チクシ大戦物語 第四章
熱心な皆さま。ありがとうございまする。
今回は、楽勝と思いきや、二転三転しより大きな戦いに巻き込まれていきます。
武人タケノヒコと、口八丁なヤスニヒコの活躍をお楽しみください。
第一章 ナノ国
第二章 作戦
第三章 何のための戦い
第四章 義の旗(今回はここです)
第五章 クマソ同盟
第六章 新しき世の胎動
第七章 粉雪の中の激突
第八章 仲間とともに
第九章 カワカミノ王子
第十章 緒戦
第十一章 南へ
第十二章 クマソタケル討伐戦
第十三章 武人の矜持
第十四章 もののけ
第十五章 ハヤト襲来
第十六章 月下の泉
第十七章 凱旋
第十八章 新しき世
第十九章 女賊
第二十章 もののけの息遣い
第二十一章 神の軍勢
第四章 義の旗
翌朝、タケノヒコは再び戦場に赴くべく城門を出て行った。トヨもヤスニヒコも見送りに出ていた。捕虜の監視に兵力を割いたため、およそ百名の戦力になった。トヨは何やら落ち着かない様子で、それは兵力の少なさからくる不安なのだろうとヤスニヒコは見ていたが、どうも様子が違う。
「胸騒ぎがする」
トヨは、そう言った。
ナノ国の兵は予定通り鳥の国の都を包囲していた。
都と言っても鳥の国の場合、国王の宮殿を兼ねたごく小規模な砦であった。ふつう、多くの領民達を取り込んで町ごと大規模な囲いをするものであるが、小国すぎる鳥の国ではそのようなものはなく、領民達は散りぢりに逃げていた。もちろん、オノホコはその様子を聞いて作戦をたてていた。都の運命は、まさに風前の灯のようなものだった。
総大将である長老は、南側の正面に陣取っていた。そこから両手を拡げて包むように包囲し、反対側の北側にはゲン将軍が陣を張っていた。ナノ国へ向かう道筋でもあり重要な地点だ。
そのゲン将軍のもとにタケノヒコは、翌朝はやく到着した。
ゲン将軍は意見の衝突もあり、タケノヒコが嫌いのようであった。ねぎらいの言葉もそこそこに「長老のもとへまいられよ」と命じた。シンはその冷徹な対応に腹をたてたが、タケノヒコはシンを制し、指示通り南側にまわることにした。ゲン将軍からすると、オノホコらからの密命を遂行するにはタケノヒコが邪魔であった。しかし、昨日の夕方には通告したのに、敵からは何の返事もない。たかが二百足らず。いっそこのまま力攻めで叩き潰してやろうか。とも思っていた。
昼すぎ、山中のそま道を南側へ進んでいるタケノヒコは眼下に意外なものを見た。はるか南西の方角に無数の旗がはためいている。
「ヨシノハラツ国だ!」と一人の兵が叫んだ。
ヨシノハラツ国とは鳥の国の南西に位置する大国である。それはタケノヒコも知っていたが、なぜ、その軍がここにいるのか。どう見てもナノ国軍に襲いかかる様子である。しかし今はそんなことを考えている余裕はない。ざっと見て敵兵は一千。
「誰か、長老殿に使いをせよ。敵兵一千出現。防戦しつつ北方へ退かれよと。包囲軍が分断されては勝ち目はない。我々はこれより長老殿が退却しやすいように敵の横腹を奇襲する。皆の者、ついてまいれ!」
タケノヒコは大声で叫ぶと、ただちに迂回行動を開始した。
タケノヒコの使いが着くやいなや、ヨシノハラツ国の先鋒が長老軍の背後を襲った。都からも激しい矢の雨が降ってくる。次々と兵たちが斃され、大混乱に陥った。
「ヨシノハラツ国と鳥の国が手を握ったということじゃのう。うかつじゃった。ここはタケノヒコ殿の言われるとおり、北へ退却するほかあるまい」
長老はそう言うと、自ら百名ほどとともに殿軍として残り、他の者たちを北方へ退却させた。
先鋒に続いて続々と到着した敵兵が、長老の軍に襲いかかり、前後もわからぬ乱戦となった。そしてさらに後続の敵に、タケノヒコの軍が襲いかかった。タケノヒコ自ら矢を放ち、剣を振りかざして敵兵を倒していく。後方の混乱に気をとられた敵の隙を見逃さず、長老の軍が敵先鋒を押し返した。どんどん押して、長老はタケノヒコと合流した。
「おう。タケノヒコ殿」
こんな乱戦のさなかにあっても長老は落ち着いていた。もともと、ゲン将軍にその地位を譲るまで、ナノ国随一と謳われた将軍であった。
「長老殿。御無事で何より」
「こう敵に囲まれておってはご無事かどうかわからぬがのう」
そう言って長老は笑い、タケノヒコも笑みを浮かべた。
ふたりとも並みの武芸ではない。おだやかに話しながらも敵兵を切り伏せていく。
「タケノヒコ殿、そなたもやるのう。一度お手合せ願いたいものだ」
タケノヒコはニヤリと笑い答えた。
「長老殿こそ。この戦に勝ったあかつきには、ぜひ」
ひとりの敵兵がタケノヒコ目がけて矛を繰り出した。
タケノヒコは落ち着いて身をかわし、その矛を袈裟掛けに払い落すと、返す刀で敵兵を切り倒した。
「のう、タケノヒコ殿。こう敵が多くてはきりがない。我らもひとまずどこかへ退かぬか」
「承知。東から北にかけては、谷合の地にて、おそらく敵兵が逃げた包囲軍を追って充満しているはず。ここはひとまず北西のあの山の中に逃げ込み、活を見出すべきと存ずる。あの山の森の向こうはなだらかな草の丘が連なっており、敵兵が近付けばはっきりと見えまする」
「ほう。そなたは、そんなことまで調べておったか」
そう言いながら、長老の鉄製の穂先をつけた槍がまたひとり敵兵を串刺にした。
「ひとまず、森の中へ。それから頂へ」
「あいわかった」
「合流は、山の頂にて」
タケノヒコはそう言うと、先に行けという手真似をした。
長老は軽く会釈をし、号令した。
「ナノ国の者ども、我に続け!」
みな、北西の森目がけて走りだした。
タケノヒコは、自らの手勢とともに、しばらく敵兵を防いでから森に入った。
森に入るやいなや、みなで矢を放ち、敵兵の足を止めた。
シンが機転をきかせ、松明用にもっていた油をあたりにふりまき、火をかけた。
ごうという音とともに勢いよく火の手があがり、敵兵をひるませた。
さらにありったけの矢を放っては逃げ、また放っては逃げを繰り返し、日暮れも近くなったところで、とうとう敵兵は追撃を諦めたようだ。
風がめっきり冷たい夜。
山の頂で、タケノヒコは長老と合流した。
「ひとまず、逃げおおせましたな」
「うむ。タケノヒコ殿、そなたのおかげじゃ」
「それはともかく、兵たちの様子はいかがか」
「それが不思議と死者はおらなんだ。みなここにおり、そのあたりで寝ておるよ。けが人は多かったがのう」
