チクシ大戦物語 第十五章
いつもありがとうございます。
今回は、クマソがおっぱじめた戦いの決着です。
また、新しい仲間、ムネ、クロ、タクの三人が登場します。
お楽しみください!
第一章 ナノ国
第二章 作戦
第三章 何のための戦い
第四章 義の旗
第五章 クマソ同盟
第六章 新しき世の胎動
第七章 粉雪の中の激突
第八章 仲間とともに
第九章 カワカミノ王子
第十章 緒戦
第十一章 南へ
第十二章 クマソタケル討伐戦
第十三章 武人の矜持
第十四章 もののけ
第十五章 ハヤト襲来 (今回はここです)
第十六章 月下の泉
第十七章 凱旋
第十八章 新しき世
第十九章 女賊
第二十章 もののけの息遣い
第二十一章 神の軍勢
第十五章 ハヤト襲来
クマソでも、新たな動きがあった。
「ハヤトの物見が数人、都に押し入りまして、狼藉を働いて去って行ったそうにございます」
ちょうど世間話をしていたカワカミとヤスニヒコは、そう報告を受けた。
それは、ハヤトの関心が都に向いたということであり、二人とも少なからず衝撃を受けた。前線で小競り合いを繰り返すより、国王交代のこの時機を狙って一気に都を襲ってくるであろうといろいろ談合してきたのだが、思ったよりも早かった。
「して、民に被害は?」
カワカミが、浮かぬ顔で聞いた。
「娘がひとり、連れ去られてございます」
「それは、いかん。すぐに兵を出して追いかけよ」
「はあ。追手は差し向けましたが、山の中に入り込み行方が分からぬようで」
カワカミは冷静に言った。
「さらに人数を増やし八方へ探索させよ。私はこれより連れ去られた娘の家へ見舞にまいる」
「カワカミ殿。私とサルと、ゼムイ殿も行ってよいか」
「それは、かまわぬが」
「我らもお手伝いしたいと思うてな」
連れ去られた娘の家の周囲は、近所の者が集まり悲嘆に暮れていた。
娘は評判の美女で、気立ての良い孝行娘でもあったという。
両親はハヤトに抵抗したようで、あちこちに怪我をしている。それでも見舞に来たカワカミにとりすがり、涙も鼻水も流しながらくしゃくしゃの顔で「助けてくだされ」と懇願している。
カワカミは、しゃがんで両親の目線に降り、母親の肩に手をかけて言った。
「こたびの難儀、気持ちはわかるぞ。今我が兵が行方を追っているゆえ、安心するがよい。二人とも、傷の手当てをせよ」
その様子を眺めながら、ヨナがヤスニヒコに耳打ちした。
「これは何かの罠ですぞ」
「何故そう思う?」
「先ず、このふた親が生きているからです。暴れるだけが目当てなら、ふた親も近所の者たちも殺されておりましょう。次に、ただの物見目当てなら、こんなに人目につくことはいたしますまい。つまり、娘を連れ去ることで、我々をおびき出そうとしているのです」
「ほう。さすがはヨナだな。して、目的は?」
「おそらく新しい国王の器量を試そうとしておるのでしょう」
「では、娘は?」
「はい。今のところ無事でしょう。我々は誘いに乗るしかなさそうです。そして断固たる姿勢を見せねばなりませぬ」
「ふむ。しかし我々をおびき出すまでは良いが、そなた別の目的もあることを忘れてはならぬ」
「と、申されますと?」
「もし新しい国王が兵をあげて山狩りなどいたせば、その隙を突いて都を襲うのだ。我々はそこまで備えて慎重に動かねばなるまい」
ヨナはハッとした。年下のこの若き王子はいつの間にか大きな成長を遂げていると思った。
ヤスニヒコは矢継ぎ早に対策を指示した。
「サルはただちに探索へ向かえ。ゼムイ殿はかどわかしの者たちを急襲するため、腕の立つ者を集めよ。ヨナはヨシノオ殿と都を守る手配をいたせ。カワカミ殿には私から言っておく。良いか、兄上には報せるな。もし知ればお怪我の体で必ず無理をしてでも出てこられよう」
やがて夕暮れ時になって、サルが戻ってきた。
「ヤスニヒコ様。申し訳ありませぬが、娘の行方はわかりませんでした。しかし、ヤスニヒコ様のおっしゃるとおり、敵はおよそ十名ずつの組にわかれて山の中に伏せっております」
「して総勢どれくらいか」
「ざっと五組はおるようで」
「ふむ。それならば都の占拠というより、破壊のための討ち入りか、カワカミ殿の命が目的だな」
「御意」
「よし。では、もう夕方であるから多人数での山狩りは中止して待機しよう。そうすると敵がわざと娘の居場所をおおっぴらにするだろう。その誘いに乗ったふりをして五十人ほど大仰に山に向かわせ、残りの兵はカワカミ殿の身辺と都の要所に配置して息をころして敵兵を待つ。ゼムイ殿と五名ほどは私とともに、五十人とは別の道で娘を助けに行く。道案内はサルが務めよ。ヨナ、そなたは屈強な兵でカワカミ殿をお守りせよ。さらに、五十のうち半分は途中からひきかえし、都の者たちに合力する。カワカミ殿、かような手立てでよろしいか」
「かまわぬ。さすがは連戦連勝のヤスニヒコ殿だ」
ヤスニヒコは相好をくずした。
「武芸は兄上仕込み。手立てはオノホコ殿の見よう見まねだ」
日暮れとともに、広場にはかがり火をともし、五十人の兵が集められた。クマソの新兵である。ナノ国兵はすでに帰国しているため、残りの兵はヤスニヒコが率いてきた三十人と他のクマソ兵を合わせておよそ百を超える。その兵はカワカミの周辺と都の要所に伏せておく予定だ。
