第5章 レオ帝国剣客拾遺譚 32話
幼き日から自分は特別だとホムラは理解していた。何をしても完璧にこなし、他を圧倒していた。それは父、ムサシ=ヘラクロスをも凌駕するともっぱらの噂であった。
幼き日からそのことが誇りであり、己が強いと決めてかかっていた。
そんなホムラに弟が生まれる。幼きホムラはそんな彼らに対して特別な情が湧くこともなかった。
シュンスイが生まれた時も、ヤマトが生まれた時も、ハヤテが生まれた時も、ホムラにとってはいずれ自分が手にする国の民が一人増えた。その程度のことであった。
ホムラは優秀であったが、それ故か、感情が乏しかった。なんでもそつなくこなす彼が悔しがるところを家族は見たことがない。
シュンスイが才能を開花させ、強さを見せた時、ホムラは冷静にシュンスイとは闘わぬと言う道を選んだ。剣術だけの男に足元を掬われるはずがないと確信を持ちながらも、シュンスイすらも勝利出来ぬほどの強さを求めて鍛錬をした。
自分が最強である。ホムラにとって必要な事象はそれだけであった。このレオ帝国で帝王として君臨するための必要なもの。それは誰よりも優れ、誰よりも強く、国の者をただしく運用できる者であると考えていた。
どのような民も、自分の国の一部。自分の国を纏めてこその王。そしてその王の素質があるものは自分以外にないとホムラは考えていたのだ。
父は強かった。ヘラクロス帝国の歴史上最強の侍だと言われていたそうだ。
それが一人の女に惚れこんだせいで、レオ帝国最低の王となった。
ホムラはその父の話を聞いてから母のことを好きではなかった。
故に、母が死んだ時、ホムラは何も心に訴えてくるものはなかった。
あぁ、一人の弱者が死んだ。たったそれだけのことであった。
母の葬式の日。父ムサシは悲しみで言葉が出ず、一番下の弟であったハヤテは幼さ故何が起こったか理解せずに呆然としている。
冷めた目で見ているホムラとムサシをシュンスイが何度も声が枯れるほどの叱責している。ホムラにはそんなものまったく耳に入ってこなかった。
ホムラがその時気にしていたのは、その隣でわんわんと泣いているヤマトであった。
ヤマトは、兄弟の中で一番弱い。
それがホムラの見解であった。身体能力だけならば、まだ幼いハヤテの方が優秀さの片鱗を見せていた。知力も体力もホムラシュンスイを圧倒することはなく、本人はゆったりとした心持ちで母の膝の上でへらへらと笑っていた。
もし、自分を陥れるとすれば、それはシュンスイか、まだ強くなる可能性を孕ませているハヤテであろうと、その時ホムラは考えていたが、父ムサシに言われた言葉が、大人になった今でもこびりついている。
「お前はいつかヤマトに負ける」
ホムラはその時には理解できなかった。あの弱いヤマトが自分を脅かすことがあるはずがないと父の言葉を飲み込むことが出来なかった。
しかし、歳を経るにつれ、父の言葉の意味を理解してゆく。
ヤマトは優しいのだ。獅子城の使いの者や、父に挑みに来た国民。城下町の平民の子にも平等に声をかけ、楽しそうに話す。シュンスイやハヤテにも笑顔であった。
その優しさが、ホムラたち兄弟の中で唯一平民の友を持つに至った理由である。
そしてその優しさが最強であったムサシを腐敗させた原因である。
ヤマトの優しさに自分も侵食されると考えたホムラはヤマトを警戒していた。
故に、母の葬式で泣き喚いているヤマトを見た時、ホムラは感じた。
そうか、優しい奴は人が死ぬと泣くのか。
だが、理解したところで涙など出てこない。怒りに喚き散らしているシュンスイの怒声とヤマトの鳴き声がうるさくて煩わしく思うのみであった。
玉座にどっしりと座るホムラ。下から感じ取れる気配に、ヤマトたちがこの獅子城の中を駆け回っていることを理解した。
