第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 10話
道場で、コブラは壁にもたれ掛かり、睨み合っているキヨとムサシを見つめる。
キヨは剣術は経験がないと言っていたが、ヤマトの見様見真似の構えはコブラから見れば遜色のないものであった。
「確かに剣術は素人みたいだな。誰かの真似事だろうが、ふむ。隙はない」
ムサシは関心するように呟く。キヨはこの瞬間を見逃さない。地面を蹴り、ムサシの方へ駆ける。ムサシはしっかりと握った二本の竹刀を構える。
キヨは斬り込むために一度身を低くする。ムサシの視線はしっかりとキヨの目を捕らえている。そしてキヨが切りかかる瞬間に片方を剣を彼女に向ける。
しかし、彼女の目的は斬りかかることではなかった。しゃがむために曲げた膝をバネにして大きく跳びあがる。それでもムサシの目は上空のキヨを捕らえている。
「飛ぶと避けれなくなるぜ嬢ちゃん!」
ムサシは先ほど盾に使おうとした竹刀とは別の竹刀で上空のキヨの腹部を攻撃しようとする。
しかし、キヨの目がまだ敗北を悟っていない。彼女はかかと落としの構えに入る。この蹴りを二本の竹刀で防げばよいと考えたが、違和感を感じたムサシは意識を集中させる。
ムサシは気づき、ハッとキヨを見つめる。キヨの手には竹刀が握られていない。
ムサシはすぐにその場からすり足で前進して移動する。
元自分がいた背後には立てられた竹刀が重力に任せてゆっくりと倒れ込んでいた。
キヨは自分の作戦が気づかれたことに舌打ちをして着地する。
「いやぁ、恐れ入ったよ。素人ならではの奇襲だ」
キヨが着地したと同時に彼女の肩を竹刀で小突くように叩く。
勝てるとは思っていなかったとはいえ、実際に敗北すると悔しいものである。キヨは唇を小さく尖らせて悔しそうにムサシから目をそらす。
そんなキヨを見てムサシは彼女の赤い髪をわしゃわしゃとかき乱し、キヨは戸惑う。
「惜しかったなぁ! キヨ」
「あぁ、あれ。刀だったら重みで落ちるスピードを高いだろうから肩から背中をばっさりだったろうな」
ニカっと笑っていたムサシは突然何かに察したように表情が真剣な物に変わった。
その様子をコブラも見逃さない。彼はすぐに二人の元へ駆け寄る。
その時だった。道場に向かって、駆けてくる足音が聞こえる。
戸を開く音。扉には目が覚めたロロンがいた。
「皆さまこちらにいらしたのですね」
「おう。嬢ちゃん目を覚ましたのかい」
「ロロンさん! 大丈夫!」
キヨはすぐにロロンのそばに駆け寄った。
「えぇ。ゆっくり眠ったので、痛みで翼を出すことはしばらく難しいでしょうが、それ以外に支障はないかと」
ロロンの言葉を聞いて安堵の息を漏らすキヨ。
「あっ、アステリオスはどうしたの?」
「あぁ。アステリオスなら散歩に行ってくると書置きがありました」
「そう」
キヨとロロンが話している間、コブラは様子が変わったムサシを睨み続けている。
「おっさん。何かあったのか?」
「いやなぁ? アステリオス君が散歩に言ったって聞いたらな。お前ら。しばらくここにいろ。事情はしらねぇが追われてんだろう? この家にいる間は俺はあんたらの味方だ」
「おい、何があったか教えろ」
コブラはムサシに問い詰める。ムサシは冷たい目でコブラを睨み返す。
その目は先ほどまでの飄々とした彼の姿とは違い、コブラは恐怖を感じるほどに威圧を与えるものになっていた。
「はぁ。仕方ない。今、結構向こうの寺に向かう道で、誰かが闘っている気配がする。ちょっくら行ってくる。おそらくアステリオスはあんたらの言う『追手』に見つかっちまった可能性がある」
「――ッ」
「わかるだろう。目が覚めたとはいえ、けが人が一人。向こうが増援してきたら勝ち目はない。それにあの小さな少年だ。しっかりはしているが……。相手が悪い」
「相手までわかるのか?」
「まぁ、あいつほどの奴ならな」
「俺も連れていけ」
