第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 16話
ミコトとタケルとヤマトはずっと一緒だった。立場も関係ない。毎日遊んでいた。
出会う前は、ミコトはずっと家にいた。姉の仕事をずっと見て、彼女について回っていた。
お屋敷から一歩も出たことがなかった。そんなときだったんだ。
「げっ。バレた」
「どどどどうしよう」
幼いミコトが見つめているのは、屋敷に侵入していることがバレて戸惑っている二人の少年であった。歳も自分と同じくらいであろう。
「こ、こうなったらこいつも丸め込むぞ!」
少年の一人がミコトの腕を引っ張り、屋敷の物陰に連れ込んだ。
「ま、まずいよタケル」
「仕方ないだろう! お前もツクヨミ家の屋敷見てみたいって言ってたじゃん」
「えぇー、でもこれは流石に」
少年二人は何か言い合っている。その間もタケルはミコトの手首をぐっと握りしめている。
ミコトにとって、初めての男の子であった。ツクヨミ家は巫女の血筋故か、男性が生まれづらく、同年代の知り合いはそれこそ姉しかいない。
初めて出会う同世代の異性にミコトは戸惑い、言葉に出ない。
「あっ、そうだ! お前名前は?」
タケルはミコトの腕を離してじっと彼女の瞳を見つめた。
「み、ミコトって言うの。ミコト=ツクヨミ」
「つ、ツクヨミってじゃあここの本家の人ってこと?」
もう一人のおどおどしている少年がミコトの名前を聞いて目を丸くしている。ミコトはコクリと頷いた。
「じゃあ、この屋敷のすっごいところとかも知っている?」
「すっごいところ?」
「えっと、珍しい本があるところとか、広い場所とか、綺麗な花が咲いているところとか!」
ミコトは空を見上げながら考える。確か屋敷の庭の端に桃色の花びらが咲くきれいな木がある。名をサクラと言う。それを言えば二人は満足するだろうか。
それともツクヨミ様の像がある本殿に案内すればよいだろうか。自分の好きな矢の修練場に連れてゆくべきだろうか。さまざまな考えを巡らせたが、言葉にするのに時間がかかった彼女はコクリと頷くだけだった。
「だったらどこでもいいから案内してくれよ! 俺はタケル!」
「僕はヤマト」
初めて会話をした同世代の者に興奮したミコトは、彼らが侵入者であると言うことも忘れ、共に屋敷をこそこそと冒険した。それはそれは楽しい思い出であった。
結局家の者に見つかってしまうのだが、姉であるマコトの計らいもあり、ヤマトとタケルは何の罪にも問われなかった。それどころか、今後も仲良くしてほしいと懇願し、ヤマトとタケルは、ミコトを毎日にように誘って楽しい毎日を過ごした。
ミコトはあの日々を忘れたことなどない。あの日、何の疑問もなく屋敷の中でのみ過ごしていた自分に新しい光をくれたタケルの手を忘れたことなど一度もない。
彼が亡くなった日から、一日たりとも、同じく王国から姿を消したヤマトのことも含めて、忘れたことなどなかったのだ。
矢を構えて走るキヨを追う。それと同時に背後のホムラに危険が迫ってきていないか意識を集中させる。
「ミコト。俺のことはいい。あの赤髪の少女を仕留めて来い」
「ですが王。貴方をお守りしなければ」
「その必要はないと言っている」
ホムラはミコトに話しかけながらその目はじっと侍たちと交戦しているドラゴンの姿を捕らえている。もはや自分が守られているという認識すら外れているようであった。
「畏まりました」
ミコトはホムラに頭を下げた後、閻魔橋周りを駆け回るキヨの方に向けて一気に駆けてゆく。キヨは突然こちらに近づいてくるミコトに驚いたが、今がチャンスとホムラに向けて矢を放つ。しかし、その矢に向かって突然下から飛んできた矢が衝突して相殺させる。
