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吸血姫は死を嫌う  作者: 天木蘭
三章.崩落したもの

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17/24

3-5

 依頼人は女性だったらしい。また、彼女の希望により、被害者の部屋から花瓶に挿したままの百合を持ってきた。


 依頼人の家に着くまでの間、リレンの得た情報を軽く思い出してみる。


『わかったわ、被害者が自殺だとされたわけが。どうやら、部屋が密室だったかららしいの。被害者の女性は、机に突っ伏すようにして亡くなっていたらしいわ。そして、体内から検出された毒は、植物に含まれる毒だったみたいね』


 リレン独自の情報網で、導き出されたのがこれだ。


「植物の毒といったら、やっぱりトリカブトですか?」

『その可能性はあるけれど、毒を持つ植物なんて多く存在しているわ。その百合にだって、もしかしたらあるかもね』


 リレンは、僕が両腕で抱えている花瓶を指差した。花が垂れているのは、元々なのだろうか。白いほおかむりをしていて、鮮やかな黄色い表情を中に秘めているが、今は太陽が当たらず陰っている。


『もしも遅効性の毒が使われたとしたら、飲食物に混ぜられていて、それに気づかず食べたり飲んだりしたのかしら。それでも、警察が自殺と判断するのは不自然だわ。もう少し、発見当初の状況がわかれば、なんとかなりそうだけど、難しそうね』


 そんな会話のあとに、依頼人から電話がきた。怪しいかもしれない人を集めたから、家に来て欲しいとのことだった。被害者の家とはそう離れておらず、案外早く着いてしまう。


「これ、ですか?」


 着いて唖然とした。


「そう、みたいね」


 メアも、僅かばかりの狼狽を見せる。


 依頼人の家は、豪邸とまではいかないが、大きな家だった。僕が住む家の二軒分に相当しそうだ。広めの庭もあり、白百合がたくさん咲き乱れていた。


『行きましょうか』


 足を踏み出せない僕とメアを、リレンが促した。僕とメアは顔を見合わせて頷くと、二人して歩くことになった。


 メアもこの体験は始めてなのだろう。僕も身近にお嬢様のような人はいなかったから、緊張をする。


 先程の電話では、鍵を開けてあるから自由に入っていいとのことだが、気後れしてしまう。それでも、僕らは進む。風に揺れる百合は、僕らを歓迎しているように見えた。

 次第に、先の方に人が立っているのがわかってくる。


「ようこそ、いらしてくれました。あら、そちらの少年は?」


 出迎えてくれたのは、清楚な女性だった。白いワンピースに、艶のある黒い髪は長く、せせらぎの聞こえそうな川のように流れ、肌もリレンやメアくらいに白く、幽玄な姿だった。


 ちょうど、僕らの周りに咲き並ぶ百合に喩えるのが正しい。そんな彼女の所作一つ一つに見惚れてしまう。


「彼は私とリレンの協力者です」

「そうでしたの。初めまして。わたくし、白石(しらいし)百合華(ゆりか)といいます。今回は、事件捜査の依頼をさせていただきましたの」

「あ、初めまして。僕は市崎焦斗です」


 百合華さんは、リレンと好対照に見えた。背は高めで、髪が長いのも同一点だ。ただ、なにより違うのは衣服だ。リレンは黒いローブ風の服。怪しさや色気というか、妖美さというか、そういう暗い美しさを漂わせている。


 対して、百合華さんは白いワンピースに、柔らかく整った顔。清楚さや清純な、聖なるだとか清らかだとか、そういった表現が似合いそうだ。


「それでは、早速ですが中へ。友人を疑うのは心苦しいことなのですけれども」


 陽の光が強いらしく、百合華さんに差した翳りはとても暗かった。


 * * *


 百合華さんの祖父が、ある会社の社長で、その遺産でもって百合華さんはここで暮らしているらしい。

 すり減るまで磨いたのではと思いたくなるほど、光沢のある床を歩いていると、百合華さんから、そう説明された。僕らが気にしている雰囲気を察したのだろう。


 花瓶に挿した百合は、百合華さんに預けた。どうやら、被害者が亡くなった日に、これを百合華さんが持っていったらしい。そのまま部屋で枯れるのも偲びないと思い、僕らに持ち帰ってきてもらうことにしたそうだ。


