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Dragons Cry, Destined to Fly ー竜哭の彼方ー  作者: Watt A. Lee
第三十三章

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第三十三章

 高い鳴き声が、耳を劈いた。蒼穹を切り裂くように、影が滑り込んでくる。

「団長閣下!」

 急降下。

 一直線に落ちてきた碧い影が、地上すれすれで翼を開く。

 砂塵が巻き上がり、敵兵の目を塞いだ。翻弄された隊列が、わずかに歪む。

「射て!」

 空から放たれた矢が、一本も余さず敵を射抜いた。

 敵兵が次々と崩れ、隊列が裂ける。

 陽光を弾く、鮮烈な碧。大きく翼を打ち、低く速く戦場を飛び抜けた。

 その脚に掴まれているのは碧い翼を背負った巨躯の剣士。恐ろしい疾さですり抜けざまに、重剣が振るわれる。

 鋼が唸り、敵兵の列をまとめて馬ごと薙ぎ払う。盾が叩き割られ、兜が宙に舞った。

 そのまま再び、碧斗は急上昇する。

 血飛沫を振り払いながら空へ戻り——反転。

 碧斗の背ではテオドロスが弓を引き絞っていた。

「逃がさんよ」

 放たれた矢が、逃げようとした指揮官の喉を射抜く。

 次の矢。その次。要所だけを的確に潰していく。

「援護を!」

 イサキオスが叫んだ。各騎禽の騎手長は揃って高度を上げ、戦況を見渡した。

 テオドロスが一瞬で判断を下す。

「エウドキア騎、三時方向崖上の隊を援護!テオドラ騎、騎士団右翼を救え!デスピナ騎、アグリオス騎士団長の指揮下で動け。アンナ騎、ヘレナ騎は敵本陣を攪乱しろ!」

 雪風に羽が混じる。崩れかけていた前線が、息を吹き返す。

 盾が再び揃い、槍が前へ出る。

 押されていた流れが、わずかに——だが確かに、止まる。

「アンドリ!速度を合わせて私の後を飛べ!」

「御意、閣下!」

 アントニウスは馬に鞭をくれると敵陣深くに切りこんだ。その後ろを碧斗が低く追尾する。矢をつがえ直したアンドリは後方からアントニウスの脇をかすめるように矢を放つ。背に乗るテオドロスは羽ばたく翼の隙間から左右に矢を降らす。

 イサキオスもデスピナを自身の馬の前に配置し、後から負うように槍を振るった。

(——いける)

 そう思った、その時——

 敵陣上空を鋭く旋回していたヘレナが悲鳴を上げて地面にたたきつけられた。土煙が爆ぜ、鈍い衝撃が戦場を揺らす。

 人間の矢など、分厚い羽毛の前にはやぶ蚊も同然であるはずだったのに。

「チェイレイ隊長!あれを!」

 テオドロスが示した先で、鈍い金属音が響く。編み上げられた鎖の投網が、ヘレナの翼に絡みついていた。

「何だ、あれは——!」

 そこに潜んでいた伏兵が、一斉に鎖を引き絞る。

「高度を上げろ!」

 テオドロスが即座に叫ぶ。騎禽たちが一斉に高度を取る。

 アンドリは即座に命じた。

「碧斗!離せ!」

「隊長殿!」

 テオドロスが止める間もなく、アンドリの身体が解放される。

 地面に叩きつけられる寸前、膝で衝撃を殺し、そのまま前へ転がる。次の瞬間には、もう駆け出していた。

「どういうことだ……」

 アントニウスが、信じ難いものを見るように呟く。

「どうして、こんなものが用意できる」

 対空網とでも呼ぶべきか。しかも騎禽の機動を前提にした配置。

 アンドリもまた、周囲を警戒しながらアントニウスの元へと向かう。

 初陣のはずだった。騎禽隊は、この戦場で初めて投入された戦力だ。

 それなのに——

「……なぜ対策方法が既に確立されているんだ」

 あり得るはずがない。だが——確かに、読まれている。

 これは——

「情報漏洩、いや予知……?」

 喉の奥で、言葉が形になる。

(そんなはずがない)

 予知の力を持つ一族は——母が処刑されたあの時に、アレクシオス王に滅ぼされたはずだ。

 その瞬間、禍々しい影がアンドリの前に姿を現した。

「——今日この日に動くことで、我らが命運は変わると卦が出ておりました」

 戦の只中、静かで、不自然なほど穏やかな恐ろしい声だった。

 フードを目深に被った人物が、前へ進み出る。

「まさか……アイリーナの遺した竜を、この場で取り戻せようとは」

 その言葉に、時間が一瞬止まった。

「龍乃国に奪われたと聞いておりましたが——」

 ゆっくりと、顔が向けられる。

「ご帰還、心よりお慶び申し上げます。アンドロニコス殿」

 一瞬、思考が空白になる。

 アンドロニコス。誰のことだ?

