恋慕っている婚約者が聖女と結婚することになり、婚約破棄されることとなりました
「あの、お・・・お父様、も、もう一度、お聞かせいただけますか?」
思わず震える声に力を入れようとしたけれど、上擦るばかり。
(これでは貴族の令嬢として、胸を張って立つことなどできないわ・・・。)
なんて、そんな些末なことを考えていないと、意識を手放してしまいそうなほどの衝撃が頭を襲っている。
先ほど夕食を家族で楽しく食べていたら、神殿から早馬の知らせがきたとお父様が慌てて執務室へ駆けこんでいった。
この地は辺境にあり、王都の神殿から火急の知らせが来ることも少なくない。
ただ、辺境とはいえ隣国との国境にはどちらからも越え難い高い山脈が連なり、軍事的な危機というものにはほぼ無縁。
魔獣討伐が主な役割だ。
穀物の生産量はそう悪くないが、何か資源があるわけでもない辺境ダビー。
魔獣を狩り、その素材を交易品として領民が暮らしている。
土地に旨味はないが、常に魔獣との前線地であることから、兵士を育てるには最適。
それゆえ、王家からも信頼が厚い場所だ。
国内の魔獣の発生は王都の神殿で観測されているので、魔獣の大量発生やその予兆など、逐一連絡が来る。
きっとその知らせだと私は勝手に思っていた。
いや、いつもそういう報せしか来ないからそう思っていた。
だから自分自身に纏わる事柄だとは思いもせず、夕食のデザートを美味しく食べていたのだ。
しかし、現実は予想外。
私はお父様の執務室に呼ばれ、とんでもない話を聞かされてしまった。
「ああ、わかった、もう一度言おう。」
お父様のお声も今まで聞いたことがないほど、震えている。お父様の側に掛けているお母様は、お父様と私の両方を心配そうに見て、目を伏せた。
私を見つめていたお父様は何かをこらえるように奥歯を噛みしめ、そして手元の手紙に視線を落とした。
「『【第二王子ギルフォード・フォン・フォルティアを聖女の力を持つものの伴侶に】と女神から啓示がもたらされた。よって、第二王子ギルフォード・フォン・フォルティアと辺境侯ダグラス・ダビーが息女ユエリシスとの婚約は破棄とすることを神殿は宣言する。』辛いこととは思うが・・・神殿からの急ぎ届けられた書簡だ。」
吸った息が体に入ってこない。こういう時は吐く息を長くするのだと思い出して、そのようにする。余計なことを考えて意識を保ち、再度読み終えて私を見つめている父上に視線を合わせた。
女神さまからの啓示・・・。
女神さまからの・・・。
震える唇が上手く動かせない。
「・・・はい、承り・・ました。」
必死で出した声は随分か細くて、なんて情けないんだろう。
お父様は手紙を机に置き、「・・・そうか。」と小さく言う。父の側で座っていた母が静かに立ち上がると、私の側に来て優しく抱きしめてくれた。
こうして抱きしめて貰うのはいつぶりだろう。
16歳の成人を迎えたばかりの私には懐かしく、つい縋り付いて幼き日のように涙を流した。
お父様が神殿へ親書を受け取った旨の返事を書き、急ぎ使者を出発させると、この領主館で働く者たちへ神殿からの知らせを周知した。
みな、一様に沈痛な表情になる。
それもそうだろう。
ギルフォード殿下は幼い頃から夏になると4週間ほどこちらに滞在し、兵士とともに訓練をしたり、魔獣討伐にも参加していたからだ。
殿下は、幼い頃から整った顔立ちをしていた。
艶のある黒髪に、王家男児特有のコバルトブルーの瞳。
生まれ持ったカリスマ性を発揮しつつも、少々不器用な優しさが年相応の男の子を感じさせて、みな殿下を慕っていた。
私と同い年の第二王子殿下。
だから、私と殿下の婚約が決まったときは領内がお祭り騒ぎになったのだったと思い出し、苦笑いする。
あの第二王子が次期領主と決まったのだから大歓迎に決まっている。
私だって、どれほど嬉しかったか・・・・。
それが無かったことになるのだ。考えるだけで気が重い。
そんな気持ちのまま部屋に戻り、気づけばいつも通りの夜のように湯につかり、寝支度をしていた。
椅子に座り、侍女に髪を梳かしてもらっている。
(ぼんやりしすぎね・・。)と思わず、ため息をついたら侍女のカノンが私の腰まである銀色の髪を梳かしながら声を掛けてきた。
