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吸血姫は死を嫌う  作者: 天木蘭
二章.疑わしき
9/24

2-2

 悠の家を出て、自転車で帰路を走る。ズボンのポケットに軽い質量がある。


「これ、新しいお守りに。使わなくていいから。持ち歩くだけでね」


 そう言って、悠はペンをくれた。青を基調としたシンプルなデザインのシャープペンだ。

 家族で僕だけが生き残っているのも、案外、手首につけたブレスレットのおかげかもしれない。


 ただ、僕はなんのおかげか生きているのに、それが辛いのはどういうことなのだろう。人は生きようとして生きているはずなのに。

 やがて迎える死をひたすらに待つ。そのために生きているはずなのに。


 必ず死が待っている以上、人は生まれながらにして、死刑宣告をされていると言える。法律では罪を犯した人、中でも殺人などの重罪を犯した人に死刑が訪れる。

 そうすると、人はなにか罪を犯して生まれてきたのかもしれない。そこまで考えて、我に帰った。


 僕は一体なにを考えているんだ。そんなこと、考えるだけ無駄だ。答えを見つけても、僕に救いがあるわけでもない。

 普通に過ごしていれば、こんなことを考える機会もなかっただろうに。


 家の前に着くと、パトカーが停まっていた。もしかすると。


 中の人らは僕に気づいたらしく、ドアを開けて出てきた。片方は兄が死んだ夜に話した人で、もう一人はその人より若い様相で、服もなんだか整って見える。


「やあ、こんにちは焦斗くん。兄さんのことは、もう乗り越えられたかい?」

「まだ、完全にではないですが」


 兄が実際には殺されていて、その犯人を見つけ殺そうとしているとは、口が裂かれれば言うのを考えるかもしれないが、基本的には隠しておくつもりだ。


「そうか。簡単にできれば苦労はしない。本当に残念だったね。

 さて、本題はここからだ。実は、君の兄が付近のホームセンターでロープを買うところを、目撃されていたらしい」

「え?」


 話していた年上そうな警察の人は、視線を下ろしていた手帳から僕の方へと向けた。


「この話から、警察はこの件が完全に自殺だと判断したよ。自殺の動機だけが未だにわからないから、念のために捜査中なんだが、心当たりはないかい?」


 動機はなくて当然だ。兄は自殺ではないのだから。だが、ロープを買ったのが兄なら、なにに使おうとしていたんだ?

 

「心当たりはないです」


 どうして兄はロープなんか。日常生活でなにかを縛るのなら、紐などで事足りる。


「そうですか。いえね、実は君のお兄さんが働いていたコンビニに話を聞きに行ったら、君が来たと言うじゃないか。君の連れに、お兄さんの先輩という女性もいたようだが、良ければその人の名前を聞いてもいいかな?」


