チクシ大戦物語 第八章 第九章
熱心な皆さま。
ありがとうございます。
今回は口八丁男ヤスニヒコがカワカミノ王子を唆すため、その口八丁に磨きをかけて大暴れします。
そして、新しい仲間の登場です。姫の家来であるジイとゼムイ、それから流れの草の者(忍者)であるサルの三人です。
どうぞお楽しみください!
第一章 ナノ国
第二章 作戦
第三章 何のための戦い
第四章 義の旗
第五章 クマソ同盟
第六章 新しき世の胎動
第七章 粉雪の中の激突
第八章 仲間とともに (今回は、ここと)
第九章 カワカミノ王子 (ここです)
第十章 緒戦
第十一章 南へ
第十二章 クマソタケル討伐戦
第十三章 武人の矜持
第十四章 もののけ
第十五章 ハヤト襲来
第十六章 月下の泉
第十七章 凱旋
第十八章 新しき世
第十九章 女賊
第二十章 もののけの息遣い
第二十一章 神の軍勢
第八章 仲間とともに
朝がやってきた。
タクマノ姫にとって、悪い夢を見ていただけだと思いたくても、いつもの朝とは違い、今、ヤスニヒコらの一行とともにいるという現実があった。ほんの昨日の朝までは、戦時の慌しさがあったとはいえ、父がいて兄がいて、母がいた。幼馴染の顔もあった。太古から続くクニの暮らしが、まさかわずか一日で消滅しようとは思っていなかった。遺恨も何もないクマソが、まさか全てを奪うなど、全く考えていなかった。今にして思えば「追い払えばよかろう」という皆の考えは全く甘い見通しであったと思わざるを得ない。「もし」が許されるなら、やり直したい。戦などせず、皆で噂の通り、ヨシノハラツ国へ避難すれば良かった。そんなことをタクマの姫は思ってもみた。
しかし、あの頃にはもう戻れない。
「あさげの仕度ができてございます」
従者の一人に勧められたが、姫は食べる気になれなかった。
「どうした。姫?元気が取り柄ではなかったのか?」
心配したヤスニヒコがそう言うと、姫はわずかに微笑みを見せたものの、食べようとはしなかった。
「姫が食べぬなら、私も食べない」
「どうか食べてください。私は・・・」
ヤスニヒコはニコッと笑って言った。
「戦に勝つコツはな」
姫はヤスニヒコを見つめた。
「食べることだと、兄上が言っておられた。食べるからこそ戦う勇気、そして生きる勇気が湧いてくるのだとな」
「タケノヒコ殿が?」
「常勝将軍である兄上の言われることだ。間違いない。もっとも、トヨ殿の受け売りらしいが。そうだ。今は無理だが、そのうちトヨ殿にも会わせよう。そなたの父母の言葉を伝えてくださるぞ」
姫は瞳を輝かせた。
「ほんとうか?」
「本当だ。トヨ殿は黄泉の国の者とも話ができるのだ」
姫は涙をぽろぽろ流した。
「何だ、また泣いているのか」
「約束だぞ」
「ああ」
「すまぬ。ヤスニヒコ。私は嬉しい」
「なら、少しでもいから食べろよ」
「わかった」
姫は涙をふいて、差し出されたあさげを口に運んだ。
ヤスニヒコも一緒に食べた。
そんなヤスニヒコの優しさを見て、従者たちは「この王子様のためならば」という気持ちを強くした。ヤスニヒコは何気なく振舞っているにすぎないが、その天性の優しさはナノ国の者たちの心を強く打ち、一時的な主従ではあったが、ヤスニヒコのもとの団結心を固めていった。ヤスニヒコ自身は気づいていなかったが、その優しさがヤスニヒコの最大の武器であった。
不意に、遠くから声が聞こえた。
「もし、旅のお方」
五人の一団が何やら頼みごとがあるようで、向こうで従者の一人と話している。やがて話を聞いたその従者が、ヤスニヒコのもとへ報告にきた。
「夜中、歩きづめだったという者たちがあさげを恵んでくだされと言っておりますがいかがいたしましょうや?」
「かまわぬぞ。まだ残りはあるか?」
「ございます」
「では、振舞ってやれ。足りぬならまたつくれ」
遠くにいた、その者たちがヤスニヒコの方を見るやいなや、血相を変えて走りよってきた。「不心得ものぞ!」と従者の誰かが叫び、みな剣を取ってヤスニヒコを守ろうとした。が、その時。
「ジイではないか!」と、タクマノ姫が叫んだ。
つまり、こういうことだった。
タクマノ国も全く油断していた訳ではなく、一部の女子供は念のため、噂に聞いたとおりヨシノハラツ国へ避難させていた。その護衛に、「ジイ」と呼ばれる重臣をはじめ十人の武人が付けられていたのだが、道中、戦が始まりそうだとの報せを聞いて、いてもたってもいられなくなったジイが四人を引き連れ舞い戻ってきたのだという。
「血の気の多さは、姫様には負けませぬからな」と、そのジイは闊達に笑った。
あさげを分け与え、ともに食事をしながら、戦いの様子を話して聞かせるうち、その惨状を聞いて、みな押し黙っていった。
「わが国は」と、ジイが言った。
「海つ人らがワノ国に来る前からこの地にあって暮らしてきた大国であった。兵の数も三百人はいたのに、たった一日で滅びるとは」