「マジ衝撃ですよね~・・・自分、ビックリしすぎて、新手の詐欺ならいいのにって、祈ってるところです。」
私と同様に、深くため息をつくカノンは私の2個上。
辺境騎士団の副団長の3番目の娘だ。肩で切りそろえられた栗色の癖のある髪と同じ色の瞳を持つ、私の侍女兼護衛。
幼い頃は遊び相手をしてくれた、姉のような友人のような存在。
カノンの言葉にうつむいてしまったようで、さらさらと銀の長い髪が頬を滑る。
そんな私の髪をすくい上げ、カノンが優しく梳かした。
「ま、でもこれで、聖女さまが召喚されるの確定ですね。それに関しては歓迎です。魔獣の強さが増してきていますし。」
「そうね、それは本当に私も歓迎しているの。」
20~30年に一度、女神さまに遣わされた聖女さまがこの世界へ舞い降りる。
それは、この世界に自然発生する瘴気を払うためだ。
瘴気が溜まると魔獣の勢いが増し、土地は瘦せていく。
大昔、瘴気に苦しむ人々を見た女神さまが憐れに思い、聖女さまを呼んでくださったのだとか。
魔獣対峙の最前線であるここ辺境では、何よりも重要な事柄。
そのタイミング次第で、魔獣討伐時の被害が全然違うのだ。
だから、聖女さまの召喚はビッグニュースでもある。
そうなれば、私の婚約破棄については、多少残念ムードだけで済むかもしれない。
(・・そうだといいな・・・。みんなががっかりするって、わかっていますからね・・・。)
カノンが髪を梳かしていた手を止め、櫛を側のテーブルに置くと、「・・やっぱり、詐欺?」と小さく呟いた。
「カノン?」
私が不思議に思って振り返ると、カノンが肩をすくめて天を仰いだ。「ドアは閉めないでくださいね?マジ出禁にしますから。・・・全くなんて時間に来るんだ。」と悪態をつくようにそういうと、クロークに向かい厚手のコートを手に戻ってくる。
私は立ち上がり、薄いナイトドレスの上からそれを羽織った。
「前ボタン、上から下まで全部留めましょうね。私しか外せないように固定魔法もお掛けしますので。」
ふくれっ面でそんなことを言うカノンに、胸がざわめく。
カノンがそんな態度で接する相手を、私は一人しか知らないからだ。
目を丸くしている私に、カノンは苦笑して告げた。
「お嬢様、30分したらお茶をお持ちしますから、何かあったら迷わず急所ですよ?」
言葉とともに、何かを蹴る仕草をして見せるカノン。
「カノンったら・・・。」
私が肩をすくめて笑ったのを見て、カノンは部屋を出ていく。ドアは全開で。あ、閉められないように、固定魔法まで・・・。
その途端、背後に人の気配が生まれた。
「まったく、オレを何だと思ってるんだ、あの侍女は。・・・助言が不吉すぎるだろう。」
ここしばらく聞いていなかった、耳に心地いい声に慌てて振り向いた。
「ギルフォードさま!?」
フードを外しながら「元気だったか?」といつも通りに声を掛けてくるその人に、言葉が出ない。
お忍びなのだろう、フード付きのマント姿。
それでも顔を出してしまえば、目を奪われる美しいギルフォード殿下。
(いえいえ、あなた様との婚約破棄を告げられて、元気なわけ・・・・。)
「・・・・っ。」
思わず言葉に詰まれば、ギルフォードが私を見つめたままゆっくり側まで来てくれる。
「そうか、元気がないか。よし、そうでなくてはな。」
なぜか満足そうに頷いて、私の頭を撫でた。
その言いようにムッとして頬を膨らませ殿下を見上げたら、殿下は少し驚いた後、私の鼻をそっとつまんだ。
すごく優しくつままれて、全く痛くはないが淑女として扱われてないことは明白だ。
「ふぁっ・・・何を、なさるんですか・・・!」
私は少し顔を引くだけで、その手は離される。慌ててガードするように両手で鼻を隠したら、殿下は少し怒ったように言う。
「夜なんだから、そういう可愛い顔をするな。久しぶりに会えたこっちの身にもなれ。・・・まったく、オレはここに、急所を蹴られに来たわけじゃないんだぞ。」
可愛いと言われ動揺してしまい、後半がよく聞こえなくて聞き返そうと思ったら、「ふっ・・」「くくっ・・」と微かに、天井の方から複数の笑い声がしたような・・・?
