第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 17話
キヨが放った矢の先端には何かが取り付けられていた。その何かが重りになって、矢は弧を描いて落下していく。その先にはドラゴンがいた。
ドラゴンはすぐにその矢がレオ帝国の侍たちが放ったものではないと判断した。
ドラゴンは人の姿に代わり、その矢をつかみ取る。
侍たちが放つ矢を腕を振るって風を起こして無効化する。
矢についていたのは鍵であった。ロロンはすぐに理解した。
これはきっとヤマトの手錠の鍵だ。それが自分に渡ったと言うことは、自分が一番ヤマトに近いところにいる。すなわち、自分がヤマトを救わねばならない。
「絶対に成し遂げてみせます」
「……何かを持っているな。皆の者。あの女の侵攻を阻止しろ!」
侍たちに指揮をしているホムラの怒声が響いた。
侍たちはロロンにむかって突撃してくる。
対するロロンも彼らに向かって突進してくる。彼らの刀では、ロロンの皮膚を切り裂くことはできない。今までは時間を稼ぐことが目的であったからこそ、ドラゴンの姿で騒ぎを大きくしたかったからである。
ヤマトに向かって駆ける必要が出来た今ならば、人の姿で皆の攻撃を耐えていった方が良い。
「あの女、妖の類か!」
侍の一人が叫ぶ。ロロンは彼が死なぬように腹部にめがけて掌底を放つ。
侍の一人は苦しい声をあげて倒れる。その様に他の者たちも怯えたように、ロロンに刀を向ける。
このように人に殺意を向けられることは何度もあった。自分がドラゴンになった日から何度か、クラブが王になってからは毎日のように、その日々に怯えていた自分もいた。
けれど、今のロロンに恐怖はない。今の自分には明確な目的がある。そのためならば、彼らの目だって気にすることはなく進むことが出来た。
「化け物め!」
キャンス王国にいた頃、聞きたくないと怯えていた言葉を聞いても、心が揺らぐことはない。今の自分には化け物ではなく、自分の名を呼んでくれる。自分が化け物だとわかっていても一緒にいてくれる人たちがいる。それだけで私は名誉の化け物であると誇れる。
侍たちを皆無力化して駆けてゆく。
「ロロン……だったか。ドラゴンだったとはな」
走るロロンに対してホムラが立ちはだかる。ホムラはその手に持つハバキリを構えている。
彼が放った居合切りをロロンは躱した。
「ほぉ、今までの攻撃はモノともしていなかったのに、この刀は躱すのか」
ホムラはほくそ笑む。ロロンはホムラの持つハバキリの刀身を見つめる。鉄とは思えぬほど真っ赤に揺らめいている。否、燃えているのだ。先ほどロロンが放った炎をそのまま纏っているかのように、そしてその色に見覚えがあった。
アステリオスが銅や鉄を弄るために熱を当て続けていた時の色である。
ロロンは考えた。あの刀は人を斬るための者ではない。人を焼くためのものだ。いくら頑丈な皮膚を持つロロンでもその身を焼かれればたまらないと考えたのである。
「なるほど、そのドラゴンの皮膚は打撃には強いが、熱などには弱いのだろうか。ならば」
ホムラは一人で納得し、刀を空に振るう。すると、刀から炎が噴き出し、その炎はロロンの身へ襲いかかる。
「えっ」
ロロンは瞬く間に炎に包まれる。あまりの熱さにロロンは悲鳴を上げる。
「王もむごいことをする」
「だがいいぞ! 化け物が焼けていく!」
倒れている侍、野次馬たちがホムラを喝采する。
目の前のロロンを心配する声はない。当たり前だ。彼女はドラゴンであり、化け物なのだから。ロロンは幸いにもまだ意識がある。炎に包まれながらも走る。ホムラはさらに彼女に炎を放つ。彼女は炎から逃げるように川へ飛び込む。
水が焼けた肌を刺激して悲鳴をあげるほどに痛い。
「皆の者! 弓を構えろ!」
ホムラの号令で侍たちは矢を構えて水の中からロロンが出るのを待つ。
しばらくしてロロンは立ち上がる。
「女性を衣服ごと燃やすなんて、紳士的ではないですね」
