3-6
微睡み。体を委ねる。暗がりに沈んで行く。そうして眠りに落ちた。
しかし、意識は突如として浮上する。瞼が徐々に持ち上がる。夢か現実かも一瞬定かではなかったが、真暗闇の部屋に光がある。そして、働き始めた聴覚が聞き取ったのは、着信音だ。
目を擦り、強く瞳を刺激する光に耐えながら電話に出ると、焦燥を感じとらせる声が聞こえた。
『もしもし、大丈夫かしら? 申し訳ないけど、今から外へ出られる?』
「えっと、なんとか、行こうと思えばいけます。なにか、あったんですか?」
『犯人がわかったの。知りたければ、百合華さんの家に来て』
そのまま、通話が途切れた。リレンの呼吸に乱れはないが、風の音が入っていたから、おそらく今は移動中だ。
犯人がわかったということは、ネイさんは殺されたのか。犯人は知りたい。ここまで来たのだから、知らなければいけないはずだ。時間は深夜の一時。見つかれば補導されるかもしれないが、言っている場合じゃない。
僕は軽く準備をし、自転車で百合華さんの家へと向かった。夜風は生温かく、それが嫌でペダルを漕ぐ足は勢いを強めていった。
* * *
百合華さんの家に着く。火照った体と、荒だった息を整えようと、膝に手をついて浅い呼吸を繰り返 す。
額から流れ落ちていく汗を拭い、ひとまず玄関まで行く。すると、人影が見えた。近づくと、それはリレンだった。
「来たのね。こっちよ」
リレンは家の中へ入るのではなく、横に逸れて行った。僕もついていくと、彼女は家の裏手に回る。庭はこの家の前側だけでなく、周囲も囲まんでいたらしい。
家の裏には、ビニールハウスがポツンと佇んでいた。確か、百合華さんもここの存在は話していた。リレンは足を一瞬止めてから、再び歩き出す。目的の場所は、そのビニールハウスのようだ。
入口から入ると、薄ぼんやりと中は見えるのだが、まだ目が慣れ切っていない。リレンは僕の様子に気づいたのか、なにかを探るようにして手を動かしていた。
やがてカチッと音がして、電気が点灯する。五感が人より優れているから、闇の中でも電気のスイッチを見つけられたのだろう。
「これは」
改めて、中の様相を見た僕は、思わず声を漏らしてしまった。
ビニールハウスの中は白百合で埋め尽くされていた。気づかなかったが、足元でも百合が踏み潰されていた。
アミガサユリとは違う種類だ。百合華さんの言っていた、カサブランカというものだろうか。ほとんどがカサブランカとアミガサユリ、この二種で埋め尽くされて見えた。
「ゲホッ」
甘い匂いが強く押し寄せてきてむせた。僕よりも嗅覚が強いリレンにはなおのことキツイだろう。それもあって、さっきは家の前で待っていたのかもしれない。
ひとしきり咳をしたあとに気づく。二種の百合が作る白に塗れて、ハウスの中心辺りにも色味の異なる白がある。それは人型をしていて、足元から視線を上げていくと急に広がる黒が目立つ。
仰向けに倒れたその人は、紛れもなく百合華さんだった。
「百合華さん!」
一直線に彼女の元へと駆け寄る。踏まれて舞った百合の花弁は、強い香りを残してまた落下していた。
百合華さんは両手を組んで、仰向けに倒れていた。祈りを込めているようにも見えたし、疲れ切ったあとの眠りにも見えた。体は血が抜けたように白いが、白光のせいか、百合のせいだと思いたかった。
手首を引き寄せて、指を当ててみる。動きはなかった。
「もう、 死んでいるわ」
リレンの声は、冷たく聞こえた。きっと、今の僕には、どんな声もそう聞こえてしまうのだろう。
「聞いたことがあります。百合を部屋に敷き詰めて一日寝ると、血圧が低下して苦しまずに死ぬことができると。百合華さんは、自殺だったんですか?」
「これを見て」
百合華さんの手首を緩やかに置き、リレンに近づくと、便箋を渡された。
「百合華さんの組んだ手の上に置いてあったわ」
折りたたまれていたそれを開いて、読んでみる。
『犯人は私だったようです。とんでもないことをしてしまいました。その罪を償います』
犯人が百合華さん? だが、それならなぜ依頼を? そしてなぜ自殺を?
