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チクシ大戦物語 第十九章 第二十章 第二十一章

熱心な皆さま、後編も読んでいただきありがとうございました。

今回で後編も完結です。


セトノウミの安全を確保するべくトヨ国を訪れたタケノヒコ一行は、寝込みを襲われますが、タケノヒコとの初陣に張り切るムネが大暴れ。敵を次々と殴り倒していきます。

その後、イズツ国に現れたというもののけを倒すため、一行は新たな戦いに向かいます。


どうぞお楽しみください。


第十九章 女賊


 船はハヤトモの瀬戸を抜け、一日風待ちをして七日ほどでヤマトの港に着いた。

 そう大きな港ではなく、市もあまり賑わっていない。迎えに来た役人も口数少なく陰気な感じの男であった。

 宿舎に向かう道すがらヨナが役人にいくつか質問していたが、まともな返事は返ってこなかった。そんな様子を見て、これは後難を恐れての事であろうとタケノヒコは思った。実はタケノヒコの国オオヤマトもそんな感じの国なのだ。開放的な国ではないし、役人はへつら笑いをするだけで本音は見せず、自らの保身に汲々としている。しばらくオノホコらと行動を共にし、各地の賑やかで開放的な雰囲気のため忘れていた感覚であったが、新しき世の中心となるにはあまりにも陰気すぎる。幸い父国王やオオババ様は人柄の良いので、オオヤマトに戻れば、先ず国の改革をせねばならぬと、タケノヒコは思い始めていた。


 一行は、宿舎に入った。

 高床式のあまり大きくない建物で、やや手狭であった。

 国王への謁見は明日となり、ひとまず休息することにした。

 ヨナは、「まちの様子を見て参ります」と言い、クロを連れて出かけていき、カエデは「早速ではございますが、ゆうげの支度ができるまで、皆さまお酒でもお召しくださりませ」と、言い酒の準備を始めた。

 そして、軽く酒を飲み、ゆうげも済んだが、ヤマト国からは何のあいさつもなかった。あいさつや、接待などを期待するタケノヒコではなかったが、儀礼から外れるようなヤマト国の対応に、一抹の不安も感じた。


 あくる日。

 対面の儀式のために、タケノヒコ一行は宮殿に向かったが、昇殿を許されたのはタケノヒコ唯一人であった。儀式もごく形式的なものであり、下座に座らされたタケノヒコはしばし国王を待たされ、やがてやってきた国王と対面し、型どおりの言葉を二、三交わしただけで終わった。本当ならばもっと熱意を持って語り合いたいと思っていたタケノヒコに対し、国王も重臣たちもまるで無関心のそぶりを見せるだけであった。期待外れであったが、初日でもあり、談合はこれからのことと思い直して広間を後にしようとしたとき、御簾で区切られた区画の奥からただならぬ殺気を感じた。立ち止まって目を凝らして見ると、冷たく鋭い目つきの女が、息を殺してこちらを睨みすえているようだった。


 あれが、姉君か。

 タケノヒコには直感で分かった。


 宿舎に帰り、宮殿での様子を皆に聞かせた。

 ムネは怒りを露わにし、「無礼な者ども、今より討ち入ってくれん!」と息巻いていたが、カエデになだめられた。

 タケノヒコは言った。

「無礼などとは思わぬ。私は嫡男ではなく、ただの王子であるコノオ国は我が国初代おおきみの兄君の国である。こちらが礼を尽くしてもおかしくはなかろう」

 ヨナがいつものように遠慮なく鋭く言った。

「それは違いまする。そのようなお考えはお捨てください。タケノヒコ様は、新しき世の連合諸国を代表されて、この地に来られたのです。筋目を申すなら、悪くても対等でなければなりませぬ。それを下座に座らせ、しかも待たせるなどと、ムネ殿の申される通り、無礼千万」

 タケノヒコは笑った。

「そうだな。私は今、オオヤマトのタケノヒコではないのだな」

 ヨナは苦笑いした。

 タケノヒコほどの者すら、そのように思い違いをする程、身内意識、先祖への畏敬の念が強いものであることを思い知らされた。オオヤマトの初代おおきみは偉大な王としてタケノヒコの骨身に染み込んでいるのであろう。またヤマト国王もまた、兄君の国としての体面を考え、そのように振舞ったのであろう。

 タケノヒコが明るく言った。

「すまぬ。今日は私の思い違いであった。明日からはヨナ殿の申す通り、代表として対等に振舞うことにする」。

 実は、ヨナはオノホコから密命を受けていた。それは、「もしもの場合、戦をしかけよ」というものであった。オノホコはヤマトとの交渉にあたって、怒り心頭に達していたのだ。

「あんな馬鹿女の国など叩きつぶせば、連合国の力を示す良き見せしめとなる。それで、アワツシマの国々もこぞって我らにつくであろうし、連合国の直轄地にすれば、新しき都の建設もたやすくなる。一石二鳥じゃ」

 オノホコはそう言ったが、タケノヒコの身内意識の様子から察するに、戦などとは思いもよらぬことであろう。


「難しきことじゃなあ」

 ヨナはため息をついた。


 翌日。

 タケノヒコは、宮殿へ向かった。

 応対に出た大人に、タケノヒコが言った。

「昨日は、オオヤマトのタケノヒコがあいさつに参った。しかし今日は連合諸国の代表として対等な話し合いに参った。よくよく国王に申し伝えよ」

 その大人は、上目づかいにちらっとタケノヒコを見、無言のまま奥へひきさがった。

 しばらく待たされた上に、国王の返事は意外なものだった。「体調が優れぬため、今日は会えぬ」と言ってきたのだ。

 宮廷内で意見が分かれているのだと、ヨナは察した。

 しかし、一体なぜもめる必要があるのか。

 国王と、その姉君の真意はどこにあるのか。

 和合にせよ戦にせよ、それが分からねば的外れの骨折りになる。オノホコは、頭から戦をするつもりのようだが、そうなった場合、タケノヒコは、ヤスニヒコは、そしてオオヤマトはどんな反応を示すのか。場合によっては、せっかく産声をあげつつある新しき世も瓦解しかねない。ひょっとすると、もうこれ以上この国にかかわらない方が良いのかもしれない。セトノ海の安全が多少脅かされようと、アワツシマの国々の説得に時間がかかろうと、それらがいかほどのことであろう。遠回りになっても問題はないはずだ。ヨナはそのように悩み、難しい顔のまま宿舎に戻った。


