チクシ大戦物語 第十二章 第十三章 第十四章
熱心な皆さま、いつもありがとうございます。
今回はいよいよクマソタケル討伐の戦いで、ヤスニヒコの芸人作戦が発動します。
さ~てどうなることやら・・・
また、第十二~十四章でちょっと長いのですが、どうぞお楽しみください。
第一章 ナノ国
第二章 作戦
第三章 何のための戦い
第四章 義の旗
第五章 クマソ同盟
第六章 新しき世の胎動
第七章 粉雪の中の激突
第八章 仲間とともに
第九章 カワカミノ王子
第十章 緒戦
第十一章 南へ
第十二章 クマソタケル討伐戦 (今回はここと、)
第十三章 武人の矜持 (ここと、)
第十四章 もののけ (ここです。)
第十五章 ハヤト襲来
第十六章 月下の泉
第十七章 凱旋
第十八章 新しき世
第十九章 女賊
第二十章 もののけの息遣い
第二十一章 神の軍勢
第十二章 クマソタケル討伐戦
戦線が落ち着いたこともあり、オノホコは久し振りにトヨのご機嫌伺いでもと思い立ち、その宿舎を訪ねた。トヨはまた体調を崩して臥せっていたが、オノホコが来たので半身を起こして応対した。
シンを含めた三人で酒を酌み交わしていると、どうしてもタケノヒコの話になった。
「心配はありませんよ」とトヨは言う。
「私には神の御心が見えています。タケノヒコ様は見事クマソタケルを討ち果たしクマソの国に安寧をもたらすでしょう」
「そうかのう」とオノホコが笑った。
「それよりも、当面の敵が気がかりです。強欲な大将は今の怪我がもとでやがて死にますが、知恵があり、勇気もある何者かが、敵の中にいるようです。クマソタケルの死を知っても、その誇りにかけて戦いを挑むでしょう」
「やっかいな者がおるのか」
「はい。その者の表面は穏やかですが、心底にはクマソの誇りと正義があふれています」
「ふむ。いかがしたものか」
「カワカミノ王子から使いを出させれば良いでしょう。戦をやめよと。安寧の時がきたのだと」
「しかし、そのような知恵者が、若造王子の言うことなど聞くものかのう」
「その知恵者は、王子の父上に忠誠を誓った者なのです。心底は善き男です」
「そうか。それならば良いのう。早速タケノヒコ殿に、そのような使いを出そう」
トヨのおかげで先手先手と手を打てることの不思議さをオノホコは感じた。ふつう、こんなことはありえない。やはり新しき国の中心となって、その行く末を照らしてもらえれば、どんなに素晴らしい国づくりができるかと、心がときめいた。
ヤスニヒコがサルたちを使いに出したことで、タケノヒコは現地に入る前から敵味方の情報を把握することができた。それはタケノヒコにとってありがたいことだった。おっとり刀で駆けつけて泥縄式に手を打つのと、事前に段取りを考えておけるのでは天と地ほども開きがある。
本来、オオヤマトの戦いは、オオババ様のお告げに従って十分な準備をしてから行うもので、タケノヒコが常勝将軍なのはある意味当たり前の結果だったとも言える。先のヨシノハラツ国との戦いも、籠城の最中で、できる限りの準備をしている。一か八かの戦いはクマヌ国との竜山合戦しかなかった。そうした慣行の延長上でヤスニヒコも考え、あらかじめ準備の時間を与えるべく出迎えを差し向けたのだ。
イワイノ国における戦線が膠着している間、クマソタケル討伐戦の準備は整いつつあった。
話は遠くイズツ国に飛ぶ。
腹心からの報告に、ヤチトの心が震えた。
都より二十里ばかり東に離れたところにある川から砂鉄が採れたというのだ。
「多くの人数を駆り出せば、そこそこの量は採れるものと思われます」
報告者はそう言う。
ヤチトにはうれしさ反面にわかには信じがたい。
本当であれば、無理をしてカノ国と交易せずにすむ。人々の税も安くできる。そればかりか、鉄を他国の物産との交易品にでき、国は豊かになれる。先の大戦で何もかも失った国へ、神がお恵みくだされたのだと思った。
蒜が原の戦いは、砂鉄をめぐる戦いでもあった。キビが独占する前にもうひと戦して分捕れと息巻く重臣もいて、頭の痛い問題だったから、ほんの息抜き程度に領内を探索させてみたのだが、早々と結果が出た。
ようやくヤチトは笑顔を見せた。
「さっそく人数を送りますか?」と問う腹心の声で、ヤチトは我に返り、やや考えた。
「いや、懸念せぬでもないので、しばし待て」
「ヤソ様のことでしょうか」
「うむ。もし今大規模な人数を送り込み、その噂がヤソの耳に入れば私利私欲のために使われるのは間違いない」
「では、いかがいたしましょうや」
「心きいたる者を三人ばかり送れ。そして、どれくらいの量が見込めそうか、先ずは調べよ。もしヤソの耳に入ったとて、調べてから報告すると申せば良いからな」
「承知」
「そして時をかせぐうちに、しかるべき手立てを考えよう」
ヤチトの脳裏には、鉄を中心にした豊かな国づくりのイメージが広がった。久々に明るい知らせであった。
さて、タケノヒコである。
ついにクマソ国に入った。
サルに導かれ、カワカミノ王子の隠れ家に立ち寄った。
前触れの使いを出していたため、その日は王子もヤスニヒコもいて、タケノヒコの到着を待っていた。そして到着の知らせを聞いて、出迎えに出た。
隠れ家といっても、周囲に柵や空堀を巡らせていてほどほどの規模がある。その門前で、ヤスニヒコは、タケノヒコと久々に対面した。
「よくやっているようだな」
そう言ってタケノヒコは笑った。
その言葉が素直にうれしくて満面の笑みをヤスニヒコは浮かべた。兄の前では、やはり弟なのだ。
「そちらのお方がカワカミノ王子殿か」
「はい。兄上。カワカミ殿、我が兄、タケノヒコです」
「タケノヒコ殿のお噂はかねがね。私は前国王が嫡男カワカミでございます」
「そなたのことはトヨ殿から聞いております。クマソの国にあまねく光をもたらすお方であると。以降よろしくお頼み申す」
あいさつを終えると、タケノヒコは出迎えの者たちを見渡し、タクマノ姫をみとめた。
「こちらのお方が、タクマノ姫であるか」
「はい。兄上。途中一味となりました」
「うむ。サルから聞いておる。姫よ、こたびは難儀であったな」
姫は何となくはにかんだような表情を見せ、頭を下げた。
「父も兄も、楽しそうにタケノヒコ様の噂話などしておりましたゆえ、お会いできてうれしく思います」
「よき国王であられたようだな。そなたを見ればわかる」
傍にいたジイがいきなり泣き出した。
「それはもう、民に優しく、武勇に優れた国王でございました」
「ジイよ。泣くな。今日は良き出会いの日、めでたき門出の日ではないか」
「姫、すみませぬ。国王が、捕虜を救ったタケノヒコ様をほめ、よき王子である、ぜひ一度お会いしたいと仰せであったのを不意に思い出してしまいました。こうしてお会いできるとは、うれしくて仕方ありませぬ。きっと国王のお導きでございましょう」
「ジイよ。泣くなと申しておるであろう」
そう言ってジイに寄り添い、姫も涙を流した。
一同、どうして良いかわからず、呆然として見守るばかりであった。
やがてタケノヒコが二人の肩を抱き、カワカミノ王子に言った。
「今や、このような悲しみはチクシ大島に満ちている。それを食い止めるため、我らは為すべきことを為さねばならぬ。カワカミ殿、力を合わせて成し遂げましょうぞ」
「誓って」
カワカミノ王子はタケノヒコの目を見つめ、そう答えた。
タケノヒコらは屋敷の中に案内され、準備の進捗を聞かされた。
