第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 30話
キヨとハヤテの脚力では、ハヤテの方が一枚上手であった。
ハヤテはキヨの腕をぐっと握りしめる。
「捕まえたでござるよ! キヨ殿」
キヨが必死に腕を振り払おうとするも、ハヤテはそれを許さない。
「離して!」
「それはできぬ。主はここで捕らえさせていただく」
ハヤテは隠密部隊に渡されている手錠を懐から取り出すとそれをキヨの両手首に付けようとする。
しかし、その瞬間こそが、ハヤテの腕を掴む力が緩む瞬間であった。
キヨは勢いよく腕を振り払い、ハヤテの拘束を外す。すぐに駆けて、ハヤテから逃げる。
「くそ! 流石キヨ殿でござるな。待つでござる!」
ここでキヨに逃げられるのは想定内だったのか。さほど驚かずにハヤテはキヨを追う。
キヨは広間の出口を出て、さらに駆ける。二階への階段を駆けてゆく。ハヤテも慌ててそちらへ登る。
一階の大広間では、コブラとヤマトが互いに構えながら睨み合っていた。
「キヨはうまいこと二階へと登ったようだな」
ヤマトはそっと腰に携えていた木刀を抜刀する。コブラは脚を踏みこんで戦闘態勢に入る。
「あとはお前の目を覚まさせて兄上の所へ向かうのみだ」
「ハッ! 俺はお前を一発殴ってからホムラを殴る!」
コブラがヤマトに向けて走りぬける。ヤマトは木刀を構え、コブラの拳を受け止める。
彼が本気で攻撃を仕掛けてきていることをヤマトは木刀から伝わった衝撃で理解する。
「コブラ! 今一度問う! なぜ我々を裏切った」
「裏切ってはいない! だが、ここでお前と闘っとこうと思ってな」
コブラは高く跳躍して、ヤマトの頭上を飛び越えて、ヤマトの背後に移動して、彼の背中を大きく打つ。
「うっ!」
ヤマトは背中から伝わる衝撃に悲鳴を上げる。
「おいおい、この程度で根をあげる奴がホムラと闘おうって言うのか!?」
ヤマトを挑発するように叫ぶコブラにヤマトは舌打ちをした。
コブラは再びヤマトに殴りかかる。ヤマトはすり足で身体を反らし、コブラの攻撃をいなし、彼の肩に向けて木刀を振るう。しかし、コブラはそれを両手でしっかりと白羽どりをして、そのまま横にそらす。その勢いに木刀を握っているヤマトの腕も引っ張られるように反らされる。
「なぁ? キヨもアステリオスも、大事なことを忘れてやがる。もちろんそれはお前もだ。ヤマト、俺はそれが許せねえ。お前はホムラと闘う資格はねぇ!」
コブラはそのままヤマトを蹴り飛ばす。蹴り飛ばされて衝撃で木刀を手放してしまう。
コブラは奪い取った木刀をヤマトが拾えないようにバッと広間の奥まで投げ捨てる。
身体を転がしながらすぐさま立ち上がったヤマトはすぐに臨戦態勢に入る。既にコブラがすぐ目の前まで近づいており、拳を放とうとしていた。
ヤマトはその拳を躱し。コブラの腕と彼の脇辺りの袖を掴み、身体を回転させ、コブラの身体を浮かせて、己の背中に乗せて一気に床に叩きつける。
タウラス民国でヤマトが会得したキドウの一つである。
しかし、不思議とコブラは叩きつけられたと言うのに平然としていた。
「何度もその技は見てんだよ。受け身の取り方も把握済みだ!」
コブラはしなやかに身体を浮かせて自らの腕を掴んでいるヤマトの腕にしがみつき、締め上げる。
「クソッ! 離せ! 私は兄上と決着をつけねばならぬのだ!」
「それはどうしてだ? 復讐か!」
「そうではない! 星巡りのために――」
「そこが間違ってるって言ってんだよ!」
