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第29話.異常な警備体制


 店内の空気はどこかひんやりとしていて、外の乾いた風がドアの隙間から微かに流れ込んでくる。外の喧騒が遠くにぼやけ、今この場だけが切り取られた異空間のように静まり返っていた。


「おい、ヘンリー」


 重く沈む空気の中、ジェイドが口を開いた。その声は、軽く笑うような響きを帯びながらも、その奥にどこか鋭いものが潜んでいる。


「わかってるとは思うが、俺の妹に嘘やごまかしは通じないぞ」

「どういうこと?」


 不穏なやりとりに、ハリエットは眉を寄せた。


 ジェイドの表情にはどこか含みがあり、それを受けたヘンリーの顔にはあからさまな苛立ちが浮かんでいた。その様子を見て、ハリエットは直感する。


 彼は何か重大な事実を隠している――いや、隠さざるを得ない事情があるのだと。


 ヘンリーは苛立たしげに前髪をかき上げると、左手をズボンのポケットに押し込み、普段の彼らしくない、どこか気だるげな仕草で長い息を吐いた。


 目線を少し落とし、ためらうように沈黙を作る。


 言いにくいことがまだあるのか?


 ハリエットがそう問いかけようとした矢先だった。


「――うちの警備が二人、やられた」

「やられた?」

「……美術品の警護にあたっていた者が殺されたんだ」

「殺された……」


 その言葉が店内の静寂をさらに深くした。空気が固まり、時間が止まったような感覚が広がる。


「……ジェイドにはもう話したが、昨晩遅く。ティアーズの美術品保管倉庫、地下の保管室で侵入の形跡があった。かなり厳重なセキュリティを施してある場所だ。だからこそ、内部の犯行が疑われたが、現在のところ、非番の従業員を含めてすべてアリバイが成立している」


「誰にも成し遂げられない犯行……」


「警備にあたっていたのはベテランの二人組。定時の見回りの後の引継ぎの時間になっても姿を現さなかったので、館内を捜索した結果、警備ルートとは別の通路で遺体が発見された。警察がすぐに呼ばれ、ことが事だけに今のところ公表は控えられている。だが、今日中には会見が開かれるだろう」


 冷たい指が背筋をなぞるような不気味な感覚が、ハリエットの身体を駆け巡る。


「……なんてこと」


 厳重な警備の中にも関わらず、アルフレッドが探して求めていたあの指環が誰かによって盗まれた。ただ盗まれただけではない。二人の人命が失われたのだと知り、ようやくヘンリーに対する過度の警備が納得いく。


 おそらく事件は、まだ終わっていないのだ。


 警察は盗まれたオークション品に関わる人物を、一人残らず徹底的に調査しているらしい。ヘンリーはそう言って、憂鬱そうに床へ視線を落とした。となれば、遅かれ早かれ、オークションの下見に訪れたハリエットたちにも警察からの連絡が入り、聞き取り調査を受けることになるだろう。それは想像に難くない。


 窓の外では黄昏色の光が通りを淡く染め、道行く人々の影を長く引き伸ばしている。だが、ここにはその温かみは届かない。ただ静寂が支配し、外の喧騒が遠く霞んでいるようだった。


「どうにもきな臭い事件だ」


 ヘンリーはそう呟くと、苛立たしげに前髪をかき上げた。指の間を滑るように流れる髪の隙間から、険しく寄せられた眉が見え隠れする。


「僕が気がかりなのは、フェレイユ社に関わる最近の一連の事件だ。新聞の紙面を賑わせている、あの騒ぎと今回の事件――関係がないとも言い切れない」


 深い嘆息が、彼の胸の奥からこぼれ落ちる。まるでその重みが空気ごと押し沈めてしまうように、ハリエットは息苦しさを覚えた。


「ハリエット。できれば君を巻き込みたくなかった」


 ヘンリーの声は低く、いつになく感情を滲ませていた。


「だから、事件が解決するまでじっとしていてほしい」

「じっとしているも何も……」


 ハリエットは僅かに目を瞬かせる。


「私にできることなんて何もないわよ」


 自嘲するようにそう零した瞬間、ヘンリーが迷うような仕草を見せながら、そっとハリエットの両手を掬い上げた。温かくも強張った指先が、僅かに震えているように感じる。


「なに……?」

「君があの男に関わるきっかけを作ってしまった自分が、許せないよ」

「え?」


 その意味を問いただそうとした瞬間だった。


「――僕が、なんだって?」


 不意に、まるで空気の隙間からすり抜けてきたかのように、音もなく響く声があった。


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