そう言いながらもロロンの姿は衣服を纏っている。この国に来る前から来ていたものだ。先ほどまで来ていた和装ではなくなっている。
「ドラゴンから人間の皮膚になれるのだからその服は皮膚を弄ったか」
ロロンの言葉も気にせずに冷静に彼女を考察する
「結構あの和装気に入っていたのですが」
彼女は強がるように悪態をつく。そんな彼女を無視してホムラは号令のサインをして侍たちに矢を放たせる。ロロンは炎を吐き、その矢を全て燃やして無力化する。
「化け物の戯言に用はない」
ホムラは刀から炎を放つ。ロロンは水面を強く叩いて巨大な水しぶきを出して彼の炎を消す。
ホムラは一歩、一歩ロロンに近づく。
「ロロン。お前はこの俺自らに襲いかかった反逆者ととって問題ないな?」
ロロンはホムラから視線をそらし、川の上を走る。ばしゃばしゃと水を踏む音が響く。ホムラは逃げてゆくロロンをゆっくりと追う。
しかし、途中で彼女がどこへ向かっているかすぐにわかった。
よく見ると、足元に転がっているはずのヤマトの姿が見えない。彼は両手両足を縛られている状態であの騒動の中で逃げていたのだ。
「まったく、情けの無い弟だ」
遠くの方に身をよじらせて進んでいたヤマトを見つける。ロロンが向かっているのは彼の方であったのだ。
ホムラは早歩きでヤマトの元へ向かう。ロロンはその様子に気付き、ホムラに炎を放つ。しかし、ホムラのハバキリはその炎を難なく吸い込む。
「邪魔をするな!」
「私はあの人を救わねばなりません!」
ホムラはロロンを叩いた方が早いと判断し、彼女の方に向かう。川の中であろうと躊躇しない。
「貴様を討つことこそが、コブラたち、そしてヤマトの心をへし折るにふさわしい」
ホムラが切りかかってくる。ロロンは片腕でその刀を受け止める。焼けているのか、ロロンの皮膚と刀と触れている部分から煙が上がっている。
「くっ!」
しかし、ロロンはこれをチャンスだと感じていたのだ。
彼は自分の方をじっと見つめている。それこそが狙いである。そのためなら、この腕がどうなろうが関係がない。ここは川である。ヤマトは理解してくれているはずだ。
「流石はドラゴンの腕と言ったところか、斬り落とせぬとはな」
それでも焼けてゆく肌から徐々にめり込んでゆく。ロロンは悲鳴をあげぬように下唇を強くかみしめる。
「貴君に問いたい」
「な、なんでしょうか?」
「貴君は圧倒的な力を持つドラゴンだ。その存在が実在したことにも驚きだが、そのような存在がこのようにちっぽけな旅に同行していることの方が疑問だ。なぜその力を活かさぬ。その力で他者を圧倒すればよいだろう? 今だってそうだ。私をそのドラゴンの巨大な力で圧倒出来るのではないか?」
ホムラの目は本気の疑問を抱いていた。その力が自分にあればもっと人を導くことが出来る。王としての素質が備わる。大地をも割る力を持ったドラゴン。まさしく王にふさわしい。何人も逆らえぬ究極の王となりえる。
というのに彼女はその力で蹂躙することを良しとしない。それこそ、儀式の達成条件であるホムラを何度も殴ると言うことも、彼女一人ですぐに成し遂げることが出来るだろう。
「私は、皆さんを信じています。私の役目は力で暴れることではありませんし、貴方を殴ることではありません」
その時だった。ロロンはニタリと笑みを浮かべる。
自分は成し遂げたのだ。皆の想いを背負って、腕一本を犠牲にしただけのことはある。
「ありがとう。名は後で聞きます。命の恩人よ」
ホムラは目を見開き、ロロンにめり込んでいたハバキリを背後に振り切る。
一人の男がホムラの攻撃を躱す。その者の瞳にもはや悩みも、怯えもなかった。
自分が会ったことのない仲間が、ここまでしてくれたのだ。そんな恐怖を抱いている暇なんてない。
「ヤマト!」
ホムラは驚いていた。ヤマトが手錠を外して自分の後ろに立っている。
「兄さん。貴方との決着は必ず」
ヤマトはそう呟くとホムラは何を言っているかわからずハバキリでヤマトに斬りかかる。
ヤマトはその攻撃を躱す。躱すことはヤマトにとって得意分野であった。