遅い月が天に昇るころ。
ひとりの兵が息せき切って注進に戻ってきた。
「かどわかしの敵兵を見つけました。二つ山の一本松でございます!今味方とにらみ合いをしております。はよう、お味方を」
ヤスニヒコはサルに聞いた。
「二つ山の一本松がわかるか?」
「御意」
「よし、では我々も出発しよう。カワカミ殿。あとはよしなに」
そう言うとヤスニヒコらは、何気ない様子で暗闇に消えていった。
カワカミノ王子、いやクマソタケルが号令した。
「敵は二つ山の一本松。皆の者、罪なき娘を助けにゆけ!」
おおう!と大声をあげ、クマソ兵は出陣していった。
五十人もの兵がにぎにぎしく出て行った後、都は夜の静寂に包まれた。戦となるため、一般人には不要不急の外出を禁じている。そして兵たちは宮殿を中心に、要所に伏せている。
もの音ひとつが都中に響き渡りそうな夜。
いくつもの人影が都の柵をこえ、侵入してきた。
笛が一つ鳴った。
敵兵の侵入を目撃した兵が鳴らしたのだ。
それは、警笛のようなけたたましいものではなく、おだやかな音曲を奏でるように鳴らせと命じてある。静かな都中に響き渡り、全ての兵が敵の侵入を知った。
宮殿で、カワカミの側にいたヨナが言った。
「先ず、ひと組が侵入してきたようですな」
カワカミは周囲の者に言った。
「うむ。いよいよだ。皆の者、よろしく頼む」
周囲には、イナミ、ヨナ、タクマノ姫とジイをはじめ、二十名の兵が息を殺して待機している。
皆、無言でうなずいた。
別の笛が鳴った。
別の敵兵が侵入してきたのだ。
笛を鳴らした兵はそのまま気づかれぬよう敵兵を追尾することになっている。一網打尽にするために、五組の侵入を確認するまで攻撃しないことになっている。
笛の音がみっつ、よっつ、いつつと鳴った時、兵を率いるヨシノオが大声で号令した。
「ハヤトなど、みなごろしじゃあ!」
その声に呼応したクマソ兵たちが、怒号とともにハヤト兵に襲いかかった。
不意をつかれたハヤト兵たちに、クマソ自慢の豪弓がうなりをあげて矢の雨をふらせた。その第一撃で、半数のハヤト兵が斃れた。しかし戦上手なハヤト兵はただちに体制を立て直し、襲ってくるクマソ兵に反撃を始めた。格闘戦では、新兵の多いクマソ兵は分が悪かった。ハヤト兵たちはそれぞれに懸命に切り結びながら、宮殿を目指しているようだった。このような不利な状況でも戦うことをやめないハヤト兵に、ヨシノオは感心した。しかし、第一撃で大半を失ったハヤト兵は圧倒的多数のクマソ兵に宮殿の前へ追い込まれていったとも言える。
ヨシノオが勝利を確信したその時。
遠くで、どーんという大きな音が聞こえた。
どこかの城門が破られたのだ。
宮殿前で囲まれていたハヤト兵が歓声をあげた。
「何事?」とヨシノオは思った。
ひゅん、ひゅんとうなりをあげる多くの矢が、後尾のクマソ兵を襲った。
クマソ兵から悲鳴があがった。
おそろしい雄叫びをあげながら、どこに潜んでいたのか思いがけぬ新たな敵兵の一団がクマソ兵目指して突進してきた。
「敵じゃあ!新たな敵に備えよ!」
ヨシノオがそう叫んだものの、新兵の多いクマソ兵は、新たな敵の勢いに呑まれて、浮足立った。追い込んだハヤト兵と新たなハヤト兵に挟まれて、クマソ兵が次々に斃されていった。
「なんじゃい。クマソ兵はこの程度か」
一人の大男が、そう言いながら戦場にやってきた。そしていきなりその辺にいたクマソ兵をなぐり倒した。
「弱い弱い。強き男はおらぬのか!」
大男は、そう叫びながら手当たり次第、クマソ兵をなぐり倒していった。
「そのほうが大将か!」と、ヨシノオが叫んだ。
大男はギロリとヨシノオをねめまわし、「いかにも。ワシが大将じゃ。国王の甥じゃ」と言った。
「そうか。では、ワシと勝負せよ。ワシが大将のヨシノオじゃ」
「ふん」というよりも先に、ヨシノオを張り倒した。
「なんじゃあ。弱すぎる!これがクマソの大将か!」
張り倒されたヨシノオは口から血を流しながら立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がれなかった。
「弱き者は死ね。それがハヤトの掟じゃ」
そう言って、ヨシノオに止めをさそうとした。
「待て!」
カワカミが宮殿の高欄に姿をあらわした。
「なんじゃ。若造に用はない」
「私がクマソタケルである!」
「新しきクマソタケルとは、このようなうらなりであったか。笑止。うぬがごとき若造が、我がハヤトに戦を挑むなど、百年早いわ!この老いぼれを殺したあと、うぬも殺してやる。おとなしく待っておれ。それともうぬが先に死ぬか」
大男の形相に、カワカミは不覚にも恐怖を抱いた。
ヨナも、どうしてよいかわからなかった。
武芸自慢で血の気の多いタクマノ姫も、さすがに震えていた。
しかし、カワカミは国王としてたとえ死んでもここで引くわけにはいかぬと思った。
「ひかえよ!大男!そなたごときに大切な家来をこれ以上なぶられるわけにはいかぬ!クマソタケルが、自ら成敗してくれる!かかってまいれ!」
それは、カワカミ自身思ってもみない言葉であった。一通りの武芸は身につけているが、敵わぬ相手であることは分かる。しかし国王としての責任感がそう言わせていた。自分はここで死ぬのだと、覚悟を決めた。
