第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 9話
ムサシの家は木造の小さな家であった。引き戸を引いてムサシは中に入っていく。
「ほらよ。上がってくれ」
コブラは少し慣れた様子でムサシの家にずかずかと入っていく。つい先ほど出会ったばかりでまだ警戒心が解けていないアステリオスは少々戸惑いながらゆっくりと入り、キヨはロロンの肩を抱きながら部屋に入ってゆく。
「とにかく、この布団にロロンちゃんを寝かせて」
ムサシに言われるがままにキヨはロロンを寝かしつける。
「すみませんね、キヨさん」
「大丈夫ですよ。ゆっくり身体を休ませてください」
キヨはロロンの髪をそっと撫でおろす。
アステリオスは部屋の隅で作業を再開させているが、チラチラとロロンの様子を見ている。
コブラはムサシの家を物色する。ムサシは苦笑いでその様子を見つめている。
「普通そういうのは家主がいない時にするんじゃないのかい? コブラくん」
「あぁ。悪い。あんた影薄いんだよ」
「えぇー、俺が悪いのかい」
ムサシは別の部屋から魚を五匹ほど持って来て、部屋の中央に胡坐を掻いて座る。
コブラもそのムサシの行動に興味を持ち、彼の隣に移動した。
「そゆえばこの中央の砂はなんだ?」
「あぁ、これは――」
「それ、調理場だよね」
ムサシとコブラの会話に作業に目を向けたままアステリオスが乱入してくる。
「おっ、そっちのちっこい坊主は詳しいな」
「部屋に入って見た瞬間にわかったよ」
ムサシはニヤニヤしながら持ってきた魚五匹を竹串に突き刺し、その砂場に突き刺して立てた。
「後は火を起こしてっと」
「なるほど、焼き魚を作るんだな」
コブラはニヤリと笑みを浮かべた。ムサシは種火をゆっくりと燃やす。
「俺たち良い物持っているぜ」
コブラは懐からあるものを取り出す。アステリオスは振り返って、コブラを静止しようとしているが、コブラの見せつけたいという無邪気な顔になっていて、彼を止めることは出来なかった。
「なんだい? 坊主。その棒っきれとちっせい箱は」
「見てな」
小さな棒の端には発火性のある素材を付着してある。さらに、もう片方の手にはざらざらとしたものが付着した箱。コブラはその棒っきれをざらざらとした箱に勢いよくこすった。するとその棒っきれに炎が灯る。
「おぉ! こいつはすげえな」
「もう作るの大変だから無暗に使わないでって言っているのに……」
アステリオスはふてくされながら作業に戻っている。と言ってもずっと響いていたハンマーの音が聞こえないので、もはや調整も終わっている頃合いだろう。
棒っきれで出した炎を木炭の中へ放り投げると、ゆっくりと炎を発生させる。ムサシはその炎に向けて魚を突き立てる。
「これで待っていれば焼けるだろう」
「あの、ムサシさん」
「ん? なんだい赤髪の嬢ちゃん」
ロロンが眠りについたのを確認したキヨはムサシの方へ向かって話しかけてくる。
「いえ、なぜ私たちを庇ってくださるのだろうと」
「んー、気まぐれかねぇ」
ムサシは真剣な表情で問い詰めるキヨをはぐらかすようにケラケラと笑う。
「諦めろキヨ。このおっさんはこういうおっさんだ」
自分も出会って数時間も経っていないと言うのに知ったような口で語り、寝転がるコブラにキヨは溜息を吐いた。
「……ムサシさん。貴方のためにお話しておきます。私たち4人は、王に追われる立場にあります。このままでは、貴方を危険に巻き込みます」
「そうかいそうかい」
ムサシはキヨの言葉を聞きながらも飄々としながら焼き魚の焼き加減を見ている。
その様子にキヨは釈然としない様子で戸惑っていた。
「まぁ、罪人であろうがなんだろうが、この家と、俺は、領域外の人間さ。その辺気にしないでいいさ。自分の身は自分で守れる。ここでは魚でも食っときな。赤い髪の嬢ちゃん」