私と一緒に天井を見上げる殿下が「あいつら・・」とうっすら頬を赤くして、毒づいた。
なるほど、本日は王家の護衛の方が側にいらっしゃらないと思ったら、天井からの見守りだったのですね。
この場に私と殿下だけではないということがちゃんと認識できたおかげで、気持ちが落ち着いてきた。
「ギルフォード殿下、ご機嫌麗しゅう。」
少し後ろへ下がり挨拶をして、カーテシー。
このぐらい離れているのが、婚約者ではない相手への距離だ。
いや、そもそも、夜分遅くに令嬢の私室に足を踏み入れてる時点で、婚約者であったとしても距離感は間違っていると思うのだが、王族はそういうのも許されるのだろう。
(うん、よく知らないけど・・・たぶん。)
そんな私に、殿下は小さくため息をつく。
「悪かった。もう鼻をつままないから、こっちへ来い。」
少し寂しそうな声でそう言って、ソファーへと手招きしてくる。
二人掛けのソファーに殿下が先に座り、隣に座れと言わんばかりに座面を軽くたたいて見せた。
いつもの癖で、指示されるまま隣りに腰を下ろす。
すると殿下は私の髪をひと掬いして、指に絡ませた。
出会ったころから、殿下がする癖のようなものだ。
私の髪が気に入っているのか、会うたび、寄り添うたび、結っていないときは必ずそうされる。
無理に引っ張られたことなど一度もないので、いつもされるがままだ。
とても心地良く幸せな気持ちになるので、今日ばかりは・・・やめて欲しい。
だってもう、婚約者ではないのだから・・・。
何だか胸が苦しくて、膝の上で握っていた自分の手に力が入った。
「聖女の召喚は一週間後だ。」
殿下の短い言葉に、頑張って微笑んで返事をする。
「嬉しいです。これで魔獣の被害が減ります。」
辺境では死活問題だ。聖女さまの召喚は何よりも嬉しい報せ。
そう・・・私の婚約破棄など嘆いてはいけないのだ。
「ああ・・・ここ数か月、ダビー領から報告される死傷者の数が増えてきてたからな。」
このダビー領からの報告をきちんと把握してくれている殿下に頬が緩む。
そんな私に、殿下も表情を和らげた。
「王家からは、婚約破棄の要請がきてないだろ?」
そういえば・・・来たのは女神さまの啓示を受けた神殿からだった。
私が小さくうなずけば、殿下も頷き返してくれる。
「父上のところにも神殿から要請がきてな。それを知った兄上が、返事を保留にしてくれている。」
「返事を保留・・・ですか?」
「ああ、内政干渉に当たるとの理由でな。まあ、他にも理由はあるが・・・。」
殿下が言葉を続けるか思案しているようなので、先に返事を出す。
「分かりました。王家の指示を、待ちます。」
私の返事に、殿下が少しほっとしたように頷いた。
「そうしてくれ。これから辺境侯にもその旨を伝えてくる。」
そう言って殿下が立ち上がるから、私もゆっくり腰を上げる。
そしてハッとした。
「え!?お父様に会うより先に、ここに、来られたのですか?」
私の言葉に、殿下が苦虫を噛みつぶした顔をする。
「当たり前だ。こんな時間にお前に会わせて貰えるわけないだろ?こっそり来たに決まってる。辺境侯に用件を伝えたら、オレはそのまま王都へ戻らねばならない・・・だからしょうがなかったんだ・・・。」
また、天井から微笑ましそうなくすくす笑いが小さく聞こえる。
(つまり、私に会いに、来てくれた・・・?)
