第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 11話
抜け道を潜った僕らが最初に見たのは雨に濡れた森の木々ではなく、侍たちであった。
男たち数名が、まるで僕らが抜け出すのをわかっていたかのように待ち構えていた。
「ど、どうしよう……タケル」
ヤマトは恐怖で震えながらタケルの方を見つめた。タケルは怯えず、じっと自分たちを囲む侍の数を確認した。侍の数は4人ほど。タケルはヤマトを安心させるために彼の手をぐっと握りしめる。
「ヤマト、俺達は速い。あの大人たちだって俺たちを本気で斬るはずがない。逃げ切るぞ」
小さな声でタケルが呟いた。ヤマトは彼が言った『逃げる』の意味を把握した。ここに来るまでの間にタケルから聞いていた。一度父と食材調達のために外へ出た時に脱出のときに必要なものを森のある場所に隠しておいたという。ヤマトもタケルからそこへ行く目印は聞かされている。二人でそこへ向かえばいいのだと感じた。
ヤマトは怯えながらもぐっと頷く。
「少年。大人しく投降しろ。王から君に王族誘拐の罪にかけられている。これは重罪だ」
「そ、そんな! タケルは!」
ヤマトは男たちの言葉を否定しようと叫ぶも、タケルがそれを静止させる。
「行くぞ!」
タケルは男たちの間を一気に駆けた。男の一人の腕がタケルを捕らえる。
しかし、タケルは男の腕を食いちぎろうとするかの勢いで噛みつく。男は悲鳴をあげて腕を振るう。タケルは痛みで動揺している男や他の男たちの隙を見て一気に駆ける。ヤマトもそれに続くように走る。
「はっはっは! ざまぁみろ!」
「す、すごいね! タケル!」
「何言ってんだ。今はお前の方が強いよ!」
タケルははっはっはと笑いながらヤマトの先を走る。遠くからほら貝の音が響く。
増援を呼ぶ音である。ヤマトとタケルはさらに走るスピードを速めた。
「ヤマト! 俺が行った目印は覚えているか!」
「うん!」
「じゃあ、いざとなったら二手に分かれるぞ!」
「うん!!」
二人は走った。次第に人の気配が多くなる。確実に自分たちを追ってきた侍の数が増えている。もうすぐでタケルが置いておいた旅の道具の近くだと言うのに、自分たちを探す侍たちがいて、進むことができない。二人は木陰に隠れて侍たちがいなくなるのを待つしかなかった。
「くそっ。ヤマトが外出るくらいで大事にしやがって」
しばらく会わなかったタケルは少し男らしくなったようにヤマトは感じた。
「ねぇ、タケル」
「なに?」
「やっぱり僕が戻れば、タケルだけなら旅に出れるんじゃあ」
「俺はもうお前の誘拐をした犯人らしいからな。もし一人で旅をしたら二度とお前に会えない。旅の感想を話すことができないならしないほうがマシさ」
タケルはヤマトの顔を見ない。ずっと外を覗いて侍たちがいなくなるのを待っている。
「ねぇ、タケル」
「なんだ?」
「み、ミコトのことなんだけど……きっと怒っているよ」
「仲間外れにされたからか?」
ヤマトはそっと頷く。タケルはクスリと笑う。
「そうだな。罪人の俺はもうミコトには旅の話できないもんね。そうなったらヤマトが話してあげて。その時は俺の代わりにヤマトがミコトに怒られるだろうけど」
「ハハハ」
「ミコト、怒ると怖いからなぁ」
ハハハと笑うタケルに吊られてヤマトも笑った。しかし、その後すぐにタケルの表情が一気に真剣なものになる。
「ヤマト。今から20秒後に、荷物が置いてある方に一気に走れ。いいな!」
「えっ」
タケルはそう言い残してなぜか木陰から飛び出した。ヤマトは彼を追おうとしたが、彼が言った20秒後の意味を考えると、足が動かなかった。
タケルの言う通りにしないと。ヤマトが考えたのはそのことであった。
20秒後、ヤマトも木陰を飛び出して目的地に向かって走りぬける。
