第五章 レオ帝国剣客拾遺譚 1話
十数年前。レオ王国を駆けまわる二人の少年がいた。
「待ってよ! タケル」
「遅いぞヤマト!」
少しぬかるんだ土が跳ねて、少年たちの脚にへばりつく。そんなことも彼らは気にしない。そんなことが気にならないほどに夢中なのである。
「まったく、像は逃げないってのに」
少年たちと違って、ぬかるんだ土が跳ねるのを恐れ、ゆっくりと歩く小さな少女が溜息を吐く。少女は彼らの向かう先を分かっているので、わざわざ彼らを追いかけるようなことはしない。
「と言うか、普通女の子を待ったりするものじゃないの? これだから……」
自分を無視してはしゃぐ二人に対して少し愚痴を吐きながらも結局彼らを好きであることを否定できないでいる自分に少しおかしくなった。
「ヤマト―! タケルー! 待ってよー!」
「ミコトも走ればいいのにー!」
「俺らよりも速いくせにー!」
向こうから男の子二人の叫び声が聞こえる。彼らの脚はもう泥まみれである。
仕方なくこちらを見て待ってくれている二人に向かって、少女は泥が付かない程度に気をつけて速度を速め、二人の元へ向かう。
「ついたー!」
「やっぱりすげえよなぁ!」
「もう、何回見ても飽きないんだから」
三人が辿りついたのは大きなヘラクロス像。筋骨隆々。荘厳な顔立ち、そして手には厄災の獣ネメアを倒した刀クサナギを握っている。
「カッコイイよなぁー!」
「欲しいよなぁ。クサナギ! 取れないかな?」
「これも石で作った石造だから本当のクサナギは国の蔵の中だよ」
「そうだよねぇ」
何度も見たこの国のシンボル。ヘラクロス像をさも初めてみたかのようにはしゃぐことが出来るのか。と端で座ってはしゃぐ二人を見つめながら少女ミコトは思った。
けれど、そんな二人を何度も見ているのに飽きない自分がいるのも事実である。
「何回も見てて楽しいの?」
「わかってないなぁ! ミコトは! 雨が滴るヘラクロス像は雨の日の翌日しか見れないんだよ! レアなんだよ! なぁヤマト!」
「う、うん!」
「そういうものかなぁ」
ミコトはタケルの力説を聞いてもいまいち彼ほどのロマンを感じることはできなかった。
ヤマト・タケル・ミコトの三人は幼馴染である。タケルは普通の少年であった。この町ではごく一般的な庶民であった。
彼はヘラクロスの冒険を愛していた。この国は皆が『ヘラクロスの冒険』を読んでいる。他の国では子どもたちの中でも読書が好きな者だけであった。
オフィックス王国では王族のキヨや貴族から譲り受けたコブラ。
タウラス民国では筋肉に才能がなかったが故に本に手を伸ばしたアステリオス。
だが、レオ帝国は違う。レオ王国にとっての『ヘラクロスの冒険』は教材であった。
国民全員がヘラクロスの冒険を読む。それが当たり前なのである。その中でもタケルは一際ヘラクロスの冒険を愛していた。ただでさえ親に読まされて億劫になっている子どももいる中で、タケルは何度も何度も読み直した。彼が支給された『ヘラクロスの冒険』はもうボロボロになるほどであった。
そんな彼がヘラクロスの血を引くヤマトのことを放っておくはずもなく、ヤマトとタケルは出会い、ミコトとも知り合い、三人は親友になった。
タケルとヤマトは一通りヘラクロス像を眺め終え、ミコトの元へ座って彼女を挟むように座る。
「いやぁー満喫満喫」
「本当に飽きないよね。タケルは」
「そりゃそうだよ! 二人ももっとヘラクロスの凄さを理解した方がいい! 特にヤマトは!」
「ハハハ」
ヤマトは苦笑いをする。
「ヤマトからしたら遠いご先祖様のお話だから、読みづらいよね」
ミコトが困っているヤマトに助け舟を出す。
「それでもカッコイイと思うけれどなぁ」
「うん、僕もカッコイイと思うよ。ヘラクロス」
「私もカッコイイとは思うけど」
「そうでしょー!」
三人で曇った空を見上げる。
ミコト=ツクヨミは雨乞いの家柄であった。この国には帝がいる。
