チクシ大戦物語 第十章 第十一章
いつもありがとうございます!
今回はいよいよクマソ軍と連合軍の主力対決です。
大風呂敷男オノホコの策はあたるのか?
通信網も交通網もない時代においてまさに神頼みのような作戦の中で鍵を握るのは、ヤスニヒコの口八丁とタケノヒコの武力です。
どうぞお楽しみください。
第一章 ナノ国
第二章 作戦
第三章 何のための戦い
第四章 義の旗
第五章 クマソ同盟
第六章 新しき世の胎動
第七章 粉雪の中の激突
第八章 仲間とともに
第九章 カワカミノ王子
第十章 緒戦 (今回はここと、)
第十一章 南へ (ここです)
第十二章 クマソタケル討伐戦
第十三章 武人の矜持
第十四章 もののけ
第十五章 ハヤト襲来
第十六章 月下の泉
第十七章 凱旋
第十八章 新しき世
第十九章 女賊
第二十章 もののけの息遣い
第二十一章 神の軍勢
第十章 緒戦
粉雪の舞う中、イワイの国では、まさにクマソ軍と連合軍の戦いが始まろうとしていた。
クマソ軍が街道を北上中ということを知らせるのろしが上がり、本営にいるオノホコは喜色を浮かべ、各国の重臣たちは色めきたった。
ついに来るべき時がきた。
この日のために準備を重ねてきたオノホコは、自信を持って前線の諸将に命令した。
「戦闘を始めよ」
前線の諸将も、オノホコの命令を伝えるのろしを見て奮い立った。
主将はアキである。左翼にはゲン将軍、右翼にはイワイのアメノツチ将軍が布陣していた。タケノヒコは既に横槍部隊として山中に伏せていて、おとり部隊の将は鳥の国のナダ将軍であった。
アキは、ナダに出陣を命じた。
ナダは、先のナノ国との戦いで、おとり部隊に痛い目にあわされたため、おとり部隊のありようを心得ていた。「あのように振舞うのだ」と自分に言い聞かせ、出陣して行った。
ナダの兵たちは背中に竹の束を背負っていた。それは、竹を二段重ねにし、横棒を通し、ちょうど筏のような形にしっかりと作られた防具で、板製のものよりも軽く、また防御力も意外に高かった。逃げる際に背中を矢で射抜かれないための工夫であり、似たような防具の一種に、はるか後の戦国時代にあった“母衣”が挙げられる。同じく戦国時代には鉄砲の弾を避けるために竹の束が用いられていた。
その意図を、クマソのコウジン将軍が見抜いていたら、あるいはこの作戦は失敗に終わっていたかも知れない。しかし、コウジンはその奇妙な姿を笑い、侮り、これまでどおり一気に皆殺しにしようと、弓隊を前進させ雨あられのように矢を放たせた。それに対し、ナダの兵たちは巧妙であった。二人一組で行動し、一人が盾で守り、その影からもう一人が弓を放った。強気で攻めるクマソ兵は防具を持たず、弓だけで前進するため被害が大きくなり、それがなおさらコウジンの怒りに火をつけた。
時を経ずしてクマソ正規兵に突撃を命じた。
雄叫びをあげながら突撃してくる正規兵の一団に、散々矢を浴びせたあと、恐れをなした体を装い、ナダは退却を命じた。兵たちは弓を捨て、盾を捨て、逃げに逃げた。おそらく生きた心地はしなかったはずだ。しかし、タケノヒコが独創した竹の束がクマソの強弓から彼らの命を救っていた。
クマソ軍は、まんまと罠にはまったと言っていい。
しかし、その時コウジンは勝ちを確信し、逃げたイワイの兵(実際は連合軍、鳥の国兵)を追っていた。やがて前方に敵の砦らしき物が見え、敵兵がその中に収容される様子も見えたが、勢いのまま攻めつぶすつもりであった。事実、クマソ兵の最前列はその速度のまま、砦の塀に体当たりし、押しつぶそうとした。しかしその程度でつぶれる砦ではなく、しかも各所に落とし穴があり、大勢の者が落ちて死んだ。
「何をこしゃくな」と、コウジンは焦り、弓隊に大量の矢を放たせた。
砦からの応射は、三基ある高い櫓からわずかにあった程度で、クマソ軍はその自慢の強弓を一方的に放った。