「おもしろい。うぬが先に死ぬか!」
大男は、ニヤリと笑い、猛獣のごとく高床式の宮殿に駆け上がろうとした。
たしかに階段を昇ろうとしたのに、その体はふわっと宙を舞った。
あれれ。そう思う間もなく、どさっと、階段下にたたきつけられた。
「兄上!」と、カワカミが叫んだ。
「タケノヒコ様!」と、タクマノ姫が叫んだ。
倒れた大男が巻き起こした土埃の向こうに、タケノヒコが立っていた。
タケノヒコは、カワカミに微笑みを見せて言った。
「我が弟よ。そなたの心映え、国王として見事であった。あとはこの兄にまかせよ」
大男は埃を払いながら立ち上がり、言った。
「そなたは、タケノヒコか?オオヤマトのタケノヒコか?」
「いかにも」
なりゆきを眺めていたハヤト兵からどよめきが起こった。
「何故ここに?」
「クマソタケルは我が弟である。不思議ではあるまい?」
大男はきつねにつままれたような顔をした。意味がわからないようだ。
「我が弟の敵は我が敵である。このタケノヒコが成敗してくれる。覚悟せよ」
「うーむ。わからぬ」
「私は、この剣を使う。そなたも好きな獲物を選べ」
「うーむ。わからぬが、う~む」
大男はタケノヒコの名前に、多少動揺していた。ハヤトは強き者を崇める風がある。鬼神のごとき強き男として、タケノヒコの噂はハヤトにも聞こえていた。
「はやく、獲物をとれ。かかってまいれ!」
そう一喝されると、大男は反射的に
「ワシの獲物はこの拳じゃあ!」
そう叫びながら、タケノヒコを殴り倒そうとした。
タケノヒコは、ひらりと身をかわした。
「うぬ!」
大男は空気を切り裂く音が聞こえそうなほどの剛腕をまた振りかざしたが、避けられた。
何度も何度も拳を振り回したが、まったく当たらなかった。さすがの大男も息が切れてうずくまった。しかしタケノヒコは涼しい顔を変えていない。
「そろそろ覚悟はよいか」
そういうタケノヒコを見上げ、大男は涙を流した。今まで自分の拳が当たらないなどありえなかった。タケノヒコを、どうあっても敵わない強き男であると認めた。それは自身の死を意味している。しかしその反面、素直に負けを認めたくないという気持ちもあり、それが、渾身の一撃を放たせた。
「うぉおお」と獣のような雄叫びをあげながら、その右腕はタケノヒコに振り下ろされた。
タケノヒコは紙一重で拳をかわし、その右腕を剣の背でしたたかに打ち据えた。
心臓が止まるかと思えるほどの衝撃に「ぐぅおう」とうめき声をあげながら大男はのたうちまわった。
「もうよかろう。命まではとらぬから降参せよ」
タケノヒコは大男に剣を突きつけているが、穏やかに言った。
その凛とした姿に、大男は軍神のまぶしさを見る思いがした。思わず悔しさと不思議な感涙の入り混じった涙を流した。
周囲には二つ山に向かったはずのクマソ兵のうち半数ほどが戻ってきていて、都の守備兵とともに、ハヤト兵を完全に包囲していた。
ハヤト兵は、戦意を失った。
娘の救出に向かったヤスニヒコは、その現場を見下ろす場所で様子をうかがっていた。
クマソ兵が五名、ハヤト兵が三名。にらみあいをしていた。
ゆらゆらと揺らめく松明の炎に照らされて、娘の姿も見える。
加勢にくるはずのクマソ兵が到着し、娘を取り返そうと行動を開始すれば、ハヤト兵の隙を見て娘をとりかえす手筈になっていた。
「敵は三人。たいしたことはありますまい」
ゼムイはそう言うが、うまいぐあいに娘を助け出すのはよほど頃合いが難しそうだとヤスニヒコは思った。
やがて多数の松明とともに加勢のクマソ兵がやってきて、あたりは騒然としてきた。
ハヤト兵が盛んに叫んでいる。
「近寄るな!娘を殺すぞ」
クマソ兵も言い返している。
「娘を殺せば、うぬらも皆殺しじゃあ!」
様子を見てゼムイが言った。
「ハヤト兵はクマソ兵を引き付けておくために時を稼ぎたいばかりでしょうな。娘には手をかけぬと思います。頃合いを見て娘を解放し、その隙に逃げ出す算段でしょう」
ヤスニヒコはゼムイの考察に感心した。まことにその通りであろう。娘は生かして解放する方が、その手当もせねばならず、クマソ兵を分散できる。ほおっておいても娘を取り返すことはできそうであった。しかし偶発的に何が起こるかわからず、何より娘の気力がもたないであろう。それに娘の帰りを待つふた親の気持ちを考えると、速やかな解決が望ましい。ヤスニヒコは、そう判断した。
「その通りであろう。しかし悠長に待つこともあるまい」
ヤスニヒコはゼムイに笑顔を見せてそう言うと、サルに命じた。
「よいか。気配を消して娘に近寄れ。娘を押さえている者を殴り倒し、安全な場所に娘を移せ。同時に私とゼムイ殿が斬りこむ」
「御意」
「そんなにうまくいきますでしょうか」
ゼムイの部下が心配した。
「うむ。全てはサルや我らが気配もなくうまく近寄れるかが大切だ。だから、そなたはクマソ兵のところに行って、さかんにわめいてハヤト兵の気をひくようにと伝えてまいれ」
しばらくすると、ヤスニヒコの指示どおりにクマソ兵がざわめきだし、ハヤト兵へ罵詈雑言を盛んに浴びせ始めた。
