第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 23話
暗い空間。目を開けると空間にぽつりと経っていた。足元が濡れている。どうやら浅い水辺に立っているとヤマトは理解した。
「ここは、私はミコトと闘っていたはずだが――」
ヤマトは腕を組んで首を捻る。不思議なもので、身体にはミコトに付けられた傷はない。
痛みもない。辺りを見渡してもキヨもミコトもいない。
ヤマトは何も理解できぬまま。とりあえず歩くことにした。
足が水を切る音だけが響く。どこまで歩いても真っ黒である。何も見えないわけではない。ただ、この空間には水と黒い光景しかないように思える。
どこまで歩いても、景色は変わらない。だんだんヤマトは不安になってくる。
一度足を止めて、辺りを見渡す。しかし、それでも景色は変わらない。
冷や汗をかいて困惑する。ヤマトは状況を理解することができなかった。
自分がどうなってしまったのか。頭の中で整理しても、答えに行きつかなかった。
その時だった。突然向こうに自分の姿が映っていた。横に振り返っても自分の姿が映っている。真っ黒だった景色は無数の自分の姿が映っているものに変わった。
前後左右に映る自分の無数の姿に気がおかしくなりそうであったが、この景色に見覚えがあった。
ジェミ王国の入り口であった合わせ鏡の迷路での光景と一緒であった。
合わせ鏡の中の一人が勝手に動き出す。その一人を合わせ鏡で無数に映っている。
ヤマトはまっすぐと前を見つめた。動き出した自分が目の前にいるのが理解できたからである。
「許してなるものか」
「君は……辻斬りか」
ヤマトは冷静に目の前の男を見つめる。髪が長く伸びきっていて、前髪で目が見えない。身体はだらりと猫背になっているが、隠れている瞳がこちらをじっと睨んでいるのがよくわかる。ジェミ共和国で切り伏せた己の分身である辻斬りヤマトであった。
「ホムラを……許してなるものか。殺さねば」
「違う。殺す必要はない」
「ホムラはお前を殺す。タケルを殺したように」
「否、殺す必要はない」
「殺せ。レオ帝国の者を全て殺せ」
「私はあくまで星巡りの達成のために、ホムラと対峙する」
「違う。お前は復讐したいはずだ。その復讐心を奴にぶつけろ。俺を殺したように!」
辻斬りヤマトは刀を抜く。ヤマトも仕方なく刀を抜いて、守りの姿勢に入る。
辻斬りヤマトが地面を蹴ってヤマトに斬りかかる。ヤマトはその攻撃を受け止める。
「どうした! あの時のようにこの俺を殺してみろ! そしてホムラを殺せぇ!」
「くっ」
自分の顏の男が吠えている。その光景は精神的にヤマトを苦しめた。
「タケルを殺した奴を許すな!」
「許すわけではない! だが、殺す必要はない!」
必死に辻斬りヤマトを否定する。だが、それも苦しい。彼は、ヤマトの心に巣食う復讐心そのものなのだ。必死に抑え込もうと、善意を持とうとしていても心の奥底に残る。
淀んだ感情が今自分の目の前に実体化している。
それこそが辻斬りヤマトである。ミコトがヤマトを許せなかったように、自分のことを、タケルのことを忘れ、のうのうと十年、ヤマト=オフィックスとして生きていていた己を許せぬ、タケルを殺した兄を許せぬ復讐心の表れが辻斬りヤマトであった。
「そうだな。三人はこれを達成したのだ。私も、しっかりと達成しろと言うことか」
ヤマトは真剣な眼差しで目の前の辻斬りヤマトを睨みつける。刀をしっかりと構えて、彼の攻撃に備える。
「腑抜けめ。私に全てを委ねろ! 奴を切り伏せてみせる!」
「そうはさせない!」
辻斬りの攻撃を防ぐ。ヤマトに出来ることはこれしかなかった。ここで彼を斬ってしまうのは簡単だ。彼の剣筋は怒りに任せたでたらめで、ムサシとの稽古を終えたヤマトからすれば隙だらけであった。
しかし、このものを斬り捨てれば良いとは思えなかった。
ここがどこなのかわからない。なぜ辻斬りヤマトに襲われているのかわからない。
それでも、彼は目の前の男をただ斬ればよいとは思えなかった。
これはきっと、最悪の達成方法で儀式を達成したジェミ共和国の星巡りのやり直しなのだ。だからこそ、自分は目の前の者としっかりと見つめ合わねばならない。
「殺せ殺せ殺せ殺せ! ホムラを殺せ! 見殺しにしたレオ帝国を殺せ! 見捨てた己を殺せ!」
辻斬りヤマトはまさに獣の如く吠えた。その咆哮を否定したくて、ヤマトは思わず隙だらけの辻斬りの腹を斬ろうとしてしまうが、心を振り切って、後退する。