 翌日も「体調が優れぬ」と面会を断られ、むなしく帰路につく一行に、物陰から呼びとめる男の声が聞こえた。その男は、タケノヒコを物陰に引き入れ、小さな声で驚くべき話を語った。

男の名をタムリといい、国王の側近である。

 タムリは「逃げよ」と言う。

 つまりは、今晩姉君の手の者が、タケノヒコらを襲う手筈になっているという。

 幸い、タケノヒコとヨナ以外は宿舎に帰していて、一番激昂しそうなムネはいなかったが、それでも「ばかな!」と、怒気を含ませ、ヨナが声を張り上げた。

「そんなことをすれば戦になるではないか」とつめよるヨナに、タムリは「あなた方こそ、戦を仕掛けに来られたのではありますまいか」と言い返した。

 タケノヒコが落ち着いて言った。

「わざわざ戦をするために、ここへ来たのではない。先祖を同じくする国のよしみをもって談合にきたのだ。その証に我々は少人数ではないか」

「しかし、姉君の占いには、戦とのお告げがでているそうです。しかしながら、タケノヒコ様とお会いした国王は、タケノヒコ様は善きお人に見える。そのような卑怯にはおよぶまいと私をお遣わしになりました」

 たしかに、トヨ殿もそのようなことを言っていた。とタケノヒコは思ったが、目の前の者を信じて正直に話せば結果的に戦を煽るような物言いとなるかも知れず、それは避けるべきだと、とっさに判断して穏やかに言った。

「おかしいな。私はそのようなつもりは全くないのだが」

「それは、ようございました」

「うむ。ヨナ殿、そなたは何か訳を知らぬか」

 ヨナは、オノホコの密命が漏れているのかと迷ったが、断固迷いを打ち消して、つとめて冷静に何食わぬ顔で「知りませぬ」と答えた。

「タムリ殿、よいか、私には一片のやましさもない。本当に談合に来たのだ。そのこと、国王と姉君によくよくお伝えくだされ」

「お逃げなさらぬので?」

「やましくもないのに、逃げる理由はない」

「承知いたしました。国王にお伝えいたします」

 使いの者が去ったあと、「どこかで話がもつれているようだ」と、タケノヒコが、ふと漏らした。


 その夜。

「ことさら構えることはない」と、タケノヒコは何も指示せず平然としていた。

 ヨナは、さすがに何もしない訳にもいかず、タケノヒコの目の届かないところで、皆に覚悟するようにと話し、ひそかに手筈を整えた。今回派遣された面々の人選はトヨが行ったのだが、改めて見るとカエデ以外は一騎当千のつわものばかりである。


 御子様は、このような成り行きが見えておいでだったのではあるまいか。

 ふとヨナは思った。


 夜半。

 月が煌々と輝いていた。

 都は寝静まり、物音ひとつしなかった。

 タケノヒコは軽い寝息をたてていたが、ヨナは寝床の中で全神経を集中していた。

 隣では、ゼムイも同じく気を漲らせていた。

「一度、ヤスニヒコ様をお守りできませなんだゆえ」と真顔で語っていたゼムイは、今夜こそと思い定めていた。

 ムネは、初めてタケノヒコとともに戦うことになるであろうと、心を浮き立たせ興奮していたが、いつのまにか大いびきをかいていた。

 やがて月も中天を過ぎ、ヨナは「今宵はもうこないかも知れぬ。そのほうがありがたい」と思い、軽く眠気を催しはじめた頃。

「ヨナ殿、ヨナ殿」

ゼムイの声が聞こえた。

「ゼムイ殿、敵か?」

「そのようです。屋外に人の気配を感じます」

 ヨナは、自分の期待が外れたことに失望を感じた。しかし、事ここに至っては戦う道しかない。

「して、人数は?」

「二十か三十。大した数ではありませぬ」

「よし。みなを起こそう。しかし、タケノヒコ様には知らせぬように」

「いや、私は起きている。すまぬ。私の不明により迷惑をかける」

「タケノヒコ様の不明ではありませぬ。あのままお逃げになっていれば、トヨノ国の者たちに笑われておったでしょう。そのようなそしりを受けるくらいなら、戦うことこそ唯一の道」

「そう言ってもらえれば、私もいくらか心が軽い」

「いずれにせよ、敵は少数。トヨノ国の非道を糺すには好機でもありましょう」

「よし。ただしやむを得ぬ場合を除き、殺すな。生け捕りにせよ」

 ヨナは、まだ身内意識を捨てきれぬのかと思った。しかし、タケノヒコはそうは思っていなかった。無駄な殺生を望まぬトヨへの思いと、現実的には今後の交渉へのさわりを勘案した。負ける気など、はなからなかった。

「では、下知くだされ」

 いつの間にか起きていたムネが、小声でそう催促した。

「まだ待て。敵は我らの寝首をかくつもりであろう。敵を一気に絡め捕るために、敵が部屋に入ってきたところで反撃するのだ。クロとタクは屋外へ出て、外にいる敵を捕らえよ。合言葉は、日と月だ。間違うなよ。カエデは私の後ろに隠れておれ。必ず守るゆえ、心配はいらぬ。そしてヨナは、船の水夫たちにつなぎへ走れ」

「水夫たちなら大丈夫でございます。今宵は油断せぬよう申しつけております。万一の場合はもやいを解いて海に漕ぎ出せと」

 タケノヒコは笑顔を見せた。

「さすが、ヨナ殿だ。では、みな静かに準備せよ」


 やがて、ほどなく静かに戸口が開いた。

 物言わぬ男たちが五人ほど、抜き足で宿舎に入ってきた。

 外にいる男たちは、首尾を見届けようと待機していたが、何も変化がない。

 そこで新たに五人ほどがまた入って行ったが、やはり何も変化がなかった。

 実はムネとゼムイに音もなく打倒され気絶していたのだが、そんなことは外の者にはわからない。そこで五人ほど残し、あとの十名は全員で押し入ることにした。奥の広間へ行って、眠っている者を見ると、それは打倒された仲間たちだった。