白ひげをたくわえた人なつこいしわくちゃの顔を、さらに涙でしわくちゃにして、ジイは声をあげて泣いた。
姫は、自身も涙をためて、ジイたちの様子を見守っていたが、やがて、から元気を振り絞るように大声をあげ、叱咤した。
「ならぬ、ならぬぞ。ジイ。これ以上泣くな」
「姫様こそ、泣いておられるではありませんか」
「私は泣いてはおらぬ。これは、汗だ。皆の仇をとるまでは泣いてはならぬのだ」
姫は十三歳。ヤスニヒコのひとつ下だ。しかし、臣下の前では泣いてばかりもいられない立場であった。そのことくらい、もうわかっている。
「仇と言われても、どうすることもできませぬが」
「私ひとりになっても仇をとる」
その一言が、ことさら面白かったのか、ジイは、泣き笑いのような不思議な格好になった。
「相変わらず、血の気の多い・・・」
やがて、日の出前から都の様子を見に行っていた物見の者たちが帰ってきて報告をした。
国衆は六百人程度生き残っていて、焼け跡の始末に使役されているということだった。
「ならば、ジイ、助けにゆくぞ」という姫にむかって、ジイは笑いながら言った。
「さすがのワシも姫様の血の気の多さには敵いませんわい。いくら何でもここは辛抱ですぞ」
ヤスニヒコが口をはさんだ。
「姫、気持ちはわかるが、今は軽々しく動く場合ではない。それどころか、クマソは一旦体制をたてなおそうとしているようだ。この場所も危ない」
ヨナも同意のようだった。
「そうですな、ヤスニヒコ様。おそらく、この国を支配するためいそぎ都を建て直すつもりでしょう。そして次の戦に備えて、昨日の、あの戦場で使った矢を回収に来るはず。ここからは目と鼻の先です。早々にこの場を離れなければ危のうございます」
「では、早々に出立しよう。姫、ジイ、そなたらの身柄は一時このヤスニヒコが預かる。悪いようにはしない。一緒にこい」
クマソの進路から見て、最短コースである平野部を行くのは危ないと判断したヤスニヒコ一行は、遠く迂回し、山際を南下することにした。
南東の方向にひたすら山を目指して進んでいた一行は、大きな川にあたったところで休憩することにした。
「ここまで来ればもう安心でしょう」
ヨナはそう言い、竹筒に川の水を汲んだ。
従者の者たちも背負っていた荷物をおろし、おもいおもいに休憩した。
日差しは突き刺すように鋭いが、空気は冷たく、歩き詰めで熱くなった体を冷やすにはちょうど良かった。
「あー、暑い」
タクマノ姫はそう言って、着ていた毛皮を払いのけ、貫頭衣を脱いで腰に巻きつけた。
上半身が露になったその姿を見て、「姫、はしたのうござるぞ」と、ジイが注意した。
「かまわぬ。暑いのだ」
姫はそう言って、川の水を浴びた。
「風邪もひきますぞ。今は暑くてもすぐに寒くなるものじゃ」
「ならば、その時また着ればよい」
当時、女性が上半身裸でいることは、それほど珍しいことではなかった。
ヤスニヒコは、ふたりの様子を見て、姫はもう大丈夫だなと思いつつ言った。
「さて、タクマの衆。ここまで来ればもう大丈夫であろう。あの山並みを左手に行けばヨシノハラツ 国へ行けるはずだ。食料を渡すゆえ、避難なされよ」
離れたところで水浴びをしていた姫は意外そうな顔をして、ヤスニヒコに聞いた。
「ヤスニヒコたちは、どうするのか?」
「我々は右手にゆく」
姫には、何か思い当たることがあるようで、重ねて聞いた。
「右手は南。先はクマソではないか」
ヤスニヒコは答えず、ただ笑っているだけだった。
「姫様、ヤスニヒコ殿の言われるとおり、ここは皆のところへ参りましょう」
タクマの国の一人がそう言った。
「いやだ。私はヤスニヒコと一緒に行く」
「みんなのことが心配ではないのですか?」
「もう国境の山は越えているのであろう。ならば大丈夫だ」
姫は賢い。ヤスニヒコ一行の目的をうすうす察していた。
「ヤスニヒコ。そなたらはクマソに行くのであろう?」
ヤスニヒコは困惑しヨナの方を見ると、ヨナは首を横に振っていた。
「姫様、我々はもしもの場合を考え、どこか良い土地はないものかと探して歩いているのです」
ヨナがそう言ったが、姫は無視してヤスニヒコに詰め寄った。
「なあ、教えてくれヤスニヒコ。そなたらはクマソに行くのであろう?」
「姫様」。
ヨナがそう言ってヤスニヒコから姫を引き離そうとしたが、姫はその手を振り払いヤスニヒコにすがりつき、その顔を見つめた。
「教えてくれ。クマソに行くのであろう?」
その真剣な眼差しに、ヤスニヒコは腹をくくった。
「クマソに行って何とする?」
「決まってる。敵討ちだ」
「敵を討とうと思えば、討たれることもありうるぞ。そなたにその覚悟はあるのか」
「私は討たれぬ。敵を討つまで絶対討たれぬ」
ヤスニヒコは、しばらく考えた。
