3.文章表現で「明確な基準」なんて、意味がないよね。――レーティングについて考える
多分これも、良く見かける批判になるのでしょうか。性的表現について、R15やR18の基準がわかりにくいなんていう批判もよく目にします。
これに関して正直に言うと、私は恋愛が書けないなんて公言している人です。当然、色気のあるような場面を書く機会も少なくてですね。この話題自体、私には無縁な話だったりします。
まあでも、そもそも私は、警告そのものが無縁な訳で。それでも、「規約を守る」という観点からここまで書いてきた訳ですし。第一、エロを書かない人にだって、性的表現を批判する人に対して思うことを述べる権利はありますよね。
という訳で。まずは、私が今まで書いてきた小説の中で最も色気のある場面を、ここで少し披露してみたいと思います。
◇
彼の熱がほんの少しだけ冷める。
これ以上彼にひたっていてはいけない。そう悟る。
そんな心を察したかのように、至福の時間は終わりを告げる。
私と彼は引き離される。
突き動かされ、揺さぶられながら。
お前にはもう熱もうるおいも必要ないとばかりに。
これ以上のばしてはいけない。
これ以上は自分をダメにする。
そう自分に言い聞かせる。
遠くからなにかが凹む音が聞こえる。
その音が私の心を表している気がした。
◇
まあ、これがどんな場面なのか、読めばわかりますよね。
ええ、見ての通り、カップ焼きそばにお湯を注いでから三分経過してお湯を切るというありきたりな日常の風景を、カップやきそばを女性、お湯を男性と見立てて情感豊かに表現した、そんな場面です。
――カップ焼きそばは「のばしてはいけない」、これはもう、常識と言ってもいいのではないでしょうか。
◇
まあ、この作品は、「カップ焼きそばにお湯が注がれて三分経過する」という、これっぽっちも情緒のない日常の風景を、可能な限り情感豊かに書くことで笑いに転化することを狙った、言葉遊びコメディみたいな作品な訳ですが。
カップ焼きそばで、こういった表現を使えるのです。同じようにすれば、エロだろうがなんだろうが書けると思いませんか?
極端なことを言うとね、やたらエッチい音を立てたり声を出したりしながら出来上がるカップ焼きそばだって、「出来の悪さにさえ目を瞑れば」書くのは簡単だと思います。
そう言った意味では、やれ「キス」だ何だというような基準はね、作っても無意味だと思います。――少なくとも、カップ焼きそば純愛小説(但しお笑い)を実際に書いたことのある作者としては、そんな基準、意味があるとは思えません。
――カップ焼きそばエロ小説だって、書こうと思えば簡単に書けるでしょう。だからと言って、そんなものを「ここで」公表して良いかと言われれば、「良いわけがない」としか答えようがありません。
カップ焼きそばだろうが何だろうが、エロいものはエロいのです。ですが、ここは原則、エロ禁止の場所です。エッチなのはいけないと思います。
◇
インターネットが普通の人でも利用可能になったのは1995年、Windows95が登場した辺りでしょうか。このころは、個人用のインターネット回線なんてものは無くて、電話回線に音声の形で通信データを乗せて通信していた、そんな時代ですね。
インターネットはほとんど普及していない、一部の少数派だけが使っていたと言ってもいいような、そんな頃だと思います。
ところが、2000年頃になって、ADSLという「インターネット用の安価な個人向けデジタル回線」が普及し始めると、その様相は一変します。
それまで低速で、限られた時間でしか利用できなかったインターネットが、手頃な価格で常時使えるようになり、一気に普及します。
この頃から、インターネットというのが、一部のパソコンマニアの物から一般人向けのインフラになっていく訳です。
2003年には、携帯電話による定額制サービスが始まり、2008年にスマートフォンが登場する。それまでパソコンと固定回線を使って接続していたインターネットは、当たり前のように携帯電話でも見れるようになった訳です。
携帯電話は元々、高校生のアイテムみたいなところがあったと思います。それでインターネットが見られるようになる。つまり、この頃には、高校生が自由にインターネットを利用できる環境が整っていたことになるのかなと思います。
Windows95が世に出てインターネットに手が届くようになった、そこからたったの15年で、インターネットは高校生が当たり前のように利用するまでになった訳です。
その後、2010年代に入って、インターネットが低年齢層に広がっていくのは、もはや時代の必然でしょうか。
2011年の時点では二割程度しか携帯電話を持っていなかった小学生が、2018年には九割近くが所有し、その半数近くはスマホを持つようになっています。
世の中というのは日々変化していきます。たった二十余年で、それまでほとんど普及していなかったインターネットは、一部の人から一般的なものへと変化し、そして今や、当たり前のように子供が使うツールへと変化していったのです。
◇
今や、小学生もインターネットに接続する時代です。それも、単に利用するだけではありません。今の小学生は、携帯端末と個人回線を持っています。
――今の子供は、保護者の目の届かない場所で、自由にインターネットを利用できる、そのことは心に留めておいた方が良いと思います。
◇
どれだけ物語に価値があろうと、エロはエロです。「わいせつ物頒布等の罪」は、どれだけ芸術性があっても、わいせつ性が強ければ罪に問われます。エッチなのはいけないのです。
そして、エロなのかどうかは、見る人の主観によっても変化します。
――今やここは十八歳未満の人、それこそ小学生も普通にくることができる場所です。