「これは!」

 賊の一人が叫んだとき、周囲は既にタケノヒコ一行に囲まれていた。

「そなたらは、いかなる賊であるか」

 タケノヒコは、賊という言葉を遣った。そうすることで、ヤマトへ配慮したのだ。

「そのほう、タケノヒコか!」

 賊の一人が斬りかかってきたところ、ムネに殴り倒された。

「兄上を、呼び捨てにするな!」

 ムネが思わず大声を張り上げた。

 タケノヒコは苦笑いしつつ、「もうよかろう。みな、大いに暴れよ」と命じた。

 屋内は大乱闘となり、クロとタクは外の敵を打ち倒すべく飛び出していった。

「死にたいやつは、どいつだ」

 ムネは次々に殴り倒し、ゼムイは鮮やかに剣を振るった。カエデはいそぎ灯りをつけた。タケノヒコはカエデを庇いながら一人二人と賊を倒していった。

 都の静寂を破るように鯨波のこえが轟いた。


 あっと言う間に決着がついた。

 百戦錬磨のタケノヒコ一行に対して、あまりにも未熟な襲撃者たちであった。皆、縛りあげられ、宿舎の前に鈴なりに座らされた。

「ワシら七人に戦を挑むなど百年早いわ!」

 怒りの収まらぬムネが、縛られた賊一人一人に張り手を加えていた。

 ヨナが確認し、タケノヒコへ報告した。

「全部で二十五人。うち二名は死んだようでございます」

「そうか、残念だ」

 タケノヒコは、死者のために祈りを捧げた。

 その時、国王の使者がやってきて、姉上の仕業であり、国王は無関係であると申し立てた。

 そして、姉上の身柄を拘束したと言った。

 タケノヒコは、とぼけて言った。

「はて、今宵押し入ってきた賊のお相手は致したが、姉君のことなど知らぬ。賊は全員捕らえたゆえ、ご安心をと国王にお伝えくだされ」

「タケノヒコ様!」と、ヨナがたしなめるように叫んだがタケノヒコは微笑みを浮かべるだけであった。

「まあ、また明日にでも国王に報告いたそう。夜も更けたゆえ、今はこれ以上事を大きくすることもあるまい」

 タケノヒコはそう言って使者を帰すと、改めて捕らえた者たちの話を聞くことにした。

 大将らしき男に近寄り、穏やかに聞いた。

「何ゆえ、我らを襲ったのか?」

 その男は怒りを露わにして怒鳴った。

「ぬかせ!こうでもせねば、そなたらに国を奪われると思ったのじゃ」

 タケノヒコは、ヨナと顔を見合わせた。

「それは違うぞ。私は談合に来たのだ」

 ヨナが聞いた。

「一体誰が、そのような事を言ったのか」

「巫女様じゃ」

「国王の姉君か」

「そうじゃ」

「今回の襲撃も姉君の指図か」

 男は、急に黙った。

「うむ。ヨナ殿。詮索はもうよかろう。そなたたち、良く聞け。私は決して国を奪うために来たのではない。皆の暮らし向きが良くなるよう、談合に来たのだ」

「嘘をぬかすな。現にそなたらは、チクシ大島の国々を従えておるというではないか!」

「従えておる訳ではない」

 そう答えたタケノヒコであったが、確かに事情を知らぬ者の目にはそう映ったかもしれぬ。どうも話がもつれていると感じていたが、どうやらその辺りに答えがあるようだとタケノヒコは思った。

 ヨナが、言った。

「この辺りには、クマソとの戦で被害がでませなんだゆえ、事情を知らぬのでございましょう。我らの苦労は、なかなか分かってもらえませぬなあ」

「よいか、皆の者。これだけははきと申し渡す。我々は国々を武力で征服している訳ではない」

 タケノヒコの気魄に男は気押されたが、やがてプイっと横を向いた。

「では、話を変えよう。姉君とは、どの様なお方か」

「ふん。優しきお方じゃ」

 意外な答えにタケノヒコは驚き、ヨナは思わず声をあげた。

「そんなはずはあるまい!周辺の国に戦いを仕掛けては、産物を奪うような女賊であろう。調べはついておるぞ」

「いいかげんな調べをしおって!戦いを仕掛けるには相応の理由があるわい!不作で食べ物もなく、他の国は何も譲ってくれぬ。国王も何もしてくれぬ。巫女様は食べ物をワシら貧しき者にも分け隔てなくくれるのじゃ。そなたら王族の者に何がわかる!飢える苦しみがわかるのか!ワシらを救ってくれるのか!あのつまらぬ国王と一緒じゃ!」

 男は、顔を真っ赤にして叫んでいた。

「国王など、強き者にはへりくだり、ワシら弱きものにしわ寄せするばかりで何の役にもたたぬ。ワシらのためを思ってくれるのは、巫女様だけじゃ」

 それは、嘘偽りのない本心からの叫びであった。

 タケノヒコは、腰をかがめ、目線を男に合わせて優しく聞いた。

「そうか。姉君は優しきお方なのだな」

「そうじゃ。だからワシらは巫女様を守りたかった」

 男はまっすぐにタケノヒコの瞳を見つめた。

 タケノヒコは、笑顔を見せて言った。

「そうか。そなたらの気持ちはわかった。縛りを解く訳にはいかぬが、そなたたちの命はとらぬゆえ、安心して今宵はもう休め」

 男の興奮は収まらなかった。

「そなたらさえ来なんだら、ワシらは安寧に暮らしておったのじゃ。なぜワシらの安寧を奪おうとするのか。ワシには得心いかぬ。得心いかぬ!」

 その言葉は、タケノヒコの心の奥深くに突き刺さるものだった。


 翌日の朝。

 タケノヒコ一行は、賊の一味を引きたて、宮殿に向かった。

 宮殿の門は既に開かれていて、タケノヒコ一行を待ちかねていた役人が飛んできた。

「タケノヒコ様。ご無事でなによりでございます。我が国王が釈明をしたいとお待ちかねにございます」

「そうか。では案内を頼む」

タケノヒコは穏やかにそう言ったが、ゼムイもムネも周囲に目を配り、殺気を漲らせていた。

「はい。ではご案内いたしますが、賊の者どもはこれにてお引き渡し願いまする」

「いや、それはまだできぬ。国王との面会の後にしてもらいたい。襲われたのは我々であるから、そのことご承知いただきたい。ひとまずこの広場にて止めおきでいかがか。手の者を見張りにつけるので、乱暴にはおよぶまいと思う」

