第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 12話
幼いミコトはツクヨミ邸にて、巫女として修行を行っていた。病に罹った姉がいつでも引退出来るように巫女になるために日々を過ごしていた。
それがホムラ王によるミコトへの指示であった。
そんな彼女の元にホムラ王が再び訪れると言うのは、何か異常事態が起こったと言う証明であった。
「マコトはいるか」
ホムラはミコトの姉、マコトを呼び出し、彼女も彼の元へと向かう。
「済まない。君の身体を酷使させてしまう事態になった。後継者の候補は彼女以外にもいるか?」
「えぇ。ミコトが一番早く後を継いでくれるでしょうけれど」
「ならば、申し訳ないが、耐えてくれ。仕事になった時以外は、療養をしてもらって構わない。協力してくれ」
「えぇ、大丈夫ですよ。貴方の代になってからは仕事も安定していますもの」
マコトは丁寧に答える。ホムラは少し申し訳なさそうに礼を言った後、修行を続けていたミコトの元へ近づいていく。
「ミコト=ツクヨミだな」
「はい」
この頃から、ミコトは落ち着いた冷静な少女であった。目の前で王がこちらを見下ろしていても、身じろぐこともなく、じっと彼を見上げた。
「うむ。良い目だ。急な話であるが、貴殿には私の補佐を務めてもらうこととなった」
ミコトは表情にはあまり出なかったが、驚いたように目を見開く。
ミコトに王の補佐の話が来ると言うこと。それはヤマトに何かあったと言うことである。
元々ヤマトが就くはずの職業だ。それを己がするということの意味を理解し、冷静であったはずのミコトは動揺して目がわずかに泳ぐ。しかし、それはホムラにも読み解けないほどわずかなものであった。
「はい。王の命令です。私、ミコト=ツクヨミは王の補佐となりましょう」
幼いミコトは静かな声で彼をじっと見て答え、膝をついた。
ヤマトとタケルが国外に逃亡し、タケルが死亡し、ヤマトが失踪したということを知ったのは就任してすぐのことであった。
ミコトは怒りと悲しみに包まれ、誰もいない時、ホムラが眠った時、誰にも気づかれぬように何度も何度も泣いたのだった。
それでも彼女は仕事を全うした。ホムラの補佐としての訓練も、仕事も全て全うした。
ホムラはそんな彼女の仕事ぶりを評価した。ホムラが唯一と言っていいほど信頼している少女となったのだ。
しかし、ミコトはいまだ戸惑っていた。この王はタケルを殺すように命じた者なのだ。
その心に彼への疑心感を抱いていないかといえば嘘である。
それでも彼女の表情は曇りなく王に忠誠を誓っていた。
大丈夫、昔からそうなんだ。私は表情に出ない。
表情に出ないから、王への怒りも悟られはしない。
表情に出ないから、二人に誘われることもなかった。
表情に出ないから、ミコトはこのように生きていけるのだ。
ミコトがムサシの民家に入ってくる。コブラたちは全員警戒態勢で彼女を睨みつける。それでも彼女は表情一つ変えずにコブラたちを見つめ返す。
静寂とした場でムサシだけが唯一いそいそと茶の用意をしていた。
「さあさあ、ミコトちゃん。座りなさい。少し冷めちゃってるけど」
「ムサシ様、お気遣いをどうも」
ミコトは靴を脱ぎ。屋敷に入り、コブラたちと対面する形で膝を曲げて丁寧に座る。ホムラたちがしていた座り方だ。
キヨはこの座り方こそがこの国の作法だと判断して真似して座り直す。
「他国の方に、正座は負担になるでしょう。楽にしてくださっていいのですよ?」
「いいえ、郷に入れば郷に従えと言います」
ミコトの気遣いにもキヨは首を振り、正座を続ける。
「はい。お茶どうぞ」
ムサシがミコトの元へ茶を置く。ミコトは茶を持ち、丁寧に飲んだ。
「んで? てめえはなぜここに来た? お前がここにいるってことは、騎士団の連中が来ているってことか?」