「ちょ! 人間技じゃないでしょ!」
キヨは慌てて駆ける。防衛に専念していたミコト相手だから互角に渡り合えていた。
向こうからこちらの命を狙ってくるのであれば、キヨが出来る選択は逃亡以外なかった。
「せっかく鍵受け取ったのに!」
愚痴を言っていると、後ろから殺気。キヨは小刀を構えて振り返る。
矢がこちらに向かって飛んでくる。その矢を小刀で叩き落す。
矢が二本飛んでくる。それを小刀で叩き落す。上空から弧を描いて矢が降ってくる。すべて躱す。キヨは姿を見せないミコトに恐怖していた。
路地に隠れよう。キヨはそう思いついた。狭い通路に入ってしまえば矢は打ちづらくなる。
キヨはすぐに屋根から降りて入り組んだ路地に身を潜める。
「路地に向かいましたか。いい判断です」
屋根から降りてゆくキヨの姿を見つめていたミコトがそう独り言を漏らして、彼女もまた入り組んだ路地に降りてゆく。
キヨは身を潜めながら、少し期待していた。
元々、ミコトは味方なのだ。ヤマトを救出するためにこの閻魔橋の場所を教えてくれたのも彼女だ。だからこうして二人きりで話せる場所があればヤマトを助ける足掛かりになるとキヨは踏んでいた。
その時であった。足音が聞こえる。
「そこにいますね。キヨ様」
ミコトの冷たい声が響く。キヨは襲ってこない彼女に安堵の息を漏らす。
「ミコトさん。あ、あの。ヤマトを助けたいんですが、どうしたら良いですか?」
キヨの安心しきった声を聞いてミコトはしばらく沈黙する。
その様子にキヨは戸惑いを感じ、振り返って顏を覗こうか悩んだ。
「それを私に聞くのですか?」
「だって、ミコトさんもヤマトを救いたいんじゃ――」
「すみません。気が変わりました。私は彼を救う気もありません。貴方たちの暴動を阻止します」
キヨは驚いて目を丸くするとともに狩り用のボウガンを構える。今の声色から彼女の殺意を感じたからだ。
「どうしてですか?」
「キヨ様がおっしゃったのではないですか。ヤマトは、貴方たちにタケルの存在を話していないと」
「それがどうかしたのですか?」
「私は、それが許せないのですよ」
ミコトは弓を引く。キヨが出てこればいつでも打つと言わんばかりであった。
キヨは一歩も動けなくなってしまった。ミコトならば、キヨが飛び出した瞬間に矢が刺さることは必須である。当たりどころが悪ければ致命傷は免れない。
「救う気はないって、ヤマトが死んでもいいの? 友だちだったのに?」
「えぇ。それが王の決定です。仮に王が殺さぬのであれば、私が彼を射抜きましょう」
声色でわかる。彼女は本気である。
キヨは真剣にこの後のことを思案する。自分とミコトの実力ははっきり言ってミコトの方が圧倒的に上である。今は矢でも射抜けぬ木箱を盾にしているから彼女も矢を構えたまま動かぬだけである。背を向けて逃げようものならヤマトよりも先に自分が死んでしまう。
キヨが考えたのは、ミコトが矢を構えるのに疲弊して矢を放つことであった。
いくら達人であっても長時間矢を引いたまま維持するのは疲れるはず。だから疲弊すればこちらを威嚇するためのように一本矢を放ってくる。その後の次の矢を構えるまでの時間に、自分がこのボウガンから矢を放ち、彼女の肩や脚を射抜いて行動不能にするしかキヨに打開策はなかった。
その瞬間だった。木箱に矢が当たる音が鳴る。ミコトが矢を放ったのだ。キヨはすぐに姿を見せ、ボウガンを構える。
「えっ」
「キヨ様は本当に賢い女性ですね。けれど、応用力が足りません。ですからこのように、逆手に取られるのです」
構えている方向とは違う。既にキヨの目の前で小刀を構えて、自分の首に刃先を向けられていた。
