【短編】私を好きだと言ってくれ 〜別に私は好きじゃないけど〜
付き合っていた彼氏に別れ話を告げられた、最悪のタイミングだった。
よりにもよって年度末魔術試験の一ヶ月前、これが直前なら笑顔で「OK! いいぜ!」と言ってやれたのに、なんでこの時期なんだ。馬鹿にしてるのか。
もう少しくらい空気を読んで別れ話をしろ、こんな学校内の喫茶店、噂なんで爆速で広まるに決まってるじゃないか。
私がお前を振ったならともかく、私が振られたとか最悪だ。
「そういう所だよ」
「なにが?」
気弱な顔を歪めてそいつは言いやがった。
「今だって周囲の噂の方を気にしてる、僕のことなんて、ぜんぜん好きでもなんでもないでしょ?」
「うん、むしろ嫌い」
なぜかショックを受けた顔をしていた。
割と私は最初から言ってたはずだけど、どうしてショックを受けるのか意味がわからない。
私はたしかにこう言った。
「告白してくれてありがとう、今はあなたが嫌いだけれど、あなたが愛をちゃんとささやくなら考えてやる」と。
うん、何一つとして嘘は言っていない。
その後の付き合いの中で、ちゃんと考えたし、その上で「あ、やっぱコイツ無理だ」と分かった。
何が悪いとかじゃなくて、根本的にソリが合わない。
愛の言葉は受け取ったけど、それ以外は関わりたくないレベルだ。
「あなたが私を本当に愛していたことは知っている、だけど、だからってどうして私が愛さなきゃいけないって話になるの?」
唖然とした顔をした後に立ち上がり、なんかすごい怒って出ていった、割と理性的だなと思う。
2つ前の奴は「馬鹿にしてんのか!」とか言って机とナイフを投げつけたし。
+ + +
さて、とはいえ困った。
とても困った。
一人残されたカフェで紅茶を優雅に飲みながら、そういえば今日はまだ愛を囁かれてないなと思う。
なんてケチくさい奴なんだ、私を振るよりも前にちゃんと愛してるって言っとけよ。
周囲の好奇の視線とか気にならないレベルの苛立ちだった。
紅茶をがぶ飲みしても、喉が乾いてしょうがない。
今日明日にでもというわけではないけど、できるだけすぐに私を愛してる奴を見つけなきゃいけなかった。
別に中身はなんでもいいけど、気持ちの籠もった愛の言葉が要る。
そう、これは、ある種の呪いだった。
祝福とも呼ばれるらしいけど、私にとってはガチでただの呪いだ。
誰かに愛を囁かれないと、私はこう、不調になる。
あるいは身体に害が出る?
どうも上手い表現が出ないけれど、とにかく私にとって不利になる。
一般の人が水を飲んで食事をするように、私には愛の言葉が不可欠だった。
愛を伝えるのは時々でいいとか、言わなくても気持ちは伝わるとか、婉曲表現の方が今は好まれるとか、そういうクソみたいな戯言はどうでもいい。とにかく愛だ。御託はいいから愛をよこせ。
両親が生きているうちは良かった。
それこそ湯水のように愛が注がれた。
朝晩と当たり前のように愛を伝えられる幸せを、きっと私は軽視していた。
もっとあの愛を味わっておくべきだった。
両親が、事故で亡くなってしまうより前に。
そう、当たり前の愛がなくなった途端、私の愛は枯渇を続けた。
ちょっと考えてほしいんだけど、普段生活していて人に愛を伝えることってあるだろうか?
たまにはあるかもしれない、けど、潤沢かつ十分には溢れていない。
私としては朝の挨拶が「I LOVE YOU」でもいいくらいだ、略してILYでも可。
この世に愛が溢れてないから、私は愛を求めなきゃいけない、なんであんなクソ冴えない男に愛を囁かれなきゃいけないんだ、世の中間違ってる。
「まーじでどうするかなあ」
私はしばし考えて。
「よし、ホストに行こう」
そう決断した。
+ + +
すぐに出ていった。
「逆にすごいな、あれ」
話を合わせてくれる、ちやほやしてくれる、丁寧かつ持ち上げるような対応をしてくれる。
つまりは「特別扱いをしてくれる」場所ではあった。
「あそこまで中身のない愛の言葉、はじめてかも」
逆に言えばプロだった。
気持ち皆無で、けれど、伝わるように愛をささやく。
私にとっては超高級駄菓子みたいなもので腹は膨れない。
そこまでホストの魔力量が無いこともあって、私からすれば費用対効果が悪すぎる愛だった。
まあ、中にはお菓子の方が良いって人もいるんだろうなあ、って点だけは理解する。
なのでバッチリ化粧した教師の姿も見えたけれど、見てみない振りをすることにした。
情けはきっとお目溢しにもつながる。
「たぶん、ある程度の投資をすれば、それなりの愛を買えはするだろうけど……」
ちょっと時期も悪くかった。
それで1ヶ月後の試験に間に合うかどうかは微妙だ。
掛け金に対してリターンが少なすぎる。
他との関係を育てつつやるならワンチャンあるかなってくらい。
投資先として有望ではない。
もっと効率的な方法はないか?