「ダメだ。あんたらはひとまずここにいろ。俺がアステリオスを迎えにいく。キヨの嬢ちゃんも俺との手合わせで疲弊しているだろう。ここに潜んでいた方が賢明だ。そうだろう?」
コブラは考えた。確かに、コブラたちはこの家に無事に戻れる可能性も低い。場所も把握しきれていないのだ。もしムサシと共に向かい、事態が大きくなり、散開することになればこの家に戻ることが出来ない。場所を把握しているムサシだけで行く方が賢明な判断ではある。コブラは悔しそうに舌打ちをした後、もう一度ムサシを睨む。
「任せた。だけど、一つ言っておくぞ」
「なんだ坊主」
「うちのアステリオスは俺達の中で一番強い男だ。あんたが思っているような心配はいらない。普通に、迎えに行ってやってくれ」
「……はいよ」
そういうとムサシは話している女性陣二人に対して「晩の飯調達してくるから君たちはここにいなさい」と一言添えて道場を出た。コブラは二人が不信感を抱くよりも先に彼女たちの会話に入って、何気ない会話にシフトさせてゆく。
大丈夫。見えている。手も動いている。そしてやはりドラゴンの鱗。鉄で出来た武器程度なら砕けない。
アステリオスは次々と来るシュンスイの剣戟を見抜き、自身の籠手を盾にし続ける。一つも傷をつけることが出来ていないシュンスイはあまり慌てた様子はない。むしろ慌てているのはアステリオスの方である。
シュンスイが操る刀は従来のものよりも長い。故に、いくら刀の攻撃を防いだとしても、アステリオスはシュンスイに近づくことは出来ない。
「刀でも叩き割れない、切り刻めない硬い材質。まさかそれはドラゴンの鱗かい?」
「だったらどうだと言う」
「いいねぇ! その鱗を切り落とすことが出来れば、俺もドラゴンに勝てる可能性が上がるってものだ!」
アステリオスは危険を感じ、後退して、剣を躱す。シュンスイは関心したように「ほぉ」と声を漏らす。
横に一振りされた刀が風を切る音が他の者よりも重かった。
先ほどのは切るための一振りではない。砕くための力一杯振るった一振りであった。
いくらロロンの鱗から作ったとしても、過度に酷使し続ければ砕ける可能性も大きい。アステリオスはそう判断して躱したのだ。
「あんたのその視力。凄まじいね。それに判断能力も優れている。その小さな身体じゃあなければよほど強い拳闘士なり侍なりになれただろう」
「お褒めに預かり光栄だよ」
アステリオスは必死に強がってみせる。いつまたシュンスイが攻撃を開始するか。それを見極めることを失敗するだけでアステリオスに勝利はない。呼吸を整えて、冷静にシュンスイを見つめる。
シュンスイは刀のみねで肩をとんとんと叩きながら呆然とこちらを睨みつけるアステリオスをじっと見つめている。
「さて、じゃあ少しだけステップアップしようか」
その言葉と共にシュンスイの身体がゆらりと揺れる。脱力しているようだ。アステリオスはそれでも油断はしない。どこかで一気にこちらに踏み込んでくるはずだと――。
「――ッ!?」
アステリオスは慌てて籠手を構える。籠手と刀がぶつかる音が響く。
「へぇ。これも見抜くかい。本当に目がいいねぇ」
気づくとシュンスイはすでにこちらに触れれるほど近くに来ていた。アステリオスはまずいと思い、刀を止めている方ではない手で彼を殴ろうとする。
シュンスイは「よっと」と気の抜けた声を出してこの攻撃を躱すために後退。すぐに刀で切りかかろうとする。アステリオスはこれを防ぐ。必死に防ぐ。シュンスイは余裕の表情で彼に攻撃を加えているがアステリオスは全てを必死に防ぐ。
まずで流れる水のように、踏み込みもないまま、ゆらりゆらりとすばやく近づかれた。
長い刀もまるで重さなどないかのようにのらりくらりとこちらに襲いかかる。
故に刀の軌道を読み、攻撃を防ぐのにもアステリオスは苦戦する。
すぐに理解する。これがシュンスイの闘い方なのだ。一点にとどまらない。まるで舞でも踊っているようだ。
