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チクシ大戦物語 第十六章 第十七章 第十八章

いつもありがとうございます!

今回はヤスニヒコとタクマノ姫の恋の行方と、新しき世づくりが具体的に動き出します。

お楽しみください。

第十六章 月下の泉


 やがて田植えが始まる季節。

 タケノヒコの傷も癒え、一行はナノ国へ引き揚げることとなった。

 出発の前の日には別れを惜しむ盛大な宴が催された。


 酒がすすみ、明るい話の花があちこちで咲き誇る中、キビトは実際に戦って目の当たりにしたトヨノ御子の恐ろしい力を素直に認め、もう二度と戦いたくないとタケノヒコに語った。「戦う必要はない。みなが正しき心を持ち続ければな」とタケノヒコは応じ、側にいたヤスニヒコは酔っ払った勢いで「私の怒りにふれよ!」というトヨの口癖を真似しておどけて見せた。みんなついつられて笑った。そこかしこに笑顔があった。


 思えば、キビトにせよムネにせよ、一年前まではその存在すら知らぬ者同士であったのに、今トヨのおかげでこうして親しく酒を酌み交わしている。本心はともかく、うわべだけでもトヨの言う「憎しみの輪」を断ち切ることで、お互いに死力を尽くした殲滅戦までエスカレートせずに済んでいる。それがこの先どういう結果を生むのかタケノヒコには分からないが、ともに生きるというトヨの願いが皆を不要な戦から解放し、笑って暮らせる世の中をもたらすのであろうと、タケノヒコは改めて思った。


 さて翌日。

 出発の日。

 タケノヒコを頭とする一行は、別れの儀礼のため、神殿に向かった。

 巫女が祈祷を行い、一同を清め、皆で杯を交わした。

 滞りなく儀礼が終わった時、カワカミがタケノヒコに言った。


「兄上。我がクマソでは最高位のお人にタケルという呼び名を与えます。兄上はこれよりオオヤマトのタケルを名乗られませ」


 タケノヒコは笑った。

「そなたの気持ちは嬉しく思う」

 しかし、可否は言わなかった。後継ぎには兄がいるし、父国王もオオババ様も健在であったからだ。ふと、オオヤマトのことが懐かしく思えた。

「それではクマソタケル殿。我々は引き揚げるが、何か困った時はいつでも力になるぞ。では、さらばだ」


 タケノヒコ、ヤスニヒコ、ヨナ、サル、タクマノ姫、ジイ、ゼムイとその部下たち、ムネとその仲間たち、最後まで残ったナノ国兵らにカエデを加えた一行は、大勢のクマソの民に見送られながら出発した。

 見送りの中には、功績が認められクマソの大人となったカシら芸人の一行や、さらわれた娘とその家族らの顔もあった。人々の歓声や打ち鳴らされる鐘の音で、賑やかな旅立ちとなった。


 都の門を遠く離れ、賑やかな歓声が小さくなった頃、珍しくヨナが感傷的なことを言った。

「やってよかったですなあ」

 ヤスニヒコが応じた。

「そうだな」

「半年も前から、どうなるか不安でいっぱいでしたのに」

 ヤスニヒコは笑った。

「トヨ殿を信じておれば、間違いない」

 タクマノ姫が笑って口をはさんだ。

「はやくお会いしたいな。父や母の言葉を伝えてくださるのであろう?」

 珍しくタケノヒコが答えた。

「ああ。私は実際に、黄泉の国の者と語るトヨ殿を見たことがある」

 タケノヒコの言葉だけに、新参のムネらも、驚きつつも信じた。

 ムネらは、単にタケノヒコに同行するだけでなく、国王からトヨの真贋を見極めることと、新しき世とはどの様なものか見聞して報告するよう言いつかっている。

 ジイがおどけて言った。

「なんの。姫様のはしたなさをお叱りなさるはず」

「はしたなくはないぞ。敵討ちで精いっぱいだったのだ」

「せめて着物はお脱ぎなさるな。子供のようじゃ」

「子供ではないぞ!見せてやろうか」

 みなが笑い声をあげた。

 珍しくサルも心の緊張を解いていて、自分も「父母の言葉を伝えてもらおうかしらん」と思った。

 もともと心根はまっすぐなムネたちも、すっかり一行になじんでいた。

 そんな様子にタケノヒコは、なんとなく温かく嬉しい気持ちで満たされていた。この様な笑いと笑顔に溢れた心やすまる時をつくるために、これからも働かねばと思った。

「タケノヒコ様、お怪我の具合はいかがでしょうか」

 カエデが近寄り尋ねてきた。

「ああ。大丈夫だ」

「おつらい時はいつでもカエデがお世話いたしまする」

「ありがとう。そなたには感謝しておる」

「そんな、もったいない」

 そんな二人の様子を見てヤスニヒコはニタニタしていた。

 カエデがカシらと別れたのは、カシらは大人となり、芸を売る必要がなくなったこともあるが、第一は、カエデの女の意地であろうと見ていた。タケノヒコの心はトヨにある。そのトヨとはどのような女なのか、その目で確かめたいのであろう。たとえ敵わぬ相手でも、ひと目見なければおさまらぬ女心を察していた。どのようなかたちに落ち着くにせよ。相手がトヨだけに、最悪の事にはなるまい。そうした思いが陰湿さを跳ね返し、二人に挟まれてタケノヒコの慌てる姿を妄想して愉快であった。


 ひと仕事終えた皆の心は、その日の青空のように晴れ渡っていた。


 帰路は、敵襲の心配もないため平野部の最短ルートを選んだ。

 本来ならば村々に立ち寄って水や食料を調達しながらの旅なのだが、どこのムラもクマソに襲われた後の復興ができておらず、調達どころではなかった。焼けたままのムラ、人は戻っているが食料もなく途方に暮れているムラ、一行は大戦の爪痕を思い知らされた。そんな中で、タクマノ姫の様子が、タクマノ国に近付くにつれ、暗く沈んでいった。


 数日後、一行はタクマノ国に到着した。

 迂回することもできたが、「目をそらす訳にはいかぬ」という姫の決意もあり、国を訪ねてみることにしたのだ。

 都を囲む柵が見え、それがどんどん大きくなってきた。

 姫は緊張した面持ちで歩いていた。

 やがて入口にたどりつき、二人の門番にゼムイが声をかけようとすると、門番の方が気づき、先に声をあげた。

「将軍ではありませぬか。よく御無事で」

 ゼムイは、その二人のことを良く覚えていなかったが、笑顔を見せる二人に会釈をしながら言った。

「姫のご帰還である。ここを通せ」

「姫?姫様でございますか!」

 二人の門番は慌てて土下座した。

 姫は言った。

「そなたらも息災でなにより。さあ、ここを通せ」

 ジイが門番に聞いた。

「見たところ国は見事に復興しておるようじゃが、誰の指図か」

 二人は土下座したまま答えた。

「ツムリ様でございます」

 姫は表情を曇らせた。

 ツムリはいとこであり、年は6つ上。陰湿で鼻もちならない男である。昔から嫌っていた。

 門番の説明によると、国王亡きあとクマソ軍に取り入り、その引き上げとともに国王のように振舞っているとのことであった。


 都の中は思ったより復興していた。

 クマソ軍は、ちょうど中間地点となるこの国を一大拠点にしようと、占領直後から立て直しを始めていた。大半は焼け落ちていたため昔の通りではなかったが、面影はあちこち残っている。宮殿に向かう道すがら、ジイがさかんに嘆いていた。

「よりによってできそこないのあの男が国王のように振舞うなど、世も末じゃ」

「ジイ、言うな。仮にも我がいとこである」

「しかし姫様。納得いたしかねまする」

 ゼムイは黙っていた。政事に口を出さぬのが、タクマノ国の武人の美徳であった。しかし浮かぬ表情をしていて、その心底は察することができた。

「兄上、何やらおかしな雲行きですね」

「ヤスニヒコ、他国のことを軽々しく論評すべきではない。くれぐれも口を慎め」

 ヤスニヒコは不服そうにしていた。

 一行は、宮殿には入れてもらえず、役人は「多人数ゆえ、ひとまず広場にて休憩なされよ」と言ってきた。ヤスニヒコはいよいよ不服そうな顔をしたが、タクマノ姫はそれ以上、怒気を含んだ真っ赤な顔をしていた。