「ミコトよ。どうやらヤマトたちが侵入してきたようだな」
「そのようですね」
「ヤマト一人ならば、ハヤテ一人で対処できると思うのだが、気配から察するに、ハヤテも含め、下の階にいるのは四人」
ホムラはこの階に上がる階段の辺りをじっと見つめる。
この獅子城は上の階に上がるにつれて部屋の広さが狭くなる。この階は二番目に広い。
ホムラの玉座の後ろには大きな階段が存在する。
ミコトはじっと隣で座っているホムラに目線を向ける。ホムラは言葉を続ける。
「そして近づいてくる足音が二つ。一つはヤマトであろう。しかし、もう一つはなんだ? コブラは我が軍門に下った。ヤマトと共に走ってくることはないだろう。仮にコブラの奴が裏切ってヤマトと共に走っているとしても、ハヤテと闘っている者の正体が掴めぬ。
隠密部隊の報告で、外で店をやっているのはアステリオスと言う少年とロロンと言う私の前に現れたドラゴンであることは把握済み。ならば、この闘いに乗り出すのは、キヨ嬢以外ありえぬが、今朝逃亡した者が、こうもスムーズに合流できるものかね? ミコト?」
ミコトの表情は一切変わらなかった。
ホムラは感心した。彼女こそおそらくこの国で自分の次に強い人間である。それだけは間違いない。だが、だからこそホムラは今のミコトの態度に苛立ちを覚える。
「ミコト。残念だ。君もやはり、優しさなどに蝕まれた弱者であった」
ミコトの首に手が伸びる。ミコトはホムラの動きの速さに抵抗できず、首根っこを強くつかまれる。
「最終確認といこうか」
ホムラは冷たい表情をしながら首を掴んだままミコトを持ち上げた。ミコトは苦しそうに表情を歪ませる。
どたどたと階段を上がる音がする。
「ミコトさん!」
叫び声と共に矢が飛んでくる。
ホムラはミコトを掴むほうとは違う腕で抜刀する。
刀から放たれる炎が放たれた矢を燃やし、無効化する。
「ミコト。やはり貴様は裏切り者であったか」
悲しそうな声を出すホムラの懐にヤマトが瞬時に移動していた。ヤマトは腰を低くして、ホムラを斬ろうと抜刀する。
「初手にしてはいい判断だ。だが、私を殺すのではなく、ミコトを救うのが目的なのが丸わかりの剣筋だ」
余裕そうにホムラは答えながら、ミコトを投げ捨て、ハバキリでヤマトの刀を受け止める。
「ミコトさん!」
投げ飛ばされたミコトの元へキヨが駆けつける。
「ヤマト! この国を腐らせる大化の化身よ! 燃えろ!」
ホムラはハバキリから炎を放ち、ヤマトを燃やそうとする。
あまりの怒声にいつも一緒にいたミコトすらも見たことのないホムラの表情に困惑している。ハバキリは激しく燃え上がり、ヤマトを飲み込もうとする。
ヤマトはそんな怒りをぶつけるホムラの表情を静かに見つめる。
ゆっくりと深呼吸をする。自分を焼き尽くす炎に包まれても、恐れるな。滾らせるな。ヤマトは自分に言い聞かせる。心を落ち着かせ、じっとホムラを見つめる。
「凪げ、クサナギ」
小さな声で呟く。ヤマトの刀、クサナギから穏やかな風が靡く。その風がハバキリの炎をふわりふわりと揺らめかせ、陽炎のように消えていった。
これにはホムラも驚き目を丸くしている。
「兄上。否、ホムラ王よ。貴方のハバキリの火は私が全て鎮めてみせよう」
ホムラはさらに苛立ちを覚える。
その隙をキヨは見逃さない。すぐさま地面に両手をバネにして、ホムラに向けて飛び蹴りを放つ。ホムラは軽やかにキヨの攻撃を躱して彼女の足を掴み、ヤマトに向けてぶん投げる。
ヤマトは刀を鞘に収めてすぐにキヨを受け止める。ホムラはすぐにヤマトに距離を詰めて、ハバキリを振り下ろす。
刀を納め、両腕でキヨを抱えているヤマトはこの攻撃にどうすることもできず、キヨの背が無防備になる。
