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第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 25話

 雨は全ての音をかき消してくれるから、シュンスイは雨の日が好きだった。兄は雨でも関係なく鍛錬と勉学に励んでいた。ヤマトは雨の日はそわそわしている。友人のタケルが遊びに来るかどうかを心配しているのだ。そういうとき、大体タケルはやってきて、雨の中だと言うのにはしゃいで外に出てゆく。

 父は今も玉座で王としての激務をこなしている。と言っても雨の日にまでわざわざ王に喧嘩を売るものもおらず、国策ばかりで少々退屈そうに欠伸をしている。

 シュンスイはと言うと、隣の母、ソラノと一緒に城の縁側で雨が降る城下町を見つめた。

「シュンスイ。貴方はヤマトのように外に遊ばなくて良いのですか?」

「いいのです。母上。ここは静かで心地が良い」

 城の中にある。母が眠る部屋。ハヤテを生んでから身体を悪くした母は、眠るハヤテを世話役に任せて身体を休めることが増えた。

 雨は街の音を消して、この部屋には母と自分だけ。だから母のキレイな声だけが聞こえる。

「さぁ、母上、寝床に戻りましょう」

「もう、心配しすぎよ。シュンスイ」

「用心に越したことはないのです」

 シュンスイの言葉に思わず微笑み、彼に連れられるようにソラノは寝床に入る。シュンスイは母の枕元に正座して彼女の顔をじっと見つめる。

「シュンスイ。貴方は本当に家族が好きなのですね」

 自分を心配そうに見つめるシュンスイに思わずクスリと笑ってしまうソラノにシュンスイは恥ずかしそうに唇を尖らせて顔を反らす。

「ヤマトやハヤテの面倒も見てくれますし、父の心配も、兄に協力もして、本当に家族思いの良い子です。あまりこういうことを母が言うのもあれなのでしょうけれど」

 ソラノはシュンスイの手に自らの手を伸ばし、彼の手の甲をそっと撫でた。

「兄弟の中で貴方が一番好きよ。シュンスイ」

「ありがたき言葉です。母上」

「けれどね、シュンスイ」

 まだ優しい声のまま、ソラノは撫でていたシュンスイの手をぐっと掴んだ。

「貴方は途方もない上、空を目指しているようです。きっと父の目指した剣技の先を見ているのでしょう。貴方は本当に剣術が好きですから。けれど、空ばかり見つめていると、躓いて転んでしまいます。時折、自分の足元、自分が歩く先に何があるか、しっかり見つめなさい。まぁ、ホムラは足元を見すぎだし、ヤマトは前しか見ていませんが、本当、貴方たち三人は兄弟のくせに似ないのですから、ハヤテだけはしっかりしてくれると良いのですが」

 冗談めいた笑みを浮かべる母にシュンスイは恥ずかしく頬を赤くした。

 空よりもはるか上、掴めない何かを見つめていると母は言った。シュンスイにとって、その言葉はとても難しかった。漠然と強くなりたいと抱いているが、何を目指せば良いのかはわからない。ホムラは王になるのだそうだ。ヤマトは何も聞かせてくれないが、きっと何か大きな夢があるのだろう。ヘラクロスの冒険を目を輝かせて何度も読み直している。

 母が言う足元とはそういうことなのだろうとシュンスイは理解する。

 ソラノはそこから何も話さず、目を閉じ、寝息を立てる。その小さな音を聞きながら、シュンスイは外を見つめる。まだ雨が降っている。雨の音が外部の音を全てかき消し、自分と母だけの空間を作り出しているようで、何とも心地が良かった。

