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Dragons Cry, Destined to Fly ー竜哭の彼方ー  作者: Watt A. Lee
第六章

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第六章

 扉が閉まった途端、堂内の空気がひっくり返った。

「牙野、全部の暖炉! 今すぐ!」

「亜爪、風呂! 熱め!」

「天角、防寒外套! 寸法合ってなくていいから持ってきて!」

 矢継ぎ早に指示が飛ぶ。

 龍皇勇輝子は寝台に歩み寄り、寝具を力任せに引き剥がした。次の瞬間、それがそのままアンドリに巻き付けられる。

「龍皇陛下!? 一体なにを——」

「もう大丈夫。すぐ温めてあげる。君、低体温症を起こしてる」

 堂内に暖気がこもり始める。

「あたし達は、変温動物なの。自分じゃ体温調整できないんだから防寒は絶対に怠らないで」

 勇輝子は、寝具に包んだままのアンドリを火の前へ座らせ、天角が差し出した外套を、その上から被せた。

 中に懐炉が仕込まれているようで、じわりと暖かいものが伝わってくる。

「この国は君にもあたし達にも寒すぎる……ここは、龍が健康に生きられる北限を越えてる」

 少し身をかがめ、覗き込む。

「これ以上この寒さの中にいたら、君ほんとに死ぬから」

 その言い方だけは、驚くほど真剣だった。

 亜爪という龍が、風呂が湧いたと告げた。どうやら事前に準備してあったらしい。

 体格の大きなはずのアンドリを更に上回る巨体の勇輝子は、簡単に彼を担ぎ上げた。慌てて身じろぐ暇すら与えられないうちに、アンドリは為す術もなく、衝立で仕切られた一角に運び込まれる。即席の湯船を据えた簡易湯殿だった。むせるような湯気が、この一角を特に温めている。

「鱗の艶が悪い。これも低体温症のせいだね。それに休眠期が近いと思う。酷い眠気、感じてない?」

 龍皇の言葉を聞きながら、アンドリは言葉なく頷く。

 眠気なら、常にあった。あまりにも日常的で、意識することすらなくなっていた。

「尻尾も……可哀想だったね。ちょっと見せてみて」

「龍皇陛下! それは——」

 裸の尻を見せろという言葉に、アンドリは慌てる。

 だが、間一髪で牙野という男龍が口を挟んでくれた。

「人間の流儀で育った子供だ。尊厳に配慮しろ。今の言いようでは、この子からしたらお前は痴女だぞ」

「痴女!?」

「鱗も体毛もない彼らにとって、着装は防御や防寒以上の意味を持つのだと言ったろう。

 だから私たちも、この国にいる間は礼服を着ているんだろうが」

 ぴしりと言い切る。

「それを軽々しく脱がそうとするな」

「あそっか。ごめんごめん」

 勇輝子が素直に引き下がり、アンドリはようやく、ほっと息をついた。

 その様子を見て、牙野はさらに安心させるように、大きな手でアンドリの頭を撫でる。

「ゆっくり温まっておいで。この痴女には覗かせないから」

「もうわかったっつーの」

 龍の手は、物理的には熱を帯びていない。それでも、牙野と勇輝子の笑みは、不思議と暖かかった。

 まだ少し躊躇いながらも、アンドリは衝立の向こうで着衣を解き、簡易とはいえ龍の体格に合わせた大きな湯船へと、そっと身を沈めてみた。

 今まで触れたこともないほど温かい湯が、強張った身体を包み込む。胸の奥まで緩んでいくのを感じ、思わず息がこぼれた。

 湯に浸かるなど、貴族や王族でもなければ叶わない贅沢だ。初めての感覚に、目の奥が、じんと熱くなる。

 近衛兵団では、冬期を除けば風呂は冷水である。

 厳寒期に許される共同の蒸し風呂も、大勢の兵士と僅かな時間で交代するような慌ただしいものだった。

 加えてアンドリは身体の鱗を見られるのを嫌い、いつも入浴時間の終わりに、火の落ちた、冷めかけのぬるま湯に手ぬぐいをひたして拭うだけに留めていた。それで十分だと、思い込むようにしてきた。