ヤスニヒコは頃合いを見計らうべく神経を尖らせた。初めは聞き流していたハヤト兵が、どんどん腹を立てていく様子が見て取れた。
「よし、いくぞ。サル、先頭はそなたが行け。我々は従う」
「御意」
そう言うと、サルは軽やかに夜のしじまに紛れた。
あわてて、ヤスニヒコとゼムイも続く。
サルは、ハヤト兵を見渡す絶好の場所に伏せていた。
なるべく気配を消しつつ、ヤスニヒコとゼムイがハヤト兵に近づいた。
月明かりひとつ。
クマソ兵との言いあいで、娘を押さえていた者も激昂し、持ち場を離れた。
ハヤト兵の様子を見つめていたサルが振り返り、うなずいたかと思うと、風のように娘にとりついた。ハヤト兵三人は、クマソ兵との言いあいに夢中になっていて、全く気づいていない。
「さすが、サルだ。ゼムイ殿いくぞ」
そう言うと、ヤスニヒコが飛び出した。ゼムイも続く。
入れ替わりに、サルが娘をかついで後方に下がった。
すれ違いざまサルが後方に下がるのを横目で確認したヤスニヒコは、大声をあげてハヤト兵に襲いかかった。
「我が名はヤスニヒコ。オオヤマトの王子。非道を働くハヤトの者どもに、天罰を与えん!」
ハヤト兵が驚いて振り返った時には、ヤスニヒコの一太刀が、一人を袈裟がけに打倒した。刃先の丸い剣であり、打撲のダメージは大きいが、殺す剣ではない。
ゼムイも名乗りをあげた。
「我が名はゼムイ。ヤスニヒコ様と志を同じくする者なり!」
ゼムイの剣は鋭く、またたく間に二人を打倒した。ゼムイの剣は青銅製で、後の日本刀のような切れ味ではなかった。確実に殺すなら突くしかない。
「今だ!」
クマソ兵の大将が大声をあげ、駆け寄ってくる。
しかし、既に勝負はついていた。
ハヤト兵は皆打ち倒され、あたりでのたうちまわっていて、震える娘は後方でサルがしっかりと保護していた。ハヤト兵は、クマソ兵に取り押さえられた。
「止めをさしますか?」
ゼムイはヤスニヒコに、そう尋ねた。
ヤスニヒコはちょっと考え、「いや、まて。都に連れて行こう」
「何か、お考えが?」
「うむ。正しき裁きが、カワカミ殿の世には大切だろうと思う」
「承知。クマソの大将殿。よろしいか?」
クマソの大将はやや不満げであったが、承知した。
ハヤト兵は縛りあげられ、都に連れて行かれた。
ヤスニヒコは娘のことが気になり、その様子を見に行った。
サルがたき火をし、水を飲ませて娘を落ち着かせようとしていた。
「少しは落ち着いたか」
そう尋ねるヤスニヒコを、娘は上目づかいに見つめ、ただ震えていた。
「ヤスニヒコ様、ちょっと」
そう言って、サルはヤスニヒコを娘から離れたところに連れて行った。
ヤスニヒコが言った。
「あの分では、ひどい目にあわされたのであろうな」
「はい。そのようで・・・」
ヤスニヒコは舌打ちをした。
「ひどい話だ」
「御意」
「うむ。では直ぐに戻るか、ちょっと落ち着いてから戻るか、娘の好きにさせよ」
「御意」
娘は、直ぐに帰りたいと言った。
ヤスニヒコたちは、娘を守るようにして都へ戻った。
都に着くと、その辺りは戦の後始末でごった返していた。
ヤスニヒコは、娘に身支度を整えさせて家に帰すつもりであったが、心配した両親は広場に来ていて、今か今かと娘の帰りを待ちかねていたようだった。
娘は両親を見つけると、泣きながらその名を呼ばわり駆け寄ってきた。
「これ、ヤスニヒコ様にあいさつしていかぬか」というサルを、ヤスニヒコは笑って制止した。
「良いではないか」
親子三人は、お互い抱き合って喜びの涙を流していた。
「仲のいい親子だな」
そう言って微笑むヤスニヒコに、サルは鼻をひとつぐすんと言わせていつものように「御意」と答えた。
翌朝、ハヤト兵の始末について談合があった。
タケノヒコは、あのあと熱がでて伏せっているため参加していない。またカエデが懸命に看護している。
談合では、ハヤト兵は処刑か奴隷化すべきだという意見が多かった。この当時として珍しいことではない。しかしヤスニヒコの意見は違っていた。国王の命に従い戦をしかけるのは武人として当たり前のことであり、捕虜として扱い、戦が終わればハヤトに帰すべきだと言う。敵の意図を見抜き、適切な手立てを助言したヤスニヒコの言い分だけに、クマソの重臣たちもおろそかにはできない。ヤスニヒコはさらに言う。
「考えてもみられよ。討ち死にしたものはいざ知らず、命長らえた者たちまで処刑すればいよいよハヤトの恨みを買い、和議の機会が失われるぞ」
和議など。と思う重臣たちもいた。しかし、北方軍も戻っていない今、あまり強気に出られないのも確かであった。もともと南方戦線は牽制のためであり、今の領土が保全されるなら、取り返しのつかない事態になる前に手を打つのが上策であろう。
判断は、国王に委ねられた。
カワカミは長く考えたうえで、こう裁定した。
「都に押し入った兵たちは、和議のきっかけとするように。しかし、娘をかどわかした者どもは別途詮議するように」
具体的ではなかったので、重臣たちは戸惑った。
「もう少しはきと申しつけてくださりませぬか」そう言う者もいたが、それらを遮るようにヤスニヒコが声を大にして言った。
「わかりました。では、兄タケノヒコとも談合し改めて国王に献策いたします」