「兵たちは食い物はもっておるのか?」
「あと二食分の干飯くらいかのう」
「うむ。ないよりはましだな」
「で、タケノヒコ殿。これからどうする?」
「敵が草原から来るか、森から来るか。ともかく時をかせぐことであると存ずる。急を聞いた国王が援軍を走らせるはずで、しかも我らが敵の一部でも引き付けておけばゲン殿が率いる主力の戦いも有利になろう」
「うむ。では元気な者どもを起こして、周囲に防御柵をつくろう」
「それがよろしかろう。それと、急造でもなんでも矢がいるし、投石の石も集めておきたい」
「今宵は月夜でよかったのう」
長老は笑った。
空が白み始めた頃には、ひとまず砦のかたちができた。
木の枝を使った不細工な矢も、投石の石も数多く整った。
一息つき、日が昇った頃、草原にも、森にも、敵兵が無数の旗を押し立てて布陣していた。
「どうやら敵は、どうあっても見逃してはくれぬらしい」
タケノヒコはそう言うと、不思議と笑みがこぼれた。それは腕が鳴るとか武者震いといったたぐいのもので、極度の緊張状態から覚える楽しさでもあった。現代ならばアドレナリン全開と言ったところか。
「こんなところに留まらず、疲れを押して、逃げるべきであったかのう」
長老は、そう言ってみたものの、すぐにかぶりを振った。
「やはり、それは無理であったろうな。道も分からず、負傷兵もこんなにおって、敵も近付いておって、何よりワシが動けなんだ。年じゃからのう」
長老は穏やかにそう言って、周囲を笑わせた。
「よし。敵もまだ攻めてくる様子はないし、みなにめしを食わせましょうぞ。それから存分に働けばよし。とにかく時を稼げば、必ず援軍がくる」
タケノヒコがそう言うので、みな、めしにすることにした。
そうして一息ついた頃、長老がみなに語り始めた。
「みな、昨日今日と御苦労であった。あれだけの乱戦であったに、誰一人死ぬことなくここにいるのがワシはなにより嬉しい。それもこれも、タケノヒコ殿のおかげである。ワシは軍神を見る思いがした。これより皆は、この老いぼれの下知ではなく、タケノヒコ殿の下知に従うように。よいな」
意外な話ではあったが、皆は肯定でもなく否定でもなく、押し黙った。
長老は言葉を重ねた。
「よいか。この老いぼれの思案では、昨日みんなは死んでおったのだ。タケノヒコ殿のおかげで生き延びたのだ。確かに今、敵に包囲されているが、ゆんべのうちに砦も築き、武器も蓄えた。やりようによっては、まだまだ負けぬのだ。そのやりようを、ワシはタケノヒコ殿に期待しておる。よいな」
シンが口を挟んだ。
「殿からも、お言葉を!」
「そうじゃ。タケノヒコ殿、何かみなに申し聞かせてやってくれぬか」
タケノヒコは意外ななりゆきにちょっと戸惑いを感じた。口のうまいヤスニヒコなら、こんな時上手の一つも口にするのだろうなと思うと笑みがこぼれた。しかし、私は私の言葉でしか話せない。タケノヒコは、大きくひとつ深々と呼吸をし、その口を開いた。
「状況は不利だが・・・」
皆の表情が曇った。
ええ?ここでそれを・・・とシンは思った。しかしタケノヒコは淡々と、しかも朴訥に続けた。
「それは、この場のことのみなのだ。我々が敵を多く、しかも長くこの場に引き付けておけば本軍の戦いが有利になる。我々は勝てるのだ。だから戦え。決してあきらめるな。あきらめたら、すなわち死だ。あきらめずに戦い抜け。生きていれば必ず道は開ける。そしてふるさとで待つ愛しい者たちの元へ皆で帰ろう」
タケノヒコはそう言いながら、トヨのことを思い浮かべていた。ともに黄金色の景色の中で笑おうと約束したことを思い出し、あの時の無邪気なトヨの笑顔をもう一度見たいと思った。兵たちも真剣な眼差しをタケノヒコへ向けていた。
「では下知をさせて頂く。アナトノ国の者は私と共に砦の外に出て敵を撹乱する。怪我で動けぬ者は盾を持って我が身を守れ。また、石を投げるもの、弓を使うもの、怪我の程度によって獲物を決めよ。元気な者は矛で戦え。しかし砦の外には出ぬように。考えてみよ。ヨシノハラツ国が大国であろうとその兵力は千五百と聞く。まず五百は本国に残さねば、南のイワイに狙われる。昨日見た一千が今回の全兵力だ。その主力は今北東の方角で、ゲン将軍の兵とにらみ合いをしているはず。であれば今ここにいる敵は二百から三百くらいであろう。我々は百五十だが、小さいながらも砦にこもっている。砦から出なければ、援軍がくるまで十分支えられる。よいか、我々は負けぬのだ」
具体的なタケノヒコの言葉に、みなの顔がやや明るくなった。
「しかし、めしも水も、もうないぞ」と誰かが言った。
「それは大丈夫だ。私は近くの泉の場所を知っている。食糧は倒した敵から奪えばよい」
「そんなにうまくいくものか」
「そうだな。いかぬかも知れぬが、いくかも知れぬ。忘れてならぬことは、のぞみはあるということだ。よいな、援軍がくるまで決して外では戦うな。遠くの敵は矢で、柵にとりついた敵にはその顔めがけて石を投げつけよ。ひるんだところを矛で突け。柵を乗り越えてきたものは剣で始末せよ。そのように銘々の役割を心得よ」
それから半刻もたつというのに、一向に敵が攻めてくる気配はなかった。
「我々も敵におどろいたが、敵も我々の砦を見ておどろいたのではあるまいか」
長老がそう言った。あるいはそうかも知れぬとタケノヒコも思った。ということは、敵の数はたいしたことあるまい。今あわてて援軍を呼んだりして手配しているのではないか。
「まぁ、それならそれで良い。敵を引き付けておけるからな。しかし、それなら今夜あたり夜襲してくるかもしれませぬな」
「そうじゃのう」
「ならば、今のうち、われらアナトの者が外に出て、どんぐりやシイタケなど集めてきましょう」
「われらナノ国の者も」
「いや、大勢で動くと目立ちます。それに昼間に攻撃してこぬとも限らず、その時はそのまま予定通り横やりとして戦えるよう、ここはアナトノの者だけで」
「あいわかった。ではよろしくたのむ」
タケノヒコはうなづき、アナトノの者十名とシンを加えた十二名で武装して出て行った。
「強き男よのう」
長老は、周囲の者にそう漏らした。
もともと、よその国の戦であるのに、自ら危険な役目もいとわない。