考え悩む視線の先に、アルバイト募集が吸い寄せられた
今までは完全に無視していたけど、ひょっとして、これなら――
+ + +
「クビです」
「なんでですか!?」
速攻でクビを切られた。
なんでや!
「ここはどこですか?」
「保育園です」
「そしてあなたは?」
「アルバイトの保母です」
「ええ、なのに、どうしてあなたを巡って恋の修羅場が子どもたちの間に発生したんですか?」
「なぜでしょう、とても不思議」
「観察していましたが、あなたが明らかに誘導していましたよね?」
誘導とか、そんな――
ただちょっと笑顔でハキハキとしつつ名前呼びながら「すごいね!」「わー、教えて教えて!」「○○君はヒーローだー!」とか言いまくっていただけだ。
ちなみにやり方としてはホストのを参考にした。
年齢に関わらず、人の快楽って根本的なところは変わってないのかも。
あと二人っきりになったタイミングで、こっそりと「私、君のことが一番好きだよ」と囁いた。
中には警戒して嫌う子もいたけど、何人かには熱烈に「先生と結婚するー!」という実に良質かつ強烈な愛の言葉を頂いた。
園児の愛の言葉――
熱くてとてもデリシャスでした。
これぞまさに天職、私の生きるべき道はこれだったのかと天啓を得た思いだったのに、一日も持たずに失脚だ。
たしかに私を巡ってガチの殺し合いに発展しそうだったのは問題かもしれないけど、そのくらいは大きな心で許すべきだ。
子供のすることなんだから、魔力に任せた大規模破壊魔術の交戦で保育園が半壊したくらい、笑って済ませたっていいじゃないか。
「本来、心に似合わない大きな力を使える子どもたちを正しく導き、場合によっては彼らの暴走を防ぐのが役目なのに、あなたは煽ることしかしていませんでしたね?」
「た、たしかに、私のために争わないでー! とか棒読みでは言いましたけど、最終的には止めるつもりでしたよ!?」
「最初期に止めなさい」
「だって、私への愛が欲しいから!」
「その愛は最優先で子どもたちが得るべきものです」
「ずるいーっ!」
追い払われた。
+ + +
くそう、なんてことだ。
いや、けど、調子に乗りすぎてた部分はあった。
焦りが私の目を曇らせていた。
もうちょっとくらい長期的にやるべきだったのに、ついつい「あれ、なんか流れ的にいけそうでは?」という直感に従ってやってしまった。
「てーか、半端に満たされたのが不味かったよなー」
ホストで囁かれた愛の言葉、値段に見合わない高級菓子。
空腹のときにちょっとだけそれを食べたようなものだった。
普通の人なら、胃腸が活発化して「いつでも食い放題の準備、行けます!」みたいになるように、私の心が愛の受け入れ体勢万端になっていた。
うん、自覚がなかったけれど、ここ最近の私は空腹だった。
元カレからの愛の言葉の質がとてもとても低下していた。
慢性的な愛不足で、カラカラだったのだ。
だから、そう、私の本能が告げた。
この機会を逃すんじゃねえぞ、と。
私はそれに全力で「うん!!!!」と頷いた。
持てる全ての力を使って、愛を得るのだ、レッツバイキング!