気持ちはわかる。しかし多くの国や人々の命運を担って我々はここにいる。今、この者たちに全てを晒して良いものか。本当に信用しても良いのか。心が揺れた。しかし、今朝トヨ殿の話をした時の姫のあの顔は本物だった。そうだ。トヨ殿がおられる。このことは大きな賭けとなるかも知れないが、全てを見通すトヨ殿が、もしもの場合は何らかの手をうってくださるであろう。そう思いつつ、タクマの衆に意見を求めた。
先ほど口をきいた武人の頭であるゼムイは「もとより我々は国王に忠誠を誓っております。姫様がどうしてもゆくと仰せであればお供するまで」と言った。
ジイは「我らは戦をすべく舞い戻ったのでござる。敵の本拠に乗り込むのであれば本望じゃ」といって高々と笑った。「ただし、我々はもちろん姫様も、本懐をとげるまでヤスニヒコ殿の配下にしてくだされよ。でなければ、この姫様は何をしでかすかわかったものではありませぬ」と、真顔で付け加えた。
ナノ国衆にも意見を求めた。
「食い物はたっぷりありますれば、何人か増えたところで問題ありませぬ」
「この方々は、見たところ相当な使い手ですぞ。お味方くだされば心づよい」
「一緒にふた刻ほど歩いてきましたが、信用できると思います」
「ヤスニヒコ様、ぜひ敵討ちをさせてあげましょうぞ」
みな肯定的な意見であった。あれほどの災難にあった国の者たちが敵討ちをしたいという思いに同情的でもあったからだ。最後に若い者が茶目っ気たっぷりに言った。
「美しい姫様との旅は楽しゅうございましょうなあ」
皆が笑った。
ヤスニヒコの心は決した。
「よし、ではこれから我らは一味である!」
ナノ国衆から拍手が起こった。
ヨナは嫌そうな表情を見せていたが、ヤスニヒコはかまわずに言った。
「私は大将としてみなの衆に申し渡す。我々は断じてクマソタケルを討ち果たす。けっしてたやすきことではないが、今新しき仲間とともに、その心をひとつにし本懐を遂げる意思を固めよ!やりぬく意思のもとに勝利はあるのだとトヨ殿が仰せだ。我々は負けぬ!ひれ伏さぬ!断固戦い抜いて、難儀の民を救おうぞ!」
その力強い言葉に、ナノ国衆もタクマの国衆も、さかんに拳を突き上げ、鯨波の声をあげた。
その様子を見て、姫はうれしくてしかたなかった。涙がこみあげてきた。
「さて、タクマの衆、そなたらには特別に申し渡すことがある」
目頭を押さえていたジイが顔をあげて聞いた。
「なんなりと。ご指示くだされ」
「クマソ成敗については、我々に策がある。おいおいヨナから聞いておくように。また、敵討ちを忘れろとは言わぬ。しかし、かっとならぬよう努めて冷静にふるまえ」
「承知」
「それに」と言いかかって、ヤスニヒコはニヤリと笑った。
「何でございましょうや」
「この姫が、私の言うことも聞かぬ時は、そのほうら皆でひっかついでヨシノハラツ国へ連れてゆけ」
「ひどい!」と、姫はむくれた。
皆、大声で笑った。
その後、タクマノ国がなす術もなく壊滅したという噂が広がり、ヨシノハラツ国へ各国の民が続々と避難してきていた。アキは、一旦国へ戻りその対応に追われていた。国王トキの義の意思がすみずみまで行き渡っていたため、民も快く避難民たちをもてなした。
今、クマソの軍はヒノ国のワイフというところにあって、無人となった都を破壊しているという。得るものがなかったための腹いせである。今後は文字通り無人の野をいくことになるため、進軍速度は加速するであろうとオノホコは見ていた。
時に、わた雪が舞う寒さ厳しき折であった。
ヤスニヒコからの使いの者の報告を受け、オノホコは自らの策に自信を深めたものの、はたして予定通りの道筋でクマソが来るのか。急速に展開できる防御柵としての竹の束を大量に準備しているが、裏をかかれれば何にもならない。そこにオノホコの苦悩があった。タケノヒコが本営にやってきたのは、そんな時だった。
「先ずは心配あるまい」とタケノヒコは言う。
「何故?」と問うオノホコに、タケノヒコは明快に答えた。
「敵は物見遊山にくるのではない。早く勝負をつけたいはずだ。必ず1本しかない大街道をくる。もっとも、大軍だからそま道は通れないし、油断もあろう。負けるつもりがないから、誰にも遠慮などするものか」
「そうかのう。しかしワシは全てのことに目配りをする責任があるのだ」
そう言うオノホコは、多少やつれて見える。
「疲れておるのだ」とタケノヒコは言った。
「疲れてはおらぬ」
「いや、疲れておる。いたずらに思案を重ねずとも、トヨ殿に聞いてみれば良いではないか」
オノホコは、「あっ」という顔をした。
もともとオノホコは自力を過信するタイプだ。
トヨと行動をともにし、その特殊な力も知ってはいたが、その力を借りることなど全く考えていなかった。
タケノヒコが言った。
「そなたがそこまで悩むのであれば、聞いてみたほうが良い。これからトヨ殿のところに行くので一緒にまいろう」
トヨは、体調もだいぶ良くなっていたが、あまり外出することはなかった。戸口から入ってくるタケノヒコを見たとき、トヨの瞳が輝いた。