 タイミングを間違えたかもしれない。既に警察は調べたあとだと思っていたが、思い返すと、コンビニ側が兄の死を知ったのは、僕がSNSで連絡してからのことだった。


 さらに、リレンの姿は監視カメラにも残っているだろう。彼女の代わりに、他の人を立てるのは難しい。


「すみません。実は、なにも知らないんです。彼女は家に来て、兄の先輩だと自己紹介しただけで」

「そんな怪しい人と一緒に、お兄さんの動機探しに?」

「はい」

「……そうですか。不自然さもありますが、ひとまず信じましょう。お兄さんは自殺なのだから、君を狙っている人間もいないとは思いますしね」


 なんとか誤魔化せたが、まだ疑いを残した表情で、警察の人は見てくる。


「そうだ。今更ですが自己紹介を。私は唐川(からかわ)といいます。こっちは今回、相方を組むことになった東堂(とうどう)です」


 唐川さんが東堂さんの方へ、右手を伸ばした。年を取っている方が唐川さんで、若めの方が東堂さんか。

 東堂さんは首を申し訳程度に曲げて礼をした。僕も黙礼を返す。


「今日のところはこれで。またなにかわかりましたら、ここに来ますので」


 そう言い残して、唐川さんがパトカーへと戻っていく。しかし、東堂さんは、なぜかこの場に残っている。


「あの、東堂さん?」


 唐川さんは既にパトカーに乗り込んで、こちらの方を見ている。


「吸血鬼に騙されないよう、気をつけろ」


 低い声で、東堂さんはそう言った。


「え? それってどういう」


 聞き返そうとするも、東堂さんは早足気味でパトカーへと向かった。そして、手早くドアを開け乗り込む。

 エンジンが鳴り、パトカーは動き始めた。去り際に、唐川さんはこちらに手を振っていたが、僕は反応できなかった。


 東堂さんの言葉は、僕の気を強く引いていた。すぐ隣を通る車に、クラクションが鳴るまで気づかないほど。

 

 家の中に入ると、叔父がおかえりと声を掛けてくれる。僕はただいまと返して、二階へと階段を駆け上がっていった。


 わからないことが増えていく。今までは兄のことだけを考えていれば良かった。なのに、今度はあの警察の人、東堂さんが、僕に忠告をしてきた。


 吸血鬼とまで言っているのだから、彼は僕と一緒にいたのがリレンで、かつ彼女は吸血鬼であるということを知っている。


 これをリレンに報告すべきだろうか。迷う。僕はリレンの推理力については信頼をしているが、リレン本人には、全幅の信頼を置いていない。

 会ってまだ二日の彼女を信頼しきるということが、そもそも不可能だ。それに加えて、東堂さんのあの言葉。


 リレンがなにを騙すというのだろうか。兄が本当は自殺だった? それとも、これから偽りの犯人を仕立て上げるのか?

 わからない。僕は誰を信じればいいのだろう。そうだ、一旦、信じられる人を明確にするべきだ。


 まず、叔父。彼はある程度、信じられる。だが、僕の中では一番疑わしい人だ。叔父は僕たちに経済的援助をしてくれたが、兄はそれを断ろうとしていた。あれは遠慮というよりも、拒絶だ。

 僕の知らないところで、兄と叔父に確執があった可能性は否めない。


 次に悠。悠は信じられるし、信じたい。ペンだけど、新しいお守りを貰ったし、過去に起因して僕との絆は深いはずだ。ただ、時折、怪しくも見える。兄の最後のメッセージがSNSに残されていたのを見破っていたが、そこまでの推測を普通できるのか?


 次に、玲さん。玲さんも信じたい。兄が殺された日に家にいなかったというのと、やたらと見られるのを厭っていた押入れは怪しいが、仲はずっと良かった。


 コンビニ先の人々は、全員信じられるはずだ。海美だって、兄さんのことが好きだったのだから、害すはずもない。他の人だって、いい印象を抱いているようだった。それに、大学の友人たちも信じられる人だ。そもそも、兄が直接関わった人なら、全員が善人のはずなんだ。


 最後にメアとリレン。兄殺しの犯人にはなり得ないが、信頼できるかは微妙なところだ。どこまでを信用して、どこまでを嘘と思うか、吸血鬼なんていう存在であることが、既に常識をぶち破っている彼女ではあるが。