ヤスニヒコらの思惑のとおり、クマソタケルは旅芸人の一行に興味を抱き、しあさってには宮殿に来るよう通達があったとのことであった。
「しあさってとは、また急だな」
「いえ、兄上。それでも兄上の到着を待つために気短かなクマソタケルを随分待たせましたよ。宮殿内部のお味方のおかげです」
「そうか。それは苦労をかけたな」
「とにかく、もう時がないのも確かです。いそぎ持ち場を決めねばなりませぬ」
「うむ。そなたには腹案があるのであろう」
「はい。ヨナから説明いたします」
そのあらましはこうだ。
もともとの芸人六人にタクマノ姫とカワカミノ王子、それにサルを加えて芸人一行を組織する。さらに、タケノヒコはゼムイと王子の家来衆や料理人を率いてカノ国仕込みという触れ込みで料理人一行を組織する。
先ずは料理を差し出し、舞を披露する。宴もたけなわの頃、料理人一行があいさつと称してクマソタケルの御前にまかり出る。その時、カノ国の珍しい料理道具であると偽り武器を携行する。隙を見て、タケノヒコがクマソタケルを取り押さえ、ゼムイらが抵抗する者を一気に討ち果たす。その上で、カワカミが敵討ちを宣言し、クマソタケルを討ち取る。
その他の者たちは宮殿内部の動きを見極めつつ、合図の太鼓を打ち鳴らし、狼煙をあげる。その合図で、近くの山林に伏せていた兵をヤスニヒコが率いて都に突入し制圧する。
あとは、敵討ちであることと、国の安寧を回復することを宣言して民心の安定を図るというものだった。
タケノヒコには、ひとつ心配があった。
「うむ。概ね良いが、今やクマソ軍は破竹の勢いで勝ち戦にあると国の民は思っておるはずだ。そんな中で、国の安寧と言っても通用しないのではないか」
ヤスニヒコは笑って答えた。
「いえ、兄上。足速の者がイワイでの大敗北を報せてきております。それに南でのハヤトとの戦においてもハヤト軍の勇敢な武人たちが大勝とまではいきませんが各地でクマソ軍を打ち負かしておるようで、兵を補充するために新たな徴兵があり、国の民たちも近頃は戦を嫌がっております」
「それに」とヨナが口をはさんだ。
「我々が、今にイワイやナノ国の連合軍が攻めよせてくるぞと噂を流しておきました」
ヤスニヒコが付け加えた。
「その時は、おとなしく降参すれば、正しき政事の時がくるであろうとも噂を流しました」
「そんな噂など、誰も信じはせぬぞ」
「そこでトヨ殿のお名前を拝借した次第で」
タケノヒコは気づいたようで、ニコッと笑った。
「そうか。トヨ殿か」
「はい。クマソにもトヨ殿の噂は聞こえておりますゆえ」
ヤスニヒコの行き届いた作戦に、タケノヒコは感心した。
必ずしも思い通りにはいかないかも知れないが、今うてる手立ては尽くしてある。後は、断固クマソタケルを討ち果たし、動揺が広がる前に民心をおさめることが大切であると、タケノヒコは思った。
その日は、朝から快晴の天気であった。
「おう。幸先が良いぞ」とゼムイが言った。
「父上の御霊が我らをお守りくださるであろう」とタクマノ姫が言った。
みな作戦の成功を疑ってはいなかった。為すべき手立ては全て尽くした自信からくる明るい表情を見せていた。
芸人の一行、料理人の一行、それぞれ都の宿舎で準備を整えた。
「では、ゆくぞ」
そうタケノヒコが命じた。
手筈どおり、ヤスニヒコは兵百名を率いて都を見下ろす森に伏せている。
ヨナは兵三十名とともに既に都へ潜伏している。
芸人一行がにぎにぎしく先頭を行く。
料理人一行は、道具や食材の荷駄をかついでその後に続いていく。
沿道には見物の人だかりができていた。
宮殿の門前に着くと、内応者であるソトトノオが出迎えに出ていた。
「皆の者。ごくろう。今日は大いにわが君をおなぐさみ申し上げるように」
そう言うと、目線でカワカミノ王子に合図を送った。
王子も目線で応じた。
王子はカエデやタクマノ姫らと舞を舞うべく女装していた。初めは嫌がっていたが、素性を隠すためにとヤスニヒコから説得された。もともと美しい男子である王子の女装姿は、ひときわ美しかった。三人が揃うと、この世のものとも思えぬ艶やかな雰囲気がある。クマソタケルもいよいよ油断するであろう。
芸人一行は、クマソタケルの居館へ案内され、さっそく芸を披露せよとのことであった。料理人一行は、その隣にある調理場で支度をせよ。急ぎ料理を出すようにと命じられた。
タケノヒコは役人へ慇懃にあいさつをし、調理場へ入った。
支度を進めていると、高床式の大きな館から美しい音色が聞こえてきた。
始まったな。
料理人に扮した一行の者達も気を入れた。
カワカミノ王子は、叔父であり父の仇でもあるクマソタケルを初めて見た。
色白で小太り。目が爬虫類のように冷たく、高飛車な物言いをする。
左右に女をはべらせ、重臣たちを従えて酒を飲みながら下品な笑い声をあげている。
こんな男に父上は討たれたのか。
そう思うと闘志が湧いてきた。しかしふと、自分にもこのような闘志があったのかと不思議な気がした。
一方タクマノ姫は、その感情を懸命におさえつつ舞っていた。その怒気を含んだ真っ赤な表情を、従者役のジイは、ハラハラしながら見つめていた。
舞を六番まで舞い終えた頃、タケノヒコたちの料理が運ばれてきた。
舞は一休みして、酌をせよとカワカミノ王子は命じられた。
王子が困惑していると、「まだまだ若い者は無作法ですから」と、うまく取り繕いながらカエデが進んで酌をした。
「三人とも美しいおなごじゃ」とクマソタケルが高笑いした。
その頃、ソトトノオの姿が消えたことに王子ら一行は誰も気づかなかった。
タケノヒコは、料理もうまかった。
カワカミの家来で、本当にカノ国仕込みの料理人すら舌をまくほどだった。
その昔、宮廷料理人であったヒナの母親に、ヒナとともに習った。その後もときおり料理を習っていて腕を磨いていた。もちろん、そのことを知っているからこそ、こういった作戦をヤスニヒコがたてたのだ。
「さて、そろそろ頃合いであるが、ソトトノオ殿の姿が見えぬな」
「そうですな。かまいませぬから、予定通り乗り込みましょうぞ」とゼムイが言った。
「うむ。あと半刻待とう。それでも見えぬなら乗り込もう」
タケノヒコがそう言って、もう半刻たったが、それでもソトトノオは現れなかった。「何かあったのか」そういう不安はよぎったが、館のほうからは何事もなくにぎやかな笑い声や美しい音色が聞こえてくる。
「かまいませぬ。乗り込みましょうぞ」
ゼムイに促され、広間に乗り込むことにした。
「我が君。料理の者どもが、ご機嫌伺いに参っております」
取次の者がそう言うと、「通せ」という返事があった。
いよいよである。と、タケノヒコは思った。
タケノヒコはクマソタケルの前で平伏した。
一行の長であるカシが年若ながらカノ国仕込みの料理人であると偽りの紹介をした。クマソタケルはあまり興味なさそうに無言で聞いていて「大儀」とだけ言った。
そこに、数人の武人たちが甲冑姿でズカズカとやってきた。
その腕は、ソトトノオの首を抱えていた。
クマソの国を遠く離れたイワイの戦線では、大将のガジンが砦の中で息を引き取った。戦での深手がもとであったが、その最期は熱にうなされものすごい苦しみようであった。
キビトは深い悲しみを見せるふりをした。
その傍で、コノオが言った。
「キビト殿には、次の大将を引き受けていただかねばならぬ」
キビトは驚きつつ言った。
「何を申されますか。ガジン殿がお亡くなりになられたばかりだというに」