不思議と侍たちには会わなかった。
侍たちから何かを追いかける怒声が響いてくる。ヤマトは必死に走る。
タケルが言っていた洞窟を見つけた時であった。
1人の男が何かを見下ろしていた。
ヤマトの兄にして、レオ帝国の王、ホムラ=オフィックスであった。彼の刀には血が滴っていた。彼は何かを見下ろしている。ヤマトは倒れたそれがなんなのか。すぐに理解した。
叫びそうになる声をぐっと抑える。まだわずかに動いていた。けれどヤマトは恐怖で動けなかった。ホムラは念を押すように、わずかに動くそれを刀で突き刺した。それは動かなくなる。ホムラの元に侍が2人やってくる。
彼らはホムラと何か話をすると、ホムラの足元に転がるそれを回収していった。
ヤマトは声を必死に耐える。そのかわりと言わんばかりに涙が溢れ出てきて、過呼吸になってゆく。
ホムラたちはその場から離れてゆく。その頃にはヤマトの感情は枯れ果てて、目は真っ赤に腫れ上がっている。
ヤマトは呆然と歩く。王たちは自分を諦めて戻っていったのだろう。そんなことすらヤマトはどうでもいいかのように憔悴しきって洞窟に入ってゆく。
洞窟には実際にタケルはいくつかの衣類と、保存の効く食料が隠されていた。それに、隠し扉のように大きな空間があり、そこに入って、岩で内側から塞げば、見つかることはないようにされていた。タケルはこの岩を見つけて、ここを隠し場所にしたのかもしれない。
隠し扉には元々隠し扉があるとわかっているものにしか見つからないほどに精工であった。
ヤマトはその中に籠ってタケルを待つことにする。決してくることはないとわかっていても、待つことを選んだ。
雨の中走った身体は体力を奪われ、睡魔に誘われる。そして彼は洞窟の中で眠りにつく。
目が覚めても、タケルがその場に来ることは決してない。
その翌日。ヤマトは死んだ目で太陽を見つめ、タケルが残したタケルが残した食料や衣類を抱えて、中央国オフィックスへ向かって、彷徨うように歩いた。
空虚に包まれたヤマトが唯一意識できたのは、オフィックスに向かうということ以外なかったのだ--。
「もう寝るのをやめた方がいいだろうか」
目を覚ますと身体がぐったりとする。眠っているはずなのに体力は回復しない。
眠る度に、タケルか、ミコトか、兄か、何者かの怨念のようにあの日の夜のことを思い出す。けれど、これは再認識しないといけない事柄なのだ。
【ねぇ、どうしてあの時タケルを助けなかったの?】
牢屋の外に、幼い自分の姿が見える。きっと幻覚だ。罪悪感に押し潰されそうな自分が見せている幻覚。ヤマトは座り込んで小さな自分を見つめる。
「タケルの夢を叶えないといけないと思った」
【でも、あの時助けていたら、タケルは生きていたかもしれないよ?】
「……そうだな。俺は奴を見殺しにした」
あの日、洞窟に隠れる前、ホムラがタケルを殺した時、恐怖と怒りが混ざり合って、どうしていいかわからなかった。勇気のあるタケルと立場が逆であったなら、彼はヤマトを助けるために王に飛び込んだだろう。
しかし、ヤマトには出来なかった。兄が怖かった。怒りはぶつけることが出来ず、彼はタケルの夢を背負うと言う大義名分を言い訳に、ホムラから逃げたのだ。
「この夢は、タケルが怨念で見せているものだとしたら……嫌だな」
【ねぇ。ヤマト】
幻覚はいつの間にかタケルの姿になっていた。
ヤマトは憔悴した目で彼を見つめる。
【今でもお兄さんは怖い?】
「あぁ。タケルには正直に言うよ。怖い。すっごく怖い」
【じゃあ。また逃げるの?】
「逃げたいと言いたいが……それはないな。コブラに笑われてしまう。」
ヤマトは、自身の情けない姿を見て、嘲笑するコブラを想像すると、憎らしすぎて逆に笑いがこみ上げてきた。しかし、枯れた弱い笑い声であった。
【そっか。それなら大丈夫。ヤマトは俺よりも強いんだから】
