濃沼稔の恋は実らない
放課後の体育館裏。
僕の前には一年生の女子が顔を赤らめた女子が立っている。
名前は知らない。
身長は僕と同じくらいで160センチ前半。澄んだ瞳やぷるんとした唇が印象的だった。
彼女の少し明るめの髪が初秋の風にそよぐと、柑橘系の香りが漂ってきた。
「濃沼稔先輩ですよね……? お呼びだてしてすいません。せ、先輩の噂を聞いて……その……」
その子はとても恥ずかしそうに身体をモジモジとさせながら、上目遣いで僕を見詰めた。
この場面から見た人はきっと淡くて清々しくて、そして尊い青春の一コマのように勘違いするだろう。
「はぁ……君で今日三人目なんだ。ちょっと疲れてるから悪いけど要件だけ訊かせてもらえないかな?」
僕はうんざりした態度を隠さずにそう伝えた。
このセリフだけ聞いたら、きっと僕は最低の奴だと思われるだろう。女子にモテるからといって調子に乗るナルシストのクソ野郎。そんな風に思われても仕方ない。
だがよく考えて欲しい。
高校二年男子なのに身長が160センチ前半で、機能性だけを重視した冴えない眼鏡をかけ、色が白くてなよっとした、だけど顔だけは丸顔の男子がそんなにモテるはずがない。
「えっと……この人なんですけど」
そう言いながら彼女が見せてきた写真は見覚えのない爽やか男子だった。ユニフォームから見て隣の市にある強豪校の野球部員だろう。
「この人と仲良くなりたいんです。どうしたらいいでしょう?」
期待と不安が入り混じった目で見詰められる。
普通そんな質問をされても「知るか、ボケ」で終わりだろう。実際僕だってそう言ってやりたかった。
しかし切実な思いを宿らせた目で見詰められれば、そう冷たく突き放せないのが僕の弱さだ。
相手の男の名前、生年月日、趣味、住所、血液型など知っているだけの情報を全て言わせる。
それらの情報と彼女の顔を頭に浮かべながら目を閉じる。暗闇の中に光りの粒が浮かび、次々とその粒が増えていく。
宇宙船で高速ワープしているようにその光りの粒が流れ去っていき、目の前が眩しい光りに包まれた。
そして、見える。
この二人が親密になるためのプロセスが。
「来週の火曜日、花町筋商店街の端にあるスーパー、午後四時三十二分……雨が降っている」
僕は目を閉じたまま、そこに見える景色をそのまま口に出して伝えていく。
「彼は傘を持っていない……家まではかなり遠い……傘を持ってそこに行けば彼と知り合える……」
まるで予言者のようにそう伝えていく。
更に二人でひとつの傘を差して歩いている最中に隣をトラックが通り、水溜まりの水を跳ねさせるから気をつけることも付け加えておいた。
目を開くと、先ほどの彼女は喜びに満ちた顔で僕を見詰めていた。
「ありがとうございます! あの、これ、お礼です!」
そう言って彼女が渡してくれたのは外はさっくり中はしっとりが売りのクッキーだ。気の利いたことにこの秋の限定パンプキン味だ。
「あ、どうも」
人の恋のアドバイスをして、そしてその報酬としてお菓子をもらう。これが僕の生活だ。
既に鞄には二つのお菓子が入っている。毎日お菓子は増えていく一方だから、そのうちお菓子屋さんでも開けるんじゃないだろうか。
そんなつまらないことを思いながら一人で家路へと着いた。
海と山がギリギリまで迫った間を走る電車の車窓から外を眺める。
夕日で水面が赤く染まる瀬戸内海には、いくつもの船が浮かんでいる。絵になりそうな長閑な風景だが高校生の帰宅時は車内が騒がしくて、落ち着いた気分にはなれなかった。
子供の頃は『こいかわみのる』なんて名前だから、きっと恋が実るなんてからかわれていた。
否定しながらも僕は心のどこかで「そうなのかもしれない」なんて少しだけ思っていた。
しかしそれはある意味正しくて、ある意味間違っていた。
確かに恋は実る。ただしそれは僕ではなく、僕にアドバイスを求める周りの女子だった。
何故か僕は恋の悩みを聞くと、どうすればいいのかというビジョンが見えてくるという不思議な力を持っていた。
ちなみにアドバイス出来るのは女子だけで、男子の恋の相談を受けても不思議な力は発動されない。