 一行は半刻待ち、一刻待ち、それでも何の知らせももてなしも受けず待たされた。

 とうとうムネが怒り出し、近くにいたタクマ兵を怒鳴りつけたところ、ようやく使いの者がやってきて告げた。

「そのほうらにツムリ様がお会いになる。みなかしこまってお迎えするように」

 タクマノ姫が真っ赤になって怒った。

「なぜ私がツムリの命に従わなければならぬ!いとことはいえ、臣下の者ではないか!」

 使者も、それはわかっている。しかし生真面目そうなその男は冷や汗をかきながら「ツムリ様の言いつけでございます」と繰り返すだけであった。

 やがて細身で神経質そうなツムリがやってきた。

 使者に詰め寄るタクマノ姫を認めると、嘲笑を浮かべながら言った。

「あいかわらずうるさい女子よのう。そなたは」

「ツムリ!そなたは国を奪う気か!」

「黙らっしゃい!そもそもそなたは国が難儀のおり、何をしておった。クマソと渡り合い、国を守ったは、このワシぞ」

 タクマノ姫は急に黙った。確かにそういう見方もできる。

「それが今更のこのこと現れおって、何の手柄があって大きな顔をするのか。もともとワシにも王位継承権はあったのだぞ」

 ジイが声を荒げて怒鳴った。

「やかましい!このできそこないめ!国を奪おうなどと言語道断!」

「うぬ。そなたは王族であるこのワシにできそこないだと?」

「できそこないでなければ、謀反人じゃ。国を奪おうとする謀反人じゃ。謀反人に罵詈雑言を浴びせても罪にはならぬ!」

「この老いぼれめ、言わせておけば!今はワシが国王ぞ!そなたなどいつでも死罪にできるわ!」

「それ!国王などと大それたことをぬかしおった。謀反人たる確かな証拠じゃ!」

 タケノヒコが見かねて口をはさんだ。

「双方とも、おひかえなされよ」

 ツムリが真っ赤な顔で怒鳴った。

「うるさい!下郎は黙っておれ!」

「兄上を下郎だとお!」

 ムネが怒り狂い、ツムリを殴り倒そうとしたが、タケノヒコに止められた。

 ゼムイが冷静に意見した。

「ツムリ様、お言葉が過ぎます。このお方はオオヤマトの将軍、タケノヒコ様でございます」

 ツムリは、今度は真っ青な顔で叫んだ。

「タ、タケノヒコ様!あの戦をすれば必ず勝つという・・・」

 すかさずヤスニヒコがつとめて冷静に、しかし凄みを利かせた口調で言った。

「私はオオヤマトの王子ヤスニヒコ。兄上を下郎呼ばわりするなど、我がオオヤマトに戦をしかけたも同然。オオヤマトはその精兵三千人をもってただちに攻め入ることとする。では、戦場にてお会いしよう」

 踵を返して立ち去ろうとするヤスニヒコに、ツムリはとりすがり、必死に弁明した。

「知らなかったのじゃ。お許しを。お許しを」

 ムネが怒気を含んで叫んだ。

「ワシはハヤトの将軍ムネじゃ。タケノヒコ様は我が義理の兄。我がハヤトも精兵をもって、断固そなたを討ち果たしてくれん!」

「今度は、ハヤトじゃとお・・・」

 ツムリはべそをかいていた。

 タクマノ国の者たちもただうろたえていた。

 タケノヒコは笑った。

「ふたりとも、もうその辺でよかろう。しかしな、ツムリ殿。これだけは覚えておいてくだされ。姫は我らとともに見事クマソタケルを討ち果たし、敵討ちを遂げられたのだ。その功績は大きいと私は思う」

「そうでございましたか」

「知らぬこととは言え、事情も聞かずに暴言を吐いたこと。そなたにも自負はあろうが、その一点については、姫にお詫びをしてはもらえぬか。それから改めて双方談合すればよい」

 ツムリは、変わり身が早く、強き者にはへりくだる性格であった。それでクマソ軍の機嫌をとり、ほとんどの王族が処刑されたにも関わらず命長らえていた。ツムリはタケノヒコに土下座をして答えた。

「タケノヒコ様の仰せのままに」

 立ち上がり、姫に向かって言った。

「姫、さきほどの暴言、あいすまぬ。事情を知らなかったのじゃ。許せ。タケノヒコ様の仰せに従い、今後の事など談合したいと思う」

 ムネが怒鳴った。

「うぬはバカか。兄上にも詫びを入れぬか!」

 ツムリは、ことさら表情を消しながら、再び土下座して詫びた。

「タケノヒコ様。知らぬこととは言え、申し訳なき物言いの段、ひらにご容赦くだされ」

 ヨナが小声でヤスニヒコに言った。

「このような気概なき者、やはり始末すべきではないでしょうか」

「私もそう思うが、ここは兄上にまかせよう」

 土下座するツムリの肩に手を置いて、タケノヒコが言った。

「ツムリ殿。そなたの詫びは聞き届けた。私に遺恨はない」

 ツムリは顔をあげ、ニコリと笑って答えた。

「まことでございますな。攻め寄せることはありませぬな」

「うむ。もとより我らと姫は一味の者だ。その姫の国を攻めるなどありえぬ。安心いたせ。一見したところ、そなたも国の復興に苦心しておるようだ。そなたの言い分もわからぬではない」

「ありがたきお言葉」

「主立つ者たちも交えて、よくよく談合なされよ」

「承知いたしました」

 タケノヒコは翻って、タクマノ姫に言った。

「姫。そなたにも思うところがあろう。しかし、国の行く末を決める大事なことゆえ、つとめて分別して言うべきことははっきりと言い、聞くべきところはしかと聞くべきだ。そなたはもう大人だ。わかるであろう」

 黙って不機嫌そうにしている姫に代わって、ジイが答えた。

「我が姫は、賢いお人ゆえ、必ずや良き方策をお考えになりまする。仰せの通り、よくよく談合いたします」


 一行はしばらくタクマノ国に逗留することになった。

 遠くにヒノ山があり、なだらかな丘陵地帯が続くこのあたりは、伏流水があちこちから湧き出て田畑の作物を潤している。その水のおかげで開墾が進み、加えて三里先には海があるため、海産物も集まる豊かな国であった。


 一行の宿所として、兵たちにはクマソ兵の使っていた兵舎が、タケノヒコらの幹部には木陰にある涼しげな宿舎が数棟あてがわれた。夜にはまだまだ冷え込むが、日中は暑い季節であり、木陰の宿舎は快適だった。裏庭には泉も湧いている。泉には工夫がしてあり、飲み水、洗い物の水、体を清める水と、水場が区切ってつくってあった。

 暑い昼下がり。

 ざぶんと泉に飛び込んで、ナノ国兵の若者と水かけあそびをして過ごすのが、ヤスニヒコのお気に入りになっていた。戦続きで心身ともに疲れていたヤスニヒコには、久々に何も考えず、しかも安心して過ごせるいい骨休めになっていた。嬉しくて楽しくて。十五歳の少年にふさわしい、ただそれだけの貴重な時間だった。


 ある日、遊び仲間のナノ国兵が面白い話を持ってきた。

 南に一里ほど行ったところに、大きな泉があって、船に乗って釣りができるという。その泉では、大きなフナがたくさん釣れるらしい。ヤスニヒコはぜひ行ってみたいと言い、二人で出かけた。

 歩きながらヤスニヒコはナノ国兵に言った。

 ナノ国兵は十四歳。ひとつ年下で、ヤスニヒコを兄のように慕っている。名をハクと言った。

「なあ、ハクよ。そなた大きな泉と言ったが、それは泉ではなく湖というのだ」

「コ?コと申すのですか」

「うむ。名前が違うのだ。大きさで区別されている」

「はあ。ヤスニヒコ様は物識りですね」

「それに、そなたの名前、ハクというのはおそらく白いという意味だ。そなたは色白だからな」

「そうなんですか?」

「うむ。カノ国の言葉だ。ムラの物識りが名付けたのであろう。しかしカノ国の文物は凄いぞ。クマソがナノ国の港を狙ったのも分からぬでもない」

「そうなんですか」

「ナノ国の市は特に賑やかだ。カノ国の様々な物であふれておったな」

「私はあまり市には行きませぬゆえ。ムラに住む下戸の者は使いでもなければ行けぬのです」

「そうであったか。では話して聞かせよう。まずカノ国には文字というものがある。言葉をかたちにして伝えるものだ。絵みたいなものか。それを紙というものか、割り竹の裏側に墨という黒い水で書いて、相手に伝える。そうすれば本人同士が会わなくても正確に話が伝わるのだ」

「便利な物ですね」

「そうだ。口づてのように話が変わったりしないし、忘れることもない。そこで、昔の人の知恵も書いて残せば、どんどん知恵がたまっていって、子孫の者たちは間違わずにすむ。それが書物であり、学問というものだ」