ホムラの刀に金属がぶつかる衝突音がする。
「これで完全に言い逃れができなくなったな。ミコト」
ハバキリの攻撃を防いだのは、ミコトがずっと隠し持っていた小刀であった。
「キヨちゃんは傷つけさせない」
ミコトの目は強い意志を持ってホムラを見つめていた。
ホムラはこの目をしたことがない。何かを守ろうと決死の覚悟で立ち向かう者の目。
強さの中に心を宿した目。ホムラはこの目が嫌いであった。
この目を見ていると、王になってすぐの頃に殺したタケルの目を思い出す。
「ヤマト! 早く!」
状況を理解したミコトの声でヤマトはすぐにキヨを降ろして刀の柄を掴む。
ホムラはすぐさま構えを変え、再び斬りかかる。次はミコトの腹部を狙う。ミコトはすぐに後退してその攻撃を躱す。そして入れ替わるようにヤマトが入り込み、ホムラの攻撃を刀で受け止める。ミコトとキヨは後方まで移動する。
「キヨちゃん! 弓で後方支援しましょう」
ミコトの言葉にキヨは頷き、弓を構え、二人でホムラに向けて矢を放つ。
「くどい!」
ホムラは吠え、ヤマトを蹴り飛ばし、ハバキリの炎で矢を燃やす。落下した矢から床に引火するが、ハバキリはその炎を吸収した。
ヤマトは悔しそうに歯を食いしばる。クサナギでハバキリの炎を無効化できたとしても、単純な力の差でホムラに抑え込まれてしまう。
「ヤマト。お前は殺す。あのタケルと同じように殺す。俺を王の座から退ける可能性のあるものは全て排除する」
ホムラのハバキリから放たれる炎が広がる。ヤマトはクサナギでその炎を飲み込もうとしたが、なぜか刀を抜いてもクサナギは反応しない。ヤマトは戸惑った。
否、戸惑ってしまった。故に、クサナギは力を発揮しない。
「ヤマト。兄弟の中で一番怖がりだったお前は、この炎が恐ろしいのだ。クサナギは強い精神力の者のみが扱える代物だ。強がりでは使えぬ」
ホムラに勝てないと一瞬でも考えてしまった自分の戸惑いに、クサナギが反応してしまったのだ。必死に呼吸を整えようとするが、燃え広がる炎のせいで呼吸が痛い。
目の前に広がる炎に見入ってしまい、呼吸が止まる。クサナギから炎が出ない。
「人は皆炎を恐れる。ヤマト、やはりお前は王の器ではない」
ミコトがすぐに矢をホムラに放つ。ヤマトの方に意識が言っている今ならと考えたが、ホムラの周りに燃え広がる炎がまるでホムラを守るかのように壁を作り、矢を防ぐ
その直後だった。ミコトの隣からキヨが地面を蹴って駆けた。
「ヤマト! 落ち着いて!」
ホムラはヤマトに向けて炎を放つ。ヤマトは呼吸が荒いまま、クサナギも反応しない。
ホムラの炎からヤマトを守るようにキヨがヤマトにとびかかった。
ヤマトは突然のことに驚きながら、地面に背中を叩きつけられる。
「はい! 深呼吸!」
自分の身体に馬乗りになっているキヨに怒鳴られ、慌てて深呼吸をする。
不思議と心が安らいでいく。クサナギを握っている手の力をぐっと強める。
「落ち着いたところ悪いが、終わりだ」
ホムラはキヨとヤマトを見下ろすように立っていた。刀をぐっと持ち上げてキヨを斬りかかろうとしている。
ミコトが咄嗟に間に入り、攻撃を受け止める。
「ミコト。いい加減にしろ」
「いいえ。もう二度と、私の友だちを貴方に殺させはしません」
「なら、お前を殺す」
ホムラはすぐに構えを変え、淡々と、ミコトの肩から上半身を刀で斬りついた。
あまりに一瞬の出来事にミコトもキヨも対応できずにいた。
痛みが走る。傷口をさらにハバキリの炎が焼く
ミコトは悲鳴を上げ、彼女の身体が燃え盛る。
「ミコトさん!」
キヨが今にも泣きだしそうな悲鳴を上げる。
ヤマトは寝転がっている状態のままクサナギから風を起こし、ミコトを焼く炎を全てのみ込む。