「ごぶさたしておった。達者で何より」
そう言ってタケノヒコは笑った。トヨも笑顔であった。ずっとそばで看病していたシンは、トヨの笑顔を久しぶりに見た。
「私はね、わかっていたのです。今日はタケノヒコ様がおいでになると」
「兵の調練も終わったのだ。今は戦を前にみんなをムラへ帰しているから、やっと来ることができた。シン、そなただけに看病させて申し訳なかった」
シンも笑顔であった。
「いいえ。私でお役にたてるなら」
「おう。トヨ殿。ここにも一人おるのだがな」
オノホコは、本営に泊まり込んでいたため、この宿舎には随分帰っていなかった。
トヨは、微笑みを見せて言った。
「そなたが民のため寝る間も惜しんで働いていたのは知っていました。私からも礼を言います」
いつも顔を見ると怒鳴られるオノホコにとって意外な反応だった。
オノホコはボリボリと頭をかきながら「なんだか調子が狂うのう」と言った。
「そなたがここにきた理由もわかっています。クマソは街道を来ます。そなたはそなたの策に自信を持って良いのです」
オノホコは心を強く打たれた。ここ数日以来、その答えが知りたくて知りたくて、夜も眠れなかったのだ。思わず涙があふれてきた。あふれる涙と鼻水を、こらえきれずにオノホコは泣いた。それほど追い詰められていたのだ。何故泣いているのかタケノヒコにはわからなかったが、トヨにはよくわかっていた。
「さあさあ皆様、今日は久しぶりみんなで宴を開きましょう。このシンが、うまいものに酒を手配しておりましたので」
「そうだな」とタケノヒコも同意した。
「ヤスニヒコ様がおいでならもっと良うございましたのに」
シンがそう言うと、トヨが思い出したかのように言った。
「そう言えばタケノヒコ様、はっきりとはわかりませぬが、ヤスニヒコは何か良き出会いをしたようですよ」
「何だろうな。まあ、良い。いずれわかる」
「ああ。それなら」と、くちゃくちゃの顔でオノホコが言った。
「タクマの国の姫や生き残りの者たちと仲間になったという報告が来ておった。おそらくそのことじゃろう」
「ヤスニヒコも元気でやっておるのだな」
「ほんに。ひとまわりもふたまわりも成長している様子」
「それは良かった」と
タケノヒコは笑った。
川原で一味の誓いをしてから、もう三日になる。
あれ以来、どうもおかしい。
そのことはヤスニヒコも、主立つ者も気づいていた。
おかしな人物が一行をつかずはなれず監視しているようだった。
ときおりその存在を感じるのだが一向に正体がつかめない。しかも食料が盗まれたりしている。もし、クマソの物見であれば、捕らえるか、我がほうが行方をくらますかしなければならず、いずれにしても厄介なことである。そこで、ゼムイが一計を案じた。ヤスニヒコをおとりにし、その者を捕らえようというものだった。
その策は、このようなものだった。
夜、わりあい皆と離れたところにヤスニヒコが眠る。そして、見張りの者も疲れて居眠りしてしまうフリをする。もし敵意があるものならば、ヤスニヒコを襲うであろう。そこを皆で取り押さえるというものだった。ヨナは、それでは危ないと反対したが、ヤスニヒコは武芸に自信もあり、笑って承諾した。
果たして、その夜はやってきた。
みな、寝たふりをして様子を窺った。
夜半をすぎ、ヤスニヒコは「今夜はもう来ないのではあるまいか」と思いうつらうつらし始めた矢先のこと。
「ヤスニヒコ様」という声が聞こえた。
ヤスニヒコは飛び起き、剣を構えようとしたが、手元に置いていた剣がない。万一の際は皆が飛び起きてくる手はずであったが、その気配もない。ただ、小さな人物がそこにかしこまっていた。
「そなたは、何者か」
殺気は感じなかった。
「サル。とでもお呼びくだされ」と、その者は答えた。確かにサルのような顔立ちにも見える。
「ではサル。この数日我らにつきまっとっていたのは、その方か」
「御意」
「なぜつきまとうのか」
「ヤスニヒコ様の家来にしていただきたい」
唐突な申し出に、ヤスニヒコは驚いた。
「何ゆえか?」
「私は諸国を旅する者でございます。先日タクマの国の戦のおり、ご一行をお見かけし、その様子を窺っておりました。噂に聞くオオヤマトのヤスニヒコ様に興味がありましたゆえ」
「うむ。それでは、そなたはクマソの物見ではないのだな」
「誓って」
「よし、それはわかったが、何故わが家来になりたいのか?」
「なりゆきを見ておりますうち、ヤスニヒコ様にお仕えしたいと思うようになりました」
その言葉を信じて良いものかどうか、ヤスニヒコは考えた。
この者は、今夜の謀を知っていたのであろう。それで何らかの手を打って、皆が起きてこれないようにしたのだ。よほど手練れの者と思わざるを得ない。そのような者を引き入れ、もし敵であった場合と本当に仲間になった場合の損得を素早く考えた。