「この者は死んで当然じゃ。今までどれほど無慈悲な振舞いであったか。それは別にしても、今我々は敵中で戦の最中じゃ。ただちに次の大将を決めねばならぬ」
「それなら、コノオ殿こそふさわしい」
「いや、ワシは一介の武人にすぎぬ。そのような者がこの難しい戦局を切り盛りできぬ」
「しかし、私は文官でございます」
「キビト殿。そのお心うちに秘められたものを我々が知らぬとお思いか。これはみんなの願いじゃ。お頼み申す」
「いや、しかし」
「重ねてお願い申す」
周囲にいた主立つ者たちも口ぐちに「お願い申す」と言いたてた。
キビトはしばらく、しかも真剣に考えた。
「この難しい戦を乗り切るにはキビト殿のお力がどうしても必要じゃ」
コノオに促され、キビトはようやく決断した。
「皆様にそこまで言われるのであれば、このキビト、一命にかえて大将の役目を果たしましょう」
「おお、ぜひ。我々をお導きくだされ」
「そのほうどもは怪しいと初めから思っておったのじゃ」
ソトトノオの首を抱えた武人は、ガジンの弟ゲジンであった。今や十数人の兵が剣を抜き、タケノヒコらを囲んでいる。
「ようやくこの裏切り者が吐きおった。そのほう、オオヤマトのヤスニヒコであろう」
「何?ヤスニヒコじゃと」
クマソタケルは状況が飲み込めず、ただ驚いた。
「わが君、このソトトノオはとんだ食わせ者ですぞ。恐れ多くもわが君を討ち果たすべく、そこのヤスニヒコや、カワカミを引き入れおった」
「何?カワカミじゃと?どこにおる」
「その、真ん中の者です。女に化けておるのです」
「気づかなんだ。うまく化けたものじゃのう」
カワカミノ王子は言い返した。
「ソトトノオは我が忠臣である。裏切り者呼ばわりは許せぬ」
「裏切り者は裏切り者じゃ。先日より妙に熱心に芸人を呼べとうるさかった。そして今日やってきた者どもの中に見覚えのある奴がおったから、こやつの家族を一人ずつ殺してようやく口を割りおった」
「そのほう、家族にまで手にかけたのか!」
王子はそう怒鳴り、立ち上がってゲジンに襲いかかろうとした。
しかし「お控なされよ」とタケノヒコに止められた。
「そなたはオオヤマトのヤスニヒコだな」と、おんな達を盾にしつつ、クマソタケルが言った。
タケノヒコは黙って聞いていた。
「そなたの兄は恐ろしい将軍であると聞く。しかしそなたごとき小童に、ワシが討ち果たせると思ってか!身の程知らずが!」
タケノヒコはにこっと微笑み、そして言った。
「残念だったな。私はタケノヒコだ」
「何」と、まるで鬼神にでも出くわしたかのように、クマソの者たちに恐怖が走った。
「皆の者、覚悟せよ。私は戦で負けたことはない」
そう言うと、わずかな隙をついてゲジンの剣を払い、素手で首筋を打ち据えた。
それを合図に、ゼムイが近くの兵を蹴り倒し、剣を奪った。
サルや王子の家来たちも近くの兵を打倒し、武器を奪った。
それは一瞬の出来事で、王子側の者たちの気魄が勝っていた。
タケノヒコはゲジンの剣を拾い、舞を舞うかのごとく、鮮やかに敵兵を倒していった。そして、逃げようとするクマソタケルをゼムイが取り押さえようと、大勢の敵を相手にしている。
「合図の太鼓、狼煙を!」
タケノヒコがそう言うと、いきなり始まった乱闘に呆然としていたカシが手の者に命じた。一人は太鼓を打ち鳴らし、一人は狼煙の準備がしてある調理場に走った。
起き上ったゲジンをタケノヒコが斬って捨てた。
「カワカミ殿と芸人の男たちは、女たちを守れ!」
そうタケノヒコが命じると、タクマノ姫が怒鳴り返した。
「いやだ!私も戦う。ジイ、ここを死に場所と心得よ」
「もとより!」
二人とも、武器を拾い、次々に現れる敵兵に挑んだ。
タケノヒコは戦いながら次々に指示した。
「サル、入口をかためよ!一度に大勢の敵が来ぬようにせよ」
「御意!」
「ゼムイ殿、クマソタケルを逃がすまいぞ!」
「おおう!おまかせあれ」
騒ぎを聞き、周辺からも兵たちが続々と集まってきた。
しかし、ヨナに率いられた兵たちが太鼓の音を聞き、戦いが始まったことを察して、隠し持っていた弓矢で宮殿へと向かうクマソ兵に襲いかかった。
当初予定した鮮やかな戦いではなく、混沌とした大乱戦になった。
ヤスニヒコは、山の中にあって、合図の狼煙があがるのを見た。
「よし。合図じゃ。皆の者都へ突入する。どのような状況かわからぬゆえ、油断すまいぞ」
ヤスニヒコ軍は、進軍を開始した。
もうひとつ、おかしな煙があがるのを見た軍勢が山の中にいた。
クマソの勇将コノオが父ヨシノオに率いられた百人からなる新兵部隊だ。
「おかしな煙である。なんらかの合図の狼煙であるかもしれぬが、ここはひとまず都へ引き返し様子を見るべきであろう」
ヨシノオは、将軍の座を息子に譲って隠居していた。しかコノオ度の理由もわからぬ大戦によって現役に戻り、苦戦の続く南方方面へ新兵を率いて出陣すべく、その日は新兵の調練のため、山の中にいた。
宮殿では、数に勝るクマソを相手にタケノヒコらが奮闘していた。
ゼムイが、サルが、そしてタクマノ姫らが剣をふるい敵と戦っていた。群を抜く腕前の者たちであったが、いくら戦っても敵の数は増えてくる。
ヨナの戦いは巧妙であった。
宮殿の乱戦の様子を察し、物陰から物陰へ移動しつつ、宮殿に急行する敵兵を矢で射て、少しでも宮殿に行く敵を減らそうとしていた。ヤスニヒコが来るまでの辛抱であると考えていた。
新しい敵の出現に戸惑っていたのは、ヤスニヒコもヨシノオも同じである。
両軍は山中で出くわし、お互いにらみあいの格好となっていた。
一刻もはやく都に乗り込みたいヤスニヒコにとって、非常にまずい事態である。
一方、ヨシノオにとっても自軍は新兵集団であり、戦えば負けることを覚悟せねばならなかった。しかも兵士の間で「あれが、トヨノ御子様の御神兵ではなかろうか」と動揺が起こっていた。
トヨノ御子の噂はヨシノオも知っていた。もし噂が本当であれば、その正しき政事とやらにかけてみたい気持ちもあった。
いくら待ってもヤスニヒコ軍が現れぬため、ヨナは戦術を変えた。
ヨナはオノホコの傍らにあって、イズツ国の猛攻を耐え抜いた知将でもある。
敵を陰から討ち果たすばかりではなく、堂々とヨナ軍の存在を明らかにし、都にいる敵をひきつけ、タケノヒコたちへの圧力を減らそうとした。そしてこう叫んでまわった。
「トヨノ御子様の御神兵がそこまで来ておる。正しき政事の時がきたのじゃ。宮殿では傲慢な国王らに天罰がくだった!みな戦をやめよ。武器を捨てよ。武器を持たぬものにはお慈悲があるぞ、お慈悲があるぞ!」
その事は、多少効果があった。混乱の中、命令系統のわからなくなった兵士たちは、一も二もなくトヨの名前を信じ、武器を捨て始めた。
「そなたらは何者か」
ヨシノオは大声で、ヤスニヒコの軍に問いかけた。
「私はオオヤマトのヤスニヒコ。トヨノ御子様の御指図によりこの地に参った」
ヤスニヒコがそう答えると、ヨシノオの軍がどよめいた。
「して、我が国に何用か」
「我々は、このクマソが国に正しき政事が行われるよう、正しき筋目カワカミ殿を助けに参った」
「何、カワカミノ王子とな」
「そうだ。すべてトヨノ御子様が神よりのお言葉を我々にお告げになったのじゃ。カワカミ殿が国王になれば、この国にあまねく光がもたらされようとな」
ヨシノオは考え込んでしまった。
確かに前国王の遺児は生きておる。しかし、はたしてあの子供がどのように成長したのかは知らぬ。光となるのか闇となるのか。
「そのほう、迷っておるな」
ヤスニヒコがそう言った。
