第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 22話
ハヤテにとって、ホムラとはいつも自分に何をしたらいいか導いてくれるものであった。
ハヤテにとって、シュンスイはよく遊んでくれる兄であった。
ハヤテにとって、ヤマトは世話を焼いてくれる優しい兄であった。
母が亡くなった日、彼らは少しだけ変わった。ホムラの目はいつも遠くを見据えてハヤテに微笑みかけることが減った。
シュンスイはいつも一人で修行に励んだ。ヤマトはホムラの元で修行を始めてからさらに大人しい兄になってしまった。
ハヤテは、そんな彼らにおいてけぼりを食らったような気がして寂しかった。まだ幼かったハヤテにとって、母の死というのは、それほど漠然とした、空を掴むようなものであった。
「いつまでついてくるつもりかねぇ」
コブラは後ろを振り向きながら悪態をついた。
「貴方が向かう先に、ヤマトやその一味がいるだろうと判断しているでござる」
コブラは溜息を吐く。
家と家の路地で座りこむコブラに対してハヤテはじっと彼を睨みつけたままである。
「いっそここで俺を捕まえればいいだろう?」
「捕まえようとすればあなたは逃げます」
「まぁ、そりゃそうだよな」
ハヤテはコブラと行動を共にすることを選んだ。兄たちの護衛や閻魔橋の修繕を部下たちに任せることにしたのだ。コブラを野放しにしてはいけない。
ハヤテはそう考えた。しかし、捕まえようとしてもコブラには難なく躱されてしまう。それどころか捕まえた後に脱獄される恐れもある。
そしてハヤテが取った行動は監視であった。
これにはコブラも無暗にムサシの屋敷に戻ることもできず、こうしてハヤテに悪態をつくことしか出来ないでいた。
「コブラ殿」
「なんだよ」
「貴方たちは星巡りの儀式にやってきたのでござるよね?」
「あぁ。だが、ヤマトが捕まっていて殺されそうになっていた。だから止めた」
「そうでござるか。兄とは、どのような出会いを?」
ハヤテに問い詰められ、コブラはヤマトと出会った日のことを思い出す。
すると思い出すだけで憎くて顔を歪ませた。
「最悪の出会い方だったよ」
「そうなのでござるか? 兄のために、我が王に逆らうほどの仲だと言うのに」
「うるせえ。ヤマトが死ぬとキヨが悲しむから仕方なくだよ」
ハヤテは首を傾げた。それだけのためにホムラにあそこまで怒りを抱いたのだろうかと。
「他人のためにあそこまで激怒するのですか。貴方は」
「あぁ? おめえは違うのか」
「いえ、貴方は兄をどう思っているのか気になったのでござる」
「どうもこうも嫌いだよ。 いけすかねぇし、いっつも口うるさいし」
「そうでござるか」
「しかしまぁ、いないとつまんねぇ奴だからな。それに、俺はヤマトが死ぬことじゃなくて、お前んとこの王様ってのがどうも気に食わなかったんだよ。ボコボコにしてやる」
「兄が気に食わないでござるか?」
ハヤテは目を丸くして驚いていた。
ホムラはレオ帝国きっての優秀な王であると国民からも評判である。国民一人一人の能力に合わせて適切な処遇を与えている。故にホムラが王になってからの王への反逆は今まさに起こっているコブラたちが初のことであった。
「兄は良き王ですよ。国民たちも、拙者も、兄に与えられた使命をこなすことに喜びを感じている。兄に逆らうものが誰一人いなかった。慕われている兄です」
「慕われているだぁ? どうだか」
コブラはハヤテの言葉を聞いてうげえと気持ち悪いものを見るかのような目をした。
「少なくとも俺は嫌いだね。あの野郎が」
「それ以上は王への侮辱でござるよ?」
「やるってのか? 俺はあんたより遅いが、あんたより強いぜ」
コブラが挑発したようにそういうとハヤテは苦い顔をして眉を細める。
コブラはそんな彼を気にせず歩き始める。
「ま、待つでござる」
ハヤテがついてきていても気にせずにコブラは民家を歩く。この辺りの町民は自分をまさか処刑を邪魔した者の一派だとは思うまいと高を括っている。
「おっ、ハヤテさま。なんだいそいつは?」
コブラの後ろを歩く町民にハヤテが声をかけられる。ハヤテは笑顔で「気になさる必要はないでござる。皆の者」と答えてコブラの後ろを歩く。その言葉を聞いた町人は笑顔でハヤテを見ている。コブラはちらりとハヤテの方を見つめている。
「コブラ殿」
「なんだ? 庇ってくれているのか? ここでこいつは大犯罪者でござるー! って叫べば、閻魔橋の時のように、国民全員で俺を捕らえられるかもしれないのに」
「閻魔橋では町民たちが勝手に協力してくれたこと。本来、民を争いに巻き込むのは良くないことでござる。コブラ殿が町民に危害を加えることも許されぬ」
