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吸血姫は死を嫌う  作者: 天木蘭
三章.崩落したもの

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3-3

 目を覚ますと、日の位置が変わっていた。スマホで時間を確認すると、午後三時だった。もうそろそろ、学校は最後の授業を終わらせるはずだ。


 リレンに会いに行ってみようか。彼女は夜行性であるものの、二人には悪いが、メアがいれば起こしてもらうこともできる。


 そして、真犯人を見つけてもらう。彼女が信頼できるかどうかは二の次だ。


 服を着替えてスマホを手に取る。もう少し時間を潰してから外に出ようと思い、資料に再び目を通す。失月市で起きている吸血事件。この犯人がリレンだとすると、以前浮かんだ疑問が解決する。


 リレンはどこから血液を得ているのか。彼女がどれほどの血液を要するのかもわからないが、おそらくメアだけでは補えないと思う。


 記事によれば、大体二週間から一ヶ月毎に一人が襲われている。しかし、それは約二ヶ月前から表沙汰にならなくなる。


 犯行が起きているのに、発見されていないのか、それとも本当に誰も襲われていないのか。


 誰も襲われていないとしたら、リレンのある言葉に理由がつく。飛び降りたあとの暴走が解けたあとに彼女は、最近、血液を摂っていなかったというようなことを言った。


 それはつまり、人を襲うのをしばらくの間やめていたからと考えることができる。もし、そうならば、きっと僕はリレンを殺す。


 無実の人を襲った罪。一人一人を数え上げれば、積み上げられる罪状は果てしないものとなる。


 まだ、気絶だけなら良かった。しかし、記事によると、ときには吸血したような痕が残った死体もあり、その身体は軽かったらしい。


 殺人は罪だ。彼女の力は使える。人の役に立っている。しかし、代わりに人が死んでしまうのでは、彼女自身が新たな死の種を生み出していることにもなる。


 それならば、僕は彼女を許せない。死を嫌うはずの彼女に、その価値観を教わった僕も、死を嫌悪している。だからこそ、彼女の罪が真実であれば、僕は彼女を殺す。方法はある。僕を吸血鬼にしてもらえばいい。そのプロセスは、考えなければいけないが。


 叔父を殺すことは躊躇ったが、リレンを殺すことは歯止めがない。死を嫌っている彼女は、それでも死を望んでいるのだから。


 決して崩れはしない強い決意を作り出し、僕は家の外へと出た。すると、望んでいない出迎えがある。


「資料に、目は通してくれたかな?」

「どうして、僕の家を知っているんですか?」

「敵を知るには、まず、その周りから知らないといけないからだよ」


 理由にならない理由を言われる。目の前にいるのは勝臣さんだ。


「それで、なにか用ですか? 資料なら返しますよ」

「それは気にしないでくれ。あれはコピーだから、返却の必要はないさ。それより、返答はどうだい? 僕と一緒に、あの吸血鬼を殺すつもりになった?」

「まだ、決めかねています。依頼を全うしてもらっていないですから」


 それが出した結論だ。リレンに再度推理してもらい、彼女が人を襲っているのが事実なら、彼女を殺す。


「終わったら、手伝ってあげますよ。あなたの言っていることが本当ならね」


 彼は被っていた帽子を目深にした。余計に怪しく見える。


「そうか。君は彼女の依頼人だったんだね。それなら、待つしかないな。……そうだな、期限は三日くらいにしよう。その日の夜、君に連絡する。よければ、電話番号を教えてもらえるかな?」


 僕としても、この人との会話を早く切り上げたくて、口早に教えた。


「もう少しゆっくり言ってくれないか? もしかして、俺のこと嫌っているかい?」

「怪しいからですよ。じゃあ、もう一度言います」


 SNSでの会話がほとんどになったため、電話機能はあまり使わないが、勝手に変なサイトに登録されたりしないだろうか。そこは、仕方なく信じるしかない。相手を信じてばかりだな、僕は。