 ハクは、ヤスニヒコに気に入られるだけあって賢い少年であった。固有名詞は分からないが、話の大意はつかめていた。

「そうそう。そなたの国の市には馬がおったぞ」

「ウマ?って何です?」

「四足の大きな動物でな、人を乗せて走るのだ。人は楽して早く移動できる。カノ国より連れてきたのであろう」

「そんな便利な動物なら犬のようにかわいがって増やせばいいのに」

「生き物だから、そう簡単にはいくまい。それにワノ国は狭い山道ばかりで、とてもあのような大きな四足の生き物は歩けぬよ。イズツ成敗の時に敵の馬を奪って乗ってみたが、いろいろと大変だった」

「そのようなもので」

「うむ。それに銭もあったなあ」

「ゼニ?ゼニとは何です?」

「品物、そうだな絹なら絹と銭は交換できるのだ。銅で出来ている小さなもので持ち運びが簡単だ。米のようにかさばらない。カノ国ではふつうに使われている」

「なんか、夢のようじゃ。ヤスニヒコ様のお話は便利なものばかりで夢をみているようです」

 ヤスニヒコは微笑んで答えた。

「ああ。夢のようだな。ワノ国中にその夢が広がると、皆の暮らしも豊かになる」


 やがて二人は湖に着いた。

 湖の側で暮らす者たちに、わずかな米を渡して船と釣り道具を借り、日暮れまで釣りを楽しんだ。獲物も上々で、気分良く、西の山にかかる美しい夕日に見とれた。


 やがて日も落ち、わずかな残照が水をはった田んぼを鏡のように見せていた。

 二人は来た道をそのまま引き返し、都の門をくぐり、宿舎についた。そこにはヤスニヒコの帰りを待っていたように、タクマノ姫が立っていた。ハクが慌てて土下座した。

 タクマノ姫が言った。

「どこに行っておったのか」

 ヤスニヒコはあっけらかんと答えた。

「南の湖で釣りをしておったが」

 タクマノ姫は目線を伏せ、何か思いつめた様子だった。

「姫、どうかしたのか?」

「いや、」

 ハクは、何やらただならぬ様子を察したようで早々にこの場を離れようと思った。

「では、ヤスニヒコ様。私はこれで」

「おう、ごくろうであった。獲物は全て持って行ってくれ。皆で食べよ」

「ありがとうございます。姫様もご機嫌よろしゅう」

 ハクが立ち去ると、タクマノ姫がおもむろに言った。

「ヤスニヒコ、ちょっといいか?」

「ああ」

「ちょっとこっちに来てくれ」

 そう言うとタクマノ姫は、ヤスニヒコの腕をつかんで裏の泉に連れて行った。

「どうした、何があったのか」

「何があったではない。私は毎日談合ばかりなのだ」

 疲れているのか?とヤスニヒコは察した。

「ヤスニヒコは、私のことなどどうでも良いのか?」

「どうでも良い訳ではない。他国のことに口ばしをはさまぬよう、皆で申し合わせているのだ」

「そうか」

「で、成り行きは?」

「まだ結論は出ていない」

「そうか?そなたが国王になれば解決ではないか。簡単な話だ」

「ヤスニヒコは私に国王になれと?」

「口ばしは、はさめぬが」

「一度はそうなりかけた。でも、ツムリは思った以上に良くやっていたのだ」

「それは、国の様子を見ればわかる。兄上も申しておったではないか。しかし、それと筋目は違うのではないか?」

「しかし、筋目はそうでも重臣たちのほとんどがツムリについている。もう、私の居場所はここではないのだ」

「気持ちを強く持たねば。そなたは見事に敵討ちを成し遂げたのだぞ」

 その時、タクマノ姫はヤスニヒコの胸にとびこんだ。

「私は、国王の座などどうでも良い。そなたと一緒にいたい」

 それは、まっすぐな性格である姫の、あまりにも不器用な心情の吐露であった。


 確かに一度、筋目を声高に叫ぶジイの意見に流されて、姫を女王にするような機運があった。姫もそれが当然と思った。しかしタケノヒコの言葉を思い出し、つとめて冷静に国の様子を鑑みて、自分に国王が務まるか考えてみた。考えても分からなかったから市中に出て民の声を聞いた。するとツムリの評判は思ったより良かった。先王ほどではないが、そのやり方を踏襲し民の暮らし向きをよくよく考えていたようだ。でも、それくらいなら自分にもできると思った。タケノヒコやヤスニヒコが言う正しき仕置きや情、そして義についても肌身で感じていた。「できる」。そう思った時、それは今の一行と永遠に別れなければならないということと表裏一体なのだと気づいた。タケノヒコ、ヨナ、サル、そしてヤスニヒコ。国が滅んだ日、優しく包んでくれたヤスニヒコと別れてこの先長い人生、生きていけるのか。若さからくる灼熱のような思いが姫の心を焦がした。


 月明かりを照り返す泉の前で、二人は抱き合うように無言の時をしばし過ごした。

 姫にとって、自分の思いをヤスニヒコが受け止めてくれなければ、すべてが泡となりはじけて消える。今この無言の時間が永遠に続くかのように感じられた。

 ヤスニヒコは、あまりにも唐突な話に戸惑った。しかし、カエデの気持ちを察することができたのに、なぜ姫の気持ちに気づいてやれなかったのか、そのことが少なからず悔しかった。

 姫はヤスニヒコの胸に顔をうずめたまま言った。

「頼む、ヤスニヒコ。一緒に来いと言ってくれ」

 ヤスニヒコは、しばしの少年から、いつもの冷静なヤスニヒコに戻っていた。

 ここは、どう判断すれば良いのか。

 誰が国王になればこの国の安寧が守られるのか。

 いや、その前に姫の気持ちはどうなのか。一時の感傷か。それとも。自分の気持ちは、どうなのか。泣いて笑って戦って、いつも一緒だった姫と別れて、本当にそれで良いのか。あの笑顔も泣き顔も、二度と見られなくても、本当に、本当にそれで良いのか。

 理性では計算できなかった。若いヤスニヒコの心が、ヤスニヒコに言わしめた。

「姫。一緒に来てくれ」

 姫は顔をあげ、ヤスニヒコを見つめた。

 ヤスニヒコは優しく言った。

「私も、そなたと別れたくはない」

 姫はぱっと明るい表情になった。そして笑顔とともに涙を浮かべ、再びヤスニヒコの胸に顔をうずめた。嗚咽の声の間に、小さく「はい」と言った。


 数日後、タケノヒコを仲介人にたて、談合がまとまった。国王はツムリと決まり、タクマノ姫は王族として、その身分は子孫にいたるまで保証される。もともと兄がいたため自身が国王になるなど思いもよらぬことではあったが、やはり先祖代々国王の家柄であった姫には寂しさがあった。兄の、国王としての晴れ姿を見たかった。しかし今や全てがかなわぬ夢でしかない。どんなに手を伸ばしてももう二度と触れる事はできない。すべての思いを断ち切れるほど姫は強くはなく、ツムリの国王就任儀式を執り行ったあと、人知れず涙を流していた。ヤスニヒコには、そばにいることくらいしかできなかった。


 全ての儀式が終わり、一行の出発の日がやってきた。

 姫も、一行とともに国を出る。ジイとゼムイが付き添うことになった。ふたりとも、どうしてもツムリに忠誠を誓う気になれなかったのだ。姫たちはいつでも国に戻ることのできる立場を確保していたが、もう二度と戻ることはないだろうと覚悟していた。姫は都の門を出て、どんどん小さくなっていく都の様子を何度も何度も振り返って見ては、涙がこみあげそうになるのを必死でこらえている。

ジイは、何度も「姫のめでたき門出じゃ」と繰り返し低い声で小さくつぶやいていた。



第十七章 凱旋


 国境の小山を越え、一行はキクチノ国へ入った。

 この辺りは大河の流れる盆地になっていて、タクマノ国にも負けない豊かな国がキクチの他にもいくつかある。地理的にヨシノハラツ国に近いこともあり、避難民たちが続々と戻ってきていて、ムラに都に、復興の活気が満ちていた。

 一行は、適度に休憩や補給をしながら本営のあるイワイの都を目指していた。

 もうひとつ山を越え、イワイの国へ入ったころにはタクマノ姫もすっかり立ち直っていた。

 途中、新戦場にさしかかり、そのまま残る砦や陣地の跡を目の当たりにして、その規模の大きさに、ムネやゼムイが盛んに感心していた。武人としては気になるところである。

「一体、どれだけの兵力がぶつかったのか」

 ムネの質問にヨナが説明した。

「クマソは六千。我らは四千くらいでございました」

 ムネは嘆息をもらした。

「あわせて一万・・・」

 普段あまり驚かない落ち着いた性格のゼムイも、さすがに驚いた。

「一万などと、ワノ国始まって以来の大戦ではなかろうか」

「ワシらの戦など、子供の遊びだったのだなあ。しかし、兄上はクマソ本国にいたのに、どなたが兵を率いられたのか」

「もちろん、緒戦ではタケノヒコ様も横槍部隊を率いて参戦なされましたが、各国の将軍がそれぞれ持ち場を決めて戦われたのでございます」

「しかし、それだけでは六千ものクマソ軍には勝てまい」

「はい。そこが、我が主オノホコ様のお知恵なのです。オノホコ様は先のイズツ国との大戦で学ばれたことを今回活かされたのです」

「学ばれたこととは?」

「ちと難しゅうございますが。まあ簡単にいうと柵や盾をめぐらせた砦を急ぎ造って防御を固めつつ、カノ国の書物にもありますように兵を神速をもって動かし、敵に打撃を与え続けたのです」

