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Dragons Cry, Destined to Fly ー竜哭の彼方ー  作者: Watt A. Lee
第五章

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第五章

 目を覚まし、混沌とした夢から抜け出しても、現実は夢と地続きだった。冷たく、硬く、希望の置き場は見当たらない。

 そこは官舎の自室ではなくいつもの懲罰房だ。石造りの部屋。粗末な硬い寝台。鉄格子の嵌まった高窓の向こうで、空が暗く沈み、雨が降っている。雷鳴が、低く響いていた。

 腕には、鎖が嵌められている。これもいつものことである。

 廊下から、足音が近づいてくる。聞き慣れた歩調は、アントニウスのものだった。

「……気分はどうだ。身体は?」

 房を開けながらアントニウスがアンドリにかけたのは、短くともアンドリがかすかに息をつくに十分な言葉だった。

「大丈夫です。毎回、ご迷惑をおかけしてしまい……申し訳ありません、団長閣下」

 アントニウスは、ほんの少しだけ笑う。この冷たい国でアンドリは、彼と言葉を交わす時だけ、小さな懐炉を両手で包むような温かさをかすかに、感じ取ることができた。見習いとして放り込まれた騎士団から、 近衛兵団へ移されたのも、団長に就任した際の彼の采配だったと、人伝に聞いて知っていた。

「龍皇陛下がお呼びだ。くれぐれも粗相のないようにな」

 そう言ってから、少し間を置き、可笑しそうに、冗談めかして肩をすくめる。

「国王陛下は……断頭台にでも上るような有様だ」

 アンドリは何も言えず、ただ頷いた。

 季節外れの雨がざあざあと降り続き、遠くで雷が鳴る。 大聖堂には何度も足を踏み入れてきたのに、今日はまるで別の建物のように感じられる。

 足が、重い。わずかに落ちた歩調を無理やり引き上げ、一礼して中へ入る。 鎖が繋がっているのを確かめ、そのまま進んだ。

 龍たちのために設えられた巨大な椅子に、龍皇が悠然と腰掛けている。

 その傍らに立つアレクシオス王は、まるで侍従のように見えた。胸を張ろうとしても腰が引け、結局ただ立ち尽くすことしかできない。青ざめた顔。落ち着きのない視線。

 豪奢な外套と王冠だけが、不釣り合いに輝いていた。

 龍皇は、そんな王に関心すら向けていない。

 人ひとりの矮小さなど、意識に留める価値もないと言わんばかりに。

 その雷光を閉じ込めた眼が、アンドリの有様を見て僅かに眉根を寄せた。

「なぜ鎖をつけておる?」

 問いは短いが、場のすべてを支配していた。

 人間たちは凍りついたように息を詰める。なんとか口を開いたのは、アレクシオス王だった。声は硬く、早口だった。

「自制の利かぬ怪物でございます。自由にしておくわけには——」

 その瞬間、雷光が大聖堂を白く裂いた。

  轟音が空気を震わせる。

 龍皇が、ゆっくりと立ち上がる。

「……我が同胞を、そのような言葉で呼ぶとはの」

 穏やかで、 ほとんど感情が読み取れない声であったにも拘わらず、アレクシオスの顔から血の気が引いた。

 龍皇は、また悪戯心を起こし、にこやかに首を傾げた。

「それほどまでに化け物の力みたくば、この場で披露致そうか」

 冗談めいた口調だった。 だが、誰一人として、笑えない。

「お、お許しください……失言でございました」

 震えながら絞り出された声に、王の威厳は形を保っていない。

 だが龍皇はほどなくアレクシオス王への関心を失った。

 ゆるやかに顔を上げ、直接アンドリへ語りかける。

「先の問いは、そちにじゃ。童よ」

 声音は柔らかくなったが選択肢を与えない圧力は、未だ堂内を支配している。

「そのような脆い鎖で、そちを縛れるはずもなし。己で外してみせよ」

 アンドリは躊躇いながら跪いたまま、静かに腕を開く。たったそれだけで、鎖は抵抗もなく引きちぎれた。手首に絡んでいた鉄輪も、指で摘まれた途端、 紙屑のように歪み、乾いた音を立てて床に落ちる。