「よし、これで覚えた。最近の俺は、あの吸血鬼の家を見張っているから、会いたくなったら周囲を捜してくれ」

「ストーカーですか。電話で十分ですよ。それでは、さよなら」

「冷たいな。次は三日後の夜。最後の決断を君に訊く。英断を期待しているよ」


 英断なんていう大それたものだろうか。僕は、手を振りながら歩いていく彼を、棒立ちで見送った。


 * * *


 いつも通り自転車で、しかし速度は緩めて向かったのだが、それでもいつかは終わりが見える。リレンらが住んでいる家に着くと、軽くインターフォンを押した。


 音を立てて開いた扉の向こうにメアが現れる。まだ帰ったばかりのようで、制服姿のままだ。


「血を、あげにきたの?」


 僕の顔を見て、彼女は寂しげな表情になった。見たことがあるようで、なかった。


 彼女は、かぐや姫のようだ。いつもは周りを癒すように微笑んでいるのに、今は月に帰らなければいけないことを知った風に、微弱な光を残している。かぐや姫と違うのは、彼女は帰るべき場所を失ったという点だろうか。


「違います。リレンさんの推理が間違っていたみたいなので、もう一度犯人を教えてもらいに来ました」

「リレンが?」


 彼女は一瞬、驚いた顔を見せたが、僕を中へと招く。リビングに来たが、リレンの姿は見当たらない。


「ごめんね。寝ているから起こしてくるよ」


 初めて会ったときのリプレイだ。やがて呼ばれてきたリレンは、薄くないローブを着てくれていた。


「私の推理が間違っていたの?」


 不服そうな様子だ。推理に文句をつけられたことに対してか、眠りを妨げられたからかは、判然としない。


「はい。これを見てください」


 僕は叔父が投稿した例の写真を見せる。液晶の光が強くて、暗い室内では目に刺さる。メアも気づいたらしく、電気を点けた。


「また、点滅していますね」

「そうね。不思議だわ。君がきたときだけ、こうなるのよ」


 兄の霊が取り憑いているとも思えないのだが、もし、そうなら、僕はいつでも兄に見られていることになる。今の僕を見て、兄は喜んでくれるだろうか。誰かに訊くまでもない。喜ぶはずだ。本当に兄が取り憑いているのなら、理由は犯人を探して欲しいからに違いない。


 リレンに写真を見せたり、マップなどを見せたりすることで説明をすると、彼女は叔父が犯人でないとする理由には納得した。


「わかったわ。今夜、確かめに行く。もしそこで目撃談があれば、彼は無実になるわね」

「ありがとうございます。無実だといいんですが」


 リレンの推理を支える絶対性が失せてしまうのは、彼女に申し訳ないが、叔父が冤罪ならば救わないといけない。


「とりあえず、犯人を間違っていたとき、私は新しい犯人を推理しないといけなくなるわね。君が知っていることを、全て話して?」

「全てって、どの範囲ですか?」

「君が兄の死体を見つけてから、こうして私と話すに至るまでの全ての記憶よ。なにがあったか、なにを話したか、食べたものまで、全てを。思い出せる限りでいいから。ともかく、情報が欲しいの」


 そこまでする必要があるだろうか。しかし、情報の取捨選択は、僕には難しい。あとから、実は大切なことを言いそびれていたとなっては、僕も彼女も報われない。


 僕は一つ一つの、細切れになった記憶の断片を繋ぎ合わせて、できうる限り全ての記憶を話し尽くした。リレンに質問されたことも、幾つか答えた。

 ただ、それらは兄が死んでから、今日ここへ来る中で、偶々思い出したことだったり考えたことだったため、難なく答えられた。


「これで全部です」


 元々が暗い部屋の上、電気を点けているためにわからないが、相当な時間が経っているだろう。


 リレンの希望で、彼女と僕が揃っている間の話は除いた。ほとんど、僕の学校生活を軸とした話ばかりだったが、これで彼女は僕の記憶を九割がた共有したことになる。


 リレンに言わなかった記憶は、東堂さんの言葉と、最近出会った勝臣さんに関わることだ。東堂さんと唐川さんに会ったことは話した。でないと、捏造しなくてはいけなくなるからだ。


