第十九章
蓮空はコンスタンティノスを連れ、北鱗集落の中を案内して回った。そして小さな集落ながら、龍乃国の豊かさを余すところなく見せつける。
草水の技術。騎禽の能力。冬を知らぬ土地がもたらす、尽きることのない大地の実り。
北鱗はやや内陸に位置するが、騎禽を使った物流により、新鮮な魚介の入手にも事欠かない。
圧倒されるコンスタンティノス一行の様子を眺めながら、牙野はふと安道を示した。
にっこりと笑う。
「お国からお預かり申した御子は、実に優秀。我らの授ける知も技も、あれよという間に学んでおられる」
突然話を振られ、控えていた安道は困惑しながら深く頭を下げた。
牙野が言葉を続ける。
「この子が希ったのでな。その方らに、ひとつ手土産をくれてやろう」
やがて運ばれてきたのは、額装された一枚の地図だった。上質な紙に、濃淡の美しい墨で地形が精密に描かれている。大陸全体を見下ろす、驚くほど正確な地図である。
安道と同じく、コンスタンティノスも息を呑んだ。
「この子が描き写したものだ。学びを終えた暁には、お国にさらなる恵みをもたらすであろう。大いに誇るがよい」
「も、もちろんのことでございます……」
コンスタンティノスは慌てて姿勢を正す。
「何にも代えがたいご恩賜。国王陛下に代わりまして、厚く御礼申し上げます」
地図の獲得は、コンスタンティノスにとって計り知れない成果だった。国王陛下のお覚えも、きっとめでたいに違いない。
一気に開ける出世の道。その夢想が止まらない。
一方の安道は、話の流れを乱さぬよう必死にすまし顔を保ちながら、恭しく頭を下げていた。
だが実のところ、心臓は張り裂けそうである。
(あれは習作なんです……牙野様、勇輝子様……)
練習で描いた地図を、さも無二の宝物のように差し出されたのを見て、冷たいものが背を伝った気がした。
一体いつの間に。だが、もうどうにもならない。間違いなく勇輝子の悪戯だと分かっていたが、いまさら取り返すことなど不可能だった。
その夜は、下働きの小者に至るまで宴に席が設けられた。豊富な食材をふんだんに使ったごちそうと、水のように透き通りながら強烈な存在感を放つ風味の酒が、惜しげもなく振る舞われる。
コンスタンティノスはこのもてなしにすっかり気を良くし、龍との接触に慄いていたことなど忘れてしまった。
そして翌朝には、ほくほく顔で北へと戻っていったのである。
出立の間際、アンドリは第一小隊をひっそりと呼び集め、テオドロスに酒の瓶を手渡した。蓮空が用意してくれ、安道から部下たちへ贈ってやれと牙野から託されたものだ。龍乃国仕様なので一抱えもあるが、コンスタンティノスに目をつけられぬよう目立たないぼろ切れに包む。
「皆、よく来てくれた。よければこれを」
第一小隊の面々は、昨夜味わったあの美味い酒を持ち帰れると知り、声を潜めながらも歓声を上げた。
テオドロスは感慨深げに、上背のある上官をにやりと見上げる。
「貴方が酒を呑むようになったとはね。帰ってきたら、皆で祝杯を上げましょう」
「いやあ待ちきれねえよ隊長殿。そんときゃオレが仕切りまさあ。いい酒場があるんで」
「ああ。楽しみにしている。皆、それまで息災で」
「アンタもな、隊長殿」
一行がある程度遠ざかると、蓮空と集落の龍たちは互いに手を打ち合わせた。十分な手応えを感じたのだろう。
やがて礼服を脱ぎ、何事もなかったかのように、普段通りの暮らしへと戻っていった。
安道は、一行の姿が見えなくなってからも、しばらく北の方角を見つめ続けていた。
やがて、傍らに立つ気配に気づく。牙野だった。
安道は万感の思いを込めて頭を下げる。
「牙野様。本当にありがとうございました。どれほど感謝申し上げても、足りません」
牙野は穏やかに頷いた。
「君もよく頑張った。国交の始まりに相応しい、実りある懇談となった。互いに良い印象を持てたのは、君がこちらに来てからの数か月のみならず、長いこと多くの苦難に耐え忍んで日々努力してきた賜物だ。よくやってくれたな」
また頭を撫でてくれる。その手の感触を受けながら、安道は生まれて初めて——達成感というものを味わっていた。
だが、すぐに己を戒める。
本番は来春。真の使節である王太子の来訪の時だ。
安道は拳を握り、決意を胸に踵を返した。碧斗の手綱を取って合図を出すと、碧斗は翼を広げ、龍の都へ向かって青空へと舞い上がったのであった。




