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第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 21話

 走る先にサクラの木を見つける。サクラの木にもたれ掛かっていたミコトがこちらを見つけて立ち上がる。その表情は険しいものであった。

 ヤマトもそれに応えてミコトを睨みつける。サクラの木の前で睨み合う二人をキヨは不安そうに見つめている。

「一人で来たのね。あの賢い少年たちも連れてくるかと思ったのだけれど」

「これは私の問題なのでな。ミコト」

「そう。では、始めましょうか」

 ミコトは弓と矢を取り始める。矢を構えて、いつでも放てるといった様子でヤマトに標準を合わせている。

 風が吹く。サクラの木から花びらが舞い散る。

 そして矢が放たれる音が響き渡った。


 ヤマトの左肩に矢が刺さっている。

「毒矢だとは思わないの?」

「思わなかった。それに君なら軽傷の場所を射抜くとも思っていたよ」

 肩の矢を引き抜く。血が流れないかとキヨが不安そうにヤマトを見つめている。

「さて、ミコト。まずはキヨを返してもらおうか。彼女は関係ない」

「いいえ、まだお返しはできません」

 ミコトは再び、矢を構える。しっかりと腰を下ろし、ヤマトを的としてじっと見つめている。

 ヤマトは先ほどの肩の傷から流れる血を抑えるために右手で押さえている。

「ふ、二人とも落ち着いて」

 キヨが睨み合う二人に戸惑いながら言葉を放つと、ミコトは再びヤマトに矢を放つ。

 その矢はヤマトの右腹部に突き刺さる。ヤマトの表情が歪む。再びヤマトは手で腹の矢を引き抜く。

 ミコトも再び矢を構える。

「貴方は国を出た大罪人です」

「否、友を殺した大罪人だ」

「違います。友を忘れた大罪人です」

 ミコトが再び矢を放つ。ヤマトは躱さずにミコトをじっと見つめている。矢はヤマトの頬を掠める。元々当てるつもりはなかったことをヤマトには理解していた。

 それでも彼の身体の傷から血が静かに流れていく。ヤマトの纏っていた衣類に血が滲む。

 ヤマトが一歩進む。ミコトが再び、矢を放つ。矢は右肩を掠める。

「質問に答えてください」

 ミコトが矢を構えたまま言う。ヤマトはまた一歩進む。

「貴方はなぜオフィックスで数十年も過ごしていたのですか?」

「必死に走った先、オフィックス王国に辿りついて倒れた時には、すでにレオ帝国での日々が記憶から消えていたからだ」

 ミコトは静かに矢を放つ。ヤマトは刀を抜き、その矢を弾き落す。

 ミコトの矢は確実にヤマトの心臓を狙っていた。

「ミコトさん!」

 彼女の行動に驚いたキヨが叱るようにミコトに叫ぶ。

 その言葉もミコトには届いていない。じっとヤマトを睨みつけている。

 再び矢を放つ。ヤマトはまた弾く。そしてもう一歩近づく。

「貴方はジェミ王国と言う場で己の分身と出会い、そこでこの国でのことを思い出したと」

「あぁ。全て思い出したよ。君のことも、自分が何をしたか。記憶がなかった自分の愚かしさも」

 矢が放たれる。ヤマトは見極めてその矢を弾かずに二歩進む。矢は肩に突き刺さる。

 キヨはヤマトの様子に疑問を感じていた。刺された確実に死ぬ心臓部などはしっかりと刀で弾いているが、それ以外のところへ放たれた矢は全て受け止めているように感じられた。