 惜しむような気持ちで湯から上がると、衝立の向こうから、柔らかな布が差し出される。

 上等な生地をたっぷり使った上衣と下穿き。

 アンドリの体格に合わせ、急いで丈を詰めてくれたのが分かった。先ほどの外套も、添えられている。

 恐縮しながら袖を通すと、まだ残る湯の熱を逃がさず包み込んでくれるのを感じた。

 身支度を整え、アンドリは勇輝子の前に膝をつく。

「湯を、ありがとうございました。それに、この服も。お手数をおかけし、申し訳ありません」

「あれえ? もう出てきちゃったの?」

 勇輝子は目を瞬かせる。

「もっとゆっくり入っててよかったのに。ちゃんと温まらないと」

「充分でございます。お心遣い、心より感謝いたします」

 勇輝子はにこりと笑って椅子を勧めてくれた。

 貴人の前で腰を下ろすなど畏れ多いことだが、促されて恐る恐る座る。

 天角が静かに、湯気の立つ茶を差し出してくれた。

 湯と、衣と、茶の温もり。龍達の笑顔に乗って届く暖かみ。馴染みのない心地良さに戸惑いを隠せずにいるものの、何とか受け取る。

「君の意思を聞かずに、勝手に決めてごめんね」

 勇輝子は、少し心配そうに声を落とした。

「でも君は、あたし達の国に来た方がいい。こんな寒い国で暮らし続けたら、遠からず命を落とす。今日まで、よく無事だったよ」

 アンドリの胸に、ひやりと冷たいものがかすかに沈む。とうとう国を追われるような感覚が、一瞬よぎった。

 だが、すぐに打ち消す。アレクシオス王の意向は、絶対だ。王がそう定めたのなら、臣下である自分の返事は、一つしかない。

 また実兄である王太子にして近衛兵団長、アントニウスへの忠誠だけは、これまで一度も揺らいだことがない。

 いずれ王位を継ぐあの方の役に立てるのなら、どこへだろうと行くと決めていた。

「明日の朝一で発つから、準備してね。騎禽で五日だから」

「かしこまりました。お供致します」

 姿勢を正し返事をする。

 すると勇輝子が、はたと手を打った。

「そういえば、自己紹介してなかったわ。あたし、勇輝子。ゆっこって呼んでね。ゆっきーでもいいよ」

「は、その……アンドリ・チェイレイと申します。格別のご温情を賜り、恐悦至極に——」

 ちょい待ち、と勇輝子がアンドリの口上を制した。

「うちの国では、そういう堅苦しいの禁止だから」

 ついさっきまで、王を震え上がらせていた雅やかな龍皇とは思えないセリフだった。

「ごめんなさいね。うちの大将、距離感近くて」

 そう言って微笑んだのは、外套を用意してくれた女龍——天角だった。

「こことはまるで違う国柄よね。戸惑うと思うけどそのうち慣れるわよ。ゆっくりでいいから」

 そう言いながら差し出されたのは、龍乃国で食べられているという甘味だという。

 勇輝子は待ちきれない様子で、相好を崩し、大きく口を開けて頬張った。

