第22話.囚われの心
十年前、近くのアパートに引っ越してきたミレーユは、明るく人懐っこい少女だった。庭先で初めて顔を合わせたその日から、ハリエットとミレーユはすぐに打ち解けた。
「こんにちは! そこのアパートに引っ越してきたミレーユよ。お母さんが同い年だって言ってたの。よろしくね」
初対面からまるで旧友のように親しげな笑顔を向けるミレーユに、ハリエットは戸惑いながらも次第に心を開いていった。近所に同い年の女の子がおらず、男の子たちと遊ぶことが多かった彼女にとって、ミレーユは初めて心を通わせることのできた同性の友達だった。学校でも休日でも一緒に過ごし、やがて秘密を打ち明け合うほどの親しい仲になった。
ある日、庭先でいつものように遊んでいるとミレーユが突然切り出した。
「ねえ、ハリエット。特別な秘密の交換をしない?」
「特別?」
「うん。誰にも言ったことのない秘密。絶対誰にも知られちゃいけなくて、絶対誰にも言わないって約束を交わす、一番の秘密の交換。お互いに一つずつ打ち明けるの。どう?」
ハリエットは少し戸惑いながらも、ミレーユの提案を受け入れた。ミレーユが話したのは、母親の大切な指環を失くしてしまった話だった。
「本当は、触っちゃいけないって言われてたの。母さんの宝物だったのに……」
指環を失くしたことをひどく後悔しているミレーユは、涙を浮かべていた。
「正直に言ったら許してくれるかもしれないよ?」
ミレーユの肩をさすりながらハリエットが提案をすると、ミレーユは泣きじゃくりながらこう言った。
「でも、言うのが怖いし、きっと母さんにはひどく怒られるわ。許してくれないに決まってる。だって……、父さんが母さんにプレゼントした、大切な指環だったんだから」
それ以上慰めの言葉が見つからず、ミレーユが泣き止むまでハリエットは隣で背中をさすっていた。しばらくして泣き止んだミレーユが、真っ赤にはらした瞳をこすりながらハリエットに問うてきた。
「あなたは?」
自分の一番の秘密を打ち明けたのだから、交換にあなたも話して、と促されハリエットは迷った。母が用意してくれた綿の手袋をはめた手で木の枝を拾い、地面に絵をかきながら悩む。
――ミレーユは一番の秘密と言った。
誰にも絶対に知られちゃいけなくて、絶対誰にも言わないと約束を取り交わす、一番の秘密。
急かされるように促され、ハリエットはとうとう答えてしまった。
「わたし、時々。……手袋を外して何かとか、人に触れると、その人の気持ちがわかることがあるの」
ミレーユは最初、冗談だと笑った。しかし、ハリエットは真剣な表情で答える。
「本当だよ。証明してみせようか?」
ハリエットはミレーユに、失くした指環がどこで最後に見たものなのかを尋ねた。ミレーユは困ったように思い返しながら、部屋で遊んでいた時が最後だったと言う。
「その場所に行ってみよう」
ミレーユと一緒に彼女の部屋に向かったハリエットは、不安と期待半々といった様子のミレーユに尋ねた。
「最後に使ったのはここだったのね」
「うん。でも、随分探したけど、見つからないの。落としてベッドの下に転がり込んだのかも、って思ったんだけど。どうしても見つからなくて」
もじもじとワンピースの前で指をこすり合わせるミレーユから視線を外し、ハリエットは彼女のドレッサーを見た。パッと目に入ったのは小さな玩具の口紅だった。
手袋を外して手に取った。
一瞬、ハリエットの視界がぐにゃりと歪み、テレビのチャンネルを変えたように鮮明に映像が浮かび上がる。
綺麗な透明な石のついた金色の指環を小さな指にはめた彼女が、うっとりとした表情で鏡に映り込んでいる。ぶかぶかで大きすぎる指環を右手の中指につけながら、頬を手に当ててポーズをとっている。
ミレーユは体を突然ビクつかせ、指環を急いで指から外して隠すように鏡の下の隙間に押し込んだ。ピンク色のポーチで前を塞ぐ。
そこでぷつりと映像が途切れ、ハリエットはミレーユに揺さぶられるとハッとしてドレッサーの上を探した。そこはもう探したの、と残念がる彼女を無視して、四つん這いになってドレッサーの下を見れば、壁とカーペットのほんのわずかな隙間にきらりと光るものが見える。
目を凝らすまでもなく、指環だった。
「探していたのは、これ?」
ポケットに入れていた手袋をはめ直して指輪をそっと摘まみ上げて見せると、ミレーユの目が見開かれる。
「う……ん」
「見つかって、よかったね」
はい、と差し出すと、ミレーユは軽く身じろぎをした。どうしたのだろう、と思って首を傾げれば、信じられないという顔で指環を見つめていたミレーユの表情が、次第に恐怖に変わっていった。
成長を経て、ハリエットはミレーユと次第に疎遠になっていった。それぞれ付き合う友達の種類も異なっていたし、言葉にこそ出さなかったが、今思えばミレーユはその時から次第にハリエットを避けていたように思う。
大きな転機はハリエットが十五歳になった時に訪れた。
「ねえ、ハリエット。お願いがあるの。」