 叔父と留置場で会話したことも説明したし、これだけの情報があれば、彼女の推理材料は整っただろうか。


「お疲れ様、焦斗くん」

「いえ。僕のためでもありますから」


 メアに労いの言葉を掛けられる。彼女は自室で勉強をしていたのだが、様子が気になったらしく、序盤の方からリビングでリレンと共に話を聞いていた。


「あとは、私が犯人を見つければいいのね。そろそろ、外も暗くなったかしら」


 この空間を外から閉ざす黒い結界を睨んで、リレンが言う。


「外に行って見てきますよ」

「ありがとう。メアも一緒に行ってあげて」


 メアは、威嚇するように光を明滅させる電灯を見ていた。


「わかった。焦斗くん、行こう?」


 手を伸ばす彼女に僕は頷いて、歩いていった。


 外は暗い。時間は朝、昼、夕、夜、深夜と表現に限られているが、今は夕方と夜の境目くらいだろうか。


 空は陽が落ちたばかりで、粛然(しゅくぜん)とした紺色が満ちている。アメジストよりは、青みがかった色だ。


「ねえ、焦斗くん。焦斗くんは、どうして耐えられるの?」


 不意にメアが言う。見上げていた雲の切れ間に星が見えた。


「なにをですか?」

「お兄さんが死んだこと。唯一無二の家族だったんだよね? だったら、本当に死にたいくらい落ち込んだり、なにもやる気がでなくなったり、しなかった?」

「しましたよ」


 雲はゆっくりと動いていく。時の流れが止まることはなく、兄が死んでからもそうだ。


「でも、長くはなかったです。いろんな人のおかげかもしれませんね。兄さんが自殺したことを信じられなくて、そう思ったのは僕だけでないとわかって。叔父だけでなく、兄さんの友人や、バイト先の人たち、悠、悠のお兄さんも、皆がそう思った。


 だから僕は、悠の話を聞いて、ここに辿り着くことができたし、兄さんが殺されたこともわかった。きっと僕は、周りの感情を自分のものにして、動いているんだと思います」


 僕だけでなく、多くの人が同じことを信じた。それがどれだけ支えになってくれたことか。


「そっか。助けてくれる人が、沢山いたんだね。私も、小さい時に、リレンに助けてもらったんだ。家で火事が起きて、私だけが助かった。夜だったから寝ていて、気づいたときには周りが全部、火で赤くなっていたよ。


 お父さんとお母さんは、私を守るために二人で覆いかぶさってくれたらしいの。長い間そうしていたら、窓が開いて、真っ黒な人がやってきた。私、そのときは火事で焦げた幽霊が来たのかと思って怖かったんだけど、全然違った。


 蝙蝠の羽みたいに、熱風ではためいたローブ。火を映して赤く燃えている瞳は、業火のような深紅で綺麗だった。わかるだろうけど、たまたま近くにいたリレンが、ガラス窓を突き破って助けに来てくれたの。


 でも、お父さんとお母さんを助けるには間に合わなかった。私はずっと泣いていて、リレンはずっと慰めてくれた。そうして、私は今ここにいる。誰かに助けてもらえただけ、私は幸せだと思うよ」


 メアの話を聞いていて、彼女には悪いが、リレンへの不信感が募っていく。


 丁度よく両親だけが亡くなり、メアは助かる。そして、火元が不明。また、偶々通りがかったとは、あまりにも話が出来すぎではないか?