「なんだよー、子供ってだけで愛されるのズルいじゃないかよー」
そのバイキング活動が頓挫した今、私は愚痴りながらも学園へと戻った。
愛を得た。
けど、まだまだ足りなくもあった。
誰だって「今食べたから、あとは1ヶ月は食事抜きでも大丈夫だよね?」って言われても頷けない。
「……」
だから定期的な愛を得る手段を確保すべきなんだろうけど、難しい。
すでに思い当たる供給源には全員声をかけた後だった。
ほとんど最後に残ったカモがあの元カレだ。
ただ愛される、ってだけじゃなくて「魔力量がある人間からの愛の言葉」って条件がある。
そこら辺の貧民に金をばらまいて愛を獲得するのは効率が悪い。
プライドを売って金銭的にも損して得るのが砂糖水とか、そういうレベル。
そういう無益な愛の活動は、私にとっては断食修行にしかならない。
出家するには色んな意味でまだ早い。
あとは、だから、そう――
「頭を下げて、あの元カレに復縁を迫る……?」
駄目だな。
無理や。
天変地異が起きてもお断り。
ほとんど反射的にそう思った。
だって、知り合いになればなるほど、あるいは、相手のことを知れば知るほど、「この人は自分に興味があるか」ってことを把握する。
そういう能力って別に必要ないよね、って思うけど、割と正確に把握しやがる。
駄目な理由はそれだ。
私自身のプライドで出来ないっていうのもあるけど、証明を求められるからだった。
うん、絶対に「君は僕のこと、ちゃんと好きなの?」とか言われる。
それに私はきっと元気よく「うん、嫌い!」って答えてしまう。
ついでに「そういうのいいから愛の言葉をよこせオラ」とか要求するはずだ。
愛の証明は最初っから破綻済みだ。
というかさー、愛とか食い物にされるものなのに、どうして他の人はそんなに気軽に振りまいてるのか意味がわからない。
愛とは私が食べるためのものであって、私が差し出すものじゃない。
お肉好きな人でも、お肉になって調理されるのは嫌なはずだ。
私、食う側。
あなた、食われる側。
それを逆転させるつもりはない。
なら、他の手段は――
「駄目だ、クソ、考えつかない」
こういう時、無理は禁物だった。
いつも通りの行動をすることにした。
+ + +
私はなぜか友達が少ない。
理由はまったく不明なんだけど、どういうわけだか付き合いが途切れる。
けれど、継続している人も中にはいる。
私としてはとってもありがたいんだけど、どういうわけだか――
「いますぐ、部屋に戻りなさい」
歓迎されることは少ない。
「いやいや委員長、そう言わずに」
「誰が委員長よ、わたし、そういう役職についた憶えはないんだけど」
「なんかで見た本に書いてあった、委員長みたいな奴って委員長って呼ばれてるらしいよ」
「意味はわからないけど、ひどく侮辱されている気がするのだけれど?」
「そんなことはないよ、本当に、心の底から」
「ちゃんと人の目を見て言いなさい」
そんなやりとりをしつつも当たり前のようにドアを開けて出迎えてくれるから委員長は委員長だ。
「単純に、あなたに外で騒がられるのが迷惑なだけよ」
「別に締め出してもいいんじゃないの?」
「それしたらあなた、ずっと部屋の外でシクシク泣き出したじゃない」
「えへへ」
「ちょっと照れながら懐かしい良い思い出だったね、みたいな顔しているけれど、部屋外で本気で泣かれるのって本当に困るんだからね?」
そんなこともあったのかもしれない。
けれど――
「だって私の友達、まじで委員長しかいないし、あの時はこの世の終わりみたいな気分だったよ」
「その執着、あなたの彼氏とやらに向けられないものなの?」
「なんで?」
「……そこで素の疑問が出るから、あなたはいつまで経っても駄目なのよ」
「委員長は、とても不思議なことを言う……」
「不思議なのはあなたの生態よ」
「それは同意」
「言っておきますけどね」
ベッドに座った委員長は、こめかみをほぐしていた。
なにか頭の痛いことがあったのかもしれない、とても心配だ。
「わたしがあなたとまだ友達をやれているのは、本当に稀有なことなんだからね」
「うん、感謝している」
それは本当に。
「あなたの性質は理解するけれど、それを良いことにやりたい放題し過ぎなのよ」
「そんなことないよ?」
「私の彼氏を寝取っておいて、よく言えるわね」
「寝てはない、奪いはしたけど、そして私が奪えるような奴は委員長にふさわしくない」
「だから許されるみたいな顔をしないでくれる」
「でもね、委員長、聞いて欲しいんだ」
「なにを」
「浮気男の愛の言葉、すごく美味しい」