 幸い、明日と明後日は休日だ。一度、リレンのところへ行ってみよう。


 ロープを買ったのが兄だという報告はするべきだ。東堂さんの言葉は、言わないでおこう。今更、妙な疑いを抱いたところで、僕には他に頼るべくものがないのだから。


 リレンを信用するかどうかは、犯人を暴いてからでいい。


「焦斗、ご飯ができたぞ」

「うん」


 叔父はずっと家にいる。一体どうやってお金を稼いでいるのか。経済的援助ができる余裕はあるのだろうし。

 一つ考えるなら、投資家か。莫大なお金が手に入り、なおかつ時間もできる。自称、旅人なのだから、不思議ではない。


 開け放した部屋の入り口から、仄かに漂うのはカレーの匂い。叔父は料理ができるのかできないのか、いまいちわからない。


 今までは、兄が毎朝起きては弁当を作ってくれていた。無理をしなくていいと言ったのに、自分のためだけに作るのと、僕の分も作るのでは、そう変わらないと返してきた。


 叔父は、ここにいるだけで僕を助けてくれている。あまり迷惑を掛けたくないから、僕は登校途中で惣菜パンを買い、昼に食べている。

 それに、そのお金だって叔父にもらっているのだから、方向性は違うが苦労させていることに変わりない。


 僕はベッドから起き上がり、一階へと向かっていった。もしも、カレーに毒が入っていたら? そんなことを考える自分が嫌で、その考えを振り切るように、階段を駆け下りた。


「焦斗、どうした?」

「なんでもない。カレー、食べようよ」


 本当は、なんでもなくなんかなかった。


 叔父なりのサービスなのか、カレーのルーは、ご飯を全て浸していて、白い部分は少ししかなかった。


 夕食のカレーを食べ終えると、また自分の部屋に籠る。叔父との会話は、なかなかないのだ。

 思い返すと、叔父と会話をできていたのは、彼の帰りが度々だったからこそなのかもしれない。


 帰宅と帰宅の間に溜めた話題を消費していたのだから、それもそうか。本当なら、僕は、もう少し叔父のことを知るべきなのだろう。


 叔父のことは叔父としか知らない。名前も知らなければ、どこに住んでいるのかも知れず、職業も投資家と予測を立てることしかできない。


 興味が湧かなかったといえば、嘘になる。だが、叔父は知られたくないように見えた。そのせいで、いつの間にか叔父の素性に対する興味が失せていた。


 兄が消えた今、家族はあの人だけだ。この一連の件が片付いたら、よく話してみよう。


 そんな目標を決めて、僕は寝返りをうった。布団はフカフカだ。優しい。ここが、ここだけが僕のあるべき場所。

 窓から覗く月は、雲に隠れていて、柔らかい光だけを厳かに垂らせている。


 まだ寝るのには早いが、特にやることもない。


 僕は部屋の明かりを消して、目を閉じた。淑やかな環境音や生活音に満たされて、僕は穏やかな時間を過ごす。

 闇が心地よく、 いつまでもこうしていられたらいいのに、なにも見えなければいいのにと、そんなことを思ってしまった。



 * * *



 翌日、僕はリレンの事務所前にいた。時間は午前十時。リレンはまだ眠っているかもしれないが、メアはいるだろう。


 インターフォンを鳴らして一拍ほど置くと、扉がゆっくりと開いた。今日も空は晴れているが、光の入らない路地のためか、出てきた手は墓石のように光って見えた。


「来ると思ってた。それに、丁度よかったね。リレンは起きてるよ」


 メアの服は昨日と同じくワンピースだが、デザインが変わっていた。胸のあたりにリボンがついていて、昨日よりも可愛らしさが出ている。


「起きているんですか? あまり期待はしていなかったんですけど」

「実は、私から調べて欲しいことがあってね。とりあえず、中にどうぞ?」

「はい。ありがとうございます」


 メアに促されて玄関を過ぎ、リビングへ入る。そこはやはり夜のように暗くて、時の流れが阻まれているのではないかと感じる。


「おはようございます、リレンさん」


 椅子にもたれかかっているリレンに挨拶をする。彼女は緩やかに首を回して、僕の方を向いた。


「おはよう。少しいいかしら?」


 今朝食べたトーストに塗った、イチゴジャムみたいに甘い声だ。しかし、その甘さを抑えるマーガリンよ

 ろしく、緊張感も併せ持っていた。


「なにか、わかったんですか?」

「なにかと言うほどのことではないわ。とりあえず、辛いかもしれないけど、これを見て」


 リレンは手にものを乗せながら、こちらに左腕を伸ばした。右腕は電灯が提げる紐へと。


 彼女から受け取ったものは、どうやら写真のようだった。写っているものに、予想はできる。

 電気が点くと闇が消え、珈琲が飲まれたカップの中にいるような気がした。


「兄の、死体ですね」


 ロープで首を括っていた死体よりも、綺麗になっている。顔は仄白く血が通っていない。どこか安らいだ表情をしていて、最初に見た死体とは全然違うなと思った。ただし、それに救われることは、一切ない。

