第三十八章
夜の帳が降り、戦の熱はすでに引いていたが、その残滓が龍の天幕の中に満ちているようだった。
中心で燃える火を車座に囲むのは、アンドリ、ドレイク、勇輝子、牙野、天角、剣江、テオドロス、イサキオス。八つの視線が、自然と一箇所に集まる。
場を仕切るアントニウスが、口を開いた。
「――明日、王都へ勝利の一報を入れます」
一同を見渡す。
「王都に挙げる報告の詳細を申し合せたく存じます」
テオドロスが静かに頭を垂れ、準備していた羊皮紙を卓に広げると、葦ペンの先を整え、インク壺に軽く浸した。
武官のはずだが、文官の役目も果たせるとは本当に有能な男だと、勇輝子は掌に顎を乗せて見ている。
葦ペンが、静かに走り出す。
「マギーラの残党が、グライロス卿バシレイオス・リソクリオン、ならびにダストヴァレア卿レオニダス・コニスファロンの両名に、龍と暴虐竜の脅威を吹き込み、挙兵を唆した。ストラテゴイ騎士団が仲裁に動くも聞き入れず」
剣江が目を細める。
「ふむ……この点は事実に相違なし。して?」
アントニウスはわずかに頷く。
「マギーラの残党は、暴虐竜対抗を謳ったが実のところは復活を果たした暴虐竜に与していた。目的は我が国への復讐。戦の混乱に乗じて現れた暴虐竜が猛威を振るい、近衛兵団・ストラテゴイ騎士団は劣勢に。これを察知した龍乃国龍皇勇輝子陛下が龍一千を率い救援に駆け付けてくださった」
勇輝子が遠慮がちに手を挙げる。
「領土侵犯ごめんねって書いといて」
アントニウスが少し笑って言った。
「では私どもが事前にこれを察知しており、予め龍乃国に救援をお願いしていたことに致しましょうか」
「うん、それでお願い」
テオドロスの葦ペンが、乾いた音を立てて紙を擦る。
一拍置いたアントニウスは正面に座る竜に視線を送った。
「この度、勇輝子陛下の指揮の下、対暴虐竜戦にて最大の戦功を挙げたのは若き”龍”ドレイク殿と致します」
牙野が納得したようにうなずく。
「……なるほど」
「待て」
ドレイクが困惑して口を挟んだ。
「なぜそうなる。暴虐竜ドレイクを龍とアンドロニコスが倒したとそのまま伝えればいいだろう」
テオドロスの手が止まった。アンドリが息を詰める。アントニウスは一礼して答えた。
「ドレイク殿。恐れながら、それでは当方にも龍乃国の皆様にもまったく利がないのでございます」
アントニウスはゆっくりと言い含めるように話す。
「通常、戦に勝利した暁には敗戦相手に賠償金を請求する、もしくは処罰を行うのが我々人間の戦の習いでございます。失礼を申し上げる形になってしまい誠に心苦しいのですが、あなた様を敗戦相手と定めた場合、この賠償金を賄うだけの蓄えがおありでございましょうか」
「......」
ドレイクはぐうの音も出せずに黙る。勇輝子は剣江にはたかれても堪えきれずに腹を抱えてげらげらと爆笑するのだった。
アントニウスは淡々と続けた。
「それよりも、イミリーシャ、龍乃国、そしてあなた様にも、三者すべての利になるようこの状況を利用すべきと存じます」
「……おれの利?」
アントニウスはテオドロスに一瞥をくれる。テオドロスは頷いて葦ペンを、再び走らせた。
「ドレイク殿。龍皇陛下と共に、千の龍を率いられ近衛兵団、ストラテゴイ騎士団、延いてはイミリーシャをお救い下さいました英雄として、ぜひとも王都にお招き申し上げたく存じます」
テオドロスが迷いなく書き進めるのをドレイクは、困ったように見つめる。
牙野は並んで座る安道とドレイクを見やった。
「此度の戦、またとない好機というわけだ。我が国としては確かに最大限にこの状況を生かすべきだな」
勇輝子もまた、いまいち理解が及ばない様子で眉を寄せる。
「どんなふうに?」
剣江が後をつづけた。
「人と龍が手を携えて世界の破滅を食い止めた戦い、とするのだ。だが」
静かな断言だった。剣江が低く唸る。
「一度そう記せば……もう後戻りは叶うまいぞ」
アントニウスは迷いなく応じる。
「承知の上でございます」
これは歴史の改竄だ。露見すれば、アントニウスは虚偽の記録を残した罪に問われるかもしれない。
アンドリはハラハラしながら状況を見守っている。ドレイクは未だ納得しかねるような顔つきだった。
天角が手の甲に顎を乗せた姿勢でドレイクに尋ねた。
「あなたさ、竜の仲間の封印開放は諦めてないんでしょ?」
思いがけない質問に、ドレイクはたじろぎながらも頷いた。その答えを、龍達もアントニウスも予期していたようで、一切の動揺はない。
「だったらここは乗っかっときなさい。破滅以外に望むものがないとかいう迷惑な生き物のままなら、当然こっちもお断りなのよ。人と龍が交じり合って暮らす中で、あなたも幸福に過ごす様子を見たら、考えを改めてくれるかもしれないわ。本当に、彼らが貴方の仲間なら」
龍は愛情に溢れた慈悲深い生き物で、特に年若の個体には種族全体で惜しみないほどに親愛の情を注ぐ。
その性質は本来、龍の近縁種の竜にも通じているはずなのである。
数億年を越えて生きてきた不死の生き物がどうしてそこまでの絶望を抱いたのか、その胸中はドレイクにすら推し量ることもできないが、全ての竜が封印の内部から全身全霊をかけて最も若いドレイクを封印から開放したのは、ドレイクの幸福を願う竜達の情愛であったのではないか。
ドレイクは目を見張って、周囲の視線を受け止めた。
イサキオスが同意するようにうなずいて口を開いた。
「これは希望的観測に過ぎないこと、どなた様もご承知でございましょう。当然のことながら、真実は今も封印の中でお過ごしの竜の方々にしかわかりますまい。であるならば」
ドレイクに正対して背筋を正し、慎重に言う。
「来る日に向け、今成し得ることを成すのが最善ではございますまいか」
「......」
ドレイクは返事をできなかったが、目の光が揺らいだのをアンドリは見ていた。
「アイリーナが」
ややあって、ぽつりと一つの名前を口にする。アンドリとアントニウスが、ピクリと反応した。
「同じようなことを言っていた。様々な種が混ざり合って発展すれば、不死の竜とて、星に数多栄える多様な種のうちの一つに過ぎなくなると」
予知の力を持つ娘が示した未来に、希望を賭して自分は竜鱗を託したのだ。
その希望の竜鱗が今、自分の隣に座っている。疑いようのない肉親の情愛を寄せて。
アントニウスが頷く。
一つの戦が終わり、“次の時代”が書き記され始めた夜となった。




