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Dragons Cry, Destined to Fly ー竜哭の彼方ー  作者: Watt A. Lee
第三十二章

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第三十二章

 場所は、アグニアの吹き荒ぶ火山高地――安道がイミリスノープルを離れた後、勇輝子や龍たちと共に最初の夜を過ごしたあの温泉から遠くないところだった。

 楽しいという感情を初めて知った、あの場所。

 地熱の高さゆえに、イミリーシャの領土内にあって降雪量は多くとも積雪量は少ない土地柄、厳寒期を迎えようという時期にも関わらず双方の領主は物々しい雰囲気で武装した軍勢を配備していた。

 一触即発の急峻な岩場に風が鳴る。岩肌を削るように吹き上がる風には、細かな雪が混じっている。だが高原の底から立ち上る地熱が、雪を留めない。ただ冷たい粒となって頬を打ち、乾いた草は伏せ、砂礫は流れ、斜面は脆い。

  一歩踏み出すたびに足元が崩れ、均衡を奪われる。

 その高原に、三つの軍勢が展開していた。

 アグニア直轄地代官にしてグライロス領を治める――バシレイオス・リソクリオン卿配下、八百。

 アグニア高原にほど近いダストヴァレア領主――レオニダス・コニスファロン卿配下、五百。

 そして地方騎士団のひとつ――ストラテゴイ騎士団、約八百。団長はイサキオス・アグリオス。齢五十を越えた老将軍で、守りに徹し、攻撃を受け切り、機を見て勝つ堅実な戦術を得意とする。血気盛んな他の騎士団からは臆病と揶揄されるその戦い方だが、実のところ彼は就任以来、一度も騎士団に土をつけていない。

 戦はまだ始まっていない。だが騎士団は、すでに圧迫されていた。

 足場が悪い。わずかな踏み違いが死に繋がることが、容易に想像できる。その緊張が、兵の呼吸を浅くしていた。

 重苦しい緊張が支配するその中央に、三騎の馬と数名の護衛が進み出る。

 三者の距離は、わずか数十歩。それ以上近づけば、いつ剣が抜かれてもおかしくない距離だった。

「境を侵したのは貴殿だ、ダストヴァレア卿」

「グライロス卿。お言葉ですが先に兵を動かしたのはそちらです」

「ご両名」

 イサキオスが、声を差し挟む。二人の視線が同時に彼へ向き、空気がさらに張り詰めたが老将軍は構わずに受け止める。

「なにとぞ、ご賢明なご判断をお願い申し上げます。不正があるならば、法に則り、国王陛下にご裁可を仰ぐのが筋にございましょう。無益な流血を、王がお許しになるとお考えでございますか」

 年長ではあるが身分は領主二名の方が上であるので、イサキオスは努めて穏やかに話す。領主二名は名の通った歴戦の老将軍の瞳に鋼の刃が収まっているのを感じ取り、気圧されかける。

 バシレイオスは、わずかに口元を歪めた。レオニダスは答えない。

 ただ、視線を逸らさない。互いに。

 そしてイサキオスを挟んだまま。

 ――誰も、退かない。

 イサキオスは気づいていた。兵をここまで出しておいて、今さら退けぬことは重々承知である。それでも、あえて語りかけ続ける。

 三者の間に、沈黙が落ちる。

 遠くで、旗が鳴る。

「――ご注進!」

 にらみ合う三騎のあいだに落ちた沈黙を、遠くから割り裂くように角笛が響いた。

「王立近衛兵団ご到着!アントニウス王太子殿下の御来駕でございます!」

 ストラテゴイ騎士団の伝令が、声を張り上げ、戦場全体へ触れ回るように叫びながら駆ける。

 ざわめきが走り騎士団の列が割れ整然と、道が開かれた。

 その間を、近衛兵団が進み出る。

 その中央にアントニウスの姿があった。速度を落とさず、そのまま前進会談の場へと馬を進める。

 バシレイオスとレオニダスの二人は、下馬せずに形式だけの礼を取った。

 アントニウスは、わずかに距離を置いたところで馬を止めた。

 イサキオスは二人の領主の傍を離れるとアントニウスの隣へ馬を並べた。

 彼もまた馬上のまま、静かに一礼する。

「この程度の子供のけんかをまとめられんとは、私も老いぼれましたようでございます」

「いや、ここまでよく抑えてくれた」

 アントニウスが短く返す。

 そして一歩、前へ。

「アレクシオス・イミリシウス国王陛下の命により、この場は王太子アントニウス•イミリシウスが預かる」

 風が、旗を鳴らす。

「双方、剣を収め、話し合いの席に着け。調停を行う」

 続けて、視線を鋭く向ける。

「リソクリオン」

 バシレイオスの名を、呼び捨てた。

「我が王国の最も重要な直轄地をお任せ下さった国王陛下のお顔に、泥を塗るつもりか」

 今度は、レオニダスへ。

「コニスファロン。その方もだ。そちの領地は、これより始まる新たな時代において、重要な役目を担う土地だ。そのような地で無用な騒ぎを起こすとは、何事か」

 厳しい言葉での叱責だったが、そこでわずかに語調を緩める。

「不満あらば、余がことごとく裁いてやる」

 アントニウスの言葉には、逃げ場を許さない絶対性と、全てを引き受ける覚悟が、疑いようもなく沸き立っていた。

「腹を割って申せ。遠慮は無用」

 バシレイオスとレオニダスの表情に、わずかな揺らぎが走る。

 確かに、動揺しているのに、口が開かれない。剣も、下がらない。

(……なぜだ)