思えばナノ国とオオヤマトは、多少のよしみがあるといっても、加勢する義理はない。なのに、このような危険に身をさらしてくれるものだろうかと長老は思った。かといって疑わねばならぬほど、タケノヒコは腹黒き男とは思えない。おそらく自ら約束したことは必ず守るという誇りなのかも知れない。タケノヒコは、その曇りのない瞳で、会釈をして軽々と陣地の外に出て行った。その後ろ姿を見送りつつ、かような若者たちに、ワノ国の行く末を頼みたいものだ。そう思って口に出かかったが、あわてて飲み込んだ。そこまで周囲の者に漏らすと、国王の威信がゆらぎ、いずれどのような結果を招くかわからない。少なくとも今は国王の威信に光あらねば、兵士の士気にかかわり、この戦場を生き抜けないであろう。
夕暮れが迫ってきた。
予想どおり、敵に動きはなかった。
おかげで、タケノヒコの人数は、わりあい多くの食料と水と、矢のかわりとなる木の枝、槍の代わりの竹、投石用の石、それに薬草などを陣地に運び入れることができた。
それらの物資は、籠城兵たちを勇気づけた。
長老も柵のまわりに逆茂木を据えるなど陣地の強化をしており、陣地内にある木には、見張りが容易に登れるようにした。
その一日の猶予は、孤立したタケノヒコたちにとって有利に働いた。
夜。
多くの者がその上衣を脱ぎ、ちぎって陣地の柵を結いつけるためのひもとしていたために裸のうえに防具をつけている。さすがに夜風は冷たく感じるが、敵の襲来を今や遅しと待ち構えているため、みな気魄だけはみなぎっていた。
タケノヒコたちは予定通り、敵の横腹を衝くべく所定の位置についていた。
みんな息を殺して、敵の動きを見つめていた。
「シン、よいか。敵が砦に襲いかかったらそなたは二名を連れて、敵の最後尾につけ。そして、松明をともすのだ。それを目印にわれわれが矢を放つ」
「承知いたしました」
「そして、叫べ。敵じゃ、敵じゃ、敵の援軍じゃ、大軍じゃ、とな」
シンは笑った。
「おまかせください」
「くれぐれも我々の矢にあたるなよ」
タケノヒコも笑顔を見せたその時。
「敵が動いたようです」
兵の報せに、敵の予想進路を見ると、確かにうごめく人影が見える。
「よし、ではみな心してかかれ。物音をたてずに近寄るぞ」
タケノヒコはそう言って、敵の軍列に向かった。
おぼろ月夜であった。
敵軍の武具のこすれる音が聞こえてくる。
シンは、タケノヒコの顔を見つめ、そして会釈のようにうなづくと、敵軍の最後尾に向かって兵二名とともに駆けていった。
それからしばらくたつが、変わった様子が見られないため、うまく潜りこめたのであろう。
やがて、砦の方から鬨の声があがった。
戦いが始まったのだ。
タケノヒコは敵の主力は草原からくると見ていた。森では、ナノ国軍を見上げるかたちになりヨシノハラツ国軍にとって不利となるからだ。そのため、草原にあって身を隠す場所に苦労しながらも、シンの松明を待っていた。
鬨の声はだんだん激しくなってくる。しかしシンの松明はまだだ。
シンは機転のきく男だ。頃合いを見計らっているのに違いない。尋常ならざる長い時間のようで、手勢の兵たちは焦りさえ感じていた。しかしタケノヒコは待ち続けた。
やがて、半刻も経った頃。
待望の松明がともった。
「よし。あの松明より前に矢を放て。ただし、みんな声はあげるな。敵に人数が知れる。そして、狙いはどうでもよいからとにかく素早く矢を放て。数多く見せるためだ。よいな、かかれ!」
そう言うと、タケノヒコは矢を放った。遠くから「ぐわ」という声が聞こえた。
みなも続いて矢を放った。とにかく次から次に放った。
敵軍がざわめきだした。
「敵じゃ敵じゃ」という声が聞こえ、松明がぐるぐると乱舞した。
タケノヒコたちは松明を避けるように矢を放ち続けた。
「おおう!」という、おそらくナノ国兵の雄たけびが聞こえた。
「わあっ」という悲鳴のような声も聞こえ、敵軍と思われる人影が乱れ始めた。 やがて、それらの人影がぱらぱらと自陣の方に退却しはじめたことがわかった。
「勝った」
タケノヒコはそうつぶやき、そして、
「追いうちだ!かかれ!」
「おおう!」
タケノヒコと、もとはアナトノ国の水夫であった兵たちは、潰走する敵軍へ駆け寄った。鉄剣をきらめかせ、タケノヒコが真っ先に切り込んだ。
「敵じゃ、敵じゃ、敵の援軍じゃ」と叫びながら、一人倒し、ふたり倒し、さながら鬼神のように働いた。
タケノヒコの兵もシンたちもタケノヒコを見習って叫びながら戦った。みな鉄の矛を持っている。敵兵の木の防具など何の役にもたたない。
敵兵は狼狽を重ね、同士討ちすら始めた。
大潰走といっていい。
月が沖天に昇るころには、あたりはヨシノハラツ国兵の死体でうまった。
主力の潰走を見て、森側の敵兵も退却していった。
籠城兵たちが、雄叫びをあげた。
「おおーう!おおーう!」
タケノヒコたちも勝鬨をあげ、夜襲戦は終わった。
しとしとと、小雨が降り始め、戦いの熱気を冷ましていた。
結局また戦死者はおらず、誰もがタケノヒコの武勇を認めた。
凱旋してきたタケノヒコたちを皆が歓迎し、大勝に興奮した。なかなか寝付けぬ者もいたため「早く寝よ」とタケノヒコが命じたほどだった。
夜明けの頃、遠くで呼ばわる声が聞こえた。
「ナノ国の者どもに申す。ナノ国の者どもに申す」
それを聞いた長老が側のものに答えるよう命じた。
「何事じゃあ」
「そこな軍は先のナノ国将軍ヨシトキノヒコ殿の軍とお見受けいたす」
「それがどうした」
「昨夜の戦いあっぱれであった。そこで相談じゃ。戦死した我が軍のものどもが不憫であるゆえ、これより遺体をひきとりたい。その作業中は戦いを一時中止したいが、いかがか?情けがあるなら承諾なされよ」
長老はうなずいた。
「よかろう。我らの誇りにかけて戦はしかけぬ。安心なされよ」
「あいすまぬ。ではしばし休戦じゃ」
敵の武将らしい男はそういうと、奥にひきさがり、かわって丸腰のものたちが出てきて遺体の収容作業を始めた。
タケノヒコは念のため、木の上にいるものたちに見張りを厳にするよう命じた。
雨は降り続いている。
遺体の収容作業も続いていた。
タケノヒコが思った以上に敵の被害は多かったようだ。
遠目に見ても、涙をこぼして遺体を引き揚げるものがいた。
親兄弟の戦死者なのか。
タケノヒコの胸をうつ光景であった。
戦であるから後悔はない。我が身もいつそうなるか知れぬ。
しかしトヨが言うように、戦そのものがなくなればよいという気持ちもあった。
やがて、さきほどの武将が出てきた。