オオヤマトの常勝将軍であり、現に怪我人でありながら大男を鮮やかに打ち倒したタケノヒコにはひいき筋の重臣たちも多く、その名が出ると、誰も口をはさめなかった。
「皆のもの。よろしゅう頼む」
そう言うカワカミであったが、実はヤスニヒコの言う、「正しき裁き」というのがいまひとつ分かりかねていたのだ。敵兵を処刑するのがなぜいけないのか。そもそもヤスニヒコの言う、「国の基は正しき仕置きから」というのも分からない。そこが、トヨやオノホコらと夢を語りあい、何度も死線をくぐってきたヤスニヒコと、時代の枠の中でしか思考していないカワカミとの大きな違いであった。
ヤスニヒコは、「正しき仕置き」とは「情け」に裏打ちされていなければならぬと確信している。本来ヤスニヒコの天分でもあり、トヨに会うため国を出てこの一年というもの、様々な人に出会うことで醸成されていったものである。ヨシノハラツ国の「義」とも比べてみた。しかし、「義」のみでは人は動かぬ。相手を認め、愛しむことで初めて相手も心を開き語り合えるのだ。そこに「義」が加われば、どんなに美しい心の国となるのか。そこまではっきりと意識しているわけではないが、「新しき世」の大本は、そこにあるような気がしていた。しかしながら怠惰に流される「情け」であってはならぬ。そこのところの塩梅が若干十四歳のヤスニヒコには測りかねていて、やはり最後にはタケノヒコに頼ることになる。
タケノヒコは伏せっていたが、熱もさがり、意識もはっきりしていた。
相談にきたヤスニヒコは、一通り事情を説明し、タケノヒコの意見を聞いた。
タケノヒコは床についたまま、半身を起こして応対している。
「うむ。それはおそらくカワカミ殿が、そなたの言う正しき仕置きという言葉を理解できなかったのであろう」
ヤスニヒコはちょっとムッとした。
「そうでしょうか」
「おそらくな。公平に考えてみよ。何が正しいのか正しくないのか」
「私は、むやみに捕虜を殺さぬことが正しいと思います」
「そうだな。私もそう思うぞ。おそらくトヨ殿もな」
「では何ゆえ?」
「そなた、あの大男に私が殺されていても、平気でそれが言えるのか?」
ヤスニヒコはハッとした。
確かにそういうことにでもなっていたら、復讐心を燃やしていたかもしれない。そう素直に思うことのできる心をヤスニヒコは持っていた。しかし、それこそトヨの言う憎しみの輪ではないか。
「そうだ。それが憎しみの輪なのだ。それを断ち切ることが大切であると、言葉と心を尽くして伝えねば、いきなり正しき仕置きとだけ言っても、いくら聡明なカワカミ殿とてわからぬものだ」
弁舌に自信があり、いささか有頂天になっていたのではと、ヤスニヒコは心に冷や汗をかいた。
「それで、新たに献策するとカワカミ殿に申したのだな?」
「はい」
「では、こうしてはどうか?以前トヨ殿が使われた手だ。捕虜の大将に、和議の使者をまかせ、戦前の状態で和議を結ばせる。そうすれば、その手柄によって大将はもちろん、捕虜たちの罪も問わぬと」
「人質をとるようで、あまり好きませぬが」
「仕方がない。一足飛びに正しき仕置きとはいかぬ。何事も少しずつだ。好き嫌いの話ではない」
「では、あの大男に会って、その気があるか聞いてみます」
「うむ。頼むぞ」
その頃、タケノヒコに打ち負かされ捕えられていた大男は、手足を縛られ一軒の家の中に押し込められていた。入口は二名の兵が見張りをしていた。
ヤスニヒコは兵に一声かけて家の中に入ろうとしたが、どうも兵たちの顔色が冴えない。
「うるさいのです」と一人の兵が言った。
今大男はちょうど眠っているので静かだが、眼が覚めると「タケノヒコ殿に会わせろ会わせろ」言いわめくらしい。いくらうるさくても、へたに取り次いで復讐などされては取り次いだ兵たちが罪を問われるため上司に報告もできずに困っていた。
「そなたらも気苦労するなあ」とヤスニヒコは苦笑いした。
「ですからお会いにならぬ方が・・・」
心配する監視兵にヤスニヒコは笑顔を見せた。
「かまわぬ。兄上も私も不覚はとらぬよ」
家の中に入ると、大男が縛られた手足を窮屈そうにかがめて、しかし、大きないびきをかいて眠っていた。
「おい、起きろ」
そう言っても起きないため、耳元で大声を出した。
「起きろー!」
さすがに大男は驚いて目を覚ました。
「なんじゃ。小童。びっくりさせるな」
そう言うとまた眠りにつこうとしたため、ヤスニヒコは「兄タケノヒコの使いで参った!」と怒鳴った。案の定、「何?タケノヒコ殿の」と言って半身を起こした。
大男は目をこすりながらヤスニヒコをねめまわした。
「おまえ、タケノヒコ殿に似ておる」
「当然だ。実の兄弟なのだから」
「そうか。それで、タケノヒコ殿に会わせてくれるのか?」
ヤスニヒコは表情をきつくして聞いた。
「兄上に会ってなんとする」
大男は相好をくずし、やや照れたような笑顔で言った。
「ワシはタケノヒコ殿にほれた。ワシも弟分にしてもらう」
全く想定していなかった返答にヤスニヒコは驚いた。
「は?そなたは都に押し入った賊なのだぞ」
大男はあっけらかんと答えた。
「ワシは賊ではない。戦の手立てとして都を襲ったのだ。戦であれば当然であろう」