 

「それは、君の兄で合っているのね?」


 リレンは生前の兄を見ていない。本当に兄かどうかの、確認か。


「はい。間違いないです」


 天然の癖毛は変わりない。閉じられた目も、開かれれば優しさを湛えるのだろう。


「そう。わかったわ」


 写真を返すと、彼女はテーブルの上にそれを置いた。


「ところで、メアに聞いたのだけど、あなたの叔父が、今は一緒に住んでいるのよね?」

「はい。そういえば、リレンさんは会っていませんね」

「ええ。叔父さんとお兄さんの仲は良かった?」

「仲が良くはなかったですね。叔父は経済的援助を申し出てくれたのですが、最初、兄さんは断っていたので。って、もしかして叔父を疑っているんですか?」


 リレンは肯定をしなかったが、否定もしなかった。その無言は、どちらを意味しているのか。


「ねえ、リレン。焦斗くんにあのことを頼んでもいい?」

「そうね。……私が昼も出歩ければ良かったのだけど、できないし。君さえ良ければ、メアの話を聞いてくれない?」


 メアが僕に? リレンが兄の件について、どこまでわかっているのかが気になるが、ここはメアの話を聞いておくべきだろうか。


 彼女らの機嫌を損ねるのは、悪い気がする。僕は依頼主という立場ではあるが、方やリレンは断る権利も持っているのだから。


「わかりました。話を聞くくらいなら」

「ありがとう。でも、場合によっては聞くだけじゃ終わらなくてね?」


 メアは両手を前で組むと、伏せ目がちになって、話し始めた。


「実は、私の友達が死んでしまったの。その理由が知りたくて、調べるのに協力してくれないかな? もちろん、タダじゃないよ。引き受けてくれたら、自殺判断分の血液は要らないから」


 それはつまり、依頼料が減るということか。僕は自殺判断分の血液と、犯人探し分の血液で、二回分払う義務を負っている。それが一回分、減るのだ。


 魅力的なものではない。所詮は血液で、献血との差異は少ないのだから。しかし、彼女らには僕の依頼を受けてもらっている。その彼女らが助けを求めるのなら、応える義務はないものの、少しくらいはいいだろう。


「わかりました。身の危険がないのなら、引き受けます」

「良かった。同じ高校だったから、丁度いいの」

「え?」


 メアはさらっと、重要なことを言った気がする。


「メアさんって、僕と同じ高校の生徒だったんですね。そんなこと教えていいんですか?」


 個人情報秘匿のために、メアという偽名まで使っていたというのに。


「学校でいつか会うことがあれば、気づくでしょ? それに、信じているから」

「どうして信じられるんですか?」

「わたしと似ているから……かな? 気にしないで。さ、調査を始めましょう」


 僕とメアが似ている? まず性別の時点で大きくかけ離れていると思うのだが、どの辺りに共通点を感じ取ったのか。


 いや、そういえば、リレンはメアのことを拾ったと言っていた。彼女も、僕同様に家族がいないのかもしれない。今は、リレンがいるが、血の繋がりがあるわけではない。


「今から始めるんですか」

「うん。まずは、その死んだ友達の家族のところに」


 メアの口調は、前よりも砕けている。知らない子供に、突然懐かれたような、一方的に親しまれている感覚だ。


「じゃあ、リレン、行ってくるね」

「気をつけて。私も自殺判断はするから。君もね」


 リレンは見ていてぎこちない笑みを浮かべながら、手を振ってきた。この笑みは、なにを意味しているのだろうか。

 ただ単に、疲れているだけかもしれないが。



 * * *



 玄関から外へ出ると、空気が家の中よりも冷んやりとしている。リレンの家は、熱の逃げ場がないからなのか、気温がとても高い。リレンは温度感覚が鈍いらしいから、特に問題ないのだろうが、メアはどうなのか。