 アントニウスがわずかに眉を寄せる。

 理も、面子も、すべて整っている。

 ここまで言ってそれでも退こうとしないのはなぜだ。

 イサキオスが馬を寄せアントニウスの耳元に言葉を落とす。

「団長閣下。ご注意あれ。この者どもには、なにやら企みがある様子です」

「承知している」

 短く答えた。その声に、迷いはなかった。

 すでに理解している。

 ――これは、ただの争いではない。

 風が、強く吹いた。雪が、舞う。

 停戦の合意は、もはや望むべくもない。アントニウスは、なお一歩も引かぬ声音で問うた。

  「……申すべきことはないのか」

 するとその一言を合図にしたかのように——つい先ほどまで互いに刃を向けていた二人が、嘘のように足並みを揃えた。

「恐れながら、お尋ね申し上げます、アントニウス王太子殿下」

 先に口を開いたのはバシレイオス。その声に宿るのは、もはや臣下の恭順ではない。

「殿下は、我らを——龍の餌になさるおつもりか」

 空気が凍りついた。

「……何だと?」

 アントニウスの低い声が落ちる。レオニダスが続けた。

  「龍乃国との国交樹立に際し、かの怪物どもが“供物”を求めた——そのように聞き及んでおります」

「人の道にもとる化生に、我らを差し出し——その見返りに、いかほどの利を得られるおつもりか」

 バシレイオスが言葉を継ぐ。

「この議、断じて承服いたしかねます」

 イサキオスが思わず口を挟んだ。

「……ご両名。何を申される。まさかこの一件、王太子殿下と国王陛下に異を唱えるための……茶番であったとでも?」

 その瞬間、二人の眼に宿る光が変わった。敵意が、露骨な形で膨れ上がる。

「——なんとでも申せ!」

 バシレイオスが叫ぶ。

「我らは、真に王国の行く末を憂う臣である! 国王陛下も王太子殿下も、ご乱心召された!」

 レオニダスも声を張り上げる。

「化け物どもに国を売り渡すような王など——断じて、認めぬ!」

 その言葉が落ちるや否や、対峙していたはずのグライロス、ダストヴァレア両軍は、まるで示し合わせたかのように一斉に動いた。隊列が、瞬く間に組み替えられる。

 盾が揃い、槍が林立し、弓兵が、同時に弦を引き絞った。

 その切っ先が向けられた先は——

 ストラテゴイ騎士団、そして王立近衛兵団。

 イサキオスの目が見開かれる。

「かかれぇッ!!」

 二領主の号令が、戦場を引き裂いた。

 次の瞬間、空が鳴った。無数の矢が、唸りを上げて放たれる。雄叫びが爆ぜ、鉄と土と血の匂いが、一気に広がった。

 斜面上方から、矢が降る。岩陰から、伏兵が湧く。

 足場が崩れ、馬が地を踏み外す。盾が遅れた。

 その一瞬に、矢が突き刺さる。

「突き崩せ!」

 二つの軍は、完全に連携していた。地の角度、茂みの数、礫の位置までを知り尽くしているようだった。

 近衛兵団の列が歪む。騎士団の側面が崩れる。最初から地元領主勢に、分があった。

 放たれた無数の矢が空を覆い、次の瞬間には地面を、肉を、鎧を貫いた。

 盾に当たる乾いた衝撃音、骨に食い込む鈍い音、そして遅れて上がる絶叫。

「盾を上げろ!隊列を崩すな!」

 各隊を率いる隊長たちの怒号が飛ぶ。だが、その隊長にも等しく矢の嵐が降る。喉を射抜かれ、眼窩を貫かれ、言葉は血とともに潰えた。

 ストラテゴイ騎士団の前列が崩れる。重装の近衛兵団も、その脚を止められた。

 矢を受けた兵が倒れる。その身体を踏み越えようとした後列の馬が足を取られ、もつれる。

 そこへ——第二射。

 盾の隙間を縫うように放たれた矢が、喉元に、脇腹に、腿に突き立つ。

 転倒した兵の上にさらに馬と兵が折り重なり、血がぬかるみのように地面を染めていく。

 兵たちは泥の中へ倒れ込み、塞がることのない傷を押さえながら絶叫する。ある者は腹に深々と刺さった矢を掴み、母を、妻を、もう二度と抱きしめることのできない子供たちを呼びながら力尽きていく。

「押し返せ!前へ——!」

 号令はなおも飛ぶ。だが前へ出ようとした瞬間、槍衾が迫った。明確な殺意と統制をもって、一直線に押し潰しに来る。

 槍が突き出される。

 腹を裂かれ、鎧の隙間から穂先が食い込み、引き抜かれる。

 肉と血がこぼれ、倒れた兵の上を敵兵が踏み越えてくる。

 剣を落とし、裂けた腹を必死に押さえながら、零れ落ちた臓物を震える手で腹の中へ押し戻そうとしていた。指の隙間から血が流れ続ける。

 焦点の合わぬ目は、後方――もう二度と歩くことのない故郷への道を見つめていた。

「堪えろ!」

 イサキオスが叫ぶと同時に騎士団と近衛兵団が盾を組み、歯を食いしばって踏みとどまる。

 最初から罠だった。

 アントニウスは歯噛みした。視界の端で、旗が倒れる。見慣れた紋章が泥に沈む。

(このままでは——)

 その時だった。


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