7話「宵宮夏美」
吉岡理恵が顧問になって、まず行ったのは冬の練習内容だった。
今までの練習内容といえば、走り込み、スクワット、腹筋をするだけであり、『とりあえず冬は泳げないし、やることがないからこれくらいでいいや』といった感じの匂いしかしない甘い練習内容であり、やっていることは間違ってはいないが走り込みの距離、スクワット、腹筋の回数などを吉岡理恵は見て困惑してしまう。
『もっと練習内容を厳しくしなければ他校には勝てない』
そう判断し、走り込みを校庭のグラウンドと学校の周りで走るのを休憩はさみながらやることにし、冬の間だけでなく学校のプールが開放されても練習する日を設けることに決めた。
スクワット、腹筋などをすることも需要だとは思うが、水泳はなんといっても全身を使う競技であり体力の消耗が著しく高い、それは泳ぐ距離が長い短いは関係がないといえる。
短い距離なら体力の全てを使わないと勝てない、長い距離ならば体力があればあるほど有利となるので体力があるのにこしたことはない。
なので、週末明けの放課後に吉岡理恵から説明があり、水泳部全員が校庭のグラウンドを休憩を交えながら走り込みが始まった。
吉岡理恵が部員1人1人の顔を覗き込みながらいつのタイミングで水分補給などの休憩を笛を首に下げながら考えている。
笛の音が鳴るまで、水泳部員たちは永遠に走らされ体のあちこちから汗が吹き出していて、体力が尽きながらも無理矢理体を動かしているのが殆どであった。
だが、田崎怜奈と南條愛美は他の部員とは違い、余裕を見せながらグラウンドを颯爽と走っていく光景を見ながら、『普段から自主練しているんだな』と多くの水泳部員、そして吉岡理恵も驚かされたが、『いや、この2人なら納得』と思ってしまう。
そして、桜坂花蓮は田崎怜奈や南條愛美のように自主練でランニングなどをしておらず、スイミングスクールに通うだけで済ませていたため『こんなに体力作りってガチだったけ?』と息を切らしながら、かろうじて走り込んでいた。
そんな桜坂花蓮に朗報が入る、吉岡理恵の笛の音が鳴り「全員、休憩」との声が校庭に響き渡り、よろよろと日陰に置いてある水筒の元へと駆け寄り、水筒の中に入っている麦茶を一気に喉へと流し込み、タオルで額や首筋の汗を拭き、一息つく。
本音をいえば、体全体を拭いてしまいたいところではあるが他の部活の人も男子もいるので我慢した。
近くに腰を下ろして、周りを見渡してみれば南條愛美はストレッチをしているし、武田佳織里は同じ仲間を見つけたのか複数人で喋っていて、この水泳部も派閥という仲間ではないけれどそれに近いものは形成されつつある。
「お疲れ様〜」
そんな桜坂花蓮に近くで声がしたので、「愛美かな?」とは思ったけれども、それは違って、タオルで汗を拭きながら休憩をしていた2年生の宵宮夏美が話をかけてきたのだった。
「お疲れ様です、宵宮先輩」
『なにか用があるのだろうか?』と桜坂花蓮は思いながら返事をする。
宵宮夏美は桜坂花蓮がなにを思っているのを感じ取ったのか、慌てて言葉を探して、誤解を招く前に喋り始める。
「なにか用があるわけじゃなくて、少し喋りたいと思ってさ…コミニケーションも兼ねて」
「なるほど」
そう言いながら桜坂花蓮は納得した。自分自身も田崎怜奈と同級生の武田佳織里としか喋っていないし、もっと幅広く人脈を形成していかなければ水泳は個人競技といわれていても揉め事が万が一にでも起きたとしたら、部活動が崩壊しかねないと思ったからだ。
宵宮夏美が「いい人間」か、「悪い人間」かなんて喋ってもいない現時点でわかるわけがないし、「その時はその時」として割り切るしかないとも思えた。
学校は、先輩、後輩、顧問が選べないのが辛いところではあるが、色々と人が変わりゆく部活動での「人間関係」は社会に出ても役立つと思える。
だからこそ、会社と学校は似ていると考えることができるわけで、それは学校と同じく「人」を選べないからだ。
「花蓮ちゃんって呼んでもいいかな?」
「どうぞ」
「じゃあ、花蓮ちゃんは経験者なんだよね、いつからやっているの?」
「小学3年生からです」
「そっか、長いんだね。私よりも先輩だ」
少しだけ、桜坂花蓮は言うのが怖いと思っていたが宵宮夏美の表情を見た瞬間にその気持ちはどこかに消え去っていた。
宵宮夏美の表情は「怖さ」よりも「私も頑張らないと」という気持ちが全面に出ていたために「この人は田崎先輩よりも圧を感じない」と喋ってみて感じたことだ。