「これは本物なんですか?」
「そうだと思うわ。ネイさんのときは、メールだったから、他の人が送ってもわからない。でも、この場合は筆跡を調べれば、別人だとわかってしまうから、無駄にそんなリスクは負わないはずよ」
つまり、これは遺書だということか。
「でも、本当に百合華さんが犯人なんですか?」
そうだとしたら、納得のいかない行動が多過ぎる。
「私は、百合華さんが犯人だとは言っていないわよ」
「え?」
この状況を見たら、百合華さんが犯人なのではないのか? なんらかの方法で、百合華さんはネイさんを殺した。そして、百合華さんは罪悪感に駆られ、遺書を書き自殺した。途中途中に違和感はあるが、概ねこういうシナリオができるのだと思ったのだが。
「犯人はもうすぐ来るでしょうから、待つといいわ。犯人が来たら、どのみち全てを話すわ」
それきり彼女は、目を閉じた。僕は手持ち無沙汰になって、振り返る。
「綺麗ですね。確か、これって安楽死なんでしたっけ」
綺麗というのは、見たままの感想だ。百合の白は、決して味気ないものではなく、その中心で手を組み眠るようにいる百合華さんは、白光と白百合の組み合わせで神々しくさえ見える。
「君は、綺麗に死ねるなら死にたいの? 安楽死なら、死にたいの?」
目を開けて、リレンが問う。今は黒い瞳だ。今日は一日中、コンタクトをつけているのかもしれない。
「どうせ死ぬなら、綺麗に、苦しまずに死にたいと思うのは、おかしいことですか?」
「いいえ。でも、苦しまずに死にたいのなら、大体の方法は当てはまるわよ。練炭自殺は頭がフワフワして気持ちよくなるらしいし、飛び降り自殺は目を閉じていれば、紐なしのバンジージャンプと同じ。人によっては、気持ちよく死ねるわよ。
大切なのは、どう死ぬかじゃなくて、どう死を回避するかなのよ」
綺麗に、苦しまずに死にたいというのをリレンは否定しない。だが、その死を避ける意識が必要だと、そういうことか。
「でも、どうすれば回避できるんですか?」
意志はあっても手段がなければ、なにもできずに終わる。僕の問いに、リレンは答える。
「人を殺すのも、自分が死にたくなるのも、心の許容を超える絶望を受けたとき、そうなるのよ。ストレスに耐えきれなくて殺したくなるか、転じて死にたくなる。自殺も殺人も、動機は変わらないのよ。向いた方向性が違うだけでね。
自殺が逃げだと言う人がいるけど、私はそう思わない。人を殺すか、自分が死ぬかの二択を迫られて、それでも残った理性で自己を殺すことを選択したのだから、それは一種の戦いだと思うもの。
だから、その戦いに至る前に、やりたいことをやるといいわ。どうせ死ぬのだから、好きなことを。
持っているお金を全て使って贅沢をしたり、家出してみたり、欲望を叶えようとすればいい。やりたいことがあるのなら、まだ死ぬのは早いと思うのよ。死ぬなら、やりきって、なにも残らなくなってから。
死に至るストレスを発散することができれば、少しは心も軽くなると、私はそう思う。この方法で、全ての人が救えるわけではないけれど。目標のように、心の支えとなる人やものがあれば、人は大概生きていけるんじゃないかしら」
まとめてしまえば、ストレスを溜めないということだろうか。そして、心の支え。しかし、心の支えは、存在することによって、逆に絶望してしまうのではないか。
僕にとっての兄や、少し前の、先生と沙音さんの関係など、支えを失ってしまえば、そのショックは計り知れない。
それを伝えると、リレンは言う。