「我々の国では騎士ではなく侍と呼びます。コブラ様。そして、彼らはここに来ていません。ハヤテ様もここに来ることはないでしょう」
ミコトはコブラの質問に答えると、今度はロロンの方を見つめる。
「貴方はロロンさま……でしたね?」
「はい」
「貴方が逃げる際に使った羽は、星術のようなものでしょうか?」
「いえ、その……」
「あの羽はこいつの身体の一部だ」
コブラはまだミコトに対して睨みつけている。ミコトはコブラの目を見た後、もう一度ロロンの方を見る。
「そうでしたか。貴方の身体に傷をつけてしまったことを深くお詫びいたします」
ミコトは静かに頭を下げる。これにはコブラたち4人は戸惑った。
ムサシは自分で入れた茶々をズルズルと啜っている。
「さて、王国補佐のミコトちゃんがここに来たってことはただ事じゃあないだろう。どうした? 俺にこいつらの抹殺命令でも伝えに来たのかい?」
ムサシはしたり顔でミコトを見つめる。
「いえ、本日は私の独断での行動です」
「へぇ、王国補佐がそんなことしていいのかい?」
「私は王に信頼されていますので」
「そうかいそうかい」
「あ、あの!」
ムサシとミコトの会話にアステリオスが割ってはいる。ミコトはアステリオスの方を見る。
「も、もしかしてなのですけれど、僕たちがここに落ちるように、仕向けましたか?」
アステリオスの言葉に全員が彼の方を見て驚いた。
アステリオスはずっと考えていた。王の部下であるミコトがここに来たと言うのに部下を引き連れていない。隠れているのであればムサシさんが見抜くはずだから、本当にここには一人で来たのだろう。
それにあの距離からロロンさんの羽を射抜く弓の技術ならば、もっと早く彼女を射抜けたはずだ。それこそ、長い廊下をロロンが走っている時にまっすぐ射抜けば良い。
キヨはハヤテの追撃を抑えるのに必死だった。その方が確実だろう。
それに、自分たちが都合よくムサシさんが隠居している民家の近くの竹林に落下するのも都合がよすぎる。人里に落ちれば確実に国民に囲まれてお終いだったはずと疑問を抱いていたのであった。
アステリオスの問いかけにミコトは少し沈黙した後、胸をなでおろす。
「はい。アステリオス様。その通りです。あなた方がこのムサシ様のお屋敷付近に落下するように調整して、ロロンさまを殺さぬように矢を射抜きました」
「なんでわざわざそんなことをした?」
コブラはミコトを信用しておらず、身を乗り出して彼女に圧力をかける。
「コブラ、落ち着いて。ミコトさん。なぜですか?」
コブラを静止した後、キヨはじっとミコトを見つめる。
「あなたたちとゆっくりお話がしたくてこのような手段を取りました」
「そうですか。そして、そのお話したいこととは?」
キヨとミコトが真面目な雰囲気で話し始め、コブラは口を挟むのが野暮に感じて溜息を吐いてムサシに入れてもらった茶を一気に飲み込んだ。ムサシはコブラにおかわりが必要か聞き、コブラは頷くと、ムサシは厨房の方へ向かっていった。アステリオスも手伝おうとしているのか、彼についてゆく。
「あなたがたはヤマトを救うおつもりですか?」
「えぇ。大事な仲間ですので」
キヨははっきりと答える。ミコトはそれでも表情一つ変えない。
「そうですか。彼は今、獅子城地下にある牢の中にいます」
「……あの時、下にいたのか。あいつ」
コブラは納得したように声を漏らした。
「しかし、明日には閻魔橋に移動させられるでしょう」
「閻魔橋?」
「えぇ。この国には川が流れているのですが、それを繋ぐ大きな橋です。この国が建てられる前、初代王であるヘラクロスがネメアの獅子を滅したところとして知られ、今では――」
「処刑の場として使われている。へぇ、我が国の王は本気のようだね」
茶を入れて戻ってきたムサシがミコトの言葉を遮るように答えた。
「王は貴方たちをおびき出す作戦であるとともに己の威光のためにヤマトを斬り殺すと仰っていました」
「その情報を私達に教えるのはなぜですか?」