「迷っておるなら、ひとまず我々を信じて見ぬか。少なくとも今より悪くはならぬよ」
宮殿内での戦闘は終わった。
ようやくクマソタケルを取り押さえ、残った敵兵は逃げて行った。
新たな敵兵は現れず、周りを囲まれた風もない。
ヨナとヤスニヒコがうまくやってくれたのであろうとタケノヒコは思った。
周りを見ると、敵味方の死傷者であふれていた。しかしまた不思議なことに味方の死者はいないようだった。
「皆の者、死人はおらぬようだな。大儀であった。さて、カワカミ殿。敵討ちをなさるがよい」
タケノヒコがそう言うと、ゼムイがカワカミの前にクマソタケルを引き出した。
クマソタケルは泣きべそをかいて命乞いしていた。
「このような者のために、わが父は、母は、兄は、国の者たちは死んだのか」
タクマノ姫は悔しさのあまり真っ赤になって怒りを露わにし、持っていた剣をどすんと床に突き立てた。全身に返り血を浴びて仁王立ちするその恐ろしい姿に、クマソタケルはいよいよ恐怖した。
「さあ、敵討ちを。そして新しき、正しき政事の時がきたと宣言なされよ」
そう促され、タケノヒコから剣を受け取り、敵討ちを果たそうとしたその時、負傷して倒れていたクマソ兵が一本の矢を放ち、それは真っすぐにカワカミノ王子めがけて飛んできた。
「今より悪くならぬと、どこにそんな証拠があるのか」
そういうヨシノオの問いにヤスニヒコは答えた。
「私はカワカミ殿にお会いし、そのお優しき心根にふれた。そのほうも会えばわかる。今頃は宮殿内で見事敵討ちされ、新しき国づくりを宣言されておいでのはず」
「あの狼煙は、その合図であったのか」
「そうだ。だから、こうしてはどうか。ひとまずともに宮殿へ行き、カワカミ殿の人物を見極められよ。その上で気に入らなければ、あらためて我々と戦をなさればよい」
ヤスニヒコから見て、目の前の敵将は信じられると思った。そして必ずうまくいくと信じての提案だった。それは新兵を率いるヨシノオにとっても悪い提案ではなかった。食料もなくにらみあいは続けられないし、戦えば負けるであろう。何より、兵たちがトヨノ御子の名前に動揺している。万一の場合、都にいれば勝機もあろう。それに、目の前のヤスニヒコという若者は、信じても良いと感じていた。
飛んでくる矢が、はっきりと見え、しかもとてもゆっくりと感じた。
「ああ、避けねばならぬ」と思いつつも、カワカミの体は金縛りにでもあったかのように動かなかった。
「私はここで死ぬのか?」
そう思った時、人影が視界を遮った。
タケノヒコが、覆いかぶさるようにカワカミを守り、矢を肩口に受けた。
タクマノ姫とカエデの悲鳴が同時にあがった。
「兄上!」と、カワカミは思わず叫んだ。
幾日もヤスニヒコと行動をともにするうち、いろいろな話を聞かされ、タケノヒコのことを兄と思うようになっていた。その秘めたる思いが、このとっさの場合に出たのだ。
カワカミに覆いかぶさり、タケノヒコは二コリと笑った。
「そうか、そなたは私を兄と思ってくれるか」
崩れ落ちるタケノヒコに、タクマノ姫とカエデが駆け寄った。
矢を放った者は、サルが討ち果たした。
タケノヒコは介抱されながら、カワカミに言った。
「敵討ちを。そしてこの国に安寧を・・・」
その苦しげな様子を見て、カワカミは涙をうかべタケノヒコにとりすがろうとした。
タケノヒコは優しく言った。
「そなたは、そなたの務めを果たさねばならぬ」
「しかし、兄上」
「かまうな。今、チクシ大島の、そしてクマソの民を救えるのはそなただけなのだ」
カワカミは涙を拭きながら何度もうなずき、立ちあがった。
「私は、今ここに父上の敵討ちを果たす。叔父上、お覚悟なされよ」
クマソタケルは、命乞いを通り過ぎて、怒り狂ってさかんに罵声を浴びせていた。しかし、王子の家来に取り押さえられていてどうすることもできなかった。
「御免」
そう言うと、王子の剣がクマソタケルの体を貫いた。
すかさず家来たちがその首を討ち、とどめをさした。
王子は、その亡骸に深々と頭をさげた。
やがて立ち上がり、宣言した。
「国王、クマソタケルは今お亡くなりになった。よってその跡目をこのカワカミが継ぎ、新しきクマソタケルを襲名する。私は、国の安寧を守るため、その一命にかけて務めを全うするであろう」
その力強き言葉が、タケノヒコにはうれしかった。
トヨ殿。ようやく本懐を遂げることができたぞ。
そう思うと、急に意識が遠くなっていった。
「誰か、早く兄上の手当てを!そして、都中の者に新しき、そして正しき政事の時がきたと触れてまわれ!」
カワカミは、あらかじめヤスニヒコらと打ち合わせてあった通りのことを矢継ぎ早に指示した。
都の中で散発的にあった小競り合いもおさまった頃、ヤスニヒコとヨシノオの軍が都に入った。
ヨシノオは、ヤスニヒコの全てを信じた訳ではなかったが、事の真偽も確かめず、いたずらに事を起こさない老練さがあった。ここはひとまずヤスニヒコの口車に乗ったふりをして都に戻った方が得策だと皆にそう言い聞かせて人心をまとめた。それでもし、ヤスニヒコの言うことが本当であれば、国の再建のため、やるべきことは山ほどあると考えていた。
イワイの都にいたトヨは、タケノヒコの異変を察知した。
いてもたってもおれず、祈祷をすると言い出した。
周りの者は病を気遣ったが、その決意を変えることはできなかった。
トヨはイワイの祈祷所を借りて、一心不乱に祈りはじめた。
第十三章 武人の矜持
およそ三日後。
激しい痛みと熱のため、夢と現を行き来していたタケノヒコがようやく正気を取り戻した。
心配そうな顔を見せるトヨの面影がカエデの顔に変わった。
「ああ、よかった。お気づきになりましたね」
そう、カエデが言った時、タケノヒコは自分が負傷して寝込んでいたのだと分かった。
「心配をかけたようだな」
「タケノヒコ様、心配だなどともったいのうございます。今皆さまに報せて参ります」
カエデはタケノヒコの寝汗を拭き取ると、そう言って立ち上がり、別の建物へ行った。
タケノヒコはカエデの後ろ姿を見送ると、ふと自分は死なずに済んだのかと思った。矢が突き刺さる激痛は思った以上のものだった。今も左肩が鉛のように重く痛む。起き上ろうとしてみたが、激痛が走り起き上れない。
「トヨ殿はお見通しであろうな。余計な心配をしておらねばよいが」
やがて、皆がタケノヒコのもとにやってきた。
ヤスニヒコが笑顔を見せて、大声で言った。
「兄上、よかった。心配しましたぞ」
「すまなかった」
「兄上がお怪我をなさるなど初めてのことで、さすがに驚きました」
「姫、ジイ殿、ゼムイ殿、ヨナ殿、カシ殿、サルに、クマソタケル殿もお元気のようでなにより」
カワカミノ王子改めクマソタケルは、子供のように照れ笑いした。
「兄上のおかげです」
ヤスニヒコが笑顔で口をはさんだ。
「このヤスニヒコがクマソタケル殿に、兄上が気に入れば兄上とお思いなされよとお勧めしたのです。これで私もクマソタケル殿と兄弟じゃ」
「そうか。そなたたちは年も同じときく。仲良くな。ところで、その後ろのお方はどなたか?」
クマソタケルが答えた。
「我が家来で、クマソ国軍を束ねる将軍、ヨシノオと申します」
ヨシノオが名乗った。
「お初にお目にかかります。ヨシノオでございます」
「兄上、あの日、ヨシノオ殿は兵の調練のため、山の中におられた。そこで私の軍と出くわしましたが、私が事情を説明すると、よろこんで協力しましょうと申し出てくれたのです」
