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そこに立っていたのは、僕が叔父と呼んでいた人物だった。彼が本当の叔父なのか、今ではわからなくなっている。僕と兄が血縁関係でないのなら、叔父も僕の叔父ではないのではないか。
「叔父さん。どこから聞いていたの?」
「全部だな。あの女は、吸血鬼だって? 信じられないが、どうでもいい話といえば、そうだな。とりあえず、焦斗が無事で良かった」
叔父は、やつれた顔をしていた。拘留されている間、警察に尋問されていたからだろう。本当に、犯人でなかったのは、良かったと思う。
「叔父さんは、僕が養子だって知っていたの?」
知っていたのなら、もっと早く教えて欲しかった。兄が一人で知るのではなく、僕も一緒に聞いていれば、兄の死を止められたかもしれないのに。
「ああ、知っていた。こんなことになるなら、言っておけば良かったな」
彼の声は悔やむような声だったから、怒りは湧かなかった。なかなか、予期できることでもなかっただろうから。人の心の深くを正確に読むなんて、吸血鬼でも無理だ。
「叔父さんは、僕がどうして養子になったか、知っているの?」
自分が一体何者なのか。どこの誰の子どもなのか、知りたくて当然だ。
「……知りたいのか?」
「うん」
叔父さんは、煙草の煙でも吹くように、長い溜息を吐いてから、絞り出すように呟いた。
「俺は、俺が、お前の……本当の父親なんだ」
叔父の言葉は、耳を通り抜けた。聞こえたはずなのに、その事実を脳が認識しない。
今日は本当に、知らないことを多く知る日だ。
「それって、どういうこと?」
言葉の意味は理解していた。だから、この質問が適切ではないとわかっている。ただ、まだ簡単には受け入れられない。
「なんで、隠してたの?」
なにも答えない叔父に、僕は質問を重ねる。答えてくれるのだと考えていた。そうでもなければ、自分が父親だと明かす必要もない。
「そもそも、本当なの?」
なんで?を繰り返す、子どものようだと思った。相手を困らせようとしているわけじゃない。ただ、答えを知りたいだけの、好奇心の塊のような問い。
「……俺は、誇れるような父親じゃない。人の親として、失格だ。そんな、最低な人間の贖罪でよければ、話すことはできるが、訊きたいか?」
いつも活力が満ちていた叔父に、元気はなかった。鬣の萎えたライオンに見える。
「うん。僕の知らないことは、知っておきたいんだ。もう、後悔をしたくないから」
叔父は、リレンと僕がしていた今までの話を聞いていたからか、僕の答えに重々しく頷いた。
「あの女は、本当に話していなかったんだな」
「あの女って、リレンのこと? なにも聞いていないけど、知ってたの?」
「ああ。お前とあの女が家に来たとき、あいつが俺に耳打ちしただろ? そのとき、俺は言われたんだ。『あなた、彼の父親なのでしょう?』ってな。どうして気づいたのか、それはわからない」
僕には、リレンがどう推理したかわかる。彼女は、遺伝を髪質で判断した。叔父の髪質は僕と同じ直毛。それに、僕が兄と血の繋がりがないと知り、親族がいないはずの僕らに、叔父と称して援助をしている人間がいる状況。
答えへ至るには、リレンなら十分だ。こうして、彼女は動機が見つかったと思い、叔父が犯人だと考えたのだろう。
「でも、耳打ちされて俺は即座に、焦斗が幹人を殺したんだと思った。あの女は言外に、親なら代わりに責任を取れと言っているんだと思ったんだよ。それで、俺はおとなしく捕まった。まあ、その考えは間違いだったがな」
どうして、叔父が自身を犯人だと言ったのか、リレンに聞こうと思ったもののできなかった。だが、ようやく、叔父が罪を被った理由が理解できた。