 ちなみに、この百合はアミガサユリというらしい。百合の細かい種類など知らないから、曖昧に頷くことしかできなかった。

 白い百合は全て白百合。それではいけないのか。思ったことが表情に出てしまっていたらしく、百合華さんにこんなことを言われた。


「焦斗さんが、アミガサユリやその他の品種を全て白百合だと一括してしまうのなら、日本人は全て日本人だとしか言えなくなってしまいますよ?

 個人個人、花一つ一つに属するものがあるのだから、正しく呼ぶのはマナーのようなものだと思いますわ」


 人と百合は違う、とは言わなかった。人と花の間にもマナーがある。百合華さんのゆったりとした笑顔を見ると、そうでなければいけないと思えてくるから不思議だ。


 その会話の後、少しして、扉の前に着いた。焦げ茶色をした観音開きの荘厳な扉だ。


「この奥に、怪しい人を集めましたの」


 一体どんな人がいるのか。僕とメアは、片方ずつ扉を押した。眩い白色光が視力を奪う。目が光に慣らされると、中はこれまた広い部屋で、食堂に見える。


 染み一つないテーブルクロスが敷かれた長机は、燭台だけを載せている。いくつかある椅子のうち二つに、居心地悪そうに女性が一人ずつ座っていた。


「百合華、その子たちは?」


 片方の女性が立ち上がり、僕らの方を見ながら百合華さんに尋ねた。髪型はショートボブで、フードがついた服を着ていた。


「私たちが呼ばれた理由も教えてね?」


 もう一人の女性はポニーテールで、茶髪混じりの女性だ。どちらも百合華さんの友人という風には見えなかったが、口ぶりから推測するに顔見知りのようだ。百合華さん含め、三人は二十代から三十代といったところだろうか。


「実はね、ある人にネイちゃんが本当に自殺だったのか、調べてもらうことにしたの。私、ネイちゃんが自殺したなんて信じられない。

 だから、二人のどっちかが殺したんじゃないかって、そう思っているの」

「なに言ってるのよ。ネイは自殺だって、警察が言ったんでしょ? それなら自殺に決まってるじゃない」

「そうだよ。それに、私もこのあと仕事があるから、用事はできれば早くして欲しいな」


 人一人が、それも知り合いが亡くなったのだろうに、やけに反応が希薄だと思った。それとも、大人になってしまえば、友達との繋がりもこうなるのか? そうではないと信じたい。


「そう。ネイちゃんがいなくなってショックを受けたのは、私だけなのね」

「違うわよ! ……私だって、ネイが死んだなんて信じられないし、信じたくない。

 でも、受け入れるしかないじゃない。なにを思ったって、ネイは帰ってこないんだから」

「そうだね。私も同じ感じ。それに、忙しくて。心の余裕がないっていうのかな。本当は、泣いていたいけど、そんなわけにもいかないんだよ」


 大人になると、感情のままではいられないということなのか。それか、もしかしたら、自殺と思っているからこその反応なのかもしれない。


 事故や殺人なら、あるいは違ったのかもしれない。自分で選んだ死と、突如与えられた死では、受ける印象も変わる。


「この二人は、私とネイと一緒に、高校生の頃から仲良くしていたのです。ショートボブの彼女は真紀で、ポニーテールの彼女は未奈といいます。それでは、あとは、お願いいたします」