「ふーん」
コブラは何かを納得したように声を出しただけで黙って歩き続ける。
「コブラ殿」
「なんだよ」
「どこへ向かっているのでござるか?」
「ん? お前のせいでアジトにも戻れないし、ブラブラと散歩しているだけだ」
「本当でござるか?」
「あぁ。お前はそうやって俺を疑っていつ逃げだすか警戒しながら後ろについてきてくれりゃあそれでいいよ」
ハヤテはコブラに弄ばれているようで不服そうに唇を尖らせながら彼についてゆく。
コブラは散歩と言っていたのが本当だったようで、ハヤテも警戒心が緩みそうになるのを耐えながら彼の後ろをついてゆく。
「コブラ殿、一つ良いでござるか?」
「なんだよ」
「コブラ殿が兄を気に食わないと仰るならば、どのようならば良いのでござるか?」
ハヤテの目は真剣なものであった。コブラはその目を見て歩みを止めてハヤテの目をじっと見つめる。
コブラは両腕を組んで唸る。
実際、自分が気に食わないかどうかは直感で考えていたので、改めて問われてしまうと困ってしまったのだ。唸っているコブラをハヤテはじっと見つめている。
ミッドガルドは論外である。コブラが最も嫌いなタイプの王である。なぜかと問われれば難しいが、彼はミッドガルドの顔を見たときから気に食わなかったのだ。
コルキスは、王という印象はなかったが、嫌いではなかった。もう少しアリエス王国に滞在していれば、彼女の王としての素質を感じることはできたかもしれない。
タウラスにはそもそも王はいなかったが、バイソンは国のみんなに愛されていた印象があった。
キャンス王国のクラブも好ましくない王であった。コブラは想像する。誰が一番良い王であろうかと考えた時、一人の少女の姿が浮かんだ。
「……うちのキヨが最高の王だな」
「あのキヨ殿でござるか?」
「あぁ。だが、そういった意味ではお前も負けちゃいねぇよ。ハヤテ」
「せ、拙者でござるか!?」
ハヤテはそのような返答が来るとはまったく思っておらず、思わず困惑してしまう。
戸惑っているハヤテの様子にコブラはケラケラと笑う。
「なんだ? 考えたこともなかったのか?」
「そ、そうでござるな」
コブラは歩き疲れたのか、その場でどっしりと座り込む。
ハヤテはそんな座っているコブラを見下ろすように彼の前に立つ。
ハヤテの将来はホムラが決めていた。小さい頃から、ホムラが常にハヤテの行動を決めていた。それはホムラが彼を縛ったわけではない。ハヤテが自らそれを選んだのだ。
だが、いつ、その選択をしたのか。ハヤテには思い出せなかった。
言われたことを全力で遂行する。それがハヤテにとってのこれまでの人生であった。
「お前は町民にも好かれているし、何より、良い奴で、馬鹿なやつだ」
「なっ! バカとはなんでござるか」
腰の刀を取り出してコブラに向ける。しかし、コブラはその刀に怯えずにケラケラと笑う。
「褒めてんだよ」
「意味がわからぬでござる」
ハヤテはコブラの言葉に戸惑いながら、俯いてゆく。コブラに言われた王の素質についての話が思った以上に自分の心に突き刺さり、戸惑いが隠せないでいる。コブラはそんな彼の表情を見て、改めてこの国の在り方の嫌悪感を実感した。
「さて、こっからどうしようかねぇ」
「監視に聞こえる声で脱出作戦を練らないでもらえるでござるか?」
「ありゃ、声に出ていたか」
わざとらしく恍けて見せるコブラにハヤテは少しイラついた。
「なぁ、ハヤテ」
「なんでござるか?」
「お前はどうしたい?」
「拙者がどうしたいか? でござるか?」
「あぁ。俺はお前から逃げることが出来ない。お前は俺を捕まえることが出来ない。なら、お前の行きたいところに俺が逃げてやろう」
悪戯っぽくコブラはにやついてハヤテを見上げている。ハヤテは急な質問に戸惑い、目が泳ぐ。考える、自分が行きたい場所。今の自分が成すべきこと。
「……ヤマト兄さんに、会いに行きたい」
あの日、幼い自分を置いて、兄を置いて、ミコトを置いて国を出た兄、ヤマト=ヘラクロスはこの国の何が不満だったのか。ヤマトと共に出ていったというタケルと言う少年は何を思っていたのか。そして出ていった先で、ヤマトは何を思ったのか。問いかけてみたかった。
「決まりだ。ならやっぱりアジトに向かおう」
「良いのでござるか? 拙者に場所がバレても」
「どうせ、バレた後に、あの王様殴りに行くんだ。どっちでもいいさ」
そういってコブラは立ち上がり、ぐっと身体を伸ばす。
「よし、行くか。ついてこい」
コブラは不敵に笑みを浮かべながら、ハヤテに背を向けて歩き始める。ハヤテはいまだに戸惑いながらコブラについてゆく。
二人はムサシの屋敷へと向かっていく。