃国のあいだに、往来が生まれる。はじめは恐る恐るだった人間たちも、やがて南の温暖な風土と、龍たちとの暮らしに馴染んでいった。
陽光はやわらかく、海は豊かで、空は高い。人はほどなく、その地に安らぎを見出す。
一方――イミリーシャ。
王太子アントニウス・イミリシウスは、輔王の位に就いた。国王アレクシオスと並び立つその地位は、名目上は並立のはずであった。
だが実際には――アントニウスは近衛兵団をはじめ、全国の騎士団の指揮権を掌握していったのである。王国の剣をすべて、彼の意思のもとに下した彼は事実上、アレクシオス王をも超える権勢を得たのであった。
彼の傍らには、輔王執剣書記官テオドロス。剣とペンをもって、その統治を支える。
イミリスノープルの空には、騎禽が増えた。百騎に及ぶ近衛兵団航空騎禽大隊。
それを率いるのは、近衛兵団長アンドリ・チェイレイ。そして――その副官、ドレイク。
人と龍が並び立つ時代が、幕を開けていた。
だがこの平穏は、仮初めだ。迫り来る暴虐竜の脅威に対し、彼らは休む間もなく備え続けていた。
「……暴虐竜を、ここまで都合よく顎で使う人間が現れるとはな」
イミリスノープル近衛兵団長の執務室で書類の山を前にペンを走らせるアンドリの傍らで、ドレイクが低く呟いた。
なおも、どこか納得しきれぬ響きを含んでいる。
アンドリは苦笑し、ペンを止めずに答えた。
「本当ですね」
確かにアンドリとドレイクは、イミリーシャと龍乃国に、いいように使われているのかもしれない。道具扱いされるのを、以前ならば切なく思っただろう。
だが。
使ってくださるのが、あの方々だから――お役に立ちたいと思わせてくださるのだと、アンドリは考えるようになっていた。
ペン先が止まる。
そして。
「もし俺が心から何かを望むときは、きっとそれを尊重してくださると、信じられる」
顔を上げて父竜に笑いかけた。
「だから俺は、喜んであの方々の成されようとしていることの、一助になりたいんです」
ドレイクは、しばし言葉を失った。その眼差しに、かすかな感慨が宿る。
「……おれが何かを成したいと思ったなら」
問う声はなぜか躊躇いがちであった。
「お前も、それを尊重してくれるのか。アンドロニコス」
アンドリは迷いなく頷いた。
「もちろんです」
すぐに続く。
「――世界の破滅以外でお願いしますよ」
わずかな笑みが交わされる。
やがてアンドリは、ふと思い立って尋ねた。
「……ずっと、お聞きしたかったんですが」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「アンドロニコス、というのが、俺の本当の名なのですよね」
「ああ」
「……誰が、つけてくださったのですか。父さんですか」
ドレイクは振り返り、かすかに笑った。
扉の開いたままの執務室の入口に、二つの影があった。
輔王アントニウスと、輔王執剣書記官テオドロス。
「母だ」
アントニウスが、穏やかに告げる。それをテオドロスが静かに補った。
「アンドリという名は、アントニウス様がおつけになったのですよ」
アントニウスは、わずかに目を伏せる。
「父や官僚どもが、いつまでもお前を“あれ”と呼び続けていたのでな」
短く息をつく。
アイリーナが処刑された当時、彼女の所有物は小さな日記や耳飾りすら炎の中にくべられた。そのアイリーナがつけた名と知れば、王は決してその名を許すまい。そもそも名をつけようともしなかったのだ。
だからアントニウスは、母がつけた自分と同じ頭文字の名前をもじり、弟に付けたのだった。
「母の遺した名を……長く隠していたこと、すまなかった。あんな連中の口から告げられる前に、私が教えてやるべきだったのに」
「いいえ兄上。そんなこと......」
アンドロニコスは自らが、どれほど多くのものを与えられてきたのかを嚙み締める。
アンドリ、安道、アンドロニコス。与えられた名の全てに、それぞれの想いが込められているのだと。
人と龍。
交わるはずのなかったものが、いま確かに結ばれている。
ドレイクはそれを、一つの覚悟を持って見つめていた。