 百合華さんはそう言い置いて、僕に近寄る。両手を上にして差し出していることから、花瓶を渡して欲しいということだろう。


 僕は花瓶を彼女の両手に乗せた。百合華さんはそれを包み込むように持ち直そうとしたが、手が滑ったらしく花瓶は落ちてしまった。


 パリンと、繊細なものが壊れるような音を立てて、青い花瓶の破片が散らばった。瑞々しい緑の茎が横たわり、花は萎れたみたいに力がない。


「す、すみません!」


 もっと、気をつけて渡すべきだった。責任を感じて謝るも、百合華さんには届いていないようだった。上の空で、足元を見ている。


「大丈夫? 私も手伝うよ」


 急いで破片を集めにかかると、そんな声をかけながら、ポニーテールの未奈さんが手伝ってくれた。


「百合華? ちょっと百合華、それどうするの?」


 一方で、ボブの真紀さんは、茫然とした様子で足元を見つめ続ける百合華さんを揺する。


「あ、ええ。そうですね。そのままにしておいてくださっても構いません。怪我をされては、困りますし」

「あっ」


 百合華さんが言った矢先に、未奈さんが指を切ってしまった。縦にパックリと切れているが、重傷ではなさそうだ。それは良かった。


「痛いな、もう。百合華、絆創膏ってある?」

「ええ。他の部屋にあるから、ついてきて? 破片はそのままでいいから。ごめんなさい、私の不注意で。真紀は、ここで待っていて?」


 僕も未奈さんも、拾った破片をその場に置いた。百合華さんは、未奈さんと共に部屋を出る間際、目配せをしたように見えた。その相手はメアだ。受け取った彼女は、微かに頷く。


 僕は破片をできるだけ一箇所に集めた。終わる頃には、真紀さんが既に席に戻っていた。


「真紀さん、でしたよね。丁度いいので、このままお話を伺わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


 メアが尋ねる。もしかして、百合華さんが花瓶を落としたのはわざとなのか? それとも、単に偶然をうまく使っただけなのか。多分、偶然だ。茫然とした様子は、本当に意識が消えていたように見えたから。


「別にいいわよ。私、犯人じゃないからね。そもそも、まだネイは自殺だと思ってる」


 証拠はないから、その考えを覆すことはできない。自殺判断は、まだ始まったばかりだ。


「わかりました。それでは、お話をお聞かせ願います」


 メアは言うなり、鞄からタブレットを取り出した。充電の消費を抑えるために、端末の電源を切っていたのだ。


 テレビ電話が繋がり、変わらない光景が画面の向こうに広がった。こちらは眩しいのに、リレンのいる部屋は息苦しいほどに暗い。


 メアは得た情報を軽く伝えて、あとはリレンにこの場の主導権を託した。


『初めまして、真紀さん。私は百合華さんに自殺判断の依頼を受けたリレンです』


 僕はメアの後ろに立っているため、今はリレンの様子が見えていない。しかし、真紀さんがお辞儀をした様子から、リレンも礼をしたのではないかと予測した。


『まず、あなたと百合華さん達は知り合いだったのね?』

「そうよ。高校生のとき、最初はネイと私と未奈の三人グループだったけど、ネイが百合華を誘ったの。

 百合華って、お嬢様だし独特の雰囲気があって、浮いていたのよね。だから、気を遣ったネイが私たちのグループに入れたのよ。それで、付き合いは今も続いていたってわけ」


 男子にもグループはあるが、女子のようにベタベタしていない。ある程度の密接さはあるものの、一線を引いているというか、グループの行き来がしやすくなっているのだろう。


 対して女子は、グループの結びつきが強いような気がする。海美だって、ずっと同じグループの中にいた。


 このまま過ごしていれば、男子だとどうなるのかわからないが、女子なら大人になっても関係は続くということなのだろうか。いや、人によるか。さっき、百合華さんに言われたこともある。ちゃんと、一人一人で捉えないと。