「ナノ国の義に感謝する。遺体のひきとりは終わった」
そう叫んだ。
「そうか。では戦を始めるぞ」
「いや、まて。その前に昨夜の敗北の恥をすすぐ必要がある。武人の誇りにかけてヨシトキノヒコ殿に果し合いを申し込む」
長老の周囲がざわめいた。
「どうじゃ。逃げは許さぬぞ。我はヨシノハラツ国王トキが弟、アキである」
長老の側近たちが言いあった。
「あのような世迷言、聞く必要ありませぬぞ」
「歳が違いすぎるではないか。卑怯者め」
長老はかぶりをふった。
「武人の誇りに歳は関係ないぞ」
「しかし・・・」
アキはさらに叫んだ。
「出てこぬなら、臆病ものじゃ」
側近の一人が激昂した。
「何が臆病じゃ!」
「そこまで言われれば、出ぬわけにはいかぬのう」
そう言って立ち上がろうとする長老を、タケノヒコが制した。
「いや、ここは私が。そもそも長老殿は私に采配をあずけたではないか」
「しかしなあ、アキは強いぞ」
「まあ、おまかせあれ」
そう言うと、タケノヒコは微笑みを見せた。
その涼しげな笑顔に長老は魅入ってしまった。
「よし、ではそなたにまかせるとするかのう」
「承知」
心配するシンをよそに、タケノヒコはひょうひょうと砦を出て行った。
「敵に卑怯なふるまいがあれば、矢を放て」
シンは周囲のものにそう命じた。
アキは、思いがけない若者が出てきたので驚いた。
しかも、供を連れておらず、散歩か何かのような風情であった。
何という肝の太い若者か。
「そのほう、何者ぞ」
「私はタケノヒコ。オオヤマトの王子である」
その名に憶えがあった。オオヤマトの常勝将軍ではないか。
「なぜここにおる?」
「情により、加勢しておる」
「なんと。昨夜の采配もそなたか?」
「そうだ。だから出てきた。しかし、そなたこそ何故ここにいる?もともとナノ国と鳥の国の戦であったはずだ」
「我らは義によって加勢したのだ。義とは、人を生かす道なのじゃ。そなたはナノ国の人を人とも思わぬ傲慢なやり方を知らぬ」
「確かに知らぬ」
「こたびも、鳥の国の兵を百名も人質にとり、降伏せねば殺すと言ってきておる」
「なに?それは国王の通告か?」
「そうだ」
「それはおかしい。国王はそのような卑怯を働くお方ではない。人質のための建物もつくっていたし、戦が終われば皆を国に帰すと言っておられた」
「しかし、現にそのような使者がきておる」
「それは間違いであろう。今、国王のもとにはトヨ殿もおる。そんなはずはない」
「トヨ殿と?」
「アナトノ国のトヨノ御子殿だ」
「おう、あの神の声を聞くという」
「そうだ。我々はともに新しき世をつくるべく、ここにきている。トヨ殿が決してそんな卑怯は許さぬ」
「うむ。しかし、ワシも使者に会ったがのう」
「そなたらは、おそらくだまされておる。重臣の中の誰かのたくらみであろう」
「うむ。そなたに嘘はなさそうだのう。まあよい。いずれわかることだ。では、そろそろ勝負といこうか」
「のぞむところだ」
小雨はあがっていた。
どんよりとした雲が広がる空の下、生臭い風の吹く草原の上で二人は剣を構えてにらみあった。
タケノヒコには、このアキという将軍が、相当の使い手であると分かっていた。
うかつには手出しできない。
アキもまたそうであった。
お互い、相手の間合いに踏み込めずにいた。
両軍の将兵は、かたずをのんで二人の様子を見守っていた。
さぁっと、強い風が草原を押し渡って行った時、「きぃぇー」という奇声を発し、ついにアキがタケノヒコの間合いに踏み込んだ。大上段から振り下ろされる剣を、タケノヒコは落ち着いて受け、そして払うと、一歩しりぞいた。
「そなた、思ったとおり、ここで殺すには惜しい若者だのう」
「私は死なぬ。そなたに死んでもらう」
「ぬかせ」
そう言うと二人は二合三合と刃を交えた。
そして、アキは渾身の力を込め、中段から突きを繰り出した。
タケノヒコはひらりと身をかわすと上段から、その剣を持つ手をみねうちでしたたかに打ち据えた。
「ぐおう」
アキはその痛さにこらえきれず、剣を手放し、前につんのめった。そこを見逃さず、タケノヒコは後ろから蹴りを入れ、アキは倒れた。その首に、タケノヒコは剣を振り下ろした。
やられた。
アキはそう思った。しかし何事もなく、アキがおそるおそる目をあけると、確かに首はまだつながっていた。
「わあっ」とナノ国軍から歓声があがった。
タケノヒコは首元から剣を放し、見下ろす格好で、剣をつきつけた。
アキはあぐらをかいて座り込み、タケノヒコを見上げた。
「さぁ!殺せ!」
「勝負は、終わった」
「だから殺せと言うておる」
「いや、そのことではない。あの丘の上を見よ」
アキは訝しみながらも、タケノヒコに促され、後ろの丘の上を見た。
そこには、雲の切れ目から神々しいひとすじの光芒を浴び、きらきらと光るものがあった。
「あれは、なんじゃ?」
タケノヒコは剣を収めながら言った。
「トヨノ御子殿だ」
事態が呑み込めないアキにはもう、何が何だかわからない。ただ、風のうわさで光り輝くトヨのことは知っていた。
「何とも・・・不思議な」
「そうだ。トヨ殿が援軍を率いてきたのだ。あの様子ではおそらく五百。そなたの二百では勝ち目がなかろう」
「うむむ・・・」
アキは複雑な声をあげた。それは、軍勢の数ではなく、あの神々しいまでの光に惑わされているようだった。
「そなたの命、トヨ殿に預ける。トヨ殿に感謝せよ」
丘の上から女のものとは思えぬ大音声が聞こえてきた。
「我が名はトヨ。神のお告げによりここにきた。ヨシノハラツ国の者どもに神のお告げを申し渡す。降伏せよ。よいか、降伏せよ」
周りにいるナノ国兵も、「おー、おー」と盛んにときの声をあげて威嚇していた。
いつもと違い半円形の炎はなく、鐘や太鼓を打ち鳴らしていた。あのきらきら光るものは鏡であろうと、タケノヒコは思った。
アキの兵たちは混乱していた。
トヨノ御子の雷名は皆聞き知っていた。しかし話半分に聞いていたもの以上に神秘的で美しい清明な光に包まれた神々しい姿には、多くの者が畏怖の念を抱いた。逃げ出す者、手を合わせて拝む者、しかし刃向かおうとする者はついぞ現れなかった。
結局、アキの軍は降伏した。
降伏の報せが、トヨのもとに走り、トヨとその軍勢が丘を降りてきた。
その間、タケノヒコはアキ軍の武装解除を行っていたのだが、ちょっとしたトラブルがあった。雑兵の一人が武装解除に応じないというのだ。防具は良いが、先祖代々の剣だけはわたせぬと言っているらしい。