 考えるまでもない。熱いに決まっている。だからこその、涼しげなワンピースなのだと思う。


 影に埋め尽くされた路地を出ると、空の熱源が無情にも熱を帯びた光を放つ。


「それじゃ、後ろについてきてね」


 メアは自転車に跨って、そう言ってきた。彼女の白い肌は、日光を帯びて後光のような神々しさを持っていると言っても過言ではない。

 光を反射させるその体は光っていて、人でないもののようだ。かと言って、気味の悪さがあるわけでもなく。


「わかりました」


 しかし、彼女の容姿がどうであれ、立場上、僕は彼女に従うだけで、他のことはあまり考えなくていい。

 ただ、自転車を漕いでいると、兄のことを思い出す。メアが前にいるから、蘇った記憶だ。


 兄が殺される前、僕と兄はサイクリングをしていた。休日になると、街へ行ったり、失月市内を廻ったりと、二人の時間があった。


 スマホやネットの地図機能を使えば、容易に地理の把握はできる。それでも、わざわざ兄と一緒に自転車で行動していたのは、僅かにでも世界が広がっていたからだ。


「多分だけどな、自分が住んでいる町だとか、市だとかの全てを把握してる人っていうのは、なかなかいないと思うんだよ。別に全部知っていればすごいって訳じゃないけどさ、知っていると、行きたいところに行けるんだ。

 行きたいところさえ見つからないやつだっているのに、行きたいところがあったら、すぐに行けるってのはいいことだと思わないか?」


 兄は目を輝かせながら言っていたのだろう。自転車の速度は、下り坂でもないのに上がっていて、追いつくのに必死だった。


「要は、攻略本を見てからゲームをするってことだよね?」


 後ろへ追いついたときにそう返してみると、兄は片手をハンドルから離し、親指を立ててこう言った。


「ま、それでいいさ!」


 僕はそんな兄を追い抜くことも 、横に並ぶこともできなかった。道幅は充分にあったのに。


「焦斗くん、着いたよ?」


 メアの声で、僕の時間は今に戻された。思ったよりも顔が近くにあって驚く。


「すみません。あと、近いです」

「あ、ごめんね」


 自転車に鍵を掛けて見回すと、住宅街だった。見覚えがある。というよりも、これは僕の家の近くじゃないか。


「死んだ人のこと、焦斗くんも知っているよね。昨日、屋上から落ちた人なんだ」

「やっぱり、そうなんですね」


 昨日見た光景が、一瞬思い出された。一日経っても、こびりついたように消えない記憶だ。


「同じ高校って言ったから、予想はできてたよね。この近くにある彼女の家で、彼女の死因に心当たりがあるかどうか、これから聞いてみる。焦斗くんも気づいたことがあれば、なんでも教えてね」

「善処します」


 僕には、リレンのような特殊能力も推理力もない。メアは吸血鬼ではないようだが、思考能力などについては不明だ。とはいえ、リレンの助手であることだし、僕は足手まといになるだけだろう。

 

 兄とは歩くときさえ、隣に並んでいなかったような気がする。だが、メアとは並んで歩いている。自転車のときには、彼女しか場所を知らなかったからついていき、今もそのはずなのだが、隣にいる。