「はぁ……何の意味もない能力だよなぁ……」
溜め息をつきながら視線を電車内に戻すと少し離れたところに同じクラスの委員長、鴻池由麻さんがいた。
背筋をピンと伸ばした姿勢で文庫本に視線を落とした姿は、周囲の喧騒から切り離されているかのように静けさを湛えていた。
楕円の眼鏡の奥に見える冷静な瞳、意志の強さを表すようなキリッとした眉、一つに括った黒髪、一切着崩していない制服。
どこを切り取っても鴻池さんは完璧な『委員長キャラ』だった。
あまりにも凝視しすぎたからか、委員長は視線を感じたように顔を上げる。
その瞬間、意図せず視線が重なってしまった。
「あっ……」
「あ……」
慌てて会釈をすると委員長も小さく返してくれた。そしてなんの興味もなさそうに、すぐ視線を文庫本に戻してしまった。
鴻池さんは見ていて落ち着く。清々しいほど色恋沙汰には無関心で、いつもあの調子で寡黙に本を読んで過ごしている。
もちろん僕の元に恋愛相談をしにきたことなんてない。
恋愛の助言ばかりをして暮らしていると、彼女のような人がとても清らかで素敵な人に見えてしまう。
「濃沼! おっはよー!」
「濃沼君おはよう」
翌日も登校と同時に相談を依頼してくる女子が二人もいた。片方は先月もアドバイスをした子だった。付き合ったけど結局あっさり別れてしまったらしい。
でもまたすぐに次の好きな人が現れてアドバイスを求めてきた。こうなってくると、本当にその人のことが好きなのか、疑ってしまう。
『恋に恋い焦がれているだけだろう』
そんな嫌味を言ってやりたくもなる。でもみんな僕にそんな説教染みたアドバイスは求めていないので、僕も黙っておく。
結局朝から蜜リンゴ味のクリームの入ったチョコパイとバター醤油味のポテトチップスを手に入れた。
女子生徒達の間では、僕に渡すお菓子のことを『ミノルサマへの供物』という隠語で呼ばれているらしい。それをケチると女子たちの間からかなり怒られるらしい。
別に僕はお菓子なんて何だっていいし、なんならなくてもいいとさえ思っている。たまたま最初にアドバイスした時冗談で「お礼はお菓子で」と言ってしまったことを今では少し後悔していた。
授業中はもちろん、休み時間も恋愛相談は御法度となっている。これも女子たちが僕の負担を考えて自主的に決めてくれたことだ。
そこまで気を使ってくれるなら、誰か僕に女の子を紹介してくれればいいのにと思う。
今日も放課後に三件もの相談を受け、鞄の中はお菓子でパンパンだった。
駅に着くとベンチに座る鴻池さんを見付けた。今日も一心不乱に視線は手許の文庫本に向けられている。
その可憐な姿を見て、胸がドキドキしてしまう。
「鴻池さん、今帰り?」
「あ、はい。濃沼君も?」
鴻池さんは持っていた文庫本を鞄にしまう。なんか中断させてしまったみたいで申し訳なかった。でもわざわざ本をしまってくれたので、その隣に腰掛けた。
「あ、そうだ。お菓子食べる?」
鞄から貰ったお菓子の一つを取り出す。ミントが中に入った焼きチョコレート。これはなかなかのお勧め品だ。
「ありがとうございます」
さっくりした歯触りのチョコの中にざくざくっとした食感のミントが入っているのが特徴だ。甘さと爽やかさが絶妙に口の中で絡み合い、鼻からはミントの清涼感が抜ける。
「あ、おいしい……」
「でしょ?僕のイチオシだよ」
鴻池さんは口許を抑えながら普段あまり見せない驚いた笑顔を見せる。もちろん僕が作ったわけではなく、なんなら買ったのも僕じゃないくせに、なんだか優越感に浸ってしまった。
電車がやって来たのでその流れで僕らは隣同士に座った。
「鴻池さんっていつも本読んでるよね」
「はい。本の虫なんです」
「どんなの読んでるの?」
「色々です」
「へぇ……」
会話が続かない。
女子とは毎日会話しているけれど一方的に恋の相談を受けるだけだ。こうして女子とまともに会話をしたのはいつ以来だろう。
無言が続いてしまったけど、鴻池さんは本の世界へと行ってしまうことなく、僕と同じ景色を黙って見詰めてくれていた。