「本当にいますぐ帰って?」
「たぶん、罪の意識もプラスされてるんだろうね、こう、単純な好きとは違ってスリリングさが……」
枕をフルスイングで投げられた。
+ + +
「で、今日はどうしたの」
「みんながひどいんだよ」
「なにが」
「わたしのことクビにする」
「災難ね」
「うん、まったく」
「雇ったほうが」
「ねえ、ひどくない?!」
「そもそも、また振られたの?」
「もう噂になってたか」
「いいえ、あなたが振られることはもう日常茶飯事になりすぎて情報としての価値がないわ、状況からそうだなって思っただけよ」
「本気でひどくない!?」
とはいえ、たしかにルーチンのようにはなっていた。
大抵の場合、振られてからしばらくしたら委員長のところに顔を出すのが常だった。
ちょっとしたグチを言える相手って貴重だ。
その内に委員長のグチも聞かなきゃとは思っているけど、なかなかその機会は訪れない。
人の彼氏取った女が未だに友達ヅラして来るんだけど、というまったく心当たりのないグチしか聞かない。
「とはいえ、どうしようかなあ」
「試験があるのに、余裕ね」
「むしろその試験のためにやってるんだって、恋人を作るのが試験対策」
「ドライすぎじゃない? 相手にはそのドライさを求めてないのに」
「愛のない愛の言葉ほど虚しいものはない、それを今日知ったわ」
「どこで?」
「ホストクラブで」
「……人が試験勉強している間に何してるのよ。というか、試験について問題点がそれしかないのは死ぬほど羨ましいわね」
「え、普通に授業受けてたら分かるもんでしょ?」
「そういう言動が敵を作るのだと理解しなさい」
「そうなのかあ」
「こんなに言動はアホっぽいのに……」
それは委員長の前でしかやらないし、とは言わないでおく。
「ね、委員長」
「嫌」
「まだなにも言ってないけど!?」
「わたしに愛の言葉を囁やけとか言うんでしょ」
「うん!!!!!!」
「ぜっっったい嫌」
「友達としての愛情をよこしてくれてもいいじゃないかー」
「一度でもそれを言ったら、あなたはずっとここに入り浸る」
「そんなことはないよ」
「そんな真っ赤な顔でケダモノみたいな目で言われても説得力がない」
おっと飢えが漏れていた。
「ちょっとだけ、試しに! 少しでいいから!」
「それ、絶対に少しで終わらない奴じゃない」
「うん!!」
「あなたの良いところは、その素直さだとは認める」
「お、ちょっとだけ愛が漏れて……」
「これは欲望に忠実な馬鹿って意味よ」
「すぐに悪意で上書きしないでよ!?」
「あなたが貪欲すぎるのよ」
「ケチぃ、あ、それともひょっとして性的な意味で私のこと好き?」
「ベッドを見ながら言わないでくれる?」
「大丈夫、私は身体を張って委員長の愛を受け止める、バッチリ来い、同性愛の趣味はないけど挑戦してみせる……!」
「友達やめるわよ?」
「泣いて謝るから許してください」
「まったく……」
委員長は相変わらず委員長だった。
「それで」
「ん?」
「さんざん言ってたけど、なにかあてはあるの?」
「無い!」
「追い詰められてるわね」
「委員長の知り合いとか紹介してくれない?」
「今のところ破滅させたい人はいないわね」
「ナチュラルに人を地雷扱いしてない?」
「妥当な扱いよ」
言いながら委員長はチラシの類を整理していた。
私なら速攻でゴミ箱行きだけど、いちいち確認しているらしい。
大半が本当にどうしようもない情報で――
「ん?」
そう、中には巫山戯るためだとしか思えないものもある。
恋人募集のチラシとかをわざわざ金を支払って作るような奴すらいる。
さらに言えば――
「そっか、なるほど」
「なに?」
私はチラシを一枚引き抜き握りしめ、雄々しく立ち上がり言った。
「恋人がいないのなら、結婚してしまえばいいじゃない!」
それは、教授の結婚相手募集だ。
独身の教授が教え子に手を出そうとしているポスターだった。
「……その教授、すごく評判悪い人よ?」
「愛があれば他はいらない」
「あっそ」
委員長の目はなぜかとても冷たかった。
+ + +
それなりの年齢になった上で結婚していない教授は、ぶっちゃけ問題のある人だ。
魔力量の保持という側面から婚姻が推奨されているのに反旗を翻しているのは、それなりの事情があるパターンがほとんどだ。
けれど同年代はほとんど食い尽くし、下の年代もブラックリストに乗りかねない状況にある私にとっては、もう上の年代を狙うしかなかった。
金はいらない、美形かどうかも関係ない、ただ私に愛をよこせ。
考えてみれば私、ものすごくお手軽優良物件じゃないか?