実は、ここがオノホコの眼目であった。
敵に一方的に矢を放たせることで、味方の矢を増やし、敵に消耗を強いるのだ。
砦の中では、皆楯をもって雨あられのような矢を防いでいた。盾に突き刺さった矢は自分たちの武器となる。その意味で、先ほどのおとり部隊の会敵地点にも既に矢の回収部隊が向かい、うち捨てとなった矢を回収している。
そして敵の体力の消耗をも狙っていた。
敵がその圧倒的な強弓を放っている間、連合軍の兵の大半は持ち場で待機し、体力を温存させていた。塀をよじ登り、砦に押し入ろうとする敵に最前列あたりの兵が矛で突くなり、石つぶてを投げるなりで応戦していただけである。
もう一刻ほどおし合いへし合いをしているが、砦はびくともしなかった。
後方の小高い丘に伏せていたタケノヒコは、そろそろ潮時であると判断し、兵たちに突撃命令を下した。
ちょうどその頃。
味方の矢が尽きそうになり、コウジンの怒りは頂点に達した。
怒りのあまり、彼は自ら砦の戸口を押し破ろうと、味方の兵を押しのけ、大音声をあげながら一人で猪突した。
その時、彼は「あっ」と思った。同時に激痛が走り、あっけなく、その生涯を終えることになった。
まだ残っていた落とし穴に落ちたのだ。
クマソ兵は、あっけにとられた。
そして後方からタケノヒコの軍が襲い掛かった。
タケノヒコ軍は雄叫びをあげながら突撃してくる。後方からは射程の長弓隊が援護射撃のように、矢を放った。
クマソ軍は伏兵の出現に驚き、あわててタケノヒコ軍の方を向いた時、今度は後方になった砦から、おそろしく大量の矢が降ってきた。バタバタとクマソ兵が倒れていく。クマソ兵は主将もおらず、前にも後ろにも敵がいて、右往左往するのみだった。やがて、砦の左右の戸口が開き、ゲン軍とアメノツチ軍が突出し、タケノヒコ軍と共同でクマソ軍を包囲しようとした。
剣が交わる金属音や、兵たちの怒号に悲鳴が入り乱れ、大乱戦となった。
体力を温存させつつ、気力を漲らせていた連合軍の兵に対し、行軍を重ね、戦闘を続け、しかも不意を衝かれて気力さえも失いつつあるクマソ兵では勝負にならなかった。砦の櫓の兵たちも、この時とばかりに大量の矢を放った。
クマソ軍は数の多さだけが唯一の救いであったが、それでもバタバタと討ち取られていった。
日も傾きかけた頃、連合軍は予定通り、囲みの一方を開いた。
クマソ兵はそこに殺到し、我先にと逃げ出した。
連合軍は、その背にさかんに矢を射た。
やがて日が暮れた頃。
アキは戦闘停止を命じた。
クマソ兵は、数え切れない遺体を残し、退却していった。
戦いは終わったのだ。
アキは全軍に勝どきを命じた。
クマソ兵の犠牲者は一千人を超えていた。
連合軍はわずかに三十人。
想像以上の大勝に、本営の重臣たちも、前線の将兵も、よろこびを爆発させていた。
しかしここからが難しい戦いとなる。
クマソ本国を空にしておくため、クマソ軍をこの地に釘付けにしておかねばならない。
手負いとはいえ、まだ四千人を超える兵力なので連合軍は慢心できない。次の一手をうつべく、予定通りクマソ軍の後方にアメノツチ軍が陣を張るために出陣して行った。タケノヒコは百名を引き連れ、クマソ本国に向かった。それらの動きを察知されないように、ゲン軍が正面から夜襲をしかけた。
全てが予定通りというよりも、むしろうまくいき過ぎであった。
オノホコは、その幸運に空恐ろしさを感じ、身が引き締まる思いであった。
しかしふと、こうも思った。
全ては、トヨ殿のお力なのかも知れぬな・・・
「お味方大勝利」の報せは各国に飛んだ。
特に、各地から逃げてきていた避難民のいるヨシノハラツ国では、その知らせが伝わると、避難民たちが歓声をあげて勝利を喜んだ。中には、クマソの暴虐を目の当たりにした者もおり、その喜びはひとしおだった。ヨシノハラツ国の民も共に喜び、皆は自然と広場に集まってにぎやかな宴が始まった。もちろん国王トキも頬をほころばせ「今夜くらいはよかろう」と、倉の酒を引き出させ、皆に振舞った。
