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SSSSs  作者: 年越し蕎麦
・お題制
16/47

悲劇は起こらない(お題:ハムレットの引用)

 公子は、目の前に突如現れた父親の亡霊と向き合っていた。

 父親の書斎を片していた最中のことだったため、持っていた本を置き、そうして物々しく青白い唇を開いた父の言葉を聞こうと、姿勢を正した。亡霊が、生前と変わらず厳格な態度で言う。

「公子、よく聞け」

「はい、聞いております」

「俺は先日、死んだであろう」

「はい、事故でしたね。お葬式で、わたくし大号泣でしたのよ」

「ああ、だがその悲しみも、これから言うことを聞けば憎悪の念に変わるに違いないさ」

 公子は形の良い眉を顰めた。

「と、言いますと?」

「俺は殺されたんだ」

「殺された?」

 父親が棺桶に入っていた時よりも悪い顔色で頷く。

 公子は、まあ、と驚愕とも困惑ともとれる声を漏らした。

「殺されたとは、一体どういうことなのです」

「どうもこうも、いいか公子、よく聞くんだ。俺を、お前の父親を殺したのは、次期社長候補として手塩にかけてやった、黒須だ。分かるだろう? お前とも共に食事を取った、あの男だ!」

「まあ、黒須さんが」

「そうだ、あいつは向上心もあるし頭もいい、俺のあとを継ぐに相応しい男だった! それがどうだ、あいつは俺の妻に惚れていたんだ、ああ、全ては妻を奪うためだったのかと思うと、ない腸が煮えくり返りそうだぞ!」

 怒鳴り声がびりびりと耳に響き、公子は顔を顰めながら「そうですね」同意した。

「確かにあの方は、お母様に好意を寄せているようでした。お父様が亡くなった途端、社長になってお母様と結婚しましたものね。お父様を手にかけていてもおかしくないかもしれません」

「事実、手にかけられたのだ! あいつのせいでこの世の関節が外された! 俺が殺されさえしなければ、何もかもが万事うまくいっていたのだ」

「なるほど、確かにお父様にとっては、この世……あの世? この世? の関節が外れてしまっているのでしょう」

 公子は、ですが、と続ける。

「わたくしの世界は一つの関節も外れておりません」

 澄んだ眼差しを向けられた亡霊は、憤って揺らめいた。

「何を言う! お前の父親が殺され、その殺した人間がお前と母を騙し、今ものうのうと一つ屋根の下、生きているのだぞ!」

「……お父様、お父様は言いました。話を聞けば、わたくしが憎悪の念にかられると」

「ああ、言った。何せ俺は謀られ、殺されたんだからな」

「……大事なのは、お父様が殺されたかどうかではないのです。わたくしが仇を討つか、討たないか、それが問題です」

「何っ?」

「お父様、この際だから言いますが、お母様は今が一番幸せに暮らしておりますよ。あなたが旦那様の時より、もっとずっとです。お母様は可哀相な人でした、家庭を顧みず横暴で横柄で癇癪持ちの冷血漢と夫婦をしていて……娘のわたくしも、なぜこの人と夫婦になったのか再三考えてしまうほどに。それが今、温厚で心根の優しく機知に富んだ黒須さんに支えられて、あんなお父様が亡くなったことで痛んだ弱い心を癒しておいでです。皆が幸せ、わたくしが生きているこの世は、順風満帆でございます」

「何を……、ではお前は、この父の無念を晴らそうとは思わないのか!?」

「はい。お父様はわたくしに仇討ちをけしかけているのでしょうが、わたくしはしません。それこそ、この世の関節が外れてしまいます。本当にお父様が、黒須さんに殺されたという証拠もありませんし」

「ああ、ああ……いや、お前の父親が殺されたんだぞ、俺が生きていれば、お前を黒須の――今となっては吐き気がするが――妻にして、社長夫人にしてやろうと思っていたんだ。当然、お前はあいつを憎む理由がある」

 公子は首を振り、凛と告げた。

「それを聞いて、益々、仇を討つ気が削がれました。お父様、わたくしは御不井さんが好きなのです」

 娘の発言に、父親は衝撃を受けたかの如く揺れ、「御不井? 執事の、あいつか?」怒りと混乱で声を震わす。公子は頷き、胸の前で手を組み合わせた。

「あの方は素敵な方です。そして正直者です。わたくしの長所短所を分かって、身分の違いはあれど素直に接してくれます。正直ほど富めるものはありません。わたくしは御不井さんが大好きです。あの方には大変弟思いな姉がおりますでしょう。メイド長の麗さんです。しかし、たとえ幾千幾万の姉があり、その愛情全てを寄せ集めたとしても、わたくし一人の御不井さんに対するこの愛には到底及ばないと思います。そして、御不井さんの家族である弟思いの麗さん……義姉に対しても、同じだけの尊敬を捧げられます。つまり、わたくしは御不井の苗字を名乗りたく、既に死んでいる実父のことは、胸の奥底で仕舞っておきたいのです」

 彼も、わたくしのことを想ってくれているのですよ。最後に気恥ずかしそうに微笑んだ娘の前にいた亡霊は、現れた時と同じく突如として消えた。

 こんこん、書斎の扉がノックされ、公子の愛しい執事の声がかけられた。公子は一度、部屋内を見回し、父親の亡霊の影も形もないのを確認すると、扉にうきうき近づいて開ける。

 そして言った。

「御不井さん、腕の立つ霊媒師、一緒に探してくださらない?」

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