 キヨは目を背ける。今までともにいくつかの国を巡った。旅をしたが、ここまで血に染まる痛々しいヤマトを見たのは初めてであった。

 ヤマトは真面目で、丁寧で、冷静な兄のような存在であった。コブラがボロボロになることがあってもヤマトはそんなそぶりを見せていなかったのである。

「タケルのことは?」

「……もちろん。ジェミ共和国で出会った私の分身は、タケルを殺した兄への憎しみに飲み込まれた怪物であった」

 ミコトは矢を放つ。ヤマトは顔を反らし、矢を躱す。頭蓋を狙った矢であった。

「それを倒した私は、そいつが心に棲みついた。だから、コブラたちと離れ、単身この国へ戻ってきたのだ」

 ミコトは次の矢を構える。ヤマトはまた一歩ミコトに近づく。

「その結果、再び貴方は兄に、王に敗れた」

「あぁ。私は兄に勝てなかった。私一人では勝てなかった。今も、昔も」

 あの時の後悔。タケルと離れなければよかった。彼と二人でホムラに挑めば、逃げ切ることくらい、出来たかもしれない。二人で協力すれば、そんなわずかな可能性にヤマトは縋ってしまう。

「ここでキヨを連れ戻しても、貴方の兄には勝てませんよ」

「そうだ。閻魔橋の闘いで皆傷だらけだ。キヨを連れ戻しても、まだ兄には勝てぬだろう。だからこそ――」

 ヤマトはさらにミコトに向かって一歩近づく。

 その足はずっしりと地面を踏む。覚悟を感じる強い一歩であった。

「お前の力が必要だ」

 ヤマトの頬を矢が掠める。頬から血が流れる。目のすぐ近くの頬だった故に、流れる血がまるでヤマトの涙のように頬を伝う。

「貴方はふざけているのですか!?」

 さらに矢を放つ。今度は肩に突き刺さる。

 目を見開き、怒り狂うように矢を放つミコトの矢をヤマトは刀を盾にして弾く。それでも防ぎきれぬ攻撃が彼に傷をつける。

「ふざけてなどいない! 記憶を取り戻し、兄に敗北し、牢の中でタケルや君の日々を思い出していた。君はあの牢屋で私に矢を渡した。私一人では死ぬには難しい自殺のための矢だ。あの時の君は、コブラたちを信じるか、自ら苦労して死ぬ道を選ぶかを試したのだろう」

「…………」

 ミコトが矢を構えたまま黙り込み、ヤマトを見つめる。ヤマトはさらに彼女に近づく。

 もはやミコトはヤマトに矢を当てないことが難しいほど近くまで来ていた。

「残念ながら、私は友のために命を捨てることが出来る勇気のある者ではなかったよ」

 悲しそうな表情をするヤマトにミコトは思わず構えていた矢をそっと降ろしてしまう。

 ミコトはあの日、ヤマトが自殺するのではないかと考えた。

 彼がタケルと同様、友を救うためにその命を捨てるのではないかと、けれどヤマトはコブラたちを信じた。だからこそ、彼らに救われるために命を守ったのだ。

「私はタケルのように勇敢にはなれなかった。しかし、私の仲間は私以上の勇気を持って私の命を救ってくれた。その一人は君だ。ミコト」

 ミコトは己の自己矛盾に思わず身体が震える。

 ヤマトに自殺を選んでほしかった自分。

 ヤマトに死んでほしくなかった自分。

 その二つが混じってしまい、牢に投げ入れた小さな矢。

 ヤマトはそこから希望を見いだした。自分が死を望んで投げ入れた小さな矢を見つめて。

 ヤマトのまっすぐな目がミコトを見つめる。ミコトはその目を直視できず、目を背ける。

 ヤマトは自分を信じている。自分すらどうしていいかわからなくなっている心を、ヤマトは信じているのだ。

 そのまっすぐな瞳を見ることが出来ない。その瞳はタケルの目にそっくりであった。

「ミコト、私はあの日、やはりタケルを説得して君を連れていくべきだった」

 血だらけのヤマトがさらに一歩近づき、ついにミコトの足元で膝をつき、俯いている彼女を見上げる。

「私と、タケルと、ミコト。三人ならば、きっと兄にも負けなかった。タケルが死ぬようなことはなかった」

「違う」

 ミコトはヤマトの顔を見ぬまま答えた。キヨが心配そうに二人を見つめる。

「私は、貴方が思っているような人間ではない。タケルを殺され、彼のことを忘れていた貴方を許せないだけ。もっとも苦しい死に方をすればいいって、思っていただけ。コブラたちに閻魔橋を教えたのも、仲間の目の前で貴方の首が跳ねられれば、私がタケルの死体を見た時のような絶望を味合わせられると――」