相手に求めるものってそれだけだ。
まあ、愛の質が下がったら文句は言うけど。
あと浮気という名の愛情収集活動も許して欲しい。
「やあ、よく来てくれたね」
ニコニコと笑って言われた場所は喫茶店だった。
何の因果かあのカフェ――元カレに別れ話を切り出されたところだった。
まあ、それなりに静かで落ち着いていて、ちゃんと話し合える場所ってそんなにない、って事情もある。
下手に郊外のレストランとかへ行くほど不用心でもないしね。
……うん、たまに毒とか盛られる。
魔術を使ったり、あるいは事前にレストラン側を抱き込んだりして、気づかれないようにこっそりと。
敵地ではない中立地帯って案外ない。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
私は失礼にならない程度の、準礼服で来た。
いざとなれば戦闘も行えるように魔術道具を仕込んである。
「いやあ、君の噂はよく聞いてるよ、まさかボクのところに来るなんてねえ」
相手は白衣を羽織ったスーツ姿。
たぶん普段着ではあるんだろうけど、一応はおろしたてを着るくらいの配慮は見せてる。
よくいる世間知らずの教授ではあるんだろうけど――警戒は一段階上げておく。
理由は直感だ。
私のことを知ったその上で、とても楽しそうにニコニコしているその笑顔だった。
委員長の言っていた、「悪い評判」も脳裏をかすめる。
会話そのものは順調に進んだ。
けれど、私の不信感は増しこそすれ下がることはなかった。
豊富な話題、私が興味を引きそうな事柄、また、こちらが専門とする心理魔術系についての考察も鋭い。
けっこう私について調べてから来た人だった。
けど、一向に愛の言葉を吐かない。
それが必要だって分かっているはずなのに、よこさない。
なによりも、その目だった。
慈しむように、大切なものを見るような、包み込むような視線を寄越す。
「あの、教授の専門はなんでしょうか? 調べてもあまり出てこなくて」
「うん、ボクかい?」
目線を変えず、けれど、すこし困った様子だった。
「外部公表はされてないだろうねえ、下手に公表すれば神殿との折り合いが悪くなる」
「というと?」
「君は、祝福についてどう思っている?」
「クソですね」
爆笑された。
なにがそんなに可笑しいか。
「い……いや、そんな風に即答されるとは思わなかったよ、それこそ神殿関係者の前では言わないほうがいいよ?」
「そこまで不用心じゃありませんよ」
「君がそう言うのもわかるけどね、そもそも祝福ってなんだろう?」
知るかボケ、という言葉を飲み込んだ。
祝福でよく言われているのは、神が与えた試練だというものだ。
くたばれ。
人の愛を求めることが試練とかどんな冗談だ。
「けどね、ボクはこれは間違っていると思う」
「そうなんですか?」
「祝福とはね、その人の持つ可能性の発現だよ」
「……は?」
「完全支配能力の発現、あるいは、万物凍結の究極、そうした力は人が生涯をかけても届かない領域だ。人の生涯はとても短いし、自身の特性に気づくのにもそれなりの時間を要する。だけど、この祝福はその橋渡しとなり得る」
「……つまり?」
「元々持っている才能へのショートカット、それこそが祝福の本質だとボクは見ている」
だから本人が望むか否かとは関係がない。
意思とも性格とも無関係。
そして――
「魔力量が多い人にこの祝福が与えられている理由はなんでしょうか?」
「全員が持っている」
断言された。
「才能の有無なんてものは、発現してみるまで誰もわからない、そうだろう?」
「それは――」
「貴族とのつながりを強くしたいからこそ、神殿は貴族にだけ祝福があることにした、それだけだね」
「なるほど、癒着ですね」
「これも生き残りの戦略だろうさ、ボクは別に悪いことだとは思わないね。実際、万人に祝福を発現させたら世の中はむちゃくちゃになる。今のパワーバランスなんて簡単に崩れるだろうしね」
「だとしたら――」
あ、やべ。
言っている最中、瞬時にそう理解した。
この教授は祝福を研究している。
たぶん、いろいろな人の、いろいろなパターンを調べているはずだ。
その中で、今のこの私は、彼にはどう映っている?