「そうか。この国はこれからが大切であろう。よろしくお頼み申す」
「はは。我が君の兄上のお言葉、この老人の肝に銘じまする」
ヨシノオも笑った。
ヨシノオはあの日、カワカミと会い抵抗することをやめた。確かに虫の好かぬ前国王より数等優れた国王になるであろうと直感でわかった。
「して、ヤスニヒコ。今どのような情勢か?」
「それならば」とヨナが説明した。
クマソの国の仕置きについては、前国王のもとで暴虐の振舞いがあった者は一人残らず罰し、国内は平静を取り戻しつつあるとのことだった。しかし、進行中である北方と南方の戦線をどう終息させるかで今、頭を悩ませているということだった。
「ふむ。北方は問題あるまい。我々は連合軍の考えを知っておるであろう」
そうタケノヒコが言うと、ヤスニヒコが顔をしかめた。
「しかし兄上、事はそう簡単ではないようで、オノホコ殿から使いが参っております。先ず新たに大将となるであろう者が、クマソの名誉のため、負けたままでは矛を収めぬぞとトヨ殿が言っておるそうで。さらには勝ち戦に悪乗りしたイワイが、勝ち戦なのだから、その分の分け前をよこせと言い出したようです」
「ふむ。イワイか」
「兄上、もっと問題が南方戦線です。ここで兵をひくとハヤトが必ず攻勢に出て、攻め込んでくるでしょう」
「ありえるな」
そこまで言った時、カエデが空気を変えようと、明るく言った。
「そうそう。皆様、タケノヒコ様はつい今しがたお気づきになられたばかりの怪我人なんですよ。難しい話はまた明日。お怪我にさわります」
ヤスニヒコが笑って言った。
「そうだな。兄上のお顔をみるとつい甘えてしまう。兄上は、今は怪我の本復が一番大事。ここは、カエデにまかせて、我らはあちらで談合しましょうぞ」
ヤスニヒコは皆を促し、建物を出て行った。
ヨナが不審に思ってヤスニヒコに聞いた。
「今は大事の時ですぞ。もう少しくらいよかったのでは」
ヤスニヒコは、にやっと笑って答えた。
「そなたは野暮天だな。カエデの気持ちがわからぬか」
「はあ?」
「惚れておるのだ。兄上に。だから気をきかせよ」
「しかし、それとこれとは・・・」
「我々がしっかりすれば良い」
ふたりのヒソヒソ話を聞いていたサルが口をはさんだ。
「あのような美しきおなごに惚れられるとはうらやましきかぎりにございますなあ」
「おう、兄上の回復も早かろう」
そう言ってヤスニヒコが笑い声をあげると、後ろから歩いていたタクマノ姫が声をかけた。
「何を楽しそうにヒソヒソと話しておるのか?」
「いや、兄上が目覚めてよかったと笑っておったのだ」
ヤスニヒコは振り返り笑顔でそう言うと、おもむろにその両腕をヨナとサルの肩に乗せ、ふたりをたぐりよせて小声で言った。
「よいな、女衆、特にトヨ殿には内緒だぞ」
皆が去ったあと、タケノヒコはカエデに言った。
「私はもう大丈夫だ。心配をかけたようだな」
「お気づきになられて、ほんによろしゅうございました」
「そなたが、ずっと看病してくれたのか」
「はい」
「すまなかったな」
タケノヒコはそう言いつつ、夢現の狭間で、甘酸っぱいようなおんなの気配を感じていたことを思い出した。夢の中ではトヨ殿であり、うつつではこのカエデであったようにも思える。
カエデはタケノヒコより三つほど年上で、この時代では既に年増である。しかし舞で鍛えたその肢体はしなやかで肌のつやも良い美しい女であった。
「カエデは、タケノヒコ様のお世話ができて幸せでございます」
それが、オオヤマトの王子であるタケノヒコに対して、カエデができる精一杯の感情表現であった。カエデのその心のうちをさらけだすには、身分が違いすぎる。
カエデたち芸人の一行はムラからムラへ渡り歩き、各地で様々な噂を耳にする。もちろん、タケノヒコの噂も、ずいぶん前から知っていた。竜山合戦の話、イズツ征伐や鳥の国合戦の話、その度に強く優しいタケノヒコに憧れていた。
かしづくカエデの、その潤んだ瞳を見ると、タケノヒコの胸には何やら込み上げてくるせつないような感情があった。しかし、それ以上の事を考えるタケノヒコではなく、「すまん。やっかいをかける」とだけ答えた。「兄上も、男になるのだ」と、下卑た妄想をふくらませ、ニヤニヤしていたのはヤスニヒコ唯一人であった。
オノホコは、トヨの言うとおり、クマソ軍の大将が替わったらしいと物見の報告を受けた。
で、あれば厄介な敵じゃな。
そう思うと珍しくため息をついた。以前のイノシシ武者のような大将の方が、よほど料理しやすかった。翻って味方を見渡すと、戦場となり田畑を荒らされたイワイは勝利の分け前をうるさく催促してくるし、避難民を多く抱えたヨシノハラツ国はこれ以上兵糧の提供は難しいと言ってきている。鳥の国は始めから何も持っていない小国で、ナノ国だけがとりあえず文句も言わず戦線を支えている。また、あとひと月もすれば田植えの準備も始めねばならず、さらには、敵の兵力は未だに連合軍より大きい。どこをどう考えても頭の痛いところであった。
「いっそのこと、キビノ国から加勢の軍を呼びつけようか」
しかし、それができないことはオノホコ自身が良く知っている。先のイズツとの大戦で深手を負ったのは、イズツ国だけではない。キビノ国も負ったのだ。しかも今回の戦は何の国益にもならず、いわばお人よしの助っ人なのだ。そんなことに国を巻き込むことはできない。
では、ワシが逃げ出すか。
そう考えても見た。しかし、それもできない。この戦の先にある新しき世をつくるためには、自身の、トヨの、タケノヒコの評判を高めておかねばならない。
どうにもならないもどかしさに悶々としていると、速足の者が夜を昼に次いで、クマソから報告に来たと言う知らせが届いた。それは戦勝の知らせに違いない。
オノホコは破顔一笑、「おおう。タケノヒコ殿がやってくれたのだな!」と大声をあげて喜んだ。
これで、南方へ向かった部隊も戻ってくる。タケノヒコもヤスニヒコも、参謀のヨナも!そう思うと全ての扉が開かれたような気がして、さっきまでの陰鬱な空気が吹き飛んでしまった。
「速足の者はどこじゃ。すぐに会おう」
そう言って、取次の者に案内させた。
速足の者は、役場の土間に倒れこみ、肩で息をしていた。
それを認めると、オノホコは大声で聞いた。
「そのほう、ごくろう。して、首尾は?」
速足の者は、苦しそうに、しかしはっきりと報告した。
「お味方大勝利!」
オノホコとともに駆けつけた各国の高官ともども「おおー」と喜びの声をあげた。
「タケノヒコ殿がまたやってくれた」
そう思うと、オノホコは涙が溢れ出すのをこらえることができなかった。
役場の外で立ち聞きしていた民衆も喜びの声をあげ、クマソタケルを討ち果たしたと、これで戦が終わると、その噂が津波のような速さで広がった。
人々のどよめきが収まる頃、オノホコが聞いた。
「して、味方の損害は?主立つものは皆無事か?」
「それが、お味方で死んだものは一人もおりませぬ」
「一人も?」
オノホコはキツネにつままれたような気がした。少なくとも半分は死ぬと計算していた。
「では、怪我人は?」
「はあ、それがみな軽傷なのですが、タケノヒコ様がお一人のみ肩に矢傷を負われ、未だ意識がありませぬ」
「何!タケノヒコ殿が!!」
それは、深くて暗い谷底へたたき落とされたような衝撃だった。トヨ殿は、それで祈祷を始めたのか。もしタケノヒコがいなくなってしまったら。そう思うと、深い喪失感と今後の見通しの暗さが先にたってしまった。
「あのタケノヒコ殿がのう。詳しく話せ」
