第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 26話
傘を差してシュンスイの後ろをヤマトは歩く。シュンスイの腰にはあの伝説の刀クサナギを携えられている。
ヤマトはその刀をじっと見つめてしまう。これが自分の手に渡ると考えると思わず身震いする。
「あまりじろじろ見るな。欲しがりさんめ」
「あっ、兄上。申し訳ございません」
「まぁ、仕方ねぇさ。本来なら、僧の中でも認められた奴しか使えねえ貴重な代物だ。興味をそそられちまうのも無理はない」
「そうですね。自分が読んでいた伝説に出てくる刀の実物を見ているのですから、童心に帰ってしまうのです。それを自分が一時的とはいえ所有できるとなると、興奮してしまいます」
「童心と来たか。その様子なら大丈夫だろうが、気をつけな。クサナギは草のように、穏やかで凪のように静かな心の物しか扱えない。刃に刻まれた星術に呼応しないと、そこらの鈍よりも弱い刀になっちまう」
シュンスイは少し悲しそうな顔で腰に携えたクサナギをそっと撫でる。
「肝に銘じておきます」
「あぁ。野心とかそういったものがある奴には扱えない。この国とは無関係でネメアを退治することしか考えずに闘ったヘラクロスだから使えた代物だ。兄貴を相手にそんな凪のような心で立ち向かうことが出来るか?」
シュンスイはヤマトをじっと睨みつける。ヤマトはそんなシュンスイの目を見て生唾を飲む。
「もうすぐ着くぞ」
シュンスイの言葉で前を見ていると、立派な門がそびえ立っている。
「ここが墓場ですか」
「あぁ。長い山道登ってこないといけないから、親族も命日くらいしか来ない。静かでいい場所だよ」
墓場の説明をしながらシュンスイは門の中へ入ってゆく。ヤマトもそれについてゆく。
「そういう意味じゃあ毎日通うことが出来るのは、僧の特権だよな」
ヘラっと笑うシュンスイにヤマトはどう答えていいかわからず苦笑いをする。
寺から墓場までもそれなりに距離があった。毎日通うと言うなら、その歩みも十分に鍛錬と呼べるほどの距離だ。シュンスイは本当に毎日来ているのだろうかとヤマトは心の中で疑問を抱きながら、シュンスイの背中を見つめる。
「さ、入るか」
「えぇ」
シュンスイが門を潜り墓場で入る。ヤマトもそれに続く。
墓石が均一に並んでいる。その全てが誰かの一族の墓なのだろうと思うと、神聖な場所であると改めて認識し、ヤマトは緊張で背筋がぐっと伸びる。
景色の先に、一際大きな墓石がある。シュンスイがそこへ向かって歩いているのは明白であった。ヤマトはその大きな墓石をじっと見つめながら歩く。
「さて、さっきぶりですね。母上」
シュンスイはその大きな墓石を母上と呼び、膝をついた。雨で地面が濡れていることなど気にせず、彼の装束に泥が付く。ヤマトも同じく膝をつく。
「久しぶりでしょう。母上。ヤマトです」
シュンスイは慈悲深い目で墓石を見つめている。ヤマトは墓石に頭を下げる。
二人を雨が濡らす。
「お久しぶりです。母上。ヤマト、しばらく旅に出ておりましたが、この度我が故郷レオ帝国に寄ることになりまして、兄の計らいでご挨拶に伺いました」
もちろん墓石からの返事はない。
シュンスイは言葉を続ける。
「母上。このうつけのヤマトは故郷に戻ったというのに、王である兄上に挑もうと言うのです。国と儀式を巻き込んだしようもない兄弟喧嘩です。父がヤクモさまと闘ったあの儀式です」
「えぇ。このヤマト、オフィックスの使者として星巡りの儀式として、そして兄から逃げた己への贖罪として、ホムラと闘います。母上は、どう思うでしょうか」
「母上ならば、笑ってみてくださるだろう」
シュンスイはそう答えた後、墓石の前にクサナギをそっと置く。
「我が王ホムラは、この儀式にハバキリを用いました。用心に用心を重ねる兄らしいと母上は笑うでしょう。ですので、このシュンスイ、弟の心意気に負け、このクサナギを貸し出そうと考えております。星術が組み込まれた我が国の国宝二本の激突です。何が起こるかわかりません。ですので、ヤマトには母上と、そして先代にしっかりと顔を見せておけと、今日は連れてきました」