 タケノヒコは、押し入った者たちが口封じとばかりに処刑されることを恐れた。しかし、その真意がわからぬ役人は、首をかしげるばかりであった。

「では、ムネ。そなたはクロとタクの三人で見張りをせよ」

 そして、「口封じに殺されぬよう、心して見張れ」とムネに耳打ちした。


 国王は、ひたすら平身低頭し、お詫びの言葉を並べたてていた。

 タケノヒコは頃合いを見て切り出した。

「では、賊の仕置きは私に任せてくれるのですな」

「それは、もう。それでお許しいただけるのであれば」

「では、賊の大将に引き合わせていただきたい。何でも、女賊であるとか」

 女賊とは姉上のことであると、国王には分かった。しかし、さすがに姉の仕置きまでタケノヒコに委ねることは憚られた。

「女賊が、大将であるかどうか、まだ詮議が済んでおりませぬ」

「そなたは、私に任せると言われたではないか。二言はなかろう」

「しかしながら」

 国王が言葉をつまらせた。


「もう、よかろう」

 そう言う女の声が聞こえた。


 警護とおぼしき二人の兵とともに、国王の姉が広間に入ってきた。

「我が弟よ。そなたは肉親への愛さえ忘れた男かと思っておったが、心はまだ失っておらぬようじゃな」

 姉はそう言うと、弟に微笑みかけた。

 その姿には、先日見せた鋭い殺気が全く消えていた。

 姉は、タケノヒコの前に腰をおろして言った。

「いかにも私が大将であった。そなたの命を奪えと命令したのじゃ」

 その、どこか晴れ晴れとした物言いに、ヨナは首をかしげた。

 タケノヒコは問う。

「賊の大将殿。罪を認めますか」

「認める。そなたの思うまま仕置きすれば良い」

 ヨナが思わず尋ねた。

「なぜ、そのように堂々としておられるのか。罪を問うておるのに」

 姉は、しばし無言でいたが、やがて口を開いた。

「あの、ひかり」

 その一言で、タケノヒコは全てを理解した。しかしヨナにはわからず、さらに聞いた。

「あの光とは?」

 姉は微笑んで答えた。

「あの、穏やかで優しい黄金色の日の光。あれこそが、そなたらの言う新しき世じゃな」

 タケノヒコが笑顔で言った。

「トヨ殿ですな」

「そうじゃ。ゆうべ、我が弟に身柄を拘束され、悔しゅうて眠れなんだが、やがて眠りについた私に、トヨ殿の魂が語りかけてくれたのじゃ。美しい風景も見せてくれた。そこは穏やかで優しい黄金色の日の光に包まれておって、母と子が笑いながら、たわわに実った稲穂を刈り入れておった。全てが言葉にできぬほど満たされ、許され、心が温かじゃった。妙になつかしくもあった。それに引き換え私の我執など、なんとちっぽけなことか」

「では、過ちを認め、心を入れ替えるということですな」

「もちろんじゃ。私もあの温かな日の光に身を委ねてみたい」

 タケノヒコは、しばし考えた。

 やがて立ち上がり、手にしていた剣を鞘より引きぬいた。

 国王は慌てた。

「何をなさるか。如何に罪を認めたとはいえ、今や我が唯一の肉親じゃ」

姉の側にいた二人の兵が剣を抜こうとしたが、ゼムイに打ち据えられ、倒れた。

 タケノヒコが剣を振り上げて言った。

「賊の大将殿。お覚悟」

 姉は平然と答えた。

「もとより」

 国王は、必死になってタケノヒコにとりすがった。

「お慈悲を、お慈悲を」

「我が弟よ。タケノヒコ殿を殺そうとした罪、我が手勢を二人も死なせてしまった罪、他国に押し入り作物を奪った罪は償わなければならぬ」

「しかし、しかし、それは私が国王として未熟であったからじゃ。姉上のせいではない。私がしっかりしますゆえ、心を入れ替えますゆえ、お慈悲を、お慈悲を」


「では、御免」

タケノヒコは、剣を振り下ろした。

「ひぃ」と、国王は目を閉じた。


 夕べ、復命に来た使者は「姉君の事など知らぬと申されておりました。罪には問わぬようです」と言った。だから形ばかりの詫びを入れ、実際に押し入った者たちだけを処分すれば、それでカタがつくと踏んでいた。思えば姉上は、幼い頃よりひ弱な自分をいつも庇ってくれ、長じてからは、国のための嫌な仕事を自分の代わりにやってくれた。たしかにやりすぎの面もあり、自分はそんな姉を非難するだけで国王の座が安泰であった。しかしそれは全て自分のためであり、姉上は今も自分を庇ってくれていたのだと気づいた。とりかえしのつかぬ事になってしまったと思うと、国王の両目から涙が溢れてきた。そのままつっぷし、思わず鳴き声をあげていた。


「そなたは、私の為に泣いてくれるのか」


 姉の声が聞こえた。

 そこには、穏やかな笑みを浮かべる姉がいた。

 タケノヒコに斬られたとばかり思っていたが、さきほどの姿と何ら変わりはなかった。

 何が起こったのか分からない国王は言葉をつまらせ、ただ姉を見つめていた。

 タケノヒコが、抑制の利いた穏やかな声で言った。

「女賊は、退治した」

 国王は、タケノヒコと姉を交互に見ては、いよいよ訳が分からなかった。

 タケノヒコは、国王の前で中腰となり、つっぷした国王の肩に手をかけ、穏やかに言った。

「姉君の心に住まう女賊は、トヨ殿に退治された。ここにおられるお方は、そなたの姉君、国の巫女殿なのだ」

 国王は、訳が分からなかったが、とにかく許されたのだと思い、夢中で姉にすり寄った。

「姉上、姉上」

 姉は国王を包むように受け止め、優しく言った。

「そなたは、大きななりをして、ちっとも昔と変わりませんね」

「ご無事でなにより、ご無事でなにより」

 この姉弟の母は、早くに亡くなったため、年の離れた姉が母親がわりとなって弟の面倒を見て来た。近年父を亡くし、国王を継いでからというもの雑事の多さについ置き去りにされてきた情愛を国王が取り戻したのだ。姉も、弟を思うあまりついやりすぎていた険しい心を打ち消した。もちろん本心は他人にはわからないものであるとしても。