目の前には照れくさいのか、ふくれっ面の殿下。
その耳が・・・とっても赤いです・・・。
(ああ・・もう・・・。)
「ふふ・・・ありがとうございます。」
思わず笑ってしまえば、殿下は軽く息をついてから私の耳元に顔を寄せた。
あまりの近さにびっくりして震えれば、耳に優しくて甘い声が掛けられる。
「ユエ、また会いに来る。」
「・・・はい。」
きっとそれは、叶わぬだろう・・・・。
わかっている。
だって殿下は聖女さまの伴侶となるのだから。
それでも、この言葉に縋って生きていくのも、悪くないかもしれない。
だってもう、ずっと、出会ったときから、恋い慕う相手なのだから。
こんな恋ができたのだからきっと幸せ。
貴族の令嬢で、その上跡取りでもある私が、恋をしてその相手と婚約できていたということが、そもそも奇跡だったのだから。
最後に目を合わせてくれた殿下がゆらりと蜃気楼のように部屋から消えた。
まるで最初からいなかったように。
全てが幻であったかのように・・・・。
私はしばらく立ったまま、動けなかった。
ぼんやりした意識が、階下の騒がしさを捉える。
ああ・・・殿下が訪問なされたのだろう。
開いていたドアから、カノンがお茶のカートを押して入ってきた。
「・・・お嬢様っ!」
すると慌てたように側に来て、ハンカチで私の目元を拭いてくれる。
いつの間にか泣いてしまっていたんだ。
全然気づかなかった。
◇ ◇ ◇
などと1週間、それはもう落ち込みに落ち込んで過ごした。
神殿からも王家からも、何の音沙汰もなく。
お父様は毎日、難しい顔をしていた。
聖女が召喚されるのだ、もっと喜んでもいいはずなのに・・・。
(お父様も・・・・殿下をとても、気に入ってらしたものね。)
殿下の前では言わないけれど、私や母には殿下のことをよく褒めていた。
それがもう・・・通り過ぎた思い出になり、未来に続いていかないことが苦しかった。
そうして迎えた、召喚の日。
昼近くになったとき、突然よく晴れた空に幾重にも虹がかかり、王都の方向の空にはキラキラした光が漂い始めた。
辺境の地からでも目視で見えるのだ、王都はとんでもないことになっているだろう。
私が生まれてからは初めての聖女さまの召喚であるから、こうなると知っていても目で見るのは初めてだ。
圧倒的な迫力で声が出ない。
そして空に浮かび上がっている、国を覆うほどの巨大な魔方陣。
それを見た途端、無意識に自覚する。
魂が知っている。
(ああ・・女神さまの御業だわ・・・。)
それは心が震えるほど美しく、そして、慈悲で溢れている。
ひれ伏し、縋りつきたくなってしまう。
(・・・やっぱり・・・もう、無理なのね。)
女神さまの言うことは絶対だと、心から思える。
殿下は聖女さまの伴侶となる・・・。
それは確定なのだと理解し、心は大きく悲鳴を上げたけど、魂は納得した。
(ギルフォードさま・・・さようなら・・・。)
◇ ◇ ◇
聖女さまの召喚がなされても、そのお方がすぐに瘴気を払う旅に出られるわけではない。
異世界からこの世界に力を貸しに来てくださった方なのだ。
この世界を知り、慣れてから、巡礼の旅は始まる。
だからこそ、いつダビーの地へ来て下さるか分からない。
それまでは気を抜くわけにはいかないのだ。
聖女さまが召喚された日、私は覚悟を決めた。
「お父様、明日から野戦病院へ戻ります。」
召喚の名残で、日が落ちてもまだ外は明るい夕食後、お父様の執務室へ伺いそう伝えた。
そもそも野戦病院から帰ってきたのは、通っている王都の学校の新学期が近づいてきていたから。
でも、魔獣が狂暴化している現状から学校を休学し、領地に残ることも考えていたところだった。
魔獣に対してだけなら、私は戦力になるはず。
心の弱い私は今、少しでも求めてもらえる場所に居たい。
驚いた顔のお父様。
たしかに、気持ちが落ち着いたかと言えばウソだけれど、家でじっとしていてもジメジメするだけ。
私には、辺境の領主の娘として出来ることがある。
母の血を継いだおかげで、治癒魔法もそこそこ得意だ。
前線よりだいぶ下がったところに設置されている野戦病院。
治癒士はどんなに多くても、多すぎることはない。
今は、そういう状況だ。
「・・・・わかった。それは、助かるが・・・。」
父は真剣に私を見て、唸るように言った。
「ユエリシス、絶対に前線には出るなよ?野戦病院までだ。」
私がきょとんとすれば、後ろに控えていたカノンが礼をして言葉を発する。
「お嬢様は、命に替えましてもお守りします。」
真剣なカノンの言葉に、お父さんは神妙に頷き「すまないが、頼む。止めてくれ。」とカノンに言った。
そのやり取りに首を傾げつつ、部屋に戻りカノンの手を借りて、明日野戦病院へ行くための準備を始める。
(私・・・野戦病院を手伝いたいって言っただけ・・よね・・・?)
まるで戦場に向かうかのようなやりとりだったような・・・?