「あぁ。わかっている。私は昔から君をよく見ていた。君がどれほどタケルを大事に思っていたか。だからこそ、私は君に贖罪するためにここに来た」

 ヤマトは両ひざを地面につき、手を地面についてゆっくりと頭を下げる。

 レオ帝国での敬意を示す所作。土下座であった。

 ミコトは土下座をしているヤマトの背をじっと見つめている。

「本当ならば、命を以って君への贖罪とするのが筋であろう。だが、私は死ぬわけにはいかない。コブラやキヨ、アステリオスにロロンと旅をしなければならない。タケルの夢を代わりに叶えなければならない。それが私の生かされた理由だと思っている」

 ヤマトの叫びにミコトは何も言わない。無防備な背中をじっと見下ろしている。

「ミコトさん……」

 キヨが思わず声を漏らす。先ほどのミコトの言葉が信じられないからだ。

 ミコトは最初からヤマトに死んでほしいだなんて思ってはいない。

 けれど、そうなればいいのにという憎しみが彼女を飲み込んでいる。

 言葉が勝手に出てきているのだ。ミコトは懐から小刀を取り出す。

「ミコトさん! ダメです!」

 キヨが慌ててかけようとする。

「近づくな!」

 怒鳴ったのはヤマトの方であった。突然の怒声に驚いてキヨはびくりと動きを止めて二人を見つめる。どうすることもできずに困惑しながら二人を交互に見つめる。

「貴方は、私に何を求めるのですか。先ほど力が必要。などと仰っていましたが」

 ミコトの質問にヤマトはしばらく黙り込んでいる。ミコトは小刀をぐっと握りしめる。

「私と、友だちになってください」

「は?」

 ミコトは思わず呆然とした声が漏れた。キヨも同様にきょとんとしている。

 しばらく黙っているミコトの様子をうかがおうと、ヤマトはそっと顔を上げる。

 右目近くの頬から血が流れている線が出来ている。

「や、ヤマト?」

 困惑していたキヨがそわそわとヤマトに近づく。

 キヨは自分よりも歳が上の背格好の大きい男が改めて女性に頭を下げて友人になるように頼み込んでいる状況の非現実さにどうしていいかわからずにそわそわしている。

 ミコトの方はきょとんと彼の背中を見つめる。握っていた小刀を落としそうになって、慌てて掴む。

 ふいに出たのは、失笑であった。

 くすっと笑い声を出してしまい、キヨもヤマトもそんな彼女を見つめる。

 ミコトは昔の日々がよぎる。自分はタケルが好きであった。けれどそれは、ヤマトと二人で現れた。あのタケルなのだ。きっと、タケル一人で出会っていれば自分はタケルに恋をすることはなかっただろう。

 いつもみんなを引っ張ってくれるタケル。そんなタケルが頼りにしている大人しくて優しい男の子ヤマト、そして自分。この三人だったからいいのだ。

「そういえば、タケルが強引だったから、友だちになろうなんて、言ったことなかったね。私達」

 ミコトは穏やかな声でヤマトを見下ろして言った。

 ヤマトはまだ土下座を続けていた。

 ミコトが放たれていた殺気が和らいだ気がして、キヨはそっと胸をなでおろす。

「どういうことですか? その、友だちになってくれって言うのは」

「言葉の通りだ。君に酷いことをした私を許せないだろう。死んでほしいと思うほど憎いだろう。だが、私は死ねない。そして私はミコト、貴方に許されるための時間が欲しい。だから、友だちになってほしい」