その言葉と同時にタケルの幻覚は消えた。自分を保つための哀れな幻覚だなとヤマトは溜息を吐いた。けれど、不思議と力が湧いてきた。
ここを出たらキヨの新しい絵を思う存分絶賛しよう。彼女の恥ずかしがっている表情がヤマトは大好きだ。
アステリオスの料理をたらふく食べよう。きっと自分がいない間に新しい料理を覚えているかもしれない。そう思うと勝手に腹の虫が鳴く。
そしてコブラには落とし穴の仕返しをしてやろう。大人げないが、たまにはそういったことをするのも一興であろう。
ヤマトはこの星巡りの儀式を到達した先にある未来を妄想して、意識を強める。
牢の柵から漏れる外の光は夕焼けで赤く染まっていた。
朦朧とすると、いつも思い出すのは、父が誰かと闘っているところであった。
父は笑顔で相手と相対した。相手は死にもの狂いだ。この国で自由を得るため。地位を得るため、単に父を憎むが故、力を誇示したいがため――。
様々な者たちが連日父に挑む。刃を突きつけつけられても父はヘラヘラと闘っていた。
そんな父を見ていられなかった。毎日襲われると言うのは、弱いと思われているからだ。
父がそのような態度だから、国民は自由を吼えるのだ。牙を剥くのだと――。
真に強者となれば、平和である。真の強者が統べれば世は平和なのだ。
自分が誰にも負けない。誰にも勝負など挑ませてたまるものか。
その気持ちがずっとずっとずっと膨らんでゆく――。
「ホムラさま、大丈夫ですか?」
声をかけられて、自分が微睡みの中にいることに、ホムラは気づいた。
自身の補佐を勤めるミコトが顏を覗き込んでいた。ホムラは咄嗟に短刀を彼女に突き付けたが、彼女はそれをひょいと避けてしまう。
「ふぅ。済まない。流石だな。君を補佐にしてよかったと思うよ」
「いえ、相手が補佐でも、近づけば攻撃するその警戒心こそ、我が王の誇りと存じておりますので、当然のことです」
ミコトは先ほど殺されかけたことなど気にも留めないようにホムラの間合いから離れる。
「ホムラ様。随分とお疲れのお様子ですね」
「そうだな。気に止めねばならない事柄が多いのでな」
「やはり、弟君を殺すのにお覚悟が必要ですか?」
「そのようなものは王になった時から既に切り捨てた。奴は大衆の前で殺す。そうすれば自らと血を分けたものをも冷徹に殺すことの出来る王だと証明できるであろう」
ホムラの言葉にミコトは何も話さない。
「自らを悪としたい者共はこういった行為が好きであろう。見世物として見せつけてやれば、俺を慕う可能性も大きい」
ミコトは黙って彼の言葉を聞く。
「ハヤテには悪いがな。あいつはヤマトによく懐いていた。ミコト。済まないが、その際のケアは貴殿に任せる」
「かしこまりました」
ミコトは敬意を持ってゆっくりと頭を下げる。
「ハヤテが彼らを捜索しております。時期に見つかり、拘束されるかと」
「そうか。ヤマトを処刑するにあたって、奴らが不安要素であるからな。なるべく排除したい」
「ですので、ホムラ様はしばらく休息をとった方がよろしいかと」
「あぁ。そうさせてもらおう」
ホムラは立ち上がり、寝室へと向かう。ホムラは警戒心の強い男だ。己を守るために全力を尽くす。寝室で横になろうが、きっと奇襲を仕掛けられても、彼はすぐに対処して敵を殲滅する。ミコトは一度ホムラの寝室に入ったことがある。眠っているホムラを確認しようと近づいた直後に、彼は目を覚まして、彼女の首を絞めた。
その時はミコトだと気付き、すぐに手を離したが、あれが自分でなかったならと思うと、彼女は思い出した今でも冷や汗をかく。
しかし、そんな態度は一切見せず、彼が寝室に入るまで三歩後ろをついてゆく。
寝室に入る前にホムラは一度振り返り、ミコトを見つめる。
「では、ミコト。済まないが、よろしく頼む」
「えぇ。王の命令には従います」