知らせを聞いた長老の側近の一人が、「たかが雑兵の分際で!首をはねてしまえ!」と騒ぎ出したため、タケノヒコ自ら状況を確かめることにした。
現場に行ってみると、その雑兵らしき男が座らされ、周りを何人かの男が取り囲んでいて、アキが説得にあたっていた。
「剣をわたさぬと?」
タケノヒコがそう言いながらその輪の中に入ると、アキが困った顔をしてタケノヒコに報告した。
「タケノヒコ殿。たしかにこ奴の先祖は代々、武勇自慢の忠義者なのですが、その剣を渡せぬと言い張って困っておるところです」
その雑兵は、アキの前に引き出され座らされているが、真っ赤に上気した顔でまっすぐに前を見つめていた。サルのような顔立ちで、眉毛が太く、意志の強そうな男であった。
タケノヒコは、雑兵の目の高さまでしゃがんで言った。
「そのほう、名は何と申す?」
雑兵はするどく短く答えた。
「テツ」
なるほど強そうな名前だと、タケノヒコは内心苦笑したものの、表情には出さず、テツが必死に抱えている剣を見た。
「立派なこしらえの剣だな」
テツは黙っていた。
「私に見せてくれぬか?」
タケノヒコはことさら優しくそう言った。
テツは躊躇していたが、タケノヒコの人となりには感じるところがあったようで、そっと剣を渡した。タケノヒコは剣を受け取ると、その剣に向かって一礼し、そしてその隅々まで見回した。
「ほう。この剣は吉兆がでておる」
本当のところは、タケノヒコにはわからない。ただ感じるままの言葉が出ただけだ。しかしその一言で、テツの心がほぐれ始めた。
「しかも、おとろえの早い青銅の剣でありながら、見事に手入れされている」
テツが笑顔を見せた。
「先祖代々、大切にしてきたのであろう」
テツは大きく、何度もうなずいた。
「よし、わかった。そなたの先祖は代々忠義者であったときく。それに免じてこの剣は没収すまいぞ。ただし、今は一時我らが預かる。この戦が終われば、必ずアキ殿にお返しするゆえ、アキ殿から受け取るがよい」
テツは平伏して泣いた。没収されないことが、よほどうれしかったのだ。
「私は、オオヤマト王子のタケノヒコである。我が誇りにかけて誓う。この剣は必ずお返しする。そして、預かる間も決して粗末には扱わぬ」
テツは感極まり、おお泣きに泣いた。
心配して成り行きを見守っていたテツの友人たちも、もらい泣きしていた。
アキも、おもわず鼻がぐすりときた。タケノヒコなる人物は年若ながら、信用しても良いかも知れぬと思い始めた。
さて、丘の上からおりてきたトヨは、真っ先にタケノヒコのもとへやってきて、笑顔を見せた。
「心配しましたよ」
タケノヒコも笑顔で応じた。
「すまぬ」
たったそれだけの会話を交わすと、神がかりの代償なのか、あるいは病が完治していないのか、トヨは倒れた。タケノヒコはあわてて抱きとめ、砦まで連れて行って休ませた。ヤスニヒコも心配していたが、ふたりとも戦後処理にあたらねばならない。
シンに看病を頼み、武装解除の見届けと、降伏の話し合いに臨んだ。
話し合いでは、ナノ国の主立つ者たちが、捕虜の兵たちは国王の意向もあり処刑しないとしても、大将のアキと、副将の首はうたねばならぬと強行に意見した。それがわからないタケノヒコではなかった。おそらくトヨと出会う前のタケノヒコであれば、真っ先に処断していた。しかし今は違う。手向かいせぬ者を斬りたくなかった。それに、今はおとなしくしている敵兵たちが、大将の処罰を知れば暴発せぬとも限らないし、国王の弟であるアキを斬れば、敵国の態度は硬化し、泥沼の戦いに発展しかねない。ここは寛容で穏便な態度が必要ではないかとタケノヒコは思った。
ヨシノハラツ国の者たちも激しく反論した。
「我々はトヨノ御子殿の神の声に従ったのだ。その方らに降伏したのではない」
「それが、降伏であろうが!」
お互いの感情がもつれはじめた。
タケノヒコは当事者でありながら、他国者なので黙っていた。ちらっと長老を見たが長老は穏やかな表情で目をつぶり話のなりゆきを聞いているようだった。やがてののしりあい激しくなった頃、その口を開いた。
「勝者は我らである」
「おー」とナノ国の者たちから歓声があがった。長老は続けた。
「我々は今や六百を超える兵力である。もし、まだ戦うと申すなら、いつでもかかってまいられよ」
さすがに、その昔猛将と恐れられた長老の気魄には、ヨシノハラツ国の者たちも黙ってしまった。
「本当に降伏するのなら、我が話を聞け。よいか、あの果し合いの最後、タケノヒコ殿はアキ殿の命をトヨ殿に預けたと聞く。タケノヒコ殿、相違ござらぬな?」
「相違ない」
「アキ殿は?」
「確かにそうじゃった」
長老は、ここで二コリと笑い、こう言った。
「実はな、さきほどこっそりトヨ殿に会い、アキ殿の処分を聞いて参ったよ」
タケノヒコはその先を察し、言葉をはさんだ。
「トヨ殿は、神の御心をご存じのはず」
長老は笑顔でうなずいた。
「その通り」
ヨシノハラツ国の者が、聞いた。
「して、何と?」
長老は厳めしい顔つきとなりこう告げた。
「神の御心をお伝えいたす。みな、心するように」
一同は静まり、長老を見つめた。
「アキ殿には、処罰を与える」
ヨシノハラツ国の者たちから落胆の声があがった。
ナノ国の者たちは勝ち誇ったような歓声をあげ、その複雑な感情が渦巻く中にあって、タケノヒコは落ち着いて尋ねた。
「それは、どのような?」
長老は、ことさら威厳を保って言った。
「うむ。アキ殿への処罰を申し渡す。これは神の御心である。アキ殿は、これよりヨシノハラツ国の本軍に向かい、和睦の使者を務めるべし。失敗は許されぬ。もし失敗すれば、神罰がくだるものと覚悟せよ」
意外な話に、とっさにアキはタケノヒコを見た。
タケノヒコもアキを見つめていて、合図を送るかのようにうなずいた。
アキは何事か察したようだ。ざわめきが大きくなる前に、大きな声で返答した。
「神の御心、たしかに承った」
長老が言った。
「みなの者、神の御心である。得心せねばならぬ。神は和睦をのぞまれておる」
不平不満は多々あったものの、話し合いがまとまると、タケノヒコはトヨのもとに出向いた。
兵たちがトヨのために盾や木材で簡単な小屋を建ててくれていて、その中でトヨは眠っていた。
安らかな寝息をたてるトヨに、タケノヒコは安心した。