「そのときは、新しい支えとなる人やモノを見つけるしかないわね。向こうから来るのを待つか、探すかのどちらかで。もうそれ以上、私にはできることが思いつかないわ」
僕にもわからない。わかっていれば、悩まない。兄が殺されたと知って、犯人を殺そうなどと死を生み出そうとはしないはずだ。
やはり死は、どうしようもなく訪れてしまうのだろう。リレンはその別れを幾度と体験しても、死ぬことはできなかった。
死を忌み嫌いながら、死が這って来る人に寄り添うというのは、改めてリレンだからこそできるのだろうなと思った。
「来た」
突然、リレンが呟く。鋭敏な彼女の耳は、犯人が来た音を聞き取ったらしい。それは車の音か、あるいは足音なのか。
待っていると少しして、人並みの聴力しか持ち合わせていない僕にも、足音が聞こえた。
「な、なにをしているの?」
足音がハウスの前で止まり、そんな声が聞こえた。
「こんばんは。中へ入ったらどう?」
入口のビニール越しに、躊躇う様子が見受けられたが、誰かがハウス内に入ってきた。
「ゆ、百合華!」
叫び声を上げながら、その人は百合華さんの死体に走り寄った。
「あ、あんた達がやったの?」
震え声で僕らに訊ねる。困惑するしかない僕は、リレンを見る。彼女の表情は、恐ろしく酷薄な笑みだった。
「白々しい演技ね。ネイさんも、百合華さんも、あなたが殺したのでしょう? 真紀さん」
「な、なに言ってるのよ。私はやってない!」
激昂したように大きな声で返すその人は、真紀さんだった。彼女は体を震わせている。
「その手にあるのはなによ!」
目をギョロギョロと動かし回っていた真紀さんは、僕の手元を見咎めた。
「それは、百合華さんの手紙ね。遺書のようなものかしら」
「それなら、百合華は自殺なんじゃない。私は、ネイも百合華も殺してない」
真紀さんは幾許か落ち着きを取り戻したらしく、抑えられた声で吐き捨てるように言った。
「認めないのなら、説明していくしかないわね。まず、ネイさんの件だけど、これに使われた凶器は、百合華さんが持ってきたアミガサユリよ」
「百合でどうやって人を殺すっていうのよ。それに、百合華が持ってきたのなら、百合華が犯人じゃない」
真紀さんは挑戦的な目をしながら、詰め寄るように口を挟む。
「いいえ。三人の話を合わせると、百合華さんがアミガサユリを置いていったあと、あなたが家に行っている。そのときには、ネイさんは生きていたのよね?」
「そうよ。でも、私が帰ったあとに百合華や未奈が来て殺した可能性だってあるじゃない」
「その可能性は否定できないわ。つまり、ここで先に進めなくなってしまうの」
「なんだ、説明するなんて言って、その程度なの? それでよく、私が犯人だなんて言えたわね」
その通りだ。アミガサユリで殺されたという根拠も不明だ。植物毒で殺された。しかし、あの家にあった植物はアミガサユリだけだった。そんな理由でないことを祈りたいが。
「そこで思い出して欲しいのは、百合華さんが花瓶を落としたときのことよ。百合華さんは、立ち尽くして見えたのよね?」
リレンは僕に訊ねたようだ。
「はい。ショックを受けて、茫然としているように見えましたが」
「私にもそう見えたわよ」
真紀さんは僕に同乗した。真紀さんからも実際にそう見えたのかは、心を読めない僕には知る由がない。
「そう、そのときの百合華さんの内情は、あくまで推測しかできない。けれど、私の推測は正しいはずよ。そして、百合華さんが殺された理由も、そこにあるわ」
真紀さんの眉がピクリと動いたように見えたが、些細な変化だった。
「どういうこと?」