 タケノヒコは二人に手をさしのべた。

「我らとともに日のひかりのもとへ参ろう」


 捕らわれていた賊も解放され、死者は丁重に家族のもとへ送り返し、全てのカタはついた。

 宿舎への帰り道、ヨナはふと、気になっていたことをタケノヒコに訊いた。

「しかし何故、あのような夢の話をお信じになったのですか?」

 タケノヒコは淡々とした表情のまま言った。

「あれは夢ではない。まことのことだ」

「はて、面妖な。魂が語るなど」

「本当に巫女の力がある者は、遠くにいても魂で話をすることができる。我がオオババ様のその様なお姿を私は何度か見た」

 ヨナは、理解を越え呆気にとられたような表情であった。わずかに言葉をつなぐのが精一杯であった。

「そのような、ものでございますか」

 しかしタケノヒコは確信を持って話している。

「うむ。それに、ひかりと言った」

「たしかに。しかし、それが何か」

「ひかりとはトヨ殿のことである。私にはすぐにわかった」

 ヨナは、いよいよ理解に苦しんだ。

「トヨ殿は、肝心な時には必ず日の光を受けて輝くのだ。だからアナトノ国の者たちは“日の御子”とも呼んでいた。ゴロをあわせて、私とヤスニヒコは“ひみこ”と呼ぶこともある」

「ひみこ様でございますか。何とも神秘的で輝くような、良きお名前でございます。今後は皆にそう呼ぶように申し付けましょうか」

 タケノヒコは笑った。

「まあ、トヨ殿の良きように」


 翌日から、ヤマト国が新しき世に参加するための実務的な協議が始まった。

 この頃は、新しき世の骨格はほぼ固まっていて、ヨナが説明に参内した。

 先ずは、各国とも農業の生産力を高めること。余剰の労力で、甕や土器や装飾品等を生産すること。そしてワノ国中に船のネットワークを整備し、産物の交易を盛んにすることが骨子となる。そうすれば多少の不作でも、遠国の作物を作り置きしていた甕や土器などと交換でき、船で大量に運ぶことができる。戦をしかけて奪うような非道をせずに済む。ある意味ではセーフティネットのようなもので、その物流の安全と公平性を保証するのがオオヤマトの軍事力であり、その都の近くに新しい都を建設し、市を設置するとともに監視と協議の場にするというものであった。


「そのようなことが、できるのか」

 国王はそのように呆然としていた。あまりにスケールの大きな話であった。


「できまする」と、ヨナは言う。

「ただし、今日明日の話ではありませぬ。十年かかるかも知れず、またイズツやクマヌなど敵対勢力を皆で排除せねばなりませぬ。やがては、東のヒノモトやエビスなどとの交流も深めていかねばなりませぬ。やらねばならぬことは山積みでございます」

「そうであろう」

「しかしながら、もう近隣国同士で戦の心配はありませぬゆえ人手を生産に振り向けられます」

「邪心を起こすものが現れればなんとする」

「トヨ様の祟りがおよびましょう」

「そのようなものか」

「はい。あるいはタケノヒコ様が軍勢を率いて成敗なされましょう」

「なるほどのう。しかし軍勢を動かすとなると、オオヤマトより見返りが求められよう」

「それは仕方ありませぬ。ですから、毎年何らかの貢物をオオヤマトに納める形になるかも知れませぬ」

 国王は渋い表情をした。

「それは、タケノヒコ殿が求めておるのか?」

「いいえ。我が主、オノホコ様のお考えです。皆が持ち寄ってつくる新しき世であり、盟主にオオヤマトをたて、その頂にトヨ殿をたてるのじゃと」

「タケノヒコ殿のお人柄は申し分ないが、トヨ殿とは、一体いかなる人物か?」

「正しきお方でございます」

「それは、姉上の様子を見てもわからぬではないが」

「恐ろしきお方でもございます。神の声を聞き、先手先手を打つことで、戦を必ず勝ちに導きまする。それに、赤い炎のような光を発し、手も触れずに大の男を吹き飛ばします」

「すさまじきお方じゃなあ」

 国王は、あっけにとらわれていた。迷いに迷って今ひとつ質問をした。


「それは、まことか」


 ヨナは真顔で、国王の目を見つめて答えた。

「まことにございます。しかしながら、そのお力を間違った方には決してお使いにはなりませぬ。敵兵の命すらお助けになります」

 国王は天を見上げて嘆息した。

「姉上ほどの巫女はおらぬと思っておったが」

 やがて、しばらくすると踏ん切りがついた。

「よし。四の五の言うまい。すべてヨナ殿におまかせする。良きようにはからえ」

 これで、セトノ海の安全も半ば保障されたようなものである。

 事が成ったと、ヨナは一安心した。



第二十章 もののけの息遣い


 ヤマトとの交渉がうまくいった頃。

 オオヤマトへの使いを果たし、タケノヒコ一行に合流すべく陸路を西へ向かっていたスクナとサルは、思いがけぬ者と出会った。

 その者はリクと言い、イズツ国の物見の者であった。サルとは顔見知りであり、そのよしみをもって「お助けいただきたい」と頭を下げている。聞けば、イズツ国西方の山の中にあるリクの故郷付近に恐ろしいもののけが現れ、ムラの者が幾人も犠牲になり、ヤチトから派遣された巫女もみな殺され、お手上げなのだという。

「聞けばサル殿は、トヨノ御子様の家来になったというではないか。もはや名高き御子様におすがりするほかあるまいと思い定めてお願いに参った次第」

 スクナは怒りを露わにして怒鳴った。

「そのほうらは、敵ではないか。我らによって死ぬか、もののけによって死ぬかの違いじゃ」

「ひらに、ひらに、お願いいたしまする」

 サルは戸惑った。

 あれだけ逞しく、闊達だったリクの頬は痩せこけ、眼にはクマができている。よほどのことと、簡単に推測できる。聞けば各国の物見仲間からの情報を集めて、不眠不休でサルを追いかけてきたのだという。