コブラはヤマトを転倒させるためにヤマトの背後に一気に重心をかけて彼を転倒させる。
片腕にコブラがしがみついているせいで受け身も取れずに背中を大きく強打する。
先の闘いの傷が開いたんじゃないかと言うほどの痛みがヤマトに走り、歯を食いしばす。
「いいか。お前は星巡りに参加する資格がねぇんだよ。ヤマト」
冷たい目でコブラが倒れているヤマトを見下す。コブラはヤマトの胸部を思いっきり踏み抜く。
「がぁっ!」
あまりの衝撃に呼吸が止まり、胃から何かがこみ上げるような痛みが迫る。
「おらおら! 早く立たないと二発目行くぞ!」
挑発するように叫ぶコブラの踏み込みを躱すように必死に身体を転がす。
コブラはそれを追い、追いかけるヤマトを思いっきり蹴りこむ。
コブラのつま先がヤマトの腹部に刺さり、ヤマトは苦しそうに腹を抱えて口から嗚咽が止まらなくなる。
「この俺に弄ばれてしまうほどお前はボロボロだ。星巡りに参加する資格もねぇお前がホムラに挑む必要はない。兄貴の復讐をする必要もない。大体お前は部外者なんだよ。帰ってゆっくり父親と稽古とやらでもやってろ。それとも、親友のタケルくんのところに行くか?」
コブラは嘲笑うようにうずくまっているヤマトに言葉を浴びせる。
その言葉にヤマトは怒りがこみ上げてくる。
「コブラ! 貴様ぁ!」
うずくまるほどの痛みは怒りで吹き飛んだ。コブラにとびかかり、彼の上に馬乗りになり、コブラの頬を殴りぬける。彼の口から血がわずかに飛ぶ。
「ハヤテから聞いた。お前には友だちがいたって。タケルだったか? そいつの復讐のためにわざわざこの国にやってきて、お前は兄貴に挑んで負けて囚われの身。俺たちに助けられて、さも当たり前のように兄貴へのリベンジをしようとしている」
コブラはヤマトに何度殴られても言葉をやめない。
ヤマトが死に物狂いで殴りかかる拳を、ついにコブラは自らの手で掴み防いだ。
「一回俺たちから離れたくせに、何また仲間面してんだてめぇ」
コブラの気迫のある目にヤマトは一瞬たじろいた。その瞬間をコブラは見逃さない。自らの拳で自分に乗っかっているヤマトの鳩尾を殴り、その痛みで隙が出来たヤマトを腹部で持ち上げて、ヤマトの馬乗りから脱出する。
「こ、コブラ。お前……」
互いの口から血がにじんでいる。
「ヤマト。この国にお前がケジメをつけねぇといけねえものがたくさんあるのはわかっている。だがな。俺たちに対して付けなきゃいけねえケジメがあるだろう。お前の顏も知らないで、お前を助けることに全力を出したロロンを何アステリオスやてめえの親父に守らせてんだ。アステリオスもボロボロだった。キヨもだ。お前を助けるために。どいつもこいつもボロボロになってんのに、何てめえは目の前の敵しか見てねぇ」
コブラの言葉にヤマトは何も言い返すことは出来なかった。
確かにそうだ。この闘いは己と兄の決着だと思っていた。だから、アステリオスたちに助けられてすぐに己がすることは兄を倒すために進むことだと考えていた。
キヨがミコトに連れ去られたのを助けに行ったのもきっかけなだけだ。
本心はミコトとの決着をつけたかっただけ。きっとキヨがいなくてもヤマトは一人でミコトの屋敷まで向かっただろう。
八俣寺についてもそうだ。心配するキヨたちを他所にヤマトは単身で乗り込んだ。シュンスイが許さなければ自分はきっとそこで命を落としていた。
「大体お前は、ジェミ共和国でこの星巡りから降りたんだ。この闘いの部外者なんだよ。だから、お前はここでゆっくり過ごせ。親父と、ミコトと。兄貴は俺がぶん殴って王の座から引きずり降ろしておいてやる」