「アンドリ!」

 アントニウスだった。馬をアンドリとフードの人物の前に、割り込ませる。

「貴様ら……!」

 その眼には、はっきりとした怒りが宿っていた。

「十八年前に滅ぼしたはずだ……生き残りがいたか」

 剣を抜く。

「領主どもを焚きつけたのは貴様らだな。マギーラの死に損ないども。言え。何を企む?」

 フードの男は、わずかに笑った。

「来ていただけると信じておりましたぞ、アントニウス殿」

 その声には、どこか愉悦が混じっている。

「どうか——アンドロニコス殿と共に、我らのもとへ」

 一歩、踏み出す。

「母上のご無念を——お晴らしくださいませ」

 その瞬間。空気が、裂けた。

「——ふざけるなッ!」

 アントニウスの怒声が轟く。普段の冷静さは、影もない。

 アンドリの前に馬で踏み出し——その背に庇う形で立つ。

「無念を晴らせだと……どの口が言う!」

 一歩、踏み込む。

「貴様らは——アイリーナ王妃が処刑される未来を知りながら、母をこの国へ送り込んだだろうが!」

 空気が張り詰める。

 魔法使いの一族は未来を見通す力があるという。ということは、アイリーナがイミリーシャに嫁げば、過ちを犯し非業の最期を遂げるとわかっていた可能性が高い。

 魔法使いたちは、アンドリという竜をアイリーナにもうけさせるために、一族の姫を犠牲にしたのだ。

 そして混乱に乗じてアンドリを奪い返そうと攻め入ってきたが、アレクシオス王に返り討ちにされ、滅ぼされた。

 その言葉に呼応するように——

 周囲の空気が、わずかに歪んだ。

 いつの間にか、同じフードを纏った影がいくつも現れている。

 気づけば、完全に囲まれていた。

「この国を手中に収めるつもりか?」

 アントニウスは剣を構えたまま、微動だにしない。

「だとすれば——見誤ったな。我が国の盾は、この程度で崩せるほど軟ではない」

 フードの男は、静かに首を振った。

「……どうやら、いささか認識に齟齬があるようでございます」

 その声音は、どこまでも落ち着いていて、薄気味が悪かった。

「アイリーナは確かに、我らの中でも傑出した予知の才を持っておりました」

 一歩、進み出る。

「己が暴虐竜と出会い、半竜を成し——それを理由に処刑されることを事前に知っておりました。ですが」

 アンドリの呼吸が、一瞬止まる。

「すべてを承知で敢えて道を逸れなかったのでございます。そして——」

 周囲で続くはずの戦闘の音が、止まったように感じられた。

 男は、ゆっくりと視線を上げる。

「我らの真の目的は、イミリーシャの征服などではございません」

 アントニウスは、剣を収めない。

 怒りを宿したままの顔。だがその眼は——微塵も揺れていなかった。

 一言一句を、逃すまいとする視線。

 その様子を見て、アンドリははっとする。

(……違う)

 怒りに我を失っているのではない。激情に呑まれたように振る舞い、相手に語らせる。

 隙を見せ、油断を誘い——情報を引き出す。

 理解した瞬間、胸の奥が静まる。

 真実を見極めるとは、こういうことだ。

 ならば——自分もまた、その舞台に立つべきだ。

 アンドリはわずかに視線を動かした。

 その端で、テオドロスが碧斗を駆り、墜ちたヘレナと隊員のもとへ急行しているのが見える。

 短く息を吐く。残る騎禽へ、慎重に指示を出した。

「——周囲を抑えろ。誰一人、近づけるな」

 空が応じる。旋回する影が、輪を描きながら周囲に矢を降らせる。

 空と地の境界に、見えない壁が築かれる。

 その中心で——アンドリは、ゆっくりと顔を上げた。

 知らぬ名。知らぬ過去。

 それらすべてが、今ここで交差しようとしている。

「……ならば、聞かせてもらおう。お前たちの“真の目的”を」

 アントニウスが冷静に問う。フードの一人が頷いた。

「暴虐竜はやがて再び力を蓄えるでしょう。ですが――あの化け物が完全に力を取り戻すまでに、これに抗し得るだけの備えを整えねばなりません。アイリーナは、その身を捧げ、竜の力の一片を切り取ることに成功したのです。いずれ訪れる、破滅の炎吹き荒れし時に備えて撒かれた種――その芽吹きが、あなたなのです。アンドロニコス殿」