『わかったわ。次の質問よ。あなたはどうして今日、百合華さんに呼ばれたと思う? 怪しいところがあったから呼ばれたのでしょうけど』

「ああ、それは多分、私たちが全員、ネイが死んだ日に彼女の家に行ったからよ。

 私はケーキ、未奈は紅茶、百合華はさっきの百合を届けにね。ネイさ、誕生日だったのよ。それで、お祝い品を持っていったの」


 そうなると、誕生日に自殺を? 不自然な気はするが。


『それは全員で行ったの? それとも、一人ずつ?』

「各自よ。全員の都合が合わなかったからね。多分、私が最後だったんじゃない? ネイに二人が来たことを教えてもらったわ。

 その後、私は帰ったんだけど、ネイからメールが来て、指定された時間に家に行った。で、ネイが死んでいたの」


 真紀さんの説明は、どこか気怠げだった。円滑な語り方からして、警察にも同じ内容を話したのかもしれない。


『メールを見せてもらってもいいかしら?』


 真紀さんは準備を始め、見せてくれる。


 そこにはこう文章が表示されていた。

“今日はお祝いありがとう。嬉しかったよ。おかげで、いろいろ決めることができた。お礼をしたいから、今夜七時に家に来て。”


 文章に違和感はなかった。これを犯人が送ったのか、ネイさんが送ったのかは定かでない。


「これの指示通り、ネイの家に行ったら他の二人も先に来てたわ。インターホンを押しても反応がなかったみたいで、二人とも立ち往生していたけどね。

 一応、私たち三人ともネイの家の合鍵は持っていたんだけど、呼ばれたのにいないなんて想像していなかったから、そのときは誰も持ってきていないみたいだった。それで、大家さんに鍵を開けてもらったってわけ」

『そして、そのまま死体を見つけたのね?』


 真紀さんは無言で首肯した。死体は突然見つかってしまう。嫌な予感だけを感じさせて、唐突に出現してしまうのだ。兄を見つけたときを思い出して、足が震えた。


『次の質問にいくわね。ネイさんは植物毒で亡くなったと聞いたのだけど、あなたたち三人で植物に詳しい人は誰?』

「植物毒で死んだの? 私たちが見たときは、テーブルに伏せているだけで、なにもわからなかったけど」

『事実よ。百合華さんは、百合をたくさん育てているようだから、百合の知識はあるのでしょうね』

「そうじゃない? 百合華は、名前のこともあって百合がお気に入りだから。

 それと、未奈は花屋さんで働いているって聞いたから詳しそう。私は、ちょっと育てているくらいよ」

『なにを育てているの?』

「アロエとトマト、あとはナスとスズランね。家庭菜園で節約って感じ。大したものじゃないけどね」


 僕でも知っているようなものだ。アロエは、ヨーグルトに入っているのを食べたことはあるが、植物の状態では知らない。


『あとは、動機ね。三人の中でネイさんを恨んでいるような人はいない?』

「いないと思う。それと、こっちからも訊きたいんだけど、三人ってことは、百合華も疑っているのよね?」

『ええ。依頼人だけど、一応ね。彼女が犯人だとすれば、不自然にはなるけれど』


 自殺だと警察が判断し、捜査をやめたのならば、犯人がわざわざ再捜査を探偵にしてもらう必要なんてない。だから、リレンは不自然だと言うのだろう。


「それならさ、動機からいくと、百合華だけは絶対に犯人じゃないと思うよ。あの子はネイがいないと、なにもできなかったと思う。元々は百合華のいない三人グループだったって言ったけど、今じゃ百合華が一番ネイと仲良しだったね」

