第19話.運命の采配
再び静寂が訪れた署長室の中で、アシェンフォードの大仰なため息が聞こえた。
「事件でも?」
ヘンリーが問いかけると、アシェンフォードはどっかりと椅子に腰を掛け、無造作に回転させながら眉間に深い皺を寄せた。
「厄介ごとの最中に、さらに厄介ごとか。くそったれめ」
悪態をつくや否や、アシェンフォードは勢いよく椅子を回転させ立ち上がると、机の上の電話機に手を伸ばし、受話器のコンセントを根元から引き抜いた。赤く点灯していたランプが消え、電話機はただの無機質な物体となり果てた。
「盗聴だ」
「……はい?」
予想外の言葉に、ヘンリーは困惑した表情を浮かべた。
「どこかの馬鹿たれが、所内の電話を盗聴していたのだとよ!」
アシェンフォードは受話器を手に取り、指で強調しながら声を荒げた。その後、ガンと音を立てて受話器を元の位置に戻す。
「厄介ごとの上にめんどくさい事案まで、俺を過労死させる気だな。警察内部の電話が全て盗聴されていただなんて外部に知れたら、間違いなく首が飛ぶ」
苛立ちを隠せない様子で言い捨てるアシェンフォードだったが、ふとヘンリーに顔を向けた。
「どうするつもりだ?」
不測の事態が重なるタイミングに、何かを掴んだような彼の眼差しがヘンリーを捉える。
ヘンリーは机の上の手紙に目を落とし、静かに言葉を紡いだ。
「中止にしないと会場を爆破する、と犯人は言いました」
「その通りだな」
「では、犯人はどうやってオークションが中止になったことを知るんでしょう? 新聞の紙面で確認するつもりなのでしょうか? 記者にトップ記事を書かせる予定は?」
「――ない、今のところは」
アシェンフォードの答えを受け、ヘンリーはティアーズの建物を思い浮かべた。二五〇年の歴史を刻む、石造りの重厚な外観。眼鏡のような形をしたアーチ型のガラス張りの正面玄関。ティアーズの銘を掲げた壁面を見上げても、中の様子を伺い知ることはできない。
「……、うちは、非公開の会員制のオークションハウスです」
「ひいひい爺さんの代からな」
アシェンフォードは何かを悟ったように頷いた。
「出入りの業者はもちろん、搬入、搬出の全てが細やかな身元チェックによって管理されています。閉鎖的であることが、ティアーズの持ち味なのです」
「だとすると、外部ではなく内部の犯行という線が強いと言いたいのか?」
ヘンリーの言葉に、アシェンフォードは険しい表情で黙考する。閉ざされた中で運営されるティアーズ。その秘匿性の高さが、逆に状況を一層複雑にしていた。
そもそもティアーズの非公開性は非常に高く、一般のオークション客が入場するには、よほど強力なコネクションが必要だった。その「強力なコネクション」を思い浮かべる途中で、ヘンリーは彼らのことを思い出した。
「……。僕は今回、特例的に二人の人間を内部に入れました。一人は旧知の仲ですが、もう一人は――」
脳裏をよぎるのは、へらへらと軽快な笑みを浮かべ、ハリエットの隣で気安そうに話していた金髪碧眼の男。その瞳は青に緑が淡くかかった特徴的な色をしており、そこそこ整った顔立ちだった。
先日、ハリエットの骨董店に「客」として現れたその男は、あっという間に彼女の隣に居座り、軽妙なやり取りを繰り返していた。夕食を共にした席で、いちいちハリエットに突っかかり、彼女の目に怒りの火を灯していた光景が命に浮かぶ。それを目にした瞬間、腹の底が煮えくり返るような感情に苛まれたのも記憶に新しい。
(いや、そもそも……どうして彼はハリエットの店に?)
ヘンリーは思考を巡らせた。
(あの男が探していたのは――、フェレイユ社のオパールの指環だ)
脳裏に蘇るのは、白い銀河のうねりの中に星が瞬くような輝きを持つ指環だった。
フェレイユ社の本物の宝飾品シリーズを買い集めている自分にとっては、模造品は価値がないと判断しジェイドに売り渡したもの。
それがあの男――アルフレッドを引き寄せた鍵だった、としたら。
アルフレッドはオルデンに来て以来、ティアーズへの潜入を試みていたが失敗続きだった。入札に参加したいという旨の封書が届いていたことは知っているし、知人の参加者から問い合わせがあったのも事実だ。けれど、ティアーズの厳格さをよく知りもしない新参者ものに侵されるわけにはいかない。
世界最古の老舗のオークションハウスとして、それは断固として阻止すべき事項だった。
(再三やってくる問い合わせを突っぱねているうちに、ついぞ聞かなくなっからあきらめたかと思ったんだが)
彼はアストリカから望み薄なのにもかかわらず、オルデンへやって来た。
ティアーズに入れないかわりに彼は骨董店、宝飾店、貴金属の買取店、質屋などを片っ端から巡り歩き、フェレイユ社のオパールの指環を探し続けていたという。どんなに粗悪な類似品でも見つければ即座に買い取り、その行動は執念じみたものだった。
もし彼がたまたまマルグレーン骨董店で、ヘンリーが不要と判断して手放したあの指環を目にしたのだとしたら。そして、それが偶然にも彼をハリエットの店に呼び寄せたのだとしたら――。
「ヘンリー? どうした、顔色が悪そうだが」
アシェンフォードの声が現実に引き戻したが、ヘンリーの頭はひどく混乱していた。
アルフレッドの異常な執着と行動力――アストリカからオルデンまで、無駄を承知でわざわざ足を運び、少しでも可能性があればしがみつく根性。
それに巻き込まれたのが、運悪くハリエットで、渡りに船を得たのがアルフレッドだった。
《《自分が放棄した不用品が両者を結び付けた》》、のだとしたら。
全てが繋がった瞬間、ヘンリーの内臓がねじれるような感覚が襲う。
「――吐き気がする」
自分の考えなしの行為によって、彼女をみすみす狼の前に放ってしまったのだと気づいた瞬間、ヘンリーは愕然とした。
金蜜色の髪に、まだ幼さを少しだけ残した彼女の面影が脳裏をよぎる。
ハリエットがもし、何かの事件に巻き込まれてしまったら――。
その考えが胸を締め付けるような痛みを伴って、ヘンリーの中に広がる。彼女の無垢な笑顔を思い浮かべるだけで、喉が詰まりそうだった。




