4-2
僕はリレンを信じることにし、全てを話した。全てといっても、勝臣さんのことだけだ。
リレンを殺す計画が進行していること。また、僕もその計画に誘われていることを説明した。すると、彼女は、メアの家が火災に遭ったときのことを話してくれたのだ。
リレンは依頼を終えた帰り、屋根上を歩いていると、暗闇の中に赤いものを見つけた。煌々と輝くそれは、大規模な火災であった。
リレンは、急いでその家の中へ入っていったらしい。そして、メアを見つけ助ける。両親は焼け崩れた木片に潰され、既に虫の息だったらしい。また、火の勢いも強かったため、彼女に三人全員を救う余裕はなく、メアだけしか連れ出せなかった。
そこで終わりなのかと思ったら、まだ続きがあった。人目につかないよう、彼女は家の裏から出たらしいのだが、そこには若い男が立っていた。片手にナイフ、片手にライターを持ったその男は、何事かを呟きながら、リレンに襲いかかった。
少女を傷つけまいと、リレンはあえて凶刃をその身に受け、男から血を抜き取り気絶させ、そのまま帰宅。
しかし、それから、しばらくしてのことだ。彼女とメアは、誰かに付きまとわれているような、そんな感覚がするようになったらしい。二人は何回か引っ越しを繰り返し、そうして現在、この失月市に辿り着いたとのことだった。
「おそらく、その勝臣という男が、メアの家に火を点けた男だと思う。それに、吸血鬼に見せかけた犯行も、その男の仕業なんじゃないかしら。これ以上、被害を拡大させるわけにはいかないわね。それに、逃げ出すわけにも。……そろそろ、決着をつけましょうか」
逃げるのはもうやめた。そういうことだ。得体の知れない相手は恐ろしいのに、正体がわかると、途端に気持ちが変わるのは、人間も吸血鬼も同じなのかもしれない。
「その男の目標は、私かメア。あるいは両方。だから、メアは巻き込みたくないの。私に協力してくれないかしら。返事は、明日の夜に訊くから、教えて」
リレンが百合に口付けをしたあとに起こったやり取りは、こんなところだ。そして、僕はリレンの協力に応えることにした。
夜に電話がくる。勝臣さんの申し出は、既に断ったあとだった。
『協力してくれるかしら?』
メアに電話番号を教えたのだから、リレンが知っていてもおかしくはない。リレンのその問いに対して、僕は答える。
「はい」
リレンの計画は、事前に準備していたGPS機能つきの盗聴器を用いる。いつの間に、なぜそんなものを。疑問は尽きないが、以前に使う機会があったからと言われれば、納得するしかなかった。
彼女の予想だと、勝臣さんは、幾度と殺人を繰り返しているのに、逮捕に至っていない現状から、相当に狡猾な人物だ。
勝臣豊という名前も、偽名なのだろう。名刺に印刷するだけなのだから、本名という証明にはならない。
リレンの想定では、勝臣さんは彼女を殺すために、身体を移動させるだろうとのことだ。太陽が弱点だというのは、把握されていると、彼女は判断したようだ。勝臣さんが、ストーカー、その呼称には語弊があるが、そのような存在に近いためだろう。
リレンは、死ぬことのできない己の身体に、ある種の自信を持っている。僕の作業は、リレンに不測の事態が起きたとき対応できるように、位置を受信機で確認し、その場に行くことだけだった。
翌朝、部屋の机上には受信機が置いてあった。緊張していたからか、寝覚めが悪いものの早く起きられたのは幸いだ。
受信機は、部屋の窓の鍵を開けておいたから、寝ているうちに置きにきたのだろう。少し前にも、こんなことがあったのを思い出す。あのときは、一体なにをしたのか。
リレンの現在地は、しばらく動いていなかったが、唐突に移動を始めた。受信機から声は聞こえないため、これはどうやらGPS用のものだったらしい。
リレンの行動速度は、相当な早さだ。おそらく、彼女の予想通り誘拐されたのだろう。交通手段は車か。
自分の交通手段は、自転車しかない。タクシーでは、まだ目的地が定かでないため、逆に時間がかかってしまう。いそいそと準備を始め、目に痛い外へ出て、自転車のペダルに足をかける。
「焦斗くん」
家の敷地から出るなり、声を掛けられた。最悪なタイミングで、最も会ってはいけない人に会ってしまった。