キヨはミコトをじっと見つめて問い詰める。ミコトはしばらく彼女の真剣な目を見つめる。
「ヤマトを救ってほしいからです。ヤマトと私は幼き頃からの友でした。私は立場上、彼を救うことはできません。ですから、貴方たちに助力することとしました」
「じゃあ、明日! その閻魔橋へ向かえば!」
ロロンは嬉しそうに答える。ミコトはじっとロロンを見つめ、首を横に振るう。
「はい。その通りなのですが、王は万全の準備で処刑を行うでしょう。その場には多くの国民。侍。ハヤテやシュンスイ、もちろん私も護衛として付きます」
「シュンスイ……」
ムサシと共に戻ってきたアステリオスが苦しい声で呟き、己の腕をぐっと抑えた。
「つまり、この国の最大勢力と闘わなければならないってことか?」
「えぇ。王は洞察力のある方です。当日私があなた方を誘導すれば、きっと勘づくでしょう。ですので、私はあなたたちの敵として立ちはだかります。それでも、ヤマトを救いますか」
ミコトはじっとキヨを睨みつける。
「もちろんです!」
キヨよりも先に叫んだのはロロンであった。唐突な出来事にコブラとキヨ、ムサシは驚いている。アステリオスだけが微笑んでいた。
「ロロンさんの言う通りです。どんな状況であろうとも、私達はヤマトを救います。これからも一緒に旅を続けるために」
「そうですか。それは……タケルも報われることでしょう」
表情の硬かったミコトがゆっくりと微笑む。二度と会うことができないと思っていたヤマトに再開した。彼が旅をしていた。それだけでタケルが報われている気がして胸をなでおろす。
「タケル?」
コブラがミコトの言った言葉に首を傾げる。ミコトは目を丸くしてコブラの方を見つめる。
「皆さま、タケルと言う男をご存じですか?」
ミコトの心に何かざわついたものが走る。
「知らないな。ヤマトからは何も聞かされていない」
「えぇ、ミコトさん。そのタケルと言う方とヤマトはどのような関係でした?」
キヨは丁寧にミコトに問いかけるが、ミコトは呆然としてしまっていた。
コブラたちは事態の重さを実感した。先ほどまで無表情であったミコトが明らかに動揺しているのだ。
「タケルと、ヤマトは……親友でした。それはもう、本当に仲がよくって」
ミコトにとって、照らしてくれる太陽のような、そんな二人。
そんな二人はミコトから光を奪うようにいなくなった。
しかも、タケルは二度と戻ってこない。
ミコトは、動揺した。ヤマトは、タケルのことを仲間たちに話していなかった。自分が旅をしているのは誰のため、誰のおかげであるかを語っていない。この国を出たヤマトにとって私達二人は――。
「ぜひ、ヤマトを救ったときには、タケルについて聞いてみてください。では、私はこれで、ヤマトをよろしくお願いします。そして、明日会ったときは敵となっていますので、お覚悟ください」
ミコトは立ち上がって、コブラたちに一礼をして屋敷を去った。
ミコトの心にざわついた何かが一つの黒い塊として形作られていく。
ヤマトは、自分やタケルのことを忘れて、のうのうと生きてきていたのだ。
自分を救うことはなく、タケルの意志を継ぐこともなく、今手に入れた光の中で生きていたのだ。
「ミコトちゃんは、ヤマトが助かった後、どうするんだい?」
帰ろうとした時、いつの間にか後ろに立っていたムサシに声をかけられる。その質問から感じられる意図は、彼女の意志を全て悟っているような口ぶりであった。
「そうですね。私が彼を殺すのもいいかもしれません」
「父親の前ではっきり言うたぁ。君も、王に似てきたね」
「口だけならいくらでも言えますから。では、また」
ミコトは丁寧にお辞儀をしてムサシに背を向けて帰ってゆく。
ミコトにヤマトへの殺意はない。しかし、怒りはある。死んでほしくないと言う情もある。しかし、それ以上に彼に思いっきり自分をぶつけてしまいたいと心が求めているのだ。
そしてレオ帝国での1日が終わり、朝を迎える。