「あなたはわかっているでしょうに。百合華さんは茫然としていたわけではなくて、あることに気づいて、そのことについて考えていたのではないかしら」
「どういうことですか?」
真紀さんに続き、次は僕が同じ質問をすることになってしまった。百合華さんは立ち尽くしていた。その様子からだけで、リレンは一体どこまでわかったというのだろう。
「根、よ。割れた花瓶から見えたアミガサユリには、球根がなかった。メアが言っていたわ」
「それって、当たり前じゃないんですか?」
「そうね 。花瓶で切り花だとしたら、その通りよ。あの花瓶の形状からいって、切り花というのも頷ける。
でも、認識が間違っていたら、どうかしら。百合華さんが元々は、球根つきのアミガサユリを持っていったとしたら? この可能性を否定することはできないわよね」
否定はできない。だが、肯定もできない。僕は変な顔をしていたのだろう。リレンは口許に人差し指を当ててクツクツと忍び笑いをした。
「幽霊みたいなものね。否定も肯定もできない。ただ、こうすると筋は通るのよ。調べてみたら、毒を持った百合類は、球根に多く毒が含まれているらしいの。
あなたは、ネイさんの家に行くと、ケーキをプレゼントする。その後、ネイさんはケーキと紅茶を飲食。
食後に、百合根は食べられるということを言ったのよね。食用に育てられた百合根は食べられるけど、アミガサユリについてはその限りではないわ。でも、ネイさんは球根を食べて、中毒症状が発症して死亡。
その後、あなたは後始末を完了させて、自身を含めた三人にメールを送り、持っていた合鍵で鍵を掛ければ、ネイさんは自殺したように見えるわけね」
真紀さんの方を窺うと、腕を組んで口角を吊り上げていた。
「なんの証拠もないじゃない。いくらそれらしいことを言ったって、証拠がなければ意味はないのよ」
「そう。証拠はないのよ。アミガサユリの球根は、ネイさんの体内で消化済み。球根があった証明を唯一できた百合華さんも、既にこの世にはいない。あらあら、本当になにも証拠がないわね」
「でしょ? それじゃあ、救急車だけ呼んでよ。私は帰らせてもらうから」
真紀さんは、こちらへ歩みを進めようとする。百合の花は靴へくっつき、逃がさないようにしているかのようだ。
「待ちなさい。まだ、百合華さんの方が解決していないわ」
「私が犯人でないなら、百合華が犯人でしょ? アミガサユリは百合華が持ってきたものだし、遺書まであるなら、百合華はそのまま自殺した。これで終わり!」
両腕を薪を割る斧のごとく振り下ろし、勢いよく真紀さんは言い連ねた。
「残念だけど、終わらないのよ。百合華さんには、あなたと二人きりの時間があった。その間に、あなたは百合華さんに、球根がないことを示唆した。相手に切り出されるより先にね。そうすることで、百合華さんの動揺を誘った。
もしかしたら、不安になった百合華さんから切り出したかもしれないわね。どちらにせよ、百合華さんは感情を揺さぶられた。最も大切だった友人を、間接的にでも自分が殺したと知ったら、正常ではいられないでしょうね」
それは心理としてよくわかる。最愛の人を手にかけたリレンには、過去の経験からも言えることなのだろう。
「だから、それも全部憶測だって言ってるでしょ? 百合華は自殺、それ以外考えられないって」
「いいえ。それはあり得ないのよ」
「なんでよ」
リレンは一呼吸置いて、言い放つ。
「百合の花を使った自殺が、迷信だからよ。この状態で百合華さんが死んだというのは、絶対に起こり得ないわ」
百合の自殺が迷信? 本当のことではなかったのか?