『そう。聞きたいことはこれくらいかしら。ありがとう』

「私は百合華が納得できればいいよ。ネイが死んだのは事実なんだから、早く受け入れて欲しい」


 そこまでの関係だったから、百合華さんは自殺を怪しんだのだろう。それが正しいのかは、まだわからない。介護施設での事件は熱中症、学校での事件は事故だったが。


『受け入れるというのは、難しいことよ。グラスに水を注ぐのは簡単だけど、グラスに入りきらない水を注ぐのは難しいわ』

「入りきらない水を入れるなんて、不可能じゃない」

『いいえ。確かに液体のままなら入らないでしょうね。でも、凍らせて氷にしてしまえば、溢れることはないわ。必要なのは、周りからの力なのよ』

「……そう、かもね」


 きっとそうだ。僕も一人では、受け入れきれなかった。それどころか、受け入れた気になって、今もなお、自分は死に慣れたと思い込んだ状態で過ごしていたに違いない。


『メア、次は百合華さんか未奈さんのところへ連れて行って』

「うん、わかったよ」


 話は全て聞き終わったということか。鞄に端末を入れたメアに続いて、僕も部屋を出る。その間際に見た真紀さんは、両手を組んで俯いていた。


 廊下を道なりに歩いていると、百合華さんが近づいてくる。


「なにか、手掛かりは見つかりましたか?」

「どうでしょう。リレンには、なにかわかったかもしれませんが」


 メアが答えつつ、端末の準備をする。これなら、いっそのことそのままにしておいた方がいい気がしてきた。


『百合華さんね。あなたにも話を訊きたいのだけど、いいかしら?』

「構いません。なにをお聞きになりたいのですか?」


 リレンは初めに、真紀さんの話したことが正しいのかを確認した。


「そうですね。三人とも付き合いはありましたが、私は主にネイとばかり一緒にいました。ネイは優しいんです。悩みがあっても、なかなか話さないような彼女でしたから、なにも言わずに自殺したというのは、不自然ではないのです。

 ですが、あのメールは不自然でした。お礼を口実にして私たちを集めたのに、行ったら自殺しているなんて、あり得ません。ネイなら、きっと誰にも見つからないような場所で死ぬに決まっています。

 ……そうなっても、私は絶対に彼女を見つけていたでしょうが」


 百合華さんはネイさんの話になると、感情的になる。彼女とネイさんの関係は、僕と兄とのそれに近いのだろう。


『他に質問することは、植物毒についてかしら。百合華さんは、植物には詳しいの?』

「ええ、百合に関してなら、人並み以上にはあると思っています。百合は多くの色があって、中でも私は白百合が好きなんですが、白百合の花言葉は、純真や威厳なんですよ。

 私が庭や、この家の裏にあるビニールハウスで育てているのは、カサブランカという園芸用の白い百合が主ですね。その中に、ネイの家に持っていったようなアミガサユリもあります。

 知らないかもしれませんが、タマネギも、実はユリ科の植物なんですよ。私は、育てる気にはなりませんけど」


 百合華さんは、その名に持つ百合については詳しいというのがわかった。ネイさんのことを話すのに次いで、百合のことを話すときは口が滑らかだ。


『百合に、毒はあるのかしら?』


 リレンさんがこの質問をしたとき、初めて百合華さんは言い淀んだ。疑われていると感じて、不快に思ったのかもしれない。


「確かにありますわ。猫や犬が誤飲してしまうと、死の危機もあります。ペットも飼わずに、この家で一人暮しをしているのは、それが理由ですわ」


 それなら、ネイさんを殺した凶器にもなり得る。だが、この百合華さんが人を殺すというのは、想像できない。


『そう。未奈さんにも話を訊きたいのだけど、彼女はどこに?』

「廊下を曲がってすぐの部屋にいますわ。私はさっきの部屋で待っていますので、用があればお呼びください。なにかあるまで、真紀と話してますから」

『あなたは、ネイさんと仲が良いという話だったけど、他の二人とも話題はあるの?』

「もちろんですよ。実は、真紀は猫を飼っているんですよ。私は飼えないので、彼女の話を聞いているんですが、猫は本当に可愛いのでしょうね」

『そうね。猫は、いいわね』


 リレンが同意すると、百合華さんは軽く頷いて微笑んだ。そのまま礼をして、彼女は僕たちが来た道を逆行していく。


 寂しいということだろうか。今までは一人暮らしでいても、ネイさんがいた。しかし、その支えを百合華さんは失ってしまった。僕と同じだ。彼女にも、支えとなれるような人が現れてくれたらいいのに。