 これほどまでに人の枠を踏み越えているとは、誰も想像していなかった。嫌悪にも近い感情がアンドリを突き刺す。

 アンドリは、それに耐えきれず、そっと視線を落とした。

「見上げた忠義心よ」

 龍皇は、楽しげに呵々と笑った。

「無用な混乱を招かぬため、一兵卒に甘んじておったか」

 何かを思い出したように、再び問いを重ねた。

「……尾を失うておるな。どうしたことじゃ」

 アレクシオス王は答えられなかった。それが自らの命によるものだと、どうしても自分の口で告げることができなかった。

 王の様子を見て取り、意を決して沈黙を切ったのは、アントニウスだった。

「出生時に、切除致しました」

 声は落ち着いている。 余計な感情も、言い訳もない。

 龍皇は顔をしかめ問い続ける。

「……むごいことを。 親は、どうしておる」

「父親は判明しておりません。 母親は、この者が生まれた年に死亡しております」

「死因は」

「姦通罪に問われ、処刑されました」

 その瞬間、 龍皇の眼光が、わずかに揺らいだ。

 人間の国において、不義密通が罪であることは知っている。だが、一般市民であれば、処分は離縁に留まるのが常だ。

 処刑に至るとなれば、それなりの身分でなければ辻褄が合わない。

 黄金色の眼が、ゆっくりとアレクシオス王へ向けられる。

「……前王妃か」

 それは問いというより、確認だった。

「その方の、一人目の妃なのじゃな。その女は、人間か」

 アレクシオスは、喉を鳴らし、かろうじて答える。

「と、当然でございます」

「であるならば」

 龍皇はアンドリに、黄金の視線を当てる。

「この者は、史上初の混血種ということになるな」

 そして、アントニウスを見る。確か式典で王は隣に王妃を置いていたはずだ。だが、王太子だと名乗ったアントニウスの面立ちと、あの時見た王妃の年齢差を考慮するに、実母ではなかろう。

「そなたも、同じ女を母に持つのじゃな」

 アントニウスは肯定する。想定済みであった答えに、さらなる確認を加える。

「なれば、そなたはこの童の兄にあたるか」

「血のつながりがあるという意味においては、おっしゃる通りです」

 事務的な表現を選んだアントニウスだがその答えに、迷いはなかった。アンドリには、イミリシウスの姓は与えられておらず、二人の血縁関係を証明する書類は前王妃の処刑と共に破棄された。

 それでもアントニウスはこの問いに対する答えを、誤魔化さないと決めていた。

 堂内に張り詰めていた重圧が静かに、形を変え始める。 天井を打つ雨音が次第に引いていく。

 圧倒的な力の差を前にしながら、 目を逸らさず、言葉を濁さず、 必要なことだけを差し出してくるアントニウスを龍皇は、僅かな間、無言で見つめた。

 やがてにやりと口角をあげる。

「イミリーシャ王よ。この者の身柄、しばらく龍乃国で預かる」

 アレクシオス王は、龍皇がそう言い出すことを、ある程度は予期していたようだった。

 切り札として抱えてきた生物兵器を奪われる悔しさ。そして同時に、制御不能の怪物を手放せる安堵。

 その二つが混じり合った、複雑な表情が一瞬、顔に浮かぶ。

 龍皇は、それを見逃さない。

「我が同胞を化け物呼ばわりは業腹じゃが、この童が力の使い方を学ぶ必要があるという点においては、その方と妾の考えは一致しておろう」

 黄金の瞳が、アレクシオス王を射抜く。

「その方らの昨日の振る舞いを見るに、この童が自制を失ったのは初めてではあるまい」

 誰も答えられない。その沈黙こそが答えだった。矢を射、鎖をかけ、鎮静化するまで懲罰房に放り込む。誰もそれを説明する勇気を持てなかったが 、それがいつもの対処であった。

 アンドリは、居心地の悪さを隠しきれず、それでも何も言えないまま、視線を床に縫い付ける。

 この場にいる誰よりも、話題の中心にいながら、彼の意思だけが、完全に蚊帳の外だった。

 龍皇は、若干圧力を緩めた視線をアンドリに向ける。

「この者が学びを望むなら、我らが必要なだけ与えよう」

 そして、あっさりと付け加える。

「それをイミリーシャに持ち帰りたくば、許そう。その方らにとっても、悪い話ではあるまい」

 礼拝堂の空気が、わずかにざわめく。

 アントニウスはなんの感情も表さずに、成り行きを見守っている。王に従う者として、流れに水を差さないことは当然だが、その沈黙がただの盲従ではないことを、龍皇はすでに察していた。

  「明日の朝に発つ。鰐尾は、それまでに騎禽の扱いを、よくよく教えておやり」

 龍皇は手を軽く振った。話は、終わりだ。

「下がりゃ」

 一行が一礼し、アンドリを残して礼拝堂を出ていく。

 アントニウスも歩みを止めずに出口へ向かったが、ただ一度だけアンドリに視線を向けた。小さな頷きを送る。

 それだけだったがアンドリは、アントニウスから送られた言葉なき言葉を確かに受け取った。

(大丈夫だ)

 そのやり取りを、龍皇は確かに見ていた。黄金の瞳を細めたが、僅かに口角を上げたのみで、こちらもやはり言葉を発さず人間たちを見送った。


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