「母上。私は貴方をいつまでもお守りしますよ」

 ソラノが眠りについていることを理解した上で、シュンスイはそっと呟いた。




 シュンスイは足元の水たまりを見つめる。水たまりには、空が映っている。雨が降っているせいで雲に覆われた空が映っているので、水たまりは黒かった。

 大人になったシュンスイは雨が嫌いであった。

 雲が邪魔をして空を見ることが出来ないからだ。

 それに、せっかく苦労して手にいれた母に捧げる酒も流してしまう。

 雨の水が全てを奪ってしまう。

 母が死んだ日も、レオ帝国は大雨が降っていた。

「お会いできて光栄です。兄上」

 墓場から八俣寺に到着すると、こちらをじっと見つめている弟、ヤマトが立っていた。

「よぉ、ヤマト。どうした。入門か?」

「いえ。そうではございません」

 ヤマトとシュンスイの周りを八俣寺の僧たちが囲んでいる。死刑から逃亡したヤマトがいるのだ。僧たちも警戒体勢で彼を取り囲むのは当然であろう。

「おい、王に報告したものはいるか?」

 シュンスイは僧の一人に問いかける。

「はい。一人、王の城まで駆けていきました」

「そうか。止めときたかったが、まあ良いだろう。お前ら、悪いが下がってくれ」

 シュンスイの言葉を聞いて僧達は戸惑った。

「で、ですが……」

「拙僧が全て責任を取る。下がれ」

 シュンスイに強く言われると、僧達も下がらざるを得ない。全員寺の方へ去っていく。

 寺の前にはヤマトとシュンスイの二人だけになる。

「さて、王の元にお前の居場所がバレるのも時間の問題だ。さっさと要件を言いな」

「……この寺にある国宝、クサナギをお借りしたい」

「てめえ……どういうつもりだ」

 飄々と態度を保っていたシュンスイの眉が歪む。ヤマトはそんな彼の圧に思わず肩を震わせる。覚悟を決めたつもりでいたが、やはりこの国最強の男が目の前に立っている事実は恐怖せざるを得なかった。

「兄に立ち向かうには、兄のハバキリに対抗するために必要なのです」

「それをおいそれと渡すと思うのかい?」

「そうでしょうね」

 その瞬間であった。シュンスイは腰に携えた刀を引き抜き、気づけば既にヤマトの懐に入り込んでいた。

 ヤマトは慌てて刀を引き抜きながら、シュンスイから距離を取るために後退する。

 ギリギリ、シュンスイの刀を、ヤマトの刀は受け止める。

「ほぉ、これに対応できるか。この国を出てからも鍛錬は続けたみたいだな」

 シュンスイは褒めたがヤマトはほとんど偶然のようなもので対応出来たとは言えず、額から冷や汗が出る。

 ヤマトは刀をシュンスイに向け、構える。

「構えも悪くない。こちらから攻めるには難しい構えだ」

「兄上。私は、ホムラ王を殴り飛ばさねばなりません。しかし、そのためには兄が使ったハバキリを無力化する必要がある。そのためにはクサナギしかありません」

 ヤマトはまっすぐとシュンスイを見つめる。

 シュンスイは母の言葉を思い出す。ヤマトは前しか見ていない。

 昔からの彼を思い出してシュンスイは思わず笑みがこぼれてしまう。

「まぁ、確かに。王様には国宝を貸し出しといて、星巡りの使者には貸し出さないってのも不平等かもしんねぇなぁ。だが――」

 シュンスイが刀を構える。ヤマトは持っている刀を強く握る。

「お前が拙僧に一撃でも当てることが出来れば貸してやろう。こい」

 そう言いながらシュンスイは再びヤマトに攻撃を仕掛ける。流れるような剣技にヤマトは追い付くことができず、腹部をシュンスイの刀が貫く。

「ぐっ!」

「おいおい。隙だらけだぞ。お前の仲間の方がよっぽど厄介だったぜ」

 腹部を抑えながら、しゃがみこんでしまうヤマト。稽古の相手だったムサシや、こちらと話すつもりがあったミコトとはわけが違う。

 僧侶としての役割を全うしようと、こちらを悪と見据えて倒すことに躊躇のないシュンスイはこれまでの相手のようには行かなかった。

 ヤマトは腹部を抑えながら立ち上がり、再び構えに入る。居合切りの構えだ。

「ここに来る前からえらい怪我をしたようだな」

 それでもヤマトは動かない。腹部から流れる血から必死に意識を反らして、目の前のシュンスイだけを見つめる。

「だいたい。クサナギを求めるだけなら、拙僧がいない間に、盗めばよかっただろう。俺にお前が来たことを知らせてくれた奴曰く、お前わざわざ正面から来て、俺を呼びつけたそうじゃないか」

「……兄上と闘わねばならないと思ったのです」

「その結果がこのザマだろう」

 シュンスイはこのヤマトから自分が一太刀を喰らうとは考えられなかった。

 それほどまでにヤマトはボロボロであった。身体中治療の後もある。

 シュンスイとヤマトは二人とも雨に濡れている。

 雨の音が二人の息の音も、何もかも消していく。

「そうですね。この短い時間でしたが、やはり兄上には勝てないと理解致しました」

 ヤマトは諦めたようにそう答えるが、構えは一切揺らがない。勝てないとは言ったが、負けていないと言う意思をシュンスイは感じ取った。

「僧侶として、殺生はご法度だ。お前さんを殺すことは拙僧はしない。それを見越しているのだな」

「その通りでございます」

「こいつは厄介な奴だな」

「兄と話したかったので、こうするしかありませんでした」

 ヤマトはじっとシュンスイを睨む。シュンスイは驚いたように首を傾げた。

「拙僧と話したい? どういうことだい」

「兄上がなぜこの八俣寺の門を叩くことになったのか。ということです。強さを求めるだけではないでしょう」

「……」

 シュンスイは黙り込む。その時、一瞬シュンスイの構えに迷いが生じた気がして、ヤマトは一気にシュンスイに切り込む。しかし、シュンスイはそんなヤマトの剣筋を簡単に対処する。