「焦斗くん、行くよ?」

「はい」


 メアに声を掛けられ、突き進む。この事件の真相を、リレンに早く明かして欲しい。それが、似た境遇でなんの力も持たない僕に、ただ一つできる願いだった。


 * * *


 未奈さんがいたのは、廊下よりも、やや控えめな明るさの部屋だった。電気を点けず、昼が作る光だけがこの部屋にはある。


「あれ? てっきり、百合華かと思ったのに」


 椅子に座った女性が声を出す。


『初めまして、未奈さん。ネイさんの自殺について、少しお話を聞かせていただいてもいいかしら?』

「ネイの? いいですよ。結局、仕事もお休みすることになっちゃいましたし」


 二人が応答している間に、部屋を見回してみた。医務室のような雰囲気だ。薬や絆創膏の箱が机の上に並んでいて、絆創膏の箱は封を切られて置いてある。


 その机の手前にある木椅子に未奈さんは座っていた。諦めたような表情だ。


『あなたは花屋さんで働いていると聞いたのだけど、これは本当?』

「そうですよ。今日も本当は仕事だったんですけど、怪我しちゃったし、今日は来なくても回せるからって。明日から気まずいなあ」


 語尾は伸ばすようにして、未奈さんは息を吐き出した。学校を休んだのは、兄が死んだ翌日だったから、その気持ちはよくわからない。


 多分、仕事は仕事で、周囲との関係性も変わるのだろうから、僕の尺度で理解するのは難しいのだと思う。


『それなら、植物には詳しいわよね?』

「それなりには、 そうですね。でも、先輩方はあまり教えてくれませんし、自分で調べるしかないので、そこまででもないですよ」

『ネイさんは植物毒で亡くなったらしいのだけど、心当たりはあるかしら?』

「心当たりですか? うーん。ネイは、なにかを育てているわけではなかったと思いますよ。百合華は、百合を持っていったみたいですけどね。あれはアミガサユリかな」

『その通りよ。そうね、あとは、ネイさんの部屋にあったケーキと紅茶の種類を教えてもらってもいい?』

「ええ。紅茶は、ラミンです。名前くらいで、私もよくわからないんですけどね。物だと邪魔になるかと思って、それに。まあ、ケーキはネイが自分で買うかもと思って、ケーキに合いそうな無難なものになりました。

 で、ケーキ買ったの真紀なんですけどね。確か、苺のショートって言っていた気がします。ネイは、凝ったものより単純なものが好きなんですよ。だから、百合華とも仲良くなれたんじゃないかな。ネイは変に凝った考えをしないで、ストレートに他人と付き合う性格でしたから」


 頭を緩く締め付けられたような気がした。死者がどういう人であるのか知る度に、なぜ死んでしまったのかと思う。話を聞く限りでは、死の要素なんて微塵も感じ取れないのに。


『そう。いろいろとありがとう。最後に、その指の傷はどうしたの?』

「ああ、これはさっき切ってしまったんです。パックリ割れちゃいました。二人は見ていたよね?」


 僕とメアは頷くが、それはリレンに見えるはずもないので、メアが補足で説明を始める。


「焦斗くんが、百合華さんに花瓶を渡そうとしたら、百合華さんが受け取り損ねたみたいで、落ちたの。破片を拾おうとして、未奈さんは指を切ったからここにいるのよ」

『そういうこと。失敗したわね。電池残量なんて気にせずに、そのままにしてもらえば良かった』


 端末は、家の中に入った直後から電源を消していた。


「大丈夫だよ。リレンがいない間は、私がリレンの目になっているから。あとで、また話すよ」

『そうしてくれると助かるわ。一旦、戻りましょうか。いろいろと調べたいことができたから、依頼人に言って帰りましょう』


 次は電源をそのままにしておき、未奈さんも連れ立って三人で道を往く。廊下は迷いなく伸びている。僕らはそこを歩き、閉じた口を手で開く。言葉の代わりに、また眩しい灯りが襲う。ここは、暗い部屋との行き来には向かない。