トヨのもとにも報せは届いた。
うれしくてうれしくて満面の笑みを浮かべ、シンはトヨにお祝いの言葉を言おうとした。
トヨは板敷きの間の中央に座り、その目は中空を見つめているようだ。
どうしたのかとシンは案じ、そろりとトヨの表情をうかがった。
トヨの頬をひとつぶの涙が伝った。
戦死者の魂のために泣いておられるのだとシンは察した。
戸外のにぎやかな戦勝祝いの騒ぎをよそに、シンはトヨと共に戦死者の冥福を祈ることにした。
戦場から最も離れたナノ国にも報せは届いたが、それは明け方近くであった。
戦端が開かれたという知らせの後、重臣たちは宮殿に集まり、その知らせを待っていた。
思いもよらぬ大勝であった。
重臣たちは、それまで口をつけなかった酒をたらふく飲み、口々に喜びの声をあげた。
そんな中、国王は思った。
トヨ殿のもとで、新しき世を作るべきかも知れぬ。
ヤスニヒコは、準備を着々と進めつつあった。
宮殿内の同志への連絡や、芸人一行を装うための道具の手配、楽器や舞の練習など、やるべきことはたくさんあった。もちろん、軍事的対決のための算段もしておかねばならなかった。オノホコやタケノヒコがやっていたことをイメージしながら、今ヤスニヒコが差配している。口達者なだけでなく、物事を動かすツボの押さえ方は、イズツ国のヤチトに勝るとも劣らない見事なもので、若干十四歳にして天才と言っていい。
大敗北の翌日。
クマソの侵攻軍は、山の中で孤立していた。
いつの間にか周辺は小さな砦で囲まれていて、正面はもちろん退路にも大きな砦があった。どこかの砦に襲いかかれば、のろしによって各地に知らされ、包囲攻撃を受けるであろう。
クマソ軍きっての知恵者と目されているキビトがそう予測した。
キビトは、本来カワカミノ王子側の人間であった。しかし、思慮深く控え目な人柄によってクマソタケルにも信頼され、今回参謀格として従軍させられていたのだ。
キビトは言った。
「我々はいまだ大軍。恐れることはありませぬ。我々もいそぎ砦を築き、けが人の回復を待つべきでしょう。幸いこの山はブナも樫も多く、木の実も豊富と見ました。問題はありませぬ」
コウジン将軍のあとを継いだガジン将軍は、怒りを露わにした。
「ひっこんでおれだと、馬鹿を申すな!我々には前進しかない。クマソタケルの御意志じゃ。奴隷兵がいくら死のうと関係ないわ!」
キビトは表情を変えずに口をつぐみ、ガジンの前にひざまずいた。
代わって声を上げたのは、勇将として兵に慕われているコノオ将軍だった。
「しかし、ガジン殿。兵の半分は怪我をしておる。今力攻めは無理じゃ」
「黙れ!今やこのワシが大将ぞ。何を申すか」
「いや、そなたが大将なのはワシも承知しておるが、今力攻めはいかん。敵は恐ろしい罠をしかけておったではないか」
「いまいましい。あの大勢の敵はいったいどこから湧いてきおったのか」
そんなことも知らなかったのかと、キビトは思った。ヒノ国境を越える時、四カ国が連合したようだと物見が報告していたのに、何も聞いていなかったのだ。こんな不手際では、先行きが暗いのは間違いないと心が重くなった。
ガジンが吠えるように言った。
「とにかく攻撃じゃ!クマソタケルは、一刻も早くカノ国の宝物、美女、酒、それに鉄をお望みじゃ。明日、正面の大砦に総攻撃をかける!」
この戦争の正体は、まさにそれであった。たったそれだけのことをクマソタケルが欲したために引き起こされた。まさにクマソタケルの私欲のための戦争であり、農地獲得も他国支配もまともに考えていなかった。
それだけのために、翌日また多くの者が死んだ。