「さて、聞きたいというなら、俺の話をしようか。だが、焦斗、本当にいいのか? 俺は、お前に傷ついて欲しくない。なのに、この話は絶対に、お前を傷つける」
兄が自殺したのかどうかを調べると言ったとき、叔父に危ないことはしないと約束させられた。僕の身を第一に考えてくれた叔父が、傷つけるとわかっていながらも、僕にそれを聞くか問うのだから、やはり僕は聞くべきだ。
傷は、生きているうちに消える。治るまでに、どれくらいの時間が掛かるかは、傷によって変わるだろうけど。僕には、それを受け入れる覚悟がある。
「大丈夫。お願い、話して欲しいんだ」
「そうか。そこまでの決心なら、話さない方が許されないな。どこから言うべきか……。いや、隠さないと決めたんだ。最初から言うか」
叔父は一度、息を呑んだ。その話をすると、叔父も、傷ついてしまうのだろう。それに、彼はきっと、恐れている。兄と同じように、心の支えを失くしてしまうことを。
僕には、叔父の支えがなんなのか、察しがついていた。
「俺は、とある女性と結婚していた。子どももいた。なに不自由なく、普通に暮らしていたよ。仲も良好だった。
だが、俺は安寧の日々に、どこか不満を持っていた。過不足ない生活に、刺激を求めてしまったんだ。それで、他の女性とも交際してしまった」
僕個人としては、そこまでならまだいいと思う。日本人的な考えでいけば、一夫一妻が常だけど、外国で見れば一夫多妻も普通のことだ。
多分、叔父だから寛容になれるというのも、あるかもしれない。それが理由だとしたら、今まで接してきた叔父の姿から、どんな話でも彼を悪人だとは思えないだろう。
間違いなく、叔父は悪人であるのに。
「何ヶ月かして、結婚相手と喧嘩が増えた。互いの間に流れる空気が、張り詰めていたんだ。それで、俺も自然に、もう一人の交際相手に流れていた。
そんな生活をしているうちに、結婚相手がイライラしている理由がわかったんだ。彼女は、妊娠していた」
少し前に、保健の授業で習った覚えがある。確か、こういった症状をマタニティブルーと呼ぶ。妊娠中や、出産後には、ホルモンの影響で精神が不安定になるらしい。
「妊娠ひたとなれば、流石に、相手をしないわけにはいかなかった。それに、その事実は嬉しかった。俺なんかが、子供を持てるなんて。
だから、もう一人の方は、しばらく会わずにいたんだ。そうして何ヶ月か経って、子どもが産まれた」
それが、僕だったわけか。そのあとの展開は予想ができる。他の女性と交際していたことがばれて、離婚したのだろう。
「そんなときに、あの女から連絡があった。家に来て欲しいと。俺も、付き合いをやめるべきだと思って、繋がりを断ち切るために、すぐさま、あの女の元へ向かった」
女性の呼び方が変わっている。相当、嫌っているのがわかった。これが原因で、浮気が露呈したのか?
「そう。その、家に行ったんだ。そうしたら、あの女が出迎えた。中に入って、そして、あの女は、タオルを被ったものを持ち上げて、俺に見せてくるんだ。タオルをどけたら、そこには赤ん坊がいた。
あの女は言った。『あなたとの子どもよ。私と結婚してよ。子どもができたのよ?』ってな。忘れられない。あの声も、雰囲気も、耳と目に焼き付いて離れない。
俺は断った。結婚相手と仲違いしていた理由も、わかったんだ。元々、あの女とは本気の付き合いじゃなかった。だから、断った。そうしたら、あの女はなにをしたと思う? あの女は、手に持った子どもを、ゴミ箱に捨てようとしたんだ。
信じられるか? 生まれたばかりの子どもを、自分の子どもを、捨てようとしたんだ!
『あなたと結婚できないのなら、こんなもの要らない』って、子どものことを、俺を繋ぎとめるための、道具としか見ていなかったんだ!