この速足の者は、戦勝直後に報告へたったため、タケノヒコが意識を取り戻したことを知らない。したがって、作戦のあらまし、進行の様子、そしてタケノヒコの負傷から都の平定までを報告した。その後の事は、「追って使いを出す」とヤスニヒコに言われていた。
「なるほど面白き策であった。しかし、タケノヒコ殿がふせっておいでとあらば・・・」
オノホコはトヨに知らせねばと思い立ち上がった。
トヨは一心不乱に祈ってはずだとオノホコは思っていたが、祈祷所を覗いてみると、トヨはいなかった。宿舎に戻ったのかと、行ってみると、そこにいた。しかし、深い眠りについていた。
側にいたシンに、事情を聴いた。
「はあ、もう大丈夫。とだけ申されましてこの宿舎にお戻りになりました」
「なるほどのう。トヨ殿には全てが見えておるのじゃな。ということはタケノヒコ殿は大丈夫なんじゃろう」
「え、タケノヒコ様がどうかなされたのですか?」
「矢傷を負われてふせっておったらしいが、このぶんならもう大丈夫なんじゃろうのう」
「あのタケノヒコ様が・・・」
「うむ。カワカミ殿を守るため、盾になられたそうじゃ」
「しかし、もう大丈夫なのですね」
「はは。だからトヨ殿が申されておったのであろう。もう大丈夫とな」
「そうですね」
そう言って、シンはバツが悪そうに笑った。
「さて、それでは今後の事を各国の者と談合するかのう」
そう言ってオノホコは宿舎をあとにした。
キビトは、連合軍の軍使を丁重に扱い、そして無事送り帰した。
そして軍使の言うことをどう解釈すべきか主立つ者で相談した。
「うそに決まっておる」と言う者。
「国へ使いを出して見ては」と言う者。
「戦はもう終わりじゃ」と言う者。
いろんな意見が出た。
連合軍は、「国王が替わり、戦は無意味。新しいクマソタケルは和議をお望みである。兵を引かれよ」と言ってきた。普通に考えると、にわかには信じがたい話である。しかも新しい国王はカワカミノ王子であるという。キビトもいつかは王子を国王にしたいと思っていたが、まさかこんなにあっけなく国王になるとは想像すらしていなかった。
キビトは座の中心にあって皆の議論を静かに聞いていた。大勢は「いずれ国からも使いが参ろう。それまで模様眺めしていよう」となりつつあった。しかしキビトは「いや」と言って立ち上がり、
「戦をしかける」と言い渡した。
皆が驚きその本心を尋ねると、キビトはこう答えた。
「我々は負け戦続きである。ここで敵にひと泡ふかせぬと敵になめられて、いいように料理される」
「しかしキビト殿。敵は、戦は無意味と言ってきておるのです」
「それは、嘘か真か、まだわかりませぬ」
「それはそうじゃがのう」
「しかし、もし真なら、今が好機。敵は既に戦は終わったと思い油断しておるはず」
「おおう。そうかも知れぬ」
そうコノオが声をあげた。
「私は、ナノ国の港を手に入れることが難しくなった今、大将として皆を無事国へ帰すことを第一に考えたい。そのために、我らはいまだ強勢であることを敵に教える必要があると思う。そのための夜襲じゃ。後ろの砦をひとつ奪い取り、敵の包囲網に風穴をあけ、もし撤退と決まっても自力で堂々と撤退したい。もし、敵の言うことが本当ならば奪い返しにはこないはず。それで真偽もわかれば、さらには我が軍の行動の自由も確保できよう」
一同の者たちは押し黙っていた。
「クマソの誇りにかけて負けたままでは帰れませぬぞ」
コノオが聞いた。
「して、いつ夜襲を」
「今夜」
「今夜でござるか」
コノオもさすがに驚いたものの、こう続けた。
「いや、それならば確かに敵の裏をかけよう」
「皆はどう思われるか」
そう聞くキビトに、「大将殿の仰せのままに」と意見がまとまった。
気を失って深い眠りについていたトヨが、いきなり目を覚ました。
「お気づきになりましたか」というシンの声などまるで聞こえぬ風に、すくっと立ち上がり、天を仰いでこう言った。
「今宵、敵が来る。真後ろの砦じゃ」
これはまだ神懸かっておいでなのだとシンは思った。
「真後ろの兵は撤退し、敵の思うようにさせよ。よいな。戦うこと、まかりならぬ」
それだけ言うと、トヨは崩れ落ち倒れそうになった。慌ててシンが支え、布団に寝かせると、何事もなかったかのようにトヨは眠りについた。
「それにしても、戦うなとは何ゆえか」と思いつつも、そのことをオノホコへ知らせに走った。
夜も更けた頃。
月明かりをたよりにコノオの軍勢が後方の砦に肉薄しつつあった。敵に気づかれた風もなく夜襲は成功すると思われた。
「よし、弓隊は各々三回矢を放て。その後に矛を持った者たちが突入せよ」
コノオが予定通りにそう命じるやいなや、自慢の豪弓がうなりをあげ、無数の矢が飛んでいった。
かがり火を煌々と灯している敵陣からは、何の反応もなかった。
「おかしい」と感じながらもキビトは、戦況を見守った。
大勢の兵が雄叫びを上げながら襲いかかっている。
剣の交わる音も、悲鳴も何も聞こえない。
ただ、味方兵の雄叫びだけが聞こえている。
いよいよおかしいと思ったキビトは護衛の兵に前線の様子を見てくるよう指示した。
やがて半刻もせぬうちに、その兵は戻ってきて要領を得ぬ報告した。
「ふむ。敵の姿が見えぬという事か」
やがて、前線からコノオが戻ってきて報告した。
「おう、キビト殿。大勝利ですぞ。敵は逃げ出しておったわ」
キビトはコノオに笑顔を見せつつ尋ねた。
「それは、我が方の攻撃によって逃げ出したのでしょうか?」
キビトはコノオにだけは丁寧な言葉をつかう。
「いや、ワシは先陣を切って攻め込んだのじゃが、既に敵はおらなんだ」
「はて、面妖な」
二人の傍らにいた、別の将軍が口をはさんだ。
「とにかく策は成功であろう。敵陣を奪ったのじゃ」
他の将たちも口々に作戦の成功を認め、今夜はこれまでにしようと言った。
いきなりの出陣で兵たちも疲れているであろうとも考えたキビトは、不審に思いながらも作戦の終了を命じた。
空が白み始めた。
夜明けとともに周囲へ物見が放たれた。
やがて朝となり、占領した敵陣であさげの支度を終えた時、戻ってきた物見たちが驚愕の報告をした。
「何と、我が後ろにも、本軍との間にも敵陣ができておるのか!」
「ははっ。確かに竹の束で囲んだ敵陣ができておるとのこと」
「して、その数は」
「後方は五百、間は一千かと」
「してやられた!」
コノオが叫んだ。
我々は分断されたのか。と他の将軍達もどよめいた。
キビトはことさら押し黙り、しかし微笑みは絶やさなかった。
「このままでは、各個に打ち破られるかもしれぬ」
「食料も、あまりないぞ」
「いかがしましょうや・・・」
敵には恐ろしい知恵者がいるとは思っていたが、まさかこれほど鮮やかに先手先手を打たれるなどと、さすがのキビトも思っていなかった。予定ではこの陣地を奪う時、奇襲により敵兵の数を減らすだけ減らし、そのあと本軍との中間地に砦を築き、連絡線を確保した上で、敵の圧力を分散したいと考えていた。それがこうも速やかに楔を打ち込まれるとは全く想像の外であった。敵の数は減っておらず、逆に自軍が包囲されたという最悪の結果であった。
「一体何者が、敵の中におるのか」
キビトは、そう思うのが精一杯であった。