「百合を使ったこのような自殺では、百合から発するアルカロイドが血圧を低下させ、安らかに死ぬことができると言われているわ。
でも、ユリ科の植物では、球根にアルカロイドが多くある。つまり、球根が表に出ていなく、ただ花が敷き詰められたこの状態で、死ぬはずがないのよ」
球根にアルカロイドが多いというのは、さっきも聞いた。だから、その理論に納得はできる。真紀さんも、そこは認めることにしたらしい。
「でも、それなら百合華はどうして死んだっていうの? 彼女は百合の球根のことを知っていたんだから、もう通じない。見た感じ、怪我もないし、百合の自殺以外に方法はないんじゃない?」
「たしかに外傷はなし。それなら、彼女もまた毒殺よ。それも、植物毒のね」
「だから、球根は通用しないって」
「球根とは言っていないわよ。あなたは、スズランを使ったのよね」
「なんで!」
思わずといった様子で声を荒げた真紀さんは、出した声を体内へ押し戻すように口を両手で覆った。
「ボロが出たわね。調べたら、スズランもユリ科の植物なのね。そして、際立って毒が強い植物。
あなたは猫を飼っているようだから、危険かもしれない植物毒については、よく調べていたんじゃないかしら? 植物によっては、犬猫どころか、人が食べても死ぬものがあるのだから。
スズランは、誤食が多い植物。行者ニンニクとの間違いが多いようね。そして、今夜の百合華さんの夕飯は、あなたが担当するという話をしていたわよね。それなら、料理にスズランを紛らせることだってできたはずよ」
スズランや行者ニンニクが、どういう形なのかわからない。これも顔に出ていたのか、ネギみたいなもの、と言われた。
「それなら、私が帰ったあとに未奈にもできたでしょ?」
「不可能よ。彼女は花瓶で指を切った。スズランは全草に毒を持っているから、切った指で触れれば、傷口から毒が入って重症よ」
そういえばそうだ。軍手やビニール手袋をつけて料理をするのは不思議だし、そもそも、百合華さんが、指を切った人に料理をさせるとも思わない。
「でも、それも全部証明はできないんでしょ?」
「いいえ。それができるのよ。たとえば、この百合華さんの死体を司法解剖するという手があるわ。今からすれば、まだ消化しきっていないスズランが見つかるかもしれない。
もう一つの手は、あなたの家にいくこと。私の推理が正しければ、どういう形で栽培していても、スズランが抜かれた形跡はあるはずよ」
ようやく、物的証拠になりそうなものが出てきた。しかし、今回は逆にそれくらいしか証拠たり得るものがないのだ。計画の緻密性が感じられる。
「……のよ」
「え?」
真紀さんは地面を注視して、か細い声でなにかを呟いた。百合に声を吸われてしまったのかと思うほどだった。
「わざとじゃないのよ! 少し前にできた彼氏が、無職だから、お金が必要で、ネイに貸してもらっていたの。でも、あの日は違った。ネイにお金を借りにいったら、もうこれ以上は無理って。
おかしいでしょ? ネイに、お金がないなら百合華から借りてよって言ったら、そんなこと自分でしなさいよって怒られた。
意味わからない! 私たち友達でしょ? 友達なら、友達を助けるべきでしょ? ……私は、百合華と友達のつもりなんてないのに」
真紀さんは頭を抱えて屈み込み、呪詛のように呟き続ける。故意ではないのに、これほど証拠が残らないなんてことがあるのだろうか。
「ネイがお金を貸してくれなかったから、悪戯のつもりだったの。百合根は不味いって聞いたことがあったから、本当に軽い気持ちだった。
まさか、食用とそうじゃないのがあるなんて知るわけないでしょ? なのに、食べさせたら気持ちが悪いって言って、そのまま……。ねえ、私は悪くないでしょ? なにも悪くないの。そうでしょ?」
顔だけをこちらに向けて、懇願するように僕らへ問う。昏い目が、身を引くほどにおどろおどろしかった。
「百合の毒性について調べたのなら、球根に毒があることにも気づきそうなものだけれど、仮にその通りだとしておきましょうか。それでも、百合華さんを殺したのは、事故でも無意識でもなく、狙ったのでしょう?」
リレンの酷薄な笑みの意味がわかった。この真相を知っていたから、彼女はあんな表情をしていたのだ。
「怖かったのよ! 落ちた花瓶を見ていたときに、この子は絶対に球根がないことに気づいたと思ったの。だから、私は百合華のせいにすることにしたのよ。
私は百合華を友達だと思っていないけど、百合華は私を友達だと思ってたみたいだからね。友達なら、助けるのは当然なのよ」
本当に、そんなものが友情と言えるのか。友達なら助けるべきだとか、当然だとか、そんなの僕が知っている友達じゃない。
友達は友達に、手を差し伸べなければいけないなんてことはなく、優しさを与え、与えられる存在のはずなんだ。さりげない気遣いをしたり、成長を促すためにあえて助けなかったり、そういった優しさを分かち合う存在なのだと、僕は思っている。