「たしかに、チクシ大島でも同じような話は聞いた。リク殿の言われることはまことであろう」

リクはひたすら土下座をし、頭を地面にこすりつけて懇願を続けた。

「どうか、我らの苦衷、分かってくだされ」

 いよいよスクナは怒鳴り、リクを足蹴にした。

「下郎、さがれ!聞く耳もたぬ」

 それでもひたすら頭を下げ続けた。

「なにとぞ、なにとぞ」

 その両眼には、涙が溢れていた。

 しかし、いよいよ怒気を含んだスクナの大声は、リクを罵倒した。そして何度も足蹴にした。さすがに見かねて、サルはスクナの足蹴をやめさせようとした。

「スクナ様、どうか足蹴になさることばかりはご勘弁願いまする。この者には恩義がございます」

スクナは不機嫌な表情を浮かべた。

 彼はタケノヒコには及ばないが、かなりの武辺者である。そんな彼ですらサルの並々ならぬ力量は認めていたため、その願いは無視できなかった。

 やがてしぶしぶと、その言葉に従った。

「サルの恩人であれば、いたしかたない。ただしな、そなたのような下郎がワシに直接話をするなど、まかりならん。どこへでも立ち去れ」

 サルは思わず、リクと一緒に土下座をした。

「スクナ様、サルからもお願いでございます。せめて話だけでもお聞きくだされ」

 そう懇願するサルに、スクナはあきれた。

「この者は敵ぞ」

 サルは言い返した。

「御子様も、タケノヒコ様も、ヤスニヒコ様も情けのあるお方でございます。例え敵でも、困り果てた者には、必ず救いの手を差し伸べられまする」

リクは、一緒に土下座までしてくれるサルの心に打たれ、顔をくちゃくちゃにして大粒の涙を流した。

 スクナは困った。

「しかしな、もし何かの企みであったら何とする」

「リク殿は信頼できます。決して企みではありませぬ」

「しかし、我らには関わりなきことゆえ」

 サルは毅然と反論した。

「関わりなきこととは言え、助けを求める者を足蹴にするなど、タケノヒコ様は決してお許しになりませぬ」

 確かにタケノヒコは許さぬであろう。もののけの話などスクナにはにわかには信じられず、どうでもよい話であり、「どうせ荒くれ者たちが荒らしまわっているだけであろう」とタカをくくっていたが、足蹴にしたなどとサルの口から漏れでもすれば、そちらの方が大変なことになる。

「もうよい。わかった。サルに免じて話ばかりは聞くとしよう」


 しかし、確かにトヨは恐るべきもののけの息遣いを感じ始めていた。

 やがて対決せねばならぬと、ひそかに覚悟をかためつつあった。タケノヒコの周りに集う一騎当千のつわものたちをもってしても、死力を尽くした戦いになるであろうと、身震いする思いであった。

そんなことなど露知らず、ヤスニヒコは作物を食い荒す虫を退治する不思議な草の煮汁をゲンジイに教えてもらい、無邪気に驚嘆していた。


「ではスクナ様、これより三日ほど先のナツメのムラで合流しましょう。もし私が十日ほどしても現れない時は、何かの事情で先に帰ったとお思いくだされ」

 そう言い残して、リクとサルが一緒にもののけのムラの様子を見に行ってから、はや二十日になる。スクナはサルが気がかりでナツメのムラに居続けているのだが、「あのサルのことだ。万にひとつもなかろう」と、自分に言い聞かせ、そろそろ出発することにした。そこへ凶報が舞い込んだ。リクのムラ人が、リクは殺され、サルはもののけにとりつかれたと報せに来た。


 好事魔多しと、現代ならば言うのであろう。


 せっかく新しき世が成るというこの段階にあって、人の世の出来事とも思えぬもののけの話は、タケノヒコらの心胆を寒からしめた。しかし、これを討伐せねば人心定まらず、新しき世もまとまらぬとトヨが結論づけた。一番恐ろしいのは、その正体を誰も知らぬことであった。人柱に出された娘ははらわたを食い荒され骨と皮が散乱する無残な姿となり、さらにもののけを見たであろう者たちはみな同じような姿となっていて、生還者がいないのだ。サルの場合は、リクが瀕死の重傷を負いながら何とかムラまで戻ったものの「無念。サル殿はとりつかれた」と言っただけでこと切れてしまった。

「そのような話は、ちょっと」

 いつもなら泉のように知恵の湧くオノホコですら言葉を詰まらせた。

「我らが対応すべき話ではないでしょう」

 ヨナがそう言うと、ヤスニヒコが怒りを露わにして「サルが捕まったのだぞ」と怒鳴った。

「というより、もののけに・・・」

 直言癖のあるヨナも、さすがに語尾を濁し、押し黙った。

 重い沈黙が一同を覆った。

 シンが素朴な疑問を抱いて聞いた。

「我々なら、討伐できると言うのでしょうか」

トヨは宙を見、考えを巡らせているようである。やがて静かに「わからぬ」と言ったから、皆さらに沈黙せざるを得なかった。この場に呼ばれている者は、タケノヒコ、ヤスニヒコ、スクナ、シン、オノホコ、ヨナ、ムネ、クロ、タク、ゼムイ、ジイ、タクマノ姫、カエデにトヨを入れて十四名。いずれも幾多の死線をくぐった強者である。

「敵の正体さえわかれば、たやすきことではなかろうか」

 ジイは力なくそう言い、

「なあに、ワシの拳さえあれば」

 ムネが見栄を張るように言ったが、誰も追従しなかった。それほど、トヨの「わからぬ」は、暗い影を落としていた。

 トヨが唐突に言った。

「敵は八人。もちろん今はサルもその一人となっている」

 ヨナが問うた。

「敵は人間なのでしょうか」

「いや、もとは人であったというべきか。今や無数の恐ろしい怨霊にとりつかれておる」

 一同顔を見合わせた。

「私が引導を渡すにしても、何かが足りぬ。その何かがわからぬうちは、勝てぬかも知れぬ。しかしながらこの試練に打ち勝たねば、新しき世の扉は開かぬ。それに、その八つの背後にはもっと大きな力がある」

 その話は一同の理解を超えていた。妙案もないまま、その日はお開きとなった。


 事態が動き出したのは幾日か経ったある朝のことだった。

 トヨが突然、タクマノ姫とカエデを、オオババ様のもとへ修行に出すと言い出した。

 聞けば、昨夜オオババ様の魂が語りかけてきたという。

 それによると、タクマノ姫にもカエデにも巫女の才能があるから、その才を磨き三人で力を合わせねば勝てる相手ではないとのことであった。さらに、光り輝く鉄の剣と、トヨの祈りを込めた多くの勾玉と鏡を準備せよとのことである。

 トヨにとって初めて触れたオオババ様の魂の温もりは、一も二もなく信ずるに足るものであった。

ヤスニヒコは「離れていても、オオババ様は我らを見守りくだされておったのですな」と嬉しさや懐かしさの入り混じった感想をもらした。国を離れてもう二年になる。タケノヒコも同じ思いだ。