 その理由は至って単純で、メアの、というよりも女子の背後を歩くということに気後れした。周りから見ていて、ストーカーに見えないかと。

 実際は違うのだが、ただでさえメアの容姿は優れているし、そう捉えられる可能性は十二分にある。


「ここだよ」


 立ち止まった彼女に合わせて、僕も身体を留めた。


 僕の家よりは大きめの一軒家だが、ひっそりとしていて、どこか縮こまっているように見える。


 メアがインターフォンを鳴らすと、スピーカーから男性の声が聞こえた。


『どちら様ですか?』


 気力のない、魂が抜けたような音だ。


「私、葛城(かつらぎ)沙音(さのん)さんの友達です。聞きたいことがあって来ました」


 メアの声は凛としていた。彼女をそうさせるのは、亡くなったあの人が、ただの同級生ではないからなのだろう。親友だったのかもしれない。


『沙音の……。わざわざ来てくれたのに悪いが、こちらも忙しいんです 。それに、まだ信じられないんだ。あの子が死んだなんて』


 そう言った男性の声は、嗚咽が混じっていた。この人の気持ちはわかる。突然、人が死んでしまっても、簡単には信じられない。

 それは、死体を見てもだ。濃密な時間を過ごした人が、たったの一瞬で消え去ってしまうなんて、あまりにも大きな衝撃だ。


 記憶の中には、まだその人がいて、微笑んでくれるし、慰めてもくれる。だから、まだいるのだと、明日になれば会えるのだと、そう思いたくなる。


「わかりました。こちらこそ、配慮が至らなくてすみませんでした。一つだけ、訊かせてください。沙音に、自殺するような原因はありましたか?」

『まさか! 沙音は変わりませんでした。確かに、時々門限を破ることも増えましたが、それでも自殺するなんてあり得ない!』


 メアはそれを知りたかったのか。沙音さんは屋上から落ちたのか、降りたのか。


「そうですよね。私も強くそう思います。沙音さんの御冥福と、彼女の両親であるあなたが、早く立ち直れることを祈っています」

『ええ。……ありがとう』

「それでは」


 メアは会話を切り上げると、歩き始めた。スピーカー越しに感じた人の気配も消えたので、僕はメアに続いて歩くことにした。


「とても緊張しちゃった」

「緊張してたんですか。落ち着いて見えましたけど」

「これでも、焦斗くんよりは、大人に近いからね。こういうのはできないと。社交性っていうのかな」

「大人の雰囲気が出せるっていうのは、いいことだと思いますよ。兄は未だに、敬語が時々不安定でしたし。……あ、もうそれを直すこともできないんですね」


 バイト面接の練習に付き合っていたとき、あれは大変だった。兄のことを思い出しても悲しくはならないが、虚しくはなる。


「そうだよ。人は死んでしまえば、時が止まってしまうから。沙音も、高校を卒業できないんだよね」


 死者は時の影響を受けない。壊れた時計のように時を刻むのをやめ、成長もせず、老いることもなく、どこかにいるのだろうか。


 肉体が人の本体だとは思いたくない。心臓が止まっても、脳が正常に働かなくとも、人には魂があって、それが人の本体だと思いたい。

 これからただ腐敗してしまうタンパク質の塊を、その人として見ることは、堪えられない。


「沙音のお父さんは、死因に心当たりがないみたいだった。家族は、本人以外で一番、様子を把握してくれていると思う。その人に心当たりがないなら、多分、沙音は自殺じゃないよね」


 首を回して僕の方を向いた彼女に、頷いて返した。


 僕も兄が自殺した動機に、心当たりはなかった。そして、兄は殺されたとわかったのだ。だから、メアが言う通り自殺でないと思えるし、そうなると、沙音さんは殺されたか、あるいは事故か。