 生き残った魔法使いたちの予知は、アイリーナほどの精度には及ばぬらしい。それでもなお、この日にイミリーシャ南部へ赴くことで、一族の運命が何らかの形で動くという兆しだけは、確かに掴んでいたという。

 彼らは当初、アイリーナの血を引き、王位継承が定まっているアントニウスとの邂逅こそが、その転機だと踏んでいた。アントニウスから半竜の行方を聞き出せればと目論んでいたが――思いがけず、その半竜と相対するに至った。

 それこそが答えであると確信した魔法使いたちは、抑えきれぬ昂揚を帯びている。

 アンドリはなおも警戒を解かぬまま、アントニウスの傍らへ一歩進み出た。

「龍乃国最強と謳われる龍皇陛下ですら、暴虐竜には及ばなかったと聞いています。俺はまだ休眠期が明けていない。龍乃国で最も若い方にも及ばぬ身です。そのおれが、暴虐竜に対する手立てになれるとは思えません」

 その言葉を、アントニウスもまた静かに聞いている。

「対抗を論じるのであれば、まずは軍事同盟を結ぶべきではありませんか。イミリーシャはすでに龍乃国との国交樹立に向け舵を切っております。母王妃が処刑された折、お郷は滅んだと伺っておりましたが……ご無事であられたのであれば。母の無念を思ってくださるのならば――わだかまりを捨て、共に歩む道は選べぬものでしょうか」

 その提案に、魔法使いは苦々しく首を振った。

「アンドロニコス殿。あなたは、あの“龍”という存在を理解しておらぬ。あの方々は――あまりにも次元が違う。

 熊を狩る者が、罠にかかった野鼠に目を留めぬのと同じこと。あの方々にとって我ら人間は、あまりに短命で、脆弱で、ひとつひとつを見分けることすら、取るに足らぬほどに矮小な存在なのです」

 龍乃国にとっての最大の関心事は、復活した暴虐竜が再び力を取り戻し、世界に破滅をもたらすか否か――ただそれだけだ。

 人間がどれほどの被害を受けようと、彼らにとっては本質的な問題ではない。数が減ろうとも、繁殖能力の高い人間はいずれまた増える。

 野において、母を失った獣の子が動かぬ骸に顔を寄せる光景を見れば、誰しも胸を痛めはするだろう。だが同時に、どれほど無惨でもそれが自然の摂理であると割りきるものだ。

 ――それと同じことだ。

 それでも彼らが〈相互〉防衛などと謳うのは、対等な国家としての体裁を保ちつつ、人間と交わり、”半龍”を増やすための方便に過ぎぬ。龍乃国は、イミリーシャを――繁殖の場とするつもりなのだと、魔法使いたちは断じた。