「最悪だ」
無垢な白海の中に、ドロドロに濁った暗黒の渦を作り出す元凶を見て、僕は呟いた。その呟きは、引力に引かれ渦に飲み込まれたらしい。
「最悪? 違うわ。百合華だって、友達のために死ねて嬉しいはずよ。百合華が死んだから、私は初めてあの子を友達にしてあげられた。
最後の最後に、友達が増えて良かったじゃない。百合華だって、そう言ってくれるに決まってる」
小規模だった渦は、闇を吸い込んで、次第にその勢力を増していこうとする。このままここにいれば、僕も巻き込まれてしまいそうだ。
「違うわ。あなたは、ただの裏切り者よ。百合華さんは、あなたのことを友達だと思って信じていたのに」
リレンは電気を消した。白い世界がブラックアウトする。なにも見えない。しかし、リレンのいた位置へ目を向けると、二つの赤が浮いていた。封印が解けた喜びに打ち震えているかのように、瞳は暴戻さを宿して紅く光る。
「な、なにっ!?」
怯えるような声を立てて、物音がした。虹彩が瞳孔を調整し終わったらしく、真紀さんが手をついて後退りしたのがわかった。
「裏切り者。裏切り者。信じていたのに。信じていたの。あなたは犯人ではないと。それなのに、あなたは私を殺した。真紀、私たちは友達ではなかったの? 答えて、真紀。私はなぜ殺されたの?」
リレンは感情のない、それでいて冷え切った声を発しながら、真紀さんに近づく。
「やめて、やめてよ。私は、友達だよ。百合華の友達だから。来ないで。私は、なにも悪くないのよ」
「友達なのに、殺したの? 罪から逃れたくて、殺したの? 私が殺したように見せるために、殺したの?」
ジリジリと近づくリレンから逃れようと、真紀さんはなおも後退りしようとしたが、失敗した。壁があったわけじゃない。彼女の背後には、百合華さんの遺体が、横たえていたからだ。
「ごめん。ごめん! ごめんなさい! 本当に。悪いことだってわかってたの。でも、仕方ないじゃない。許してよ。友達なんでしょ?」
早口でまくしたてるが、その声は百合華さんには届かない。永遠に。
リレンは、真紀さんの目の前にまで迫っていた。
そして、耳元に顔を近づけ呟いた。
「嘘つき」
小さな声なのに、はっきりしていた。シンとした中に、よく響く声だった。
真紀さんは崩れた。声を聞いたせいではなく、そのあとにリレンが血を吸ったからなのだと思う。
「……前回の事件で、演技を見たからやってみたのだけど、どうだったかしら?」
振り返ってリレンが聞いてくる。冷たい雰囲気はなくて、悪戯のできを訊く子供のようだと思った。
「雰囲気は出ていたと思いますよ。真紀さんも飲み込まれたみたいですしね」
「そうね。昼間には使えなさそう。どのみち、私は夜行性だから、夜にしかできないのでしょうけど」
リレンはそう言って電気を点け直し、口許を拭った。赤黒いものが手の甲についていた。
「あとは、警察に連絡して終わりね。これは私がやっておくから、あなたは帰っても大丈夫よ」
「真紀さんは、生きているんですよね」
「もちろんよ。介護施設のときと同じ。貧血を起こさせただけだから」
なぜ、そんな確認を取ったのか。僕がまだ、リレンを信じ切れてはいないからだろう。
「そういえば、百合の自殺だけど、スズランを使えば、きっと似たことができるわよ。スズランは全草が毒で、花粉にも毒があるのよ。だから、食卓には置くべきではないとされているみたい。
あなたは楽に自殺をしたいようだから、もしこの方法が使いたいのなら、スズランを敷き詰めた部屋で一日眠れば、知らないうちに死ぬこともできるかもしれないわよ」
教えられても、使うことはなさそうだ。花に埋れて死ぬというのは、美しく死ぬことができるが、僕は綺麗に死ななくてもいいと思った。僕なら、百合華さんのイメージにあるネイさんと、同じ方法を取るだろう。
誰にも見つからない場所で、誰にも知られずに。
「でも、死にたいと思ったのなら、私に相談してちょうだい。大体のことは、力になれると思うから」
「そのときは、お願いします」
死にたいと思うときは、きっと死にたいと思ってから来るものではない。なにかが起こってから、死にたいと思うのだと思う。それなら、なにか恐るべき状況に陥ったとき、誰かの助けがあれば、僕はまだ生きていけるはずだ。
僕は踵を返して、帰ろうとした。しかし、ビニールハウスを出る直前で足を止めた。
「リレンさん」
「なに?」
彼女は、百合華さんの上に乗っていた一輪のカサブランカを拾った。
「僕は、リレンさんを信じてもいいんですか?」
リレンは瞳を閉じる。百合に向けて黙祷するように。再び真紅が白を見つめると、彼女は答えた。
「絶対に裏切らないのは、死だけよ。死んでしまえば、蘇ることはない。私は、それにすら裏切られているけれど、人にとってはそうではないでしょう?
