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Dragons Cry, Destined to Fly ー竜哭の彼方ー  作者: Watt A. Lee
第二十五章

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第二十五章

 謁見は、大広間で行われた。

 履き物を脱いで中に入ると、一面に敷き詰められた畳は寸分の乱れもなく、濃色の縁がまっすぐ広間の奥へ伸びている。その先へ視線を追えば、高い杉造りの天井。その下、金地の襖いっぱいに巨大な龍たちが描かれていた。雲と嵐の中をうねる姿は、まるで今にも絵の中から現れ出るかのような迫力を帯びている。

 大広間は庭園へ向けて大きく開け放たれていた。

 磨き上げられた廊下の向こうでは、春の花々が鮮やかに咲き誇り、朱塗りの丸橋が池の上に弧を描いている。その池は海へと繋がっているのだろう。遠くから絶え間ない波音が聞こえ、風に乗って潮の香りが静かに流れ込んできていた。

 そして、その景色の先。

  広間の最奥では床が段状に高く設えられている。

 最上段には、空の御座。

  床に置かれた低い肘掛けと、その前に整えられた座布団だけが、高い天井の下で主を待っていた。

 その一段下、中段の左右には龍の家臣たちが列している。

 牙野。剣江。 天角。

 いずれも人の倍はあろう体躯を持ちながら、微動だにせず正座している様は、それだけで人を圧する威容があった。

 そして最も手前、下段の中央に、使者の立つべき位置が定められていた。

 安道はそこまでアントニウスを案内すると、自らは下段の端――大広間の出口近くへ静かに控える。

 そのさらに向こう、大きく開け放たれた広間と直接繋がる廊下には、イミリーシャの護衛兵たちが整列していた。

 その中にはテオドロスと、王立近衛兵団重装歩兵第一部隊の面々の姿もある。


 やがて、奥の襖が開き、龍皇勇輝子が現れる。艶やかな礼服は、布でありながら鎧のように光を弾く。ゆるやかな歩みは一歩ごとに距離を縮めながら空気の重みも増していくようだった。

 アントニウスは背筋を伸ばして踵を打ち合わせ、そのまま上体を折って礼を取った。背後の随従たちも、それに倣う。

 龍皇は御座に至り、静かに腰を下ろす。

「面を上げよ」

 アントニウスはゆるやかに顔を上げるが御座を直視しないよう、目線に気を配る。

「イミリーシャ王国王太子、アントニウス・イミリシウスにございます。龍皇陛下におかれましては、変わらずご健勝であらせられるご様子、慶賀の至りにございます」

「ひととせほどの時、我らには風が雲の形をほどくひと息にも及ばぬのでな。さして変わるものでもない。さりながら――そなたはこの間も、たゆまず牙を磨いてきたと見える」

「――過分なるお言葉、痛み入ります」

 龍皇は雅やかにくすりと微笑んだ。

「遠路、よう参られたな。この地に在るほどは、気兼ねなく過ごすがよい」

「恐悦至極に存じます」

 浅く一礼し、間を置いた後、意を決したように言葉を継ぐ。

「初冬の折、我が国よりの使者クラティウス一行を篤く歓待賜り、龍皇陛下ならびに諸卿には、ここに謹んで深謝申し上げ奉ります。一泊の御宿を賜り、その設え、ならびに御食事の数々、ことに寒中にありながら豊富なる食材を用い、従者・護衛兵に至るまでの饗応の次第につきましては、いずれもクラティウスより、委細に報告を受け及んでおります。

 また、薪を用いずして火を燭す術につきましては、チェイレイよりの文にも記されており、誠に驚嘆仕りました。いずれも、貴国の豊かさを証すものにて、歎賞措く能わざる思いにございます」

 慎重に続ける。

「ゆえに此度は――」

 アントニウスにとってここからが正念場である。

「貴国の恵みを分かち賜らんことを願い上げ奉ります」

 ここで剣江が軽く一礼し口を開いた。

「龍乃国宰相、剣江にございます。我が国の産物ならびに諸資、これを貴国へお出しすることにつきまして、龍皇陛下におかれましては異存なき御意にございますが――さて、その対価、いかに弁ぜられますかな。我が国におきましては、貨幣の制を設けておりませぬゆえ」