刀が籠手にぶつかる。その籠手を起点に刀を振るった力を利用してシュンスイの居場所が背後に移動している。刀を引き、アステリオスの背中に向け一突き。アステリオスは籠手では防げぬと察して伏せるために、地面に向かって飛び込む。突きつけられたシュンスイの刀は刃をすぐに地面に向けてアステリオスに向けて振り下ろす。
アステリオスはその前に身体を転がしてその場から逃げる。
何度も死にかけている事実にアステリオスの息が荒くなる。
何か一つでも失敗すれば死ぬ。その現実にアステリオスは過呼吸に襲われる。
死ぬまで殴ってはいけない上に、ミノタウロスを身に着けていた喧嘩祭りとも違う。
相手がこちらを傷つけるつもりなどさらさらないロロンとの闘いとも違う。
生身の身体。武器はこの小さな籠手のみ、相手はこちらの皮膚を切り裂く刀。
シュンスイは少しがっかりした様子で溜息を吐く。目の前の少年は間違いなく強者である。圧倒的な戦闘センス。己の武器を使うために必要な頭脳。それこそこの国でならば自分と共に寺で己を高める修行僧として、大器を成すものであろうとまで感じていた。
しかし、今の彼の表情は恐怖に染まってしまっている。
全面的に実践が足りていない。血を見慣れていない。
「まっ、小さな少年にそれを求めるのも酷か。拙僧もなんだかんだ、あの兄と血は争えぬと言うことか」
シュンスイは一度刀を鞘に収めて居合切りの構えに入る。
アステリオスは必死に呼吸を整えようと試みるも、一度おかしくなった呼吸のペースはそう簡単には収まらない。
一度発生してしまった恐怖はそう簡単には拭えない。
治まれ。治まれ。恐怖に飲まれるな。喧嘩は力でするんじゃない。相手に恐怖しないことが肝心なのだとウラノスは口々に語っていたではないか。気持ちで負けなければ喧嘩は負けじゃないんだ。まだだ。まだ負けていない。
「さて、この居合い切りがドラゴンを貫けるか。試させてもらおう」
ニタリとシュンスイが笑う。不意打ちなどいらない。ただただアステリオスが持っている籠手――ドラゴンの鱗をも砕くことが出来るものか試すための力任せの一振りを放つ構えに入る。
アステリオスは生唾を飲む。まだ過呼吸は治らない。けれど――。
タウラスの男は、強い女が好きなんだ。自分は小さく弱い身体の男だ。だからきっと、この人には勝てないだろう。けれど――。
「ロロンさんは強い。お前の一振りなんか効くもんか!」
過呼吸を振り払うように叫ぶ。その瞬間にシュンスイの目はカッと開き、居合切りを始める。先ほど砕かれるかもと躱した一振りをアステリオスはその場から動かずに、剣の軌道に合わせて籠手を構えて、勢いで飛ばされないように必死に踏ん張る。
刀と籠手がぶつかる音が響く。籠手に刀がめり込んだが、砕けてはいない。
「ふぅー。ふぅ」
アステリオスは獣のように息を荒くしている。受け止めた腕は衝撃で痺れてしまっている。
シュンスイは刀を引き抜こうとするも籠手にめり込んだ刀が抜けない。アステリオスはすぐに刀を受け止めた右腕ではない左腕の籠手を刀に向けて思いっきり振り下ろして刀をへし折る。へし折った衝撃で刀を握っていたシュンスイはガクッと身体を躓かせる。
シュンスイはすぐに刀を手放し、アステリオスの方へ向かった。
「ドラゴンの皮膚を斬るにはさらなる修行が必要なのはわかった。けど、今度は仕事だ。あんたを捕らえさせてもらうぜ」
華麗なステップで既にアステリオスの間近までシュンスイは着ていた。今度は掌底の構えに入っている。あまりに突然の襲撃に、アステリオスは身を防ぐことが出来なかった。
腹部に掌底が放たれればアステリオスは確実に気絶する。アステリオスはなすすべもなく、目を閉じてしまう。
「侍が刀折られたら降伏しろ。負けず嫌い」
自分がやられたと思ったときだった。その声の後、静寂に包まれた。アステリオスはそっと目を開く。
見上げると、そこにはムサシの横顔が映っていた。自分を心配して様子を見に来たのだろうかとアステリオスは安堵し、今までの恐怖心が全て押し寄せてきて腰を抜かしてしまった。