寧ろ、自分自身の実力を把握していて、他の先輩の部員よりも一歩後ろを歩いているようにも感じていたし、それはまるで「自分実力のなさを嘆いていて、悲しんでいる」ようにも感じてしまう。
「宵宮先輩はいつからなんですか?」
「ん?私?私はね、高一からだよ」
「高一からですか…」
その時に思い浮かんだ人物といえば、武田佳織里だった。
『佳織里ちゃんと同じ高校からやり始めた人なんだ。なんで、わざわざ水泳を選んだろう?高校に行けば、中学ではないような部活はいっぱいあるのに』
桜坂花蓮は失礼を承知で心の中でそう思いながら、表情にも口も出さずにいたのに宵宮夏美にはわかりきっていることだ。
「『なんでわざわざ、高校から始めたんだろう?』って思ったでしょ?」
「いえ、そんなことは…」
表情、言葉にも気を付けて話していたはずだし、先輩で初心者だからといって失礼な態度をとるバカでは決してない、桜坂花蓮は思っていたが「知らぬまに失礼なことをしていたのか?」と思い、謝ろうと頭を下げようとしたところで宵宮夏美が「大丈夫だよ」と言いながら、肩に手をのせていた。
「私が不快な思いをさせたのかと…」
「全然、そんなことは思っていないよ。寧ろ、経験者はそう思うんだろうなっていうのは田崎先輩で経験積みだから」
「やっぱり、言われたんですか?」
「うん。部活に入った初日にね。言われた内容は、花蓮ちゃん達が言われたことと一緒だよ。田崎先輩の言ってることは理解はできるんだけど、どうしても私は水泳をやってみたくて」
田崎怜奈は誰に対しても言っているのかと少し思いつつ、宵宮夏美に対しては「なにが理由で始めたんだろう」と興味が湧きてきてしまう、話しかけてくれたのもなにかの縁だと思い聞き始めた。
「宵宮先輩が水泳を始めた理由はなんですか?」
「私が水泳を始めた理由は、中学の時の話なんだけど、その時はやりたいことが特になくて適当な部活に入って、サボってたんだ。私は、当時同じクラスだった、霜月真冬が毎日のように水泳のことを私に話してくるんだよ。もう聞き飽きたよって思ってはいたんだけど、とある部活の大会があるとかで見に行ったんだ。その時に、真冬も含めてなんだけど、かっこいいなって思えたんだ。飛び込み、泳ぎが綺麗で美しくて、少しのミスで勝てない戦場みたいで、私も同じ舞台に立ってみたいと思えたんだよね」
霜月真冬、どこかで聞いた覚えがあると桜坂花蓮は考えて、記憶を辿ってみると同じ水泳部に所属している、2年生なのを思い出した。
「それで始めることにしたんですね」
「まあね」
「でも、中学の時に始めなかったんですね。どうしてですか?」
「うーん、始めてもよかったんだけど、私が入ったことによって他の部員の人に迷惑かけたくなかったんだよね。部活の空気が悪くなっても仕方ないしさ」
話を聞くなかで、やはり宵宮夏美は武田佳織里と姉妹のような共通点が多々あると思えた。
なにかを新しく始めたりする時には、きっかけが必ずある。
それが、早いか遅いかの違いだけに惜しいと感じてしまうものがあった。
やるのが早ければ早いほど、子供の頃に正しい泳ぎ方を反復練習をすれば、技術が自分自身の感覚となって溶け込んでいき、それが中学や高校の大会、そしてオリンピックなどにも繋がるのだと桜坂花蓮が思っている。
「始めるの高校生で遅くなってしまったけど、始めたことに後悔はしてないよ。退屈でしょうがなかった学生生活が楽しくなったからね。これも、真冬と出会わなかったら味わえなかったから、出会えたことに感謝かな」
顔を赤くして頬をかきながら言うが、顔を赤くしているのはきっと夕日に照らされているわけではないだろう。
突如、笛の音が校庭に鳴り響く、この音は吉岡理恵の笛の音で「休憩終わりです!」の声も響き渡り、グラウンドに各々が集合していく。
「行こっか」
「そうですね」
宵宮夏美の背中を追いかけながら、やっぱり、趣味でも部活でも新しく始めることは無駄なことではないと思えてしまう。
自分のやりたいことは自分で決める、それはやり直しがきかない人生において後悔をするぐらいなら、やりたい時にやり始めるのがいいと思うからだ。
『始めたことに後悔はしてないよ』
そう宵宮夏美は言った。
桜坂花蓮は水泳をやらないつもりで高校に入ったが、紆余曲折あってやり始めることにした水泳部。
自分も、同じことを言えるようになりたいと思いながら、ランニングを始めた。