このサルという男は、各国にその時その時雇われる流れの物見の者で、いわば忍者である。聖徳太子が志能便を使ったという記録はあるが、それはまだずっと後の世のこと。薬草や毒草、天文地理に詳しく、命令によって様々な情報を探る。また、武芸や幻術と呼ばれる妖しい術を得意とし、草の影から暗殺などを行う物見の者を特に「草」と呼んだ。サルは、その「草」の一人だ。味方であれば心強いが、敵ならば恐ろしい。
ヤスニヒコはなかなか決断がつかなかったため、多少脅して様子をみることにした。
「トヨ殿は知っておるか?」
「噂には」
「神の声を聞き、戦を勝利に導き、死霊に引導を渡し、さきごろは、手もふれず赤い光でイズツの兵たちをなぎ倒した。その方ほどの者なら、既に知っていよう」
脅しであるとサルは見切っていた。よって怯まない。しかしヤスニヒコは畳み掛けた。
「全ては神のお力である。その方がもしうそをつき、我らをたぶらかそうとしておるのであればたちどころにトヨ殿の知るところとなり、その祟りを受けるぞ」
「いえ、決してたぶらかすなど。私は本当にヤスニヒコ様の家来になりたいのです。そのお優しさに心をうたれたのです。私は、各地を見て回り、ヤスニヒコ様ほどお優しき王様を見たことがありませぬ」
「私が優しい?」
「御意」
「それはどうかと思う。それに私は王ではない」
「しかし、私はヤスニヒコ様についていきたいと思いまする」
「うそいつわりがあれば祟りがあるぞ」
「うそではありませぬ」
その様子にうそはなさそうに見えた。
ヤスニヒコは改めて考えた。
こういった者に既に捕捉されている以上、もし敵であったらもう手遅れである。それよりもこの手練れの者を信じることで新しい道を拓いてみるべきかもしれぬ。
「わかった。そのほうは一時このヤスニヒコが預かる。行く末は兄上とも相談する。悪いようにはしない。ただし、皆が不安に思うだろうから、明日また出直すように。そなたはオオヤマトの物見の者ということにする」
「御意」
そう言うと、サルはたちどころに姿を消した。
ヤスニヒコは煙にまかれたような不思議な心境だった。
翌朝、皆は何事もなかったかのように目を覚ました。
ゼムイが「うかつにも眠ってしまいましたが、ご無事で何より」と照れ笑いしていた。
あさげの時。
あのサル、年の頃二十歳くらいの小男がニコニコしながらやってきた。
「ヤスニヒコ様ではありませぬか。こんなところで奇遇でございますな」
ヤスニヒコにはすぐにわかった。そこで持ち前の役者ぶりを発揮した。
「おう、サルではないか。こんなところで何をしておる。オオババ様の使いか?」
「御意。オオババ様にクマソの物見をいいつかって参りました」
「さすがオオババ様だな。全てお見通しか」
「御意」
「そなたも各地に行かされて大変だな。まあ、あさげでも一緒にどうだ」
「御意」
ヨナがヤスニヒコに聞いた。
「このお方は?」
「我がオオヤマト随一の腕前を誇る物見でな。皆はサルと呼んでいる」
「左様で」
「そうだ、サル。一緒に参れ。そなたがおれば心強い」
サルも役者である。
「しかし、お役目が」
「かまわぬ。オオババ様は全てお見通しだ」
姫が口を挟んだ。
「オオババ様とは誰ぞ」
「わが曾祖母で、トヨ殿ですら尊敬しているオオヤマトの巫女だ」
「トヨ様が・・・すごいな」
「そうだ。その力はトヨ殿に匹敵し、うそをつく者、悪事を働くものをたちどころに見破り、決して容赦なされぬ。なあ、サル」
それは、もしもの場合祟りをなすのはトヨだけではないぞというサルに対する脅しでもあった。サルもそこはわかっていて、つとめて冷静に答えた。
「御意」
サルは一行に加わる事となった。
ヤスニヒコにとっても大きな賭けであったが、国中のワルを束ねる彼には人を見る目があった。うそをつく者特有の瞳の澱みがサルにはなかった。
鳥の国の本営では着々と臨戦態勢が整いつつあった。
タケノヒコをはじめ、ゲンやアキもそれぞれ軍を引き連れて集合しつつあった。
集合次第、予定戦場に最も近いイワイの国へ向かうこととなっている。その数二千三百。それにイワイの八百人を加え、三千人を超える軍勢となる。数では劣るが、武器に防具に作戦にと万全の構えであった。加えて、各地から逃げてきた者たちが語るクマソの悪逆ぶりを聞くにおよんで、兵卒にいたるまでが断固戦い抜くべく闘志を燃やしていた。
さて、トヨの事である。
本営では、トヨにも出陣してもらおうという声が多かった。しかし、敵兵ですら殺したくないというトヨの考えが受け入れられるはずもなく、なんとなく棚上げになっていたのだが、もう三日以内には戦が始まるかもしれぬ段階で、その話が再び持ち上がっていた。そこでオノホコが妥協案を出した。本営もイワイの都に移るためせめてそこに滞陣してもらい、気づいたことをおりおりに助言してもらえないかというものだった。それにはトヨも抗いがたく、せめて捕虜を殺さないという条件つきながら同意した。
