こっちには来ないでください
ありえないぐらい朝早く学校についたせいか辺りはシンとしていて、思わず敷地に踏み込もうとした足が止まってしまう。
別に幽霊が出そうなおどろおどろしい雰囲気を放っているからビビっているとかではない。断じてない。
…嘘じゃ、ないよ?ホントダヨ?
「別に幽霊なんてでねえよ」
「んな!別にそんなこと考えてませんけど、思ってませんけど?」
小馬鹿にするようなセリフに考えるよりも先に反論が口をついてでる。
若干声が上ずったのにさらに苦笑いされるけれど無視をして歩み始める。
ああ言ってからかってきたけど、ルイが言うならきっといないのだろう。
バレないぐらいに息を吐いていると、校舎の窓を影がよぎった。
「~~!?」
脳のフリーズ共に身体も硬直し、並んでいたルイが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「マリー?どうした?」
そっとルイの服の裾を掴む。誰か側にいるということを実感していないと脳が本気で狂いそうだった。
待って、今見えたのは何。昇降口まではあと少しだったから見間違いではない。いやもしかしたら見間違いかもしれないなやっぱ昨日始業式だったから疲れて幻覚を見たのかもしれないね
まぁそれはそれでやばいのですけれど。
流石にこの距離…約十メートルで見間違いの可能性は低いので現実と仮定する。あくまでも他の可能性もあるということを考慮して、ね。
でもこの学園には幽霊は出なかったんじゃないの?今のはさ、明らかに人ならざる者的なのがいましたよ。
この時間帯に他の生徒がいるということも考え辛いので、結論としては…
「…幽霊?」
口にした瞬間すーっと頭から血の気が引いていくのが分かった。もしかしたらその音すらも聞こえてくるかもしれない。
「嘘だ。この世界にはそんなものは存在しないハズ。でも他の生徒たちがいるわけない時間帯に他の人がいるわけもなく」
「少しストップマリー。どうした、人影でも見たのか」
ルイの声で現実に引き戻されハッとする。
心配気なルイにこくりと頷き、軽く見たことを説明する。
書き終わったルイは半分冗談で言っていたらしく、内容をよく噛み砕くように片方の眉を吊り上げて、思案し始めた。
「…この時間じゃ教師もほぼいないはずだ。そもそも正門の鍵は俺がさっき開けた。もしかして他の生徒が同じような手を…?そうするとわざわざ締めなおした理由が…」
「ルイ?」
何かぶつぶつ言っているようだけれど、小さすぎて聞き取れない。
いや考察の声を聞き取る必要がないから身体強化で五感を鋭くしていないだけなのだけれど、まだここは外であるから取りあえず校舎内に入るべきだと思う。
それにさっき思ったのだけれど、教師陣の可能性が残っていることをすっかり失念していた。
朝早く出勤なんて人や日によってあるらしいし、多分私が見た影は人で、教師のうちの誰かだったんだろう。
脳内でそう結論を下しながらつんつん、と摘まんでいた裾を引っ張る。
意識がこちらへ向き、何も映していなかった紅に私が映り込む。
「…なんだ?」
「考察もいいけど、とりあえず教室に入ろ?いつまでもここにいるわけにもいかないし」
「それもそうだな」
考察を中断されて少し諭されるかと思ったけどルイは快く頷き、後でマリーの教室に向かうと言う。
…もしかしてもう結論が出たのかな。
「ルイ、もしかして…」
「いや、流石にまだ真実は分からねえよ。だけど心当たりがあるかないかではあるから、それを後で確認するさ。だけど先生徒会に寄らないといけないからな」
苦笑しつつも確証はないけれど真実の一部が見えていると言っているルイは自信しかないように見えた。
流石だな、と感嘆の声を心の中で漏らす。
私は全く掴めていないのに何歩も前を進んでいる。
天才と凡人の差なんて分かり切っているから特に気にすることでもないんだけど。
黙っている私をまだ怖がっていると思ったのか、ルイは私の頭を優しくなでた。
「まあ安心しろよ。後でちゃんとマリーの教室に向かうからさ」
「あ、いや別に…」
怖いわけじゃない、と言おうとした口は私の目を射抜く目で閉じてしまった。
そしてルイの唇は薄く笑っている。
…どうやら見透かされているらしい
俯いた私にルイは軽く笑うと、最後にもう一度頭を撫でて三年生の昇降口へ向かい始めた。
「じゃあまた後でな」
「うん、後で」
撫でられた頭は少しまだ熱が残っていて、同時に心も温かくなり自然と口元が緩んだ。
「…さ、私も荷物を早くおこうかな」
まだ何も貰っていないから重いわけでもないし、このバッグ自体が収納魔法…中に入れた物体の質量を完全に無効化し収納させる魔法がかかっていてこの発言は特に意味をなさないんだけれど。
でも何となく、口に出したくなった。多分、この少しこそばゆい気持ちを晴らしたかった…からかな?