「メアさん、どうしてここに?」
「昨夜、リレンが家を出て行ったわ。最近、様子が変だったから、寝たふりしてたの。それに、朝のニュースで、真紀さんが逮捕されたのも知ったから。なにがあったのか、教えて欲しくて」
嫌な予感がしたとか、非科学的な理由で会いに来たのなら、誤魔化すなり忙しいと言い訳するなりできるのだが、この場合は難しい。しかし、悩んでいる時間もない。
「メアさん、ついてきてください」
それだけ言って、僕は自転車を全速力で漕ぎ出した。メアがついてこれなければ、それはそれでいい。リレンとの約束を、反故にはしたくなかった。
しかし、予想に反して、メアはどこまでも追ってきた。信号で足止めをくい、メアの速度に問題がなかったのは盲点だった。
移動中、彼女は僕に、なにも訊かなかった。そうして、辿り着いたのは廃教会だった。
「メアさん、気をつけてくださいね。危険があるかもしれません」
「それまた、突然だね」
メアの言葉には同意できる。やはり、連れてきたのは間違いだったかもしれない。近くにはワゴン車がある。おそらく、勝臣さんはこれに乗ってきたのだろう。一応確認したが、もう、誰も乗っていなかった。
GPSの発信機は、車の中から反応があった。気づかれたか、偶々外れてしまったか。だが、そんなものがなくとも、前に来たときにはなかったこの車が、誰かが今ここに来ていることを示している。
「行きますよ」
急かすように、破裂音が聞こえた気がした。運動会の徒競走で使われる、スタートの合図のような音だ。つまり、銃声か?
教会の中に入ると、その音は強まった。僕とメアはその音の出処を探って、周囲を警戒しながら歩き続ける。
瓦礫やガラス片で道が悪いものの、なんとか辿り着いた場所は、聖堂のような場所だった。手前には横に長い椅子が何列も並び、奥の方には割れている大きなステンドグラス。
中の光景を見るなり、メアの声が上がりそうになり、僕は咄嗟に彼女の口に手を当てた。
ステンドグラスの下、リレンが撃たれていた。何発撃たれたのかはわからない。しかし、遠目でもわかるほど、彼女の肉体は損傷し、出血していた。飛び降り自殺のときなど、比にならない。
生気も感じられず、不死なはずの彼女が、死んでいるのではないかとさえ思った。いいや、死ぬはずがない。そのはずだ。
「しょ、焦斗くん、どうしよう?」
メアの声は震えていた。それもそのはずだ。彼女は一度両親を失い、その上で今、目の前で新たな親が、人間であれば致死量の銃弾を身に受けているのだから。
「とりあえず、目を閉じて、耳を塞いでください。このまま待っていれば、いずれリレンの優勢になるはずですから」
メアが頷くのを確認して、見たくはないのに、目を背けられない惨状に視界を戻す。
僕らの声は、リレンが気絶していなければ聞こえているはずだ。それに、僕には、一つの算段がある。
彼女は血液を多量に失うと、リミッターが外れて、意思に関係なく血を吸おうとする。その力で、あの鎖を破壊して、形成逆転を計れないかと考えたのだ。
果たして、その予想は正しかった。おそらく、勝臣さんと思われる男性が動揺し始めると、突如として、リレンが目を赤く光らせながら、鎖を引きちぎった。
「メアさん、大丈夫そうですよ」
肉体は危険な状態だが、物事の収拾はつきそうだ。彼女は、不安げに俯けた顔を上げる。
リレンはそのまま、勝臣さんを押し倒し、白雪姫の眠りを覚ます王子のように、顔を近づけていく。
様子こそ目覚めのキスだが、そんな雰囲気は全くない。現実は血みどろの吸血鬼が、血を吸うために噛みつこうする惨状だ。
「ねえ、リレンの様子がいつもと違う。あのままじゃ、男の人が死んじゃうよ。止めないと!」
僕が襲われたときと違い、勝臣さんはなす術もなく首筋に歯を当てられている。
「本当にいいんですか? あの男性は、メアさんの家族を殺したんですよ?」
「え?」
メアの目は焦点が彷徨っている。意地悪だとか、くだらない理由で聞いたわけじゃない。メアが後悔しないのか、それが知りたかったから、僕は真実を突きつけた。
「それ、本当なの?」
「はい。リレンさんが言っていました」