 ムネもゼムイも、真剣に聞いていた。

「それもこれも、みな、トヨノ御子様が先の見通しをオノホコ様にお授けくださったおかげで、敵の機先を制し、勝ち続けることができたのでございます」

 タクマノ姫が目を輝かせて話に加わってきた。

「トヨ様が?」

「そうでございます。そもそもこたびの大戦を半年も前に予言されたので、我々は十分な準備ができたのです」

「半年も・・・」

 そう言うとタクマノ姫の表情がやや曇った。

 反対にムネは明るい表情で言った。

「すごいのう。トヨ殿は。そうじゃ、兄上。お願いがござる」

「うむ、何だ」

「はい。ワシは今宵ここで泊まりとうございます。日のあるうちは、砦や戦場の様子を検分し、日が暮れれば、もっと戦の様子を聞きとうございます」

 ゼムイも賛成した。

「タケノヒコ様。私も同じ思いにございます」

 タケノヒコは笑った。

「よかろう。都には使いのみ出して、今宵はここで大いに戦話などいたそう」

 結局、その晩は皆で砦跡に泊った。

 都はもう一日弱の距離であるから食料を節約する必要もなく、皆で大いに食って飲んで、戦話で盛り上がった。


 その夜。

 ヤスニヒコが酔ったまま気分良く寝ていると、タクマノ姫に頭を叩かれ、驚いて目を覚ました。

 さすがのヤスニヒコも怒った。しかし、それ以上にタクマノ姫は怒っていた。

「そなた、半年も前にこたびの大戦を知りながら、なぜ各国に知らせなんだのか!」

 ヤスニヒコは、呆然と姫を見つめた。

「何故か。ヤスニヒコ、答えよ!」

 そう詰め寄る姫に、ヤスニヒコはかける言葉をさがした。

「教えてくれておったなら、父も母も兄も、死なずに済んだのじゃ!」

 あまりの剣幕に目をさましたヨナが弁明するため、起き上ろうとした。

 しかし、その手は隣で寝ていたタケノヒコに押し止められた。

 タケノヒコは「ここはヤスニヒコにまかせよ」というつもりで、首を横に振った。

 姫は涙声になって、ヤスニヒコを責めていた。

「なあ、ヤスニヒコ。教えてくれ」

 そんな言葉を繰り返し、やがて姫は泣き崩れた。

 ヤスニヒコは半身を起こし虚空を見つめていたが、泣き崩れた姫をそのままにはできずその肩を抱き寄せた。

「すまぬ。そなたの言い分はもっともだ。我々はクマソに悟られぬよう、キクチより南の国々には使いを出しておらぬ。そなたが恨むというならば、私は一生恨まれよう」

 姫は涙声で、言葉につまりながら言った。

「そなたは恨みとうない。でも、でも、私は悔しい」

「悔しいな。私も悔しい」

「何が悔しいのか」

「姫。私の弁明を聞いてくれるか」

 姫は黙ったが、拒絶はしておらず、ヤスニヒコは続けた。

「私が悔しいのは、我々が皆に信用されていなかったことだ。現に使いを出した国も、いよいよになるまで避難しなかった。確かにトヨ殿は高名である。しかし、そのような噂話にのって、果たして皆が右から左に動いてくれるのか。そんなことはあるまい」

 姫は泣きやみ、ヤスニヒコの話を聞いていた。そもそも姫自身そんなに物わかりが悪い人物ではなく、ただ心のわだかまりをヤスニヒコに聞いてもらいたいという甘えからの行動だった。ヤスニヒコが心をつくして言い訳を見つけてくれるなら、それはそれで良いのだ。

 ヤスニヒコは続けた。

「仮に、噂話を信じたとしても、襲ってくる敵に背中を見せ、国を捨て、逃げ延びることなど、そなたの父上がなさることであったろうか。私はジイ殿やゼムイ殿から立派であったそなたの父の話を聞いている。たとえその身は果てようとも、必ず戦う道をお選びなさったばずである」

 ヤスニヒコが語る言葉には温もりがあった。

 確かに、父ならそうしたであろうと、優しくて強かった父を思い出しては、大粒の涙を押さえきれなくなった。

 その頃には、ジイもゼムイもムネも、主立つものは皆気がついて目を覚ましていた。

 しかし誰も起き上らず、黙ってヤスニヒコの話を聞いていた。

「現にそなたの父上は立派な国王であった。自らは国のために戦い、そなたも含め多くの者を逃し、復興の礎を築かれたではないか。そなたは父を誇りに思えば良いのだ」

 姫は大きな嗚咽とともに、しかし声はおさえつつ泣いた。

 父上は犬死ではない。ヤスニヒコがそう言ってくれたのだと姫は思った。

 ジイはもちろん、ゼムイも泣いた。

 ムネも人知れずもらい泣きしていた。

 しばし時がたち、姫が落ち着いた頃にヤスニヒコが言った。

「姫にはひとつ頼みがある」

 姫は否定も肯定もしなかった。

「そもそも、戦があるから悲しみがあるのだ。かつてトヨ殿は、戦のない笑って暮らせる世にしたいと言われた。我々の望みはそれなのだ。これからそういう世をつくるため、私は大仕事をやりぬく覚悟をしている。残念ながらまだまだ戦をなくすには戦しかないが、一人でもそなたのようなつらい目にあう者をなくすため、そなたも力を貸してくれ。頼む」

 姫は長らく黙っていたが、やがて小さな声で「わかった」と言った。


 翌日も、朝早くから皆で戦場跡を検分した。

 今や全員が信じるに足る仲間と思い、ヨナは自分の知る限りの戦術を正直に皆に伝えた。

 ムネもゼムイもタクマノ姫も真剣に聞き入っていた。


 その頃、サルは一行とは別に行動していた。

 各国の被害の様子と、トヨの名声を確認するためである。

 これから、新しき世をつくるために必要な調査だと言うオノホコの使いを受けて、タケノヒコが命じたのだ。

 気のきいたナノ国兵二名を引き連れ、旅人に扮して各地を訪ね歩いた。

 各地の被害の様子はまちまちで一概に言えるものではなかったが、トヨやタケノヒコの良い噂は多少の尾ひれがついて広まっていて、一概に言うと好意的であった。神様の様に崇める者も少なからずいた。しかし今回中心的役割を果たしたヤスニヒコについてはあまり知られておらず、そこが家来であるサルにはもどかしいところであった。


 ある時。

 本来任務とは違うが、おかしな話を聞いた。

 大戦によって無人となったムラに住み着いた、イズツ国の者たちと出会った時だ。

 重税であるイズツ国は、従来から多くの流民を生みだしてはいたが、その者たちはどうも事情が違う。よくよく聞いてみると、この世のこととも思えぬ禍々しき事が起こり、やむを得ずムラを捨てたのだと言う。誰もそれ以上の事は話したがらず、サルは苦心して人間関係を築き、ようやく事の真相を聞き出すことができた。


 さて、のんびりと戦場跡の検分をしていたタケノヒコ一行のもとにオノホコから使いが来た。

 今夜戦勝祝いの大規模なまつりがあり、それは各国から人を集め、無礼講で飲み食いしようというもので、トヨも奉納の舞を披露する。せっかくならば、タケノヒコ一行の凱旋披露も合わせて行えば、いよいよ盛り上がるであろうから、今日の夕方までにはイワイの都に必ず着くようにと言ってきた。

「トヨ殿が、舞を奉納するのか」

 そう言って、タケノヒコから笑顔がこぼれた。それを見逃さずからかうようにヤスニヒコが言った。

「兄上はトヨ殿の舞がお好きだから」

 使いの者が説明した。

「オノホコ様は、そのあたりも趣向を凝らしておいでです。手筈もお伺いしておりますので、道々お話いたしましょう」

 タケノヒコは笑顔のまま、珍しく軽口をきいた。

「いつものように間合いの難しい指図なのであろうな」


 その日の夕暮は、それはもう美しい金色の光が辺りを照らしていた。

 各国の代表者はもちろん、身分に関係なく人々が集まっていて、ムッとするような人いきれと喧騒に満ちていた。酒、魚、肉、それにくるみの焼き菓子などごちそうがあちこちに並べてあった。ボゥという音とともにあちこちの松明に火が点じられた。バチバチという音を伴いながら炎が天を焦がした。古今に例を見ない大戦の戦勝祝いにふさわしく、大規模なまつりであった。