連合軍の防御は完璧だった。ろくに矢もないクマソ軍はいたずらに死者を増やしたのみで、結局また山に逃げ込んだ。しかし、哀れなクマソ兵のわずかななぐさめは、ガジン自身も負傷したことだ。
ガジンは、病床の苦しい中にあって命令した。
「ワシの傷が治るまでしばし待て」
結局はキビトの言うように砦を築き防御姿勢をとることになった。
「敵は砦を築いておるようでございます」
オノホコはその報告を本営で聞いた。
現場の将軍と無用な軋轢を避けるため、オノホコはイワイの都にある本営にとどまっていた。
あらゆる情報を一手に集め、おおまかな指示を送ることに徹していた。「現場のこまかな対応は現場に任せる」というのが、オノホコとアキの約束であった。各国高官との調整もあり、自然とこのような形に落ち着いたのだが、何事にもアイディアがひらめくこの男は、また別の青写真のための試金石でもあると思い始めていた。それは、この戦のあと、いよいよ新しき世を実現させたいというものであり、彼の考えでは、トヨを中心に各国の連合体をつくるのだが、その中心地にトヨはもちろん、各国の代表者たる高官を集め、合議によってワノ国連合体の運営にあたるというものだった。その中心地には、タケノヒコのオオヤマトならば東の国との境にあって、地理的にもアキツシマ(本州)の中心であるからよかろうと、そこまで彼の構想は飛躍していた。もっともまだ空の雲をつかむようなものなので誰にも話していないが、そのテストケースとして今回のこの形を捉えていたのだ。
「我々の思う壺ですなあ」と、傍らにいた鳥の国の大人が言った。
他の高官たちも同じ思いのようで、みなにこやかな表情だ。
オノホコも相好をくずして、伝令の者に命じた。
「よし。ではこれより積極的な攻撃は控えよ。加えて敵が木の実集めや鹿狩りなどをするのであれば見逃せと伝えよ」
伝令の者を出発させたあと、オノホコはその場にいた各国の高官に言った。
「これからが難しい戦いとなる。少なく見てもあと三十日は敵をこの地にひきつけておかねばならぬ。タケノヒコ殿が勝負をつけるまで、みなみな心してかかられる事をお願い申す」
キビトは、いっそこのまま臥せっているガジンを刺し殺し、連合軍と和議を結んだあと自害しようかと思った。あとはコノオがうまくやるだろう。普段は柔和な笑顔を絶やさず、暴虐なクマソタケルの忠臣を振舞うキビトであるが、その心の奥底には仁愛と正義の炎が燃え盛っていた。クマソの名誉にかけて、これ以上残虐なことをしたくない。思えばここに来るまでに、一体どれだけの人間を殺してきたのか。泣き叫び命乞いをするものもいた。怒りのあまり罵声を浴びせつつ処刑された者もいた。全て将軍の命とはいえ、自身の振舞いなのだ。苦しい夢を見て、思わず起き上がり、手に汗をかいているなど、ごく日常的な事となっていた。それでも何くわぬ笑顔で将軍に仕えている。そんなことを考えながら、その夜も眠れないでいた。
「そなたらは、北へ向かうのか」
タクマノ国の王が、処刑の前にそう言っていた。
「北のナノ国には今、オオヤマトの常勝将軍タケノヒコ殿と、神の声を聞くというトヨ殿がおられるよ。二人とも情けに厚く正しきお方じゃ。そなたたちの振舞いは決してお許しにならぬであろう。ワシはこれから処刑されるが、ワシの娘はトヨ殿のもとへ逃がした。女子の身ゆえ仇討ちは望まぬが、トヨ殿のもとで正しき道を歩いてくれると信じておる。ワシの最期の希望じゃ」
国王は笑顔でそう言い残し、従容として首をうたれた。
「正しき道とな・・・」
キビトはその言葉を頭の中で反芻しながら、ようやく眠りに落ちて行った。
翌日。
戦線はにらみあいの体をなしてきた。