ヤスニヒコは、この大男に気脈の通ずるものを感じた。「でかい図体なだけ」の知恵の回らぬ男のような印象を持っていたのだが、どうもそうではないらしい。考えてみれば、あんな囮作戦を使うほどの男だ。話の持っていきかたによってはうまくいく。そう直感した。
「兄に会わせぬでもない。兄は情けのあるお方ゆえ、そなたほどの男が望めば弟分にもしてくれよう。しかしな、兄はオオヤマトの将軍であるゆえ、敵であったそなたのことは周りの者が承知せぬであろう」
「周りの者がどうであろうとかまわぬではないか」
「うむ。しかし四男坊である私のような自由な立場ではないのだ。周りの者が認めねばどうにもなるまい」
「周りの者は関係ない」
「そうもいかぬのだ。あきらめよ」
「あきらめぬ」
思ったとおりの反応に、ヤスニヒコは内心ほくそえんだ。そしてたたみかけるように、こう言った。
「困ったな」
「頼む」
「うむ。そなたの武勇は私も聞いておる。そなたほどの男の頼みであれば、なんとかしてやりたいものよ」
大男は笑顔を見せて言った。
「そうか、わかってくれるか」
「うむ。何か手立てはないものか」
ヤスニヒコはそう言うと、考えるまねをした。
首をひねったり、その辺りを歩いたりして、しばし時間を使った。
大男は祈るような気持ちでヤスニヒコを見つめていた。
「おお、そうだ」と、ヤスニヒコが手をたたきながら言うと、大男は喜色を浮かべた。
「何か、手立てがあったか」
ヤスニヒコは満面の笑顔をつくりながら言った。
「いや、実はな、今日はそなたら捕虜を処刑するにあたってそなたの申し開きを聞いて参れと言いつかって来たのだが、よい手立てがあった」
「なんじゃ。それは」
「兵たちも処刑をまぬがれ、そなたも望みがかなう良い手だ」
「だから、はよう言え」
「うむ。そなたがこの戦の和睦の使者を務めるのだ」
「なんと」
「できぬと申すか」
「いや、できぬとは言わぬが」
「そもそも兄弟分としても敵味方のままでは実がないであろう」
「そうじゃのう」
「そなたがうまくやれば、その手柄によって多くの者が納得するであろう」
「そうじゃのう」
「それに、捕虜の者たちも処刑されずに済む。いやめでたい」
「いやしかし」
「何をためらっておる。たしかに今はそなたらハヤトに勢いがあるが、北へ向かった二千のクマソ本軍があと半月もせぬうちに帰ってくるのだ。このあたりがしおだと思うが」
「それはまことか」
「うそは言わぬ。先日報せがあった。しかも今やトヨノ御子殿の口添えで各国と和議を結んでおる。ハヤトがあくまで戦うなら、ナノ国、ヨシノハラツ国、イワイノ国も敵にまわすぞ。ハヤトにとっても悪い話ではあるまい。戦前の国境で和議を結ぶのだ」
「それでは、何のために戦ったかわからぬ」
「そなたらは確かに攻勢に出ているが、占領した土地はあるまい。ここは分別のしどころだぞ。今和議を結べば、それは北の大国とも仲良くできるということだ。百年も二百年もハヤトの安寧が守られよう」
「ううむ」
「それに、晴れてそなたは兄上の弟分になれよう」
大男は務めて冷静に考えてみた。
確かにヤスニヒコの言うとおり、メリットの方が多い。
ヤスニヒコは重ねて言った。
「北方を席巻したクマソに対して一歩も引かなかったハヤトの武勇は轟いておる。どうだ。このあたりがしおだ。それに、そなたらは武勇の者を崇めると聞く。我が兄、オオヤマトの常勝将軍タケノヒコの仲裁であれば面目も立つであろう」
大男はニコリと無邪気な笑顔を見せた。
その表情から、本気で弟分になりたいのであろうと、ヤスニヒコには察しがついた。
「しかしな、ヤスニヒコ殿。何も実がないのに和議はできぬのじゃ」
ヤスニヒコには響くものがあった。熱情ばかりではなく、冷静に国のことを考えることもできる、この大男に好意をもった。
「さすがだ。そなたほどの男を処刑するにはあまりに惜しい。兄もそう思って私を使いに出したのであろうな」
「そうかのう」
大男は照れ笑いした。
「よし、ではこうしてはどうか。国境は譲れぬが、今後二度とクマソがハヤトに戦をしかけることはないと、クマソタケルに誓いを立てさせるのだ。そうすれば、そなたらは安心してさらに南へ勢力を拡大できるではないか」
「そんな約束など」
「もしクマソが破れば、兄は兄弟分の約束を反故にし、ハヤトの側に立って戦うであろう。それにトヨノ御子殿より神罰がくだるであろう。そうなれば間違いなくハヤトの勝ちだ」
「噂には聞くが、トヨノ御子とはそんなにすごいのか」
「おう。神懸かりとなったお姿は、それはもう恐ろしいぞ。赤い炎を発し、手も触れずにイズツの兵どもをなぎ倒した」
「手も触れずにか」
「ああ。それに、いい女だ。普段はな」
ヤスニヒコは茶目っ気たっぷりに言った。
大男もニヤリと笑い「逢うてみたいものよ」と言った。
「和議さえかなえば、いつでも会える。我がオオヤマトの都も見せよう。イズツ成敗の話も聞かせよう。そうだ。そなたも我らとともに戦い、ワノ国中に武名を轟かせれば良い」
大男は、いままで噂話の世界であったものが、急に色と体温を持った現実のことになったような気がした。自分もタケノヒコとともに戦い武勇を轟かせるなど、想像するだけで愉快な話ではないか。それだけヤスニヒコの話には魅力があり、その夢がワノ国規模の膨らみを持ちはじめた時、ハヤトという小天地のことなど、もうどうでも良くなった。