 大小五百基を超える松明全てに点火された頃、激しく鐘が打ち鳴らされた。

 イワイの国王が仮設の舞台に立ち、戦勝の宣言を行い、神に感謝を奉げる旨をみなに申し渡した。民衆から歓声があがり、みな勝利に酔いしれた。するすると舞台上にイワイの国の巫女たちがあがり祈祷を始めた。祈祷の言葉の唱和に鐘や太鼓が打ち鳴らされると、一種幻想的な雰囲気を醸し出した。やがて太鼓の乱れ打ちとともに祈祷が終わり、戦勝祝いのまつりが始まった。わぁっと人々は歓声をあげて思い思いの御馳走にとびついた。酒も食い物もたっぷりある。みな笑顔で話に花を咲かせながら酒を浴びるほど飲み、食い物をほおばった。聞きしに勝る大軍を相手に、それこそ身も細る思いで戦い抜いた者たちの喜びはひとしおであった。タケノヒコたちが都に着いたのは、そういう盛り上がりの最中であった。


 一行は、オノホコの指図の通り、皆が甲冑を着けていた。そして到着をオノホコに伝えると、おりかえし、手筈どおりに入城せよとの指示があった。そこで、時がくるまで待機することにした。


 やがて、ひときわ大きく太鼓が打ち鳴らされ、舞台にオノホコが上がった。

「みなのもの、静かに!」と叫び、警備の兵たちが民衆を静かにさせてまわった。

 辺りが静まった頃合いを見てオノホコが言った。

「みな、先の大戦はごくろうであった。ワシはキビノ国の嫡男、オノホコである。こたび神のお導きによって微力ながらお手伝いさせていただいた。そして同じく神の御心によってお手伝いした仲間がおる。一人は神の声を聞くトヨノ御子殿である。そしてもう一人は、オオヤマトの常勝将軍タケノヒコ殿である。今回遠くクマソに討ち入り、見事クマソタケルを成敗いたした!」

 おおー!という大歓声が沸き起こった。

「そなたらの中には、タケノヒコ殿とともに戦い、その軍神のような姿を見た者もおろう。そのタケノヒコ殿が今ここに凱旋なされ、神の使いであるトヨノ御子殿に勝利の報告をいたす!皆の者、拍手をもって出迎えよ!」

 おおー、おおーと何度も大歓声が湧きあがり、盛んに拍手した。

 太鼓がひときわ大きく、強く打ち鳴らされ、タケノヒコらが入城してきた。

 舞台までの一本道を、多くの笑顔と歓声に包まれながら、一行は真っすぐに進んだ。そしてタケノヒコ一人が舞台に上がると、その一段高いところにトヨが待っていた。トヨは祈祷の衣装を身にまとい、凛としてタケノヒコを見下ろしている。指図通り、タケノヒコはひざまずき、トヨに一礼した。トヨは小さくうなづき、右手を高々と掲げた。

「皆の者!我々の喜びは天に届いたぞ!」

 というオノホコの叫びを合図に鐘や太鼓が激しく打ち鳴らされた。

 タケノヒコは舞台を降り、トヨの舞へとつながっていった。

 たまたまタケノヒコらの帰着とまつりの日程が折り合ったために、オノホコが急遽考えた演出であったが、この日一番の盛り上がりを見せた。いや、よくよく考えるとトヨの神通力がそのように導いたのかもしれない。


 さて、そのトヨである。

 圧倒的な美しさで舞い、見る者を魅了した。皆を陶酔の世界へ誘っていた。

 タクマノ姫は素直に「きれい」と言い、カエデは複雑な気持ちで見つめていた。

 同じく、初めてトヨを見るムネは、心の奥底に響く不思議な感動に、わけもなく涙を流していた。

 まつりは、夜遅くまで続いた。

 それは、人々の脳裏に喜びの記憶として長らく残り、イワイの国では毎年、規模こそ小さくなったが、火まつりとして行われるようになった。


 まつりの喧騒が去り、辺りが静寂を取り戻した頃。

 タケノヒコとヤスニヒコは、宿舎に案内され、そこで甲冑を脱ぎ一休みしていた。

 高床式の家屋で、入口から窓に抜ける夜風が酔った体をさますのにちょうど良かった。

「兄上、今日の酒は格別でしたね」と、ヤスニヒコがにこやかに言った。

 タケノヒコは窓にもたれつつ答えた。

「そうだな」

「今日の日が来ることは、トヨ殿のお導きもあり、疑いませんでしたが、やはり実際はいろいろあって、楽しかったような、つらかったような」

「そなたは、よくやったぞ」

 ヤスニヒコは笑顔を見せた。

 この、憧れでもある兄からほめられるのが、本当にうれしいのだ。

「しかし、まあ、初めに驚いたのはタクマノ姫に殺されそうになった時です。あの時、じつは小用を足したくなって、ふと、後ろの茂みを振り返ったのです。振り返ってなければ、姫に刺されておりました」

 タケノヒコは笑った。

「それは初耳だ。姫はさかんに、ヤスニヒコは後ろにも目があるような武芸者だと褒めておったが」

「内緒ですよ。あまり格好よくありませんから。で、次に観念したのは、いざクマソタケルを討ち果たす時、山の中でヨシノオ殿の軍と鉢合わせになった時です。何て間が悪いんだと思いました」

「おう、その話ならヨシノオ殿から聞いたぞ。しかし、そなたは落ち着いて交渉したのであろう?ヨシノオ殿が感心しておったぞ」

「内心はそんなに穏やかではありませんでしたよ。なんとか丸め込んで早く都に入りたい一念でした」

「そなたも懸命だったのだな」

「兄上は、どうだったのですか?あの時、計画が露見したのでしょう?」

 タケノヒコはちょっと空を見つめ考えた。

「うむ。あまり覚えてはいないな。自然と体が動いていた」

「はあ」

「あの場にいたゼムイ殿も、サルも、みな同じではないか。あっという間に敵の機先を制することができた」

「みな、人並み外れた力量ですからね。そうそう、姫たちの処遇もはっきりさせねばと思いますが、兄上はいかがお考えで?」

「うむ。我がオオヤマトの客分でどうかと思う。もし望むなら正式に臣としても良いのだが、仮にも一国の王族を臣にはできまい」

「そうですね。父上は、あのような良きお人柄ゆえ問題ありませぬが、キミナヒコ兄はどうでしょう」

「そうだな。事前に使いを出して根回ししておかねばならぬな」

 ヤスニヒコは、急にニヤついた。

「ムネ殿一行も客分で良いと思いますが、問題はカエデですね」

しかし、ヤスニヒコの期待とは裏腹にタケノヒコはいたってふつうに淡々と答えた。

「うむ、私が怪我をしたおり、いたって親身になって看病してくれたからな」

「それだけ?」

「それだけとは?」

「いや、もっと違うような」

「オオヤマトで大人として暮らし向きがたつようにしたいと思うが」

「それそれ」と言ってヤスニヒコが手を叩いて笑った時。

 背後の入口に、トヨが立っていた。

「何がそんなにおかしいのです?」

 ヤスニヒコは、心臓が止まるかと思った。

「おう、トヨ殿。まだ起きておられたか。明日にでも伺おうと思っておった」

「タケノヒコ様は、いつもお気づきになりませんね。私はもう長いことここにいたのですよ」

 タケノヒコは「すまぬ」と言って笑顔を見せた。

「お二人の楽しそうなお話も全部聞かせてもらいました」

 そう言いながら、冷たい目でヤスニヒコを見た。ヤスニヒコは慌てて、ぎこちなく言った。

「やあ。トヨ殿も息災で何より」

「息災なのは、さっきの舞でご存じでしょうに」

「そ、そうだな」

 力なく笑うヤスニヒコの目は泳いでいた。

「そなたとは、つもる話がしたいと思っておった。今宵は飲み明かそうぞ」

「はい。タケノヒコ様。そう思ってシンに準備をさせてまいりました」

シンが、たくさんの品々をかついで入ってきた。

「タケノヒコ様、ヤスニヒコ様、お久しぶりでございます」

「おう、シン。久しぶりだな。よし、四人で飲みなおしぞ」



第十八章 新しき世


 翌日。

 タケノヒコ、ヤスニヒコ、タクマノ姫、ムネの四人は、オノホコに導かれイワイの国王に謁見し、その後、各国の重臣たちに事の次第を報告した。重臣たちはみなにこやかにみなの労をねぎらってくれて、全てうまくいっているかのようにも見えるのだが、その帰り道、オノホコが実情を話してくれた。