愛の言葉を得なきゃいけない祝福を持つ私を、この教授はさっきから見ていた。「とても大切なものを見るような目」で。
冗談半分のような結婚募集、それに応募した途端に返事が来たし、デートのセッテイングまでした。
まるで「他の人に取られるよりも前に確保したかった」かのように。
「失礼し――」
言ってこの場を離脱しようとする前に、絶句した。
だって、店員さんが倒れていた。
奥の調理場ではコックが、あるいはこの喫茶店のマスターですらも。
「ああ、なんてことだ――」
教授は変わらずニコニコ顔で、けど、下手な棒読みでクソのようなことを言う。
「卸し立ての白衣に、たまたま睡眠系統の薬が染み込んでいたようだね。いやあ、ボク自身はよく使っていたからね、あんまり効かなかったみたいだ、大変に失礼なことをしてしまった」
「この――」
「大丈夫だよ、よくあることだ」
両手を広げる――違う、その白衣に染み込んだ薬効成分を、より拡散しようとしている。
「ちゃんと彼らには金銭的にも治療としても補償をしよう、何の問題もありはしない。ああ、けど、君は危ないよね? そんな祝福を持っているのだから、どんな副作用が起きるかわからない。大丈夫、君のこともちゃんとボクは大切にするよ」
大切にするよ――
その愛の言葉に近いものを得たことで、わかった。
強制的に味合わされた。
そのクソのように酷い味を。
この教授の愛は、弱者に対する愛だった。
もっと言えば……
「そうして苦しんでいる君の顔は、ふふ、申し訳ないけれどね、とてもとてもキレイだ。祝福とはその人の持つ才能であり、その煌めきだ。それが今、ボクの手元にある! ボクの自由にできる! こんなに素敵なことはない! 君は愛を求めているのだったね! いいとも! いくらでも、どこまでも、好きなだけ愛を与えようじゃないか! 君はただ身動きせずに、ボクの手元で、ボクの実験に付き合ってくれるだけでいい!」
実験動物に対する愛情だ。
「なる、ほど……」
「ああ、無理はしないほうがいいよ、対モンスター用のものだからね、ボクのように神経系への対策を施していない限り確実に効く」
「……」
「ふふ、ふふふ、どうしようか、どう実験しようか、君は食事の必要もないのだったね。ああ、ならばこれから君はボクの愛だけで生かされることになる! ボクの愛が君になる! なんて素敵な祝福なんだろう! 大丈夫、何があってもどんな姿になっても、まったく変わること無くボクは君を愛すると誓えるよ!!」
「……」
「けれど、しかし、興味はつきない。君は果たして指を切り落とされても元に戻るのかな、ただ愛を得るだけで生えてくるのだろうか、ああ、試したくて仕方がない、知りたくてたまらない、もう我慢ができない、今すぐにでも――」「うっせえボケカス、クソみたいな愛はもういらねえしそのドブ臭い口をさっさと閉じろ、弱い奴しか愛せないクソ野郎が」
ぶん殴った。
+ + +
「くっそ不味い愛の言葉よこしやがって、まさかあの元カレのほうがマシな愛があるとか思ってもなかったわ、歯ぁ磨いてるか? 風呂入ってんのか? テメエの愛はただただ臭い、鼻が曲がらないのが不思議なくらいだわ、どんだけ空腹でもテメエの愛だけはマジでノーサンキュー、一人で抵抗できない人形相手にさえずってろ」
ぶん殴り続けた。
衣服に仕込んだ魔術回路で拳を防護しながら徹底的に。
気色悪いことに、教授とやらは血まみれになりながらエヘヘくふふと笑い続けている。
「すばらしい! 本当にすばらしい! ここまでだとは想定もしていなかった! グフっ、き、君はもう、そこまで至っているんだね!」
「うるせえボケ喋んな、とにかく私にぶん殴られ続けろ」
「それは勘弁だねえ」
「ッ!」
瞬間的に離れた。
その直感は当たった。
その懐からコウモリが――いや、人の顔を持ったコウモリのキメラが羽ばたき、私がいた場所を切り裂いた。