 アンドリも倣って口に運ぶ。今まで味わったどんな菓子とも違う、柔らかな弾力感と優しい甘みが、ふわりと口から鼻へ抜けた。

 風呂を沸かしてくれた若い男龍——亜爪が、いたずらっぽく笑う。

「ほーら。やっぱこれ、持ってきて正解だったじゃん。ゆっこの大好物だもんな」

「ゆっきーがへそ曲げた時は、これ出しときゃ大体機嫌直るのよね」

 亜爪と天角が笑いあっているのを勇輝子がねめつける。

「なめんな。そこまでちょろかねーし」

 そんなやり取りを横目に、茶をひと口すすった勇輝子が、ふとアンドリを見た。何か思いついたように、声が弾む。

「しばらくうちに来てもらうんだし、龍乃国風の名前で呼んでもいい?」

「は。如何様にもお呼びください」

「じゃあ決まり」

 嬉しげに間髪入れず続ける。

「今日から君は、安道竜輝くんね」

 その響きを、確かめるように繰り返す。

「君の行く道が、安らかであるように。どんな困難の中でも輝く、強い竜でいられるように」

 アンドリ——改め安道竜輝は、背筋を正して頭を下げた。耳慣れない響きとは裏腹に、不思議と胸にすとんと落ちる名だった。

「謹んで拝受致します。この名に恥じぬよう、不断の努力をお誓い申し上げます」

「だから堅苦しいの禁止だって」

 龍たちは一斉に笑う。

 安道は思い切って口を開いた。

「あの、陛下」

「ゆっきーかゆっこでいいってば」

「ゆ、勇輝子様…」

「まあ今はそれでもいっか」

「お尋ねをお許し下さいますでしょうか」

「もちろん、何でも聞いて聞いて。年は女盛りの三二五歳、趣味はお菓子作りだよ」

「いえあの」

 雲の上の存在であるはずの龍たちの、あまりに気負いのない態度に、安道はまだ足場を掴めずにいた。

 それでも一度息を整え、問いを差し出す。

「……休眠期、というのは何なのでしょうか」

 眠気は、常にあったがもう慣れてしまっていた。だがここ数ヶ月は特に酷い状態になることもあり、冷え込みの厳しい日には座っていても意識が遠のきそうになったことがある。

 爬虫類の性質を持つこの体は、冬眠が必要なのでは――そんな曖昧な推測を抱いてきた。

 だが勇輝子は首を振る。

「寒すぎるこの国で、体力を削られてるのは確かだろうね。でも、龍の休眠期は爬虫類の冬眠とは全く違う。子供の龍が大人になる過程で迎えるんだよ」

 その間は力が一時的に封じられ、飛ぶこともできなくなる。そして龍は、飛べなければ戦えない。

「個体差も大きくてね。数年で明ける子もいれば、百年かかる子もいる。

 休眠期が開けると、体も大きくなり飛べるようになって戦闘力も桁違いに上がる」

 牙野が補う。

「芋虫が蝶になる前に蛹になるようなものだ。生体活動が著しく制限される。勇輝子は十年ほどで明けたが、その間、何十日も眠り続けたこともあった。起きていても、ぼんやりしている日が多かった」