(そうよまるで、私の命がかかっているような・・・・。)
ハッとしてカノンを見れば、沈痛な面持ちのカノン。
それでやっとお父様の真意に気づいて慌てる。
「カノン!あの、私、自暴自棄に、なってないですからね?世を儚んでるとか、ないですからね!?」
誤解されてると思い必死にそう伝えれば、カノンが「え・・・マジですか?」とびっくりした後、「よかった~~~!」と、メイド服のままへなへなと床に転がった。
「えっ?えっ?ちょっと・・カノン、大丈夫?」
慌てて側に行けば、カノンが泣きそうな顔で笑った。
「いやマジ、よかった・・・。お嬢様、すごく塞ぎこんでたから、目を離したら命を絶ってしまうかもって・・・みんな心配してたんです。」
(え!?みんな、みんなって・・・・みんなよね。)
ここのところずっと、領主館の空気が重かったのは、私のせいだったということなのね!?
「それは・・・申し訳なかったわ・・・。どうしましょう・・・すごく恥ずかしい・・・。」
貴族の令嬢として、ありえない大失態ではなかろうか。
熱くなる頬を両手で押さえる。
そんな私にカノンは笑った。
「ははっ!お嬢様は私たちにとって、可愛い妹であり娘であり、孫なんですよ。心配するのは当たり前です!」
「そ、それは、とてもうれしいけれど・・・やっぱり恥ずかしいわ。」
(自分がちょっとぼんやりしてる自覚はあるけれど・・・。殿下の隣に立っても恥ずかしくない、貴族の令嬢を目指していたのに、全然ダメダメだったわ・・・。)
マナーの先生には太鼓判を貰ったけれど、きっとおまけしてくださったのね・・・・。
1人反省していると、カノンが私の手を握ってくれた。
「どうか、お嬢様。いつまでもそのままでいてください。そのままで・・・。」
カノンに姉のように優しい目でそう言われて、困りながらも頬が緩んだ。
「ふふ、きっと私、ずっとこのままね。」
思わずくすくす笑えば、カノンがホッとしたようにニコッと笑った。
うん、なんだか元気が出てきたわ。
もう落ち込むのは、無し。
私は辺境侯ダグラス・ダビーの娘、ユエリシス・ダビーだもの。
みんなのために、がんばりたい。
それは、間違いなく心から思ってることだもの。
久しぶりに感じる心の安寧にホッとして、私は明日の準備を再開した。
◇ ◇ ◇
久しぶりに袖を通した騎士の服は、やはりドレスより身動きが取れて心地いい。
隣に居るカノンも、同じ騎士の服を着ている。
カノンの方が私よりも着こなせているのは、場数の違いかしら。
私が着ると、なんだかちょっと不自然なのよね。
治療の時邪魔にならないように、長い銀色の髪は編み込んで後ろで束ねている。
準備はバッチリね。
玄関へ向かうと、お父様がすでに待っていてくれた。
「学校へは休学の届け出はしておいた。」
その言葉にホッとすると、お父様の気配が鋭く研ぎ澄まされる。
釣られて私は令嬢のような立ち姿ではなく、一騎士のように姿勢を正した。
「・・・辺境騎士団所属、ユエリシス・ダビー!」
「はっ!」
小さい頃から慣れ親しんだ騎士としての返事。
「野戦病院への配属を命ず。一人でも多くの命を救え。」
「全力を尽くします!」
お父様に敬礼してすぐ、私は身をひるがえして玄関を出た。
騎士としての命を受けたら、令嬢ではないのだ。
一騎士となる。
カチッと切り替わった意識が心地いい。
門の外に用意されている
二頭の馬に向かって、歩く。
カノンが一歩下がってついてきている。
馬に手を掛けたとき、違和感を感じて空を見上げた。
「ユエリシスさま、どうかなさいましたか?」
カノンは騎士の仕事をしている時の私に、『お嬢様』と声を掛けはしない。
それが不思議で昔尋ねたことがあったけれど、「騎士のお嬢様はユエリシスさまとお呼びした方がしっくりくるんです。」とよく分からない答えだったっけ。
いや、今はそれより、空だ。
「・・カノン。辺境侯へ報告。南東の方角・・・何かいる。そちらに向かう。」
言うだけ言って馬に飛び乗り、駆けた。
カノンがびっくりして大声を出している。
「ダグラス様、南東の方角に向かいます!至急、応援を要請します!」
カノンの風の魔法が派手に発動した。
館中に大音量で響いたのは間違いないだろう。
そして遅れながらも、カノンが馬に乗って追ってくるのが分かる。
なので安心して、スピードを上げた。
◇ ◇ ◇