タウラス民国で出会った老人。キドウの闘い方を学んだ日から、ずっと鍛錬を続けてきたのだから。
「ヤマトさん! こちらへ!」
ロロンはヤマトの手を差し伸べる。
けれどその手もホムラが攻撃をしてくることでつかむことが出来ない。
「貴様をここでもう一度捕らえる」
「もう二度と捕まったりはしない! 私は一人じゃない!」
ロロンが思いっきり炎を放つ。ホムラはハバキリで炎を吸い込む。
しかし、この瞬間こそ隙があるのだ。ロロンとヤマトは互いの手を取り、ロロンはヤマトを引っ張って川の方へ走ってゆく。距離を取ることが出来たが、それでもやはり彼に隙はない。
ホムラは炎を吸い込み終えると、今度は吸い込んだ炎をヤマトとロロンに向けて放った。
ロロンはヤマトを引っ張り川の水に飛び込む。水の中に入ることで直接炎に焼かれることは防いだが炎の熱が水越しにも伝わってくる。
ロロンは困った。今は水の中に潜っていれば、ホムラの炎を身に受けることはない。しかし、いつまでも息を止めることが出来るわけではない。顏を出した後も、ホムラに隙はない。
「立てる者はあの川に向けて矢を放て!」
ロロンはマズイと思い、ヤマトを引っ張り自分の下に引きずりこむ。
ヤマトは一瞬戸惑ったが、ロロンの意図を組み、彼女にされるがままに従う。
ロロンの背に矢が何本か刺さる。痛みに耐えて口から息が漏れる。
このままではヤマトが解放されても逃げることが出来ない。
一度呼吸をするために顔を上げる。ホムラの炎と兵士の矢がロロンを襲う。
「くそ、何か刀でもあれば、加勢出来るのだが――」
「ロロンさん! 炎で侍たちを牽制して!」
どこかから叫び声がする。ロロンはすぐにその声の方を見つめる。ロロンの緊迫していた表情が緩んだ。ヤマトも思わず笑みを浮かべる。
「アステリオス!」
「飛び乗って!」
川の上流からアステリオスが木船に乗って川を下ってきた。その船には何か詰められた大きな袋が二つ入っている。
ロロンは炎を放ち、侍たちの動きを抑制した後、ヤマトと共に船に飛び乗る。
ホムラはハバキリの炎で船を焼こうと思ってが、すぐに踏みとどまる。
あの船でやってきたのは、獅子城でも状況判断に優れていた少年だ。その少年が船に積んでいるものが無駄なものとは思えなかった。
「あの袋……粉か」
おそらく米粉であろうとホムラは判断し、思わず舌打ちをする。
あの量だ。あの三人を致命傷にするのも容易い粉塵爆発が起こるが、それと同時にこの辺り一帯が炎に包まれ、侍たちや野次馬で集まってきてしまっている市民たちもただでは済まない。
そのような行為を王が行うべきではない。
「……仕方がない。ヤマトたちは結局私の前に来るのだ。それを対処すればよい」
「皆の者! 市民の安全を確保し、この場の修繕に当たれ! 真琴に遺憾だが、ヤマトの処刑は中止だ!」
ホムラが叫ぶと、ヤマトに逃げられて戸惑っている侍たちや、市民たちも意識が固まり、行動に移す。
「そんな、ヤマト兄さんが、俺が鍵を奪われたせいで」
「隙アリ! じゃあな。坊主!」
ヤマトが逃げていく光景を呆然と見つめていたハヤテの隙を見て、彼に捨て台詞を吐いてコブラは彼から逃げてゆく。
船の上でヤマトはボロボロになり、疲れで息が荒くなっている女性を見つめる。
「先ほどはありがとうございました。私はヤマトと申します。貴方が、コブラたちと新たに仲間になったと言う方でしょうか」
「はい。私はロロンと言います。もう見たと思いますが、ドラゴンです」
「そのようですね」
「ヤマト、とりあえず拾ったものだけど武器がないよりはマシだから」
アステリオスはヤマトに侍から奪った刀を渡す。ヤマトはそれを腰に携えた。
「……アステリオス。なんだか君、頼もしくなったな」
ヤマトの言葉にアステリオスは嬉しくて思わず微笑んでしまう。
「へへっ、僕も色々あったからね」
なぜか赤面しているロロンと自慢げなアステリオスにヤマトは首を傾げた。
こうして、ヤマト救出劇は幕を下ろした。