ミコトはじっとホムラを見つめる。ホムラは眉間に皺が寄っていて、全ての者を威嚇しているように睨んでいる。それでも彼女はじっと見つめ返す。
大丈夫。自分は信用されている。
ホムラはそのまま扉を閉め、寝室へ向かう。ミコトはそれでもしばらく扉の前に立ち尽くす。王が鎧を脱ぐ音が聞こえる。それからしばらく。何も音が聞こえなくなる。
着替えを終え、彼は布団に入ったのだろう。
ミコトは扉に背を向け、歩き始める。
自分の思い通りにことが運んでいるだろうか。いくつかは運に任せた算段をつけてしまっている。しかし、それを掴めていないのであれば、やはり彼らを信用するわけにはいかない。それを確認しなければならない。
ミコトは自身の懐から首巻きを顔に巻き付けて、自身の顏が他人に見えないようにする。そして彼女は城の窓から隙を見て飛び降りる。そして城下町に紛れて裏路地を通り、目的地へと向かう。
コブラたちは、ムサシに言われて、この国の衣類に身を纏うことになった。
「髪色なんかは目立つだろうから笠でも被ってな。それで、町を歩くことなんかは出来るだろう。着替え終えたのを確認してムサシはどしっと座る。
「さてさて、あんたらはヤマトの友人で」
「友人ではねえ」
「コブラ、面倒臭いからそこは否定しないで」
「まぁ、なんだ。旅のお供って奴だったんだろ?」
コブラたちはまだ慣れないレオ帝国の着物にモジモジしながらもムサシの話を聞く。
「あぁ。だが、ヤマトはこの国からの逃亡罪で死刑とか言いやがったから、ムカついたからあの王様に喧嘩を売った」
「いいねぇ。おじちゃんそういう血気盛んな子は好きだぜ」
ケラケラと笑うムサシとつられて笑うコブラに対して残りの三人は溜息を吐いた。
「それでホムラに火を付けちまって、絶賛追われている最中だと」
「はい。ホムラ王や、ヤマトの父君にして先代王なのですよね? その辺り、話し合いで解決していただけないのでしょうか?」
キヨは丁寧にムサシに提案するもムサシは首を横に振った。
「この国じゃあ、先代王はなんの価値もないよ。しいていうならこうしたボロ民家で、仕事もせずに過ごせるってのが利点くらいさ。政治にも必要以上に関わっちゃいけねぇ」
「それじゃあ――」
「あぁ。悪いが俺もこれ以上あんたらを助けるのは難しい。それに隠居の身だ。ホムラの野郎にあんたらを殺せと命じられればそれに従わざるを得ない。この国はそういう国だ」
真剣な眼差しでキヨを見つめるムサシの目は本気であった。
皆がその威圧感に生唾を飲んだ。彼はそんな空気を変えようと表情をへらっと緩める。
「まっ、この国から逃げたらしいヤマトが生きてて、それもこんなにいい仲間に囲まれているってのは、父親としては嬉しい限りだ」
顎を撫でながらコブラ・キヨ・アステリオス・ロロンを見つめる。ロロンは少し恥ずかしそうに俯いた。
「私はヤマトさんにお会いしたことがないのですけれど……」
「あら、そうなのかい?」
「はい。しかし、早く会いたいと思っております」
「そうかい。俺も表舞台には立てないが、出来る限り協力させてもらう。……お客さんだ」
ムサシは玄関の方を振り返り、扉が開くのを待つ。コブラたちは警戒して、姿を隠そうと思ったが、ムサシは手でそれを静止させる。コブラたちは心配そうに扉を見つめた。
「入んな」
「はい。どうも……この騒がしさ。どうやら悪運は強いようですね」
引き戸を引いて扉を開く。首巻で顔を隠している女性が入ってくる。四人は警戒心を強めて彼女を睨みつける。彼女は首巻を外す。
コブラたちは目を見開き、キヨはすぐに小刀を懐から取り出した。
「やぁ、久しぶりだね。ミコトちゃん」
「えぇ、お久しぶりです。ムサシさん。そして予想通りここに匿われていましたね。星巡りの遣いの皆さま」
ミコトはきれいな瞳で四人をじっと見つめた。
彼女の後ろから夕焼けの赤が彼女を照らした。