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木こりの泉

作者: カケル

『木こりの泉』と呼ばれる聖なる泉が、森の奥深くに存在した。

昔々、ある一人の木こりが、その泉の近くで木を切っていた時のこと。振りかぶった斧がすっぽり手から離れ、泉の中に落としてしまった。貧しい木こりにとって斧は唯一の商売道具である。泉のふちに膝をついて悲観に暮れていると、突然、泉の中央に光が放たれ、その中から女神のように美しい絶世の美女が現れ出た。

そして彼女は言う。

「貴方が落としたのは、この金の斧ですか、それともこの銀の斧ですか?」

 そして木こりは正直に答えた。

「いいえ、私が落としたのは普通の斧です」

 すると、美女は静かに頷くと、その二つの斧を木こりに差し出した。

「貴方は正直な人ですね。褒美として、この二つをあなたに差し上げます」

 きこりは吃驚して呆けていたが、手に取った斧は異様な輝きと重さを持っていた。

そして、美女の手にはもう一つの斧があった。

「この落とした斧もあなたにお返しします。よい人生を」

 普通の斧を手渡した後、美女はそれ以上何も言わずに、そのまま泉の中へと帰って行った。


 そして、現在――。

「ふう~……」

 泉の前に列をなし、今か今と待ち侘びている人々でごった返していた。 

泉の噂を聞きつけ、欲深い一人の男が訪れた。それをきっかけに、近隣諸国、はては遠い東の国からやってくる老若男女の姿が、この泉から後を絶たない。

泉の女神も、人間の欲深さにため息をつかない日はなかった。しかし、天界から言い渡された仕事故に、それを放り捨てて逃げるわけにもいかなかった。

もとは、この土地の守護を任されて降り立った。廃れた大地に緑を宿し、死にていの生き物たちに恵みを与えてきたのだ。あとは、この土地の行く末を見守るだけだったのだが、貧しいきこりに同情したのがいけなかったのだろう。試したとはいえ、試練を乗り切ったきこりのあとに続いて、まるで飼い慣らされた犬のように、ハフハフと鼻を鳴らしてやってくる人間たちに失望していた。

「はいはい、すぐに行きますよ」

 泉の中に落ちてきたものを拾い上げて、最近肩こりがひどくなってきた腕を回した後に、それを豪華に作り変えるとザパンと泉の中から姿を出した。

「貴女が落としたの、この金の指輪ですか? それとも銀の指輪ですか?」

 金銀を身に纏った目の前の女性に、女神は目も当てられぬと虚ろな眼を映しながらも、女神の矜持を傷つけまいと神々しく彼女の前に現れ出た。

「いいえ、違います! 私の指輪は、もっと古くて汚いものです!」

「……貴女は正直者ですね。褒美として、この二つをあなたに差し上げましょう。そしてあなたが落とした――」

「いいえ、それは結構です、捨てといてください」

 差し出した金と銀の指輪を強引に受け取ると、もとの薄汚れた鉛の指派は受け取らずに、ニマニマと笑みを浮かべて森の外へと消えていった。

「…………」

 女神が泉に姿を消すと、次の人が泉の中へ持ち込んきた物を投げ入れた。

 女神は、目の前に落ち沈んでくるものを抱えて作り変えると、小さくため息をついた。いつまでこんな下らないことを続けなければならないのかと、女神は頭を抱えた。今回落ち沈んできた花束、おそらく愛する異性にでもプレゼントするつもりなのだろう。

「もうどうにでもなればいい……」

 あと数日もすれば、この土地に与えられた女神の加護の効力が消える。これまで何百、何千と繰り返して加護を維持して土地を守ってきたというのに――人間たちが土地を食い物にし、めちゃくちゃにした挙句に、まだ欲張って女神の力を利用するのだ。

 さすがに疲れた女神は、この日を最後に泉の中に引きこもるつもりでいた。加護の効力が切れる数日前に、天界に申請を出して、この土地から離れる算段を立てているのだ。次の土地は既に決めている。あとは返答を待つだけだった。

「……あなたが落としたのは、この金の花束ですか? それとも銀の花束ですか?」

 目の前の凛々しい青年に、女神はこれまで通りの姿勢で向き合った。

「えっと……あの……ですね」

 しかし、青年は歯切れの悪い返答を繰り返すばかりで、妙に顔を赤くさせていた。

「どちらですか? 早くお答えしないと帰りますよ?」

 少しきつい言い方で受け答えをし、しかし、イライラする気持ちを必死になって抑えた。

 それでも、何かもごもごと口の中で言うだけで、シャキッとした答えは返ってこなかった。

「そうですか。仕方ありませんね。それでは、私はこれで」

「ま、待ってくれ!」

 急に泉に返っていく女神に焦ったのか、青年は慌てて待ったをかけた。

「……早く答えてください。後がつかえていますので」

 青年の後ろに並ぶ人たちが、何やらイライラした様子で青年を見ていた。それに女神は殊更胸の奥に失望感を覚え、誰にも聞こえない小さいため息をついた。

「金の花束、銀の花束、どちらがお好みですか?」

 もうやけっぱちに言葉を添えて、青年に問いかけた。

「それは――俺のではないです」

「……はい?」

「貴女にと思って、花屋で一番綺麗で可愛いものを束ねてもらいました――貴方の事が好きです。付き合って頂けないでしょうか?」

「…………はい!?」

 いきなりの告白に、女神は顔が真っ赤になるのを抑えられなかった。恥ずかしいのか顔に手を当てて、指の間から青年の様子を伺った。青年は、女神をじっと見つめて返事を待っているようで、不安と期待がない交ぜになったような表情をしている。

