仕儀、さらに混沌へ
「…ルム、アルム」
目を開けると、ぼんやりとした視界にシェリルの顔が映った。シェリルの頭上の電球の白い光が目に痛い。
「シェリル…」
「起きたか」
シェリルは安堵のため息を漏らして体を起こした。心なしか少しやつれているようにも見える。
「ここは?」
「ティリエの病院」
シェリルはそう応えると俯いて目頭を押さえた。その様子に、アルムは眉をひそめて尋ねる。
「大丈夫?」
「ああ。…お前こそ平気か?」
「オレは何とも……あ!…そうだ、シェリル……オレ、オレはシェリルを――」
「何ともない」
途端に慌て始めるアルムに、シェリルは手を上げて彼を落ち着かせる。しかし彼の分厚いコートの下には何重にも巻かれた包帯があるのだった。
一方アルムはゆっくりと起き上がり、部屋を見渡す。白くて清潔感のある部屋だ。隣のベッドには、リリーが寝ている。
「リリーはどうしたの?」
「ああ。リリーは…お前と同じだ。突然暴れて、突然倒れた」
「一体、何が…」
アルムの言葉に、シェリルは眉をひそめて俯いた。
「これは…俺の推測だが…」
「シェリルの推測…?」
「ああ。あの村の焼け跡から出ていた煙、あの中には精神を狂わす物質が含まれていた、って俺は思う。村の爆発か何かは、外部の仕業だろう…」
「その煙を吸ったから、オレはアレを見たってこと?アレは、幻…?」
アルムは呟いた。
真っ白な世界で、絡まってくる白い腕と奇妙に笑うルティ。それは、幻というにはあまりにも生々しかった。
「…アレ?」
「何かは、分からない。凄くリアルで怖い世界だった。本当に殺されると思って…。シェリルは見てないの?」
「俺は何も。被害があったのはお前と、リリーだけだ」
「リリーは何が…?」
シェリルとアルムは、隣のベッドに眠るリリーを振り返る。
「こいつは、お前がルティに切りかかる前に突然俺の首を締めてきた」
「リリーも、何か見たのかな」
「さあな」
「だけど、シェリルには何も起きなかったのって…?」
アルムが眉をひそめると、シェリルはズボンのポケットから何かを取り出した。彼の手の平には、飴玉の袋があった。
「…それは?」
アルムは首を傾げて彼を見る。
「俺はこれを食べていたんだ。精神安定剤入りの飴玉。ティリエの街を出る時に追いかけてきた女性の子供から貰った」
「その子供が…どうしてそんな飴玉を持ってるの?」
「話せば長いが…」
シェリルが躊躇うとアルムが促すように頷き、シェリルはゆっくりと話し出した。
「先の十年戦争で、その子供は親を目の前で亡くしたんだ。だから彼は精神的に少し不安定で…。彼の今の親は、子供に与える精神安定剤を不審がられないように改良した。それがこの飴玉らしい。…さっき、あの女性に連絡をして確認するまで俺も知らなかったが…」
「不安定になる度に訳の分からない薬を飲まされるなんて、小さな子供には理解出来ない。だから納得して飲んでくれる飴玉にした、って訳か」
アルムはその両親の案に感心して、何度も頷く。
シェリルも彼と同じように頷きながら苦笑していた。
「まさか俺までそれに助けられるとはな」
「うん。でもシェリルだけじゃない。シェリルがそれを飲んでくれたから、オレたちは殺し合いにならなくて済んだよ」
「ああ…また礼でも言いに行くか」
「うん。…だけど、ラルク村がどうしてこんな事になったか、調べたいね」
アルムはそこで一つため息をついた。
「…誰の仕業か分からないけど、絶対に許せない」
アルムはそう言いながらも、頭の中では幻に見たルティの言葉を思い出して不安に押しつぶされそうになっていた。
(街道で発動したガードの呪文は無意識だった。それに、爆発直前の記憶も無い。本当にオレは…村を無意識に消したのかもしれない…。そして、犯行後に自分の記憶も消した…?)