 アントニウスは頷き、一礼して口を開いた。

「我がイミリーシャ王国の領内には、金銀をはじめとする良質の鉱脈が複数存在いたします。その産出量・純度ともに、周辺諸国に比肩するものはございませず、安定した供給を成し得るものでございます」

 さらに一段、言葉を重ねる。

「加えて、これらを扱う熟練の細工師が代々技を継ぎ、精緻なる装飾品へと仕立て上げております。かかる宝飾の品々は諸国において高い評価を得ており、王侯貴族の間にて珍重されております」

 わずかに間を置いて言葉を整え、丁寧に続ける。

「これら金銀宝石、ならびにそれを用いた宝飾の品々をもって、対価と為すことを提案申し上げます」

 アントニウスがわずかに目線を動かす。合図を受けた侍従が進み出、慎重な手つきで包みを広げた。

「いずれも、龍皇陛下のご威光を、さらに引き立てるに足る品と自負してございます」

 広げられた包みの中から、精緻な細工を施した美しい箱が姿を現した。

「これは些少ながら、我が国よりの献上の品にございます。どうかお納めくだされば幸いに存じます」

 箱が開かれると、そこに並んでいたのは輝く宝飾の数々であった。

 磨き上げられた金の腕輪、透き通るような色とりどりの宝石で飾られた精緻な細工の指輪や首飾り。大広間の奥まで入り込んでくる明るい陽の光を受けて、煌めいている。

 龍たちはわずかに視線を交わし、やがて天角が静かに頷いて、進み出る。

 長い指先で一つ、指輪を取り上げた。

「……美しいこと」

 宝石を光にかざし、にっこり笑う。

「ねえ、陛下。ご覧になって下さいまし。いずれも素晴らしいお品。陛下の御前に供するにふさわしい、心尽くしでございますわね」

 その大きな手を、更に広げて見せる。そうするとその手に転がる指輪は、まるでケシ粒のようだった。

「私達のこの手に嵌められるのでしたら、さぞ見事でしょう」

 アントニウスに視線を流すと、アントニウスは、頭を垂れる。

「もちろん、お手に合うよう作らせます」

 天角は目を細め、くすりと笑う。

「あら、嬉しいこと」

 鈴を転がすような穏やか声だったが、ふいに流れが変わる。

「もっとも、そう多くは要らなくてよ。日々身を飾っていては、龍に変じるたびに外すのも、なかなかに手間だもの」

 指輪を戻す。使者一行に微かな緊張が走る。

 龍達は身を飾る習慣がほとんどない。どれほど品質が高くとも、買い手にとって無用の長物では、求める物は購えない。

 従者達がはらはらとしているなか、アントニウスは動じた様子を見せず声の調子を変える。

「左様でございますか。では我が国の織物はいかがでしょうか」

 アントニウスからの目配せ得てまた従者が一歩、進み出た。両手で抱えた包みを、音を立てぬようアントニウスの前に置き、布をほどく。

「イミリーシャは高地に位置し、寒冷の地にございますゆえ、当地で育つ羊からは非常に上質な毛が取れます。加えて特に質のよい個体を何代も交配させ、まるで雲を纏ったような羊として白雲羊の名で周辺諸国よりの評価も大変高うございます。その毛は非常に細やかで柔らかいため誠に肌触り良く、また保温性に大変優れております」

 慎重に言葉を選びながら続ける。

「貴国は温暖な常夏の地ではございますが、年の内には幾ばくか寒気の募る日もございましょう。上着として、また寝具として用いれば、軽くして暖を保ち、身を冷えより守る助けとなるものにございます」

 そこで視線を落とさず、静かに添える。

「日々の営みに資する品として、決して無用にはあらぬかと存じます」

 わずかに顎を引く。

 包みの中から現れたのは、淡い灰白の毛織であった。細やかな毛を寄った糸で編まれた織物は、端を持ち上げるとふっくらと空気を含んでいることがわかる。

 人の側の家臣が、息を詰める。アントニウスは言い添えた。

「どうぞ、こちらもお納めください」

 剣江は差し出された毛織を手に取り、指先で繊維を確かめ、軽く引き、折り、掌で受けて重さを量ったのち、静かに頷いた。

「なるほど、繊維は細やかにして均一、織りも密にして乱れなく、まことに見事な品にございます。されど――」

 織物から顔を上げ、柔らかながら試すような視線をアントニウスに向ける。

「これは自ら体温を発する者にこそ暖を保つ効があろうもので、我らの如く内に熱を生ぜぬ身においては、ただ包まるのみでは十分に暖を得るには至りますまい。温石を用いて内に熱を仕込めば用は成しましょうが、そのための細工を施すには相応の加工を要しましょう」

