第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 34話
ヤマトとキヨが城へ向かった時刻であった。傷だらけで足元もおぼつかないシュンスイが八俣寺の前を歩いている。他の僧侶に気づかれたくないのか、辺りをきょろきょろと警戒し、静かな足取りであった。
そこにまるで彼を待っていたかのように一人の女性が凛とした姿で立っていた。
その姿にシュンスイは驚いたように目を丸くする。
「おや、マコトちゃんの立ち姿なんて久しぶりに見るね」
軽い口調で答えるシュンスイに、マコトは朗らかに微笑む。
シュンスイの言う通り、マコトとシュンスイは共にツクヨミ邸、八俣寺に籠って生活をしている同士であり、シュンスイはツクヨミ邸に足を運ぶ際にも、マコトは寝床に伏していることがほとんどであった。
見慣れた顏の女性の見慣れぬ立ち姿にシュンスイは思わずにやけてしまう。
「シュンスイさん。その傷は?」
「兄貴にね。ちょいと兄弟喧嘩に水を差したらこうですわ」
頭をポリポリと掻きながら笑うシュンスイの傷をマコトは真剣な眼差しで見つめる。
「私の補助では頼りないでしょうが、肩を貸しますよ」
マコトはそう言ってシュンスイに駆け寄る。実際に歩きづらかったのも事実なので、シュンスイはマコトの補助を受け入れた。マコトがシュンスイの肩を首にかける。
「んで、マコトちゃん。どうしてここに?」
「本当は貴方に担いでもらおうと思ったのですけれど、少し城下町へ」
「家の者に頼めばよかったじゃないか」
「それはお互いさまでしょう?」
クスリとマコトが笑う。シュンスイは溜息を吐く。
「この傷だからな。弟弟子にみつかりゃ、即寝床行きだ」
「ふふ。私もです」
「それで? 俺を人力車にしてでも城下に行きたかった理由はなんだい?」
「今日、王が変わるでしょう? これでもレオ帝国の巫女なのです。その行く末は見守らなければなりません」
マコトが真剣に答えた言葉にシュンスイはえらく驚いた。
「王が変わるって兄貴が負けるみたいじゃねえか」
「えぇ。ホムラくんは負けますよ。ヤマトくんのあの目を見たもの」
マコトがシュンスイと一緒にゆっくりと石階段を下りながら答える。
答えてはいるが、その目は目的地をまっすぐと見つめている。
マコトの言葉にシュンスイは、自分のところへクサナギを借りにきたヤマトの目を思い出す。あの目を見て、シュンスイはクサナギを貸そうと決めたのだ。
「そういうシュンスイさんはなぜ八俣寺を? お弟子さんに隠れて」
「ヤマトに言っちまったからな。この兄弟喧嘩を見守るって。だから、ちゃんと見に行かねえとって」
「では、目的地は一緒ですね」
「あぁ。そのようだな。ゆっくり歩いて行きましょうか」
シュンスイは思わず表情が緩む。マコトもどうようであった。
「えぇ。寝床から抜け出した同士、肩を貸し合いながら行きましょう」
マコトとシュンスイはゆっくりと獅子城へ向かう。
この国の重役として、星巡りの管理者として、国を巻き込んだ兄弟喧嘩の行く末を確かめに向かった。
優しさ。ホムラには明らかに欠落していた感情であった。父や母がそこまで大事だと言うならと、一度は手にしてみようと試みたこともあった。ホムラは努力を怠らない者であった。しかし、それでも自身が父や母が思うような超越する力を得たとはとてもじゃないが思えなかった。
人のために。なんて言葉はまったくもって意味がわからなかった。
この国を維持するため、そして自分が王として君臨するために、この国民をまとめ上げなければならない。
皆が従順になるように、皆の心を掴む。
皆が従順になるように、最強となる。
自分よりも強いものがいてはならない。
自分に逆らうものがいてはならない。
王は一番の存在である。それを理解出来ぬものは排除するのみ。
父は優しさに溺れ、国民に闘いを挑まれるほどの愚かな王であった。
シュンスイは最強の力を持ちながら、母の優しさなどに現を抜かして出家した。
ヤマトの友は、ヤマトに外の世界を見せるなどと決め、命を落とした。
一平民がこの国から逃げた程度では補填は聞いた。あの少年はヤマトのことなど考えずに、己だけで外に出れば己の夢とやらを叶えることも出来たのだ。
ホムラはふと、己の身体を見つめる。炎が燃え盛っている。
これは幻覚だとホムラはすぐに理解した。己の目的。王の座を死守すること。そのための情熱こそが己の炎としてこの身に纏われているのだ。
優しさなんてものが、己についた炎を消すのだ。
父も、シュンスイも、そうして炎を消して弱くなった。
だと言うのに、ヤマトは炎を燃え上がらせて自身の元へ戻ってきた。
完全に消し去ったと思った炎が穏やかな揺らめきを見せている。