ヤスニヒコが、援軍にくるまでのいきさつを語った。
タケノヒコの出陣を見送ったあと、どうしても胸騒ぎがするとトヨは言い、病をおして祈祷を始めた。すると、ヨシノハラツ国の参戦が見えたという。そこで国王へ注進に走り、援軍を出すゆえ、兵を貸して欲しいと頼んだ。神がかりとなったトヨの高飛車な物言いに、重臣たちはあきれ、相手にしなかったが、国王はトヨを信じた。トヨの言うことがもし本当なら、その先に、トヨたちの言う“新しき世”とやらが希望の光をまとって現実味を増してくる。ナノ国もいつまでも戦ばかりを繰り返す訳にもいかず、「その光に私はかけてみたいのだ」と国王が言い、重臣たちを説き伏せ、援軍が決まったという。出陣してから、兵たちも半信半疑であったが、初めての土地で、確信をもって進むべき道を指し示すトヨの姿に、兵たちも納得しはじめた矢先、戦場へ到着したという。
「あの鏡や、鐘太鼓はどうしたのだ?」とタケノヒコが聞いた。
ヤスニヒコは笑って答えた。
「あれは私が考えたのです。急な出陣であったゆえ、いつものような炎のための油の手配が間に合わず、そのあたりにあった鏡で間に合わせようと。ついでなら、トヨ殿が舞われる時のように鐘や太鼓も持って行こうと」
「そうか。あれは、下から見ていて良いものであったぞ。ひとすじの光をうけてきらきらし、まさに神が舞い降りたかのような心地であった」
「では、これからは炎ではなく鏡を使うよう、トヨ殿におすすめしましょう」
タケノヒコも笑った。
「しかし兄上、トヨ殿はほんに不思議なお方ですね。ここぞと言う時は必ず日の光を浴びなさる」
「そうだな。昔ヤチト殿が言っていたように、日ノ御子と呼んだ方が良いかもしれぬ」
「兄上、日ノ御子では語呂が悪い」
「そうか?うむ、では日御子ではどうか」
「ひみこ?それはそれは。神秘的で、トヨ殿にふさわしい」
浅い眠りにあったトヨは、二人のそんな会話を夢うつつのはざまで聞いていた。
「ひみこ?私が?タケノヒコ様が私に名前をくだされた・・・」
トヨは、うれしく思いながら、ふたたび深い眠りに落ちて行った。
さて、話は変わるが、ツクシ大島から遠く離れたイズツ国において、ヤチトは精力的に国の再建を進めていた。その颯爽たる姿に、多くの娘が恋心をいだき、ゆかりのある大人を通じて多数の縁談が寄せられていたが、ヤチトは「今は国の再建が先であるから」として、そのひとつひとつを丁重に断っていた。
先の大戦での敗戦後、すっかり焼け落ちた都を見ても、まだしばらくは気がたしかであった国王は、アナトでの宴席襲撃が失敗に終わると、すっかり落魄し、まともな判断も下せず、全てヤチトやヤソに任せて臥せってばかりいた。相も変わらず遊興三昧のヤソは、父国王の目が緩んだことを幸いに、酒がなくなれば民家から奪い、女を連れ去り、食い物さえ、片端からさらっていくような暴虐な姿勢が目立ちはじめていた。ヤチトは心を痛め、何度も諫言したのだが、「次の国王はこのワシぞ。兄上とはいえ、いずれ臣下の身で何を申すか」と相手にされない。さらに始末が悪いことには、ヤソに取り入り、その威光をかさに暴虐なふるまいの真似をする者たちが増えてきていた。
このままでは、国の再建どころではなくなる。
心ある者たちの人望は、自然とヤチトへ集まり始めていた。
イズツ国内紛の火種が、生まれつつあった。
ヤスニヒコは、長老の側近らとともに、和睦の軍議に臨むべく、アキとその家来をひきつれ、ゲン将軍と対峙しているヨシノハラツ国の主力軍を目指して歩いていた。
敵主力軍は、国王であるトキが自ら率いてきているとのことだった。
行程は一日。そんなに離れてはいない。
今回ヤスニヒコが和睦の使者を務めるのには、訳があった。
「兄上よりも、口だけは達者だからな」と、ヤスニヒコは笑っていたが、実は援軍として出陣する際、国王から和睦の条件について密命を受けていたのだ。トヨは、先の見通しについても国王に助言していた。その助言は、国王を驚愕させるものであり、大幅に譲歩してでも和睦する必要があった。
その内容があまりに重いものであったため、重臣たちにさえ話していないが、国王が援軍を許可した背景にはそのような事情もあった。
ヤスニヒコの責任は重かったが、本来楽天家でもあり、気安く請け負った。
「いざとなれば、トヨ殿の雷名と、神の御心をふりかざせばかたがつく」と踏んでいた。それに、ナノ国王を驚愕させた、もうひとつの切り札をヤスニヒコは持っていた。
いくつもの番所を通過し、宵の口には、敵本陣にたどりついた。
本陣では、正式の軍使としてヤスニヒコらをもてなした。一日行動をともにしたアキとは、気心の知れた間柄となっていて、それが、もてなしにも反映していた。
アキは密かに、年下のタケノヒコを尊敬するようになっていた。その弟であり、雰囲気がタケノヒコにそっくりのヤスニヒコは初めから信用していた。タケノヒコよりも軽妙な会話をするこの弟とは、気さくな関係が出来上がったのだ。
正式な軍議は明日と決まり、ヤスニヒコやアキらは、その夜、酒宴を開いておおいに騒いだ。
翌朝。
ヨシノハラツ国の重臣たちが厳めしく居並ぶ席に、ヤスニヒコらナノ国代表が案内された。鳥の国代表も招待されていた。
軍議では、いきなりナノ国非難の声がごうごうと沸き上がった。
ナノ国の者たちは、真っ赤な顔で、それらにいちいち反論していたが、多勢の無勢で、口の数では次第に押されていった。
「では、和睦はなさらぬということですな」
ナノ国の者が語気を強めてそう言った。
「神罰がくだりますぞ」
別のナノ国の者がそう言うと、ヨシノハラツ国の者が顔を真っ赤にして叫んだ。
「神罰がなんじゃ!捕虜を処刑するというのか。そのような卑怯なふるまいが、神罰であろうはずがない!」
周りの者も同調している。
「そうじゃ!もしそれが神罰ならば、我々は我々の神のもと、断固戦い申す」
軍議は決裂しそうであった。
お互い、感情が昂ぶり、乱闘にさえなりそうであった。
それまで無言で成り行きを見守っていた国王が口を開いた。
国王トキは、歳熟して思慮深い男であった。
「みなのもの。これはお互いの国の行く末を決める大事な軍議である。軽々なる発言は慎むように。さて、ナノ国の者よ。我が国は今回、義によって参戦いたした。そこのところはご承知いただきたい。ここ近年のなさりようは、鳥の国の民を苦しめるばかりではなかったか。そのようなつらい仕打ちをやめていただくまで、我々は断固戦うつもりでおるが、いかが?」