 想定していなかった、それでいて的を射た指摘に、人間たちはぐうの音も出ず、すがるようにアントニウスに視線を集めている。アントニウスは冷静に、剣江の言葉を聞き入っていた。

「ただいま我が国にある織機や縫製機で左様な加工はかないませぬ。また我が国の頭数は千に満たぬゆえ、そも貴国との品の出入りを整えてこれを扱うにも、手が足りませぬ。品の質に疑義はございませぬが、我らの側にてこれを活かす仕組みが整っておらぬというのが実のところにございます」

 一度言葉を切る。

「これらを踏まえ、なお我が国に資する形にて対価を弁じるお考え、お持ちでございますかな」

 アントニウスは剣江の言葉を最後まで聞き届けると、一礼した。

 大広間の空気が張り詰める。アントニウスは、拳を握って言った。

「――承知仕りました。器械を設けるにも、またこれを扱うにも手が足りぬとのこと、まことに理に適うご指摘にございます。されば」

 言葉を冷静に積んでいく。

「その不足、我らの人手をもって補う形にて対価を弁じ奉りたく存じます」

 龍達の気配が変わったのを、背後に控える従者までもが感じ取っている。

 アントニウスは揺るがない。

「我が国より農業ならびに工業に従事する者、また学者・技術者を派遣し、労働力としてお役立ていただきたく存じます。体小さき種にございますが、数千を超える一団であろうとも団結して事に当たることは得手にございます。先の式典におきまして、その一端はご覧に入れ得たものかと。凍てつく山の上に根付いてまいりました我が民は忍耐強く勤勉。いま貴国にて手の回っておらぬ新たな農地の耕作、家畜の世話、器械の建造、備蓄の管理に至るまで、我が民をもってお手伝い申し上げ、これをもって対価の一端と為すことをお許しいただきたく存じます」

 龍皇の瞳が、細められる。その奥で、稲妻が閃いた。

「……人を遣わすと申すか」

「は。往還を重ねることにより、両国の益は長く保たれましょう」

 龍も人も固唾を飲み、龍皇の次の言葉をうかがっている。

 龍皇の視線が、背後へ流れると、人間の家臣団に明らかな動揺が見て取れた。

「イミリスノープルより此処まで騎禽にて飛べば五日じゃが、地を行けば三十日を下るまい。そなたらにとっては、地の果てにも等しかろうな」

 まさしくその距離を越えてきたアントニウスは同意の意を込めて一礼する。

「百年に満たぬ寿命のそなたらにとっては世代をまたぐほどの時をかけて対価を支払うことになろう。足を踏み入れた者は、その命あるうちに帰れぬやもしれぬ」

 龍皇は、笑っている。

「……そのような死地へ赴く者が、どれほどおるものか」

「無論、容易な務めではございません……ですが志ある者は、必ずおります。我が弟と、これが率いてまいりました小隊一同が良き例にございます」

 突然、一同の視線が大広間の隅に控えていた安道に向く。

 また大広間の外の回廊に待機していたイミリーシャからの護衛兵一団の中に、テオドロスをはじめとするイミリーシャ王立近衛兵団重装歩兵第一小隊の面々が揃っていた。

 テオドロスは心得て礼を取り、他の一同もそれに倣う。安道だけが、動揺して胸の早鐘を抑えられずにいた。

 食えぬやつ、と胸の内で舌を打ちながら、龍皇はアントニウスの言葉に応じる。

「そなたの弟御ほどの類まれなる気高き爪牙。艱難を凌ぎ続けたその不屈の鱗は、いかに金銀万貨を積もうとも購えぬ至宝。斯程の勇健を一身に宿す者が、この者らの他に在ると申すかえ」

 アントニウスに随行してきた従者達に龍皇が視線を送るまでもなく、落ち着かない様子であるのがわかる。

 この地で龍のために死ぬまで働けと、もし自分が命じられたら?