隣で真剣な眼差しで墓石に語るシュンスイの横顔をヤマトは見つめる。
シュンスイは、兄は、幼い頃から飄々としていて、ヤマトやハヤテと言った弟にも優しく、兄ホムラと衝突することもなく、へらへらと笑っている。
兄が怒りという感情を見せたのは母が亡くなった日だけであった。
彼が真剣な目をヤマトはしっかりと見たことがなかった。
不思議な感覚であった。自分の知る気さくであった兄に、王として立ち振る舞う父の面影や、オフィックスに残したスタージュン卿の面影を見た。
「私は兄弟として、そしてこの国の僧として、二人の闘いを見届けるつもりです。母上も、空から二人を見守ってください」
シュンスイはその言葉の後、手を合わせて目を閉じてゆっくりと黙祷する。
ヤマトもそれに習い、黙祷をする。
黙祷をする二人を雨の音だけが包む。
ヤマトは思い出していた。自身の母、ソラノのこと、そして幼かった頃の兄たちやハヤテ、父について、とても幸せな時間であった。
次に思い出すのはミコトとタケルとの日々であった。あの頃は全てが冒険のようで、楽しかった。だからこそタケルを失った時にあそこまで絶望したのだ。
オフィックス王国での日々を思い出す。タケルのことを忘れてまで手にいれた日々は迫害の日々であった。決して友に恵まれなかったわけではないが、それでも、やはり周りの冷たい目と、優しくしてくれるスタージュン夫妻への罪の意識が蝕んでいた。
そして最後に浮かんだのは、コブラやキヨと巡った各国の思い出であった。
その日々と、閻魔橋で彼らを見た時に溢れ出た暖かい感情に、黙祷中だと言うのに思わず口角が上がってしまう。
「申し訳ございません。母上。私は今、とても幸せなのです。その幸せを守るために、この兄弟喧嘩をお許しください」
ヤマトは晴れやかな気持ちで顔を上げて、墓石の前に置かれたクサナギをぐっと掴む。
シュンスイは止めない。ヤマトは立ち上がり、クサナギを腰に携える。
「では、母上。また明日良い酒を以ってきますので、拙僧たちはここで失礼致します」
シュンスイも立ち上がり墓石に別れを告げる。
ヤマトとシュンスイは並んで墓場を出ようとする。
「そうだ。ヤマト、もう一つ。お前に教えておきたいことがある」
「なんでしょうか」
「タケルの墓もここにあるぞ? 寄っていかなくていいのか?」
ヤマトは目を丸くした。シュンスイの方からその言葉が出るとは思っていなかったのだ。
ヤマトはじっと考える。幼い頃の無邪気で無鉄砲なタケルを思い出す。
「兄上。確か、この墓と言うのは死者にとって家のようなものでしたか?」
「んー、細かいことを言えば違うんだが、なんつうのかな。死者に言葉や供えものを送るための、部屋? 死者は死後の世界ってところに行くらしいんだが、そこにいても墓に供えたものや言葉は本人に届くとされているんだが……。んー、まぁ。そんな認識でもいいだろう。なんでそんなことを聞く?」
「いえ、そういうことならば顔を見せなくても大丈夫です」
ヤマトの答えが意外だったのか、シュンスイは不思議そうに唇を尖らせる。
「いいのか?」
「えぇ。タケルのことです。きっと死者の世界でも駆けずり回っていて、自分の墓から届く声や供えものなんて見ていないでしょう。再会するのならば、私も死者になるときで良いです」
「あぁー、それミコトちゃんも言っていたな。そういえば」
思い出したようにヘラヘラ笑いながらシュンスイは出口の門へ向かって歩いていく。ヤマトには死後の世界というものがどのような場所かは知らない。恐ろしい場所かもしれないし、穏やかなところかもしれない。それでもタケルならきっと、後ろなんて見ずに駆け回っているだろうと想像して思わず口角が上がる。
「ヤマト。クサナギは落ち着いた心の持ち主にしか扱えない代物だ」