 それによると、イワイが勝利の分け前として、周辺小国の支配権を強硬に要求しているという。たしかに住民がいなくなった地域もあり、認めても良いのだが、今回は防衛戦争であり、自国の自立のための正義の戦いであったのだと、義を唱えるヨシノハラツ国と対立しているという。現実的には、イワイの勢力拡大を恐れてもいる。


「難しい問題だな」と、タケノヒコが言った。

「そうなのじゃ。分け前を一国のみに認めるわけにもいかんでのう。かといって各国に分け前を与えると、私利私欲の戦いであったことにもなりかねぬ。私利私欲を言い出せばきりがない」

 オノホコは、そのことで最近頭を抱えていた。

 ヤスニヒコが言った。

「オノホコ殿。大変なのはわかるが、今日くらいは忘れて、みなでぱーっといきませんか。アナト以来の水夫たちや、スクナも呼んで。新しい仲間も増えたことだし」

 オノホコも、同意らしく、パッと表情が明るくなった。

「そうじゃのう。そうするか」

「では、私が準備してまいります」と、従者として付き添っていたシンが言い、準備のために先に走って行った。

「しかし」と、急にオノホコが言い、タクマノ姫に近寄った。

「酔っ払う前に聞いておくが、姫、あれじゃ。ワシの嫁にならぬか」

 またか!とヤスニヒコは思った。

 姫は真っ赤になった。

 オノホコは、そんな姫を見て調子に乗った。

「真っ赤になって。カワイイのう」

 姫が真っ赤になる時は、怒っているのだとヤスニヒコが思う間もなく、

「無礼を申すな!」

 姫はオノホコの股間を蹴りあげ、走って逃げた。

 遠くで、姫が言った。

「私は、ヤスニヒコの嫁になるのだ!」

 タケノヒコが心配してオノホコに声をかけた。

「大丈夫か」

「いや、大したことはない。大丈夫じゃ。美しい姫にまた逃げられた。残念じゃ。しかしヤスニヒコの嫁とはのう。え?」

「そうなのか、ヤスニヒコ」

 タケノヒコが聞いた。

 ヤスニヒコは慌てた。

「いや、その、あの・・・」

 ムネが笑った。

「いいのう。ヤスニヒコは。美しくて元気な嫁がきてくれて」

 オノホコが笑って言った。

「そなたの嫁とは知らず、すまなんだ。いいから、姫を追いかけて行け。ワシが謝っておったと伝えてくれ」

 タケノヒコも笑った。

 バツが悪そうに、ヤスニヒコは走って行った。


 それから、戦後交渉をまとめるため、オノホコとヨナはイワイに残り、タケノヒコらは、農業や鉄の技術を学ぶためナノ国へ戻ることとなった。途中、アキの勧めもあり、ヨシノハラツ国へ立ち寄った。


 ヨシノハラツ国は、豊かな内海と、あまり高くはない山脈の間に広がる平野にある。

 都の周囲には大きな川や小さな川がいくつも流れ、灌漑に適していた。そのため開墾が進み、豊かな国であった。

 ナノ国と同じように、要塞は山の上にあるが、普段は使われておらず、人々は丘陵地帯の都で暮らしている。その規模は大きく、中心となる神殿や宮殿といった神聖な一帯の周りに、大人の居住区、下戸の居住区、広場、集会所、市場などの各郭があり、それらは深い堀と高い塀で区画されていた。また、外縁部には逆茂木が多数備えられていて、その厳重な防衛体制は、イト国、ナノ国、イワイノ国など有力な国に囲まれているという立地条件からくるものであった。


 タケノヒコらは、国王トキから盛大な歓迎を受けた。

 トキの耳には、タケノヒコらが語る新しき世の話が入ってきていて、その趣旨に概ね賛同していた。今回の大戦のかたちである各国の連合体は試験済みであり、運営できそうな見込みも立っている上に、何よりトヨの先を見通す力には畏れとともに信頼を寄せていた。加えて、タケノヒコの人柄と、その背後にある強力な軍事国家オオヤマトの重しがあれば、民の暮らしを安んじ、交易を盛んにし、ますます豊かになれると考えていた。タケノヒコら若者に、どこまで託せるかは未知数であったが、かつて“義”を掲げて国をまとめていった自分の若かりし頃と重ね合わせて見ていた。


 タケノヒコらは、三日間逗留し、ナノ国へたつ事となった。

 そんなに高くない山々が連なる山塊の向こうは、ナノ国である。

 別れ際、トキはタケノヒコの手を握って語った。

「そなたたちが、新しき世をつくると言うなら、私も協力しよう。美しき国づくりの志、忘れぬようにな」「国王のお言葉、肝に銘じます」

 トキの手を力強くにぎりしめ、タケノヒコはそう答えた。


 そうしてタケノヒコ、ヤスニヒコ、トヨ、スクナ、シン、タクマノ姫、ジイ、ゼムイ、カエデ、ムネ、クロ、タクの十二人は、ヨシノハラツ国を離れた。


 さて、ナノ国に着いてからというもの、一行は農業に、鉄器加工にといろいろと学ぶことが多すぎて忙しかった。

 農業について言えば特にオオヤマトとの違いはなかったが、上手の者から、堆肥の作り方、土質の見極め方と、それに合わせた土壌の作り方、夏場の水の駆け引きなどを、現場を見ながら教わった。しかし鉄器については、全く知識がなく、鉄づくりの親方に弟子入りして一から学んだ。タケノヒコもヤスニヒコも物覚えが良く、コツをつかむのが早かった。しかしそれ以上に、シンの上達が目覚ましく、親方から婿に来いと言われたほどである。

 女たちは、トヨを中心に、舞の鍛錬をしたり、市にでかけたりと、意外なほど仲がよく、まるで三姉妹のようであった。その頃はトヨも体調が良く、また、タクマノ姫も毎日明るい笑顔を見せていた。心配されたカエデも、心を乱すこともなくソツなく振舞っていた。トヨも心を許しているようで、年上のカエデに、時々甘えていた。

 ゼムイやムネたちは、ゲン将軍にその武芸が見込まれ、ナノ国兵の鍛錬に力を貸していた。そうしているうちに、別行動していたサルも戻ってきた。


 ある日、タケノヒコを訪ねてきた一団があった。

 イト国の使者である。

 タケノヒコが会ってみると、その団長らしき男は平身低頭しつつ、噂に聞く新しき世とはどの様なものかを訊ねてきた。よくよく話をしてみると、ナノ国がヨシノハラツ国やイワイの国、鳥の国と同盟した今、隣国であるイト国だけが取り残されるのは極めて危ないと判断したようで、タケノヒコらのいう新しき世というものが賛同できるものであるならば、それをよすがに国の安全を確保したいということであるらしい。ことに遠国であり、直接の利害が絡まないオオヤマトと話をすれば、ナノ国に出し抜かれることもなかろうと、イト国王が指示したようだ。タケノヒコから見ても賛同者が増えるのは悪いことではなく、親切にもてなし、タケノヒコが思う和合の精神や、トヨがいかに優れた巫女であるか、その奇跡の数々を語って聞かせた。

「要は、トヨノ御子様でありますな」と、団長はいう。

「そうだ。我らの行く先を照らしてくれるのだ」

「まことに、感じ入りました。できますればトヨノ御子様の神懸かりのお姿を見てみとうございまするな」

「いつも神懸かっておる訳ではない。特に戦のない時はな。それに、見えるものもあれば見えぬものもあるという」

「ほう、それは」

 一団は、ひそひそと相談を始めた。トヨの不確実性に不安を覚えたようだ。しかし、タケノヒコは話を誇張して伝えたくはなかった。正直さは信頼関係のもとであり、うそは後々もめごとになる。

「せめて、謁見をお許しくださいますか」

 やがて団長がそう言った。

「トヨ殿に聞いてみるが、構わぬであろう。謁見などど大げさなものでもないが、近々に会えるよう手配いたそう」

「感謝いたしまする。では、ひとまず我らは宿舎に戻り、控えております」

 団長がそう言った時、聞き覚えのある大きな声が聞こえてきた。

「おう、タケノヒコ殿。ワシじゃ。今戻ってきたぞ」

 その声は戸外でシンに押し止められた。

 シンは「来客中ですから」といろいろと言ってみたが、遠慮するようなオノホコではない。

「イト国の使者が参っておるのであれば、好都合。語りあいたいこともあるでな」

 そう言ってズケズケと入り、板ぶきの広間に座っていた一団を見つけるなり大声であいさつした。

「イト国の御使者でござるな。ワシはアキツシマのキビノ国の跡取りで、オノホコじゃ」

 如才ないイト国の団長が微笑みを浮かべつつ深くお辞儀をした。

「オノホコ様のお噂もうかがっておりまする。私が団長のタカでございまする。以後よしなに」

 オノホコはドスンと座り込み、タカにすり寄ってその手を握り締めた。

「よう参られた。新しき世に興味をお持ちなのだとか。よう分別なされましたな。ワシは嬉しい。これでチクシ大島がまとまれば、はずみがつくでのう」

「いたみいります」

「新しき世とはな、簡単に申せば、戦のない皆が笑って暮らせる世の中なのじゃ。つまりな、要は物の流れじゃ。戦がなくなり平和になれば、安心して作物を作れる。綿や麻や甕や勾玉や、鐘など様々な物も作れる。そうした物を、ある所からない所へ持って行って必要な物と交換する」