受け入れられなかった。そんなやつを。だから、俺は子どもだけ奪い取って言った。『もう、俺に関わるな』。あのとき、いろいろなことを言い合ったと思うが、これだけは言ったのを覚えている」
……凄絶だ。現実に起きそうにない、物語のような話だが、起こらないと言い切ることはできなかった。叔父の様子には妙なリアリティがあったし、僕の頭が、勝手にその出来事があったのだと認めている。
「それで、どうなったの?」
手に力が籠って、整った白いシーツに醜い皺ができた。
「その子どもを、連れ帰るわけにはいかなかった。余計な混乱を招くだけだと思ったんだ。そして、俺はある家族を訪ねた。子どももいる、幼馴染だった二人だ。
無理を承知で、子どもを預かってくれと懇願した。相当長い間話して、二人は子どもを預かってくれた。ただ、代わりに条件として、俺はその後、子どもに会わないことを約束させられた。当然だよな。俺には、もう資格なんてなかったんだから」
叔父の言葉は、途中から聞いていなかったようなものだ。もう、それどころじゃない。僕の立場が、わかってしまったから。
僕の本当の父親は、育ててくれた両親の幼馴染。僕の本当の母親は、本当の父親の浮気相手。生まれたばかりの赤ん坊を、ゴミ箱に捨てるような女が母親。
……なんだ、僕は生まれたときから、誰にも求められていなかったのか。それが、僕だったんだ。生まれてくるべきじゃなかった。
人に恨まれ、疎まれ、人を殺し、憎む。ただ、それだけの。
「もう、わかったよ。僕は誰にも望まれていなかったってことが。なんで、僕を殺してくれなかったの? そのまま、ゴミ箱に捨てられていればよかったんだ。ゴミ収集車に潰されて、この世界から消えてしまえばよかった。誰にも知られないままに棄てられて、命をひっそりと失せてしまえばよかった。どうして放っておいてくれなかったの?
僕は生きていて幸せじゃなかった。生きていたせいで、辛い思いをした。人に苦労をかけた。人の命を奪った。どうして、僕はここにいるの? 生きるべき人がいた。生きたくても、生きられない人もいた。こんな僕よりも、生きないといけない人が!」
僕はきっと、罪そのものだ。僕が生まれたせいで、人は死んでしまう。僕が生きているせいで、人は不幸になる。僕が呼吸をするだけで、世界は破壊されていくんだ。きっとそうだ。そうに違いない。
リレンは、どれほどの死を見てきた? 僕なんかより価値のある人の命が、どれだけ失われた?
「違う! 焦斗。お前は、望まれていた。俺は、お前が生まれて良かったと思う。お前がいなければ、幹人はどうなっていた? 両親が死んで、親族もいないままに一人残された幹人は、どうなっていた?
もしも、なんて話はするなよ? お前がいなければ、あの二人が死ななかったかどうかなんて、わかるわけないんだ! お前は、人の命を救っている。消してなんかいないよ」
シーツは皺だけでなく、シミまでできていた。純粋なものが、汚れていく。汚染されていく。
僕がいなければ、幹人さんは生きていたか否か。叔父の、父親の言う通り、わからない。仮定の話では、解決できるようなものじゃない。
でも、僕が生きていて、良かったことなんてあるのか? なにもない。思い当たらない。いつもは観られる映像が、砂嵐で覆われていてどうしようもない。手が届かない。そんな感覚。
「お前は、悠を救ってくれただろ? いじめに遭っていた悠に、お前だけが手を差し伸べたんだ。
あいつは、いじめを苦にして、死んでいてもおかしくなかった。死んでないとしても、不登校になっていたかもしれない。
幹人と、悠。少なくとも二人、お前は人を救っているんだよ」
砂嵐が途切れ、悠の顔が垣間見えた。そうだ。確かに、僕は悠を助けた。今では、助けられてばかりだけど。でも、それよりも。
「どうして、悠がいじめられていたことを知っているの?」
悠の話は、たまたま会話中に出したのかもしれないが、いじめの話はしたことがない。
「それは、もう、隠すこともないな。……俺が結婚していた相手との子どもが、玲と悠だ。焦斗を預けたあと、俺は妻に離婚を頼んだ。
理由は言わなかった。言えるはずがなかった。養育費は払うと、それだけだ。俺は、親の資格を失ったんだ。親でいられるわけない」
悠は、異母兄弟だったのか。だから、僕は悠がいじめられているのを、許せなかったのかもしれない。無意識に、自分がいじめられているように感じて。