奇縁というものは、本当にあるのかも知れない。
ヤスニヒコたちがカワカミノ王子を捜していることを知ると、サルが、それならば旅芸人の一行が知っていると言った。六人の一行で、山中で難儀しているところをカワカミノ王子に助けられたらしい。一行は一両日以内のところにいるので、サルが捜して連れてまいりますと出かけて行った。
いよいよ敵国に入り、これからという時に、幸先の良さをヤスニヒコは素直に感じた。
翌々日。男四人女二人の一行がサルとともにやってきた。
ヤスニヒコは先ず、カワカミノ王子の人柄を尋ねた。年若く温厚で聡明な人柄であると、トヨから聞かされていた事と全く同じであったため、ヤスニヒコは一行を信頼することにした。そこで一行の長に王子を助ける気はないかと尋ねると「そのようなことができるのであればよろこんで」という返事であった。一行も、王子はいずれクマソタケルに殺される運命であることを知っていて同情していた。その素朴な同情心と義侠心から旅芸人たちはヤスニヒコたちの一味となった。話は前後するが、トヨのいう良き出会いとはこのことまで含んでいた。
第九章 カワカミノ王子
幾重もの山脈を越えた深い山の懐にカワカミノ王子は、わずかな家来とともに隠れるように住んでいた。いきなり大勢で乗り込んでも王子を脅かすだけであるからヤスニヒコと姫、ジイ、ゼムイ、サル、芸人の長であるカシ、女芸人のカエデの7名で訪問した。その他の衆はヨナが率いてクマソ本国の動静を探る事とした。
カシの口利きであったが、その家来たちは一行を警戒して、なかなかカワカミノ王子に会わせようとはしなかった。そこでヤスニヒコは持ち前の役者ぶりを発揮し「王子の御運の開かれし時ぞ」と茶目っ気たっぷりに言い聞かせ、ふてぶてしく居座ってしまった。これには家来たちも困ってしまい、とうとう根負けして王子に報せ、その裁可を仰いだ。
「旅のお方をふた刻もお待たせしておるのか」
「左様でございます」
「それは、申し訳なきこと。さっそくお会いしよう」
「しかし、何やら怪しげな一行でして」
「カシの口利きなのだろう?」
「左様でございますが、万一のこともございますれば」
王子は声を出して笑った。
「私は生まれた時から常に万一である。早いか遅いかそれだけのこと。それにカシはそなたらも知っての通り情けに厚い男である。そでにしたのでは、我が名は末代まで笑いものぞ。かまわぬから、ここへ通せ」
「しかしながら」
「そなたらの忠誠はありがたい。しかし私はこの命より、我が名を惜しみたい。命に涯はあれども名に涯はなきものぞ」
王子は、我が身の死生については達観している。いつかは討手が差し向けられるものと覚悟していた。その時、見苦しい真似をしたくないと常々考え、周囲にも言い聞かせていた。この命は散らすときに散らさねば、多くの者を巻き込み、国が混乱し、民の安寧を守れぬこととなる。そういう考えを持っていた。
夕闇が迫るころ、ヤスニヒコはカワカミノ王子に対面した。
カワカミノ王子は、息をのむほどの美男子だった。ヤスニヒコは、思わず見とれていると、王子が口を開いた。
「そのほう、名は何と申す」
「私は、ヤスニヒコ。オオヤマトの王子である」
カワカミノ王子を始め、家来一同が思わず「あっ」と驚いた。
ヤスニヒコと言えば、強欲なイズツ国を懲らしめた英雄の一人ではないか。こんな山奥ですら、その噂は聞こえていた。
噂に聞く英雄に会えて、カワカミノ王子は心浮き立つ思いであったが、つとめて冷静にふるまった。
「して、私に何用か」
「先ずは、そなたの考えが聞きたい」
「考え?」
「そうだ。そなたの国クマソは今、チクシ大島を席巻し、他国の多くの民を塗炭の苦しみに陥れている。これは何ゆえか」
さきほどまで笑顔で軽口をたたいていた若者が、態度を急変させて強い調子であることに、王子の家来たちは戸惑った。
王子は目を伏せて考えていたが、しばらくして答えた。
「わが国は、山の中にあって耕地少なく、人々を養うに作物が必要なのだ」
「クマソの民を養うためと仰せか」
「さよう。肥沃な耕地が必要なのだ」
「そうではあるまい。もしそうだとしても、そのために、他国のものを奪い、民を虐殺しても良いのか。もってのほかと思われぬのか」と、ヤスニヒコは語気を強めた。
これには家来のひとりが腹をたてて言い返した。
「それは王子のあずかり知らぬこと。当代のクマソタケルが存念である」
「黙れ!私は王子に問うておる」
初めて見るヤスニヒコの激しい姿に臨席していた姫とゼムイも驚いた。
「さて、王子よ。ここにおわす姫はクマソが滅ぼしたタクマノ国が姫である。親である国王をはじめ 一族は皆殺しにされ、晒し首にされた。姫一人のみが逃げおおせたのだ」
一同がざわめいた。同じように父を殺された悲しい過去を持つカワカミノ王子は心から同情し、詫びた。