それも幻覚だ。ホムラの想像でしかない。
自分の炎をさらに巻き上げる。そうだ。この炎は消えない。弱くもならない。
誰にも邪魔はさせない。この炎を大きく。さらに大きく燃え上がらせ、誰も辿りつけない領域へと辿りついてみせる。そのために、必要な者は全て得よう。不要な者は全て切り捨てよう。
「貴様ら全員、俺の王としての道に邪魔だ!」
ハバキリから燃え盛る炎を自在に操り、ホムラはヤマト、コブラ、ハヤテに放つ。
三人の先頭にヤマトが経ち、クサナギを構える。
「焔を鎮めよ。クサナギ!」
緩やかな剣筋で炎を斬るヤマトはそのまま突進する。コブラとハヤテはそんなヤマトの後ろをついてホムラとの距離を縮める。
ホムラはそれも計算ずくだったようで操る炎を円形に回転させ、ヤマトたち三人を囲い込む。三人は炎の中に閉じ込められる。
「ヤマト兄さん。その刀借りるでござる!」
ハヤテは慌ててヤマトから刀を奪い取る。奪われたヤマトは困惑するが、ハヤテはその刀をクナイのように持ち変え、大きくジャンプして、素早く自身の刀を回転させる。
ハヤテが舞ったことでクサナギの風が竜巻を起こし、その全てが炎を吸い込み、熱気として分散させる。
「ほぉ、やはりこのように使うのでござるか。流石星術が組み込まれた刀。すごいでござる。ヤマト兄さん。返します」
「お、おう」
ヤマトは奪われてすぐにクサナギを使いこなすハヤテに困惑したまま刀を受け取る。その様子をコブラはケラケラと笑いながら、ちゃっかりとホムラの懐に入っている。
ハヤテもヤマトに刀を返してすぐにホムラの頭上から攻撃を仕掛けようとしている。
ホムラはかろやかに後ろへ飛ぶことでハヤテとコブラの奇襲を難なく躱す。
その後、ヤマトが刀を構えて斬りかかるのをハバキリで受け止める。
「煩わしい!」
ホムラが吠える。その圧に屈さずにヤマトはホムラと刀を交えながらさらに前へと踏み込む。
その隙にコブラとハヤテが左右からホムラに攻撃を仕掛けるが、ホムラのハバキリから放たれる炎がまるでホムラを守る盾のように二人の前に立ちはだかり、コブラとハヤテは距離を取らざるを得なかった。コブラは舌打ちをする。
三人はホムラから距離を離し、三人でまた集まる。
「三人でも難しいか」
コブラは憎らしそうにホムラを睨みつける。
ヤマトはクサナギを握り締めながらゆっくりと深呼吸をし、ハヤテがクナイを両手に掴んで手をクロスして戦闘態勢を保っている。
「コブラ。無策で突っ込むのは無意味だろう」
「そうだな。俺に考えがある」
コブラは問いかけるヤマトに対してニタリと笑みを浮かべる。ハヤテもまたコブラに耳を傾ける。
ホムラはゆっくりと一歩進む。ハバキリからも流れる炎もまたホムラに流れる。
まるで炎が鎧のようにホムラの身に纏わりついている。
「と、言うわけだ。行くぞ」
コブラの言葉と同時に、三人が同時に走る。
ヤマトは鞘に収めていた刀をぐっと掴み、身を低くして抜刀する。
ホムラはそんなヤマトに斬りかかる。ヤマトはホムラではなく、彼の足元の空を切る。
ホムラは自分が斬られると思い行動した結果、ヤマトの動きを防ぐことは出来なかった。
しかし、それはヤマトも同じことであった。上から放たれたホムラはヤマトの肩をめり込み、ヤマトの肩から血が噴き出す。熱いハバキリの刀身がヤマトの傷口を焼く音が響く。
ヤマトは悲鳴をこらえ、歯を食いしばりながらホムラを睨み、ハバキリをぐっと掴む。
ホムラは鬼の形相のヤマトを見て思わず怯んでしまう。その直後であった。自分の足元がぐらっと傾く。ヤマトはすぐにクサナギを握っている刀で自分の肩と自分が掴んでいるハバキリの刀身の間を思いっきり叩きつけてハバキリをへし折る。
ホムラは自らの下を覗き込む。脚には縄が絡みついていた。ハヤテがホムラの後ろから彼とヤマトの股下をその小さな身体で術き込んでいた。ハヤテの頬には傷口から飛び散ったヤマトの血がこびりついていた。
刀を折られ、足を縄で払われたホムラは宙へ身を放り投げ、地面に背中から落下していく。
そんな彼の視界に映ったのは身をかがめていたヤマトの影から現れたコブラの屈託のない笑顔であった。
ホムラがその瞬間に過ぎったのは、己の姿であった。
王になる。王であり続けることのみに炎を燃え上がらせていた己の身体がどんどんと煤こけていく様である。ホムラが過去、恐怖したことが一度だけあったことを思い出す。
それは、父ムサシが建てた巌流城がムサシの王の退任の儀として燃やした日のことである。
燃え広がる炎を見つめながら、その炎のあまりの凄まじさ、そして城と言う大きなものが白くなり、そのまま煤となって消えてゆく。王になることが決まっていたホムラにとって、その光景は自分の最後を見ているかのようであった。