一方の司令官であるオノホコにとっても精一杯の包囲作戦であった。薄皮一枚で敵の大軍を包囲している。避難民の中から志願兵を募ってはいるものの兵数では未だ敵の方が優勢なのだ。そのために、竹の束での陣地を急いで作らせ物理力での防御にかけた。イズツ国との戦いにおいて、鉄の道具によって急速に拡大していった堅固な砦はオノホコにとって脅威であった。その真似をしたのだ。あくまでも包囲することが「戦うこと、まかりならぬ」と命じたトヨの本心なのだろうと解釈していた。
さて、敵の厄介な大将は、どうでてくるであろうのう。
オノホコは、そう思った。
夜。
双方にらみ合いの構図は変わっていなかった。
キビトは、敵が積極策に出ないのは例の軍使の口上がまんざら嘘ではないからだと考え始めていた。
「キビト様、奴隷兵どもが逃亡しております」と、将軍のひとりが報告した。
「かまわぬ。好きにさせよ」
「しかし、規律が」
「今は食料も矢も足りぬのだ。それに戦の終わりは近い」
コノオは合点がいかないようだった。
「それはどういうことでござるか」
「コノオ殿。我々はどうやらトヨノ御子とやらを甘く見ていたようです。これほど鮮やかに先手を打てるのは、御子以外に考えられません。さすれば、昨日の軍使の申す事も偽りではなさそうです」
「なるほどのう」
「御子は殺生を何より嫌うらしく、よってこのようなにらみ合いの形になっていると考えると全てのつじつまが合うのです」
「さすれば、軍使の申したとおり、和睦か」
「和睦しかありません。しかし敵に屈するのではなく、新しい国王の命に従うのです」
「うむ。まあ、それでよかろう。こんなばかばかしい戦はもう終わりじゃ」
神妙な顔つきでうなずくコノオであるが、キビトの見通しでは、和睦とはいえ、その条件はかなり厳しく、占領してきた国々も手放すことになり、はたしてそのことをコノオらが受け入れてくれるかどうかが気がかりであった。
さて翌日。
二つの方面から、ほぼ時を同じくして使者がキビトのもとにやってきた。
ひとつはオノホコから。
もうひとつは、新しいクマソタケルからであった。
キビトは先ず敵の使者から会うことにした。
ヤスニヒコは、クマソタケルらと、南方戦線の終息に向けて話し合いを続けていた。
北方戦線は、使いを出したこともあり、やがて落ち着くであろう。
問題はやはり、勇敢なハヤト族であった。
今、戦線は各地で分断され逆襲の勢いさえ見せているという。しかも替わったばかりの若い国王をみくびり、北方の始末に手間取っている間、都に直接攻め込んでくる恐れも十分にあった。北方軍が戻ってくるまでの間、なんとか支えきらねばならない。しかし兵数とてろくにない今、勢いにのるハヤトを抑えるのは至難の業であった。
「せめて、兄上がご無事であったなら」
ヤスニヒコの頭には、常にそのことが浮かんでいた。タケノヒコなら起死回生の痛撃を与え、ハヤトを従えることができるはずだと思っていた。
そのタケノヒコである。
幸い、肩の筋肉に矢がかすったようで、骨には異常がなかった。
カエデの献身的な看病もあり、快方に向かっていた。
使者が来てから一昼夜が過ぎた。
クマソ北方軍では、どのように進退するか意見が対立し、なかなか決まらなかった。
夜襲の失敗もあり、キビトはその求心力を失っていた。
さて、使者の口上は、何故か両者とも同じようなことを言ってきていた。
「新たな領地を死んでも守れと言われるならば、我々は断固戦いぬく。しかし、全てを捨てて逃げ帰れなどとは、とうてい国王の指図とは思えぬ」というのが和議反対派の大方の意見であった。対して「今は敵の誘いに乗ったふりをして兵を引き、宿敵のハヤトを討ち果たすべきである」というのが和議派の意見であった。しかし、キビトはその両方にくみしない思いを胸に秘めていた。たしかにクマソは弓矢にかけて国を興してきた。しかし、それは武力で勃興したナノ国も、イワイ国も同じこと。今はトヨノ御子に遠慮をし、その指示をないがしろにしていないため、この機を捉まえて遺恨を残さぬようにしなければ、もともと武勇自慢の両国とまた戦をせねばならぬ。再び戦をする場合、クマソはどうしても不利になる。途中の国々は今回に懲りて全てを持ってさっさと逃げるであろうから補給もできないし、なにより、長年の暴政によってクマソ国は疲弊しているのだ。再び遠征する余力はないし、国々が逆襲をかけてくれば、ハヤトとの挟み撃ちにあう。今は、たとえ占領で得たものを全て捨てても、これ以上味方の損害を出さずに国へ帰り、みなで新しいクマソの国づくりに邁進すべきだ。しかし、キビトのそうした願いも空しく、大声を上げ、誰彼かまわず口汚く罵り、手足をバタつかせて主張する主戦論者の景気の良い意見に大勢がなびきつつあった。
コノオは、キビトの心中を察し、穏やかに撤兵できればそれで良いと思っていたが、しかし武人としての本能が心の底では撤退を嫌がっていた。
決戦を挑むことに決まった。
明朝、本軍との間にある敵陣を破り、本軍と合流後体勢を整え敵の囲みを破り、イワイの都を強襲するというものだった。作戦などと呼べるものではなく、意地を見せるだけの愚かな突撃でしかなかった。
「キビト殿、よろしいか」と問う声に、「みなごくろう。よろしく頼む」と、キビトは力なく答えた。
夜半、雨が降り出した。
その激しい雨音にキビトは目をさました。
「激しい雨ですな」
隣に寝ていたコノオも起き出してそう言い、さらに命令した。
「誰か、兵たちに体を冷やさぬよう、言いつけてまいれ!」
そうは言ってもこのような雨なら、どうすることもできないであろう。兵たちがかわいそうだと、キビトは思った。
「まったく、明日は晴れの出陣であるのに・・・」
ぶつぶつ言いながらコノオは再び眠りについた。
雨はあがった。
その辺りの水たまりは凍っていそうな底冷えのする朝。
それは、運命の夜明けであったと、クマソ軍の心あるものは長らく記憶にとどめることとなる。
攻撃するつもりであったのに、夜が明けてみると、周囲は敵に完全に包囲されていた。それも今までの包囲とはまるで違う。敵兵の顔も判別できるほどの近さであった。昨夜の雨がその気配や物音をかき消していたので、こんなかたちになるまで、誰一人気づかなかったのである。
兵たちはうろたえ、大混乱になった。
「敵は気分を変えたのか」
キビトはそう思った。
「和睦など、はじめからでたらめだったのじゃ!」と誰かが叫んだ。
竹の束による柵、その後ろに控える盾を持った兵士たち。
薄桃色の夜明けの空にきらめく無数の矛が天をにらみ、各国の軍旗がはためいている。
後方には弓隊も控えている。一斉に矢を放てば、クマソ軍に防ぐ手立てはない。
はたと目を凝らすと、いつの間にやら敵陣に櫓ができていて、そこからいくつもの光が見えた。
それはやがて一条の強力な光の束となって、キビトたちを照らしつけた。
そして、光の向こうから声が聞こえた。
「クマソの者どもに、神の御言葉を申し聞かす。もはや和議ではない。降伏せよ。よいか、神は降伏をお望みである」
クマソ兵たちがざわめいた。
「トヨノ御子様じゃあ!」
トヨのことは兵卒にいたるまで知るようになっていた。
トヨの神通力によって、破竹の勢いであったクマソ軍がさんざんに打ち負かされたのだと噂しあっていた。
やがて朝の光がトヨを照らし、その周囲の鏡はいよいよ輝きを増した。
「和議をお望みであった神の御心を踏みにじり、新たな戦をしかけようとした者がおる。その者、私の怒りにふれよ!」
トヨはそう言うと、右手を高々と掲げ、そして一本の矢が放たれた。
緩やかな放物線を描いて飛来する矢が、キビトには見えた。
その矢は、狙い違わず、主戦論で皆をリードした将軍の右腕に突き刺さった。