最近自分の感情の制御は下手になっている。いや、この世界に転生した際にその能力が欠如した。
何に対しても人間らしく反応し、過剰なほど感情が全面に出る。
それが悪いことかっていうと一般的には良いのかもしれない。
だけど前世からの目線だと余計なものにしか見えず、必死に持たないようにしていた。
人によく見られるように自身の感情を殺し、印象を良くする。
そうしないと嫌われるから、離れてしまうから。
今ではその努力を無駄かと思うぐらいに、それこそシルフが驚くぐらいに豊かになっている。
だけどまあ…困ったこともないからいいか。
長くなりそうな思考を無理やりまとめて昇降口に向かい学年の連絡をチェックする。
ヨーロッパ風の建物をモチーフとした世界だから中履きに履き替えるという習慣はない。
なのに学年別に昇降口に用意されているのは、さっき言ったように学年別の伝達が壁に張り出されるからだ。
これは日程表だったり、次の行事に向けた準備の知らせだったり様々だ。
今は今日の予定と下校時間、そして生徒会のメンバー募集の紙が貼られている。
…生徒会ってさ、私の記憶だとゲームの中ではこうはいかなかった気がするけど。
確か攻略中の相手が殿下なら先生がヒロインに声をかけて、ヒロインは戸惑いながらも殿下の勧めで入るんじゃないっけ。
これに殿下が権力を使って無理矢理入会するというまでが一連の流れだけど…もうずっと一緒にいたいってことだよね。もうこれくらいは当然の領域だから何とも思わないけど。
ちなみにこれが他の攻略者…例えば殿下の弟さん、第二王子とかだとまたちょっと違うんだけど置いとくね。
それはそうと、勧誘形式ではなく貼っているということはルイが生徒会長になったから少しゲームと変わったと考えていいのかな。
ゲーム中での生徒会長が誰だったかは覚えていないけれど、少なくともルイではないとは思う。
生徒会長であるにはこの学園の生徒であるという前提だから、他国の王太子であるルイが普通にいるとは思えないというのが私の結論だ。
それは置いておいて、ゲームの事を思い出すたびにさ、
この世界、最早ゲームと別物に近くなってないかって思うんだよね。
私は婚約者いるし、それで殿下を慕ってないし。
ヒロインの母親は生きて幸せになってるってヒロインちゃんから直接聞いてるし。
紫音は私の影になってるし。
…少ししか例を出してないけどこれだけでも割とおかしいな、うん
これゲームの通りにことが運ぶことはないんじゃない?っていうのが私の予想だ。
まず、ギーアルートという予想は変えないのだけれど、私は絶対ヒロインをいじめないからピンチになることはあまりないのでは?ということ。
そして二つ名暴露の暗殺者ことギィ…だけど彼はもう暗殺者じゃないんだよねぇ!