ヤスニヒコは続けた。
「また、私はあるお方からそなたの心根を聞いてきた。そなたは名を惜しむあまり、美しく死ぬことばかりを考えておるそうだな」
王子は図星をさされ、つばを飲み込み、押し黙った。そんなことを初対面の人間が何故知っているのか。不思議でもあり、恐ろしくも感じた。
「そなたは何故死ぬことばかりを考えるのか。そなたの事情は知っておる。しかし、死ぬことがそなたの務めであると思っておいでか?それは違う。あるお方がそうはっきりと言われた」
家来の一人が口をはさんだ。
「ヤスニヒコ殿。あるお方とはひょっとすると」
ヤスニヒコはことさら大声で言った。
「トヨノ御子様である」
「おー」というどよめきが起こった。その名はみんな知っていたのだ。
人口に膾炙する噂話というものは、この当時のメディアのようなものであって、現代人が思う以上に広がりは早い。市井の人々はそのうわさ話を肴に時おりおりにふれ楽しむものだ。そんな世情を知っているから卑怯未練な振舞いをしたくないとカワカミは思っていた。
「いいか、王子。この姫ですらおなごの身ながら、国のため、死んでいった民のため我らと心をひとつにし、その務めを果たそうとしてるんだ。そなたひとりが、今この時にもクマソ兵に殺されていく無辜の民を救おうとせず、加えてクマソの善良な民が殺戮に手を染める悲劇から助け出すこともせず、美しく死ぬことばかりを考えていていいと思ってんのか!おまえはクマソの正統な王位継承者じゃねぇか!」
つい力の入ったヤスニヒコは、あまり上品ではないワル仲間の言葉遣いでカワカミに迫った。王子は目を伏せて押し黙ったが、家来たちはヤスニヒコの話に魅入ってしまった。
「トヨ殿はこうも言われた。もしカワカミノ王子が次のクマソタケルとなられたなら、クマソの国にもあまねく光がもたらされ、民は幸福になれるってな」
家来たちはおおいにうなづき、同意した。というより、自分たちが常々思っていることを言い当てられたようで、すっかり興奮した。
「そうじゃ。わが王子こそクマソの王たるクマソタケルにふさわしい」
「おう。聡明な王子なれば、光も見えよう」
王子は思慮深い男である。その光を見るために、いったいどれほどの犠牲を払わねばならないのか。それでもうまくいく保証はない。
「皆がそう言うのはうれしいが手段がないのだ。絵空事に多くの者を巻き込むわけにはいかん」
ヤスニヒコが怒鳴った。
「まだそのようなことを言ってんのか!あ?要はやる気があるのかないのかだ!」
王子は考えていた。しかし家来たちが口々に王子を説得し始めた。
「王子。我らも共に死にまする。立ち上がりましょうぞ」
「そうじゃ。確かに王の私腹を肥やすためだけの戦争をとめるには王子が立たねばならぬ」
「たとえ負けても、民を救うため立ち上がるのなら本望ではござらぬか」
口々にそう言われても、王子はなかなか決心がつかないようだった。
重い沈黙のあと、タクマノ姫が穏やかに言った。
「私は、そなたの事情はわからぬが、そなたは良い人のようだ。私は仇を討ちたい一心でここまで来た。しかし、そなたがクマソタケルになったなら、私の恨みは捨てよう。私に光を見せてくれ。それが、そなたの務めであろう」
ヤスニヒコも言った。
「おまえは一人じゃねぇ。こんなに良い家来がいるじゃねえか」
重い決断を迫られ、王子は目をつぶり、身動きひとつせず考え込んでしまった。
周りの者にとっても重苦しい沈黙の時間が、永遠に続くかのように感じられた。家臣たちは口々に決意を迫り、みな真剣に王子を見つめた。
長い長い沈黙の後、王子は、ひとつ大きく息を吐き、そして、ついに決心した。
「よし、やろう」
「よし!」と家来たちが声を上げた。
ヤスニヒコがおおきくひとつ手を打って笑顔で言った。
「よし!先ずはその覚悟が大切だ」
王子が家来に言った。
「そなたたち、私とともに死んでくれ。我々は強欲破廉恥な叔父上から民を守るために、結果を恐れず立ちあがるのだ」
「おう!」と家来たちも応えた。
王子主従は車座になって手を握り合い、涙を流していた。家来にしてみれば、「いつか必ず」という思いが長年蓄積していた。しかし王子は家来の無駄死にを恐れるあまり、ある意味家来たちに遠慮をしていた。その距離感が家来たちから見るとなんとも歯痒く、いたずらに時が流れていったような状況がやっと氷解して主従一丸となった。それがうれしかったのだ。
ヤスニヒコが目を細めて言った。
「そなた達は死なぬ。トヨ殿が見込まれた王子だ。それに我が兄が、そなた達に加勢するため軍勢を引き連れやってくる手はずになっている。そうだ。夕餉を所望したい。そのあたりの話もゆるりとしようぞ」
その夕餉、というより宴席は明るいものだった。
カワカミノ王子の家来たちがうれしくてしかたなかったからだ。