「市でございますか」

「それよ。市よ。ワノ国中で安心して交換できれば、飢饉が起きてもあるところから持ってくれば良いので大丈夫じゃ。皆が安心して暮らせるであろう」

「ほう」

 タカは感心した。さきほどのタケノヒコの精神論とはまた別次元の話をしている。

 現代で言うなら、経済とでも言うべき話だ。

「例えば、鉄じゃ。鉄さえあれば原野を切り開き農地に変えるのも簡単じゃ。しかし、今のところ鉄の元はカノ国より持ってこなければならないから、作れるところは限られる。それを、正しい目方で各地の物と交換できればワノ国中が便利になるであろう。イズツはそこが間違っておった。ふっかけすぎなのじゃ。つまりな。トヨ殿の照らすところで、正しく公平に連合すれば、皆がますます栄える。ワシはそんな世にしたいのよ」

 一団の末席の者が言った。

「それで、キビノ国の利益になりましょうや?」

 オノホコは、大いに笑い飛ばした。

「皆が栄えれば、キビノ国も栄える。どこか一国だけが栄えることを望めば、周りは衰える。そうなれば、やがてその一国も衰える。皆が衰えれば、カノ国の的になる。ワノ国が豊かで、しかもまとまっておれば、カノ国も手出しできまい」

 話が飛躍しすぎの様にタカは思ったが、大意としてオノホコの言うことは間違っていない。カノ国も今や戦乱状態にあり、ワノ国を攻める余力はないということをタカは知っていた。しかし、カノ国に余力がない今こそ、ワノ国をまとめるチャンスなのだ。昔のナノ国のようにカノ国の後ろ盾を得て、周辺を武力で従えることもできず、今はカノ国の後ろ盾に代わる求心力が必要である。それが、タケノヒコのいう和合の精神であり、オノホコの言う経済的な考え方であり、そして先々を見通す力がトヨにあるならば、常にカノ国の襲来に怯え、ナノ国を疑いながら、毎年の豊作不作に一喜一憂する息苦しさから解放される。これは確かに新しきというより面白いことになるやも知れぬとタカは感じた。

「オノホコ様のお言葉、感じ入りました。よくよく肝に銘じまする」

 オノホコは、とびきりの笑顔を見せつつ言った。

「そうか。分かってくれるか。イト国のお方は物わかりが良い。今宵は飲み明かしましょうぞ」


 翌日。

トヨが会っても良いと言うので、タケノヒコはイト国の一団をトヨの元へ連れていった。

 宿舎に入ると、広間の中央にトヨがいかめしい祈祷の身なりで座っていて、左右にはタクマノ姫とカエデがまるで侍女のように侍っている。そうするようにと、オノホコから指示があったのだ。

タカは席に着くなり「ほう。聞きしに勝る美しさですな」と上手を言った。

 カエデはそつなく上品に微笑みを見せたが、トヨは鋭い目つきを変えていない。一団の真贋を見極めようとしているようだ。

「トヨノ御子様、ごきげんうるわしゅう。イト国王の使いで参ったタカにございます」

「タカ殿。中央がトヨ殿である。右はカエデと申す私の命の恩人であり、我がオオヤマトの大人である。左はタクマノ国の姫である。今はゆえあって我らの一味である」

「カエデ殿、姫様、以後よしなに」

 タカは如才なく笑みを絶やさずに挨拶をしたが、トヨは黙って虚空を見つめていた。

 タケノヒコが「何かお言葉を」と催促したが、トヨは黙っていた。

 しばらく無言の時が流れ、カエデはハラハラしていた。

 タケノヒコが再び催促した時、ようやくトヨが口を開いた。

「よし。やましい下心はないようだ。そなたが民の暮らし向きを心配する者であることはわかった」

タカも驚いたが、その従者たちの方がよほど驚いた。タカは、イト国では一番良心的な重臣である。今回も武人たちの反対を押さえて、民のためになるならばとやってきたのだ。

 タカは心の動揺を隠しつつ、トヨを試すように言った。

「わかりませぬぞ。人はみかけによらぬものです」

 トヨは笑った。

「そなたは孤児の世話をしておろう。老人たちにも施しをしておる。そなたに感謝する者たちの魂が、そなたの周りにおる。特に長い白ひげのジイ様がニコニコしておる」

 従者たちは、慌てて周りを見回したが、もちろんそのような者はいない。

 タカは落ち着いて訊ねた。

「名はなんと?」

「その者は、シキと言うておる」

 タカには思い当たるふしがあったが、そのシキジイは三年前に他界している。

「その者は、そなたにありがとうと言うてくれ、孫のシキホを頼むと言うてくれと言っている」

 タカは合点がいった。確かに巫女の中にはこのような者もいるが、トヨの能力は卓越している。

「御子様を試すような物言い、ひらにご容赦ください」

「しかし、そなたの国王はちと欲深き男のようだ」

 タカの従者が即座に言い返した。

「我が国王が欲深きとは、あまりのお言葉」

 タカが制した。

「控えよ」

「しかし」

「よいか、先ずは話を聞いてからじゃ。して御子様、何故その様に言われるのか」

トヨは言った。

「海賊よ。カノ国の沿岸を荒らす海賊の後ろ盾になっておろう。その様な振舞いを止めぬと、カノ国襲来の悪夢は消えぬ」

 全てお見通しなのだと、タカは思った。うそや言い逃れは通用しまい。

「そのこと、よくよく国王に伝えまする」

「作物を育てよ。品物をつくれ。魚を獲れ。そのような正業の暮らしが一番だ。育てる知識、つくる知識は他国から学べばよい。その代わり魚を獲る知識を他国に教えよ。そのようにして皆が豊かになることが、私の希望であり、新しき世だ」

 タカは、タケノヒコともオノホコとも違う概念を聞かされた。現代風に言うならば、交流とでも言うべきか。理念のもとに交流があり、物流がある。新しき世とはその様なものであるなら、決して悪い話ではなかろうとタカは思った。

 トヨは続けた。

「そなたの国にはまだまだ耕作できる土地がある。土地神様がお許しになっておる。その場所を後で詳しく教えるゆえ、国に帰って談合なされよ」

 そして、生産がある。

 タカは、タケノヒコやオノホコやトヨらの若者たちが語る新しき世に、ますます興味を覚え、心からの笑顔を見せた。

「よろしくお頼み申す」

 タケノヒコが言った。

「トヨ殿の話をみやげに国へ帰られよ。そしてよくよく談合なさればよい。私は、イト国も新しき世に賛同なさるがよかろうと思う」

「武勇轟くタケノヒコ殿のお言葉もわが君にしかとお伝えいたしまする」


 会見も終わり、使者たちは国へ帰って行った。

 その後も、周辺のムラや小国の者たちがタケノヒコを訪ねて来た。

 皆、さきのチクシ大戦に懲りているのだ。かと言って近隣の大国に従属することも出来ず、直接利害の絡まないオオヤマトのタケノヒコを後ろ盾にしたいと考えている。タケノヒコは、どんな小さなムラの者であれ丁寧に応対し、皆をトヨに引き合わせた。中には即決で新しき世への参加を希望する者もいて、チクシ大島では、先の大戦をバネに新しき世を建設する機運が盛り上がっていった。