 早速、姫とカエデはジイとゼムイを護衛にオオヤマトへ出発した。

 鉄の剣についてもナノ国王に相談し、ナノ国随一という鍛冶師に打たせることとなった。

 勾玉や鏡も出来るだけ手に入れ、トヨが祈りを込めた。

 その他の者はさらに武芸に打ちこむべく鍛錬を始めた。

 タケノヒコにとって、オオババ様の指示による、久々の戦支度であった。

 オノホコとヨナは「人の世のことでないことはわからぬ」と、皆の作業には加わらず、もっぱら新しき世の体制がための談合を各国の高官たちと繰り返していた。


 戦いの準備は、概ね順調であったが、ただひとつ鉄の剣がうまくいかなかった。

 どうしても光り輝くまでには至らず、にび色にしかならない。何度打ち直しさせてもうまくいかなかった。これにはナノ国随一の鍛冶師も思い悩み、とうとう自殺さわぎまで起こしてしまう有様で、その鍛冶師は幸い一命を取り留めたものの、これ以上無理強いもできず、一番出来の良いものに、トヨが祈りを込めることとなった。


 やがて、ふた月たち、秋の刈入れも終わった頃。

 タクマノ姫とカエデが帰ってきた。

 不思議なことに、姫は、手をかざすだけで、傷の治りを早くしたり、肩こりをほぐしたりする能力を身につけていた。これには本人も喜び、おもしろがって皆の悪い部分の手当てをしては、皆から「軽くなった」と感謝された。カエデは、特に目立つ能力を身に付けた訳ではなく、姫を羨ましがっていたが、カエデに宿った本当の力をトヨは見抜いた。それは、荒ぶる魂を穏やかにする力であり、トヨの持つ破壊の力との組み合わせで大きな力を発揮できるものである。ここで初めて、トヨはオオババ様の意図が分かった。タケノヒコら武人が前線で戦う時、武芸に秀でた姫もともにあって皆の傷を癒しつつ戦う。また敵も傷つき疲れ果てたところでカエデが後方からその力によって荒ぶる魂を穏やかにして改心させ、どうしても改心しないであろう大将のみトヨの破壊の力で討ち果たすというものだ。トヨはそう理解し、タケノヒコに知らせた。

「では、我々はどのように戦えば良いのか」

「はい。武力のみで倒せる相手ではありません。悪しき魂の依りしろであるサルたちの体を壊すわけにもいきません。そこが難しいところですが、敵である悪しき魂に食い下がり、勝てぬかもしれぬと思わせて欲しいのです。そうすると、敵も戦いがつらいと思うようになり、カエデの力によって浄化されるでしょう。おそらく大将はそうもいきませんから、私が引導をわたします」

 タケノヒコは笑った。

「そなたの言うことだ。間違いあるまい。我々もつらくて長い戦いになりそうだが、よろしく頼む」

「ただ・・・」

「ん?何か?」

 トヨは顔を伏せたまま押し黙った。

「ただ、どうしたのだ?」

 トヨはうつむいたまま、何事か迷っているようだ。

「そなたは、いつも一人で背負いこむ。悪い癖だ。私に話してくれないか」

 やがてトヨは重い口を開いた。

「八人とは別にとてつもない大きな力を感じます。それは、どうあっても倒すことができないのです」

 どうあっても倒せない。

 その一言はタケノヒコをも重い気分にさせた。

「しかし、それは必ずしも邪悪なものではないようですが・・・」

 しばらく考えていたタケノヒコは、それを聞くと、気持ちを切り替えた。

「よし。それならば、その時考えよう。どうにもならないものに考えばかり巡らせても前には進めない。もし邪悪なものなら、私が相討ちしてもその影響を少なくする」

 トヨの表情が曇った。

「要は、やるか、やらないかだろう。その覚悟が大切だ。だから皆が不安にならないように、その事は誰にも話さないでくれ」

 トヨは眉間にしわをよせ、下唇をかみしめながらタケノヒコを見つめた。

「トヨ殿。私も簡単にはあきらめないし、オオババ様も見守ってくださる。今は余計な心配よりも邪悪な八人を討伐することだけ考えよう」

 トヨは溢れそうになる涙を必死でこらえ、その言葉にうなづいた。


 大きな力の事は二人の胸にしまい込み、とにかく邪悪な八人を倒すことだけ考えて、作戦を皆に伝えた。そのために魔よけの光物や鏡の盾、破邪の祈りを込めた多くの勾玉などを揃えた。



第二十一章 神の軍勢


 明日出発という日の朝。

 見知らぬ若者がタケノヒコを訪ねてきた。

 小声で「ヤチト様の使いの者です」と言う。

 その名前に少なからず衝撃を受けたタケノヒコであったが、そのような表情は見せず「そうか」とだけ言った。思えば、イズツの都奇襲戦から幾月になろうか。あの時燃え盛る都の炎の中で「無辜の民をなぜ殺すのか」と憤っていたヤチトは、その心を今は穏やかにしてくれているのだろうか。風の噂によると、王位後継者であるヤソをはるかに凌ぐ人望があるという。真の友となりえたヤチトを失った喪失感は今も忘れない。しかし感傷にひたる時ではなく、これよりイズツ領へ侵入しようという矢先にこのような使者が来るなど、何かあると考えざるを得ない。

「して、何用か」

「先ずは、これを手土産に持参いたしましたゆえ、おおさめいただきたく」

 若者は少し離れたところで平伏している。

 その前に、布に包んだ大きな長い荷物を差し出していた。

「それでは、私が」

 側で侍っていたシンがそう言って、荷ほどきを始めた。

 幾重にも包まれたその中には、見事な拵えの剣があった。

 シンは、妙に気押されるような感じを受けたため、異常がないか慎重に見定めて、タケノヒコに渡した。

「見事な剣だ」

 ふと、タケノヒコが漏らしてしまうほどの威圧感を、その剣はまとっていた。

 ひととおり眺めると、タケノヒコは鞘から剣を引きぬいた。

「あっ」と、シンが感嘆の声を上げた。

 その剣は、タケノヒコによって天に掲げられ、日の光を受けて輝いていた。

「タケノヒコ様。それこそが、オオババ様の言われた光り輝く鉄剣ではありますまいか」

 シンは、そう言うとあとはただひたすらに涙を流した。なぜ涙を流すのか本人にもわからない。その剣は、まるでタケノヒコの腕にあることを喜ぶかのように、荘厳にして清明な光を放っていた。