リレンのことは、信じていた。ただ、それでも全てを信用しきれたわけじゃなかった。メアとの出会いの話だって、僕が見ていたものではないのだから。
しかし、この光景を見たら、リレンの話は事実であったとしか思えなかった。
リレンが不死身と知っていても、あれだけの銃弾を撃ち込むことは、常人にはできないし、本物の拳銃を用意している時点で、十分に怪しい。僕は、信じたい方を信じることにした。
「わかった。リレンが言うなら、そうなんだと思う。でも、私は止めるよ! リレンには、人を殺して欲しくないから」
言うなり、メアは飛び出して行った。「リレン、やめて!」と、大きな声を発しながら。 出遅れたが、僕も彼女を追い駆ける。
メアの答えがいずれでも、僕はリレンを止める気だった。理由は、メアと同じだ。僕もリレンに、人を殺して欲しくない。
問題は、理性を失ったリレンを、止めることができるか。最も避けるべきは、リレンがメアの血を吸い切り、殺してしまうことだ。
しかして、その危惧は実現してしまった。メアの声に反応して、リレンが彼女に飛びついたのだ。
駆け寄ったメアは、勝臣さんとリレンがいる場所にかなり近づいていて、リレンに一瞬で組み敷かれてしまう。
リレンの紅く鋭い牙が、メアの制服越しに突き刺さる。白いシャツが、赤に濡れていく。
「リレンさん!」
二人の元に辿り着いた僕は、リレンを掴んで突き飛ばす。意外にも、抵抗は強くなく、あっさりとそれができてしまった。
「メアさん、大丈夫ですか?」
上半身を持ち上げ、意識があるか確認する。二つの穴が空いたシャツは、まだ血を流している様子を見せていた。
「なんとか……多分」
メアは反応を返してくれた。対処が早かったのが良かったのかもしれない。
リレンの立ち上がる気配がし、急いで振り返ってみると、彼女は意識を取り戻したようだった。彼女は、メアの本当の名前を上の空で呟く。
「血が。血の味が。覚えがある」
混乱しているのか、足をふらつかせたあと、彼女はメアに気づいた。そして、また本当の名前を呼んでから、僕に安否を訊ねてきた。
「危険はないと思います。リレンさんが近づいて早めに避けさせましたし、意識も残っていますから」
「良かった……」
息と共に吐き出したリレンの声は、安堵に満ちていた。メアに、手を貸して欲しいと言われ、手を差し出すと、彼女は立ち上がる。
「……ほら、リレン。全然、問題なしだよ」
「ええ、そうみたいね」
全て片付いた。そうホッとしたのも束の間、キラリと光るものが見えた。リレンが流した涙かと思ったが、すぐに違うものだと気づいた。
体は無意識に動いていた。
「危ない!」
メアを伏せさせるようにのしかかる。
勝臣さんが、倒れたまま銃を手にし、立ち上がったばかりのメアの頭部を狙っていた。
銃弾は無情にも発射される。時間が、ひどくゆっくり流れて見えた。鈍い光を放ちながら、弾は直進してくる。その弾は、メアの上を通過して、つまりは、僕に当たった。
「焦斗くん? 焦斗くん!」
メアの声が聞こえる。僕の下敷きになっているから、退かないと動けないだろう。体を動かそうとしたのに、力が入らない。
「まだ意識が」
リレンは短く呟き、また勝臣さんに襲いかかっている。今度こそ、勝臣さんの意識は失せただろう。
ああ、なんだか、気持ちいい。体から血液が抜ける感覚。心地いい。力とともに体温も抜けていくようで、少しずつ体が冷えていく。痛みは不思議とない。大体の死は安楽死だとリレンが言っていたが、その通りなのかもしれない。
「焦斗!」
走馬灯は、まだ見えていないはずなのに、幻聴が聴こえる。この声の主が、ここにいるはずがない。
「なんとかできないんですか!」
必死な声だ。霞む視界では、もう姿を捉えることができない。
「そうだ。輸血は、どうですか? 血液型は、焦斗と同じです」
今から病院に行くのは、難しいだろう。銃弾がどこを貫いたのかは、自分でもよくわからない。ただ、時間は、そうないんじゃないかと思う。
「やってみるしかないわね」
一体、なにを? 思考は続かない。もう、瞼の重みに耐えきれないから。
メアの泣き声と、幻聴と、リレンが何事か言っているのを耳にして、僕の意識は沈み切った。なにもない、闇の中へ。