アルムはそこまで考えて不安な気持ちを押さえ込んで頭を振る。
余計なことを考えるのは止めよう。考えたって何も分からないのだ。
「すみません」
暫くして、病室の扉が叩かれた。
そして開いた扉から、青髪の看護士が姿を現した。
「ラルク村についてお話したいと、ギルドからブレイザーの方がいらしてます」
「何か分かったんですか?」
ギルドという物は分からなかったが、アルムは思わず少し腰を浮かしながら尋ねていた。
「いえ、私は承知していません」
看護士は首を振った。
そして、アルムとシェリルを一瞥すると僅かに眉をひそめた。
「…ラルク村のこと、心中お察しします。…私は、これで失礼します」
そう言って、彼は何度も頭を下げながら出て行った。その看護士と入れ替わるようにして、ギルドのブレイザー(会員)が病室に入って来た。
巨体で四十代くらいの男と、細くて小さい二十代くらいの男だった。
「シェリル・ムートンはいるか。ラルク村に関しての報告書だ」
大男の方が、分厚い書類を出しながら言った。その体から想像できるように、太く低い声だった。
「あ、俺です」
「君か。この度はご苦労だったな。…む、彼は?」
シェリルに書類を渡しながら、男はアルムを見下ろした。
アルムはそれに何と答えるべきか分からず、助けを求めるようにシェリルを振り返った。だが、顔を合わせた彼も難しい顔をしただけだった。
しかし黙っているのは失礼かと思い、やがてシェリルは渋々答える。
「こいつは…身元不明で、記憶喪失です」
その言葉を聞いて、当然男はあからさまに不審そうな顔をする。しかし――
「そうか。…個人情報は役所に行っても調べてもらえんだろうな。ならばギルドで調べておこう」
「え、良いんですか?」
アルムは思わず男の方を勢いよく振り返った。
「君も何かと不都合だろう。記憶を無くすとは…珍しいな」
アルムは唇を噛んで俯く。
やはり、疑われているような気持ちがあった。そのような言葉を受ける度、彼自身も自分を疑わずにいられなくなる。
「まあ君の記憶も大切だが…読めたか」
男は太い木の幹のような腕を組みながらシェリルを見た。
シェリルは渡された書類を読み終わったようで、それを男に返して顔を上げる。
「はい。発生していた煙にやはり精神錯乱の物質が含まれていたということ以外、特に詳しい情報は書かれていませんが」
「目撃者の女性に訊いてみたんだがな。少々ズレたことを言って…結局分からん」
男は唸りながら頭を掻いた。
アルムとシェリルは、ルティのことを思い出して力なく笑った。
男はそんな二人に構わず先を続ける。
「君はあの村に住んでいたんだな?あれほどの爆発だ。何か引火しやすい物を貯蔵していたということは無いのか?」
「あるといえばありますが、牧場用の干し草くらいです。村が無くなるほどの規模で爆発する原因になるとは思えません」
シェリルの言葉を聞いて、男は低く唸る。
情報が少なすぎて、余計に当惑するのだろう。
「あの、被害状況はどうなんですか?」
アルムがおずおずと聞く。
すると男はギョッとしたような顔をして、遠慮がちに言った。
「…今のところ、君たち以外の村人全員は…死亡ということになっている」
その瞬間、アルムとシェリルはガックリとうなだれる。それは何となく想像していたことだったが、やはり一抹の希望を捨てきることが出来ていなかったのだと改めて痛感する。
男は彼らの様子に眉をひそめるが、更に言葉を続けた。
「その隣のベッドにいる彼女もラルク村出身なんだな?回復したら、一度全員でギルドに来てほしい。君の…名前だけなら分かるか?」
「あ、アルムです」
「うむ。了解した。アルムの記憶、ラルク村、こちらで出来る限り調査しておく」
「ありがとうございます」
アルムとシェリルは同時に頭を下げる。
その姿に気恥ずかしさを覚えたのか、男は頭を掻いて目線を逸らす。
「まあ、これがギルドの仕事だからな。…ああ、紹介が遅れたが俺はドルフ・オーグだ。こっちは部下のサント・ニグルス」
彼の隣にいたサントは、紹介された瞬間にビシッと足を閉じて敬礼をする。
「下っ端ですが、サント・ニグルス、ギルドでお待ちしております!」
「…まあ、威勢だけは認めてやってくれ」
頭を抱えるドルフと力強く意気込むサントは、対照的にもなかなか良いコンビのようである。