シュンスイはヤマトに背を向けたまま語り始める。
「というと?」
「クサナギは心を研ぎ澄ませたものに自然の力を与える刀だ。少しでも邪念があれば機嫌を損ねちまう。それこそ兄への復讐心なんかのために使えばなんの効力もないそこらの鈍の方がまだ斬れるくらいだ。そのことだけは努々忘れるな」
「はい」
厳かな声で言ったシュンスイの言葉に生唾を飲んで返事をするヤマトは、腰に携えたクサナギをそっと撫でる。幼い頃に憧れた刀が自分の手元にあるという高揚感を抑えることが出来ない。
目を輝かせているヤマトをシュンスイは振り返って見つめると呆れるように笑った。
「まっ、その目を見る感じ、鈍になる心配はなさそうだな。さて、そろそろ門だが、もう日も沈む。もう親父殿の家に戻って、続きは明日にした方がいいぞ」
門を潜ると同時に雨が止む。シュンスイはヤマトが持っていた傘を渡すように促す。
「兄上も一緒にどうですか? 父に会われては」
「断るね。あの人にまだ勝ててない。それに、お前の仲間のあのちっこいのもいるだろう。睨まれるのが目に見えている。誰が好き好んで喧嘩しに行っているんじゃねえのに勝てていない奴が二人もいるところにいるかってんだ。拙僧は帰ってまた鍛錬に鍛錬を積み重ねるよ」
冗談っぽく大袈裟に話すシュンスイを見て、ヤマトは少しだけ寂しい気持ちになった。
ヤマトはもう少しシュンスイとゆっくり話していたかったのだ。
墓石を前にした時のシュンスイの雰囲気。そして闘っていた時に、母の言葉を出した時の彼の動揺。きっとヤマトが知らないシュンスイにとって大きな心の問題があって、彼は八俣寺の門を叩いたのだろうと感じたのだ。
それでもシュンスイはそんな辛さを兄弟たちには見せない。飄々と、なんの痛みもないかのように明るく振る舞う。
そんな兄をヤマトは誇らしく感じた。
「じゃ、まぁ。後は好きにやりな。俺も見守っておいてやる」
「えぇ。それでは兄上。私はこれで、本日はこのような機会を作っていただき、ありがとうございました」
ヤマトは深々と頭を下げる。
シュンスイはヘラヘラと笑ってそんなヤマトの頭をわしわしと撫でる。
「よせよせ弟がそう兄貴に行儀よくすんじゃねぇよ。背中が痒くなっちまう。でもまぁ。そうさな。お前がオフィックスに魂がいっちまうってんなら仕方ねぇ。なら、生きている間に、今の旅が落ち着いた頃でいいから、また墓参りに来てくれや。いい酒持ってな。お前も親父殿も知らないことなんだが、母上は無類の酒好きだったんだぜ?」
「そうだったのですか?」
「あぁ。俺と二人の時にこっそり舐めていた。親父殿も知らない。俺も少し拝借して舐めてたんだ。最初は怒られたけど、段々共犯者になってたな」
ニッシッシと悪戯っぽく話すシュンスイにつられてヤマトも思わず失笑してしまう。
「そういえば、父上は下戸でしたな」
「あぁ。酒飲んだら顔を真っ赤にして記憶も飛ぶくらいの大立ち回り! あれを見せられたら、本人の前で酒なんか飲むこと出来ねえってことさ」
二人してケラケラと笑った。一通り笑いつかれた辺りでシュンスイがヤマトの背中を軽く叩く。多くの闘いで傷だらけのヤマトに痛みが走る。
「っ!」
「ほら、ボロボロなんだから今日はゆっくり休め。じゃあな」
そういってシュンスイはヤマトの元を去っていった。
ヤマトはそんなシュンスイの背中が見えなくなるまで見つめた後、自身もムサシの待つ家へと戻る。
その途中でシュンスイと話した酒に酔った父を思い出してまた笑みがこぼれる。
「ホムラとも儀式が終わった後、このような会話が出来るのだろうか」
ふとこぼれた言葉はきっとヤマトの本音であっただろう。
この儀式を終えた時、ホムラとも笑い合うことが出来るだろうかと、ヤマトは少し不安を抱きながらも、それはきっと可能だと強く意識して、大きく深呼吸をする。
「さて、帰るか!」
ヤマトは意気揚々と歩みを進めてムサシの家へと向かう。
レオ帝国は雲が消えてゆき、夕焼けが勇み歩くヤマトを照らした――。