「どうでしたか? なにか、おわかりになったでしょうか?」

 

 いち早くこちらに気づいた百合華さんが、風に揺れる花のような声を耳に伝えさせる。


『いえ、まだよ。ごめんなさい。今日のところは、二人にはこれで引き上げてもらおうと思うの。私が調べたいこともあるし、もう新しい情報は得られそうにないから』

「そうですか。では、また明日、なにかおわかりになったことや、知りたいことがあればお越しになってください。

 それと、個人で話を訊ける方が便利かと思ったので、真紀に断りを入れて、電話番号を教えることにしました。未奈もいいかしら?」

「うん。仕事中にさえ、電話を掛けられなければ大丈夫だよ」


 真紀さんと未奈さんの電話番号は、口頭で伝えられ、リレンはメモをしていた。見覚えのあるメモ用紙だ。最近使っていたから覚えている。今は、リレンを見ることができる位置に僕もいた。


『それでは、早く自殺判断ができるように心掛けます』


 リレンが座りながら礼をするのに倣って、僕とメアもお辞儀をした。


 百合華さんら三人は、今後の話をし始めていた。百合華さんは外食ばかりしていたらしく、今夜は折角なので真紀さんが作ることになったようだ。未奈さんは明日こそ仕事だと、二人の申し出を断っていた。


 去り際に、花瓶の破片とアミガサユリが消えているのに気づいた。水の跡だけが残っている。百合華さんは、どういう気持ちでそれを片付けたのだろうか。ネイさんに贈った最後のプレゼントは、壊れてしまった。繋がりを絶たれたようには、思わなかったのか。


 僕は、兄の携帯端末を机の中に仕舞っている。兄の遺品は、いくらでもあるのだ。腕時計だって、ペンだって、使っていたものは多くある。それでも、僕が一際気を惹かれるのは、携帯端末。理由は様々だが、あれを破壊されてしまったら、僕は立ち直れないような気がした。


 だから、百合華さんは、強い人なのだろうなと思った。彼女なら、僕とは違い、犯人を見つけたら殺すことだって、できるのかもしれない。


 部屋を出た後、捻れて見える曲がり角を何度か繰り返し、僕らは家の外へと辿り着いた。


『お疲れ様。君も帰って大丈夫よ』

「はい。あと、できればこの事件は早く解決してください」

『どうして?』


 訊かれなければこれ幸いと思えたが、訊かれてしまう。リレンを殺す計画に加担するかの返答の締切が、明日だからだとは言えない。勝臣さんと会った日から、三日後の夜が期限。それは着実に近づいていた。


「なんとなく、そうした方がいいと思ったんです」


 嘘を作るよりも、はぐらかした方が誤魔化せる気がして、そんなことを言う。


『君がそう言うのなら、わかったわ。明日、答えが出せるように頑張る』

「お願いします。できれば、兄を殺した犯人も見つけてもらえると嬉しいです」


 それだけ言って、僕は帰り道を行く。振り返ると、メアが手を振ってきたので振り返す。


 時間がない。しかし、解いてもらわなければいけない。兄を殺した犯人だけ知って、ネイさんの自殺判断のみ明かされないというのは、避けたかった。仲間を失ってしまうような気がしたから。

 リレンには、一日で二つの事件を解いてもらうしかない。それしかない。

次回は二時間後に更新されます。

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