掌底を止められたシュンスイも目を丸くしてムサシを見つめている。その後、憎らしそうにシュンスイはムサシを睨む。
「そうか。ここはあんたの家の近くだったな」
「あぁ。近所で喧嘩騒動がありゃ、近隣住民としちゃあ野次馬でもしたくなる」
ムサシに舌打ちをして、自らの手を掴んでいるムサシの手を振り払い、アステリオスとムサシから距離を取るシュンスイは、折れた己の刀を見つめる。
「あぁーあ。この刀気に入っていたのになぁ」
「一つの物にこだわるからこういう時不便するんだ。お前はいつも一つの物しか見ていない。まぁ、だからこそ強いやつなんだが」
「あんたには言われたくないね」
アステリオスはシュンスイの雰囲気が変わっているのを感じた。ムサシに対して距離感が近いように感じる。
「さて、この少年とシュンスイ。お前はなぜここで闘っていた」
ムサシはあくまで自分のことを知らないと言う様子で話すことにアステリオスは少し疑問であったが、彼が自分たちを庇っていることを隠すためにしていることを理解した。
「その子は、王への反逆罪がかかっている。僧としては殺生は避けたいんだが、王の命令でね。せめて連行しようと考えたわけだが――」
「ほぉ、この少年があのホムラ王に反逆を――。それは大それたことをしたな少年」
「あんたには関係ないことだろう」
「そうだな。僧であるあんたも本来なら関係ないはずだろう?」
「…………」
「その理由を聞いている。シュンスイ。お前はなぜこの少年と闘った」
「この少年は、ドラゴンと繋がりのある者だ。俺はドラゴンを斬る」
シュンスイの言葉を聞いてムサシは思わず吹き出してしまった。がっはっはと豪快に笑う彼の笑い声は、死にかけたアステリオスと、その敵のシュンスイがいるこの場にはふさわしくなく、アステリオスは呆気に取られていた。
「お前は本当に昔から変わらないなぁ! そういうの俺は好きだぜ。だが、ドラゴンを斬る前に斬るべきやつがいるだろう? 俺にも一度も勝ったことないくせに」
ムサシは無邪気そうに笑みを浮かべながらシュンスイを見つめる。シュンスイはバツの悪そうにムサシを睨みつける。
「あんたもいずれ超えてやるさ」
シュンスイはそう言って折れた刀を拾ってムサシとアステリオスに背を向ける。どうやら寺へと戻るつもりのようだ。
「おう。いつでも待っているぞ。シュンスイ」
「…………今回は貴方に免じてその少年を見逃しましょう。確かに、拙僧にその者達を捕らえるよう指示は着ていないので。では、また伺いますよ。親父殿」
シュンスイの言葉を聞いてアステリオスは目を丸くしてムサシとシュンスイを交互に見つめる。シュンスイが山を登り、姿が見えなくなるまで、アステリオスとムサシは彼の背中を見つめた。
シュンスイの姿が見えなくなった後、少し沈黙が流れた後、ムサシが大きく息を吐いた。
「いやぁ、しかし。ホムラに反逆罪か。面倒なのを匿っちゃったなぁ」
ムサシは顎を撫でながらヘラヘラと笑っている。アステリオスはいまだに聞かされた事実を飲み込むのに混乱している。
「あ、あの! ムサシさん。先ほどあの僧の男が言っていたことって!」
「あぁ? 言っていなかったな。ムサシ=ヘラクロス。この国の先代の王だ」
アステリオスはあまりの驚きに言葉も出ずに目を見開いて呆然とすることしかできなかった。この短時間に起こった事象全てを処理するにはアステリオスも疲弊していた。
「とりあえず、詳しい話を聞かせてくれや。あんまり聞くつもりはなかったが、関わっちまったからには、俺も領域外とは言っていられないだろう。はぁ」
ムサシは面倒臭そうに大きく溜息を吐いた後、腰が抜けてしまっているアステリオスに手を差し伸べる。
アステリオスはゆっくりとその手を取る。するとムサシはにっかりと笑う。
アステリオスはにっかりと笑ったムサシの表情に、ほんの少し、ヤマトの面影を見た。