コブラの言葉からヤマトは、厳しい言葉の中に、彼なりの優しさが含まれていることに気付く。
元々星巡りの関係者じゃなくなっているお前はこの故郷で家族と共に過ごせ。と言いたいのだと感じ、ヤマトは下唇をぐっとかみしめる。
コブラもヤマトも、互いにボロボロになっていた。最初は無傷だったコブラが顏が腫れて、口から血が流れている様に、自分はここまで彼を殴りまくったのかと思わず失笑してしまいそうになる。
同時に、コブラが己の敵になった理由の全てがわかり、穏やかな気持ちになる。
独りよがりにコブラたちの元を離れ、そして助けられてからも、全て自分の問題だと独りよがりに動いていた。
そうだ。小さい頃からスタージュン卿に言われていたではないかとヤマトは思い出す。
真面目だが、いつも一人で解決しようとするヤマトにスタージュン卿は優しく叱ってくれていた。
やり方は違うが、コブラも同じように自分に言いたかったのだと思うと思わず目尻から涙が流れそうになる。
それと同時に、オフィックス王国にいるスタージュン夫妻に会いたくなる。
ヤマトはゆっくりと深呼吸をする。この城に入ってきた時のような血気迫る表情から穏やかな表情に変わったことで、コブラは、ヤマトに真意が伝わったと理解し、彼の言葉を待つ。
ヤマトはじっとコブラを見つめた後、膝を曲げ、彼に頭を垂れる。
「星巡りの使者、コブラ殿。オフィックス名家スタージュン卿の子息であり、オフィックスの騎士団。そして……レオ帝国国王ホムラ=ヘラクロスの弟、ヤマト=スタージュン。一度は貴方の同行の任を放棄した不届きものでありますが、今一度、共に旅をして、オフィックスへの帰還に同行しても、よろしいでしょうか」
ヤマトはそこからコブラの返事を聞くまで、じっと頭を垂れ続ける。
「あぁ。よろしい。そのボロボロの姿を見て満足したし、これで、お前は改めて――」
コブラは手を差し伸べる。ヤマトは顔を上げ、その手を取る。
「仲間! だ!」
その瞬間。コブラが悪戯小僧のような笑みを浮かべ、ヤマトの股間めがけて蹴りを放つ。
蹴りが股間に直撃したヤマトはあまりの痛みに目を見開き、その場に倒れこんでもがき苦しむ。
その様子にコブラはゲラゲラと部屋が揺れるのではないかと言うほど大きな声で笑い転げていた。
「コブラ! 貴様ぁ!」
「これでチャラだチャラ!」
「んなわけあるか!」
ヤマトは痛みで転げまわっているうちに拾った木刀でコブラの股間に思いっきり振り上げる。
股間に木刀が直撃したコブラは目を見開き痛みで転げまわる。
二人の男が股間を抑えながらもがき苦しんでいる様子は、先ほどまで殴り合っていた者同士であると思うとあまりにも滑稽であった。
「ぷふっ!」
痛みが和らぐに連れて、懐かしいバカらしさに二人して噴き出してしまい、ヘラヘラと笑ってしまう。
しばらく笑い続けると、コブラは穏やかに大きく深呼吸をした。
「お帰り。ヤマト」
「あぁ、ただいま。コブラ」
二人はゆっくり立ち上がる。
「しゃあねえ。ヤマト。俺がホムラの奴を殴りまくれるようにしっかりサポートしろよ」
「あぁ。わかっている。兄上の攻撃は全て私がいなして見せる。皆をほったらかしてでも手に入れたかった秘策もあるのでな」
「はっ、帰ったらしっかりロロンにも謝れ、そしてお前もキャンスの試練受けやがれ」
「あぁ。そうさせてもらおう」
「さて、じゃ。行きますか」
「あぁ」
そして二人は、傷つけあった頬から出た血を同時にふき取り、獅子城の二階へと上がっていった。