「ああ、君は、ボクは弱者しか愛せないと言ったね? その通りだよ! だが、愛だ、ボクの愛は本物だ、他の奴らの愛こそが偽物だ! さあ、愛しいものたち、ボクの愛の全てよ! ボクらの愛で彼女のことを包んであげよう!」
白衣の内部で魔法陣が展開される。
転移陣だ。
さまざまな異形のキメラたちが次々に現れる。
どこぞの動物園みたいだけど、違うのは全員が異形である点だ。
魔法的な操作が施されている。
四足獣からドラゴンモドキまで、午後の喫茶店の中、睡眠薬が散布された中にそれらの黒い異形たちが勢揃いしていた。
ただ独りで、その軍勢に取り囲まれる。
「心底気色悪い、マジで反吐が出るわ。この中で、誰か喋れる奴はいるのか?」
「いるわけないじゃないか、そんなもの、愛にとっては不要だろう?」
「今すぐ死ね、本気でお前が語る愛は不愉快だわ、ゴミみたいな愛の言葉を量産してんじゃねえよ」
言いながら魔法陣を展開した。
準礼服に仕込んだそれを起動させる。
シックなアフターヌーンドレスの色が変わる。
黒から白へ。
出ていた肩口が魔術的な衣服に覆われ、全身を包む。
魔力が結晶化し、ティアラとイヤリングとして彩り、それを淡いベールが包む
伸ばした手の先に召喚陣が現れ、即座に愛用の武器を寄越す。
二丁の、リボルバーだ。
見方によっては――ウェディングドレスに身を包んで武装した姿に見えたかもしれない。
六発装填の無骨な黒を両手に私は叫んだ。
「こんだけの愛を私に消費させたんだ、お前らここから生きて帰れると思うなッ!!!」
異形の怪物が襲い来る。
教授はなぜか腹を抱えて笑っていた。
+ + +
足元を這うように来た犬もどきを蹴り、空に軌跡を描くコウモリもどきを撃ち抜き、突進してきたトナカイもどきを躱しながら肘を打ち込む。
次々にノックダウンしているが、底を知らないように召喚され続ける。
腐りに腐っても魔術を教える側だった。
「ボクの愛に底はない、この程度ではまだまだ終わらない! 果たして君の愛で耐えられるかなあ?」
「カス!!」
「おや、知性までも失ったのかな? ずいぶん言語野が不自由だねえ?」
「カスゴミボケ!」
悪態共に撃つ。
弾倉には自動的に弾丸が込められる。
それは魔力の塊で、言ってしまえば「私自身」だ。
枯渇しがちな魔力がギュンギュンと減っていく。
ホスト、幼稚園児、委員長から得たものが失われる。
元彼のはとっくに消えている。
「君は愛を食べている、それは確かだ。けれどそれじゃあ、今の君の有り様を表現するには足りないよね?」
白衣の裏側から湧いて出る。
絶え間なく、次々に、けれど一定のテンポで。
「君は愛を欲しがっている、それが君の栄養源だからだ、けれどね、じゃあ、君の身体は何で出来ている?」
その速度は私が倒す速度と対して変わらない。
全力で排除しても届かない。
撃退と召喚のバランスが揺るがない。
「比喩表現としては述べたけれどね、まさか本当にそのままズバリだとは思わなかった! 現在の君の身体を構築しているのは魔力そのものだ! 魔力で、愛で、君は構成されている! 君は限りなく魔法生物に近い生き物だ! 睡眠薬が効くはずもない!」
私が殴って潰した鼻のまま、気色悪く教授は笑う。
たぶん、本人的には満面の笑顔だ。
「人でありながら人ではない、その性質はあらゆる変化を可能にする、愛が全てというけれど、その全てになれるのが君だ。君を手に入れればボクは全てを手にできる! 君は、君こそは、ボクが心から愛するのにふさわしい実験動物だ!」
その顔めがけて早撃ちした。
当然のように飛び出たものが身を挺して防いた。
「断言してやる」
一発撃ち終わったリボルバーの弾倉を右手だけで開き、五発の銃弾を手のひらにこぼす。
「私が知る限り、あんたの愛がこの世で一番不味い」
「だからどうしたんだい?」
「それを食わされる立場になってみろ」
「ははは、そんなことは――」
投げた。
五発の銃弾が宙に浮く。
そう――「魔力の塊」がそこにある。
教授がなにかを言うより先に、左のリボルバーで撃ち抜いた。
敵の生成とこっちの処理が釣り合ってる?