馬を駆けて進んだ先に見つけたのは、王家の馬車が2台と20人ほどの騎士が隊列を組んでこちらに向かってきているところ。
(王家と・・・2個分隊・・・・あれでは足りない。)
そのまま近づけば、身構えられる。
その正しい行動に軽くうなずいた。
「私は辺境騎士団所属、ユエリシス・ダビー!騎士は護衛対象の守護に当たられよ!・・・来るぞ!」
騎士たちがぽかんとした後、慌てて馬車を守るように陣形を整える。
それを確認後、私は馬を下り、空を睨んだ。
「ユエリシスさま!」
追いついてきたカノンに告げる。
「馬を頼む。結界を張れ。流れ弾に気をつけろ!」
そう言って体に風を纏い、高く跳ねた。
空中で足場を作り何度か高く飛び上がるころ、それが目視で確認できた。
「ワイバーン5体を確認!殲滅を開始する!」
風でカノンに届ければ、大きな虹色の盾が自分の背後に形成される。
カノンの盾はとても硬くていい。
私は大好きだ。
猛スピードでやってきた1体目を避けて、そのまま盾に向かって蹴り飛ばす。そちらで何かつぶれる音がしたけれど、それを確認することなく2体目へ向かう。
頭を思いっきり殴れば、それは力を失い、真下へ落下した。
離れていた3体目と4体目がこちらに向かって大きく口を開け、火球を吐き出そうとしていたので、空中に足場を作って避けつつ、風の刃を投げつけて首を飛ばす。
最後のちょっと大きめな個体には、首に回し蹴りを入れた。ゆるく力を失い落下していくそれから目をそらし、体の力を抜く。
風の魔法で地面にゆっくり着地して周囲を確認後、カノンに向かって口を開いた。
「殲滅完了。被害を報告せよ。」
「被害なし。ワイバーン運搬に荷馬車の手配をします。」とカノンは答え、手のひらに小さな光弾を作り出すと領主館に向かって放った。
意識を研ぎ澄まし周りを探る。
うん・・・大丈夫そうだ。
「魔獣討伐にご協力いただき、感謝します。それでは、良い旅を。」
守備陣形を取っている騎士たちに対してそう言って敬礼する。
もう用はないと、馬に乗ろうとしたら王家の馬車の扉が開いた。
「待って!見つけた!その人よ!」
飛び出してきたのは、見慣れない騎士の服を着た女性だった。
いや・・騎士の服にしては、布地が薄く重さがない気がする。
深緑の生地に黄色のライン。胸ポケットと帽子には子猫を運ぶ親猫の絵が描かれていた。
(見たことのない騎士団の紋章・・・ちょっとかわいい・・・。)
思わずほっこりしてしまう。
彼女は私を指さし、すごく嬉しそうにこちらに駆けだした。
「ちょっと待て!勝手に馬車から出るな!」
そう言って馬車から現れたのは・・・・。
「ギルフォードさま・・・?」
驚き固まっていたら、カノンが私を守るように立ちはだかろうとしたので、手で制す。
こちらに向かってくる彼女から、殺気は全く感じられない。
(それに、たぶん、心配いらない気がする・・・。)
走ってくる様子がぴょこぴょこしてて、微笑ましい。
その女性がやっと私にたどり着いて、両手を差し出してきた。
「ハンコはいらないから!女神さまからのお届け物で~す。着払いじゃないから安心してね?」
不思議な言葉の後、彼女の手から光の塊が浮かび上がる。
「え・・?」
温かくて懐かしいそれが私の胸にゆっくり向かってきて、私の体の中に入った。
(入った・・・よ!?)
すると、温かな力が体の中を優しく巡り、浸透していく。
【驚かせて、ごめんね。】
優しい声がどこかから聞こえた気がした。
「え・・・ええ?」
戸惑って「え」しか言えなくなってる私の代わりに、こちらに駆け寄ってきた殿下が驚きの声を上げている。
「ちょっと待ってくれ!【聖女の力】の配達って、こんな雑なのか!?儀式は?魔法陣は?ハンコってなんだ!?」
殿下がテンパっている姿を見るのは珍しい。
思わずふふっと笑った。
すると、その女性が殿下に胸を張ってみせる。
「な~に言ってんの~!こっちは配達が本業なのよ?指定時間内にお届け、再配達も必要なし!完璧ね!じゃあ、私、帰るから!・・・あ、責任者の人~!召喚陣だっけ?そこに連れてってくださ~い。」
殿下に言うだけ言って、彼女は馬車に振り返り、次の行動の打診をしている。
「嘘だろ・・・。」と殿下が小さく呟いた。
彼女はとても楽しそうに「終わった終わった~♪ビール♪ビール♪」とウキウキ跳ねながら、王家の馬車へ戻っていく。
(ビールって・・・なんのことかしら?)