「…………」

 女神は、熱くなる頬を感じて、殊更顔を赤くさせていたが、頭は冷静だった。今更人間にそんな馬鹿なことを言われても、女神にしてみれば迷惑でしかない。毎日モノを投げ込んでくる人間よりかは幾分かマシではあるが、それでも酷いとしか言いようがない。

「…………」

 しかし、周囲の人間の罵倒する声には一切反応せずに、ずっと真剣な眼差しで女神の返事を待つ青年に、女神は少しだけ心動かされていた。

「これを私にですか?」

 その言葉に、青年は驚きを隠さずに目を開いたが、すぐに言葉を返した。

「はい、勿論です。あなたを一目見て惚れました」

「……ッ」

 ボンと破裂するように女神の顔が真っ赤になった。

「貴方も私の噂を聞いて、モノ欲しさに来ていたのだろう?」

 指の間から青年の様子をじっとうかがう女神に、青年は至って冷静だった。

「初めはそのつもりでした。しかし、貴女の美しさに心を奪われ、ここにもう一度やってきました。あの時は耐えられずに逃げてしまいましたが、もう逃げません。ですからもう一度言います――俺と付き合ってもらえませんか」

 強気な発言に、女神は狼狽えるばかりである。しかし、青年の強い気持ちは、しっかりと女神の冷え切った心に届いていた。

「わかりました、いいでしょう」

 その言葉に、青年はみるからに喜びの笑みを浮かべると、大声で「やったー!」と叫んだ。

 周囲は、青年に殴りかかるような勢いで、彼を囲い込んで叱責と罵倒を繰り返していたが、青年は気にした様子もなく喜びを露わにしている。

「これでは話ができませんね。少し場所を移しましょう」

 すると、青年の目には、一面真っ白な空間が移り込んでいた。まるで別世界にでも飛ばされてしまったかのような現象に、青年は目を白黒させている。

「あの、ここは?」

「何でもない場所ですよ。さあ、座ってください」

 そう言って、手を差し出した先を見てみると、そこには豪華なテーブルと椅子、そして紅茶の入ったティーカップが置かれていた。

目が点になる青年を余所に、女神は先に席について紅茶の香りを楽しんでいる。

「どうされました? 紅茶が冷めてしまいますよ?」

 そう促され、青年は慌てて椅子に座るとカップを手に取って一口すすった。

 口いっぱいに広がる紅茶の香りと味に、青年はその感覚の余韻に浸った。街にある高級な紅茶を数度も飲んだことのある青年だったが、女神が用意してくれた紅茶はそれ以上の美味を感じさせてくれた。まるでバラに囲まれた庭で優雅にティータイムを過ごす王族の雰囲気を抱いた。

「とても…美味しいです……」

 青年は、この紅茶を称賛する言葉をそれ以上思いつかなかった。

 青年の様子を見て、女神は満足げに頷くと、紅茶を一口含ませた。

「私が大切に育てたハーブで作ったものよ」

 そう言うと、女神はパチンと指を鳴らした。

直後――。

「これは……」

 あたり一面に咲き誇る花畑。季節に関係なく、数多の花々がその可憐な花びらをのぞかせていた。その中には、喜々として立ち並ぶハーブが統一して何列もあった。

「貴方が住む世界で作ったものとは格が違うわ。味も触感も香りもすべて人間のそれとは比較にならないでしょう。薄めても濃くしても、どんな入れ方をしてもおいしいわ」

 女神が紅茶を口にすると、青年もつられて紅茶を口にした。

「それで、私のどこを好きになったのかしら?」

 いきなり問われて、青年は紅茶をふぐっとカップの中でふいた。幸い、零れることはなかったが、気が動転する。

「……それはもちろん、一目惚れですよ」

「……もっと詳しく言ってもらわないとわからないわよ」

 フイッと拗ねるように横を向く女神に、青年はタジタジになる。しかし、ここではっきり言っておかないと嫌われてしまうかもしれない、よって、青年は気を正して女神に向き合った。

「貴女の、エメラルドのように輝く瞳が好きです。とがった耳も好きです。赤い唇も好きです。銀色に輝くその髪も、優雅にたたずむ姿も、そうして拗ねる所も、楽しそうに微笑む表情も、全部です」

「え、ええ、ありがと……」

 間髪入れずに次々と寄せてくる青年の好意に、女神は顔を赤くして銀の髪の毛をいじっている。

「それに、貴女が着ている服、とても似合っています。花を大切に育てる優しい心もとても素敵です。僕が囲まれていたところを、この場所に招いて気遣ってくれる思いやりもあって――」

「も、もういいです、いいですから!」

 女神は羞恥心に耐えられなかったのか、まだ語ろうとする青年の言葉を遮って静止を促した。えっ、まだありますよ? というような顔で見るものだから、女神は余計に顔が熱くなるのを感じた。

「コホン、そう言えばまだ名前を聞いていませんでしたね」

「それもそうですね、俺はリュートと言います」

「そう、素敵な名前ですね。私はアスナと言います。これからもよろしくお願いしますね」

「はい、末永くお願いします」

「す、末永くって…………まるでプロポーズみたいじゃない」

「はい? 何か言いましたか?」

「いいえ、何でもないです。もうしばらく紅茶を楽しみましょうか」

「ええ、そうしましょう」

 リュートとアスナは、紅茶を飲みながらお互いの事や、またはアスナの天界事情、リュートの家庭事情などを話して、二人とも楽しい時間を過ごしていった。


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