なら、そのバランスなんて壊してしまえばいい。
より強い破壊を叩きつけてやればいい。
瞬間的な大爆発、それこそダイナマイトでも投げたかのよう。
魔力の波動が全員を等しく打ち付ける。
ちょうど園児の癇癪に似ていた。
けれどそれは「愛の籠もった」ものだった。
愛で構成された私を傷つけるものにならない。
魔力嵐の中を駆け抜け、唖然とする馬鹿顔をぶん殴り、そのまま地面に激突させた。
手につくぬるりとした感触が気色悪い。
「ガハッ!?」
即座に銃弾を補充。
魔力を――私自身を削る。
身体のあちこちにはもうひび割れが起きている、身体をちゃんと構成してはいられない。
知ったことか。
「いいぜ、愛してやるよ」
踏みつけにして、そのクズに宣告した。
「ただし、お前自身の愛でな!!!!」
受け取ったばかりの愛の言葉を、その顔面に全弾撃ち込んだ。
+ + +
愛は人を傷つけない。
もし、それが本当なら略奪愛とか浮気とかこの世にない。
ときに愛は人をひどく苛む。
この世の何よりも強い痛みを与えることがある。
けど、だからといって「自分自身の愛を本人に撃ち込んだ」ところで、それはダメージにはならない。
自分の魔力を自分に注いだようなものだからだ。
それでも――
「ぐ、はッ!?」
その愛が、人にどう受け取られているかは、伝わる。
「テメエでテメエを実験動物扱いしていろ、その愛を、その妄執を、テメエ自身で味わえ」
その歪みをそのまま放り込んだ。
きっとこの教授は今、「自分自身がニヤニヤと笑いながら自分を実験しようとしている光景」が叩きつけられている。
それが愛情であることを、他ならぬコイツ自身が理解しながら。
教授は地面をのたうち回り、目を大きく見開きうめいた。
「ああ、ああ……ッ」
「勝手にそのまま苦しんでろ」
私は肘から手にかけての亀裂が大きくなっていた。
愛情で構成された私が愛情を射出したんだから、当然だ。
身体の維持ができなくなっている。
「これじゃあ、試験は無理かなあ」
そもそも生存が難しいかもしれない。
魔法薬の類とか、この身体だから効きが悪いんだよね。
ここからどう補給すれば良いのか、本当にわからない。
「まあ、コイツの愛情にすがるよりは一億倍マシだ」
生存よりも下の愛はある。
愛の価値は乱高下が基本だ。
というか、愛情とやらが他のと結合しやす過ぎだった。
純粋な愛情とやらを味わった経験は、本当に少ない。
「そ、そうか、そうだったのか――君たちは、こういう気持ちだったのか……」
寝転がって瞳孔を開いた奴が、息も絶え絶えに言っていた。
クソ、まだ気絶すらしていないのか。
「そうだよ、私が言えたことじゃないけど、ちょっとは――」
「すばらしい……!」
「…………はあ?」
「勝手な愛情を叩きつけられそれを拒否することもできない無力感、身勝手に対する徹底的な拒否と不可逆的な変化への恐れ! 実際に味わってみるまではわかないことだらけだった、ボクが愛した君たちは、こういう気持ちだったんだね、なんて羨ましい! ああ、ありがとう、ありがとう! 気づかせてくれた君には本当に感謝と愛情しか――」
残る力を振り絞って蹴り飛ばした。
ニヤニヤ笑いの教授はそのまま気絶した。
「変な方向に目覚めてんじゃねえよ……」
そして、非常に残念なことに、その「愛のある言葉」で私の危機は脱してた。
教授になれるレベルの奴の、心からの想いの籠もった言葉だった。
量としては十分だ。
史上最悪レベルで不味かったけど。
+ + +
その後、体調と試験はなんとかなった。
ぶちのめした教授、その生徒たちにとても盛大に感謝されたからだった。
優秀ではあるものの変人で変態で事ある度に生徒ですらも実験対象にしようとしていた態度がガラリと変わった。
変わった先として、自分自身が実験されたがるようになったみたいだけど、それでもまだマシになったというから度し難い。
ただ――
「なんか、能力が拡張している……?」
「知らないわよ」
そう、前であれば愛情しか受け付けなかった。
他の感情は、把握はできるけどキャンセルされていた。
なのに今は心からの感謝であれば取り込めた。
そこからこぼれる魔力を私のものにできた。
「ねえ、委員長」
「なに」
「人に感謝されるのって、どうすればいいの?」
「わたしに聞かないでよ」
うん、愛情に比べれば難易度は低いように思えたけど、「心からの感謝」となればどうすればいいのかわからない。
そう簡単に命の危機とか転がっていない。
だから、私の悩みも変わらない。
本来であれば、だけど。
「そもそも、どうしてわたしの部屋に来る頻度がやけに高くなっているの?」
「委員長って、私と一緒で友達いないよね」
「……なによ、突然」
「だって、表面上は上手く隠してるけど、私が部屋に来る度に、すごく嬉しそうな感謝の感情が伝わって――」
枕を投げつけられた。
そうしていながら、きっと私も委員長に感謝を返すべきなんだろうな、とか思った。
愛情と違って、感謝は分け与えても別に気にならない。
それで減ることはないし、むしろ増える。
感謝の相乗効果だ。
ああ、ひょっとしたら、もしかしたら、愛情ですらもそうだったのかもしれないと――
今更になって少しだけ思った。
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