 勝臣さんが言うには、リレンは吸血用のタンクが欲しくて、メアを攫っていったのだろうとのことだが、あながち間違いではないかもしれない。


「本当に駄目なときは、誰かが助けてくれる。誰にも気づいてもらえなければ、呼べば助けてくれる。私は、きっとそういうものだと思うんだ」


 メアの言葉には心の底から同意したいが、リレンへの疑いが僕の心を黴のように侵食していこうとする。


「そうですね」


 心が染め切られる前に、僕は返した。こんな僕でも、リレンは助けてくれるだろうか。そんな虫のいい話があるわけない。この感情は、ひたすらに隠しておこう。


 僕の虚ろな応えに、それでも彼女は満足したらしく、鉄扉を軽々と開ける。


「じゃあ、戻ろうか。焦斗くんが困っているときには、私も助けるから。リレンみたいにね」

「ありがとうございます」


 メアの抱くリレン像も、壊してはいけない。僕は、なにかを壊すつもりはない。ただ、守ろうとしてい るだけだ。多分、そのはずなんだ。


 メアの離した扉を支えると、一瞬重く感じた。逃げ出すように靴を早く脱ぐと、僕はメアについていく。明るいリビングへの距離が縮まるにつれて、淀んだ心が露わにされそうで、無性に恐怖を感じた。


「おかえり、どうだった?」


 リレンは上半身を倒して、低いテーブルに面していた。伏していれば、疲れているのかもしれないと思ったが、手を動かしているように見えるため、それは違うとわかる。


「暗くなり始めていました。あと、三十分もすれば大丈夫だと思います」

「そう。ありがとう」


 リレンは俯いたままだ。


「リレン、なにをしているの?」


 メアも検討がつかなかったらしく訊ねた。


「ちょっとね。メア、彼を送ってあげて。君には明日、わかったことがあったら教えるわ」

「わかりました。一人で帰るので、メアさんは送らなくて大丈夫ですよ。帰りに一人だと、メアさんが危ないですから」


 それにメアと一緒にいると、自分の中にあるリレンへの感情が、漏れてしまう気がした。


「そう? それならいいけど。気をつけてね」

「はい。昼に寝たんですが、意味はありませんでしたね」


 なにか手伝えるかと思ったが、やることはなさそうだ。まずは、リレンが叔父は犯人でないという証拠を得ることから始まる。


「そうなの? ごめんなさい。申し訳ないことをしたわね」


 リレンはやっと顔を上げた。そして、なにかを掴んで近づいて来る。


「実は、計算をしていたのだけど、これであっている? 八掛ける七は、五十六。確か、人間の世界では掛け算というのだったかしら?」

「そうですね。あっています」


 質問に意味があったのかよくわからないが、僕はそう言って頷いた。


「良かった。昔、夜間講師をしていたこともあるのよ? それじゃあ、今日のところは終わりね。また明日、会いましょう?」

「ええ、また明日」


 僕は二人に見送られて家を出た。さっきの質問も、事件に関係があるのだろうか。しかし、掛け算が必要な場面は思い当たらない。


 空は紺の壁が崩れ去り、奥に隠れていた全てを呑み込む闇が姿を顕現させ始めていた。


 闇の中に呑み込まれてしまえば、楽になれるのだろうか。白の中で黒を隠すよりも、黒に染まってしまう方が楽に思える。


 だが、僕は白を維持しなければならない。兄は黒に染まらなかった。僕が見ていた限り、彼は陽の人間だ。太陽のように全てを照らし、その光は陰を生むこともなかった。


 兄弟姉妹の中には、能力差で嫉妬してしまうこともあるのだろうが、僕は兄に悪感情を抱かないでいられた。そんな兄のようになりたいと、憧れくらいはあったけれど。


 もう、それも無理だろうか。


 月の見当たらない空に、手を伸ばす。なににも届かない、触れられない、掴めない。目を閉じると全てが黒になり、無音が心地よく、僕はそこにいるべきな気がした。


 首を振り、自転車に乗って帰路につく。途中でパトカーが何台か止まっているのを見つけた。


 人は常に死んでいる。兄の死も、その中の一部だと思うと、なぜだか泣きたくなって来た。

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