なんとなく、無言でいても気まずくならない人だなって感じた。
ほとんど会話もないまま、僕の降車駅に着く。
「じゃあ。また明日」
そう言って席を立つと、急に鴻池さんは慌てた様子になった。
「あ、あのっ」
「ん?」
突然鴻池さんは僕の手を引き、一緒に電車から降りてしまった。
彼女の最寄り駅はここではないはずだ。
「ちょっと、その……相談が」
「相談? 僕なんかでよければ」
鴻池さんはクラスの委員もしているから、文化祭のことだろうか。
ホームのベンチに座ると、鴻池さんは顔を赤くして身体を固く強張らせて俯いた。
(えっ……まさか……)
恋愛に関心など皆無だと思っていたから想像もしていなかったが、この雰囲気は間違いない。これは恋の相談だ。
純真無垢な鴻池さんのイメージが崩れ、僕は自分勝手に少し傷付いてしまった。そして彼女が想いを寄せる相手に少し嫉妬した。
「そ、そのっ……えっと……あの……やっぱり、いいです。ごめんなさい」
気の毒なくらいに恥じらっている姿を見て気の毒になってしまう。
「違ってたらごめんね。恋愛の、相談かな?」
「えっ……」
驚いて見上げた鴻池さんは確実に恋する乙女顔だった。
「ほら、僕が恋愛相談をみんなにしているから。鴻池さんも、そうなのかなぁって」
惚けた感じでそう言ったが、僕に相談することなんてそれ以外あり得ない。鴻池さんはおずおずといった様子で頷く。
自分が密かに想いを寄せている相手の恋愛相談というのは、かなり苦しい。でもその子の役に立てるなら、とつい引き受けてしまう。
「その人の写真とかある?」
「しゃ、写真は……ないです」
「そっか。じゃあ名前とか生年月日、血液型、住所。なんでもいいから知っていることを全部教えて」
いつもの手順通り質問する。間違っても動揺していることを悟られないよう、気を遣いながら。
「そ、そんなこと濃沼君に言わないといけないんですか!?」
しかし鴻池さんは予想外の反応に出た。
まるで不躾な僕を非難するような声の響きに、少し面食らってしまった。
「い、いや。そういうことを訊かないとアドバイス出来ないんだよね。占いとか、そういう類じゃないから」
「無理。無理です! 絶対内緒です」
ぶんぶんと首を振り、長い髪が乱れる。ここまで拒絶するところを見るとクラスメイトの誰かなのかもしれない。
「特徴だけなら」とぽそっと鴻池さんが呟く。
「特徴かぁ……それで分かるかな?」
「物静かな人なんですけど、優しくて面倒見がいい人です」
「なるほど。それから? 見た目とか」
「見た目ですか……それは、その」
鴻池さんは照れ臭そうにちらちらと僕を見て、無意味に膝の上で親指をモジモジと動かしていた。
「背は、高くないです。ひょろっとした感じですけれど、顔は丸顔で。色白です。眼鏡かけてます」
「ふぅん」
口には出さなかったが、申し訳ないけれどあまりカッコいいタイプではなさそうだ。
「あとは?」
「そうですね。お菓子が好き、だと思います」
小学生が好きな人を当てるクイズをしているような、微妙なヒントばかりが並ぶ。
「これだけだと、正直恋愛相談は難しいかなぁ。他にもっと分かりやすい情報があればなぁ」
そう促すと突然鴻池さんは鋭い目で僕を睨んだ。
「あと、とっても鈍感な人だと思います。女の子に恥をかかせるのが上手かも」
「へ、へぇ」
急に怒り始めてしまった。あまりにしつこく訊いたのがよくなかったのかもしれない。
「それじゃ、これでちょっと何が見えるか試してみるね」
仕方なく僕は目を瞑り、何が浮かぶか見てみた。
しかし当然ながらこんな情報では何にも見えてこない。
目を開けると、審判を待つ被告人のような顔をした鴻池さんが僕をジッと見詰めていた。
「どう、ですか? 駄目ですか?」
泣きそうな顔で訊ねられ「何にも見えなかった」とは言えなかった。
「そ、そうだね……まず彼の家に直接押し掛けちゃうのも手じゃないかな?」
「家に、ですか!?」
「そう。多分照れ屋だろうから逃げられない為にね。それから相手も男だからちょっと露出度の高い服とかの方がいいかも」