もっとも連合軍がそのように仕向けたのであるが、ガジンの傷が思いのほか深く、動きようがなかったことが第一の理由である。さらには、今は勝ち戦で結束のある連合軍だが、あとふた月もすれば田植えの準備を始めねばならず、滞陣が長引けばどこからともなく不満の声があがり、連合軍は内部崩壊するであろうと、キビトも、オノホコも見ていた。キビトはそれに比べ、水田少なく、兵の大半は奴隷からなるクマソ軍は山の幸を食糧にできる限りにらみ合いが続けられると考えていた。しかしオノホコは、勝負はひと月と考えていて、それら思惑の微妙なバランスで、お互いに積極攻勢を避ける格好となっていった。
そういった意味でも、タケノヒコの一撃が戦いのカギを握っていた。
第十一章 南へ
タケノヒコは今、クマソ軍が進駐している平野部を避け、山あいのそま道をクマソ目指して南へ急行している。各国から選抜された精兵およそ百名を率いている。到着まであと二十日。オノホコとの約束であるひと月以内を守るためには、到着とともにクマソの都を急襲せねばならない。いずれにしても難しい戦いだと覚悟していた。
一方ヤスニヒコは着々と準備をすすめ、その作戦に自信を深めていた。あとはタケノヒコに作戦実施の許可をもらい、その采配を託す必要があった。それもここに到着してからでは遅い。前もってつなぎをとり、事前に知らせておくべきだ。そこで、信頼できるナノ国の者数名とサルにつなぎをとるよう命じた。行軍の道筋はあらかた打ち合わせてあったから、そこらまで行って出迎えれば良い。
しかし、出迎えに指名された者は不安であった。
「もし、タケノヒコ様にお会いできなんだらどうしましょう」
ヤスニヒコは高々と笑い声をあげて答えた。
「我々には、トヨ殿、いや神のお導きがある。万にひとつも心配はない。それにこの策は、兄上の軍がなくても、我が手勢のみでも実行できる。兄上の軍は睨みをきかせるためのただの重りだ。そう気楽に考えよ」
指名された者たちは、ヤスニヒコが「我が手勢」と言ったことに素直に感激した。一緒にきたナノ国の者たちはみな、ひそかに年若ながらヤスニヒコを尊敬している。そのヤスニヒコが家来と認めてくれたのだ。その心に報いようと、指名された者たちは奮い立った。
出迎えの者たちは出発した。
幸い、サルは各地を放浪していたため土地勘がある。百名ほどの大軍が来る道はここしかないとわかっていた。しかし他の者にはわからない。こんな見知らぬ土地で、巡り合うなど奇跡のようなものだ。
七日ほど行った、その朝。
ナノ国の者たちはヤスニヒコの心に奮い立ちはしたものの、現実の問題としてうまく出会えるなどとはどうしても思えず、不安はいよいよ大きくなった。
「もうすれ違ったかも知れぬ」
「我々も引き返すべきではないか」
そう言う二人にサルは笑って答えた。
「ワシは、ヤスニヒコ様の家来じゃ。ヤスニヒコ様が大丈夫と言えば大丈夫と信じるまでじゃ」
当時は現代のような法治国家などありえず、人々は王の気分に支配されていた。
サルの両親は、王の気まぐれで殺された。
それ以来、物見としての腕を磨きながら、良き国王のいる国を探し求めて放浪し続け、そしてヤスニヒコに出会い、その人柄に触れて、一も二もなく家来になりたいと思った。
「そうは言ってものう。何の裏付けもないのだぞ」
「トヨノ御子様のお導きがあると仰せではなかったか。数々の奇跡の噂は、ワシも聞いている」
「噂だけならワシらも知ってはおるが」
「では、今回その奇跡を拝見すればよい。タケノヒコ様の軍勢に出会えたら奇跡じゃとな」
サルはそう言ってカラカラと笑った。
同行の二人はあきれたようにサルを見た。
「ちょっと待て」
サルが急に血相を変えて皆に言った。
その視線の先には、ざわざわと飛び立つ鳥の群れがあった。
「しっ。お静かに。あの鳥の群れの下に人がいる。タケノヒコ様かも知れぬが、敵かも知れぬ。お二方は、どこかにお隠れあれ。ワシが様子を見てまいろう」
そう言うと、サルは機敏な動きで、駈け出して行った。
サルは木に登り、人の気配のする方を凝視した。