「なんと!」
キビトは顔色を失った。
事情を知るコノオらも、言葉を失った。
「ぐおう!」と獣のようなうめき声をあげながら、その将軍は転げまわって苦しんでいる。
トヨの声が聞こえてきた。
「神は殺生を好まれぬゆえ、命はとらなんだ。しかしながらまだ戦うと申すなら、このトヨが引導を渡す」
トヨの周りで鐘や太鼓が打ち鳴らされた。
クマソ兵たちの動揺は収まらない。
キビトは、もちろんトヨノ御子の噂は知っていた。しかしそれは人々が面白がって尾ひれをつけ足していった偶像でしかないと断定していた。しかし、先日の夜襲の失敗や、今目の前で現実に起こっていることを認めないわけにはいかなかった。
「まことに不思議。まことに神の使いというのか・・・」
キビトは、そうつぶやいた。
光の中から、大きなトヨの声が、ピンと突き刺すように聞こえてくる。
「殺生を好まれぬ神の御心、そして国の民を思い、安寧に導かんとする新しきクマソタケルの御心がなぜわからぬ。どうあっても降伏せぬのであれば、このトヨが一人残らず討ち果たす!」
トヨの体は赤い炎のようなものに包まれているようにも見えた。
そして、鏡の光が、鐘や太鼓のリズムが、一種の陶酔のような錯覚を感じさせた。キビトがあたりを見渡すと、兵たちの顔色は蒼白だった。恐ろしい儀式の生贄にでもなるような、そんな悲愴感さえ漂っていた。
「降伏しよう」
そう言ったのはコノオだった。
「コノオ殿」
キビトが言葉をかけた。
コノオは、キビトに笑顔を見せて言った。
「貴殿の申された通りであった。我々はトヨノ御子殿を甘く見ておった。あの女子は人とも思えぬ。神なのか、鬼なのか、それもわからぬが、何をやっても先手先手をとられて勝ち目はないようだ。皆が無駄に死ぬより、ワシが責任をとれば済むこと」
「総大将はこの私。責任は私が」
「文官であったそなたを担ぎ出したのは、このワシじゃ。そなたに責を負わせるつもりはない。この首ひとつで皆が助かるなら、もうけもんじゃ」
「しかし、」
「死ぬのは武官と決まっておるよ」
そう言ってコノオは小気味よく笑った。
「そのほうらに申し伝える」と、トヨの声が聞こえてきた。
「誰も死ぬに及ばず。そのほうらは降伏し、大人しく国へ帰れば、この度の罪は許される」
「なんと!」
コノオは驚きの声をあげ、兵士からは歓声があがった。
「我々の話を聞いていたのであろうか」
キビトは、そうつぶやいた。
「よいか、武器をおき、防具を外して砦の外に出よ。包囲している各国の兵よ、手出しはならぬ。手を出すものは、このトヨが容赦せぬ」
その後、「許される」というトヨの言葉を信じた大勢のクマソ兵が雪崩をうって武装解除に応じ、砦の外に出てきた。主立つ将軍らも出た。昨日まで主戦論で鳴らした者たちの変わり身に早さにキビトはあきれたが、この世のものとも思えぬトヨのあの姿を目の当たりにすれば、それも仕方のないことであろうと思った。
砦には、コノオとキビト、その従者のみが残った。
「さあ、コノオ殿、そなたも出て行きなされ。そなたがゆかぬと、せっかく出て行った兵たちが動揺する」
「しかし、それでは、キビト殿はなんとする」
「私は、けじめがあるでのう」
そう言うと、キビトは微笑みつつ、防具を外していたコノオのみぞおちに痛撃を加えた。
まったく油断していたコノオは、文官とも思えぬ激しい打撃に息をつまらせ、気を失って崩れ落ちた。キビトはコノオを抱きとめ、近くにいた兵に命じた。
「そこの兵。そなたらはコノオ殿を連れ出せ」
兵たちは訳もわからぬまま駆け寄り、コノオを担いで出て行った。
キビトはひとり、砦に立ちすくんでいた。
やがて、近くに落ちていた弓矢を拾い、その具合を確かめた。
「そのほうの考えは読めておる」
そういうトヨの声が聞こえてきた。
それを無視してキビトは、もっと良い弓矢を探した。
「そのほうは、クマソの誇りにかけて私に一矢報いるつもりであろう」
キビトは、良いと思う弓矢を見つけ、何度も放つ真似をしながら答えた。
「その通り。一矢報いねばクマソの面目が立たぬ」
「そなたは、カワカミノ王子側の者のはず。その面目はカワカミ殿のためか」
トヨのその言葉を聞いて、キビトは愕然とした。
やはり、神か鬼か分からぬお方よ。全てのことをお見通しなのだなあ。
そう思いつつ、矢を放つ準備を終え、大声で怒鳴った。
「むろん、王子、いや今は国王か。その人のためである。皆の命が助かるなら降伏もやむを得ぬ。しかし一矢も報いずに、どうしてこの先我が国王が、人がましく世間に顔向けできようか!」
トヨは暫く、押し黙っていた。というよりも、瞑想しているようだった。
ハッと目を見開きこう言った。
「よかろう。私を射よ。しかし私には神の御加護がある。かすることもできぬであろう。その時は、そなたも神の御心を得心せよ!」
「あいわかった!」
トヨの周囲の者がざわめいた。
「あの者を射よ!」というナノ国の将軍をシンがなだめた。
「御子様のおっしゃることに、万に一つも間違いはございません。大丈夫ですから、ここは見守ってくだされ」
そうこうしているうちに、キビトの扱うクマソの豪弓がうなりをあげて、矢を放った。
同時に「皆の者ふせよ!」とトヨが命じたが、トヨ自身はみじろぎもせず、直立していた。
鐘や太鼓が鳴りやみ、みな息をのみこんだ。
ひょう という恐ろしい音とともに、矢はトヨの耳元を通過していった。
矢は、外れた。
キビトは絶対の自信があっただけに意外であり、落胆した。
連合軍の兵らは歓声をあげた。
しばらくそのままにしていたトヨは、やがて静かに片手をあげた。
「静まれ」の合図であろうとシンが察し、「皆の者静まれ!」と怒鳴った。
辺りが静まるのを待って、トヨが言った。
「クマソの誇りはしかと受け取った。もうよかろう。そもそも、その昔命を狙われたカワカミ殿をおぶって逃がしたのはそのほうであろう。その曇りなき正しき心を、これからカワカミ殿とクマソの民のために活かせ。それが神の御心である」
キビトの心を、激しい雷が撃ちすえた。
カワカミノ王子を逃がしたことは秘中の秘として封印していたはずなのに、何故トヨノ御子は知っているのか。
「やはり、トヨ殿は神の使いか。我々がおよぶ術もなし」
そう思うと、全てを分かってもらえるような大きな安心感からか、キビトの両眼からぽろぽろと涙がこぼれてきた。いい歳してみっともないと思ったが、どうしてもこらえきれなかった。
その様子をしばらく見守っていたトヨが皆に命じた。
「皆の者、神の御心である。いくさは終わった!」
第十四章 もののけ
話は再び遠くはなれたイズツ国へ飛ぶ。
国の再建にあたり、隅々にまで情報網を整備していたヤチトは、西の国境のムラに、もののけが現れて村人を苦しめているという、妙な報告を聞いていた。
一年ほど前から、なにやらおかしなもののけが現れていたが、最近その被害が目立ちはじめたという。周辺の若者が何人も退治しようと出かけて行ったが、誰も帰ってこなかった。
「村人は怯えきっております」
「ふむ」
こんな時、トヨ殿ならばしかるべき手をうってくださるだろうと、ヤチトは思ったが、今は敵同士。
「その件、しばし様子を見よう。ひとまず、我が国の優秀な巫女と、心利いたる武人を三人ほど派遣して見聞させよ」
さすがのヤチトも万事多忙なおり、それ以上の算段が思い浮かばなかった。
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