訳が分からないので、どうでもいいことを考えて、やり過ごそうとする。
そこで、馬車の中からもう一人男性が降りてきていたことに気づいた。
「聖女様、お仕事ご苦労様でした。神殿へお送りします。」
そう丁寧に穏やかな声で言う人に、息を止めた。
さらさらとした美しい金髪と、王家男児特有のコバルトブルーの瞳。
その端正な顔立ちは、ギルフォードさまより柔らかい雰囲気を持つ。
(第一王子殿下・・・!?って、あの女性が聖女さま、なのですか!?)
彼は私と目が合って、ニコッと笑ってくれた。
「久しぶりだね、ユエリシス嬢。すまないが弟たちを説明役に置いていくから、立ち去ることを許可してくれるかい?」
「そ、そんな、許可だなんて!殿下の御心のままに!」
慌てて騎士の敬礼で答えたら、第一王子殿下は穏やかに微笑んで「ありがとう。」と言うと、あの不思議な女性を伴って馬車に戻り、騎士たちに指示を出している。
私の側に立ったギルフォード殿下が「立ち話で済む話ではないんだ。辺境侯と話をしたい。」と言って、もう一つの王家の馬車に視線を向ける。するとそこからは、従者の手を借りながら、人の良さそうな笑顔の・・・なのに全く隙のないおじいさんが降りてきていた。
仕事の時のお父様に似た威圧を感じて、背筋が伸びる。
そのおじいさんは、私の目の前に来ると威圧を消し、深々とお辞儀をしてくれた。
「女神さまの導きにより、聖女さまから【聖女の力】を授けられた聖女さまを迎えにまいりました。」
そう言って顔を上げ、私にニッコリと優しい笑顔で微笑んでくれる。
え・・・・え?
「あの・・・・え・・・?」
周りの騎士たちがギョッとしている様子に、妙に安心した。
そうですよね・・・何が起こってるか分からないですよね・・・・、私もです!!!
上手く言葉が出ずに固まっている私に、おじいさんはポンと手を叩き、まるで今思い出したかのように言い添えた。
「おお、そうでした!【聖女の力】を授けられたあなたさまへ、女神さまからのお言葉をお伝えせねば・・・・【第二王子ギルフォード・フォン・フォルティアを聖女の力を持つものの伴侶に】。つまり、あなたの伴侶はこちらにおいでになる、このフォルティア王国の第2王子殿下となります。」
カノンが私の横で息を吸い、「ああ・・マジか・・・やっぱり詐欺だったんじゃん・・・。」と嬉しそうに小さく声に出して噛みしめている。
(いえ、待って・・・あの、何が何だか・・・。え?カノンはわかったの?・・・ちょっとかみ砕いて・・・教えて欲しいわ・・・。)
目でカノンに助けを求めても、ニコニコ笑顔を返されるだけ。
(ちがうの、そうじゃなくて・・・ね?)
私がオロオロしているうちに、騎士の何人かがこちらに残り、王家の馬車一台を護衛しながら領主館へ向かうことになった。
のだけど、私は馬をカノンに預け王家の馬車に乗っているの・・・なぜかしら。隣には殿下、向かいには神殿のおじいさん・・・というか教皇様でいらっしゃいました・・・が座っているの、どうして?
「ユエ、すまない。だいぶ混乱しているな、無理して納得しなくていい。少しぼんやりしていろ。」
殿下がそう言って、私の頭を優しく撫でてくれる。
「え・・いえ・・そんな、あの・・・はい。」
言われるまま、頭をぼんやりとさせる。
その間、途切れることなく殿下の手から与えられる心地よさに、ふわ~っと心が緩んで呼吸が楽になってきた。
私たちの様子を見ていた教皇様は「ほっほっほっ。」と楽しげに笑った後、私の目を真っ直ぐ見て申し訳なさそうに眉を下げる。
「神殿からあなたさまの心を乱す書が送られたこと、誠に申し訳ありませぬ。わしの神殿内管理不行き届き。責めはいかようにも受けましょう。」
そう言って深く頭を下げられて、慌てた。
国王陛下に頭を下げられるのと同等の恐れ多さです!