そう言いながらもムサシは魚だけをじっと見つめている。
「じゃあ、嬢ちゃん。俺の方からも聞きたいことがあるんだが」
ようやくムサシはキヨの方を見つめる。その鋭い瞳にキヨは威圧される。
「あんた……父の名はヤクモって言わないかい?」
「っ!?」
キヨはさらに驚く。
「せっかくだ。あのヤクモの娘ともぜひ手合わせしたい」
そういいながらムサシは魚が焼けたのを確認し、突き刺しているのを引っこ抜く。
「ほらよ。食べな。そこで作業している坊主も!」
ありがとうと返事をしてアステリオスは満足した表情で暖炉へやってきた。
「その顏ってことは――」
「えぇ、出来ました」
アステリオスはムサシから魚を受け取ってそれを貪る。コブラも焼き魚を引っこ抜いて頬張る。キヨはまだ状況を飲み込めず、に魚を取りあぐねているとコブラがキヨの分の魚を差し出した。
「ロロンの嬢ちゃん用には、焦げねぇように端に移しとくか」
ムサシはそう言いながら焼き魚一匹を移動させて、自分の分の魚を頬張る。
「あ、あの! ムサシさんはどうして父を知っているのでしょうか」
キヨは自分の魚を一口食べた後、震えた声でムサシに問い詰める。
その目は興味に輝いていた。
「そう慌てんな嬢ちゃん。まぁ、ゆっくり魚食いながら聞いてくれ」
キヨはゆっくりと魚を頬張りながら、ムサシが話し始めるのを待つ。
「嬢ちゃん。その赤い髪ってのは、この黒髪ばかりのレオ帝国でも珍しいが、他の国にもいない非常に珍しいもんだ。俺はこの国を出ちゃいねぇが、他国からは色んな奴がきた。そんなかでも赤い髪だったのは……嬢ちゃんと、その親父ヤクモくらいなもんだ」
ムサシは魚を一気にカッ喰らい、口の中に入った骨をゆっくりと抜いていく。
「ん、さてっと」
ムサシは立ち上がって部屋の端にある謎の棒切れを二本掴む。
長さは刀と同じほどであろうか。木刀と呼ぶには見慣れぬ形をしている。
「これは竹刀って言ってだな。まぁ、練習用のあんまり殺傷能力のない刀だ。それでも、思いっきり打てば人を殺せはするが――」
ムサシが持った竹刀で軽くコブラの頭を小突く。コブラは避けようとも思ったが、ムサシから殺気を感じなかったので、素直に頭を小突かれている。
叩かれる痛みはあったが、不思議な軽さがあり、竹刀はゆっくりと跳ねる。
「なるほど、確かに練習用だ」
コブラはニヤリを笑った。ムサシはさらに一本の竹刀を取り出してキヨに渡す。
「あ、あの私剣術は――」
「それでもいいさ。立ち回りとか、目とかでわかる。この家の奥は道場になってんだ。その魚食い終わったら来てくれ」
そう言いながらムサシは部屋の奥へと向かっていく。キヨは魚を食べ終えたけれど、この後、どうすれば良いのかわからずコブラと竹刀を交互に見つめる。
「行ってこいよ。どうせロロンが目覚めるまではここにいなきゃいけねぇんだ」
「コブラは見ないの?」
「そうだなぁ。面白そうだし、見てみるか」
コブラに言われてキヨはやる気になったのか、竹刀を掴み、道場へ向かう。その背中をコブラも追う。
アステリオスはいつの間にか部屋には眠ってるロロンと自分しかいないことに気付く。
完全に勢いに乗り遅れてしまった。自分も今から試合を見に行こうかとも考えたが、考えるほど興味はなかった。
そんなことよりもこの竹林に興味があった。
「この家の場所はわかったし、書置きでもしておけば大丈夫だろう」
そういってアステリオスは紙を鞄から取り出して【散歩に行ってきます】と書き残して外へ出た。腰には先ほどまで作っていたものを携えている。
外へ出ると、アステリオスは不思議と笑みがこぼれる。先ほど加工している時から、この竹と言うものに興味があった。それだけではない。この山は明らかにタウラス民国のものと生態系からして異なる。どのような生物。植物。木の実がなっているのだろうとワクワクしている。先ほど食べた魚もそうだ。タウラスや他の国では味わえない魚であった。