大きく深呼吸で気持ちを落ち着かせる。すぐに辻斬りヤマトが攻撃を繰り出してくる。
この状況を突破するために何をするべきか、考える暇を与えてくれず、ヤマトは思わず舌打ちをしてしまう。
「受け入れろ! 俺を受け入れろ! そしてホムラを殺せ!」
辻斬りが何度も吠える。ヤマトはその攻撃を躱し、ながらこの状況の打開策を考える。
受け入れる。彼を受け入れるとどうなるのだろうか。せっかくミコトと和解のきっかけを得たと言うのに、怒りに飲まれてまたホムラに挑めば良いのだろうか。
それで勝てるのだろうか。確かに、今はまだホムラに勝利出来る保証はどこにもない。
否、怒りに囚われた自分はきっとコブラもキヨも、アステリオスも味方してはくれぬのだろう。ミコトも友だちにはなってくれぬだろう。
頭の中で必死に整理をしても、辻斬りの攻撃は止まることはない。
ヤマトは辻斬りの刀を弾き飛ばすように大きく居合斬りをする。
あまりの威力に辻斬りは刀を手から離してしまう。その隙をヤマトは逃さずに辻斬りを思いっきり殴り飛ばす。
水しぶきを上げながら転がる辻斬りヤマトを見ながらヤマトは己の刀を鞘に収める。
「ちっ」
倒れている辻斬りは舌打ちをしながらゆっくりと起き上がって、飛ばされた刀を探す。
その様子をヤマトはしっかりと見つめる。刀を失い、殴り飛ばされた辻斬りはえらく不安そうであった。ヤマトはそんな彼を見て憐れんだ。
ジェミ共和国で見ただけで恐怖し、殺してでも否定したかった彼は、武器を取り上げただけで怯える弱い自分であった。
吼えていないと弱い自分を隠すことができない自分自身であった。
記憶を失っていないと心が保てなかった自分自身であった。
哀れで、弱くて、怯えている自分の姿がそこにあった。
辻斬りは刀を見つめて拾うと、再びヤマトに襲いかかる。走る彼の前髪が揺らぎ、隠されていた目がちらりと見える。
怯えたように目が泳いでいた。復讐心に駆られていた自分は何もかもを恐怖していたのだ。
ヤマトは思わず苦笑してしまう。当然だ。復讐心に駆られてこんな弱い目をしていれば、ホムラに勝てるわけがない。
自分の殺意とは、復讐心とは、恐怖に飲み込まれた結果の者だった。
「それでも、お前も私なんだよな」
そういってほほ笑んだヤマトを辻斬りは斬った。
ヤマトは抵抗しなかった。身体に斜めの大きな切り傷が出来て、血が噴き出す。
辻斬りの顏に噴き出したヤマトの血が飛び散る。ヤマトは意識を保つ。
普通ならここまでの傷が出来ればすぐに気絶し、絶命するだろうが、不思議とそうはならなかった。やはりここは現実世界ではない。
アリエス王国の夢空間のような者だとヤマトは納得した。
自分の血が付着している辻斬りの肩をぐっと掴み、彼を睨みつける。
「私はお前を受け入れる。だが、それに飲み込まれはしない。奴を殺そうとしても、奴には勝てないからな」
そういって辻斬りをぐっと抱き寄せた。辻斬りが持っていた刀がヤマトの腹部に突き刺さり、貫通する。己が持っていた悪意の全てが刃を突き立てているような痛みがヤマトに襲いかかる。ヤマトは下唇をぐっとかみしめて耐える。
「殺しはしない。けれど、お前も納得するほどボッコボコに殴ってみせる」
辻斬りの耳元でヤマトはそう呟いた。すると、辻斬りは刀を握っていた手を離し、だらんと身体の力を抜き、ヤマトに身体を委ねた。
辻斬りの身体がまるで溶けてゆくようにどろりと変化してゆく。真っ黒な液体になってゆく辻斬りはヤマトの傷口に吸い込まれてゆく。
ヤマトはその衝撃に思わず身体がふらつく。辻斬りの身体が全てヤマトの身体に入る頃には傷口は全て塞がっていた。
「受け入れることが出来たんだね。弱い自分を」
背後から少年の声がする。振り返るとそこにいたのはポルックスであった。
「ポルックスであったか。なぜここにいる」
「改めて、君にふたご座の星巡り達成の報告をするためだよ。さぁ、そこの刀を拾って」
ヤマトはポルックスに言われるがままに刀を拾った。
「君は己の精神との決着を付けたと言うことさ。君が無意識に必要だと感じたのだろう。この決着を、だから僕と彼が呼ばれた。ここはいわゆる精神世界。君はまもなく目を覚ます。自己の否定ではなく、自己の受け入れ、見事達成おめでとう。ヤマト=スタージュン」
そういうとポルックスは姿を消した。辻斬りが落としていった刀を拾って腰に差す。
すると何もなかった空間から光が漏れる。その光のほうに歩けばこの空間から出れると本能が理解した。ヤマトはその方角へ歩いて光の中へ入ってゆく。
目を開くと、ミコトとキヨがヤマトの顔を覗き込んでいた。