 理屈の意味がよくわからなくてミコトは呆れたように溜息を吐く。

 ミコトはヤマトに視線を合わせるために座り込む。

「ヤマト、顔をあげて」

 ミコトに言われた通り、顔をあげたヤマトは頬を思いっきり張り手される。

 キヨは痛そうだなと、張り手をされたヤマトを見て、顔を歪ませた。

「あそこまでしたのに、私に一切危害を加えようとしないあなたの覚悟を確かに受け取りました。今の張り手はケジメの張り手です」

「じゃあ!」

 ヤマトよりも先に反応したのは嬉しそうに満面の笑みを浮かべるキヨであった。

 ミコトはそんなキヨの方を見て微笑んだ。

「キヨに免じて、貴方の要望に答えましょう。ヤマト、私があなたを許すことはすぐにはできないでしょうが、友だちになりましょう」

 ミコトはヤマトに小刀を差し出す。ヤマトは感情が高ぶって涙が流れる。頬に流れてついていた血が涙と混じって薄紅色になって流れていった。

「では、誓いのために、タケルの魂に少し、私達の血を」

「あぁ」

 ヤマトはミコトから小刀を受け取り、立ち上がった。

 ヤマトとミコトがサクラの木の方へ向かう。キヨも二人についてゆく。

 ヤマトは指をそっと小刀の刃で撫でて小さな傷口からサクラの根元に血を注ぐ。

 ヤマトはミコトに小刀を渡す。ミコトも小さな傷口を出してサクラの木に血を注ぐ。

「キヨもしていきますか?」

 ミコトは首を傾げてキヨに問いかける。キヨは無言で頷く。

 緊張しているのか、小刀を持った手が震えている。

「あっ、切りすぎちゃった」

 キヨは大きな傷口を作ってしまい、血がだらだらと流れていっている。

 慌てて根元に垂らしているキヨを見て、ヤマトとミコトは思わず失笑してしまった。

 ヤマトはクスクスと笑っているミコトを見つめる。

 幼き日には気づかなかった感情だが、今ならわかる。この感情の名前が――。

 そしてそれはミコトがタケルに抱いていたものと同じであった。

「やはり私があの時、死んでおけばよかったのかなぁ。なんて考えていたら、タケルに怒鳴られるな。私はしっかりと生きるぞ。タケル。君が想像していたよりも、遥かにわくわくする冒険を、成し遂げてみせる」

 小さな声でヤマトが言った。ミコトにもキヨにも聞こえない声であった。

 ヤマトの視界がぼやける。

「ヤマトっ!?」

「ヤマト!」

 二人の声がする。けれど、ヤマトには二人の声が随分遠く聞こえた。

 どさっと何かが地面に落下した音がした。

 キヨが慌ててヤマトに駆け寄る。ヤマトが気絶して倒れたのだ。

「私のせいで、出血多量ですね。安心して今までの根性が尽きたのでしょう」

「やややヤマト! 大丈夫!」

「キヨ、あまり揺らさないほうが。ゆっくりと、わたしたちで運びましょう。屋敷なら彼の治療が出来ますから」

 そういってミコトは手際よく応急処置を始める。

 自分でつけたヤマトの傷を手当しながら、ミコトは思わず微笑んでしまう。

 彼は守るばかりでミコトを襲わなかった。なんてバカなのだろうかと彼女は思った。

「ほんと、馬鹿な人たちですよ」

 幼い頃の、タケルとヤマトの笑顔を思い出して微笑む。

「さあ! ミコトさん! 運びましょう」

「えぇ。そうね。速く治療しないと死んでしまうかもしれません」

「それは困ります!」

「えぇ、困りますね。また私だけ置いて二人で黄泉の国を冒険だなんて、嫉妬してしまいます」

「そういう冗談言っている場合じゃないですよミコトさん!」

 ミコトとキヨの二人で気を失ったヤマトを運ぶ。

 三人の血を吸ったサクラの木に風が吹いてそっと花びらを散らせる。

 その花びらは三人を見守るように彼らの頭上をひらひらと舞っていった。


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