その光景を思い出すと言うことは何を意味するのだろう。自分の身がどんどん見えてゆく。実際にはハバキリも折られ、クサナギで防がれたので炎などない。
それでも己の中の炎は燃え続ける。消すことは出来ない消すものなどいない。
そんなことを考えているうちにコブラの拳がホムラの頬に当たり、そのままコブラが体重を乗せてホムラにのしかかる。
ハヤテは足首を縄で縛る。ヤマトはコブラがのしかかったのを見て安心しきったのか、自身の肩に刺さっているハバキリを引き抜き、そのままぐらっと倒れる。
そしてコブラはそのまま儀式を達成させるためにもう一発。ホムラの頬をぶん殴った。
まだ合計三発しか殴っていないが、ここまでされてホムラは自身の敗北を悟り、呆然としていた。その様子を見たコブラは、儀式達成のために頭に触れる程度の力加減で拳をとんとんとんと何度かホムラを叩いた。
「ハヤテ! この国の人間として確認したよな! たった今。俺はホムラに何度も殴り倒したな!」
コブラの叫びにハヤテは思わずビクついて驚いた後、何度も頷く。
「えぇ! えぇ! 儀式の内容を決めた際に同席した拙者が見ておりますので、コブラ殿は今、ホムラ王を何度も殴り倒しました!」
コブラはそう答えた後、彼も安心しきったように、ホムラから離れてぐったりと寝転んだ。
「私も見ておりましたよ。この国の巫女代理としてこの儀式の達成を承認します」
ミコトの言葉に、介抱していたキヨが嬉しそうに涙を流した。
ミコトはふらつきながら立ち上がる。
「み、ミコトさん。あまり無茶をしない方が――」
「いえ、ここは私がしなければ、巫女代理にして国王補佐の私の仕事ですので」
ふらつくミコトの肩をキヨが支える。ミコトは倒れるコブラやヤマトを横切り、呆然としているホムラ王の元で彼に寄り添うように座り込む。
「ホムラ王。貴方は敗北致しました」
「……そうだな」
ホムラはまだ立つ気力も残っている。今ここで裏切り者のミコトの首を引っ掴んで息を止めることも出来る。だが、その気力がわかなくなった。
形はどうであれ、自分が敗北した。その事実が、今まで必死に敗北から己を守ってきたホムラにとって、まるで燃え尽きたような虚無感に襲われるのだ。
「レオ帝国の王の敗北は王を退任することと同義です。ご理解いただけますね」
ミコトは淡々とした口調で答える。
「あぁ。次の王は国王補佐であるお前だ。ミコト」
ホムラは投げやりにミコトから目線を反らす。
「ホムラ王よ。先ほど、私は貴方を許さないと申しましたが、それは個人的な恨みであり、貴方が良き王であったことは事実です。今まで、ありがとうございました」
ミコトは敬意を払い、倒れるホムラに土下座をする。
「ふん。世辞は良い」
「ホムラ王」
ミコトの隣にハヤテも座り込む。キヨはその間に倒れているコブラとヤマトの介抱に勤しんでいた。
「ハヤテか。貴様の裏切りが私にとって一番の敗因だったのだろうな」
「裏切りなど、いいえ。申し訳ございません。ただ、王が乱心であった故、私はそのような王がネメアの獅子となり、いずれ民にも災いをもたらしてしまうのではないかと、危惧しての行動でした。無礼をお許しください」
ハヤテもまだホムラに土下座をする。ホムラはそんな二人の土下座を見つめた後、ただただ天井を眺めた。
この部屋よりも上の階がある。自分がどれだけ上を目指しても、その上には辿りつかない。
故に、この炎は延々に燃え続ける。ゴールのない道をひたすら。消えることも、消すこともできず燃え続けてきた。それが今日、燃え尽きてしまったのだろうとホムラは悟った。
「さぁ。ミコト。ヤマトをたきつけ、十数年に及ぶ私への反逆は成されたのだ。次の王は貴様だ。貴様はどうする?」
ホムラはゆったりと立ち上がる。張り詰めていた何かがぷつりと切れて脱力した己におかしさを感じて思わず自分自身に失笑する。
ホムラに見つめられたミコトの目は何か決意を持つようにしっかりと光が灯っていた。
「えぇ。私が王となった暁に、決めたかったことが一つあるのです。それを今から成そうかと思います」
決意を持った目をしているが、ミコトはいつも通り無表情であった。
「そ、それはなん、なんだ? ミコト」
倒れているヤマトが痛みに耐えながらミコトに問いかける。
その場にいる皆がミコトに注目する。ミコトはその場全員の目を見るために、ぐるりと全員を見渡す。
「えぇ。では、私は王位を退任します。そして次の王を、国民に決めて頂くこととします」
ミコトの言葉にその場にいた者たちが目を丸くし驚いて、コブラだけがニヤニヤと笑っていた。
皆を驚愕させるようなことを言ったにも関わらず、ミコトはただまっすぐとホムラを見つめ、冷静そうな無表情を保っていた。