 ある日の夕方。

 シンがアナトノ国以来の水夫たちと、皆の夕食の準備をしていると、オノホコが嬉しそうな顔をして宿舎に帰って来た。

「シン、タケノヒコ殿はお帰りか?」

「いいえ、まだです。田んぼにおられるのでは」

「ヤスニヒコも一緒か?」

「はい。そうだと思いますが、どうなされたのです?」

「決まったのじゃ。いよいよ新しき世をつくる時が来た」

「まことで?」

「ああ。チクシ大島の大国の多くが同意した。アナトノ国もオオヤマトも、もちろん我がキビノ国もじゃ。いや、めでたい」

 シンの表情も明るくなった。新しき世は、今や皆の悲願のようになっていたのだ。

 シンは嬉しさに心を弾ませ言った。

「おめでとうございます。では私がお呼びに参ります」

「いや、ワシが直接行こう。ゲンジイの田んぼであろう。早く知らせたいでな」

そう言うと、オノホコは自慢の速足を生かして、田んぼへ向かった。

都を出て、北へ向かっていると、夕日に染まったひと筋のあぜ道の向こうから、タケノヒコとヤスニヒコがちょうどこっちに向かって歩いて来ているところであった。

 オノホコは思わず大声を張り上げ、手を振り、二人に駆け寄った。

「タケノヒコ殿!」

 普段は都の外に出ないオノホコとこんなところで出くわすという珍しい光景にタケノヒコも驚いた。

「どうなされた。何かあったのか?」

 オノホコは満面の笑顔で言った。

「決まったのじゃ。いよいよ新しき世ができる」

「そうか。よかった」

「それで、一刻も早くお知らせしようと、こうしてやってきたのじゃ」

「オノホコ殿、御苦労であった」

 オノホコが宮殿に毎日通い、各国の高官たちと談合を重ね、新しき世の実現に努力していたことはタケノヒコもヤスニヒコも知っている。

 ヤスニヒコも笑顔で言った。

「では、トヨ殿にも早速お知らせせねば」

「そうじゃのう。なにしろ新しき世の中心となってもらわねばならぬからのう」

「では、私がひとっ走り行ってきます」

「ヤスニヒコ、すまぬが頼むぞ」

「では、後ほど」

 そう言うと、ヤスニヒコは駈け出した。

 夕暮のあぜ道を心も軽やかに駆けた。


 都に入り、トヨたちの宿舎につくと、口上もそこそこに、あがりこんだ。

 広間には、いつもの三人がにこやかに談笑しながら夕餉をとっていた。

 タクマノ姫が、息を切らせて駆けこんできたヤスニヒコを見上げて言った。

「どうした?ヤスニヒコ。そんなに慌てて」

 ヤスニヒコは、破顔一笑。

「決まりました。トヨ殿。新しき世ができるのです」

 その知らせを聞いてタクマノ姫とカエデは喜色を浮かべた。しかしトヨの表情は冴えず「そうか」とだけ言うと、窓の外を見つめた。

 トヨもきっと喜ぶと思っていたヤスニヒコにはちょっと意外な気がした。

「トヨ殿、どうかなされたのか」

「いや、別に」

「ならば、今夜はお祝しましょう。我らの宿舎においでください。詳しい話を皆で聞きましょう」

「あまり、気が進まぬ」

 意外な言葉に驚いたタクマノ姫が、すがるようにトヨに言った。

「トヨ様。私は行きたい。久しぶりに皆と語り合いたい」

 カエデもとりなすように言った。

「トヨ様、たまには良いではありませぬか。タケノヒコ様もお喜びでしょうに」

 トヨは窓の外を見つめたまま黙っていたが、やがて振り返り皆に笑顔を見せて言った。

「皆がそう申すなら、よかろう」


 その晩の祝宴は、タケノヒコ、ヤスニヒコ、シン、オノホコ、ヨナ、トヨ、カエデ、タクマノ姫、ジイ、ゼムイ、ムネ、クロ、タク、それから苦楽を共にしたアナトノ国の水夫十名が参加し大掛かりなものとなった。スクナとサルはオオヤマトへの使いでこの場にはいない。

 タケノヒコらの宿舎には入りきれず、宿舎前の広場にかがり火を焚いて、皆が車座となっての宴席であった。新しい仲間も昔からの者も、今や一味となった者たちの表情は明るかった。

 オノホコによると、新しき世とは各国の連合体であり、初めはチクシ大島の各国に加え、アナトノ国、キビノ国、オオヤマト国から成り、そしてタケノヒコには思いもよらぬことであったが、その中心地としてオオヤマトに新たな都を建設するというものであった。そしてゆくゆくは東のヒノモトノ国など穏健な各国も交えつつ勢力を拡大し、カノ国とも渡り合える強固なものにしていくという壮大な話である。

「それもこれも、トヨ殿はもちろん、タケノヒコ殿の武勇のおかげじゃ」と、盛んにオノホコが言っていた。

 ヨナが多少解説を加えた。

「各国とも、オオヤマトの武力を頼りにしておるようです。それが邪まな力であればいざしらず、タケノヒコ様のお人柄と同一視され、皆一様に好意をもっておるようで」

 シンが口をはさんだ。

「しかし我が国は周囲にニノ国、クマヌ国があり敵対しておりますが大丈夫でしょうか」

 オノホコがにこやかに言った。

「確かにそうじゃが、ニノ国はイズツ国の弱体化以来、崩壊寸前と聞くぞ。まあ問題はクマヌ国じゃが、暫くは様子見でちょっかいは出さぬであろう。その間にアワツシマの各国とよしみを深め、セトノ海を押さえることができれば、往来が自由となり我らの新しき世は安泰じゃ」

「しかし、その海の要であるヤマトが加わっておらぬであろう」と、唐突にトヨが言った。

 ヤマトとは、瀬戸内海に面する国でオオヤマトとは縁戚関係にある。

 めでたい宴席は急に静かになった。

 事情を知るヨナの顔色が悪くなった。

「はて、ヤマトとはまた面妖な。我がオオヤマトとは縁続きであるのに」

 タケノヒコがそう言うと、ヨナが意を決して事情を説明した。

「まことに申し上げにくいことではございますが、タケノヒコ様のお耳に入れておかねばなりません」

 タケノヒコは身を乗り出して聞いた。

「実は、以前私はヤマトの国王は欲深き男と申しましたが、やや違うようです」

「ふむ。してどのように」

「はい。国王ではなく、その姉君が問題のようです」

 オノホコは、持っていた杯を一気に傾け、勢いのまま吐き捨てるように言った。

「ふん、あの強欲女め。妬んでおるのよ」

「それは、しらなんだ。そのような姉君がおられるのか」

 ヤスニヒコがそう言うと、オノホコはいよいよ舌鋒鋭くののしった。

「クニの巫女であることをいいことに、やりたい放題じゃ。朝から国王の使いが来たかと思えば、夕方には奴の使いが来て全く違うことをぬかしおる。一体あのクニはどうなっておるのか」

「ふむ。それで、結論は?」

 身内の悪評は、あまり気持ちの良いものではない。しかしタケノヒコは冷静に耳を傾けた。

「結論も何も、まだまとまっておらぬようじゃ」

「まあまあ、クニの行く末を決める大事なれば」

 そういうヤスニヒコを遮るように、オノホコがわめいた。

「ワシは認めぬ。奴は自分を新しき世の巫女にせよとぬかしおる。新しき世の巫女はトヨ殿でなければならぬ。それなのに、オオヤマトとの縁続きをいいことに、図に乗りおって」


 ヤマトという名は、そもそも山脈の入口または山の中の都などを意味する一般的な名称であり、ワノ国中にいくつもある。その中でもタケノヒコの国は最も勢力が大きいため、オオヤマトと通称されている。ここでいうヤマト国とは、オオヤマト初代国王が東へ向かう途中、その兄がチクシ大島に建国した国で、別名トヨノ国とも言う。


 オノホコはさらに続けた。

「強欲女の証拠に、周辺のムラや小国に戦を仕掛けては、作物を奪い取っておるというではないか。強欲女でなければ、あ奴は女賊じゃ!」

 タケノヒコは信じられぬといった表情で、かたわらのヨナに振り向いた。

 ヨナはうなずき、こう言った。

「タケノヒコ様のお耳には入れたくなかったのですが、その様に申し立てするムラがいくつかあります」

 偉大なおおきみの兄上の国が、まさかそんなことをしているとは。

 タケノヒコは、さすがにほおっておけないと思った。

 しばし考え、ことの真偽を見極めたいと、ヤマト国を訪ねてみることを提案した。

 トヨは、「あまり良くない事が起こる」と賛成しかねたが、タケノヒコの決意は固かった。

 セトノ海の要衝であるヤマトを是非にも引き入れたいヨナの思惑もあり、タケノヒコのヤマト派遣が決まった。


 それから、十日ほどの間、オノホコとヤマトの間で使いの往復があり、ヤマトからタケノヒコの来訪を了解したという返事があった。タケノヒコは、ヨナ、ゼムイ、ムネ、クロ、タクにアナトノ国の水夫六名、そしてカエデを連れて旅立つこととなった。いつもなら弁のたつヤスニヒコも参加しそうだが、今回はわりと変わった顔ぶれであった。特にカエデは、「タケノヒコ様のお世話をしたい」と強く願い、紆余曲折はあったが、その純粋な気持ちを酌んだトヨより「今回私は行けぬゆえ、よくよくお世話してさしあげるように」と特別に認められた。


 三日ほどの準備を経て、十八名は船で旅立った。船を使う理由は、もしもの場合、船で脱出するためであり、今回はそういった危険を伴うと、トヨは警告していた。


完読御礼!

次回はいよいよ最終部分の予定です。

ご期待ください。


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