 それでは、龍乃国は守れようとも、イミリーシャに――人間に、未来はない。

「何としても、我らと共にお越しいただく。アンドロニコス殿。アイリーナは、破滅を食い止める希望として、あなたを遺したのです。あなたには――暴虐竜を討つ使命がある」

 同じだ、とアンドリは思った。母の一族もまた、自分を“道具”として見ている。

 だからこそ、〈奪われる〉だの〈取り戻す〉だのという言葉が、ああも容易く口をついて出るのだ。

 魔法使いたちの言葉が、理に適っていることは分かる。

 龍がイミリーシャを繁殖の場と見なしている――そう考えるのも、筋が通っている。

 それでも。

 この場にいる誰一人として知らないことを、安道は知っていた。

 自分の休眠期入りを、龍達は国を挙げて祝ってくれた。すべての龍が、自分という存在を受け入れ、無事な成長を願ってくれた。

 勇輝子の声が、ふと蘇る。

 ――たった独りで、よくここまで頑張ってきたね。これからは、あたしたちがついてるからね。

 尊厳に配慮しろ、と言ったのは牙野だった。そして何度も頭を撫でてくれた。

 そんなことを乳母ですら、してはくれなかった。

 龍たちもまた、混血である自分の出自を解き明かし、竜の力を利用しようとしているのかもしれない。

 それでも、彼らは言った。自分で決めていい、と。

 命令でも、強制でもない言葉を、初めて向けてくれたのは龍たちだけだった。

 たとえそこに作為があろうと、構わない。彼らが与えたものも、向けてきた想いも、偽りではない。それは間違いなく、アンドリがこれから進むべき道を照らしていた。

 ならば。

 自分という存在を認めてくれた者たちが、自分の力を必要とするのなら。

 応えたい。――初めて、そう思った。

 アンドリの眼に、鋭い光が宿る。

 その背後で、抑えきれぬ熱が、静かに立ち昇っていた。

「暴虐竜との対決に、些かの否やもございません。イミリーシャと龍乃国のため、この身を捧げる覚悟は既にできております。どうか、あなた方も正式な手続きを踏み、会談の席について下さい。かつて、大陸の全種族が総力を結集し、暴虐竜を封じたと聞いております。ならば今一度、イミリーシャと龍乃国、そしてあなた方と。足並みを揃え、手を携え、共に勝利を掴み取ろうではありませんか」

 なおも平和的解決へと導こうとするアンドリだったが、魔法使いたちは応じない。

 沈黙が、重く落ちた。

「……貴様ら、他に目的があるようだな」

 低く、しかしよく通る声。

「我が弟アンドロニコスに用があるなら――まずは兄であるこの私を通してもらおうか」

 思わず、アンドリは振り返った。“アンドロニコス”という名を、兄も知っていたのか。

 だが、視線を向けた先で、アントニウスがわずかに目を動かす。

 これもまた情報を引き出そうとするアントニウスの策だと気づかされる。アンドリは息を整え、即座に気を引き締めた。

「アンドロニコスが従わねば成し得ぬこととは、何だ」

 問いに応じる代わりに、空気が変わる。魔法使いたちの気配が、目に見えて険しさを増していく。

 これ以上、言葉で引き出せる段階ではない。

 その確信と同時に。魔法使いが、動いた。

「……それは、我らのもとへお連れしてから、ゆっくりご説明いたしましょう」

 その言葉が終わるより早く――

 アンドリは反射的に竜化していた。

 巨体が地を震わせ、アントニウスの前へ躍り出る。

 直後、降り注ぐ矢の嵐。

 すべてを、アンドリは硬い鱗板に覆われたその背で受け止めた。

「アンドリ!」

「大丈夫です! お下がりください、兄上!」

 言葉が、出た。竜の姿のまま、明瞭に。意識は冴え渡り、視界は広い。

 今までとは違う。

 喉の奥から、力の限り咆哮を放つ。大地が、応じるように震えた。

 魔法使いたちの足元に、裂け目が走る。

「事ここに至り、もはや退けぬ! 半竜を連れ帰らねば――あの方の御許へ!」

 その一言を、聞き逃さない。

「誰の命によるものかは存じませんが――俺は、どこへも行きません!」

 踏み込み、吠える。闘気が猛る。

「最後の勧告です!話し合いの場へ――!」

 応じたのは、言葉ではなかった。

 無数の氷水の投擲。着弾と同時に急速に凍結し、アンドリの体表を覆っていく。

 動きが、鈍る。

 だが――

 再び、大地が応える。

 地割れの奥底から、熱い蒸気が噴き上がった。

 噴き上がる白煙の中、魔法使いの一人が悲鳴を上げる。

 アンドリは躊躇なく、その蒸気の中へと身を投じた。凍結が、溶けていく。

 呼吸を整え、次の一手を選ぶ。以前のように、ただ暴れ狂うだけではない。最も効果的な一撃を、選び取っているのか。

 アントニウスは、その姿に目を見張った。

 そしてなにより、アンドリが叫んだ、あの言葉。

 アントニウスは剣で斬られるよりも、激しい衝撃を受けていた。息の仕方も忘れたかと思った。

 戦場の真ん中で、一切の音が消え失せ、アンドリが叫んだ、あの言葉だけが耳の奥にこだまする。

 騎禽が戦場を劈く。

 空を仰げば、航空騎禽隊が上空から領主軍を蹴散らしている。

 戦の流れは、完全にこちらへ傾いていた。アントニウスは胸中の動揺を押し込み、己を立て直す。

「――やむを得ん」

 短く、断じる。

「殲滅しろ、アンドリ!」

「……御意、兄上!」

 三度、咆哮。地割れが、魔法使いたちの足元で大きく広がる。

 彼らは必死に踏みとどまろうとするが――

 その瞬間を狙い。

 アンドリは頭から突撃した。巨体が叩きつけられ、均衡が崩れる。

 次の瞬間、魔法使いたちは――

 熱い蒸気を噴き上げる裂け目の中へと、ことごとく呑み込まれていった。


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