「そんだけ無防備になるの。だから休眠期を迎える子は仲間が全員で守るんだよ」

 勇輝子は安道を、上から下まで確かめるように見て言う。

「安道も、もう始まりかけてるんだと思う」

 そして少し眉を寄せて続けた。

「龍のことを何も知らないこんな寒い国で、そんな状態になってたら危なかった。その前に会えて、よかったよ」

 そう言って、勇輝子は立ち上がった。

「明日からはちょっと強行軍になるから少しでも体力戻しとこ。休眠期が近いのに、こんな寒いとこにずっといて、ろくに眠れてないでしょ」

「承知しました。では明朝また、お目にかかります」

 自分も退室を促されたと思い、もてなしに礼を言って辞去しようとした時だった。

「違う違う。こっちに来て」

 ついて来るように言われ訝しみながら後を追う。湯殿とは別の衝立の向こうへ入るとそこには龍達のために、巨大な寝台が人数分置かれていた。

 そのうちの一つは段を上がった内陣に設置されている。勇輝子は即席の天蓋と遮光幕で覆われたその一番上等の寝台を指して言ったのである。

「今日はここで寝て」

 その意味の分からない指示に思わずアンドリは目を剝く。

 勇輝子も安道の反応に首をかしげ、何かに思い至って、気を回したつもりで添えてくる。

「ああ。寝台の数なら気にしなくていいよ。あたしは天角と一緒に寝るから」

「ゆっきー寝相悪いのよね。蹴られたら蹴り返すから覚悟していてちょうだい」

「そういうことではありません! あの、自室がありますので官舎に戻って休みます!」

 悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、勇輝子の万力のような手にがっちり肩を掴まれる。

「だーめ」

 安道はまたしても、絶対強者が場を支配する重圧を受け止めねばならなくなってしまったのである。

「言ったでしょ、この国は夏でも寒すぎる。これだけ火を焚いてもまだ足りない」

 勇輝子はもう一方の手も安道の肩に置く。両手で安道を正面に捉え、大きな身体を屈めて稲妻の瞳を安道の視線の高さに合わせた。額に生えた勇輝子の角が自分の頭蓋を貫くのかと思った。

「君はもう、これ以上寒さを我慢しなくていい」

 生まれた時からこの気温の中で生きてきて、辛いと思ったことはなかった。だが勇輝子達に言われて初めて、自分はこの寒さにずっと歯を食いしばっていたことを理解した。

 が。

 国賓の、それも高貴な女性の寝台に入るなど、騎士道精神を叩きこまれた安道には絶対に取れない選択であった。

 何とか帰営だけ許してもらおうと、先程助け船を出してくれた牙野にまた救いを求めて視線を送ってみた。が、優しく微笑むだけで、今度は勇輝子を止めてくれない。

 それでも必死に抵抗したが、勇輝子が更に顔を近づけてくる。

「また痴女とか言われそうだけど」

 にっこり笑う顔が、何故だか獲物を捕らえた肉食獣のように見える。アンドリは、今まであまり感じたことのない恐怖、という感情を珍しく味わっていた。

「あんまりわがまま言うとまた抱っこしてねんねさせてあげちゃうぞ」

 その恐るべき宣告に、降伏以外為す術などあるはずもない。がっくりとうなだれ、されるがままに寝台へと追いやられた。

 まな板に上がる魚にでもなった気分で寝台に横たわると、勇輝子が手ずから何重にも布団と防寒外套をかけてくれる。天角は布団の中に湯たんぽを入れてくれた。

 そうして勇輝子は牙野と同じように頭を撫でてくれた。龍の手に体温はないが、龍達は笑顔と言葉で温かみを伝えてくれる。

 とても眠れるわけがないと思ったが力が抜け、眠気に誘われる。

「寒かったでしょ」

「い、え」

「たった独りで、今までよく頑張ってきたね」

「......」

 安道は鼻の奥に突き上げるものを感じた。そんな言葉を、誰からもかけてもらったことがなかった。

「これからはあたし達がついてる。よろしくね」

「…ありがとう、ございます...」

 油断すると泣いてしまいそうだった。それをこらえるために言葉を続ける。

「勇輝子様、もう一つ、お尋ねしてもいいですか」

「なぁに?」

「俺は、暴虐龍なのですか」

 勇輝子は思わず言葉に詰まった。侍従たちもだ。

 伝説に名を遺す、破滅の炎を呼ぼうとした暴虐龍。破壊衝動にとらわれた中で、勇輝子が自分を暴虐龍と呼んだのを、安道は確かに聞いた。

「君はね、あたし達の近縁種だね。あたし達は龍。君は竜。人間のお母さんから生まれたなら半竜、それとも竜人と呼ぶのが正確かな」

 おとぎ話に出てくるのは、正確には暴虐〈竜〉だという。それならば自分は?

 勇輝子は言葉を切った。

 ——今はまだ知らせるべきではない。安道と名付けたこの子供の進む道は、願いと裏腹に過酷なものになるだろう。今だけは、そんな運命を忘れて、ただ安らかに過ごしてほしかった。

「その話は、そのうちしてあげようね。さあ、今は目を閉じて」

 本当は、もっと聞きたかった。けれど睡魔の支配に、すでに限界だった。

 仮眠のつもりで言われるままに、ゆっくりと目を閉じる。

 意識が沈む直前、安道は、勇輝子の少し憂いを帯びた瞳に映る言葉の余白を、見た気がした。


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