「えーっ!?」
「ほら、鴻池さんはいつもキチッとした感じだから。たまにはそんなゆるい感じもあった方が。丈の短いスカート穿いて太ももを出すとか」
恋愛経験ゼロの、妄想丸出しのアドバイスだ。でも何も見えなかったんだから自分の好みとかを羅列するしかない。
「そんな格好できません! えっち!」
「ぼ、僕の趣味じゃないよ。あくまで一般論だから」
なんか軽蔑されてしまった。鴻池さんはツンとした顔をしてそっぽを向く。なんとか信頼を取り戻さなくては、と焦ってしまう。
「あ、そうだ! お菓子が好きなんだったらいいプレゼントがあるよ!」
「なんですか?」
「ゲーセンのクレーンゲーム限定景品でラムレーズン味のエアインチョコが出てるんだよ。すごく美味しいと評判だからきっと喜ぶと思うな」
「ゲームセンターのクレーンゲーム、ですか……獲れるかな?」
「難しいけれどコツを掴めば。なんなら僕が獲ってあげようか?」
そう申し出ると、鴻池さんは慌てて「結構です」と断ってきた。
「あとはやっぱり面と向かって気持ちを伝えることだよ。きちんと目を見てね」
「なんて言うんですか?」
「そりゃやっぱりストレートに『好きです』がいいんじゃないかな?」
当たり前すぎるアドバイスを真面目に聞いた鴻池さんはすぅーっと息を吸ってから、真っ直ぐに僕の目を見た。
「す、好き、ですっ……」
「そう。そんな感じ! もう少し滑らかに言った方がいい気もするけど、ようは気持ちが伝わればいいから」
そう励ましてあげると、何故か鴻池さんは唇を尖らせて「馬鹿」と僕を謗った。
どうやら何にも見えなかったから適当にアドバイスをしたのがバレてしまったようだった。
気まずくて、間が持たない。言葉もなく時間だけが過ぎていた。
そこに救いの手のように電車がやって来る。
鴻池さんは逃げるようにその電車へと駈けていく。
「じゃあね、鴻池さん」
ドアが閉まる間際、そう声を掛ける。鴻池さんは振り返って赤い顔で僕を見た。
「は、はい。それでは」
緩やかに加速していく電車を見て大変なことに気付き、「あっ!」と僕は声を上げた。
「しまった。短いスカートにするときはニーソックス穿いた方がいいってアドバイスするの忘れた」
翌日の土曜日。昼過ぎにインターホンが来客を伝えてきた。親が出掛けているので僕が玄関を開ける。
「あ!? 鴻池さん。どうしたの?」
そこにはミニスカートを穿き、オフショルダーの薄手のニットを着た鴻池さんが立っていた。その服はまるでタグがついていそうなほど真新しい。
露わになった太ももを凝視してしまうと、恥じらうようにスカートの裾を抑え、照れて怒った顔をして軽く睨まれた。
「と、とと突然、すいません」
ガチガチに緊張した様子の鴻池さんはグイッと僕に白いビニール袋に入ったものを渡してくる。
「あ、あの、これを……濃沼君にっ」
「え? 僕に?」
中を確認するとゲーセンのクレーンゲーム機限定のラムレーズン味のエアインチョコが入っていた。
「おおー! これは噂の! 僕にくれるの?」
そう訊くと鴻池さんはこくんこくんと大きく頷く。昨日の恋愛アドバイスのお礼だろうか。
でも昨日のアドバイスは『供物』を頂くほどのものではない。
ただミニスカートを穿いて、プレゼントとしてラムレーズン味のエアインチョコを持って、意中の男子の家に押し掛けろという下らないものだ。
「えっ……?」
改めてアドバイスを思い出し、今の状況とまるっきり同じことに気が付いた。
鴻池さんは耳まで赤く染め、少し潤んだ瞳で僕を真っ直ぐに見詰めていた。
「えっ……ちょっ……嘘、でしょ」
すうーっと大きく息を吸い、鴻池さんは意を決したように口を開いた。
「その……えっと……こ、濃沼君が……す、好きっ……です。つ、付き合って、頂けませんか……?」
僕の恋愛アドバイスはやはり完璧だ。
あまりの鴻池さんの破壊力のある可愛さに、心臓が爆発しそうなほど高鳴ってしまっていた。
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