だから、それ以外のものは、あなたが信じたいのなら信じればいいし、信じられないなら信じなければいい。ただ、それだけのことよ」
彼女はそう言って、大輪の白百合に、優しく口づけをした。
* * *
家に帰ってベッドに潜り込み、目覚めるともう昼近くだった。
携帯端末には、通知が入っていた。SNSのもので、悠と海美からだ。
悠からのメッセージは、今日も風邪か、お守りは使っているかと二つの問いかけだ。返信は、どちらにもイエスと答えた。
アメジストのお守りは常に着けている。ペンの方は、最後に使ったのは、いつだったか。前にリレンの家へ行ったときだろうか。
拘留中の叔父に会ったり、玲さんに会った日だ。あの日を境に使っていないが、わざわざ教える必要もない。学校にでも行かない限り、ペンを使う機会もないのだから仕方ない。
海美も、心配の言葉を掛けてきていた。大丈夫だと返しておく。心配症だから、いくら言っても通じるかはわからないけど。
それもあるし、僕は海美の方が心配だ。あの演技のあと、彼女には会っていない。人柄そのものが変化してないか、あれは本当に一時的なものだったのか。それに、目城先生の様子も気になる。
聞きたいことは多いが、そこまでは手を回せない。僕は端末から手を放した。
空腹を感じて一階へ降りると、インターフォンが聞こえた。ドアスコープ越しに、誰が来たのか覗いてみると、玲さんだった。
出る気にはなれない。多分、会うべきじゃないのだ。いろいろな問題が解決したら、改めて謝りに行く。そうしておこう。
何度か鳴ったインターフォンを放置して、僕は菓子パンを食べる。すると、食べ終わった頃にまたインターフォンが鳴る。
次は誰だと外を見ると、警察の二人がいた。次は、出ておく。
「こんにちは、焦斗くん」
「こんにちは」
愛想のいい唐川さんは、穏やかな声で挨拶をしてくる。東堂さんは無言だ。
「一時的な報告です。あの男は、まだなにも言いません。どうでしょう。焦斗くん側で、なにかわかったことは?」
「すみません。なにもないです」
本当は、叔父が犯人ではないと言いたいが、まだ証拠が完璧に整ってはいない。今のところ、唯一あるのは、違う場所にいたという証言と写真だけなのだ。リレンが言ったように、誰か別人を差し向けたと疑われる可能性はある。
「そうですか。早く解決したいところですね。最近、事件が多いため、こちらも困っておりまして。では、また。なにかわかれば、いつでも署に連絡を」
「はい」
二人は帰っていく。東堂さんは、結局なにも言わなかった。僕の選択を聞いたら、彼はどう思うだろう。
僕は二階に戻り、また眠った。睡眠不足を、強く感じていた。
浅い眠りを何度も繰り返して、日が落ちた頃、電話がきた。
相手の問いに、僕は答える。
「はい」
すると、明日の計画を話してくれた。僕の決心は揺るがない。明日は、計画通りに行動するのみ。それだけだ。明日にはきっと、全てが終わる。
電話を終えたあと、そう信じて僕はベッドで横になった。もう、眠れそうになかった。
星は僕に再選択を迫ろうとしているのか、何度も瞬いていたが、やがて、雲に隠れてしまった。