 使者の者が平伏したままヤチトの言葉を伝えた。

「我が国秘中の秘をもって鍛えし業物、タケノヒコ殿に進呈する。もののけ退治の件、よしなに」

「何?我らが意図を見抜いておられるのか」

「もちろんでございます。ヤチト様の御存じないことは、この世の中にはございませぬ」

 この若者はヤチト殿に心酔しておるのであろうとタケノヒコは考えた。

 シンが言葉を挟んだ。

「では、我らの行動はお許しになっておられまするか」

「なんの。お許しになるはずはございませぬ。我らは敵同士」

「では、何故このような剣をくれ、よしなになどとおっしゃるのか」

「もはや、トヨノ御子様とタケノヒコ様におすがりするほかないことをヤチト様はご存じです。それほど事態は深刻なのです。周囲のムラにも大きな被害が出始めています。国の為、民の為、旧知の間柄におすがりするようにとのお考えでございます。許すなどとは思いもよらぬこと。ひたすらに、お願い申し上げるのみ」

 ヤチトらしいと、タケノヒコは思った。そして使者に告げた。

「承知。敵同士とはいえ、このような人の世にあるまじき事態なので、我らが力をお貸ししよう。必ずもののけを討ち果たし、貴国の民には安寧を、そして、国の為、民の為を思う我が友の御心を安んじよう」

 鉄の剣は、タケノヒコの腕によって高々と天に掲げられ、いっそう輝きを増した。


「その剣には、鍛冶師の魂が込められています」

 その夜。使者をもてなす宴席で、トヨがそう言った。

「本当に丹精込めて造り上げた業物なのです」

 トヨは、うつむき瞼を閉じた。

 ヤスニヒコが興味深そうに使者に訊いた。

「何者か、その鍛冶師は」

 使者は言いにくそうにしていたが、やがて答えた。

「実は、タケノヒコ様は一度お会いになっておられるはず」

「はて、知り合いはおらぬが」

「いえ、鉄の里をお攻めになったおり、倉へ案内したと申しておりました」

「ああ、あの時の。で、達者か?」

「いえ、その剣をつくりあげた時、精も根も尽き果てまして、眠るように亡くなりました」

 タケノヒコは気の毒に思った。

「しかし、タケノヒコ様。丁寧に丁寧に焼き入れ焼きなましを繰り返しまして、光り輝く剣が生まれた時、不純物のない見事な出来栄えじゃ。百年、いや千年も決して錆びぬ。これであの御大将が、孫娘の仇を討ってくださる。と、それはそれは笑顔であったそうです」

「仇とは?」

「はい。あのジイには孫娘が一人おりましたが、もののけが出ると言うムラの隣ムラへ嫁にいったばかりに、もののけに食い殺されたそうでございます」

「不憫な」

「タケノヒコ様、今や我が国にはそのような話はいくらもあります。不憫と思し召されますなら、なにとぞ首尾よく」

「そうだな」

「不憫と言えば」

 トヨが言った。

「その鍛冶師も不憫でございます。私が天に昇るよう諭しても頑として聞き入れませぬ」

「神の御許へゆかぬのか」

「首尾を見届けるまではと言って聞きませぬ」

 当時、死者は穢れたものと考えられていた。だから普通は忌み嫌う。しかし、トヨやタケノヒコは全くそのようなそぶりも見せない。常世の国か黄泉の国の者の話を、まるでその辺の親しき者のように話すなど、使者の者には別世界の話のように聞こえた。しかしその力が、話で聞いていた御子様のお力なのだと思うと頼もしくもあり、ひいては、敵将タケノヒコの出方によっては刑殺される覚悟で使者を務めた甲斐があったというものだ。さすがはヤチト様の見込んだお二人であると使者の若者は思った。


 翌日。

 タケノヒコらは、出発を延期した。

 トヨが、その剣に祈りを込め、神の力を宿すのだと言い出したからである。

「そんなことができるのか」と、さすがのタケノヒコも驚いた。

「できます。その剣ならば」トヨは、真剣な面持ちでそう言った。

 トヨはナノ国の祈祷所を借りて、タクマノ姫とカエデを伴い三日三晩祈り続けた。


 四日目の、日の出の頃。

 祈りを終えて祈祷所を出てきたトヨは、ひどく疲れた様子で、危うく倒れそうになったところをタケノヒコに抱きとめられた。

「だいじょうぶか」と心配するタケノヒコに笑顔を見せて言った。

「これで、勝てます」

 トヨの言葉は、これから未知の戦いへ臨む一行を大いに勇気づけた。

 そのまま意識が遠のいたトヨは、さらに三日も眠り続けた。

 その間、皆は停滞しがちだった心を奮い立たせ、めいめいが自分に合った装備を選びなおして鍛錬に励んだ。また、武芸だけでなく、魔を寄せつけず体の活力を生む呼吸法や、もののけが嫌がる呪文など、タクマノ姫やカエデが伝えたオオババ様の教えを、皆ひととおり体得した。


「ワシらは神の軍勢じゃ。必ず勝てる!」とムネが吼え、誰もが必ず勝てると思い始めた。


 さて、トヨが目を覚まし、その体調が回復する頃、改めて出発の日取りを決めた一行は、ナノ国王に別れの挨拶へ出向いた。首尾よくもののけを退治すれば、一行はそのままオオヤマトへ向かい、新しき世の建設に従事することになっているため、もうここへは戻ってこない。


 思えば、何気なくオノホコについてきただけのようなナノ国訪問であったが、随分と色々なことがあり、多くの経験を重ねることでタケノヒコの精神は育まれていった。トヨのように民の心の柱になりたいと思って行動し、それはもう十分に達成されたという自負もあり、現に多くの者がタケノヒコを頼りにしている。そしてなにより肝心なことは、時代の大きなうねりの中心にタケノヒコがいることだ。本人は自覚していないが、この国が統一国家となる歴史の針をおし進めた。


 出発の日。

 タケノヒコ一行は見送りに集まったナノ国の民から、感謝の歓声を受けつつ軍を進めた。


強き黄金色の国編 チクシ大戦物語 了。


以降、「麗しのヤマト編」、「我が名は日御子編」へと続く。

完読御礼!

今回で「強き黄金色の国編」は終了です。

次回から「麗しのヤマト編 前編」が始まります。それはようやく「なろう」らしいSF要素、忍者同士の戦いなど読みどころ満載です。

前編は「もののけ討伐記」「衷心記」からなり、一気に連載したいと思います。


ちょっとだけネタバレしますと、もののけの正体は重力を素粒子単位まで正確に制御できる異次元の存在という設定です。現代人でも勝てませんね。しかし「高波動の者」と、もののけに呼ばれるトヨ、タケノヒコ、ヤスニヒコが大活躍です。


ご期待ください!


ではまたお会いできることを楽しみにしています。


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