その言葉を聞いた時、ヤスニヒコはトヨの言葉を思い出した。
「ヨシノハラツ国の国王は、タケノヒコ様や、ナノ国王と同じ、美しき魂をしておる」
今の言いようは、確かに温厚な人柄を表わしていた。それがわかったところで、ヤスニヒコはやっと自分の出番がきたと思い、発言した。
「おおそれながら」
大きな声でそういうヤスニヒコに衆目が集まった。
「ほう。そなたはオオヤマトの王子であったな。発言を許す。存念を申せ」
ヤスニヒコはニコッと微笑みを見せて言った。
「我々は、神の思し召しにより、新しき世をつくらんと欲するものである。そのため、この地にもやってきた」
ひげ面の男が口をはさんだ。
「なんじゃ。新しき世とは?」
「戦のない世のことである」
場がざわついた。
「そんなことは無理だ」と言う者もいた。
「これは、トヨノ御子殿がおおせにあることだ。誰もが笑って、安心して暮らせる世にしたい。と」
居並ぶ重臣たちはみな「他愛もなきこと」と失笑した。しかし、国王のみは、目をつぶってその話を聞いていた。
「ここに、ふたつの大きな脅威がある」
「なんじゃ。それは。若造、もったいつけるな」
「ひとつは、ここから東、アキツ島のイズツ国。鉄の力をもってワノ国を屈伏させようとしておった。よって我々が成敗いたした」
「おう、その話ならみんな知っておるぞ」
「全ての兵が、鉄の武器、鉄の防具をもっておるイズツ国に、なぜ勝つことができたのか、みなみな、おわかりか?」
ヤスニヒコの話はやや芝居がかっている。当時には芝居の概念はなく、わざとらしく感じるものはいなかった。それはそうだと素直に受け入れ、「何故であろう」とみな語り合い始めた。
「神の思し召しである」
ヤスニヒコは強い調子で、そう断言した。
年若ではあるが、イズツとの戦いを潜り抜けたという自信からくる威圧感に、場内が静まり返った。
「よいか、我々がここにいるのも神のご配慮なのだ。その証拠に先日の捕虜百名も、アキ殿の軍も未だ命を長らえている。本来既に消えた命であっても不思議ではない。神は今、そのほうらに和睦せよと仰せである。なのに、そのほうらは、その御心に背く談判をしておる。よって神罰は必定。私はもう知らぬ。兄タケノヒコと、神の使いであるトヨ殿と、国へ引き揚げることとする」
場の空気はピンと張りつめた。そもそも彼らは関係のない時と場所にいる。それが神の配慮であるというなら、確かにそうかも知れない。
「では、神の使いというトヨ殿は神罰とやらをご存じか?」
「当然だ」
トヨの雷名は、みな大なり小なり知っている。そのトヨが言うことなら、聞いてみたいと多くの者が思った。
「教えてもらえぬか」
「もう、知らぬと申しておるであろう!」
そう言うと、ますます訳が知りたくなるのが人情というものだ。そこは、ヤスニヒコは心得ている。
「そこを、何とか」
そう言うヨシノハラツ国の将の言葉に、ヤスニヒコは激しく床を叩いて立ち上がった。
「わがままばかり申すその方らの苦難など知ったことか、私は帰る!」
「苦難と申されるか?」
「そうだ。苦難だ。だから急ぎ和睦せよと申しておる。それにトヨ殿はこうも仰せであった。ヨシノハラツ国の国王は、美しき魂をしておる。こたびの鳥の国を助けたのもそのためであり、民の難儀を決して見過ごすことのできぬお方であると。しかし、実際はどうじゃ。ものわかりの悪いばかりで、とんだ見込ちがいだ!」
ヤスニヒコは毅然として言い放った。
憤る重臣もいたが、アキは、そんなヤスニヒコを冷静に見ていた。
ヤスニヒコはまだ年端もいかぬ若者だ。ふつうなら、居並ぶこわもての重臣たちを見て縮みあがるところであるというのに、なだめすかし、恫喝を加えながら自分のペースに皆をまきこみつつある。兄タケノヒコは口数の少ない軍神のような男であるが、その弟は、なりは似ていても、弁舌さわやかな男である。一日ともにして腹黒き男ではないことも分かっている。そうしなければならないほどの苦難が我々に降りかかるということか。アキはそう思い、国王に耳打ちした。
その話を聞き、国王が発言した。
「ヤスニヒコ殿。そなたたちの志は、我が心に深く刻まれた。できる限りのことはしよう。利害もなるべく抑えよう。よって、その苦難とは一体何事か。教えてくだされ」
ヤスニヒコは表情を和らげ、言った。
「国王が、そこまで仰せであるなら教えぬでもない。しかし和睦が先だ。ひとまず和睦するなら教えよう。和睦の条件はのちのち取り決めればよい。私も、本当はみなの国を見捨てるにしのびない」
「よかろう。私は国王として約束する。和睦じゃ。みな、そのように心得よ」
実は、あまり実利のない戦にこれ以上深入りしたくないというのが、国王の本音であった。両軍互角である今和睦できるなら、深手も負わず、面目も保てる。加えて鳥の国がナノ国に併呑されることもあるまいという計算もあった。そのため、ヤスニヒコの芝居に合わせた感もあるのだ。
ヤスニヒコは、笑顔をみせた。
「よし。和睦であるな。ならば教えよう。もうひとつの脅威じゃ」
みな静まりかえった。
ヤスニヒコは、重々しく語った。
「この冬。南のクマソが襲ってくる。その兵、およそ一万」
場内に衝撃が走った。
もちろんアキも国王も例外ではない。
「このまま、みながバラバラであれば、クマソの格好の餌じゃ。よってここの者たちは手を握る必要がある」
ヤスニヒコがそう言うと、場内のざわめきが大きくなった。しかしそれは、今回の戦の始末を心配するものではなく、悪名高いクマソに向けられたものだった。
「ついに来るのか」
「しかし、一万とは・・・」
二~三年ほど前から、クマソ襲来の噂はあった。
現に各国ともクマソの物見を捕らえたりして、ある程度の情報は得ていた。
「よいか、トヨ殿の見通しによると、クマソは各国を屈伏させつつ北上してくる。屈伏させられた国は食糧を奪われ、財宝を奪われ、年よりは殺され、女は犯され、男は兵士として使い捨てにされ、全ての者がクマソタケルの奴隷となるそうじゃ。これを苦難と呼ばずにおれようか。イズツよりはるかに始末が悪い。その戦いにおいて、オオヤマト、キビ、アナトの三カ国が同盟したように、ここの皆も同盟するより防ぐ道はない」
みな、押し黙った。
重苦しい空気が支配した。