「学校は、まだ入れないと思うから、一旦帰ろうか。あ、そうだ。焦斗くんの電話番号を教えてよ。いつでも話せる方が、わざわざ来なくてよくなるし、便利でしょ?」

「わかりました」


 断る理由はなかった。彼女は今日も掛けていたショルダーバックから、前よりも小型のタブレット端末を取り出した。


「じゃあ、交換しようか」


 彼女の端末は青い色だった。てっきり、黒なのだと勝手に思い込んでいたが。


「はい」


 赤外線機能は対応していなかったので、口頭で互いに番号を告げ、その後は自転車に乗って、メアの家に共に戻ることにした。


「おかえりなさい。どうだった?」


 最後に見たときと、ほとんど変わらない体勢に見えるリレンは、出迎えるなり尋ねてきた。


「やっぱり、自殺じゃないと思うよ。それに、屋上には鍵が掛かっていたはずだから、飛び降りたっていうのが、そもそもおかしいんだよね」


 メアは電気をつけた。彼女が暗さに慣れていないのか、それとも僕に気を遣っているだけなのか。


「君はどう思った?」

「僕ですか」


 蚊帳の外な心積もりでいたのだが、彼女が「君」と呼ぶのは僕だ。


「実は、沙音さんが落下するとき、彼女は僕の目の前を落ちていったんですが、それでもよくわかりませんでしたよ。って、あれ?」


 話している途中で部屋の電気が明滅し始めた。リレンかメアの悪戯かと思ったが、彼女らはスイッチからは離れている。


「兄さんの部屋と同じ状態ですね。電球がきれたんですか?」

「いいえ、前に取り替えたばかりだから、そのはずはないのだけれど」


 僕らは皆一様に、不思議そうな表情をしながら上を見上げていた。


「あなたのお兄さんが、霊になってついてきているのかもね」

「そんなわけないですよ。幽霊なんて、非科学的です」


 常套句のように、非科学的と口から滑りでてしまったが、リレンの存在が既に似たようなものだと気づく。


「もしいれば、嬉しいですけどね」

「そうね。不死の力よりも、死後の相手に会える力の方が余程いいわ」

「……そうですね」


 何度も人を失う悠久の時間よりも、時間を失った人に何度でも会える方が、いいに決まっている。ただ、そんな能力がもしあれば、リレンの言っていたことが具体化するだろう。


 死は人を引きずりこむ。死者と話すことができれば、慰みもあるだろうが、触れることも叶わぬ相手と、最後まで自殺せずに一緒にいられるだろうか。僕にはその自信がない。同じ存在になりたいと、そう願ってしまうと思うから。

 

「ところで、メア、それならこの事件を調べないといけないわけよね?」

「うん。そうなるね」

「それなら、君の役目はまだ終わらないみたいね。私は昼間に行動はできないけれど、夜の学校は、もぬけの殻だもの」


 薄々、気づいてはいた。学校を調べずして、この事件は解かれないだろう。


 沙音さんが自殺かの断定は、まだできないが、自殺でないとすれば、僕の兄同様に殺された可能性がある。そうなると、やはり調べている途中で、犯人に気づかれる危険性がある。


「わかりました」

「ありがとう。それと、君の兄を殺した人物、もしかしたらわかるかもしれないの。まだ調べることはあるけれど、この事件が解決する頃には、はっきりと教えられるかもしれないわ」


 兄を殺した犯人が? あり得なくはない。リレンには彼女独自の情報網はあるのだろうし。


 思い出されるのは『吸血鬼に騙されないよう、気をつけろ』という、東堂さんの言葉。

 なにに騙されないよう気をつければいいのか、そこを教えて欲しかった。


 だが、一度結論を出した通り、結果を見てから決めればいいんだ。騙されたところで、僕はもう痛くも痒くもない。死んでしまったとしても、それは仕方ないと思える。できれば、僕のことを想ってくれる人のために、まだ死にたくはないけれど。


「わかりました。お願いします」

「ええ。今日のところは、もう帰って大丈夫よ。また月曜日に、メアと一緒に調べてね」

「はい。どこか、待ち合わせ場所を決めた方がいいですよね」


 メアの情報が、多少は明らかになったものの、正体は知らない。メアというのも、偽名というからには、ちゃんと本名ではないのだろうし。


「あ、それなら図書室に集まろう? そこなら人はあまりいないし、放課後でも解放されているからね」

「そうですね。月曜日、放課後、図書室でいいですか?」

「うん。じゃあね」

「はい」


 二人に見送られ、リレンの家を出る。そこで、いろいろと話し忘れたことを思い出した。しかし、必要はないか。彼女は犯人を見つけられそうな様子だ。


 僕も、そろそろ答えを出さないといけない。犯人がわかったとき、その人を殺すのかそれとも……。


 自転車のスタンドを蹴り損ねて、もう一度蹴った。路地から出ても、闇が追いかけてきているように感じて、ペダルを漕ぐ足の動きは早かった。

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