 安道も気が気ではない。部屋の隅に控えながら、震えるほどにこぶしを握って、固唾を飲む。

「我が弟と、その率いる小隊は、真に驍勇なるつわものにございます。命じられれば働き、果てるまで務めを違えませぬ。斯くも勇毅を備えた者は仰せの通り、多くはございませぬ。この遠き地にて、貴き龍皇陛下と龍の皆様の御為に働くこと、それをいかに言葉を尽くして誉れと申し渡しましょうとも、矮小なる人の身には、ただ己の小ささを思い知らされるばかりでございましょう。そのような者どもを送り出したところで、真に力を尽くすものではございませぬ」

 ではどうする、と龍達はアントニウスの言葉を待つ。

「死地に送られるも同然の思いを抱くであろう我らが同胞に、虚飾の言葉は与えませぬ。恐れは当然。帰れぬやもしれぬと案ずるもまた人の常にて、それを恥と申すつもりもございませぬ」

 一陣の風が、大広間を抜けた。一切の憂いを、掻き攫っていくように。

「なおも進まんとする者の歩む路のすべては、次期国王アントニウス・イミリシウスがこの背に負います。挺身する者には対価を。倒れ伏す者にはその名の顕彰を。遺されたる者には安寧を。生きて帰る者には、その峻烈なる働きに報いを。一人の例外もなく、私がこの手で授けましょう」

 牙野は、思わず息を呑んだ。

 理でも威でもなく、ただ一言で人の心を動かす。アントニウスのそれは、紛れもなく王の資質であった。

 ふと安道に目をやる。大人になろうとしている仔竜は、言葉にし尽くせぬ万感を滲ませ、兄を見つめている。

 背後に控える従者の中には、知らず目頭を押さえる者もあった。

 自分たちがどこへ赴こうとしているのか、何を差し出すことになるのか、それをどんな思いで受け止めているか。余さず言い表されたうえで、それでもなお進めと命じられているのだ。そしてこの方の為に如何なる辛苦も厭うまいという決意が、腹の底から自然と湧き上がってくる。

 イミリーシャ王国と龍乃国。

 二つの国が結ばれ、繁栄してゆく未来が、確かに見える。

 だがその礎には、安道が――数多の“小さき人々”が、静かに埋められてゆくのだろう。

 その流れを、変えてやることはできない。抗う術も持たぬ己の無力が、牙野の内で鈍く疼く。

 龍皇もまた、アントニウスを見据えたまま、沈黙していた。その覚悟の質を量るように、幾度も思考を巡らせる。

 ――やはり。安道の行く道に、安らぎを与えてやることはかなうまい。

 だが、もはや後戻りはできない。この国交は、成さねばならないのだから。

 暴虐竜の羽ばたきは、すでに近い。百年前の不覚を、再び繰り返すことは許されない。そのためには、安道の力が、そして人の力が、要る。

 アントニウスは覚悟を見せた。ならば自分も、応えねばなるまい。

 龍皇の瞳に、雷光が閃いた。次の瞬間、呵々と高らかに笑ってみせる。

「清濁併せ呑む覚悟は、とうに決まっておるようだね。結構」

 わずかに顎を上げ、居並ぶ人間たちを見渡す。

「小さき者共よ――そなたらを喜んで我が国に迎えよう」

 すっと立ち上がる。上段に聳える巨体は、一段、二段と降りてきてアントニウスの前に至ると、大きな手を差し出してきた。

 アントニウスは鱗板に覆われたその大きな手を取り、甲に口づける。龍皇は満足そうに微笑んで中段を振り返った。

「剣江、牙野。委細はそちらにて万事、恙無く整えよ」

 二頭の龍が座したまま手をついて頭を下げる。

「鰐尾、亜爪、天角。宴の支度を。今宵は我らの新たな友に、出し惜しみせず馳走を振舞おう」

 そして部屋の隅に控えていた安道に目を向けた。

「安道」

「は!」

「兄上とご一行を、部屋へ案内おし。地の果てなる死地がいかなるものか、とくと御覧に入れるがよい」

 ふざけたように片目をつむって見せると、龍皇はまた上段へと上がっていき襖の奥へと下がっていった。中段の龍達も一礼し、それぞれの持ち場へと散っていく。


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