「だ、大丈夫です!お気に、なさらないでください!」
私の慌てた声に、殿下が私を撫でながら優しく言う。
「ああ、ユエこそ何も気にするな。全部オレに任せておけばいい。そもそも王家としては婚約を解消していなかったんだからな。」
そういえば、そうでした。
王家からは結局何の連絡もありませんでしたし・・・。
その事実に少し気持ちが緩む。
離れていても、ギルフォードさまが寄り添っていてくださったみたい・・・。
胸がふわっと軽くなり、のんびりと思考が回復してくる。
そうだわ・・・先ほど不思議な女性とお会いした時、ギルフォード殿下が【聖女の力】の配達とか何とかおっしゃってましたね。
彼女が私に手を差し出して、そして、光の塊が・・・。
あの光が・・・【聖女の力】・・・でしょうか。
(ということは・・・もしかして・・・?あらら・・・私、受け取りましたね・・・。)
思わず自分の胸に手を当てる。
受け取ったというか、勝手に入ったというか・・・?
身体の中に自然とめぐる、新たな力。
温かくて優しくて・・・すべてのものを清め、輝かせる・・・春風のような・・・。
「あの!・・・これは、ギルフォードさま!もしかして!・・・私、聖女さまの力を、受け取ってしまったかも・・・・わっ・・・た、大変、です、たぶん!」
だんだん先ほどの出来事がどういうことだったかわかってきて、隣のギルフォードさまに縋りつけば、殿下はふわっと頬を赤くして慌てる。
「うん!ああ!ユエ、大丈夫だから・・・ゆっくり息を吐いて・・・。」
言われるまま呼吸をして落ち着けば、ギルフォードさまに密着してしまっている現実に気づき、慌てて離れた。
「わ、私、なんてはしたない・・・す、すみません。」
お父様以外の男性に、こんなに身を寄せてしまうなんて・・・。
「いや、一切期待してなかった距離感が突然やってきてびっくりしただけだ。でも・・・他の誰かには、しないようにな?」
殿下がまだ少し頬を赤くしたまま、真剣に言うので頷く。
「はい、えっと・・・殿下だから、してしまっただけなので!」
誰にでも取り乱して縋るなんて、貴族の令嬢としてはあるまじき行為ですし!
ちゃんと令嬢らしく振舞えることを、ギルフォードさまにアピールする。
(ギルフォードさまの隣に立てるように、これからも令嬢らしく、精進します・・・!)
そうしたら、殿下は目をパチパチした後、口を手で押えて耳が赤くなっている。
「あの・・・ギルフォードさま・・?」
声を掛けると、もう片方の手のひらをこちらに向け「・・・大丈夫だ。問題ない。」とのこと。
よく分からないけど、殿下が大丈夫なら、それでいいのだろう。
落ち着いて呼吸をしていたら、頭が整理されてきたみたい。
私は【聖女の力】を受け取ったから、召喚された聖女さまの代わりを務めることが出来るというわけね。
それはとても嬉しい。
この国にある瘴気の濃い場所は、小さい頃から把握しているもの。
今から巡礼することだってできるわ!
(なんて素敵なのかしら!・・・女神さま、ありがとうございます!)
これで、みんなが助かる・・・本当に嬉しいわ・・・。
前線で戦っている騎士たちの顔を思い浮かべて、ホッと頬が緩んだ。
そして思い出す、女神さまの啓示。
【第二王子ギルフォード・フォン・フォルティアを聖女の力を持つものの伴侶に】
口の中に幸せな甘酸っぱさが広がる。
(ああ・・・よかった・・・・私、もう、いいんだ・・・。)
誰かとギルフォードさまが紡ぐ幸せを、願えるようにならなくても・・・。
「・・・よかった。」
小さく声に出してみれば、やっとホッとして視界が滲んだ。
涙がこぼれ落ちる前に、ふわりと良い匂いがする上着が、頭から掛けられる。
「領主館までまだ時間がかかる。ゆっくり休んでろ。」
ポンポンと上着越しに頭を撫でられ、そっと頭を引き寄せられた。
ギルフォードさまの予想外の行動に、涙が止まって顔が熱くなる。
「おや、第二王子殿下、大胆ですな。しかし、顔が真っ赤ですぞ?」
教皇様の楽しげな言葉に対して、自分の頭のすぐそばから声がした。
「放っといてください。女神さまにも認めてもらっている、伴侶なので!・・・彼女の心を守るためだったら・・・こんなの、どうってことない。」
拗ねたような声が、殿下と触れ合っている頭にじわじわ甘く沁みてくる。
(うう・・好き、・・・大好きです、ギルフォードさま・・!)
教皇様の楽し気な笑い声を聞きながら、触れ合う場所から伝わる殿下の鼓動に耳を澄ませる。
(うれしい・・・、しあわせ・・・。)
感じたことのない甘い幸せに、私がのぼせてしまって、殿下に助けを求めるまで・・・・あと、もう少し。