そうか。僕は、一人じゃない。たとえ、この世界に生まれるべきでなかったとしても、生きることを許されない人間だとしても、一人じゃない。
棄てられなくて、良かったのかもしれない。死ななくて、良かったのかもしれない。ほんの少しだけ、本当に、少しだけ、そう思った。
シーツのシミは、洗わないと消えそうにない。
次に、叔父が言う、親の資格について考えた。親の資格ってなんだ? 漢検や英検みたいに、検定料を払って試験を受けるものじゃない。客観的に判断されるものなのだろうか。親になったことのない僕には、まだわかりそうにない。
だけど、親に資格があるのなら、子の資格や、弟の資格もあるのかもしれない。僕には、子の資格はあっても、弟の資格はきっとなかった。だから、 幹人さんが。
これから、取ることができるものでもない。僕は、どうやって生きていればいいんだ? 僕が市崎焦斗である資格、人間として生きていく資格は、どこで手に入れればいいのだろう。
「最後に、お前の本当の母親の今のことだ。俺が旅をしていたのは、失踪していたお前の母親を探していたからだ。
だが、それも、もう見つかった。俺が最後に行ったあの町に住んでいたよ。結婚して、幸せな家庭にいるみたいだった」
どうでもいい。それが、正直な感想だ。僕を捨てようとした人に、興味はない。自殺でもしていたら、少しの同情くらいはあったかもしれない。それに、幸せな家庭を、壊そうという気にもならない。もう、終わった人だ。
「もう、俺が話せることはない。なにか、言いたいことはあるか? 俺を殴ってくれてもいい」
父親は、そんなことを言う。やはり、違和感だ。言いたいことは、一つだけ。そのあとは、とりあえず、今日一日だけは、ずっと答えを探したい。僕がこれからなにをしていくのか、そして、罪を償う方法。
「叔父さんは、叔父さんだよ。僕の両親は交通事故で亡くなって、兄は自殺で失った。それが僕、市崎焦斗だよ。叔父さんの子どもじゃない」
結局のところ、そうなんだ。きっと、人間関係の資格なんてものは、与えられるものではなくて、自分が判断するかどうかだ。
小学生のときは、誰でも友達と言えたのに、中学生になって本当に友達なのか、少し不安を覚えたのと似ている。
幹人さんや両親は、血の繋がりがなくとも、僕にとっては兄であり両親だ。僕がそう思えば、そうなる。資格なんか、考えるだけ無駄だ。
「叔父さんはどうするの? これから、僕と一緒に暮らすのか、それとも?」
悠の家は母子家庭だった。叔父が離婚して以来、一緒に暮らしていないのは確実だ。
「俺は、今まで通りだ。お前の成長に必要な生活費なんかは出すが、一緒に暮らしはしない。俺には、親の資格がないからな」
「そんなの、気にしなくていいんだよ? 叔父さんは、叔父さんであって、僕の父親じゃないんだから、親の資格なんていらない。叔父の資格がないって言うのなら、無理に引き止めはしないけどさ」
あの家に一人というのも、寂しさはあるけど、問題はない。
「そうか。……考えておく」
「うん。僕は、どっちでもいいから」
叔父は、僕の意見を反映させたいのかもしれないけど、彼には自身の意思で決めて欲しい。
「それじゃあ、そろそろ帰る。本当に、いろいろと悪かった。もし、焦斗が自分のことを責めたくなったら、俺を責めてくれ。悪いのは、全て俺なんだ。元凶も、なにもかも」
「そうかもしれないね。でも、大丈夫だよ。気にしないで」
叔父は、病室に来たときより、疲れて見えた。話す代わりに、生気を持っていかれたような様相だ。早く、休んでもらわないといけない。僕が病院にいると知ったときも、気が気ではなかったのかもしれない。それが、僕の知っていた叔父だった。
「お休み。叔父さん、よく休んでね」
「ああ。やっと、ぐっすり眠れる気がするよ」
微弱な笑みを見せて、叔父は廊下に消えていった。
病院側は、僕が目覚めたことを、まだ把握していないだろうが、そのままでいいか。空腹は感じていない。これも、吸血鬼になりかけた効果だろうか。単純に、精神的なものかもしれない。
僕は目を瞑った。眠気はない。考えるためだ。明日までには、答えが出るように。
そうしているうちに、いつの間にか、消灯されていた。シーツが取り替えられる感覚はあった。僕が眠っていると思ったのか、とても静かにそれは行われていた。