小学生、中学生に読ませても良い内容なのか、それとも高校生以上であれば読ませても良い内容なのか、小中高生には読ませられない内容なのか。作家として、まずは「自分で」判断できないといけないのではないでしょうか。
◇
あなたの作品は、小学生が一人で見ても良いと、胸を張って言える作品ですか。もしそうなら、堂々と全年齢で上げれば良いと思います。
あなたの作品は、小学生が「こんな作品を読んだ」と親に内容を伝えても問題が起きないような作品ですか。もしくは、中学生なら一人で見ていい作品ですか。はっきりとそう言えるのなら、胸を張ってそう言えば良いと思います。
それでもなお警告が来たのであれば、それはきっと、作者の考える基準と運営の考える基準がずれていたということでしょう。
少なくとも、運営がそう判断した以上、あなたの作品には「小説家になろう」という場所に適した制限が課せられていなかったということです。
この場所に適するように修正しても良いし、別の場所で公開しても良い。どうしても納得できないのであれば、いっそ自分から退会しても良い。
ただ、その判断を不服としたまま、どんな作品がこの場所にふさわしいのかを考えもせず、今までと同じように、警告されるであろう作品の投稿を繰り返すのは、無責任だと思います。
――たとえ趣味であろうと、筆を執り、作品を発表する以上は作家です。作家である以上、言葉に責任を持つべきではないでしょうか。
発言に責任を持つということは、自分の主張を自分の言葉として語り、他人のせいにしないということです。それは、主張を物語に置き換えても一緒でしょう。この場所にふさわしいと思って投稿した作品で警告がきた。それは、自分の言葉がこの場所にふさわしくなかったということです。
可能な限り基準を守ろうと努力をした上で警告が来たのなら、それはしょうがないことかもしれません。それでも、作家として誠実であろうとするのなら、自分の判断が間違っていたことを認めて、修正すべきだと思います。
もしかしたら、単に時代が変わっただけかも知れません。もしそうなら、そこには「間違い」すらなかったわけです。なら「時代が変わったねぇ」なんて言いながら、適切に対処すれば良いだけです。
その場にふさわしい作品になるよう努力する、発表した後もその努力を続ける、「言葉に責任を持つ」という言葉には、そういうことも含まれると思います。
運営に不適切だと注意を受けて文句を言うのは、この場所に適切なのは何なのかがわかっていないのに、自分ではなく運営が悪いと言うような行為です。責任を果たすために必要な能力そのものが欠けている何よりの証左です。
作家なら、言葉の責任とは何か、しっかりと学び、考えるべきだと思います。
◇
なろうの運営を批判する人って、運営から警告を受けただけなのに、なぜか「なろうが作家性まで否定してくる」みたいなことを言う訳です。あれです、小説投稿サイトを権力者か何かだと思っているのでしょうか。
これは当たり前のことですが。運営にできることって、「小説家になろうというサイトにとって適切かどうか判断する」ところまでです。表現の自由を云々とか、作家の筆を折るとか、運営はそんなこと、どうやったって出来ません。
この場所は、このサイトを運営している「ヒナプロジェクト」が提供している、いわば「ヒナプロジェクト直営書店」のような場所です。
この書店に並べられた本が適切かどうかを運営が判断することが、そんなにもおかしなことでしょうか。そして、その基準に触れると指摘されることが、そんなにも腹立たしいことでしょうか。
自分の本が「18歳未満の方にふさわしくない」と言いがかりをつけられて書店から撤去された!
俺は悪くない、基準を明確にしない書店が悪い!
あの文学作品と比べたら俺の作品なんか健全だ!
――正直、言ってて情けなくなりませんか?
性的表現を含む作品が書きたいのなら、それにふさわしい場所に投稿すれば良いだけではないかと思うのですが、どうでしょうか?
◇
作家が作品を発表する手段はたくさんあります。小説家になろうなんて、その方法の一部でしかありません。
不満があるなら、他のサイトに投稿するなり自分でホームページを立ち上げるなりすれば良いだけだと思います。
――レーティングに対して過剰に批判する人はまるで、書店に文句を言われただけで腹を立てるような、何か勘違いをした作家かなと、そんな風に思います。
携帯電話、スマートフォンの所有率は「青少年のインターネット利用環境実態調査 - 内閣府」の各年度毎の資料を元に判断しています。
https://www8.cao.go.jp/youth/youth-harm/chousa/net-jittai_list.html
以下、抜粋した年度毎の数値です。
(上段:携帯電話所有率、下段:スマートフォン所有率)
上段:携帯電話所有率
下段:スマートフォン所有率
小学生 中学生 高校生
2011年度 20.3% 47.8% 95.6%
0% 5.4% 7.2%
2012年度 27.5% 51.6% 98.1%
2.1% 25.3% 55.9%
2013年度 36.6% 51.9% 97.2%
6.0% 47.4% 82.8%
2014年度 46.1% 60.4% 95.2%
17.1% 41.9% 90.7%
2015年度 50.2% 60.9% 96.7%
23.7% 45.8% 93.6%
2016年度 50.4% 62.5% 96.5%
27.0% 51.7% 94.8%
2017年度 55.5% 66.7% 97.1%
29.9% 58.1% 95.9%
2018年度 85.6% 95.1% 99.0%
45.9% 70.6% 97.5%