我が王子がついに決心し、父親である前国王の仇クマソタケルを討ち果たし、民の安寧を守るために立ち上がる。そのことを彼らは一日千秋の思いで待っていた。しかも噂に聞くトヨノ御子の導きがあり、オオヤマトの常勝将軍が加勢に来てくれると言う。昨日までは全く想像すらしていなかった幸運が、いきなり舞込んできたのだ。ついハメを外しすぎたとしても、それは許される範囲であろう。カシの太鼓やカエデの舞も、そんな雰囲気を盛り上げていた。
酒に酔ったのか、タクマノ姫が「暑い暑い」と言い、また上半身裸になって、カエデと一緒に踊り始めた。ジイが「姫、はしたのうござるぞ」と言ったが、既に意識朦朧の状態で、さかんに笑い声をあげていた。
そんな中、ヤスニヒコは冷静に考えていた。
もし、このような時に襲われれば、ひとたまりもなかろうと。そう。あのカノ国の者どもの方法だ。あれは、トヨ殿が居なければ成功していたに違いない。
もちろんそれは今この時を指すのではない。今はサルとゼムイが戸外で警備しているから間違いはない。いかに精強なクマソ兵に守られ、臆病と言われるほど用心深いのクマソタケルでも、このような宴席では簡単に討ち果たせるのではなかろうか。というひらめきだった。
「何か、お考えか?」と、カワカミノ王子が話しかけてきた。
ふと我に返ったヤスニヒコは、笑顔を見せて言った。
「いや、何でもない」
「そなた、年はいくつだ?」
「十四だ」
「なんと、私と同じではないか」
「ああ。トヨ殿に聞いていた」
「そうか。トヨ殿は何でもお見通しなのだな」
「トヨ殿はひとつ上、兄上はふたつ上」
「なんと、お若い」
「しかし兄上は十歳で初陣以来、負けがない。先日もヨシノハラツ国の将軍アキ殿と決闘なされて、見事勝たれた」
「そなたは良き兄をお持ちだな。兄弟のおらぬ私にはうらやましいぞ」
「国にはまだ二人、腹違いの兄がおる。一番上の兄が跡取りなのだが、神経質で残酷だからあまり好かぬ。三番目の兄は、良き兄だな。静かで、物腰がやわらかい」
「私には、うらやましい」
「そうだな。それに私はトヨ殿を姉上のように思っている。良き兄、良き姉に恵まれて幸せかもな」
「そうか」
「そうだ。兄上と会われて、気に入れば兄上とお呼びすれば良い。そなたにも兄ができる。私とも義兄弟だ。いやめでたい」
ヤスニヒコはそう言って笑った。
翌朝、さっそく皆でクマソタケルを討ち果たす策を話し合った。
クマソタケルの周囲にも心ある重臣はおり、国の行く末を憂う同志がいるという。たまにつなぎをとってくるが、その知らせでは現在クマソは北部方面と南部方面の二正面作戦をとっているという。もちろん北部が主戦場で、南部は手薄になった本国を襲われないよう先手を打って進襲作戦をとっているのだ。そのため本国には五十名程度の兵しかおらず、タケノヒコの軍が到着すれば勝てると家来の一人が言った。
「しかし、危険な作戦だな」とヤスニヒコは言う。
兵数はほぼ互角でも、宮殿に立てこもった敵を叩くにはこちらが不利だと説明した。それに敵とはいえ、同じクマソの民をこの期におよんで殺す必要もあるまい。死ぬのはクマソタケルとその取り巻き連中だけで良い。
「しかし」とクマソ衆が言う。
そんな弱腰で戦に勝てるはずはない。それにごく一部の者を狙うなど難しい。みんながそう思った。
「だから」と言ってヤスニヒコは笑った。
「クマソタケルに酒を飲ますのだ」
その策は、こうであった。
戦続きの毎日で、クマソタケルも面白いことなどないはずだ。そこに、にぎにぎしく旅芸人の一行を装った我らが都に入る。都で舞や歌を披露していればやがてクマソタケルの耳にも入り、ほんの座興のつもりで宮殿に呼ばれるだろう。酒を飲ませ、舞を披露し、宴もたけなわの頃、その場の者どもを一気に討ち果たす。そして父の仇討ちであるとともに無用な戦をやめ民の暮らしを安んじるのだと、カワカミノ王子が名乗りをあげれば、日頃からクマソタケルは嫌われているので、その他の者は納得し抵抗しないであろう。
「そんなにうまくいきましょうか」と、ゼムイが言った。
「面白き策ではござるが」と、ジイが言った。
「わかりませぬが、我らも一味。覚悟は決めております。お手伝いしますぞ」と、カシが言った。
一同半信半疑のところで、カワカミノ王子の第一の家来、イナミが言った。
「いや。いけるかも知れぬ」
「まことか」と、皆身を乗り出した。
それは、宮殿にいる口の堅い同志につなぎをとって、芸人一行を宮殿に呼ぶようクマソタケルに働きかけてもらえば良い。クマソタケルは酒好き女好き、舞が好きなので乗ってくるはずだというものだった。
「その同志とやらは信用できるのか」と、ヤスニヒコが聞いた。
「誓って」
「よし。ではそのように決して良いな。軍勢どうしの決戦はこの策が外れた時だ」
クマソタケル討伐の大方針が決まった。
完読御礼!
次回はクマソ軍と連合軍の戦いです。
ご期待ください!