大男は、和議の使者となることに同意した。
翌々日、大男は和議の使者として出発するにあたり、クマソタケルとタケノヒコに拝謁した。
イナミが事の次第をクマソタケルに報告し、大男には和議の条件を申し聞かせた。
「承知いたした」
大男がそう言い、「大儀である」とクマソタケルが発した時点で儀礼は終わった。
大男の名をムネという。
儀礼の終わりを告げる鐘が打ち鳴らされている時、ムネはタケノヒコを見つめて言った。
「ワシを弟分にしてくだされ」
あらかたの話をヤスニヒコから聞かされていたタケノヒコは別に驚きもせず、
「そなたは私より、よほど年上ではないのか。それでも良いのか」
「かまわぬ。ワシはタケノヒコ殿に惚れた」
「私、いや私たちには大望がある。そなたは、それが苦難の道でもついてこれるか」
「おう。ワシもともに戦うぞ。ワノ国中どこへなりとも引きまわしてくだされ」
「うむ」
タケノヒコは、しばし考えた。
ムネは真剣にタケノヒコを見つめていた。
イナミが口をはさんだ。
「どうでしょう。無事に和議を整えればという条件ならば」
すかさず、クマソタケルがイナミを制した。
「兄上にまかせよ。ひかえておれ」
やがてタケノヒコが言った。
「そなたの思いはヤスニヒコから聞いておった。よかろう。これから我らは兄弟である」
ムネは満面の笑顔と涙をうかべてひれ伏した。
その肩をヤスニヒコがぽんぽんと叩き、
「つまりは私とも兄弟だ。これからよろしく頼む。先ずは無事に和議を整えてまいられよ」
ムネはヤスニヒコに笑顔を見せてうなずいた。
「念願かなってよかったな」と、ヤスニヒコが笑顔で言った。
ムネが意気揚々と出発していった後、宮殿では娘をかどわかした者たちへの処分を検討していた。ムネたちと同列の考え方を適用すれば、命令に従っただけの事となるが、娘に暴行を加えた事は命令にはなく、決して許されない罪だった。重臣たちはみな、三人とも処刑することを主張していたが、またもやヤスニヒコだけが、やや意見を異にしていた。
ヤスニヒコは頃合いを見て娘の家に出向き、当時の状況を娘から聞いてきていた。
娘は、二人の若い大人兵は許したくないと言った。しかし、年かさの下戸兵だけは大人兵に「無情なことをなさいますな」と意見し、大人兵から殴る蹴るなど、叱責を受けていたという。しかも暴行には加わらず、自分に同情してくれ、「すまんのう。すまんのう」と涙を流しながら何度も謝ってくれた。だから下戸兵だけは助けて欲しいというのが娘の希望であった。
「結局は指をくわえて見ておっただけではないか」
「同罪じゃ」
というのが重臣たちの意見である。
「しかし、下戸の者が大人に命令はできぬ。やりようがあるはずないではないか。しかも当の娘が助けて欲しいと言っておるのだ」とヤスニヒコは強硬に主張した。
「話が矛盾しておる。娘の意見など。それこそ国の方針には口出しできぬ。悪いことをしたら処刑される。それこそがヤスニヒコ殿が常々言われる正しき政事であろう」
ヤスニヒコには、一同の本音が読めていた。
実は、和議にあたって一般の捕虜を処刑できない悔しさと恨みを、三人に向けることで晴らそうとしているのだ。血祭りは一人でも多い方が良い。しかし、そんな本音をあからさまに指摘したり、非難したりすれば、皆が余計に意固地になるであろうと考え、務めて理と情をもって説得しようと考えていた。ヤスニヒコの理想は情と義である。そこのところをクマソの者たちに理解してもらえなければ、やがて遠からぬ未来、また戦になるであろう。それでは苦労してカワカミ殿をクマソタケルにしたことが水の泡となる。漠然とではあるが、ヤスニヒコはそう感じていた。だからこそ、ここは一歩も譲れないと覚悟していた。
今、タケノヒコは怪我の容体がおもわしくないため、同席していない。
カワカミは黙って成り行きを見守っていた。
ヤスニヒコは唯一人、なみいる重臣たちを向こうに回し孤独な論戦に挑んでいた。
ある重臣がしびれを切らしたかのように、つい、本音を言い放った。
「たかが下戸兵の命に、なぜそんなにこだわるのか、わからん!」
それを聞いた時。
ヤスニヒコの中で押しとどめていた感情の奔流が、堰を切った。
「下戸の者なら、正しき者でも殺してよいのか」
ヤスニヒコの眼から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
一同、驚いた。みなヤスニヒコの功績は認めていたし、年は若くても一人前の武人であると思っていたからだ。それが今、無心の涙を流している。
ヤスニヒコは、オオヤマトのワルを束ねる大将である。
彼は四男坊であるから特にする事もなく、宮殿の外へ出歩くことの多い子供だった。村々の子供たちと、喧嘩や悪ふざけを繰り返すうちにワルガキの大将になっていったのだが、彼自身それを肯定していた。王族である彼なら、あまた目にした理不尽な仕打ちから身分の低い者たちを守ることが出来る。数々の涙の向こうにヤスニヒコの優しさは醸成されていったのだ。