彼は意気揚々と歩き始める。
見たことのない虫や植物にアステリオスは興奮した。しっかりと目印をつけ、帰り路を確認しながら、彼は川を見つけ、そこでさらに魚を調べた。
「はぁ! 楽しい!」
アステリオスは思わず声を漏らす。
見たことのない景色が広がっている。キャンス王国のような人工的な景色も良いが、こうした自然の景色はタウラスの頃、一人で鉱石や食材を探していた頃を思い出して舞い上がっていた。
「あっ! なんだあれ!」
アステリオスは竹の根元に不思議なものが生えているのを見つける。
「これ、実? この竹って植物のものかな?」
さらに辺りを観察すると、この実が堀り出されているような形跡があるのを見つける。
「誰かが収穫している? ということは、食べ物かもしれない!」
アステリオスは無邪気に竹の根元にある実を掘り出して、土を払えるだけ払って鞄に詰める。掘り出してみると、意外と大きい。
「ん? あっちに道がある」
アステリオスは少し離れたところに整備された道を見つける。興味を持ち、彼はその道に飛び出す。
「おめえ……。へぇ、こりゃ運がいいな。やっぱり神さまのご利益ってやつかい」
アステリオスを見た男がそう独り言を漏らしている。
アステリオスは彼の方を見つめる。アステリオスは目の前にいる男を見つめて目を丸くする。
「おめえさん一人かい。そんなわけないよなぁ?」
アステリオスは自身を落ち着かせるために呼吸を整える。
目の前には、獅子城で出会った男――シュンスイがしたり顔でこちらを見つめている。
「なぁ。俺とハヤテの動きにいち早く気づいた少年よ。一つ問いたい」
アステリオスはシュンスイをじっと睨みながら、腰に携えたものを掴む。
「一人、長身の女がいただろう。翼を生やしてあんたたちを抱えていった女」
「か、彼女がどうした」
アステリオスは生唾を飲む。
なぜ今シュンスイがロロンについて問い始めるのか理解が出来なかった。
「いやなぁ? 拙僧はレオ帝国の仏さまに仕える僧ってもんなんだがね? この国の神事をすることの他に、修行をして己を高めるってのも仕事でね。そんな生業の拙僧には一つ夢があってね――」
突然語り出したシュンスイに戸惑うアステリオス。そんな彼のことはお構いなしにシュンスイは言葉を続ける。
「それは、幻の存在にして最強の存在、ドラゴンを切り伏せるっていう夢物語なんだが――。あの女……。ドラゴンじゃあねぇよなぁ」
アステリオスは咄嗟に腰に携えたものを両腕に装着した。
そう。それはロロンの鱗と竹筒で作った籠手であった。
「戦闘態勢に入ったってことは――。図星か。おぉ! ならば拙僧の夢は叶うってのかい。こいつは上々。寺に戻って退屈すると思ったが、ちと寄り道をせななるまい」
シュンスイは刀の柄を掴み、居合切りをする。
シュンスイの刀はゆうに2mを超えている。この間合いでもアステリオスを切り伏せることが可能であった。
しかし、アステリオスはそこに刀が来ることをわかっていたかのように、籠手でシュンスイの居合切りを防ぐ。
「ほぉ。拙僧の動きを見切ったか。ドラゴンの御付きもまた強者なり、か。いいねぇ。ちょうどあんたも捕縛対象なんだ。楽しませてくれよ!」
シュンスイはそのまま攻撃を続ける。アステリオスは必死に見切って籠手で攻撃を防ぐ。
アステリオスは必死である。ここでシュンスイにやられてしまえば、ムサシの家は見つかってしまうだろう。そこには眠っているロロンがいる。愛する者がいる。
目の前の男はその女性を傷つけようとしている。それがアステリオスには許せなかった。
「タウラスの男は女を守るものなんだ。貴方に、彼女たちの居場所を教えるわけには行かない!」
アステリオスはそう叫び、じっとシュンスイを睨みつける。その迫力にシュンスイはさあに興奮し、ニタリと笑みを浮かべた。