誰かが、口を開いた。
「しかし、一万もの相手に勝てようか」
「クマソ兵は弓の上手と聞くぞ」
「では、戦わずして降参するのか」
ヤスニヒコが言った。
「ここにいる重臣の方々は皆殺しにされるらしいぞ」
再びざわめきが大きくなった。
国王が冷静に訊ねた。
「して、トヨノ御子殿は何か方策をお考えか」
ヤスニヒコは姿勢を正して言った。
「トヨ殿ではない。神の御言葉をトヨ殿が伝えておるのだ」
「これは、あいすまぬ。して、神の御言葉とは?」
ヤスニヒコは二コリと笑って答えた。
「もちろん、手立てはある。そのために和睦が必要なのだ」
「たしかに、そうだ」
「クマソタケルの残忍さはよく聞く話だ」
「我々がもめている場合ではないのう」
誰もクマソ襲来を疑わなかった。
近いうちにやってくることは、周知の事実となっていたからだ。
ナノ国が鳥の国の始末を急いだのも、クマソ襲来の前にという思いであった。
ヨシノハラツ国が、鳥の国を助けたのも、ナノ国の出方がわからなかったためで、鳥の国を併呑したうえでクマソと組まれては厄介であると判断したのだ。
複雑な情勢や思惑の中、結局みな、クマソ恐怖のために回転していたのであり、しかしその襲来がいつになるのか、誰にも分かっていなかった。今、その明確な答えを神の声を聞くと言うトヨノ御子がくれた。しかも、手立てがあるという。
軍議は、和睦の方向へと一気に流れた。
クマソとは、ツクシ大島の中南部あたりの山塊に播拠する山の民である。
凶悪と言われるクマソタケルに率いられ、その屈強な兵たちが強弓を持って周辺の国々を支配していた。近年では、さらに南のハヤトの一部も侵略し、版図を拡げていた。しかし、一万もの兵はおらず、途中併呑した各国の人数を全てクマソ兵とするのであろう。
クマソタケルの非道な振舞いが見えたトヨは「断じて成敗すべし」と覚悟していた。
「では、どのような手立てがござるか」
ナノ国の者がヤスニヒコに聞いた。
皆の関心は、和睦の条件ではなく、どのようにしてクマソを撃退するかに移っていた。
「うむ。トヨ殿の仰せには、年若きクマソの王子がクマソタケルに命を狙われながらも山奥に隠れて暮らしておるとのことであるが、どなたかご存じないか」
「おう、それはカワカミノ王子のことであろう。クマソタケルに殺された前国王の息子じゃ」
「ほう、ということは正統なる後継者の流れであるな」
「まあ、力のある者が跡継ぎになれば良いと思うが、クマソタケルは兄を騙し討ちしたのじゃ。しかし、生きておったのか。その息子は」
「ワシも死んだものと思っておった。その母はたいそうな美人で、クマソタケルに奪われたと聞くぞ。もともと、その美人の奪い合いが騙し討ちの原因じゃったらしい」
「トヨ殿は、クマソタケルを打倒し、その王子を跡継ぎとすれば、クマソの国も、あまねく光がもたらされ、このツクシ大島の大乱の元はなくなるであろう。と言われておる」
「なるほどのう。しかし、クマソに攻め込むわけにもいかず、どのようにして打ち倒すかのう」
皆がまたざわめき始めた。誰も方法が思い浮かばないのだ。
ヤスニヒコはニヤリと笑い、ことさら大声で言った。
「そこは、イズツ国を懲らしめたことのある我らにおまかせあれ。キビノ国の跡継ぎで知恵者のオノホコ殿、我が兄で常勝将軍と言われるタケノヒコが、皆の者とともによき手立てを考えまする。どうぞご安心を」
国王が裁定した。
「よし、クマソの件は、別に三カ国合同で軍議の席をもうけるとしよう。では、こたびの戦の始末じゃ。我々としては、これよりよしみを深めともにクマソと戦う必要もあるから、四の五の言うつもりはない。ただナノ国が、鳥の国に対する仕打ちを改め、鳥の国の独立を認めること。国境その他は、先々代のナノ国王の時代に戻すことを認めていただきたい」
「それでは我らは何のために出兵したのかわからぬ」
ナノ国の者がそう言うと、ヨシノハラツ国の者が言い返した。
「話をもとに戻すおつもりか。我が国王の裁定に得心されよ」
鳥の国の者も言った。
「我々にも言い分はある。しかも、こたびの戦で多くの者が死んだのだ」
ヨシノハラツ国王が言った。
「死んだ者は、我が国にも多く出た。それは、ナノ国も同じであろう。しかしながら今、我々はより大きな苦難を前に手を握るのだ。目先のことよりも、子々孫々の安寧を考えられよ」
「しかし・・・」と言いかけたナノ国の者をヤスニヒコが制した。
「では、これまでのうらみつらみの全てを水に流そうと国王は言われるのだな」
「むろん、そうじゃ」
「さすが、トヨ殿が見込んだ国王じゃ。実は、国王も、我が兄も、ナノ国王も、同じような美しい魂をしておると褒めていた」
そう言って、ヤスニヒコは笑った。そして続けた。
「私はナノ国王からことづてを頼まれた。これより先はナノ国王の御言葉である。ナノ国は和睦する。そして、先々代の国王時代のような仲睦まじきナノ国と鳥の国でありたい。お考えがぴたりと同じではないか」
「おー」という驚きの声が場内にあがった。
「しかし、それはまことに我が国王の御意志なのか」
「そうだ。今だ陣中におられるゲン将軍のもとにも、今頃同じ口上が伝えられているはずだ。あとで確かめられよ」
国王が言った。
「決まりじゃ。皆の者、今までの恨みを捨てよ。得るもののない戦いだったと思うな。これより我々はともにクマソへ立ち向かう一味じゃ。よいな、敵は悪逆極まりないクマソじゃ。見事クマソを懲らしめて、先祖のまつりを絶やさず、子孫の繁栄を勝ち取るのじゃ!」
「おー!」というときの声をあげ、みな立ち上がった。
戦の調停と、対クマソ同盟について、三カ国の王が鳥の国に集まり軍議を開くことになった。
そこで国王どうしが誓いの杯を交わすまで、本当の終戦ではない。
よって、長老も、タケノヒコも、ゲン将軍も、まだ軍装を解いていない。
ただし、長老軍はゲン将軍の主力軍に合流し、鳥の国の北側に陣を構えている。
トヨもその陣中にいる。ヤスニヒコだけが、鳥の国の者とさっそく懇意になり、その都にいる。
ヨシノハラツ国の軍も南側に陣を構えていて、捕虜は、ナノ国王の命により全て武装解除のうえ、国へ帰された。
完読御礼!
熱心な皆さまのおかげで何とか連載が続けられています。ありがとうございます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いします。