今、居並ぶ重臣たちは誰も下戸兵一人の命を顧みることがない。その命の周辺に幾人の涙があるのか想像すらできない。まるで無関心である。そんな中、随員として侍っているサルだけが、ヤスニヒコの心の深淵に触れた気がして、目頭を押さえた。
サルも下戸階級の出身である。それは下戸の代表者たる家柄であった。
快活で万事に優れた父親は皆に慕われていて、自ら率先して働き、子供たちにも母親にも優しかった。そんな父を尊敬し、憧れながらサルは育った。
凶事は八才の時、いきなりやってきた。
その年は、長い日照りで作物が育たず、しかたなく税の減免を国王に願い出た。
皆の意見を取りまとめ、正式な手順を踏んでの願い出であったにも関わらず、国王の答えは、父親の処刑であった。
理由は「そのほう、不快である」という一言だった。
たったそれだけの国王の気分によって、働き者で面倒見がよく、皆に慕われた父親の人生が終わった。亡骸を受け取りに行った母親と兄も、涙を流したというそれだけの理由で、「謀反」と言われ殺された。
サルは、皆にかくまわれ国を逃げ出すことができたのだが、それ以来、理想の国王を探し求めて漂白の旅を続けていたのだ。
今、サルの目の前で、ヤスニヒコは涙を流している。
「あまりにも道理がとおらぬ。我々は、このような国を造るため苦労をしたのか。カワカミ殿が隠棲されていた時、語り合った夢は、まことに夢であったのか」
ヤスニヒコはカワカミを説得し、国王の座に導いた勲功第一の者だ。その心からの言葉の前には、いかに重臣たちとはいえ、沈黙せざるを得なかった。
ヤスニヒコは続けた。
「民の安寧とは何か。トヨノ御子殿はかつて言われた。皆が笑って暮らせる事だと。そのことはクマソタケル殿も十分御承知のはず。そのために我々は力を合わせ、心を一つにし、前国王を打倒したのだ。下戸ならば殺しても良いと言うのであれば前国王時代と何も変わらず、皆、笑って暮らすことなどできぬではないか」
サルは、大きな波のような衝動を抑えがたかった。やはり、ヤスニヒコについて行きたい。そうすれば、この殺伐とした嫌な世の中を、笑って暮らせる明るい世の中に変えることができる。サルは、強くそう思った。
「新しきクマソタケル殿の治世として、指し示すのは光ではなかったか。やるべきことは、それぞれの事情を汲み取り、ひとつひとつ丁寧に大方の者が納得できる仕置きを積み上げること。そうすれば民の不安は取り除かれ、皆が笑って暮らせるようになると存ずる」
その熱い魂の言葉に、カワカミは日頃の儀礼や雑務の多さで既に忘れかけていた民の安寧という甘酸っぱいような夢を思い出した。
クマソタケルはゆっくりと立ち上がり、判決を言い渡した。
「下戸兵は鞭打ち五十回。あとの二人は死罪」
重臣たちは顔を見合わせたが、「かしこまりました」と平伏した。
ヤスニヒコは、ひと安心した。しかし、さすがに今回は疲れを感じた。
結論を言うと、大人兵二人は串刺しという残酷な方法で処刑された。方法まではヤスニヒコも口出しできなかった。人の持つ復讐心という恐ろしい心を目の当たりにしたようで、情けを信条とするヤスニヒコは少なからず衝撃を受けた。遠い未来再び戦になるという直感は、カワカミの死後、現実となるのだが、それはまだはるかな後の事である。
それから十日ほど後、ムネが仲間を二人引き連れ、都に戻ってきた。
その報告によるとハヤト国王が、和議を了承したという。
ハヤト国王を動かしたのは、ムネである。ムネは楽しそうにタケノヒコの雄姿を語り、それに従いハヤトの武勇をワノ国に轟かせたいという夢を無邪気に語った。国王も本音は、無駄な戦を終わらせたいと思っていたが、武人たちが納得せず戦が長引いてしまっていた。しかし、武人の頭ともいうべき甥のムネが面白そうな夢を持ち帰り、和議に納得しているため武人たちを押さえることができるようになった。しかも生き残った捕虜たちを帰してくれるというのであれば、実利がなくとも許容できると判断した。もっとも北方での出来事は物見の報告でつかんでおり、北方軍が戻ってくれば全く勝ち目がないことも計算に入っている。まったくヤスニヒコの言うとおりであり、その勧めに従うかたちの方が、今後のためにもなる。そんな複雑な情勢などおかまいなしに、ムネはタケノヒコの弟分になれることを楽しみに武勇自慢の仲間を連れて戻ってきていた。三人で押しかけ弟分になるつもりであった。
タケノヒコに拝謁し、その許しを乞うたところ、タケノヒコは三人の人並み外れた武勇をひと目で見抜き、「苦難の道をともに進むことができるのならば」と了承した。
そしてその五日後。
ついに北方軍が戻ってきた。
総大将のキビトは敗戦の報告を、脚色や心情の吐露を交えず、客観的に行った。自身の弁護もせず、一人でその責を負うつもりであった。
全ての占領地を放棄してきたため、批判的な重臣たちもいた。しかしカワカミは、占領地の放棄は兵たちを救うための自分の命令であり、また昔自分を逃してくれた恩に報いると言って、敗戦の責任は問わず、これまで通り国のために働けと命じた。
ここにようやく、後に「チクシ大戦」と言われた大戦が終結した。
完読御礼!
次回はヤスニヒコとタクマノ姫の恋の行方です。
ご期待ください!