その帝と、帝に代わり国を守る王と『星巡りの儀式』のためにいる星術師から派生した雨乞いの家柄である。帝と将軍家と雨乞いの家柄を『三貴人』と呼ばれている。
この国はイネと言う作物を育てている。これを炊くととても美味しく腹持ちが良い。それを中心とした作物を育てるために、豊作祈願の舞を奉納する。それがツクヨミ家の仕事であった。
「いいよなぁー。ヘラクロス」
「はぁ、また始まった」
「またとはなんだよまたとはー」
ミコトの言葉にタケルは拗ねて頬を膨らませる。
「でも、やっぱりやりたいよね。冒険」
「そうだよね!」
ヤマトの言葉にタケルは大きく頷き、ミコトはここから長くなると察して溜息を吐く。
「そうだよ! 夢の国! 力の国! 鏡の国! それに龍の国! 全部本当にあるんでしょう?」
「うん。僕も見たことないけれど、ヘラクロスの冒険の中で語られている12の国を巡る冒険が本当ならば、その国たちも存在していることになるね」
「何よりも気になるのは中央国オフィックス! ヘラクロスが神に上がるための祭壇がある国! ヘラクロスの冒険の最終地。行ってみたいよねえ。僕たち三人で!」
タケルは無邪気な笑顔で答える。
しかし、ヤマトもミコトもその言葉には苦い顔をしながら俯くしかなかった。
ヤマト=ヘラクロスは王の血筋である。
元々小さな集落であった『レオル』と言う村にネメアと呼ばれる災いの獣が現れ、村は壊滅状態になった。それを救ったのが、冒険中のヘラクロスであった。彼はそこで英雄とされ、歓迎された。
さらに、一人の女性と出会い、恋に落ちた。
しばらくの滞在を経て、ヘラクロスとその女性の間に子が生まれた。
子はスサノオと名付けられ、父の名を刻みスサノオ=ヘラクロスとなった。
その子こそが、ヤマトの先祖である。
英雄へラクロスはその功績を称えられレオルの王となったが、ヘラクロスは冒険を続けるために子のスサノオに王位を譲り、国を出た。
レオルは元々長であったアマテラスを国の伝統の象徴『帝』とし、国を守る役割をスサノオに一任。元々国の巫女であったツクヨミを補佐として新たな国を設立。
その名こそが「レオ帝国」であり、王は帝に代わり国を守る。それこそがヘラクロス家の仕事である。故に彼は王族として国を出ることは出来ないと思っていたので、タケルの願いの無謀さに思わず苦笑いをするしかなかった。
「大丈夫だよ。僕はきっと冒険者の許可を取るよ! そしたらヤマトとミコトを同行者に指名するんだ。君たちは長男長女じゃない。必ずしも、家を継ぐとは限らないでしょう?」
二人の苦笑いを見ても、タケルは諦めずに、彼らに自分の夢を叶えるための計画を意気揚々と語る。
「タケル一人なら、冒険出来るかもしれないよ?」
ヤマトはタケルに対して熱が入った彼をなだめるように答える。
「確かにねぇ。役に立たない! って証明して見捨てられる形で流浪人になれば冒険者になれるかもしれない。けれどそれじゃあヤマトたちと一緒に行けないし、ここに帰れないじゃないか」
「そうだねぇ。私たちが行けないのはともかく、タケルと別れるのは嫌よねえ」
「うん。絶対に嫌だ」
「そうなんだよねぇ。冒険に出たい夢と、二人と一緒にいる未来。どちらも選べないのが辛いところだよー」
座っていたタケルは地面に身体を預けるようにゆっくりと倒れる。雨上がりで湿気ている雑草が背中を濡らす。ヤマトも真似して寝転がる。ミコトだけは気持ちよさそうに寝転がる二人を見つめて思わず微笑む。
「私達の将来。どうなっちゃうんだろうね――」
微笑むミコトの微笑みをみながら幼いヤマトの視界がぼやけてゆく。
子どものままなら、どれほどよかったであろう――。
この日々のままならば、ミコトとも、タケルとも、別れることはなかっただろう。
(あぁ。これは夢だ。しかも飛び切りの悪夢――)
薄れてゆく意識の中でヤマトはこれが夢であると理解して目をそっと閉じた。