キヨは咄嗟に後退し、そのボウガンの矢を放つ。矢は的外れな方向に飛ぶ。
ミコトは矢を放った瞬間に弓を投げ捨てキヨの目前まで音もなく走ったのだ。
そんなことが出来ると思っていなかったキヨは必死に逃げるしかなかった。
背を向けて走る。ミコトは持っていた刀を彼女に向かって投げる。
キヨの背に刀が刺さる。あまりの痛みでバランスを崩しそうになるが、耐えて走る。大丈夫。獣に噛まれたときも頑張って走って集落まで逃げることが出来たんだ。今回だって逃げられる。
キヨは入り組んだ路地を右へ左へ駆けてゆく。法則性も何もない。頭を使って移動すれば、それこそ先ほどのようにミコトに先読みされると判断したのだ。
背中から血が流れている。けれど、これを抜けばさらに出血することはわかっていたキヨは抜くこともできない。
「逃がしませんよ」
走っていた向かい側からミコトが先回りして飛び出してくる。既に弓を構えている放たれる矢を躱すためにキヨは大きく跳んだ。ミコトの身体ごと飛び越えてキヨは彼女の方を見ずにさらに走り、路地の中を必死に逃げる。
後ろから矢が何度も放たれる。一つの場所に留まっていると矢が刺さってしまうので、右へ左で、ランダムに位置を変えながら逃げるしかない。けれどどこかで打開策を考えなければならない。
走りながら腰に携ええた小刀を手に掴む。
その刹那、キヨは振り返って、こちらに向かってくる矢を小刀で叩き落す。
それでもミコトは矢を放つことを辞めない。慣れた手つきで連続で構えるので、キヨも近づくことが出来ないどころか、処理が追いつかない。
「こうなったら!」
飛んでくる矢を小刀で叩き落した後、キヨは背中に刺さっているミコトの小刀を引き抜き、その刀で矢を叩き落す。
まるで舞うようにミコトの矢を小刀二本を駆使して叩き落してゆくキヨ。激しい動きに、背中の傷口から流れる血が飛び散っている。
「本当に決死の覚悟なのですね」
ミコトは冷ややかな目で出血しているキヨをも気にせずに矢を放ち続ける。
「えぇ! 私はヤマトを助ける。コブラとヤマトは私の恩人だもん! 旅に出たかったのに、責任感とか、色んなもので閉じこもっていた私に手を取ってくれた二人だもん!」
キヨは歯を食いしばってミコトに向けて駆ける。
彼女の言葉を聞いてミコトは目を見開き、身体を震わせる。
彼女は幼き日の自分と同じだったのだ。故に彼女は嫉妬の炎が燃え盛る。
ヤマトはタケルのことなど忘れ、新たな仲間と我々の夢を実現している。
それはとてもめでたいことだ。タケルの願いをヤマトが代わりに叶えている。
けれど、それが良かったなんて、とてもミコトには思えなかった。
「貴方は、手を差し伸べてもらったのですね。羨ましい限りです」
ミコトは駆けてくるキヨの眉間めがけて矢を放つ。キヨは少し顔を反らして矢を躱すが、頬を掠り、傷口が出来る。
「それに、ヤマトにタケルさんについて聞かないといけない。そのためにも絶対に諦めない!」
ミコトは次の矢を放とうとした時であった。矢筒に矢が無いのだ。咄嗟に予備の刀を構えるも既にキヨは自分の懐まで迫ってきていた。
最後の言葉にミコトは一瞬の油断が出来たことを感じた。普段なら矢が無くなっていることに気付く前に刀に切り替えることが出来たはずなのだ。
結局自分は臆病な少女のままなのだ。
タケルとヤマトの二人がいなければ何も出来なかった。
どれだけ脚を早くしても、どれだけ矢の精度を上げても、最後の一歩、詰めが甘い。
屋敷で巫女として修行している時、一度でも外へ抜け出して、自分からタケルやヤマトに会いに行けばよかったのだ。素直に自分もヤマトやタケルのように旅への憧れを口にしていればよかったのだ。