「ほぉ、この状況でもお前は冷静さを保つか。ヤマトよ」
ホムラは、クサナギを無効化するために、ヤマトの友であるミコトを殺そうと試みたが、それでもヤマトのクサナギが機能したことに落胆する。
炎を全て吸い込んだとしても、全身が焼けたことでミコトは声をあげることもできず、ぐったりと倒れる。ヤマトはキヨが離れてすぐにホムラに斬りかかる。ホムラも刀で対抗する。
「ヤマト。やはり私の弟だな。友があんなに傷ついたと言うのに、クサナギの風が出るほどにお前の心は動揺していない。友が死ぬかもしれぬのに感情が動かぬ。私と同じになったな」
「違います。兄上。肝が据わったのです。貴方は絶対に倒し、この国の王の座から引きずり下ろします」
ホムラの炎と、ヤマトの風がせめぎ合っている。その中央で、まるで躍るようにホムラとヤマトが剣戟を繰り広げている。
キヨはその闘いに巻き込まれないようにミコトを運ぶ。ヤマトがすぐに炎を無効化したおかげか。火傷は軽傷で済んでいるが、斬られたところから血がにじんでおり、傷口の皮膚は爛れてしまっている。
「はぁ……はぁ……」
ミコトは肩で息をする。キヨは部屋の端にミコトを横たわらせる。
ミコトは朦朧とした意識の中で、視界に映るキヨを何度もまばたきして見つめる。
キヨにホムラからの傷はない。自分はキヨを守れたのだ。
出会ってすぐの自分を理解するために己の身体を傷つけることを躊躇わなかったキヨを守ることが出来たことに、ミコトは満足感を得た。
「よかった。キヨちゃんが火傷していなくて」
ミコトはキヨの頬をそっと撫でる。
「ほ、ホムラ王よ。私はずっと……貴方を許していませんでした。巫女の一族として、お伝えします。貴方は、今日で王の座を失う」
それはミコトが放った最後の抵抗であった。ホムラの耳には、彼女が放った小さな呟きなど届いていない。それでもよかった。この言葉が言うことが出来ずに、ミコトは十数年生きてきたのだから。自分が誰かを守れた。言いたかった言葉を口に出すことが出来た。ミコトはそれで充分だと満足した。
「すみませんキヨ。少し眠ります。大丈夫です命に、別状はないでしょう。こんなところで死ぬなんて、きっとタケルが……怒りますから」
ミコトはキヨを安心させようとニッコリと笑い、そのまま眠りについた。
「キヨ! そのままミコトを見ていてくれ!」
ヤマトは泣きそうになっているキヨに叫ぶ。キヨは無言で頷く。
ホムラは、ここまでして心が折れなかったどころか、クサナギの精度が上がっているヤマトに苛立ちを覚え、頭に血が上っていた。
「ヤマト! 私の元から消えろ!」
どれだけ強くなっても、ちらつく父の言葉とヤマトの存在。
どれだけ強くなっても、民は自分ではなくヤマトを見つめていた。
どれだけ強くなっても、父はヤマトを支持した。
自分がどこまで高みを目指しても、ホムラの心にヤマトの影がちらつく。
その怒りで目いっぱい刀を振るう。
ヤマトはそんなホムラを見つめたまま、なぜか嬉しそうに笑った。
「では兄上。お言葉に甘えて消えさせていただきます」
不敵に笑うヤマトはホムラの横に払った攻撃を刀で受け止めずにしゃがみこんで躱す。
刀を振り切った時、ホムラの視界に映っていたのはヤマトではなく、突然現れたコブラであった。ホムラはヤマトに気を取られすぎて、既に上に上がっていたコブラを察知できなかったのだ。
「おっしゃああああああ!」
コブラが叫び、ホムラにとびかかり、拳を振るう。刀を目いっぱい振りかぶった直後で体勢を立て直すことが出来なかったホムラは、コブラの拳を顔面に思いっきり喰らい、吹っ飛ばされた。
「よし、まずは一発目」
コブラは達成感に満ちた笑みを浮かべながら、左手を右こぶしでパシっと叩いた。