そんなこんなで要素が落ちすぎてて私の予想通りに事が運ぶ可能性はかなり低いんじゃないかな?っていうのが最終結論だ。
その時々に私も対応をして、ルイとの婚約解消の糸口をつかむ。これでいいでしょう。
本当は完全な傍観者でいたかったのだけれど嫌でもギーアの主人である以上はゲームに関わるだろうし、ルイをヒロインの方に振り向かせるためにも私は接触しないといけない。
ちらつく他の案や可能性を無意識のうちに脳から消している私は、階段の方へ身体を向ける。
と、同時に再び廊下の奥を影が横切った。今度ははっきりと人の形をこの目でとらえる。
「……」
瞬間に自分が無表情になったのを自覚しながら、いつもの倍以上遅い思考を始める。
…ええと、今のは何だったんだろうなあ。なんかスカートが見えた気がするなあ。
この情報だと生徒と考えるのが普通なんだろうけど。今の時間帯が普通じゃないからなあ。
「…よし、教室に行こう」
右足を思い切り踏み込み、本気のダッシュで自身の教室へと向かった。
***
教室につくとやはり誰も席には座っていなかった。
予想はしていたのだけれど先程の出来事があってせいで少し恐怖の感情が心からのし上がってくる。
震え始めた足は身体を支えきれず、扉を閉めた途端その場にへたり込んでしまう。
「…どうしよう」
呟いた声は自分のものか疑うぐらい弱弱しいものだった。
ぐるぐると混乱した頭でこの恐怖をそうしのぐか考え始める。
正直な気持ちとしてはルイと一緒にいたい。
一緒にいれば安心できると思うから。
後で来ると言っていたけれど、それまで私の精神が持つかどうか分からない。
今すぐ会う方法はある。
生徒会に行くと言っていたから多分そちらに向かえば大丈夫だろう。
だけどそれには廊下を歩く必要があり、どうしてあのゆ、ゆう……アレと遭遇する可能性が出来てしまう。
一緒についていくと言えば良かったのかもしれない。
でも役員でもないのだし、あの時思いついたとしても気が引けてきっと言えなかったとは思う。
ああでもそのことを考えても言えば良かった。なんで思いつかなかったんだろう、馬鹿かな。
少し今の状況は怖すぎる。いや、かなり怖い。
「お願い、こっちには来ないでください。ルイが来るまで待ってください」
実際に幽霊が待ってくれるわけがないと分かっているけど祈らずにはいられない。
そんな私の必死な願いを嘲笑うかのように――カツン、と靴の音が廊下で響いた。
ゾゾゾッと鳥肌が全身に立つ。
バレないように息を潜めながら、音源の位置を考察する。
…音の反響具合から察するに割と遠め。向きは…考え方を忘れたけど階段を使っているか連絡通路だけど、反響の仕方は階段からでてきたときのそれ。
ということは偶々上っているときの音がこちらに届いたという可能性もあるけど
――カツン
「!?!?」
思考が強制的に切られ、代わりに大量に「!?」が脳内に浮かび上がる。
ちょ、また音がしたのですけれど!?あれ?さっき遠かったよねえ!?
なんで近づいてるの!?
バッと上を見て窓から自分の頭が覗くか確かめ、少しだけ頭を下げる。
…もう、自分の精神の限界を迎えてるのを感じていた。
恐怖に震えだした身体を腕で抱きしめて、冷えた身体を温める。
内心はもう大号泣しているのだけれど、外で大泣きというのは私のプライドが許さない。
許さない、けど…
怖いものは怖いんだよ!!
「マリー」
「っ!?」
心の中の絶叫と被さるようにガラリと扉が開かれる。
完全に不意打ちを食らったからか肩がびくりと大きく震える。
恐る恐る目を向けると、きょとんしたようにこちらを見ているルイがいた。
「ルイ…?ルイ!」
一瞬硬直したも、脳がルイの存在を認識すると考えるよりも先に身体が反応した。
未だ持っていたバッグを放り投げ、何も考えず抱き着く。
求めていた温かい体温は限界だった私の涙腺を崩壊させるには十分だった。
「ルイィ……」
ひぅっ、としゃっくりが上がり涙が頬の上を涙が流れていく。
「えっ、えっ?」
困惑の声が上が振ってきて、次に掌が私の頭を撫で始める。
「えーっと、どうしたんだ?今の時間には何もなかった気がするけど…」
「ゆーれーが、ゆーれーがぁ!」
うわあああっと幼稚園児並みの語彙と共に涙が止まらなくなる。
いくらストーカー魔法で行動を知っているルイでも私の頭の中は見えないので、突然泣き出した私に混乱しつつなだめるかのように止めていた手を動かしゆっくりと頭を撫でる。
「…取りあえず泣き止んでから話を聞くから落ち着こうか」
うん、といまだ止まらない涙のまま頷いた。