これは全て逆恨みである。わかっている。わかっていたのだ。
ミコトは覚悟した。自分はこの少女に斬られる。完全に力が抜けてゆく。
キヨはそんなミコトを無視して駆けた。刀は既に捨てられ、両手には弓と矢を構えている。
思いっきり駆けた勢いで滑りこみ、思いっきり矢を上空に向けて放った。
滑り込んだ地面には背中から流れるキヨの血が線となってこびりついていた。
キヨの矢筒からも矢がなくなってる。先ほど上空へ放った矢が最後の一本であった。
ミコトは呆然として倒れているキヨを見つめ、彼女の方に歩みよる。
彼女は息を荒くして覗き込んでくるミコトを見上げる。
「この勝負、私の勝ちってことでいいですか?」
「なぜですか? ここで私が貴方が捨てた小刀を拾ってしまえばあなたは死にますよ。それどころか、ここで貴方を放ってしまえばあなたは死にます」
「へへへ、これで確定でヤマトは助かるからですよ。最後の一本。貴方に撃ち落とされないように、貴方が矢を失うのを、ずっと待っていたんですから」
笑っている。先ほどまで殺し合いをしていた相手なのに、キヨはミコトを見ながら笑みを浮かべている。
「貴方、死ぬかもしれませんよ」
「大丈夫ですよ。ミコトさんは人を殺すような人じゃないので」
「なぜそう言い切れるのですか?」
少し苛立ってミコトは刀をキヨに向ける。
「誰かを失った人は、そう簡単に誰かを殺したりはできませんよ」
キヨは微笑みながらミコトを見上げる。
彼女も、ミコトの言葉やヤマトが話してくれなかったことから、タケルと言う人物がどうなったのかは大体の見当はついていた。
もし、自分がリザベラのことも忘れたと、村長であったセバスに話していたらきっとセバスはえらく怒っただろう。逆でもそうだ。セバスが歳で記憶力がなくなったとしても、彼の口からリザベラや、父のことを忘れたと言われればキヨは正気にはなれない。
だからなんとなく、ミコトの感情がわかる気がしたのだ。
そしてそんな辛い思いをした人は、滅多矢鱈には、同じことを相手にしようとは思えない。
キヨにはその確信があった。
「……キヨ=オフィックス様。確か王族の血筋でしたね。貴方は善き王になれますよ」
「いい先輩を知っていたもので」
キヨは恥ずかしそうに笑みを浮かべて自分の腕に付けている腕輪をそっと掴む。
ミコトは諦めたように溜息を吐くと、キヨの身体を転がして、彼女と背中の傷口を応急手当し始めた。土で汚れた傷口を水で流し、この場で出来る限りの処置を行う。
「あ、あのミコトさん」
「なんでしょうか?」
「ヤマトにも聞こうと思っていたんですが、タケルさんって方について聞いても良いでしょうか? 傷が癒えるまでの話題として」
「そうですね。私との勝負に勝ったらしい貴方に対しての報酬としては十分でしょう」
そしてミコトはキヨを肩に担ぐと、彼女を運びながら自身の昔話を語り聞かせた。
キヨが放った矢の先端には何かが取り付けられていた。その何かが重りになって、矢は弧を描いて落下していく。その先にはドラゴンがいた。
ドラゴンはすぐにその矢がレオ帝国の侍たちが放ったものではないと判断した。
ドラゴンは人の姿に代わり、その矢をつかみ取る。
侍たちが放つ矢を腕を振るって風を起こして無効化する。
矢についていたのは鍵であった。ロロンはすぐに理解した。
これはきっとヤマトの手錠の鍵だ。それが自分に渡ったと言うことは、自分が一番ヤマトに近いところにいる。すなわち、自分がヤマトを救わねばならない。
「絶対に成し遂げてみせます」
「……何かを持っているな。皆の者。あの女の侵攻を阻止しろ!」
侍たちに指揮をしているホムラの怒声が響いた。