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SSSSs  作者: 年越し蕎麦
・無分類
39/47

Michaela

 ハロー、ダーリン。私あなたを今から殺すわ。

 とめないでね。死にたくないでしょ抵抗しないで。

 いいから黙って手を上げて。上げなければ頭をぶち抜いてやるわ。そしてよく聞いて。いい? ねえあなた……。

 私のミカエラ、どこにやったの? ねえ、ねえ……。

 私のミカエラ……。







 カーリーが夫のダニエルを殺したのにはそれなりの理由があった。

 たとえ如何なる理由があろうとも人殺しは罪であり彼女はルールに則った処罰を下されることとなるが、それについて語るにはあまりに倫理的で人道的であるため反吐が出そうだ、今は止そう。ああそうだね、お気づきの方もおられるだろうけど、そうだ、この話は倫理的じゃないし人道的じゃない。間違って拝聴してしまっている未成年の子がいるといけないから、もちろん表現はあまりグロテスクにならないよう気をつけようと思う。まあ、僕は別に語り部やアナウンスなんかしたことないし演技だって小さい頃のお遊戯会以来だから、そんな鬼気迫る語りなんてできやしないけど。大丈夫? オーケーかな、ではいこう。


 カーリーは小さな頃から不思議なものを見る天才だった。

 誰でもが見ることのできないものだ。肉眼でね。顕微鏡やカメラ、絵画に映画、夢でなんかは見たことのあるやつもいるのかもしれない。僕はこの目で見たことがなかったし、彼女の両親、友人、おそらく彼女が好んで聞いていたラジオのDJだって見たことがないに違いない。それでも、たとえば気配だけを感じたことのあるって人は多かったりするのかな。ああ、そう、やっぱり。ここにいる全員がそうじゃないとおかしいよな、だってあなたたちはそれを望んでここにいるし、正直僕みたいなやつだって何人もここに来たことがあるんだろう。分かるよ。寛容で排他的な目をしてるもの。自覚ないの? たち悪いなあ。


 頭がおかしいって思ってたんだ。

 誰もが、彼女のことをね。だって、そうだろう? 自分の目に見えないものを見ることのできる人間を、一番手っ取り早く受け入れる方法は、「こいつは頭がおかしいんだ」と思うことだ。カーリーが素行の悪い不良や手のつけようのない精神異常者だったらそうまでして受け入れる必要はなかったかもしれない。けど、彼女は普通の子だった。この国で手に入りやすい麻薬や幻覚剤なんか一度も使ったことがない、良い子だったんだ。だから彼女の両親は周囲に内緒で彼女を医者に診せに行ったり神職者に祈りに行ったりもしていた。

 彼女も彼女で、自分が周りと違うことに気がついていたから、そういう子はある程度の年齢までいくと身の振り方をほかより早く会得していくもんだ。カーリーは賢かったよ。見えているものを見えていないように振る舞おうとした。結果は大成功。彼女は大人になってから、彼女に相応しい優しく温かく普通な、見えていない夫を得ることになる。涙ぐましい努力だ、そこにはちゃんと愛があった。


 彼女は、それを、ミカエラ、と呼んでいた。

 天使ミカエルに由来する、ヨーロッパ系の女性名。口癖だった。「ミカエラ、ミカエラ」って。夜見た夢の内容を話すように呟き、会話と会話の間で枯葉の隙間のように紛れ込ませ、落書きの一部にし、レポートでアナグラムにしたりしていた。「私のミカエラ、私のそばに」

 ミカエラはいつもカーリーのそばにいた。姉妹か、友人か、あるいは恋人のように。いつもだ。それは彼女が言葉を覚え始めた頃から、夫と結婚してからも続いていた。カーリーがミカエラを語る表情は恍惚としていて、ある種一番の幸福を得ているようでもあったよ。そうだね、信仰心じみていた。あなたたちのように。


 けれどいつからだ? いつからか、カーリーはミカエラがそばにいないことに気づき始めた。

 気づき始めたというか、僕にはその存在の切れ端も見ることはおろか気づきもしなかったから、ようやくカーリーが普通になったと思ったんだ。ひどい話だ。僕は彼女が好きだったが、それでも異常な人だと見ていたからね。おい怒るなよ。それは僕の特権だろ?

 カーリーは更に狂っていった。見えもしないミカエラを探し、深夜の街を徘徊しては服をズタボロにして帰ってきた。朝食の準備は滞り、そのうちパンをミルクに浸す手順も忘れたように生活が通らなくなった。夫は献身的だったよ。途中までは。

 夫は彼女に暴力を振るうようになった。普通逆だと思うだろ? おかしくなった彼女がするんじゃないのかって。だが彼女は無気力になっただけで口癖のように「ミカエラ」と呟いてはその瞬間だけは悦に入っていたんだ。まるでそのこと以外を許されていないかのように、じっと。人間おかしくなると、近い者から影響を受けてくもんだ。夫は彼女の影響を受けた。それだけ。

 たぶんね。

 夫を殺した彼女は、殺した側とは思えないほど傷に塗れていたよ。鬱血は古いものから真新しいものまで、食事だって満足に摂ってやしなかったんだろう、痩せぎすになっていた。髪は抜け、肌は変色。無体を働かれた痕だってあった。あんなに仲の良い、均衡のとれた夫婦だったのに。

 そして夫を殺したカーリーは僕に言ったんだ。

「ミカエラは、私だけのものじゃなかったのね」

 彼女は達観していたよ。

 人を一人殺したとは思えない穏やかさだった。


 さあ、なあ、教えてくれ。

 あんたたちはそれを知ってるんだろう。いい加減、僕もおかしくなりそうだ。

 ミカエラって一体なんなんだ?

 カーリーのミカエラはどこへ行った?

 僕の姉さんは何を見ていたんだ?

 教えてくれよ。さもなきゃ順繰りに頭を吹っ飛ばすぞ。

 僕にミカエラはいないのか。教えてくれ。教えてくれ……。

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