 ヤマトはここしかチャンスはないと判断し、攻撃の手を緩めない。

「兄上はハヤテのように王を守る立場にもならず、私の代わりに補佐になることもなかった。それはなぜですか? 誰よりも家族を愛していた兄がなぜ、ホムラやハヤテから離れるのですか!?」

「一番に他所に言ったあんたがそれを言うのかい?」

 ニヤリと笑うシュンスイの攻撃に対処しきれず、肩を掠める。それでもヤマトは攻撃の手を緩めない。

「なぁ。ヤマト。もう一度聞かせてくれよ。お前は死んだらどこへ行く?」

「私の還る場所はオフィックス王国です」

「そうだよなぁ! お前は、ここの人間じゃあ無くなっちまったんだよなぁ!」

「ですが、ここもまた私の故郷です!」

 ヤマトは必死に攻撃を繰り返すも、全てシュンスイに流される。

「私は、貴方や兄を超えて、先へ進まねばならない! そのために、私はこの寺に、貴方と、母上に会いに来た!」

「っ!?」

 シュンスイはヤマトの言葉に驚いて思わず刀に強い力が入り、ヤマトの刀を思いっきり弾き飛ばす。ヤマトも刀から伝わる振動で刀を手放してしまう。しかし、シュンスイも予想外に大振りに刀を振ってしまった故に、隙が生まれる。

 ヤマトはその一瞬を見逃さない。地面を蹴ってシュンスイに飛びかかる。シュンスイの腰を掴む。ヤマトの体重が乗ったせいで、足を滑らせ、その場に倒れ込む。

「はぁ……これで良いですか? 兄上。一太刀ではなく、一撃、なので――」

「はぁ、屁理屈を……。だが、悪くない」

 シュンスイはヤマトに押し倒された状態で失笑して笑いが止まらない。

「お前、さっき母上に会いにきたって言っていたな。どういうことだ」

「このお寺には、墓場があったはずです。昔タケルと度胸試しに入ろうとしたことがあります。怖くて入ることはできませんでしたが」

 ヤマトは恥ずかしそうにはにかんで答えた。そんな彼の身体が滴る血が雨と混じり、シュンスイの装束を血で染める。

「そうかい」

 シュンスイは諦めたように大きく溜息を吐いた。まだ自分は刀を握っている。ここからヤマトの身体を刀で貫くことは容易である。相手を殺さなければならない闘いならば、この闘いはヤマトの敗北であった。

「はぁ、上ばっか見ていたら転んじまうぞ。か」

 シュンスイは意外でならなかった。ヤマトは強い弟ではなかった。それもけが人の状態だ。どんなことがあっても、自分が彼に負けることはないと思っていた。

 自分よりも上の存在した見ていなかった自分はヤマトに足元をすくわれたのだ。

「ヤマト、俺がなぜここの門を叩いたか。知りたいんだったか?」

「はい。なぜですか」

「そうさなぁ。強さを求めてたのも一つだが、俺が守るものは変わっていないってことだよ」

 そう答えるだけ答えて、シュンスイは握っていた刀をそっと離した。

「降りてくれヤマト。わかった。一緒に墓参りをしよう」

 ヤマトはシュンスイから降りる。シュンスイはゆっくりと立ち上がる。雨の中で二人とも濡れている。

「おい! 拭き布を用意しておいてくれ! それと傘を二つ! 血止めも頼む!」

 シュンスイのハキハキとした言葉を聞いて、寺の中にいた僧たちが慌てて準備を進めている。

「ほら、立てヤマト」

「はい」

「身体を拭いたら、母上の墓参りだ。クサナギはその後に貸してやる。これは反逆じゃねぇ。兄弟喧嘩だ。だったら兄貴として弟と兄貴の喧嘩を平等にしなきゃな」

 飄々とした笑みをしながらシュンスイは寺へと向かっていく。

 ヤマトもそれについてゆく。

 僧たちは戸惑いながらも、シュンスイの命令に従い、ヤマトの世話をする。

「拙僧は和尚に話を通してくる。お前はしばらくここで休んでいろ」

 シュンスイはそういって寺の奥へと入っていった。ヤマトはどうしていいかわからず、通された部屋で呆然として、僧たちの応急処置を受けていた。

 自分は、シュンスイに勝ったと言う認識を持つこともできず、なぜ兄がクサナギの貸してくれることになったのかもいまいち理解できていない。

「ただ、良かった。ここが一番恐ろしかったからな。ハハハ」

 幼い頃にあれほど恐れていた八俣寺の僧たちに応急処置をされている今の状況にヤマトは思わず乾いた笑いが出てしまう。

「和尚と話は通ったぜ。さっ、母上の元へ向かうか」

「えぇ。行きましょう」

 身体にさらに包帯の数が増えたヤマトはゆっくりと立ち上がり、シュンスイと共に墓参りへと向かった――。


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