姿はまだ見えない。しかし武具のこすれあたる音がする。まちがいなく軍勢だ。
「十中八九タケノヒコ様であろうが、敵であればやっかいだ」
そう思いつつ尚も凝視していると木々の間から兵士の姿が見えてきた。
「お、タケノヒコ様ではあるまいか。ヤスニヒコ様によく似ておられる」
サルはそう思い、意を決してタケノヒコの前に進み出た。
タケノヒコは軍列の先頭を歩いていた。
サルは、ありったけの笑顔を振りまいて近づいた。
「何奴!」と周囲の兵たちがタケノヒコを守るかのように取り囲み、サルに向かって剣を抜いた。
サルはひれ伏して叫んだ。
「タケノヒコ様。お久しゅうございます。サルめにございます。オオババ様の指図によりこの地に参り、今はヤスニヒコ様の使いでまかり越しましてございます」
「サルか・・・」
タケノヒコには見覚えのない若者であった。
「はい。サルめにございます」
サルにすれば、オオヤマトの者であるということになっているから必死であった。
カンの良いタケノヒコは、何か事情があるのだとわかった。それにオオババ様やヤスニヒコの名前を出されたからには様子を見た方が良いと考え、サルの言葉に合わせておくことにした。
「ああ。思い出したぞ。サル。そなたであったか」
タケノヒコがそう言って笑ったため、周囲の兵も警戒を解いた。
自分の芝居に合わせてくれたのだとサルにはわかった。ヤスニヒコといいタケノヒコといい、やはりこの兄弟は見込んだだけはあると思った。
「して、ヤスニヒコの使いとは?」
「はい。皆さまをお迎えにゆけと仰せでございます。向こうには一緒に参ったナノ国の者も控えております」
「そうか。では呼んできてくれ」
タケノヒコはそう命じた。さすがに無警戒ではなく、うかつについて行ったりはしない。
「御意」
サルはそういうと他の二人を呼びに行った。
タケノヒコは涼しい表情を装っていたが、変事があればただちに剣を抜いて応戦するつもりであった。はたして。
サルは、にこにこしている二人の男を連れてきた。
男たちは口ぐちに「奇跡じゃあ」とつぶやいていた。
もちろんその二人は、タケノヒコが率いてきたナノ国兵の面々とは顔なじみであり、ヤスニヒコの使いであることが証明された。再会を喜ぶ者たちのため、しばし休憩せよとタケノヒコが命じた。しかし自分は物見に行くと言って、サルを連れて軍勢から離れた。
軍勢から随分離れたところで、サルに聞いた。
「そなたは何者か?」
サルはかしこまって答えた。
「放浪の者にございます。途中、ヤスニヒコ様にお会いし、家来にしていただきました。陣中ではオオババ様の使いでまいったオオヤマトの者ということにしていただいておりますゆえ、さきほどはあのように申しました」
「うむ。事情はわかった。しかし何故家来になったのか?」
「あの様なお優しく聡明な王子様を私は見たことがありませぬ」
サルは家来になるまでのいきさつを説明した。その要領を得た話しぶりに、タケノヒコは感心した。頭の良い、できる男と見た。
「よし。わかった。そなたは良き男のようだ。ヤスニヒコの初めての家来だな。我が弟をよろしく頼む」
そう言って笑うタケノヒコの心の広さに、サルはひたすら恐縮した。
「それは、そうと。今どういう状況になっているのか教えてくれ」
サルはヤスニヒコの芸人作戦を簡潔に説明した。
ひととおり説明を聞いたタケノヒコは大いに笑った。
「にぎやかな事が好きなヤスニヒコらしいな」
しかし、「おもしろい」とも思った。むやみに力攻めをするよりもよほど良い。
「今頃は、芸人一行が都に入った頃でしょう」とサルが言った。
「うむ。もう後戻りはできぬのだな」
「御意」
「よし。その策に乗ろう」
タケノヒコが決断した。
ここに、ヤスニヒコの立案によるクマソタケル討伐戦が始まった。
完読御礼!
次回はいよいよクマソタケル討伐戦です。
ご期待ください!